異法人の夜-Foreigners night-

-Border Breaks-
第四十八話「決戦の始まり」
 魔術というのは技術である。
 梢や零次が内包する異法と違い、後天的に身に着けることが出来る力だ。
 応用方法も異法などとは比べ物にならないくらい存在する。
 その代表的なのが、魔術道具。
 魔術を内包したアイテムのことで、魔銃ヴィリやヴェーがこれに該当する。
 その魔術道具を、
「俺に着ける?」
「そう。君の失われた右腕の代わりにする」
 ここは幸町診療所の一室。
 診察室でもなければ入院患者用の病室でもない。
 診療所のもっとも奥深くにある階段を若干降りた先にある、ガラクタだらけの物置だった。
 梢は先ほど、涼子や霧島に着いて行こうとした。
 そこを幸町に止められ、現在こんな場所に連れて来させられている。
「しかも、ただ腕の機能を果たすだけでは駄目だ。これまで以上の力を手にする必要がある。それは、分かるね?」
「ああ、それは……」
 自分の右腕を難なく消し飛ばした敵を思い浮かべる。
 一朝一夕では決して埋まらぬ実力差。それを、多少卑怯な手を使ってでも埋めなければならない。それも、出来るだけ早く。
「そのために、僕は魔銃ヴィリを参考にしてみた」
「ヴィリを?」
「そう。あの炎銃は神秘を燃やし尽くす特性を持っている。あれに近いものを君の新しい腕に組み込みたい」
 幸町は今、ガラクタの山を漁っていた。
 鋼鉄で出来たノート、紙で作られた斧など、奇妙な道具ばかりが落ちている。
 幸町は梢の"義腕"を作るための材料をここから探しているらしい。
「ただ、君の本質は植物にある」
「本質?」
「そう。異法人とは例外なく身の内に異法を宿す者のこと。異法とは、ただの特殊能力ではない。それを内包している宿主の性格、信念、あるいは因果と深く結びついている」
「因果って、また難しいことを」
「簡単なことだよ。君の本質は草だ。近くに火があれば燃えやすい」
 幸町のシンプルな理屈に、梢は押し黙った。
 実際、ヴィリを使ったせいで長時間高熱を発し寝込んでいたのだ。
「料理するときとかは、平気なんだけど」
「それは多分君の努力の賜物だよ。最初のうちは大変だったんじゃないかい?」
「……いや、どうだろうな。よく覚えてない」
 嘘だった。
 最初は火がとても恐かった。
 ただ、それは親戚の虐待の影響だと思っていた。
 梢は高熱のフライパンで殴られたり、沸騰している熱湯をかけられたりしたことがあったのである。
 火に対する恐怖心はそこから湧き上がるものだと判断し、負けてなるものかと頑張って乗り切ったのだ。
 しかし、火に対する恐れはもっと深いところにあったらしい。
 言われてみれば、ライターやマッチを使うのも少し苦手である。
「炎銃ヴィリの技術を取り入れた腕を装着する場合、君は凄まじい激痛を常時味わうことになる可能性がある。下手すれば自滅する危険性もある。出来る限り君の負担を減らすように作るつもりだけど、嫌なら今のうちに言ってくれ。その場合、余計な機能は一切つけないようにするから」
「やってくれ」
 間髪入れず答えた梢に、幸町はさすがに驚いた顔をしてみせた。
 無謀、と見たのかもしれない。
 しかし梢には梢の考えがある。
「それぐらいしないと、あのザッハークってのは倒せないんだろ? いや、そうしたところで勝てる可能性はそんなに高くなさそうだ。それなら一か八かでやるより他はないと思うぜ、先生」
「確かにその通りだ。ただ、僕が驚いているのは君の潔さだ。死んだ方がマシだと思えるような苦痛を味わうかもしれないというのに、えらくあっさり決めたものだね」
 幸町は値踏みするような目を梢に向けた。
「一応確認しておくけど、自暴自棄になってるって訳じゃないよね」
「それは……」
 吉崎のことがある。
 彼は見方によっては、梢によって事件に巻き込まれて死んだ、と言えなくもない。
 梢は少なからず、吉崎の死に責任を感じている。
 しかし、そのことで自暴自棄になっているつもりはなかった。
「苦痛なら我慢すればいいだけだ。けど、遥をこのままにしておくのは我慢出来ない」
「君の中での優先順位は、そうなっているのか」
 幸町は何か言いたげだった。
 が、結局は何も言わずにガラクタ漁りを再開した。
 梢も何気なく周囲に目をやる。
「……うわっ!?」
 何気なく視線を向けた先に、人の腕が転がっていた。
 梢の声に反応した幸町もそちらを見る。そして、
「ああ、これこれ。ここにあったんだ」
 と、その腕を無造作に掴み上げた。
「せ、先生。そいつぁなんだ!? 人の腕だろ、それ!」
「ん? ああ違う違う。よく見てみなよ」
 幸町は手にした腕の切断面を梢に見せた。
 そこからは、人体とは思えないコードのようなものがいくつも姿を覗かせていた。
「これが君用に作る義腕のベースとなる。材料が貴重なんでね、前のが残ってて良かった」
「前のって……先生、それあんたの作ったやつか?」
「ああそうだよ。戦いで損傷して新しいのに換えたんだ。まぁ修理すれば充分使える。そんなに前のでもないから、性能も充分だよ」
「戦い?」
 梢は腕を受け取ってしげしげと観察した。
 本当によく出来ている。ぱっと見ただけでは、作り物だとは分からないだろう。
 あちこちに傷があった。
「これ、誰が使ってたんだ?」
 無数の傷がついた義腕を見ながら、梢は何気なく尋ねてみた。
 幸町は微笑を浮かべて頭を掻いた。
「それは――直人のだよ」
 梢の表情が強張った。

 霧島の能力、モルト・ヴィヴァーチェは利用範囲が多岐に渡る便利な力だが、負担が激しいという欠点を持っている。
 例えば自分自身に力を用いることで、異法人としても別格のスピードが得られる。
 その代わり、身体にかかる負担は生半可なものでは済まない。
「俺の身体はとっくに壊れてる」
 夜の住宅街を歩きながら、霧島は涼子に語った。
 七年の間、彼が何度もザッハークと死闘を繰り広げたこと。
 その度に身体を酷使し、次第に使い物にならなくなっていったこと。
 今では霧島の身体の大半は、幸町が作り上げた代替物によって構成されていること。
「あまりにもあれこれと紛い物をつけたせいか、心臓や脳にかかる負担が増えちまったらしくてな」
 霧島は、努めて何気なく言った。
「――――多分、激しい戦闘は後一回が限界だ」
 限界を越えたらどうなるのか。
 そんなことは、聞くまでもない。
 当然、待っているのは霧島の死である。
「どうにも、ならないんですか?」
「無理だ。もうどうにもならない」
「でも、例えばこのまま大人しくしてれば……」
「そうしてもせいぜい一ヶ月持てばいい方だ。無駄に一月生きるぐらいなら、俺は優香との約束のために明日死ぬ方を選ぶ」
 霧島は穏やかにそう言って、涼子の頭をポンポンと叩いた。
 その穏やかさの中には、余人にはどうすることも出来ない決定的な意志がある。
 涼子はそのことに気づき、口をつぐんだ。
「あとな、嬢ちゃん。このことは誰にも言わないで欲しいんだ」
「……いいの、それで?」
「ああ。これから俺らが戦う相手は生半可な心構えで倒せる相手じゃない。実力は向こうが上。背負ってるものも相当でかい。けど、俺は死ぬ前に奴らを倒して遥を助けたいんだ。そのためには、少しでも多くの覚悟ある協力者がいる」
「……」
「俺のことを知れば、特に梢の奴は動揺するだろう。吉崎のことがあったばかりだしな。だが、そうなられちゃ困る。あいつには、ただ遥を助けることにだけ集中して欲しい」
「先輩、多分後で恨みますよ。霧島さんのこと」
「ハハハ、死人にゃ口もないが耳もない。後でいくら恨まれようと、そんなの俺の知ったこっちゃない」
 自嘲気味に言って、霧島は肩を竦めてみせた。
 涼子には不思議だった。
 自分の死を話題にしておきながら、なぜそんな風に落ち着いていられるのだろうか、と。
 今の霧島の気持ちは、今の涼子にはどう足掻いても理解出来ないものだった。
 ただ一点、遥を助けたいという強い願いを除いて。
「霧島さん」
「ん?」
「……絶対、遥さんを助けよう」
 涼子は真っ直ぐに、真摯な眼差しを霧島に向けた。
 それを受けた霧島は、しばしきょとんとした後、にやりと味のある笑みを浮かべて頷いた。
「無論。そのために、俺は今日まで生き延びてきたんだからな」

 薄闇の中を歩くのは柿澤源次郎。
 その傍らには、影のように控えている藤村の姿があった。
 彼らが進む先に、まるで出迎えるようにして立つ一人の男がいた。
「今晩は、契約者殿」
「貴様か」
 出迎えた相手の声を聞き、柿澤は苦々しい顔を浮かべる。
 かすかな街灯によって照らされた顔は、赤間カンパニーの社長のものだった。
 無論、本物の社長ではない。本物はとっくにこの世から消え失せている。
 そこに立っているのは、自らが殺した赤間カンパニーの社長に擬態する怪物。
 無形の奇形、フリークだった。
「既に私のことを知っていたか。ザッハークから聞いたのか?」
「いいえ。先日興味深い出来事が起きましてね。そこで、貴方が臭いと思ったのですよ」
 音もなくフリークの姿が崩れていき、やがて再構築される。
 研究者"牧島"としての姿だった。
「リンクが暴走したのです。いや、違うかな。あれは……そう、能力が強化されていたと言うべきでしょうな。僕ですら繋がりかけた。リンクと縁のある者は、大小の差こそあれ影響を受けている可能性がある。リンクの能力は有効範囲がどんどん拡大している。あのままいけば、リンクは世界中と繋がることになるでしょう」
「……」
「それこそが貴方の狙い。世界中の人間の精神を繋げて、人類全体が共有する精神の無意識領域へとアクセスするつもり……違いますか?」
「私を契約者と見なしたということは」
 フリークの長々とした話を押さえつけるように、柿澤は顎をわずかにずらした。
「あの部屋を見た、ということだな」
「ええ、見ました。さすがの私も絶句しましたよ」
 フリークは――この男にしては珍しく――本物の冷や汗を流していた。
「あれの正体についても推測はつきます。あれだけの数を確保する機会は、そう多くない」
「ならば問おう。貴様は私に協力するか」
 柿澤は一歩踏み出す。
 フリークの方へ右腕を水平に突き出しながら言った。
「あるいは、ここで私と戦うか」
 張り詰めた空気が周囲を支配する。
 柿澤は無表情。フリークは冷や汗を流しながらも、笑みを保ち続けている。
 柿澤の側に控えている藤村だけが、顔に焦燥を表していた。
「――――止めておけ、我が契約者・柿澤源次郎」
 一触即発の空気を打ち破ったのは、天上から降ってきた声だった。
 三人はそれぞれ表情を変えないまま頭上を見上げる。
 そこに、月をバックにしてザッハークが浮いていた。
「そこのフリークは有用だ。アレの守護を任せればよい。さすれば、我らは儀式に集中することが出来る」
「……ふむ」
 柿澤はフリークに向けていた腕を降ろし、若干考え込んだ。
 フリークはザッハーク同様、扱いづらい相手である。
 しかし明日の決行には、少しでも多くの手駒が欲しい。
 フリークの危険性と有用性を天秤で推し量り、やがて柿澤は小さく頷いた。
「フリーク」
「なんでしょう」
「私は貴様からすれば仇だ。決して味方ではない」
「そんなことは言うまでもありません。私たちは決して味方同士という関係ではない。貴方とザッハークも含めて、ね」
 にやにやと、底意のある笑みを浮かべながらフリークは言った。
「それを承知で貴方の計画に乗ろうと言うのです。世界の変革、私も興味がありますのでね。そう……契約をしたい、とでも言うべきでしょうか?」
 柿澤は値踏みするようにフリークを凝視した。
 柔な精神を持つ者は、それだけで泣き出したくなるような眼差しである。
 それを受けながら、フリークは微塵も動かなかった。
「……いいだろう。ではザッハークが言うように、貴様が見たものの守護を任せる」
「それでは契約の瞬間に立ち会えなくなるのでは?」
「問題ない。万全の状態で行えばどこにいようと関係ない。誰もが当事者になるのだからな」
 それで話は終わり、というつもりなのだろう。
 柿澤はフリークの脇を素通りし、当初の目的地に向かって再び走り出す。
 藤村もそれに続こうとして、
「おや。君からは、僕と同じ臭いがしますね」
「――」
 不意に、フリークから声をかけられた。
 藤村は、自分を柿澤の影のようなものだと定義している。
 だから話しかけられるなどとは思わなかった。
 思わず足が止まり、視線がフリークの元へと向かう。
 そのときの藤村は、涼子や霧島に見せたものとはまるで異なる、恐ろしい形相をしていた。
 まるで、自分の正体を知った相手を殺そうとする殺人鬼のような――。
「ふむ、失敬」
 藤村の変貌を見たフリークは苦笑した。
 このまま話を続けるのは止めた方が良さそうだと判断したのだろう。
「行きましょう。置いていかれますよ」
 フリークはそう言って柿澤の後を追い始める。
 藤村は無言のままその後に続き、すぐに追い越した。
 ザッハークは彼らの様子を、終始つまらなさそうに見ていた。

 翌日は快晴だった。
 主だった面子は幸町診療所に集まり、今日一日の準備に入っていた。
 梢は新たな右腕を装着するための手術を行っている。
 昨日の夜から幸町と共に手術室に篭もりっきりだった。
「遥を使った儀式がいつどこで行われるかが問題だ」
 待合室にテーブルを引っ張り出し、そこで涼子や霧島たちが話し合っている。
 他に参加しているのは、刃に榊原、美緒や藤田たちである。
「俺が見つけた、いくつかの研究所ではないだろう」
「だな。機関の連中は遥を使って世界を変革するつもりなんざなかったんだからな。隊長がどんな手段で儀式を行うかは知らんが、やはり怪しいのはカンパニー地下だな」
「あそこには、隊長以外立ち入り禁止の部屋があったな」
「ああ。さっき赤根に連絡して調査を頼んでみた。そこに何かがあれば、儀式もその付近で行われる可能性が高い」
 カンパニー地下にある異法隊本拠地には、涼子も一度だけ入ったことがある。
 無味簡素な空間だった、という認識しかなく、あまりあちこちを見たわけではない。
 だから霧島と刃の会話に出てきた、柿澤専用の部屋の存在は知らなかった。
「カンパニーで大掛かりな儀式をやるなら、実行するのは夜の可能性が高いな」
 榊原が口元に手を当てながら言った。
 カンパニーは大規模な会社で、当然ながら社員も多い。
 柿澤としては秘密裏に事を進めたいはずだから、確かに真っ昼間から行動に出る可能性は低い。
「もっとも、そいつは推測だ。カンパニーじゃないところでやるかもしれない。既に行動に出ているかもしれない。……昨日隊長の後を尾行出来なかったのは痛いな」
 霧島は苦々しげに言った。
 が、あの状況では仕方がない。
「これから俺と刃はカンパニーへ向かう。梢も準備が整い次第合流してもらう。……で、零次と亨だが」
 ちょうどそのとき、診療所のドアが勢いよく開け放たれた。
 全員の視線を一身に受けて、気まずさを前面に出した亨が弱々しい笑みを浮かべた。
「お、遅れてすみません」
「どうした? お前が遅刻なんて珍しいな。それに、お前一人か?」
 亨は零次と一緒に榊原邸で待機していたはずである。
 霧島は電話で、二人一緒に来るようにと指示を出していたのだが。
「それが、零次と連絡がつかなくて」
「連絡がつかないだって? あいつ、こんなときにどこをほっつき歩いてるんだ」
「分かりません。ただ、色々と思うところがあったらしくて」
 そこで亨はちらりと涼子を見た。
 彼の言う"色々"というのは涼子絡みらしい。
「……昨晩、ちょっと外に出て行ったっきり戻ってこなくて」
「昨晩?」
 霧島の表情が若干硬くなる。
 涼子も同じだった。昨晩は、涼子たちが柿澤と会っている。
 榊原邸から、そんなに離れてはいない。
「亨、零次が出てったのは何時頃だ」
「た、確か九時前後でしたけど」
「ドンピシャか。あいつ、あの話を聞いてやがったな」
 柿澤源次郎の本名が、久坂源蔵であるということ。
 柿澤自身は決して肯定しなかったが、彼はほぼ間違いなく零次の父親だった。
 そして、事件の黒幕でもあった。
 零次はただでさえ七年前のことで悩んでいたようだった。
 それに加えて、涼子の家族を殺した犯人の正体が、自分の父親だと知ってしまった。
 今、彼がどれほど重苦しい気持ちでいるかを思うと、涼子はいたたまれない気持ちになる。
「……零次とは連絡がつかないんだな?」
 念を押すように霧島が問い、亨はそれに頷いた。
「……まずいな。あいつ、一人で決着をつける気かもしれない」
「なっ……」
 霧島の言葉に亨が驚愕し、涼子は俯いた。
 刃はかすかに顔をしかめて、他の面々は重苦しい表情のまま沈黙を保った。
「無茶ですよ! ザッハーク相手に、一人で勝てっこない!」
「ザッハークだけじゃない。隊長、藤村、それにフリークもいる」
 柿澤のことを予め電話で聞かされていた亨は、ぐっと言葉に詰まった。
「昨日接した感じでは、隊長はおそらくザッハークと同等の実力者だ。フリークの方は実際立ち会ったことがないが、これもお前たちの話を聞く限りじゃ相当の曲者。……放っておけば、間違いなく零次は死ぬぞ」
「私が探しに行く」
「駄目だ」
 身を乗り出しそうになった涼子を、霧島が抑えた。
「嬢ちゃんが来ても足手まといだ。こっちの苦労が増える。零次の探索には俺が行く。まずはカンパニー付近、その辺りにいなければモルト・ヴィヴァーチェを使ってでも町中片っ端から捜してやるさ」
「でも……!」
「この場合、零次を捜すのは隊長たちを捜すのと同じだ。見つけ次第、即戦いになるだろう」
 緊迫した面持ちの霧島に、涼子だけでなく、その場にいたほとんどの人間が口出し出来なかった。
「……連絡役が必要だな」
 唯一霧島に口出し出来るのは、榊原だけだった。
「お前たちは各自別々に行動する。常に臨戦態勢にあると言っていい。しかし、単独で敵を撃破するのは難しい。かと言って、相手と遭遇すればいちいち他の面子を呼ぶ暇などあるまい」
「そいつは、そうだけどよ」
「それを俺たちがやろう。俺、冬塚の嬢ちゃん、それに藤田と斎藤。それぞれお前たちから距離を置きつつ状況を見て、何かあったら他のメンバーを呼ぶ。それならどうだ」
 榊原の提案に、藤田と斎藤がかすかに表情を明るくした。
 こんな状況の中、自分に出来ることが何もないことほど辛いものはない。
 彼らは彼らなりに、この戦いに身を投じる覚悟を持ってきているのだ。
「言っておくが、俺たちは自分のことで手一杯だ。何かあっても、そっちを守ってやれる余裕はない」
「構いませんよ」
 藤田と斎藤は迷うことなく頷いた。
 その様子を危ぶんだのか、霧島の表情に若干不安が浮かぶ。
「ペアを組んでいく。単独行動は危険だからな」
 すかさず榊原が言った。
 霧島は「まあ、それなら」と不承不承、喉まで出掛かっていた言葉を飲み込む。
「気心が知れている者同士がいいだろう。冬塚の嬢ちゃんは美緒と、藤田は斎藤と」
「サカさんは?」
「俺は一人で充分だ。一応、こういう修羅場は何度も潜り抜けてるんでな」
 その後、五分ほど話し合った結果、各グループの構成が決定した。
 霧島と共に行動するのは涼子と美緒。
 矢崎兄弟は榊原と。
 藤田と斎藤は、梢が動けるようになってから、共に行動を取ることになった。
「とりあえず、俺たち六人はカンパニーへ向かう。梢にはよろしく言っといてくれ」
「ああ。冬塚ちゃん、美緒ちゃん、霧島さんたちも、皆気をつけてくれな!」
 藤田たちの声を背に受けながら、一行は診療所を出る。
 七年前との決着をつけるために。
 そして――――大切なものを守るために。

 七月一日。
 梅雨は終わり、夏が既に訪れつつある季節。
 涼しげな格好をした人々が職務に励んでいる最中、赤根甲子郎は地下深くへと潜伏していた。
 赤間カンパニーの地下にある、異法隊の本拠地。
 その日訪れたそこは、いつも以上に空っぽな印象を赤根に与えた。
「久坂たちの話じゃ、あの女が化け物どもと一緒に待ち受けてるって聞いていたが……」
 周囲をぐるりと見渡す。
 純白の通路が広がっている。実に広々とした光景である。
 余計なものは、何一つとしてない。
「ケッ、どういうこった。何もないじゃねぇか」
 別に零次たちの言葉が嘘だと思ったわけではない。
 ただ、今日はザッハークにフリーク、そして――――柿澤たちが集まって何かするつもりだという。
 そのための鍵が遥だということを、赤根は既に電話で聞かされている。
 ……しかし、あの隊長がねぇ。
 赤根は馴れ合いを好まない。
 しかし、異法隊の面々を心底から嫌っているわけではなかった。
 相手に対して好意を抱くということが、赤根には理解しがたいのである。
 ただその代わり、彼は彼で異法隊のメンバーを高く評価していた。
 気に喰わないが、実力はピカイチの零次。
 へらへら笑ってばかりだが、やるべきことはしっかりとやる亨。
 何考えてるのか分からないが、行動力はある刃。
 喰えない男だが、仲間のことは大事にする霧島。
 大して強くはなさそうだが、人格的には文句のつけにくい藤村。
 そして、高き理想のため、地道ながらも日々歩みを進めていた柿澤源次郎。
 気に入らないが、それでも認めてはいた。
 だからこそ異法隊に入った。抜け出そうと思ったことは、不思議と一度もない。
 ……だが、あんたに関しちゃ見込み違いだったか。
 柿澤に対して、である。
 理想を掲げるのは結構だが、そのために犠牲を生むのには賛成できない。
 他に方法がないのならともかく、柿澤の場合は急ぎすぎているだけのような気がするのだ。
 それに、と思いかけて、赤根は思考を中断した。
 考えかけたことが、自分でもあまりにくだらないと思ったからである。
 とにかくここに遥はいない。
 もしかしたら、問題の儀式とやらは別の場所でやるのかもしれない。
 それならそうと、早く霧島に連絡する必要がある。
 もっとも、その前に『隊長室』の中は確認しておかねばならない。
 虫のように音もなく動き回りながら、赤根はようやくその場所に達した。
 立ち入り厳禁と書かれ、厳重にロックされている扉。
 その隙間に赤根は爪を滑り込ませた。以前機関に捕まったとき以来つけている包帯はまだ残っているが、能力はどうにか使えるようになっていた。
 爪を滑り込ませ、扉の内部をあれこれといじる。
 五分ぐらいかけてロックを外し、赤根は扉の中へと足を踏み入れた。
 中は真っ暗だった。
 だが機械の駆動音があちこちから聞こえてくる。
 ゴボゴボという液体を連想させる音も一緒だった。
 赤根は眼を凝らして周囲を見た。
 かすかに輪郭だけが分かる。
 どうやら大量の何かが置かれているらしい。
 部屋の奥行きは大分深く、あちこちにケーブルがあった。
 壁を手で撫でると、当然のようにスイッチがあった。
 赤根はそれを何気なく引き下ろし、そして驚愕した。
「……なんだ、こりゃ」
 見渡す限りの脳、脳、脳、脳、脳、脳、脳脳脳脳脳脳脳脳脳脳脳脳脳のうのウノウノう――――!
 部屋は異様な長さを誇る長方形の形をしていた。
 左右にはポッドが上下に五つ、隙間なく置かれていた。
 その中は薄緑の液体で満たされており、無数のコードに繋がれた人間の脳味噌が浮かんでいる。
 そんなものが、延々と奥へ奥へと続いている。
 冗談としか思えないような、悪夢の地。
 現実感の希薄な、夢に見る地獄のようだった。
 しかも、ここは粘つくような気持ち悪い魔力が充満している。
 一刻も早く出なければ、それだけで気を失ってしまいそうだった。
 ……だが、こいつはなんだ!?
 数百、否、数千。下手をすれば数万ほどはある人間の脳。
 こんなものを、一体何に使うつもりなのか。
「人類全体の共有無意識――源泉と呼ばれるその領域に達するには、膨大な魔力と媒介が必要となる」
 不意に、後ろから嘲笑うような声が聞こえた。
「膨大な魔力はあの蛇が用意する。大量の媒介はこれ。……復讐心に囚われ、人間失格となったくだらない研究者たちの脳。その二つによって、契約者殿は源泉へと至るつもりらしい」
 赤根は咄嗟に振り返った。
 そこにいたのは、白衣を着込んだ一人の男。
「こんにちは、鼠君。ここを見学しに来たのかい?」
 底冷えするような笑みで、その男――フリークは言った。
「ならば見学料をいただこうか。何、すぐに終わるよ」
 七月一日。
 決戦の日。
 その火蓋は、意外なところから切って落とされた。