異法人の夜-Foreigners night-

-日常編-
秋空を見上げながら――1
 不意に、目が覚めた。
 聞きなれた蝉の鳴き声も今はなく、ただ僅かな朝の光が射しこんでくる。
 2003年、9月1日――月曜日。
 ここ秋風市は、その名を冠する秋の季節に入ろうとしていた。
「う……ん?」
 目を擦りながら、まだ少し暗い部屋の中で身を起こす男がいた。
 中肉中背で目つきは悪く、やや怖い。
 人ならざる者でありながら、人として生きる者。
 それが彼、倉凪梢だった。
 数秒もしないうちに、彼はがばっと布団から跳ね起きる。
 部屋の中は簡素で、机や時計などを除いて何もない。
 彼は時計を一瞥すると、布団の脇に備えていた服に着替えて部屋から出た。
 静かな屋敷の中を、1人歩く。
 ここは正確には梢の家ではなく、榊原幻という男の家である。
 彼に引き取られたため、梢はここで暮らすようになった。
 今では梢の妹である美緒を含め、何人かの居候がここで暮らしている。
 昔の武家屋敷風のつくりで、やろうと思えば旅館経営さえもできそうな広さなので、人を置いておくだけならば困らない。
 台所に到着すると梢は自分専用のエプロンをつけて、冷蔵庫の中を覗く。
 しばらくして、朝の献立が決まったのかいくつかの材料を冷蔵庫から出す。
 そして満足そうに笑って梢は頷いた。
「――さて、今日も頑張りますか!」

「――む」
 梢が朝食を作っていると、後ろからそんな声が聞こえてきた。
 振り返らずとも梢にはそれが誰だか分かっている。
「よう久坂、おはようさん」
「ああ」
 素っ気無い返事。
 しかしこれは彼――久坂零次にとって珍しいものではない。
 そういう性格なのである。
 零次は梢と同じく、榊原家の居候である。
 春から夏にかけて起こったある事件で妙な縁が出来て、行く当てもないということもありこの家に居候することになったのである。
 零次は料理があまりうまくないため、梢の手伝いはせずに新聞を取りに行った。
 戻ってくると熱心に新聞を読み始める。
 それが彼の日課らしい。
「む、またか……まったく、なにをやっているんだか」
 新聞に向けてなにやらブツブツと呟いているが、梢は気にしない。
 長年一人暮らしをしていたためについたスキルらしく、本人も無意識にやっているようなので放っておくことにする。
 ただしテレビを見ていても同じようにブツブツと言い始めるので、そのときは黙らせる。
 五月蝿くて内容が聞き取れないし。
「おはようございます」
 零次の次に起きてきたのは、温厚そうな顔立ちの若者だった。
「おう亨か、おはようさん」
「なにか手伝いましょうか?」
「いや、今朝のは1人でできるし平気だ。ああ、食器並べといてくれると助かる」
「分かりました」
 てきぱきと食器を並べる亨。
 この家に来てから彼の担当はもっぱらこういった細かい雑用だった。
 当初は少し不満だったみたいだが、今ではノリノリである。
 開き直ったのか、順応しただけなのか。
 その判断はいまのところ梢にはつかない。
「流石は万能雑用型マシーンヤザキンマーク2とでも言ったところか。うむうむ、成長してくれてお兄さんは嬉しいぞ」
「誰が雑用マシーンですかっ!? まったく……お世話になってるんだからこれぐらい当然でしょう」
 ギクリ。
 そんなあからさまな擬音が、零次のところから聞こえてくる。
 矢崎亨は、零次と同じく春からの事件がキッカケで、今まで住んでいた場所にいることができなくなった。
 そのため榊原が世話をしてやっている。
 いわば零次と立場的には対等。
 だがしかし。
「そういえば久坂って」
「では俺は玄関先の掃除をしてくるとしよう!」
 梢が口を開きかけたと同時に、零次は凄まじい速度で新聞を放り投げて出て行った。
 なぜか庭先から轟音が聞こえてくるが、気にしないのが正しい生き方だ。
「さーて、今のうちに朝食並べちまうか」
「……梢さんて、結構人を使うのうまいですよね」
 なんて冷や汗を流しながら呟く亨に、梢は笑みで答えた。
 別に含みはない。多分。

 朝食を済ませ、梢たちは学校へ向かう。
 3-A。
 そこが梢のクラスだった。
 久々に見る顔が口々に「おはよう」と声をかけてくる。
 梢も軽い調子で答えながら自分の席に着いた。
 零次は学年は同じだが、クラスが違う。
 亨は梢の1つ下で、梢の妹である美緒と同じクラスだった。
「よう倉凪、おはようっす」
 と、席に着いたばかりの梢に声をかけるやつがいた。
「お、藤田か。どうだった高校最後の夏休み」
「ふはは。俺様はのんびりまったり家の中でゴーロゴロだ!」
「つまり彼女もいなく、遊べる友達もおらず1人寂しく家の中で泣いていたと」
 そう言って藤田の背後から現れたのは、眼鏡をかけたいかにも秀才君というイメージのやつだった。
 彼の名は斎藤恭一。
 藤田四郎ともども、クラスの中ではもっとも梢に親しい者たちである。
「チクショウッ! 倉凪は最近になるまでずっと入院してたし、斎藤は斎藤でカナダ旅行行っちゃうし! 夢の甲子園へは結局行けず1回戦負けだし!」
「そう言えば斎藤、カナダ旅行どうだった?」
「無視しないでくれっ!」
 必死だった。
 だからと言って梢にはどうしようもない。
 愚痴を聞くのはいいのだが、藤田は始まると終わらない愚痴スキルという厄介なものを所有している。
 そのため梢も斎藤も無視している。
「うむ、まぁ嘆くな藤田。お土産を買ってきたぞ」
「おお!」
 態度を急変させて、物欲しそうな動物のような目で斎藤を見る。
「慌てるな。……ほら、これだ」
 と、斎藤が机に叩きつけたモノは――――。
「――――ってカナダ・ディじゃねぇかっ!」
「なにがお土産だ、こんなの日本でも買えるぞチクショー!」
 非難の嵐だった。
 そりゃ、わざわざカナダまで行ってきて、お土産がこれでは文句も言いたくなる。
「いや、本場の味は違うのだよ」
「本当かよ」
「試しに飲んでみるといい」
 そこまで言うなら、と藤田はおもむろに缶ジュースを手に取った。
 梢は手を出さない。
 なにか嫌な予感がしたからだ。
「よし、飲むぞ」
 いちいち宣言するあたり、藤田もなにか嫌な予感がしているのだろう。
 ぐびっ。
 腰に手を当てて、まるで風呂上りの牛乳を飲むかのような仕草で缶ジュースを口にする。
(オッサン臭いなぁ……)
 そんな、ちょっと失礼なことを考えた矢先。
「ぶぼぁっ!?」
 ――藤田が死んだ。
「ふ、藤田ァァァッ!」
 慌てて駆け寄る。
 既に藤田は虫の息だった。
 口からはカナダ・ディがちょっとこぼれている。
 汚い。
「藤田、どうしたんだ!」
「気をつけろ倉凪……あ、あれは。カナダ・ディじゃねぇっ!」
「違うのか、じゃあなんだってんだ!?」
「あれは……あれは……ミソ……ぐふっ」
 なんとも嫌なところで力尽きた。
 ミソの続きはいったいなんなのか。
 とりあえず梢はそのカナダ・ディを丁重にお断りした。
 というか中身は完全に別物のようである。
 おそらくは斎藤がたまに仕掛けてくる罠なのだろう。
 藤田が「裏切り者ぉ~」と呻いていたが、気にしない。
「そういえば倉凪。生活の方は落ち着いたのか」
 と、梢から返却されたカナダ・ディ(偽)を鞄にしまいながら斎藤が尋ねてきた。
 春先からの事件に巻き込まれたせいで梢の周囲は大いに影響を受けた。
 急に居候が増えたこともあるし、梢自身も最近までは怪我のせいで入院生活を送っていたのだ。
「ああ。久坂のやつも亨もうちには慣れたみたいだ。あとは遥の復帰待ちだな」
 脳裏に、ぼややんと笑う少女の姿が思い浮かぶ。
 彼女もまた春先からの事件で梢と出会い――正確に言うならば再会だったのだが――榊原家の厄介になることになった。
 身元が保証されていないという、少し特殊な事情があったため彼女だけは榊原家の養子になっている。
 梢、遥、零次、美緒、亨、そして榊原幻。
 以上計6人が現在の榊原家構成員である。
 もっとも遥は梢よりもひどい怪我をしていたため、未だ入院生活を送っているはずだった。
「そうか。まぁ基本的には順調ということだな」
「ああ。1つだけ悩みがあるんだけどな」
「ほう、なんだ」
 斎藤が興味深そうに尋ねてくる。
 梢は大袈裟に溜息をつく。
「いや、俺以外のメンバーって家事とかできない連中が多くてな。人数は増えたけど家事全般は相変わらず俺1人の役目なんだ。さすがにちょっとキツイ」
「いいじゃねぇか。お前だってもう趣味になりかけてんだろ、家事全般」
 あっさりと復活した藤田がそんなことをのたまう。
 確かに梢は家事全般をやることに、なにかしら生き甲斐のようなものさえ感じ始めてきていた。
 他に趣味らしきものを持たない梢にとっては、唯一の趣味とも言える。
「けどさすがに六人分ともなるとなぁ。テレビとかでよくやる大家族のお母さんがたは尊敬に値するぞ」
「……っていうか考えてみたらお前、そんなナリでありながら榊原家じゃ母親的ポジションなんだよな」
 藤田がおかしそうに梢を見る。
 梢は不服なのか、口を尖らせた。
「仕方ないだろー、師匠は仕事の都合上家にいないことが多いんだし。俺があの家にやって来た頃には俺と美緒だけだったんだし。年長者として、世話になってる身として家事全般引き受けてたらこうなっちまったんだよ」
 ぶーぶーと文句をたれる梢を尻目に、予鈴がなった。
 梢の席は窓際にあるため、遅刻寸前に駆け込んでくる生徒の姿がよく見える。
「そういえば」
 窓際を見下ろしていると、斎藤が思い出したかのように言った。
「今日からうちのクラスに転校生が来るらしいぞ」
「ほう? どっから入った情報だ」
「冬塚からだ。なんだ、お前は知らなかったのか」
「知らん。しかし三年の二学期だろ? 変わってるな」
 冬塚涼子とは、この朝月高校の生徒会長である。
 容姿端麗で面倒見がよく、頭脳明晰という半ば完璧超人。
 唯一の欠点は運動がやや苦手ということだろう。
「かぁいい子だといいなぁ」
 梢の疑問などよそに、妄想にふける馬鹿が1人。
「藤田、別に女だって決まったわけじゃねぇだろ」
「いやいや。ここはお約束というものがあるのだよ」
「曲がり角でぶつかるとか?」
「それも外せないね。って……ぶつかりそこねたっ!?」
 頭を抱えて悶え苦しむ。
 そんなことをしているうちに、あっさりとホームルーム開始のチャイムが鳴った。

「あー、お前ら。既に知ってるかもしれんが、今日転校生がやってくる」
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
 担任である山口教諭の言葉に盛り上がるクラスメイトたち。
 この学校は内申でそのまま大学へと進学する人間がほとんどなので、高校3年と言っても結構大らかな雰囲気なのである。
「先生、質問っす!」
「あー、なんだフジ」
「男ですか、女の子ですか!?」
「あー、女子だ」
「おおおおおおおおおおおおおぉぉぉっ!」
 さっきの数倍は盛り上がる男子たち。
 女子は女子で盛り上がっているが、男子たちはどこかおかしい。
 梢と斎藤は例外とも言うべきで、むしろ藤田のようなやつが多かった。
「よくここまで盛り上がれるな……」
「同感だ。まぁ僕も相手がいなければ一緒になって騒いでいたかもしれんが」
「マジかよ」
 クールな秀才、いつでも落ち着いているという印象の斎藤が。
 梢はどうしてもその場面を想像できず、頭を抱えた。
「あー、では入ってきたまえ」
 と。
 山口教諭の言葉に従って、その転校生が入ってきた。
「あー、では自己紹介をどうぞ」
 言われて、入ってきたその転校生は黒板に自分の名前を書き始めた。
 教室は熱気を無理矢理押さえつけたような状態になっている。
 ただ、3人を除いて。
 きゅっ、きゅっと音を立てながら、黒板に名前が書かれた。
 名前の横に立ちながら、彼女はほえっと気の抜けるような笑みを浮かべた。
「――――榊原遥です。よろしくお願いしますっ」
「なんでだよ!?」
 と、思わず立ち上がって叫ぶ輩がいた。
 梢である。
「あー、倉凪。叫ぶな」
「……すいません」
 なんだか納得いかない、といった様子で渋々と席につく。
 自らの失態を悟ったのか、頭を掻きむしっていた。
「斎藤」
「いや、僕は知らなかったぞ」
 ふるふると首を振る。
 藤田もポカンとしている以上、知らなかったのだろう。
 3人で首を捻っているうちに、遥の自己紹介が終わった。
「あー、では榊原。斎藤の後ろ。倉凪の右隣の席だ」
「はいっ」
 元気よく返事をしながらトテトテと駆け寄ってくる。
 そして静かに席に着いた。
 クラス中の視線を浴びているのを自覚しているのか、遥はほにゃっと梢に笑いかけてくる。
(どういうつもりだ、お前はっ)
 秘技、アイコンタクト。
「?」
 通じてなかった。

 ホームルームが終わり、梢はグルンと遥の方に視線を向けた。
 アイコンタクトが通じないならば直接問いただせばいいのだ。
「遥、おま――」
「ねぇねぇ、どこから来たの!?」
「誕生日とかっていつ!?」
「趣味とかある!?」
 ――――阻まれた。
 ホームルーム終了後、わずか一秒半。
 異常な速度で遥の席は包囲され、逃げ場も突破口も見当たらない。
「忘れてた、転校生のお約束その2、質問攻め……!」
「僕らは避難しとこう。隣や前後の席は邪魔だ」
 斎藤と連れ立って藤田の席の方へと移る。
 藤田は藤田でこの状況が掴めないのか、未だにポカンとしていた。
「遥ちゃんって、あの遥ちゃんだよな」
「ああ。春先に俺が知り合って、今は師匠の養子になり、そして現在入院中のはずのあの遥だ」
「不思議だな。病院から抜け出してきたのか?」
「それは俺が知りたい。つーかアイツ、そもそもなんで学校にいるんだよ」
 遥は事情があって、中学校はおろか小学校すら通っていない。
 その時点で“転校生”という肩書きはおかしい。
 今までどの学校にも通っていなかったのだから、新たに学校に入る場合は入学という形で一年からやるのが普通ではないのだろうか――。
「まぁそうだな。ただ詳しいことは知らんが、彼女はかなり特別な事情の持ち主なのだろう? 学校側がなんらかの措置を施したのかもしれん」
「なるほどな」
詳しいことは梢にも分からない。
ただ遥が実際に学校に来て、学校側もそれを認めている。
それが事実であるならば、受け入れるしかないだろう。
「ま、あいつが楽しめるならそれでいいんだけどよ……」
 苦笑しながら、集団に囲まれている遥を見る。
 その姿は見えないが、元気に受け答えしているようだった。
 と。
「――え、それじゃあいつと一緒に暮らしてるの!?」
 誰かが発したその一言が、教室内の空気を変えた。
 ジロリと、まるでなにかの冗談のように、遥を囲んでいた集団が一斉に梢を見た。
「……」
 集団の視線が遥に戻る。
 そして。
「ねぇねぇ、やっぱそういう関係なのっ!?」
「くああぁぁっ、そうなのか、そうなのか!? 倉凪ィィィィィィ!」
「……殺ス」
 あちこちから、殺気や好奇心が入り混じった視線を投げかけられる。
 カメラに囲まれた芸能人の気分だった。
 しかもなにかヤバイことをやっちゃったときの。
「――俺、なんかしたか?」
 答える者はいなかった。