異法人の夜-Foreigners night-

-日常編-
久坂零次、新世界を見る
「……むう」
 学校の廊下。
 そこで人の視線を感じ、零次は足を止めた。
 そちらに視線を向けると、何人かの女生徒が慌てて視線をそらした。
 ここ数日、こういうことがよくあった。
 元々零次は端正な顔立ち、均衡のとれた身体つきをしており、転校してきてからというもの、女生徒の話題に上ることが多かった。
 当初はさして気にしていなかったが、榊原家で生活するようになってからというもの、周囲にも気を配るようになり――――結果として、こうした周囲の視線が妙に気になるようになってしまった。
 別に悪意を向けられているわけではないから嫌ではないのだが、落ち着かない。
「やっほー。ストレス溜まってるって顔してるわね」
「……涼子か」
 いつのまにか隣にいた涼子は、何枚かのプリントを持っていた。
「これから会議か?」
「うん、生徒会は忙しいの。肩凝っちゃって仕方ないわ」
「手伝えることがあればいいのだが……」
「あはは、気持ちだけでも嬉しいわ。それじゃ、行ってくるね」
 軽快な足取りでその場を去っていく涼子。
 その背中を見送りながら、零次は嘆息した。
(充実してそうだな。俺も、何かやってみるか?)
 これまでの零次はそんなことは考えたこともなかった。
 だが、今はなにかをやってみてもいいと思っている。
 そんな風に心境の変化が訪れたせいか、疲れてはいるであろうものの充実した生活を送っている涼子のことが少し羨ましくなった。
「だが俺は既に3年。今から部活動というわけにもいかないしな……」
 既に3年生が引退している部活もあるくらいである。
 今からどこかの部に入部するのは難しい。
「さて、どうするか……」
「お困りですかな~」
 ふと、唐突に背後から嫌な気配を感じる。
 妙な声色だったが、該当する気配の持ち主は一人だけだった。
 振り向かずに、零次は声をかける。
「美緒か」
「おぉっ、すごいなー、なんで分かるの?」
「訓練の賜物だ。それよりお前こそ、俺に悟られずに接近するとはどういうスキルだ」
「うーん、お兄ちゃんやお義父さんに気配を消す方法っての学んだことあるだけだけど。久坂さんでも分からないの?」
「ああ。控えめに言わせてもらえば――異常だ」
「それ全然控えめじゃないから」
 美緒の言葉を自然に無視して、零次は歩き始める。
 行き先は下駄箱。
 既に本日の全授業が終了している以上、特に残っている理由はないのである。
「あ、ちょい待ちお兄さん! いい情報があるんだけど」
 と、怪しい商人のような口ぶりで迫ってくる美緒。
 零次はやや顔をしかめながら振り向いた。
 美緒の旨い話は基本的に信用するな、と梢に教えられているからだ。
「どんな風にいい情報か具体的にここで述べてみろ」
「私の知り合いの人でお店経営してる人がいるんだけどその人が今バイト募集中なんだって」
「ほう。つまりバイトを紹介してくれるというわけか」
「うん、そだよ」
 意外と普通そうな内容だった。
 美緒の様子から察するに、冗談や嘘ではなく本当らしい。
「で、それはどういうバイトなんだ?」
「時給はちょっと安めかな。あと接客業ね」
「接客業か……」
 人付き合いが苦手な零次にとってはある意味鬼門である。
 しかし逆に考えれば、その苦手なものを克服する良い機会かもしれない。
 零次はしばらくの間悩んでいたが、やがて顔を上げた。
「その話、呑もう」

 学校から出て数分のところに、それはあった。
 位置的には問題はない。
 榊原家からも朝月学園からも近い。
「おもちゃ屋か」
 店の看板を見上げながら零次が呟いた。
 そこには『修羅堂』と書かれている。
 隣にいる美緒は「そだよ」と頷く。
「私御用達のお店で、ここのおじさんとはマブダチなのですよ」
「ふむ」
 窓に貼り付けられているのはバイト募集中と書かれた紙。
 そこに条件がいくつか書かれていた。
 そのうちの1つを見て、零次は首を捻った。
「『遊び心を知る者限定』……これはどういうことだ?」
「ああ、それは店長の作った特別項目。要するに店長のお眼鏡に適えばいいんだよ」
「ならばあまり気にすることはないか」
「そうだね。お兄ちゃんはこの項目のせいでここのバイト断わられたけど」
 最後に余計な一言を追加する倉凪妹。
「しかし、おもちゃ屋か……」
 ふと、この店で働いている自分を想像してみる。
『ねぇねぇ、どれが面白いの?』
『このインベーダーを推奨する。いいものだぞ』
『本当だっ、面白いや!』
『うむ。他にはテトリスなどもある。段々速度が速くなっていくという画期的なシステムつきだ』
『わーっ、ほんとだ! 店員のお兄ちゃんって、詳しいんだねっ』
『すげぇっ! なぁお兄さん、勝負しようぜっ』
『いいだろう。勝てば近くの駄菓子屋でお菓子を買ってやるぞ』
『よーし、負けないぞっ!』
『わたしも負けないっ!』
 ――――――。
 いいかもしれない。
「不思議とやる気が出てきた」
「そう。それならいいんじゃない? とりあえず入ってみよ」
 致命的なことに気づかぬまま、零次はおもちゃ屋の中へと入っていった。

 ――――そこは異界だった。
 数台のテレビにはドラマのような、アニメのような、どちらとも言いがたいものが映し出されている。
 棚にはなにやら小さな箱が沢山置かれており、また別の棚にはなぜかCDケースが並んでいた。
 さらに隣には、零次にとっては完全に未知のものが置かれていた。
 CDケースよりも縦長の謎のケース。
 一瞬ビデオケースかとも思ったが、それにしては薄すぎる。
「美緒、これは、なんだ」
「え、プレステ2のソフトだよ。DVDの」
「プレステ2? DVD?」
 聞きなれない単語が頭の中で反芻される。
 それはなにかの呪文なのか。
「どうしたの、久坂さん?」
「いや、なんでもないぞ……」
 そのエリアから目を離し、零次は別のところを見た。
 そこは零次の知っているおもちゃ屋の風景だった。
 電車のおもちゃなどが並べられており、電池によって動いたりしている。
「うむ、おもちゃ屋……だな」
 どうにか心を落ち着けた、そのとき。
 ――ワンワン!
 零次の後ろにあった犬のぬいぐるみが、突然吼えた。
「なっ、本物が紛れ込んでいたかっ!?」
 慌ててその犬を取り押さえる。
 だがそれはどう見てもぬいぐるみだった。
 にも関わらず、犬の鳴き声はそのぬいぐるみから発せられている。
(まさか、中に本物が――――いや、いくらなんでもそれはありえまい。では呪いか、能力者の仕業っ!?)
 鋭い視線を周囲に向ける零次。
 犬のぬいぐるみを手にし、「これはやらねーぞ」と周囲を威嚇しているようにしか見えない。
 大の男が。
「久坂さん、大丈夫?」
「大丈夫ではないっ!」
 零次としては、なんらかの危険が迫っているかもしれない、という意味で言った。
 だが美緒は別の意味で大丈夫ではなさそうに見える。
「そんなに欲しいの、その犬?」
「……これか。今手放すのは得策ではないかもしれんが――」
 勘違いはまだ進む。
 結局零次が勘違いに気づいたのは、30分後のことだった――――。

「いやぁ、びっくりしたよ」
「面目ありません」
 あれからしばらくして。
 客がいなくなったのを見計らって、零次は店長と対面していた。
 カウンターの裏にある小さな部屋である。
 カウンター側とは反対の方にもう1つ扉があったが、それは家の方に繋がっているらしい。
 店長は中年の、無精ひげを生やしたおじさんだった。
 少々前頭部が寂しいことになってきており、本人もそれが気になるのかよく撫でている。
「しかし、未だにあれがオモチャだと思えないのですが」
「ふーん?」
 店長は零次を面白そうに眺め、不意に懐から拳銃を取り出した。
「っ!」
 顔を強張らせた零次は、目にも止まらぬ速さでそれを店長の手からひったくる。
 その反応を見て、店長は「ううむ」と腕を組んだ。
「本物だな」
「本物の拳銃をいきなり人に向けるのはどうかと思うのですが」
「ああ、いや、本物ってのは君のことだよ。それはモデルガン」
「俺が本物? それはいったい……」
 心なしか嬉しそうに尋ねる零次。
 言葉の意味が分かっていない。重症だった。
「美緒ちゃん、彼はいったいどういう経歴の持ち主なんだね」
「極端な閉鎖社会の犠牲者の1人であります、サー」
「なるほど」
 店長の目が、キラリと光る。
「久坂君、改めて尋ねるが君はここでバイトをしたいのだね」
「はっ!」
「やる気はあるみたいだね。それならいいや。明日から働いてもらおう」
「はっ!」
「って店長、いきなりすぎでしょっ!?」
 よく分かっていない零次を尻目に、美緒は店長にツッコミを入れた。
「履歴書とかは出さなくていいの? っていうか久坂さんでいいわけ?」
「問題ないよ。履歴書は後日出してもらえばいいし、えーと時間帯の方は?」
「部活動などはしていないので比較的暇ですが」
「うん、それなら問題ないじゃない」
「……店長。あの『遊び心を知る者限定』ってのは?」
 ふと、表の紙に書かれていた項目を思い出す。
 以前梢がここでバイトをしようとしたときは、その項目のせいで落とされているのだ。
「ああ、それなら十分合格点だよ」
「モデルガンやプレステの存在も知らなかったのに……?」
「何も知らないということは、これから学べるということだ。既に知ってしまっている者は知的好奇心を発揮しにくい。そういう意味では、子供たち同様“遊び”の意味を知らない久坂君の方が私としては面白い」
「まぁ、面白いといえば面白いかもしれないけど」
「先ほどからとても失礼な会話をしていないか?」
 零次は抗議の声を上げたが、双方に無視された。
 その後しばらく話を続け、美緒はようやく零次の起用に納得したようだった。
「それじゃ明日の放課後から。しばらくは研修期間ということで、様子見だね」
「分かりました。頑張らせていただきます」
「うん、遊びのなんたるかをきっちり叩き込んであげよう」
 嬉しそうに言う店長を見ながら美緒は思う。
 ――この人、遊び相手が欲しかっただけなんじゃないだろうか。

「久坂ーー、飯だぞーー」
 榊原家に梢の声が響く。
 夕食時、周囲は既に暗くなっていた。
 零次を除く榊原家のメンバーは既に食卓の席についている。
 あとは零次だけだった。
 この人数になってから、榊原家では全員揃ってから食事をするという暗黙の了解が生まれていた。
 零次が来なければ誰も食べられないのである。
「久坂ぁ、早く来い!」
「も、もう少し待ってくれっ!」
 梢の呼びかけに対する零次の声は、やけに必死なものだった。
「どうしたんでしょうね、零次があんな声を出すなんて珍しい」
「すごく必死そうだったよね」
 亨と遥の会話を聞きながら、美緒は嫌な予感を抱いていた。
「まさか、ね」
「――あぁもう、ちょっと行ってくる」
 苛立った様子で梢は立ち上がった。
 居間から出て行き、零次の部屋へと向かう。
 その後の展開が、美緒にはなんとなく予想できた。

「ちょ、ちょっと待て。まだ記録していない」
「うるせぇ、なにしてるのかと思えばこんなことしてたのか。ほら、とっとと電源切って飯食え」
「しかしもうすぐなのだ。もうすぐで記録できそ――っ!?」
「……あ、ゲームオーバーか。ちょうどいいじゃないか、ほら飯だ飯」
「うっ、うあああぁぁぁぁぁっ!」

 久坂零次、この秋、ちょっと変わる。