異法人の夜-Foreigners night-

-日常編-
久坂零次と困った親子(後編)
 時と共に人は変わるものだ。
 しかし、それは成長という変化とは限らない。
 どうしようもなく退化してしまう人間もいる。
 早い話、堕落してしまった人間ということだ。
『お父さん、お人形さん欲しいっ!』
 そう言うと、父は決まって困ったような笑みを浮かべた。
 あの頃は家も貧乏で、いろいろと子供心に不満を持った。
 友達は皆持っているようなものを自分だけ持っていない。
 そういうとき、不満のはけ口は親くらいしかない。
 だから親には迷惑をかけたし、父がああなった原因が自分にもあるとは思っている。
 ……それでも許せなかったが。
「結局のところ」
 ベランダで洗濯物を干しながら、沙希は物憂げに溜息をつく。
「感情論なのよね」
 理由などはない。
 ただ単に、父の変貌が気に食わない。
 ただ、それだけのことだった。
「……あれ?」
 電話が鳴っている。
 ベランダにいたためか、反応が遅れた。
 慌てて出ようとしたが間に合わなかった。
 留守録状態に切り替わる。
『――――貴様の父親は預かった。返して欲しくば喫茶“夢里”へ来るがいい。一人で、誰にも言わずにだ』
 ――――。
 一瞬、頭が麻痺した。
「……は?」
 沙希が冷静になる時間を与えず、相手は淡々と続ける。
『一応注意しておくが、貴様は現在我らの監視下にある。電話に取ろうとしたままの姿勢で固まっているな? 今現在一人で部屋にいるようだ』
 ますます頭が混乱した。
 反射的に周囲を見渡すが、当然どこから監視されているかなどは分からない。
 だが偶然にしてはかなり的確に、こちらの状況を把握している。
『無駄だ。発見されるようなへまはしない』
 どこかしらあざ笑うかのような声。
 なんだか、頭にきた。
『誰かに連絡するような真似をしたら、その時点で貴様の父に可能な限りの苦痛を与え、トドメを刺す』
 相手はなにがなんでも、沙希一人をターゲットにしているらしい。
 それは分かった。
 誰にも連絡せず、一人で行けばいいのだろう。
 幸い夢里は知っているから、道に迷うこともない。
『待っているぞ、岡島沙希』
 そう言って、電話は切れた。
 相手の声は、機械で変えられているのかまるで判別できない。
 だがそれでも構わないだろう。
 それしかないなら、迷わず進むのが沙希のモットーである。
 ただ気に食わないのは、父親のこと。
 なぜ自分が父親を救うためにそんな真似をしなければならないのかと思うと、頭にくる。
 だがそれも些事といえる。
「……行ってやろうじゃない」
 不敵な視線を虚空に向けて、岡島沙希は上着をはおった。

 ぼがんっ!
 形容しがたい破音を耳にし、通行人たちは何事かと視線を向ける。
 その先にはハリセンを持った少女と、うずくまっている男の姿。
 なんだありゃあ。
 その光景を見ていた全員がそう思った。
 もっともそんな動揺はおくびにも出さず、一瞬後に人々は動きを再開する。
 脳内では今見た記憶が高速で消去されていた。
「……痛いぞ冬塚」
「私は心が痛いわっ!」
 道端で携帯電話を取り出し、零次はいきなり脅迫電話をかけたのである。
 涼子の反応はさほど無理のあるものではなかった。
「なんで脅迫電話っ!? っていうか監視!? 警察沙汰になるわよこれじゃあっ!」
「大声で言うな。本当に警察沙汰になる」
 なんだか悪質な内容の台詞を聞いた気がするが、涼子は無視した。
 小柄な身体のどこにそんなパワーが秘められているのか、零次の胸倉を掴んで振り回す。
「なんで、なんでそういう馬鹿な真似するのっ!?」
「馬鹿とは心外だ。俺はこれでも考えているぞ」
「何をっ! どういう風にっ! 考えてるっての!?」
 基本的に涼子は年上には敬語を使う。
 だから零次と再会してからは敬語を使っていたのだが、なんだか段々それがあほらしく思えてきた。
 そのせいか口調が同年代に対する――地のものへとなりつつあった。
 だが零次は意に介さない。
 元々そういった礼儀作法に関してはどうでもいいと思っている。
「親子仲の解決方法だ。問題ない、任せろ」
「これで解決するわけないでしょっ!?」
「そう考えるのはお前の経験が浅いからだ。俺は困難な交渉任務を成功させた実績がある」
「相手はどういう人よ……」
「アメリカではそれなりに名の知れたマフィアのボスだ」
 どういう交渉だ。
 涼子は心の中で毒づきながら、零次の手の中にある小型の機械を取り上げた。
 中には画像が映し出されている。
 中心には小柄な少女が一人。
 おそらく彼女が岡島沙希なのだろう。
『零次ー、聞こえてますか? 彼女、ちゃんと夢里に向かったみたいですよ』
 機械から発せられる声には聞き覚えがあった。
 零次とは古くからの付き合いの男。
 現在榊原家に居候中。
「了解ー、このことは後でじっくり聞きだすから、矢崎君?」
『……』
 爽やかすぎる涼子の声を聞いて、矢崎亨の息を呑む音が聞こえた。
 おそらく向こう側では顔中に汗を垂れ流していることだろう。
 彼が何か言いかけたところで涼子はそれっぽいボタンを押した。
 見事に通話が途切れ、映像も切れる。
 そこで再び正面の零次に向かう。
「完璧だろう」
「完璧に犯罪よっ!」
 二度目のハリセンが零次の脳天を襲う。
 が、直前で零次は涼子の戒めから逃れ、宙に身を翻した。
 その動きを見ていた周囲の人々から感嘆の声が漏れる。
「……やるじゃない」
「お前もな。普通の人間にしてはなかなか素晴らしい攻撃速度だ」
「とにかく、この方法は却下。もっとちゃんとしたのにした方がいいと思うわ」
「それは不可能だ。なぜなら……」
 零次は不適に笑みを浮かべる。
「――――既に舞台は始まっているのだからな」
 すぱーんと、奇麗な音がした。
 今度は見事にクリーンヒットである。

 夢里は秋風市にある中でも、割合有名な喫茶店である。
 朝月学園に近いこともあって学生たちに利用されやすい。
 大勢の学生がいる中、あるテーブルでは異様な緊張感がかもし出されていた。
 対面する三人の男女。
 片方は沙希。
 そしてもう片方は、零次と涼子だった。
「……」
 どちらも一言も発さない。
 沙希は相手の言葉を待っている。
 零次はそんな沙希の様子を眺めている。
 涼子は……どこか気まずそうに、窓の外を眺めていた。
「――――貴方だったんですか」
 ふと、沙希が言った。
 この間、父の経営する店に行った時の店員――零次のことを思い出したのである。
「何かの冗談ですか? 私、そんなに暇じゃないんですけど」
「……」
 零次は無言でいる。
 皮肉げな笑みすら見せず、ただ沙希の方を見ている。
 やがて、懐からテープレコーダーを出した。
 イヤホンを取り付け、沙希の方に差し出す。
 どうやらこれをつけろということらしい。
 素直に従い、イヤホンをつける。
 すると零次が静かにスイッチを入れた。
『ひ、ひいっ! 久坂君、もう止めてくれぇぇぇっ!』
 聞こえてきたのは悲しみに満ちた父の声。
 聞き間違えるはずもない。
 沙希は確信した。
 目の前にいる久坂零次という男は、父に何かをしたのだと。
 さらには何かを破壊するような音が響く。
『か、勘弁してくれっ! 私がなぜ――』
 プチリと、零次がカセットを止めた。
 そのままイヤホンを沙希から取り上げ、懐にカセットレコーダーをしまう。
「……ただの店員さんかと思ってましたけど、なんなんですか貴方は。父に何をしたんです」
「一つ目の質問に対する答えは、なかなか信じられるものではないと思う」
「言ってください。聞いてるんです」
 沙希は、涼子が冷や汗をかく程に怖かった。
 完全に怒っている。
 当然といえば当然なのだが。
「俺はある諜報機関の一員だ」
「まるで映画みたいなこと言うんですね。本気ですか?」
「信じないのか? 信じやすくするための演出をしたのだがな」
 沙希は監視されていたことを思い出す。
 確かに一般市民にしては手が込んでいるようではあった。
「……仮に信用するとして。そんな人たちが、父に何の用なんですか?」
「その質問はナンセンスだ。人質に用がある誘拐犯などいまい。用があるのは君だ、岡島沙希」
 実際にそういった機関にいたことがあるからか、零次の一挙一動には本物くささが滲み出ている。
 だが、それに対する沙希の強気な態度。
 これには涼子も感心しているようだった。
「私に?」
「そうだ」
「私はただの子供ですよ」
「ただの子供か。そうだろうとも。だが目と耳、それに口がある」
 零次の言い回しはどこか回りくどい。
「それがどうしたっていうんですか」
「俺の同胞が、君に見られたというのだ。悪いが放置することは出来ん」
 何を、と言いかけて沙希は口をつぐんだ。
 中身は重要なことではない。
 ただ、何か致命的なものだろう。
 そんなものは知らない、といったところで通用しそうにはなかった。
「口封じってわけですか?」
「察しがいいな。その通りだ」
「どうやってです。殺すつもりですか、こんな町中で?」
「まさか。だとしたらもう少し場所を選ぶ。……安心したまえ、我らは君に危害を加えない」
 信用できるものか、と沙希は思っている。
 当然零次もそれを察しているだろう。
「条件を提示しよう。君は普通に暮らせばいい、ただし我らのことは口外しない、というルールを設けさせてもらうがね」
「それは構いません。どうせ私知りませんし」
「結構だ。そしてこちらとしては、君の口を封じるために――今後も店長を預からせてもらおうと思っている」
「――――え?」
 まさかそんな条件を出されるとは思っていなかった。
 沙希は予想外の展開に、しばらく呆然としていた。
「悪い条件ではないはずだ。俺はしばしあの店で働いていたが、なるほどあの男は社会適応レベル0、正真正銘の有害人物だ。既に別居しているのだし、今更消えたところでどうということはないだろう?」
「で、でも」
「困るというのか。君は店長をとても嫌っているようだったがね」
 嫌っている。
 真正面から、それもこんな形で聞かされるとは思っていなかった。
 気に食わない。
 うざったい。
 そんな表現で父親に対する感情を認識していた。
 だから、はっきりと嫌っているなどとは考えたこともない。
 ――嫌いなのだろうか。
 分からない。
 よく分からない。
 だが、こんな状況で父を売れと言うのか。
 まるで冗談みたいな、それでも本当かもしれないような訳の分からない相手に。
 それは。
 ……それは。
 ――――迷うほどのことですらない。
 沙希は顔を上げた。
 まるで零次を射殺さんとばかりに強烈な怒気を含んだ相貌。
 その険しい視線に、なぜか零次の隣にいた涼子の方が怯んだ。
「……父はどこですか」
「ふむ。それは、どういう意味だ」
「決まってます。“返してもらう”んですよ。あれでも私の父ですから」
 怯むことなく言う。
 大した強さだ、と涼子は感心しているようだった。
「嫌いではなかったのか」
「気に食わないしうざったいですけどね。でも勘違いしないでください。私――父のことは好きですよ」
「あんな玩具狂がか?」
「直してもらえればいいです、そんなもんは。確かに父は駄目人間だけど、酷い人間ではない。情けないけど優しいです。だから嫌いになんかならない」
「……ク、クク」
 零次は顔を俯かせ、腹を押さえながら笑い出した。
 たまらなく愉快で、ひどく馬鹿馬鹿しい。
 そんな意味を込めた笑みだった。
「やれやれ、親子というものは分かりにくいものだな。だがこんなに早く解決するとは思わなかった」
「……解決?」
 その言葉に沙希が眉をしかめると、零次は沙希――いや、沙希のさらに後ろを見た。
「聞いての通りだ店長。彼女がここまで言ったんだ、貴方も多少は更生すべきだと思うが?」
 零次の言葉に驚いて沙希が振り返る。
 後方の席、沙希にとっては真後ろの席。
 ――――そこには、申し訳なさそうに座り込む店長の姿があった。

「すまなかったね、沙希」
 夢里から出て、店長と沙希は公園にやって来ていた。
 事情を聞かされた沙希はただ沈黙している。
 二人はブランコに乗っていた。
 夕陽が沈む時間帯。
 子供たちの姿はもうない。
「……馬ー鹿」
 小さく沙希が呟く。
 結局相手にしたのは“本物のような偽者”であり、自分は踊らされていたに過ぎない。
 終わってみれば、たちの悪い冗談のようなものだった。
 狂言誘拐と言うか、何と言うか。
 何度も謝ってくる父に辟易しながらも、沙希は割合大人しくしていた。
 自分の発言が恥ずかしかったのかもしれなかった。
「でもあの声、なんだったのよ」
「あれはねぇ。久坂君が『店長、更生への第一歩です』って僕のプラモ破壊しつくしたんだよ」
 涙ながらに言う店長。
 それはだらしなく情けないが、やはりどこか憎めない。
「ま、何事もなくて安心したわ。このことはお母さんには黙っててあげる」
 そう言ってブランコから立ち上がり、沙希は父にメモを渡した。
「あの日店に行ったのはそれ渡すため。今渡しとく」
 そこには転居した旨が記されており、新しい住所と電話番号が書かれていた。
「これは……」
「母さんの指示。少しでもまともになってるようだったら、またやり直してもいいって。お母さんも素直じゃないから」
「沙希と一緒だね」
「うっさいなー」
 照れ臭さを紛らわすために沙希は店長から顔を逸らした。
「じゃね」
 そのまま早足で立ち去ろうとする。
「――沙希」
 と。
 そんな彼女を呼び止める声があった。
 沙希が振り向くと、彼女の目の前には人形が飛んできていた。
「わわっ。危ないなぁ、何これ……」
 どうにかキャッチして、人形をまじまじと見つめる沙希。
 その顔が、次第に驚きへと変わる。
「何年か前に沙希が誕生日プレゼントに欲しいって言ってた人形。すごくレア物で中々買えなかったけど、ようやく見つけられたからね。あげるよ」
「……これ、無茶苦茶高くなかったっけ」
「うん。五万」
 さらりと言う店長に、沙希は溜息をついた。
「こんなもの、もういいのに……」
「僕が勝手にあげるんだ。気にしないでくれ」
「ったく、相変わらず金銭感覚でたらめなんだから。そんなだから、母さんに見放されるんだよ」
「かもねぇ」
 あはは、と笑う店長。
 その顔を見て、沙希もつられて笑い出した。
「今度の誕生日さ」
「……うん?」
「今度の誕生日プレゼント。何か手軽で安めの、父さんオススメのがいい」
「手軽で安め、ねぇ」
「なんでもいいんだ。父さん自慢のオモチャ持って家に来なよ。その日なら、母さんも入れてくれるだろうし」
 それだけを言い残して、沙希は去っていった。
 残された店長は、夕闇に身を沈めながら一人笑う。
「母さんに似てきたなぁ、沙希は。適わないや」
 さて。
 期待に応えるためには頑張らねばなるまい。
 気合を入れて、店長は店への道を歩き出した。

「まさかああいう古典的な手段でくるとはね」
 帰り道。
 涼子は零次と並んで商店街を通っていた。
 周囲は薄暗く、夜の時間になり始めている。
「でもさ、二人と途中で別れてよかったの?」
「問題ない。最後の最後まで第三者が介入するのは無粋というものだ」
「そっか」
 締めくくりは当人たちでやるものだ。
 しかしそれを思うと、一つの疑問が涼子の中で浮かび上がってきた。
「零次さんさ、なんで今回の件に協力しようと思ったの?」
「何故、か……」
 暮れゆく夕陽。
 それを見ながら零次は自嘲気味に笑った。
「どんなにいがみ合っていようと、親子、家族というものは繋がりがある。それは断ち切ることなどできない」
 零次の表情には、普段とは違うものがあった。
「断ち切れない関係ならば、良きものであって欲しいと願う。悲しき関わりを以って終焉を迎えた親子は救われないのだから」
「……零次さん」
 何を思い出しているのか。
 誰を思い出しているのか。
 涼子は知っている。
 久坂零次とその家族が辿った、その結末を。
 ……だからか。
 涼子は深く考えていなかった。
 いつものように、深い意味もなく零次が動いているものだと思っていた。
 だがそれは誤解だった。
 ――――久々に、零次の優しさに触れた気がして。
「っ、どうした冬塚。腕を引っ張るな」
「いいからいいから。美島屋のクレープ食べてこっ! 私の奢り!」
「いや、何故そうなる!?」
「私がそうしたいから。駄目って言っても付き合ってもらうよっ!」
 無理矢理零次を引っ張って、涼子は走る。
 そうしたかったから。
 ただ、それだけのこと。
 冬のある日の光景だった。