異法人の夜-Foreigners night-

-日常編-
北の国から逃亡者
「ゲーセンで乱闘?」
 榊原家の夕食後。
 そこでニュースを見ていた梢は、そんなニュースを目にした。
 横にいた零次は既に新聞で知っていたらしい。
「なんでも初心者狩りを実行する悪質な者たちがいてな。逆にそいつらを狩った少年が現れたらしい」
「へぇ……で、やられた連中がキレてその少年をボコったと」
 あーやだやだ、と顔をしかめて梢は飯を食べる(風呂掃除で食事が遅れた)。
 あまり暴力沙汰は好きではないし、なによりも、一人に対して集団で行う――イジメとかリンチとか――類のものが許せない性質なのである。
 だがそこで零次は首を振った。
「ところが、乱闘においても連中は敗北したのだ」
「へぇ、やるじゃん少年」
 ひゅう、と口笛を吹き、どこの誰とも分からない少年を賞賛する。
「……手放しで褒められたものでもないがな」
 と、それまで黙って食事を取っていた榊原が口を開く。
「なんでさ、いいじゃねぇのよ。少年に非はないだろ?」
「それについては同感だ。ただ乱闘の後始末をしたのは俺だ、そこが気に食わん……見つけたらキツイ仕置きをしてやる」
 エゴだよそれは。
 心の中で梢と零次はそうツッコミを入れる。
 その間にニュースは次の場面に切り替わった。
『続いてのニュースです。先ほど、午後六時五十分頃。秋風市郊外でトラックの横転事故が発生しました。トラックの運転手は「何かが飛び込んできたようだ」などと供述していますが、詳しい情報はまだ入っておりません――――』

 翌日。
 榊原家長女(仮)である遥は、梢に頼まれて買い物に出ていた。
 今は買い物も終わり、帰宅途中。
 腰元まで伸びた黒髪がさらさらと揺れ動く。
 見た目だけなら太陽のような明るさを持つ可愛らしい少女なのだが……。
「痛っ」
 道端で見事にこける。
 どうやらぼーっと空を見ながら歩いていたせいらしい。
 どこか間の抜けた少女である。
「いたたた……あれ、財布財布……ないっ!?」
 上着のポケットに入れていたはずの財布がない。
 慌てて周囲に視線を向ける。
 と。
「これ、落としましたよ」
 後ろから声がかかる。
 振り向くとそこには、遥と同じくらいであろう年頃の少年が立っていた。
 包帯を巻いた右腕で遥の財布を差し出してきている。
「あ、どうもありがとうございます」
「いえ。……ところで一つ伺いたいことがあるんですが」
「なんですか?」
 財布を受け取りながら、遥は首をかしげた。
 金色の髪と右手の包帯。
 さらに、ただの外出にしてはやけに大きいバッグ。
 なにやら少し変わった雰囲気の少年である。
 少し迷う素振りを見せながら、少年は遥に尋ねた。
「この辺りに、榊原さんの御宅はありますか?」
「……え?」
「結構大きな家らしいのですが。なかなか見つけられないんです」
 少年の言葉に、遥は驚きを隠せない。
 ぽかんと口を開けている遥を見て、少年は首をかしげた。
「どうかしましたか?」
「いえ、その……それ、家なんですけど」
 今度は少年が驚く番だった。

「そっか、刃さんから手紙を預かってたんだね」
 場所は変わって榊原邸。
 他の人間は出かけているのか、不在だった。
「あ、適当に腰掛けてね。今お茶出すから」
「いえ、お構いなく」
「そんな遠慮しなくていいんだよ」
 遥は台所に立ちながらお茶を淹れる。
 そのままの姿勢で少年の方を振り返った。
「あ、遅れたけど自己紹介ね。私は榊原遥」
「……? ああ、もしかしてゲーム大会に参加してた人ですか」
「見てたんだ。あはは、照れるなぁ」
 顔を少しだけ赤らめて笑う。
 ちなみにその手に持っている急須からはお茶がどぼどぼとこぼれていた。
「俺は緋河天夜と言います」
「天夜君か。いい名前だねー」
「それはどうも。ところでお茶、こぼれてますよ」
「え? あ、あわわわぁ」
 傍から見ているとかなり間抜けな光景である。
 遥が慌ててこぼれたお茶を拭いている間、天夜と名乗った少年は周囲を見てみる。
 古風ではあるが決して古い作りではない建物。
 それに日本の庭園そのものといった庭。
「話には聞いてましたが、随分と広い家ですね」
「そうみたいだね。なんでも、元々はこの辺りの代表だった名門らしいよ」
「名門ねぇ……」
「私はよく知らないんだけどね。お義父さんも、なんか相続のとき色々あったらしくて。この家、まだまだ謎が多いんだよ」
 例えば、倉庫。
 一見すると普通の物置にしか見えないが、実は地下がある。
 発見したのは子供の頃の梢で、物置を整理していたら不自然な窪みがあったらしい。
 そこを色々といじっていたら、なぜか物置には不釣合いなほど巨大な地下室が現れたとか。
「中には牢獄とかがあったって言ってたよ。なんでも室町辺りのものじゃないかって話だけど」
「それは物騒な話ですな」
 家の秘密の地下室に牢獄。
 普通に考えれば嫌過ぎる。
「ま、うちはうちで変わってますけど」
「天夜君の家もこれくらい大きいの?」
「大きさに関しては同じくらいですが、物騒さ加減では我が家の方が上でしょうね」
 ずず、と茶をすすりながら天夜は疲れたような声を出す。
 あまり実家の話題はしたくないらしい。
「そういえば刃さん、元気だった?」
「はぁ。あの人に元気という言葉は似合わないと思いますが……ま、健康そうでしたよ。色々と世話になりましたし」
 矢崎刃。
 この家に暮らしている矢崎亨の実兄であり、必要最低限のことしか話さない寡黙の巨人である。
 去年の夏以降、弟の亨はこの家に厄介になることになったが、兄の刃はいつのまにか姿を消してしまっていた。後々になって、梢と零次が見送る中旅に出たことが判明した。
 弟をよろしく頼む、と言い残して。
「でも、なんで郵便で出さなかったんだろ」
「住所知らないって言ってましたよ」
「あ、そっか」
 この家の住所を使うような機会は刃にはなかった。
 場所は知っていても、住所までは知らなかったのだろう。
 ちなみに手紙は四通あった。
「亨君宛てにお義父さん宛て、久坂君宛てに梢君宛てか……」
 一つ一つが結構分厚い。
 寡黙ではあるが、筆はすらすら進むタイプなのだろうか。
 少し見てみたかったが、遥宛てのものでない以上勝手に開けるのは憚られる。
 手紙は脇において、遥は興味深そうに天夜を見た。
「でも天夜君、話を聞く限りだと貴方も旅人さんなの?」
「そんなところです。正確に言えば実家から逃げてるようなもんですけど」
「に、逃げてるんだ……なんか大変そうだね」
 家から逃げ出して放浪の旅に出る。
 一体どういう実家なのか気になったが、天夜はあまり話したくなさそうだった。
「万一捜索願とか出されてたらマズイですからね。警察とかとはあまり関わりたくな――――」
 そこまで天夜が言ったとき。
 ゆっくりと、居間の戸が開けられた。
「客人でもいるのか、遥」
「あ、お義父さん」
 出てきたのは甚兵衛姿の榊原。
 どうやら昨日遅かったため、今しがた起きてきたところらしい。
 天夜は榊原に対し、軽く頭を下げた。
「どうも、緋河天夜です」
「俺は榊原幻だ。広いだけの家だが、まぁゆっくり……」
 言いかけて、榊原は目を細めた。
 視線の先には、天夜の右腕がある。
 そこは包帯でグルグル巻きになっていた。
「そういえばお義父さん、昨日は大分遅かったけど何か事件でもあったの?」
 榊原の為に軽い朝食を用意しようと、台所に立ちながら遥が尋ねる。
 その言葉に、天夜は眉をしかめた。
「……事件?」
「あれ、まだ言ってなかったっけ。お義父さん、秋風署強行犯係の警部補なんだ」
「……」
 警察とは関わりたくない、と言いかけた天夜。
 その眼前では、なにやら天夜を疑わしげに見る刑事が一人。
 やがて。
「やっぱりそうか。“てめぇだなオイ”」
「え?」
「聞いていた特徴と一致する。成る程、お前か……見つけたぞ」
 言いながら榊原は天夜の肩をガシッと掴んだ。
「まぁここじゃなんだ、話は署の方でゆっくりとしようぜ」
「っ……!」
 榊原の言葉に、天夜の顔色が青ざめる。
(実家から捜索願→警察が受理→目の前には署の警部補→「見つけた」……おいっ!?)
 彼の脳内で、もっとも嫌な想像が駆け巡る。
 実家から逃げてわざわざ全国放浪までしてきたのだ。
 こんなところで捕まって強制送還を喰らうのだけは、どうしても避けたい。
 だから彼は、榊原の腕を振り解いた。
「悪いが、捕まるつもりはないっ!」
 すぐさま駆け出す。
 脇においていた荷物を手に取り、玄関まで一直線。
 そこですぐさま靴を履こうとしたところで、玄関の扉が開いた。
「ただいまー。……あん?」
 入ってきたのは目つきの悪い、見るからに凶悪そうな人相の男。
 迷わず天夜はその男を突き飛ばして、玄関口から飛び出した。
「おわっ!?」
「おい梢、そいつが例の奴だ! とっ捕まえろ!」
「は!?」
 そんな声が聞こえるが、そんなものは無視するに限る。
 天夜は後ろを振り返ることなく、一目散に逃げ出した。

 榊原家から逃亡しておよそ一時間。
 天夜は朝月学園内へと逃げ込んできていた。
 今日は休日のため人がいない。
「くそ、いきなり捕まりかけるとは思わなかったな」
 校舎の裏には山が広がっており、身を隠すのに絶好の場所であった。
 天夜は今、その中に息を潜めている。
 追っ手が接近する気配は今のところなかった。
「しかし本当に捜索届けを出されてるとは思わなかったな……すぐさまここを離れた方がいいか」
 本当はここらで足となる物――年齢的な理想を言えば単車辺りが最高――が欲しかったのだが、こうなった以上悠長なことは言っていられない。
 しかし一つだけ心許ないことがある。
 天夜はポケットの中に手を突っ込んだ。
 中には何も入っていない。
「まずい、財布忘れてきた……」
 あまりに突然の事態だったため、大慌てであの家を飛び出してきてしまった。
 その際に財布を置き忘れてしまったらしい。
 他にもいくつか、とり忘れた荷物があった。
 ないと旅をする上では結構困る。
「こうなったら夜、取りに行くか?」
 なんだか泥棒みたいで気が引けるが、別に他人の物を盗るわけではない。
 せいぜい住居不法侵入といったところだろう。
 だが、わざわざあの屋敷にもう一度行くのは気が滅入る。
「正面から行けばあの警察官に捕まるだろうし……」
「おーい」
「やはり夜、忍び込むしかないか」
「おーいってば」
「よし。そうと決まれば適当なところで時間でも潰すか」
「無視してんじゃねえこの野郎!」
「ぐはぁっ!?」
 突如背後から蹴りをかまされた。
 天夜が背中をさすりながら振り返ると、そこには先ほど天夜が突き飛ばした男が立っている。
 慌てて逃げ出そうとしたが、それよりも早く首を掴まれてしまった。
「くっ、離せ! 俺はまだ捕まるわけには……!」
「おっ、ちょっ、こらっ、あんまり暴れるなよっ」
「あんなところに戻るくらいなら、ここで焼き殺すしか……」
「なんか物騒なこと呟いてるねこの少年は。ちと落ち着け」
 言いながら男は天夜の首根っこを手放した。
 いきなりのことだったので、天夜はその場に倒れこむ。
「大体あんなところってなんなんだ、お前さん少年院から脱走でもしてきたのか?」
「……違う。と言うか、あんたは何も聞いてないのか?」
「聞くも何も。回覧板お隣に届けた後家に帰ったらお前さんが飛び出してくるし。師匠が追いかけろって言うから追いかけに来ただけだけど」
 それを聞いて、天夜は少しだけ安心した。
 目の前にいる男は、直接自分に危害を加えるつもりはなさそうだ。
「なんか訳ありってとこか。話聞かせてくれねーか」
「いや、だが……」
「悪いようにはしねぇって。お前さんが悪いことしてないってなら、だけどな」
 ガシッと両肩を掴まれる。
 これでは、話さねば解放してもらえそうにない。
 やれやれ、と観念しつつ天夜は頭を垂れた。

「つまり、実家に嫌気が差して出てきたと。で、強制送還喰らいたくないから家からも逃げてきたんだな」
「ええ、そういうことです」
 場所は喫茶店。
 あんな所で話し込むのは無粋だということで、場所を変えたのである。
 話を聞き終えると、男――倉凪梢は「ふーむ」と首を捻った。
「確かに悪いとは言い切れないけど、後ろめたくはあるよなぁ。そりゃ捜索届出されてもおかしくはねぇよ」
「……」
「でもま、お前本人に帰る意思がないんじゃ同じことか」
 そこで梢は表情を崩した。
 にやりと笑うと、コーヒーを軽く口にする。
「どうせ実家に連れ戻されたところで、また脱走しそうだよ。お前は」
「……そうですか?」
「そういう面してる。なかなか頑固そうだ」
 はぁ、と溜息を一つ。
 本来梢は融通の利かないところがあり、こういうことはあまり全面的に賛同する性格ではない。
 今回も、天夜の意志を感じ取ったが故に納得せざるを得なかった、といったところである。
「ま、師匠には俺がうまいこと言っておいてやるよ。ちょっとここで待ってろ」
「待ってろって」
「どこかで待ち合わせするのも面倒くせぇだろ。数分で帰ってくるから、ここで暇つぶしてろ」
 そう言って、梢は立ち去っていった。

 榊原邸にて。
 居間に戻ると、そこにはテレビを見ている遥と榊原の姿があった。
「おう、ちゃんと仕留めてきたか」
「ん、ああ……そのことなんだけどよ。あいつ、かなり意志固いみたいだぜ」
「あん?」
「実家には何が何でも戻りたくないって言ってた。見逃してやるのは駄目かね」
 榊原はテレビの方を見たまま、眉を潜め、目を鋭く細めていた。
 やがて怪訝そうに梢の方に向き直る。
「お前、何言ってんだ?」
「……え?」
「実家だの何だのって、一体何の話だ?」
「いや、なんだって。天夜のことだけど」
「誰だよ天夜って。俺が言ってるのは、昨日話したゲーセン野郎のことだぞ」
 ――――――。
「あの師匠。ゲーセン野郎って、どういう奴?」
「右手に包帯巻いた金髪だって目撃情報があってな。さっきの野郎がまさにぴったしそれだったんだが」
「……」
 梢は頭をぽりぽりと掻きながら、無言で立ち上がった。
 そのまま素早く屋敷から駆け出していく。
 それを見送ってから、榊原は刃からの手紙に目をやる。
「しかし“緋河”で“実家に戻りたくない”ねぇ」
「そういえば天夜君の家、家と同じくらい大きいところだって言ってたよ」
「……ほぉ」
 頬杖を突きながら手紙を流し読みする。
 が、すぐに興味を失くしたのだろう。
「ま、いいか」
 その視線はテレビに戻される。
 テレビでは今、二人組みの刑事が犯人役を追い掛け回しているところだった。

「勘違いじゃねえか!」
「なによりです」
 喫茶店にて。
 戻ってくるなり状況を説明し、ツッコミを入れる梢。
 そんな梢を前にしてコーヒーを口にする天夜。
 心底ほっとしたのか、肩が明らかに下がっていた。
 これ以上ツッコミを入れても仕方ないと判断したのか、梢も肩をがっくりと落とした。
「ったく人騒がせな……」
「ですが一安心ですよ。実家からの捜索届も追っ手もこの町にはいない。好都合です」
「ん、この町に何か用でもあるのか?」
 秋風市はお世辞にも賑やかな町ではない。
 ド田舎と言うほどのものでもないが、都会と呼ぶには程遠い町である。
 特に名物となる物があるわけでもない。
 長居する理由は特に思い当たらなかった。
「ここらで単車の免許も取っておきたいですからね。刃さんに訊いたところ、この辺りには安くていいところがあるらしいですから」
「あー、三嶋んとこかな。刃もあそこで取ってたんだ」
 心当たりがあるのか、梢は頷いた。
「んじゃ、しばらく逗留すんのか」
「ええ、先日までは駅前のホテル生活でしたが、格安の部屋があったので」
「そっかそっか。ま、これも何かの縁だ。何か困ったことでもあったら、いつでも家に来いよ」
 そう言って梢は手を差し出した。
 天夜は少しだけ躊躇したが、やがてその手を握り返した。
「そういや、お前が手に入れた格安の部屋って何処なんだ?」
「ああ、それは――――」

 秋風市内にある、割合新しいマンション。
 その一室に冬塚涼子は住んでいる。
 今はのんびりと、夕方のニュースを見ているところだった。
『昨日発生したトラックの横転事故ですが――――』
 そこまで聞いたとき、表でチャイムが鳴る音が聞こえた。
 ニュースを打ち切って、涼子は身だしなみを軽く整えながらドアの前まで行った。
「はーい、冬塚ですけど」
「どうも、今度隣に引っ越してきたものですが」
「あ、はい」
 涼子の隣の部屋は最近まで空き部屋だった。
 色々と曰くつきの部屋だったので誰も入りそうになかったが、ようやく入居者が見つかったのだろう。
 そう思いながら開けてみると、そこには一人の少年と一人の知り合いがいた。
「どうも、引っ越してきた緋河で――」
「……隣かよ!」
 挨拶をしようとしていた天夜の声を遮って。
 梢の絶叫が、夕方のマンションに響き渡ったのであった。