異法人の夜-Foreigners night-

-日常編-
共に始めた日々
「しかし改めて見ると」
「でかいな」
 それは八月の半ば。
 久坂零次と矢崎亨が、正式に榊原家の居候として迎え入れられた日のことだった。
 二人は榊原に連れられて屋敷までやって来た。
「……そんなにでかいか?」
 どこか不思議そうに尋ねてくるのは先導していた榊原である。
 彼は物心ついた頃からこの屋敷で寝起きしていたため、零次たちとは感覚がまるで異なる。
「普通の一軒家の何倍でしょうね……なんかこれからここに厄介になるんだと思うと、正直緊張しますよ」
「何言ってやがる。久坂はともかくお前は何度か家で寝泊りしてたじゃねぇか」
「あのときは状況が状況でしたから」
「そういうもんかね」
 彼らがいるのは居間だった。
 そこの大きさは普通の和風一軒家と変わらない。
 ただ部屋の数が桁違いで、まるで旅館でも始められそうな印象があった。
「元々は秋風で権勢を振るった家柄らしいんだがな……ま、そこらへんは俺はよく知らん」
 自分の先祖のことには興味がないらしく、榊原の口調はぞんざいなものだった。
 そんなことよりも、と榊原は眼前の湯飲みを見て、
「おい梢。茶ぁ頼む」
 ………………。
 …………。
 ……。
 反応がない。
「榊原さん、倉凪は今入院中です」
「ん、そういやそうだったな」
 榊原は目の前の湯飲みを持て余しているようだった。
 自分で淹れに行かないのか――そう零次たちが疑問に思っていると、榊原は表情を曇らせた。
「……分からねぇ」
「――――は?」
「茶ッ葉の場所も急須の場所も分からん……」
 零次と亨は嫌な予感がした。
 この家の主がそんな調子では、理屈も抜きで不安になるだろう。
「お茶、普段淹れたりしないんですか?」
「全部梢がやってたからな」
「全部って……」
「料理も掃除も洗濯も風呂焚きもあいつがやってた」
「それって家事ほとんど任せっきりってことじゃないですかっ!」
「そうとも言うな」
 絶叫する亨と、いつもと変わらない調子の榊原。
 零次は一人黙って正座していた。
「ま、茶ぐらい我慢すりゃいいだろ」
「そ、それはそうかもしれませんけど……」
 亨は終始不安げだったが、榊原はさして気にしている風でもない。
 しかし、これが後々大変なことになっていくのである。

 零次と亨が榊原家にやって来てから四日が経過していた。
 その間美緒も含めた四人の生活は、お世辞にもうまくやっていたとは言えない。
 まず料理。
「俺は下手糞だし、美緒は殺人料理しか作れん。お前たちはどっちか飯作れるか?」
「それなら任せてください」
 と名乗り出たのは意外にも零次。
 亨は零次が料理をしているところなど見たことがないので、少々不安そうに見ている。
 周囲の視線を知ってか知らずか、零次は自分の手荷物の中から缶詰を取り出してきた。
 それを開けると、中には桃色の物体が入っている。
 覗き込んだ美緒は、
「これって肉?」
「うむ。非常時によく食していたものだ」
 と言って肉を缶詰から取り出す。
 ――そして、それをそのまま食い始めた。
「こうしてそのまま食べるものです。さぁどうぞ」
「食べれませんよこんなのっ!?」
 亨は全力で缶を叩きつける。
 ラベルも何もなく何の肉かも定かではない。
 おまけに完全に生っぽいものをそのまま食えとはどういう料簡なのか。
 美緒はそのまま食べようとしていたが、さすがに止められた。
 榊原はやや呆れたような表情で、
「ちなみにお前、以前は世界中を飛び回ってたそうだな」
「はっ。その通りです」
「……この肉についてはどういうときに食ってたもんだ?」
「戦時中の――」
「分かったいいからもう言うな」
 零次の口を塞いだ榊原はそのまま亨を見た。
 こうなると頼れるのは亨しかいない。
 しかし亨は慌てて首を振った。
「ぼ、僕もずっと毎食出してくれる寮で生活してましたから。料理なんてちょっとしか作れませんよ」
「例えば?」
「目玉焼きとウィンナー。玉子焼きはちょっと苦手です」
「駄目だ使えねぇ」
 自分も料理出来ないということは棚にあげて、榊原は落胆の色を見せた。
 美緒は首をひねりながら、
「涼子ちゃんに来てもらってご飯作ってもらうのはどうかな?」
「冬塚は親戚の元に帰省中だ。それにわざわざ呼び出すのも悪いだろう」
 零次によって美緒の案も却下された。
 そうなると料理は誰も出来ない(せいぜい亨の目玉焼きなどだけだ)。
「あ、そーだお義父さん! 出前取ろうよ出前!」
「そうだな……梢に後で小言言われるかもしれないが、何も食わんよりはマシだろう」
「じゃ、料理はそれで解決だねっ!」
 解決になってない解決だった。

 次に掃除。
「この家は広いからな。俺たちでやる場合分担した方がいいだろう」
「えぇー、私掃除面倒だし嫌いー!」
「文句言うな。梢の四分の一だぞ、まだマシだと思え」
 榊原の発言に、零次と亨はぎょっとした。
「それはつまり、倉凪は一人でこの屋敷の掃除をしている、と?」
「ああ……だいたい二日に一度の割合で、いつのまにか全部屋掃除している」
「あいつは化け物か……!?」
 普通の家の何倍もの大きさもあるこの屋敷を一人で掃除。
 しかも、他の家事と兼任しながらやっているというのだ。
 さらに言うと平日は学校に行っている時間もある。
 一体梢の一日のスケジュールはどうなっているのか、それを考えると零次はさすがに頭が痛くなった。
「ちぇー。それじゃ私道場掃除ねっ!」
 反論がある前に美緒はすぐさま駆け出していった。
 どこからどう見ても逃げたとしか思えない去り方である。
「ちっ、道場はそう広くないし割合楽だからな……仕方ない。一階、二階。それに離れの別棟。ジャンケンで決めるぞ」
「……別棟なんてあるんですか」
「ああ。安心しろ、そっちは一階建てでここの一階と同じ程度の広さだ」
 ちっとも安心できなかった。

 そんなこんなで四日が経過する頃には、榊原家住人一同疲労困憊の様子だった。
 洗濯や風呂掃除などはさすがに榊原も出来たが、とにかく生活のテンポが合わない。
 その日、零次は洗濯物をしまい終えてぐったりしていた。
「……こんなに家事が疲れるとは思わなかった。主婦とは凄いものだ」
 一人でやたらと感心している。
 おまけに夏なので、異様に暑い。
 扇風機のある部屋に行かなければ、気が狂いそうな猛暑だった。
 扇風機を求めて零次が居間へ向かうと、そこでは既に亨と美緒がダウンしている。
 二人とも汗にまみれていて、ちょっと近寄りたくなかった。
「うあー……ヤザキン、なんか涼しくなるメカ出して」
「無茶苦茶言うな……くそ、ツッコミ入れる気力すらなくなりつつある」
「暑い暑い暑い暑い暑いー!」
「暑い暑い暑い暑い暑い言うな馬鹿、余計暑くなる!」
「どちらも静かに出来んのか……」
 暑いを連呼する二人にうんざりしながら零次は腰を下ろす。
 するとそこに、汗一つかいていない榊原が少し険しい顔をして入ってきた。
「まずいことになった」
「どうしたんですかぁ……?」
「お義父さん、何かあったの?」
「ああ、これはまずい」
 榊原の口調は真剣そのものだった。
 彼はポケットに入れていた財布を取り出すと、テーブルの上で逆さに振ってみた。
 ちりんちりんと、計二百五十円が飛び出してくる。
「これしかない」
「ちょ、ちょっと待ったァァァッ!」
 三人揃って一気に起き上がった。
 暑さのせいでぼやけていた意識も急激にはっきりとしてくる。
「お義父さん、これしかないってどういうこと!?」
「出前ばかりガツガツ頼んだから金がなくなった」
「他にお金しまってある場所とかないんですか!?」
「金庫がある」
「それを探し出すのが早急ですな」
「場所が分からん」
 榊原が言うには、家事以外に財政管理も梢は任されていたらしい。
 そこで数年前、梢は家族内の無駄遣いを防ぐために自分しか分からない場所に特殊金庫を隠したというのである。
「銀行の通帳やらなにやらも全てその中だ」
「榊原さん、駄目亭主の典型じゃないですかぁっ!」
「やかましい。俺は仕事が忙しいから自然とそうなっただけだ」
「言い争っても仕方がないぞ……早く金庫を探さねば」
 零次の言葉に亨も文句を言うことをやめた。
 食事抜きは嫌らしい。
「それじゃ分担だ。掃除と同じようにいくぞ」
「はっ」
「はい」
「はーい」

 零次がまず向かったのは梢の部屋。
 梢にしか分からない隠し場所となれば、まず最有力候補はここだろう。
「倉凪、失礼する」
 この場にいない部屋の主に断わりを入れながら零次は静かに足を踏み入れた。
 しかし入った途端呆気に取られる。
「何もないな」
 和風の部屋で、障子や畳に押入れなどがある。
 隅の方に学校でのプリントなどが積み上げられた小さな机が一つあるだけで、他には何もない。
 生活の色というものが欠如しきった部屋だった。
「……これだけ何もないと、かえって怪しいな」
 零次は警戒しつつも梢の机を漁り始めた。
 しかし特に何が出てくるわけでもなく、適当にしまいこまれたプリントなどが出てくるだけ。
 机以外に隠せる場所となると、他には押入れしかなさそうである。
 零次はそっと押入れを開けてみる。
 しかしそこにあるのは洋服入れと、畳まれた布団くらいのものだった。
 もっとも零次はそれくらいでは諦めない。
 昔から作戦行動の際は、引き際となるとき以外は徹底的に行動してきた。
 押入れを開けてちょっと見た、というだけでは諦めない。
 まず布団を全部放り出し、さらに洋服入れも外に出した。
 そして懐中電灯で押入れの中を照らし出す。
「む」
 何か出っ張りのようなものが見えた。
 ライトを当ててよくみると、それは……。
「成る程。ここか倉凪」
 押入れの真下。
 それが全て、金庫の蓋のようになっているのだった。

「びっくり大賞って感じですね……梢さんも変なことするなぁ」
 零次に呼ばれ、今は皆この部屋に集まっている。
 金庫が見つかったということで、亨も一安心したのか若干落ち着いたようだった。
「ま、なにはともあれここからお金を取り出しましょう」
「……どうやってだ?」
 と、榊原は呟いた。
 その言葉に一同は凍りつく。
「お義父さん……開け方、知らないの?」
「知らん。あいつ、俺が金遣い荒いとか言って金庫のナンバー教えてくれなかったしな」
「それじゃ、見つけ出しても……」
「開け方が分からなければ、意味はないな」
 榊原は一人涼しい顔で宣言する。
 その瞬間、残りの三人は示し合わせたようなタイミングで一斉に力尽きた。

 陽が高く昇る夏の午後。
 ようやく退院を許可された梢は、鼻歌まじりに歩いていた。
 病院に残してきた遥も、色々と調整は必要なものの秋までには退院できるらしい。
 そんな中で再び始まる日常生活に、少しばかり心が弾んでいる。
「今頃家の皆大丈夫かなぁ……師匠はああみえて私生活はズボラだし、美緒はいい加減だし。亨と久坂次第ってとこか」
 そんな不安もあるにはあるが、きっと彼らはどうにかやっていることだろう。
 梢はあまり深刻に考えず、能天気な調子で家に辿り着いた。
 門を開け、そして玄関の扉を開けて中に入る。
「うぃーっす、ただいまぁーっ!」
 力一杯叫ぶ。
 しかし、何秒待っても返事はなかった。
「……? おかしいな、皆寝てるのか?」
 少なくとも玄関に靴があることから、出かけているわけではなさそうである。
 ならば返事がないのは一体どういうことなのか。
「うーん……大丈夫か? あがるぞー」
 自分の家なのでいちいちそんなことを言う必要はないのだが、少し不安になってきたので声を出す。
「師匠ー、美緒ー、亨ー、久坂ー」
 名前を呼んで回るも、人の気配がない。
 段々妙だということに気づき、梢は居間を覗いてみた。
 しかし誰もいない。
 次に庭に出てみた。
 しかし道場にも庭にも縁側にも、誰の姿もない。
「おいおい、俺が留守の間に何かあったか?」
 つい半月程前まで物騒な事件に巻き込まれていたため、自然と警戒心が強まる。
 どれだけ探しても人の姿がない。
「くそっ、どうしたんだ……!?」
 段々梢も苛立ってきた。
 一旦居間へと戻り、そこにある電話から榊原の携帯へと電話をかける。
 すると着信音が聞こえてきた。
 “聞こえてくる”という以上、それほど遠くない場所にあるのだろう。
 梢の耳は普通の人間よりも優れているが、やたらと離れている場所のことまで分かるわけではない。
 音のする方へと足を進める。
 やがて辿り着いたのは、意外にも梢の部屋だった。
 半開きになった扉の向こうから、無機質な着信音が鳴り続けている。
「な、なんかホラー映画みたいだな……皆、生きてるよな?」
 梢は扉を開けた。
 ――――――――そこには……。

 ……以後、その日のことを語る者は誰もいない。
 ただそれ以降、梢は金庫の番号を榊原にも教えることにしたという。