異法人の夜-Foreigners night-

-日常編-
喫茶『夢里』
「バイト?」
 榊原家の居間。
 そこで梢は、この家に大分馴染んできた客――緋河天夜と向き合っていた。
 先ほどまで道場で組み手をしたり天我不敗流について話したりしていたためか、疲れているようだった。
 梢が出した茶を一口で飲み干すと、天夜は頷いてみせる。
「この間まで通っていたバイト先が急に潰れたんだ。だから早めにバイト先を探さないといけない」
「でもなんで俺なんだ? そういう情報なら美緒とかに聞いた方がいいと思うけど」
「あの人はどうも苦手だ……少しタイプは違うが、うちの姉を思い出させる」
 天夜は渋い顔つきで押し黙る。
 元々女性は苦手らしく、さらに相性までも合わないとなるとそれは疲れるだろう。
「で、遥さんに尋ねたところ『梢君なら知ってると思うよ』と」
「むぅ。そう言われてもな……天夜、16だろ? となると結構限られてくるぞ」
 梢の知っているところは大体が18歳以上対象である。
 もっとも年齢を詐称すればバイトは可能なのだろうが、梢はそういうことはあまり好きじゃなかった。
「うーん、何かこう、特技とかある?」
「料理とか。和風系が特に得意」
「ほう?」
 梢は少し驚いたような表情をしてみせた。
「和菓子とかは作れるか?」
「人並以上の自信はある」
「それなら話は早い。いいとこ紹介してやるよ」
 梢はポケットから自分の携帯を取り出すと、すぐさまどこかに電話をかけた。
「あーもしもし、お久しぶりです倉凪です。ええと、今そっちバイト募集してましたっけ? ああしてる。そりゃ助かりますよ。え? ええ、そうそう。今から連れて行きますんで。はい、よろしくー」
 軽いやり取りをした後、梢は携帯の電源を切りながら立ち上がった。
「行くぞ天夜。今から行って採用試験だ」
「い、今から? 履歴書も何も用意してないんだが」
「んなもんいらねーよ。あそこはうまい料理さえ作れればそれでOKなんだからな」
 行くぞ行くぞと促す梢に半ば押される形で、天夜は立ち上がった。
「でもどこなんだ、それは」
「お前と最初に会った日も行ったとこだよ。俺も昔は世話になった喫茶店――夢里だ」

 喫茶店夢里は連日大繁盛である。
 まず立地条件が良い。
 近くに学生たちが多く集まる朝月学園があり、さらに住宅街からもそう遠くない。
 駅からも程よい距離であるため、客足が途絶えることは希であった。
 そしてメニューの評判がいい。
 メニューはそのときのキッチンスタッフによって変わる。
 キッチンスタッフが得意とし、少しでも客を満足させられるような料理を厳選する。
 そのため「今はどんなメニューなのか」と楽しみにする客もいるとかいないとか。
「随分と変わった喫茶店だな……」
「キッチンスタッフのうち二人は正社員だからその二人のメニューは不動なんだけどな。バイト次第で+αのメニューが変わるってわけだ」
 そんなことを話しているうちに夢里に到着した。
 割と洒落た木造のドアを開いて店内に入ると、梢の言うとおり繁盛しているようである。
 フロアスタッフたちが忙しなく駆け回っているところだった。
 そのうちの一人が梢たちに気づいたのか、すたすたと歩いてきた。
 一瞬営業スマイルを浮かべかけたが……相手が梢であることに気づくと、さっさと打ち消した。
「なんだ先輩に天夜君か。客?」
「客相手に使う言葉遣いじゃねーな冬塚。今日はキッチンスタッフの推薦だよ」
 と、梢は天夜を示す。
 店員――冬塚涼子は「へぇ」と感嘆の声を上げた。
「久々ね、挑戦者は。それじゃ、ゆき姉呼んでくるわ」
「おう」
 涼子は駆け足で去っていく。
 その後姿を眺めながら、天夜は少し不安になってきた。
「……挑戦者ってどういうことだ?」
「んー、説明せんでも、すぐに分かると思うぞ」
「いや、なんか不安なんだが」
 天夜がそこまで言い終えたところで、二人の元に一人の女性が駆け寄ってきた。
 セミロングの黒髪、ばっちりと着こなした仕事着がよく似合う割と背の高い女性。
 温厚そうな顔立ちであり、どことなく遥に似ているが――遥のようなぼーっとした印象は見受けられない。
「やっほー梢君。お久しぶり、元気にしてた?」
「見ての通り」
「……うん、なんとか元気みたいね。君、無茶するタイプだったから。お姉さん結構心配してたのよ」
「冬塚辺りから話は聞いてるだろ。んな無茶してないって」
 実際は無茶だらけの時期があったが、とりあえず触れない。
「それより今日は……」
「ああ、スタッフの推薦ね。その子?」
「あ、はい」
 急に話しかけられたため、咄嗟に姿勢を正す天夜。
 彼女はそんな天夜に優しげな笑みを浮かべながら手を差し出す。
「私はこの夢里の店長代理をしてる山口ゆきね。よろしくね」
「あ、俺は緋河天夜と言います。どうも」
 差し出された手を、やや躊躇しながらも――天夜は握り返した。
「それで、君は何が得意なのかな?」
「和食系が中心です」
 言ってから天夜は少々不安になった。
 夢里はどう見ても洋風喫茶であり、和風料理の出る幕などはなさそうなのである。
 だがゆきねは笑って、
「最近はそうでもないのよ。和菓子とか食べてみたいってお客さんも増えてきてね」
「はぁ、そうですか」
「うん。それじゃ、早速キッチンに入ってもらおうかしら」
「……いきなりですか?」
「そうよー。まずはキッチンに入ってそこにある材料で適当に調理。それを既存のスタッフと何人かのお客さんに試食してもらって、三分の二以上の人から合格貰えたら採用なの」
「作る料理は自由って名目だけど、まぁ材料限られてるから、あまり好きなものは選べないんだなこれが」
「あ、でも買出しとかは構わないわよ。ただしポケットマネーで。あとあまり時間をかけすぎないこと」
 かなり変わった試験だった。
 だが夢里の常連にとっては割と有名で、この試験に鉢合わせないかと期待して通いこむ人もいるらしい。
 何度か料理番組で取り上げられたこともあり、わざわざ遠方から出向いて食べに来る客もいるとか。
「そうだ、梢君も折角来たんだから彼の料理試食してみる?」
「うーん、まぁ今日は掃除しない日だし……ああ、別にいいよ」
 笑って頷く梢。
 それは、普段は浮かべることのない類の笑みだった。

「そんなわけで潜入捜査なわけだけど」
 夢里の隅のテーブル。
 そこには三人の少女たちが座っていた。
「潜入捜査って……普通に私たちがここで食べてたら、梢君たちが来ただけのような気が」
「甘いわお義姉ちゃん。そんなんじゃスパイになれないわよっ!?」
 論理的なものをとにかく無視して、少女……美緒が叫ぶ。
 同席している遥と志乃はそんな美緒を不思議そうに見ていた。
「美緒さん……私たちはスパイになるつもりはないんですけど」
「長ちゃんも何言ってんの。二人とも、お兄ちゃんの表情の変化に気づかなかったの?」
「変化?」
 言われて首を傾げる二人。
 確かに先ほどの梢はいつもより柔らかな笑みを浮かべていたが。
「ああもう、それじゃこれを見るべしっ!」
 バン、と叩きつけるようにしてテーブルに置かれたのは一冊の手帳。
 表紙の部分には『名探偵美緒の好感度調査票第一巻(2004年)』と書かれていた。
「何これ?」
 不思議そうな表情を浮かべながら、遥がその手帳を手にしてみる。
『お兄ちゃんの好感度調査(分類別)。
友人:藤田四郎、斎藤恭一>高坂雅>>久坂零次……』
 細々となにやら書かれていた。
 しかも名前の下にはポイントまで書き加えられており、著者コメントが数行書かれている。
「み、美緒ちゃん……こんな調査してたんだ」
「私に分からないことはないのだ」
「第一巻ってことは、他の人の分もあるんでしょうか……?」
 志乃の疑問に美緒は視線を逸らす。
「そ、それはともかくだよ。お兄ちゃんの好感度ランキング、異性のページ見てみて」
 強引に促され、二人は異性ランキングのページをめくる。
『異性(純粋に異性としてどれだけ意識されてるか)
山口ゆきね>>玉城綾>>>>>>>>>>榊原遥>>笹川志乃>>>>冬塚涼子>その他大勢』
「……」
「……」
 この表を見て、ようやく二人も美緒の言いたいことが分かったらしい。
 というか、かなりの大差をつけられている事実にどう反応すべきか困っているようでもあった。
「ほら、これで危機意識持てたでしょ」
「で、でもこれ、美緒ちゃんの判断で決めた順位でしょ?」
「そ、そうですよ。いくら美緒さんでも、そこまで正確に調べられは……」
 そんな二人に、美緒は表紙の中の、ある部分を指し示した。
『協力:榊原幻 斎藤恭一』
 問答無用で説得力が増した。
「ま、今騒いだところでどうにかなるってもんじゃないけどねー。でもお兄ちゃん狙うんだったら、まずはゆきねさん倒すつもりでいかないと」
「……こ、この玉城綾さんという方は?」
「ああ綾ちゃん? ウチの元祖居候。私たちがあの家に入る前に一時期居候してた人で、一昨年まではよく遊びに来てたよ。最近は教師になるための勉強が忙しいから会ってないけど」
「会ってないんですね……」
 そのことに志乃がホッと胸を撫で下ろす。
「でも電話とかでならよく話してるよ」
 胸を撫で下ろした姿勢のままで、志乃が硬直。
 遥もどう反応していいのか分からず、沈黙したままジュースを飲んでいる。
「ま、でもその他大勢から抜け出るのが尋常じゃないから。その点、二人はまだ充分可能性あると思うけど……」
「何の話ー?」
 そこに、仕事場の制服姿の涼子がやって来た。
 彼女は生活費稼ぎのためにここでバイトをしている。
 梢直伝の料理の腕前があるためキッチンスタッフになって欲しいとゆきねからは頼まれたのだが、キッチンに入るとシフトの融通があまり利かなくなるのでフロアスタッフとして働いている。
「やっほー涼子ちゃん、制服姿がセクシィだねぇ」
「はいはい。最近美緒ちゃんおっさんくさくなったね」
 まるで取り合ってもらえないことに若干拗ねながら、美緒は自分の頼んでいたパフェを頬張る。
 硬直している志乃は反応のしようがないため、遥が尋ねた。
「どしたの、涼子ちゃん?」
「いや、折角だから姉さんたちも緋河君の試食してかない? ちょうどゆき姉が三人くらい調達してきてって言ってたし」
「あ、うん。別にいいよ」
 涼子の口からも自然とゆきねの名前が出てくることに若干戸惑いつつ……遥は頷くのだった。

 それから数十分後。
 夢里の一角でキッチンスタッフが二人、梢や遥たち。
 そしてゆきねによって、試食会が行われようとしていた。
 主役である天夜は今キッチンで最後の仕上げを行っている。
 その間梢は何を思ったのかキッチンを覗きに行ってしまった。
 残された面子に自然と沈黙が訪れる。
 遥と志乃は、ちらちらとゆきねの方を窺っている。
 その結果分かったのは――ゆきねが、同性でも惚れ惚れするほどの容姿の持ち主であること。
 そして、若そうな割には随分としっかりしている人のようだ、ということくらいだった。
「あらー、それじゃ二人とも演劇部なんだ」
「はい。私は一応部長をさせてもらってます」
「私は……正式な部員と言っていいのかどうか。とりあえず、お手伝いです」
 比較的おっとりした女性三人の会話。
 周囲に『和みオーラ』を撒き散らしながらも、肝心の遥たちの心中は穏やかではない。
(うぅ、梢君とはどんな関係なんだろ……)
(遥先輩だけでも難敵だったのに……)
 そんな内面の事情を知っている美緒だけが、面白そうに三人を眺めている。
 やがて涼子がトレイに小さなお菓子を乗せてやって来た。
「ういろうにドラ焼き、それから何種類かの団子に八橋ね」
 テーブルに乗せられていくお菓子を見ながら、ゆきねは顔をほころばせた。
 やがてキッチンから天夜が顔を出す。
「ええと……キッチンにあったものと、それから少し買出しとかをしたもので作らせてもらいました」
「うん。形はいいわね。綺麗に出来てるし、匂いもいい感じ。美味しそうだわ」
 ゆきねの評価はまずまずだった。
 キッチンから一緒に戻ってきた梢も概ね同感らしい。
「手際もなかなかいいな。これから向上すべきとこもあるが……年を考えればかなりのもんだ」
 料理に関しては下手な姑よりやかましい梢も、意外に好評価。
 そのことを遥は少しばかり羨ましく思ったが、表情には出さない。
 彼女も梢からは和食系を教わっているが、未だにさっきのような評価はもらえていないのである。
 涼子は中華系を学んでおり、中華限定なら梢に追いつくほどのレベル。
 ちなみに梢は、和洋中全てに熟達している。
 最近は零次にサバイバル料理を教わっているらしい。
(早く私も追いつきたいなぁ)
 そう思いつつも、彼女の視線は目の前の和菓子に釘付け。
 遥の場合、どちらかというと作るよりも食べる方が向いているのである。
「あはは、それじゃ早速いただきましょうか」
 そんな遥の様子を察したのか、それとも自分も食べてみたかったのか。
 ゆきねが合図をすると、まずキッチンスタッフがういろうと八橋に手をつける。
「ふむ、これは……」
「なかなか。洋菓子ばかり食べてると忘れそうになる、懐かしい味ですね」
「ええ、これなら……合格点出しても?」
「ですね」
 ……ということで、早速二人から合格をゲット。
 残るは六人。
 しかし、そのうち一人がいきなり首を横に降った。
「駄目、私は和菓子苦手~」
「……そういやそうだったな、お前は」
 いきなり項垂れる妹の頭をポンポンと叩きながら梢は嘆息する。
 美緒は昔から好き嫌いが激しいため、梢も献立を考える際には随分苦労させられている。
 ピーマン駄目、キノコ駄目、あんこ駄目、ぶどう駄目。
 他にいくつあったか、梢は思い出したくもなかった。
 というわけで、賛成二に論外一。
 続いて口にしたのは遥と志乃。
「あ、美味しいですね」
「うん、確かに。もう少し甘くてもいいと思うけど、でも美味しいね」
 二人からも好評。
 その時点で天夜のバイト採用は決定した。
「これで半分以上の人から合格点はもらえたわけだから、無事合格ね。細かい手続きは後日するとして、時間の方は大丈夫?」
「あ、はい。教習所行ってる時間以外は大抵暇してますから」
「それは助かるわー。貴方くらいの腕前だったらこっちからお願いしたいくらい。よろしくね」
 と、またもや手をさし伸ばす。
 天夜は先ほどと同じく、やや戸惑ったが……結局、また握り返した。

「さて、試験は済んだけど、折角だから私たちも食べようか」
「そうね。でもゆき姉、美緒ちゃんが……」
「うう、私和菓子食べれないいぃぃ!」
 テーブルに突っ伏す美緒。
 やれやれ、と見かねた梢が店のエプロンを取り出す。
「ゆき姉、キッチン少し借りるよ。俺がそいつの分作る。代金はあとで払うから」
「あらそう? 相変わらず梢君はいいお兄さんね」
「……そんなんじゃねぇって」
 苦笑してキッチンに入る梢。
 そのあとを天夜が追う。
「梢さん、ありがとうございました」
「……なんだ、急に改まって」
「いや、こんなに早くバイト見つかると思ってなかったから。下手すれば生活かなり苦しくなるところだったし」
「別にいいって。お前の実力で合格したんだ。褒めるなら自分を褒めろ」
 言いながらも梢は鮮やかな手つきで苺を切り、用意されていた生地に乗せていく。
「何か手伝おうか?」
「いんや、あの馬鹿の分作るだけだから大丈夫。それよかお前は戻ってあっちの席に加わっとけ、主役がいないと盛り上がらんぞ」
「……主役、ねぇ」
 困ったような表情を浮かべる天夜。
 梢は天夜の方を見ぬまま、気配でそれを感じ取った。
「天夜は、あんまし騒がしいのとか好きじゃないか?」
「別に嫌いというわけじゃないが……ただ、ここの人たちはよく盛り上がるな」
「はは、俺もそう思ってたぜ。昔はこれでもクールなガキだったからな」
 無茶苦茶嘘くさかった。
「けど、この町はなんかいいんだよ。鬱陶しいくらい暖かくて、騒がしくて。だから結構疲れるけど、嫌ではないんだなこれが」
「……なるほど。俺も、そんな感じかな」
「だろ。で、気づけば今日あった嫌なこととか、忘れちまうんだ。というか、なんか元気をもらえるんだよ。有り余ってる連中が多いから」
 言いながらも梢はケーキを完成させていく。
「明日に進む元気ってやつがここには沢山ある。だから俺はこの町が好きだ」
「……いいな。俺はそこまで故郷を好きだと思ったことはない」
「俺も別にここが故郷ってわけじゃねーけどな。でもま、ここが故郷みたいなもんか」
 飾りつけ終了。
 二つ作ったケーキのうち一つを皿に。
 もう一つを、天夜に寄越した。
「これは?」
「お兄さんからのバイト合格祝い。お前あまり自覚ないと思うけど、ここを合格するのって無茶苦茶難しいんだぞ。だからまー祝いものの一つはくれてやるさ」
「いや、しかし」
「ほーれ美緒! 出来たぞー!」
 天夜の反論を遮るようにして、梢はキッチンから去っていく。
 その後姿を見送りながら、天夜は梢が寄越したケーキを一口。
「……美味い」
 ――そんなこんなで、天夜のバイトが決まったり、遥たちがゆきねさんと遭遇したりした日は終わった。
 今日も秋風市は平和である。