異法人の夜-Foreigners night-

-日常編-
緊急任務! 天我不敗流を再興せよ!
 休日の榊原家。
 ほとんどの住人がまだ眠りの中についている時間。
 太陽がようやく顔を覗かせ始めた頃。
 道場で組み手をする二人の男がいた。
 倉凪梢と、榊原幻である。
 お互い隙のない攻防を繰り返している。
 梢が榊原の脇に視線を向ければ、眼球狙いのストレートが飛び込んでくる。
 逆に榊原が梢の足元に視線を向けると、即座に膝蹴りが放たれた。
 それから三十分ほどで、組み手とも喧嘩とも言えるような攻防は終了した。
「はーっ、師匠にはまだまだ勝てねぇわ」
「ふん。いくらお前が人外の力を持っていようが、俺に勝つには十年早い」
 梢は稽古着から私服に着替え、そのまま道場で訓練後の体操をしている。
 今日は休日だから、朝食のしたくは少し遅めでも問題はない。
「だがお前にも困ったもんだな」
「ん、何が?」
「天我不敗流だ。継ぐつもりはないんだろう?」
「あー……」
 少し前から、榊原が気にし始めたこと。
 それは天我不敗流の後継者を誰にするか、という問題だった。
 かつては梢の他に二人弟子がいたが、今はいろいろあって梢一人。
 しかし唯一の弟子である梢には、天我不敗流の後を継ぐつもりはない。
 彼の夢は『話と味の分かる渋くてナイスな料理人』。
 具体的には、喫茶店の店長になってみたいらしい。
「別に喫茶店をやるなとは言わん」
「と言われてもなぁ。俺、やるなら喫茶店に専念したいし。それに師匠だって承知済みだったろうがよ、俺が後継がないってのは」
「だが今はお前しかおらんだろうが」
「新しい弟子を探せっつーの」
 榊原の威圧感に満ちた視線と、梢の鋭い抵抗の視線がぶつかりあう。
 が、今回は珍しく榊原の方が先に折れた。
「ちっ……確かに、お前が入門するときに誓約したのは確かだからな」
「そうそう。それにしても師匠も珍しいな、天我不敗流のこと気にしだして」
「ふん。新規の入門者を獲得するなら、そろそろしないとな……そいつが一人前になるまでに、俺が持つかどうか」
「師匠だったら余裕そうな気もするけどなぁ」
「アホ抜かせ。全盛期に比べれば、これでも大分弱くなった」
 その弱くなった実力で尚、人外の異法人たる梢と互角以上。
 梢はときどき、榊原がただの人間かどうか疑わしく思う。
「お前が引き受けてくれるなら、手間もかからずに済んだものを」
「無理だって。さっきのに加えて理由がさらに二つ。まず俺は天我不敗流の奥義をまだ見せてもらってない」
「桜花天殺のことか。あれは伝承者専用技だ、継ぐ気のない奴に見せるわけにはいかん」
「あっそう……んで、も一つ。俺、この腕だし」
 梢は自らの右腕を指し示した。
 一見普通の腕に見えるが、これは義手である。
 かなり特殊なもので、世間一般に広まっている義手とは比較にならない性能だった。
 だが完全ではない。
 殴ったり叩いたりといった単純な動作は問題ないが、指を使ったりするような細かい動作には向かない。
 また、普通の右腕に似せて感覚はあるのだが、やはり前とは少し違う。
 そのせいで梢はこの義手を使い始めてから、料理をはじめとする諸作業が大変だった。
 今でも、前ほどの腕前には戻っていない。
「天我不敗流の基本技。徹と螺旋、他にも諸々、前は出来たのに今じゃ出来ないってのが多過ぎる」
「お前が出来なくても教えられれば問題ないんだが……無理か。お前説明下手糞だしな」
 というわけで、梢はどうにか天我不敗流の後継者という責務から逃れることに成功。
 しかし、そうなると問題が一つ。
「後継者不在、か」
「……俺の代で途絶えさせるのは気が引ける。師匠に申し訳が立たん。これはどうにかしなければならん」
「そういや、師匠にも師匠っていたんだよなぁ」
 弟子から弟子へと受け継がせてきた、長い年月の形。
 それをこのまま取り潰すのは、確かに問題かもしれない。
「よし、梢。弟子を集めるぞ」
「……マジ?」
「当然だ。俺が師範、お前が師範代。さぁ師範代、入門希望者をとっとと連れて来い」
「横暴だ。一体誰を勧誘しろってんだよ?」
 文句を言いつつも。
 結局引き受けてしまった梢は、損な性分の持ち主だろう。

「天我不敗流の、後継者……?」
 ここは修羅堂。
 遊びの聖域であり、それとは無縁の梢にとっては居づらい場所だった。
 レジに座る久坂零次に、梢は頷いてみせる。
「久坂なら実力的には申し分ねぇし。今うちの居候だし。どーよ」
「どうよ、と言われてもな。正直興味はあまりない」
 零次の返答は素っ気なかった。
 奥へと視線を向けているところ、店長が何か仕出かしているらしい。
 さっさとこの話題を切り上げようとしているようだった。
「榊原さんには悪いが、俺は既に自分の戦闘スタイルが出来上がっている。今更変える訳にはいかん」
「戦闘スタイルに影響及ぼすほどじゃねぇと思うけどなぁ」
「……それに将来については模索中だ。今から天我不敗流のことを決めると、後々面倒なことになる」
「ぐぅ」
 ――――――久坂零次、失敗。

 ある日の公園。
 そこで遊びに来ていた数人の若者がいた。
 遥、藤田四郎、高坂雅、水島沙耶らだった。
 この時期になると斎藤と由梨は東京へ行ってしまっている。
「しっかし、もうじき俺たちも大学かぁ」
「結構面子も変わったからねえ。なんだか、これまでとは色々変わるって実感が沸くよ」
 ほらよ、と藤田が持ってきた焼きソバを受け取る女子三人。
 雅は空を高く見上げながら、今はもう遠くへ行ってしまった友二人を思った。
 普段は口うるさい沙耶も、雅にならって空を見上げる。
 ほんの少し、しんみりとした空気。
 ――――それを台無しにする音を立てながら、倉凪梢が背後の草むらから現れた。
「よう、こんなとこにいたのか」
「よう、そんなとこで何してんだ」
 長年付き合いのある連中なだけに反応は薄い(遥は元々そういう性格)。
 藤田は半眼で、これからは大学生活を別にする友人を見た。
 梢はそれには答えず、この場にいる余人を咄嗟に観察した。
「……遥と水島は問題外だな」
「な、なんの話? 凄く失礼なこと言われた気がするよっ!」
「そうだよ失礼だよ倉リン! よっしゃ、遥ちゃん! 今夜リベンジするために倉リンの部屋に夜這いだー!」
「おー!」
 意味が分かってない遥と、扇動するだけの沙耶は無視。
 次に梢は藤田と雅を、いつも鋭い目つきをさらに鋭くして見た。
 やがて「うんうん」と頷き、二人を指差す。
「おし。藤田、雅! お前ら付き合え!」
「おおっと、世話好き倉リンが藤っちに無理矢理彼女を作るつもりかぁっ!?」
「ええっ、二人はそういう関係だったの?」
 繰り返し言うが、遥と沙耶は無視。
 藤田と雅は共に首を傾げ、眉を寄せながら梢に視線をやった。
「何にだよ」
「何にさ」
 二人揃って疑問の声をあげる。
 梢は待ってましたと言わんばかりに頷いて、一枚のチラシを突きつけた。
 それを見た二人は、さらに顔をしかめた。
「倉凪。あんたってさ」
「字も絵も下手だよなぁ」
「じゃかぁしいっ! とにかく、書いてある通りだ!」
「これを読めってか? なんか目が疲れそうだぞ」
 文句を言いながらも藤田は紙面に目を通す。
 やがて額に脂汗を浮かべながら、梢に紙を返した。
「天我不敗流に入門しろって……マジか?」
「なに、そういう話だったの?」
「ああ。今ならもれなく天我不敗流の後継者権がついてきます、だと」
「ふーん……」
 渋面の藤田に対して、雅は割と興味深そうだった。
「女でも別に問題ないのかい?」
「ああ、天我不敗流に入門するのに資格はいらねぇぜ!」
「さっき倉リン、私たちを問題外って言ってた~……」
「うぅー……」
 睨みつける視線が二つ。
 くどいようだが、それは無視。
「でも師範のあの人、忙しいんだろ? 稽古なんていつするんだい」
「ああ、基本的な稽古は俺が引き受けてる。一応天我不敗流の免許だからな」
「ふーん、なるほどねぇ」
 雅はますます面白そうに頷く。
「はっ! ってことは二人きりで道場に篭りきり!? ヤバイよ遥ちゃん、倉リン実は雅ちゃん狙いだったんじゃっ!?」
「そ、そういえば……雅ちゃん姐御肌だし、梢君年上好きだしっ!」
 無視――――
「あううぅぅぅ……!」
「――――やかましいわお前らさっきからゴチャゴチャとおぉぉっ!」
 ……出来なかった。
「なんなんだよ遥、雅が俺に武術教わっちゃ駄目なのか、ああ?」
「しょ、梢君目が据わってる……」
「いつもこんな目つきだ!」
「いや、心なしか三割増しって感じになってるよ」
 小さい子が見たら、軽くトラウマになりそうな形相だった。
「あー、いいや倉凪。変なことで誤解招きたくないし」
「は? 誤解ってなんだよ」
「……いや、まぁいいんだけどね」
 罰が悪そうに雅へ「ごめんね」の視線を送る遥。
 そんな遥に手を振りながら、雅は丁重に辞退した。
「チッ……失敗か。くそ、後は誰かいたかな」
 そう言って立ち去る梢。
 その姿が見えなくなったところで、雅は遥の肩に手を置いた。
「あそこまで言って気づいてもらえないってのも、同情するよ」
「うぅ……ごめん雅ちゃん。この借りは絶対何かで返すから」
「気にしなくていいよ。それに、それなら扇動した沙耶も同罪だしねぇ」
 がし、と逃げかけた沙耶の頭を掴む雅。
「ったく。遥は単純なんだからあんまりおちょくるなっての。今回はふざけ過ぎだぞ」
「あ、あははー。いや、ほら。人の恋路は面白いじゃん?」
 必死に弁解する沙耶。
 そんな女子を少し離れて見ながら、藤田は嘆息した。
「倉凪だろ、一番の問題は……」
 鈍すぎるのも、唐突なのも。
「やれやれ。あいつって、悪気はないのに周囲を振り回すタイプだよなぁ」
 なにはともあれ。
 ――――――遥、藤田四郎、高坂雅、水島沙耶……失敗。

 秋風市内にある喫茶店『夢里』。
 ここは日中様々な客で賑わう、秋風市内でも指折りの店だった。
 その店のドアを勢いよく開け放ち、梢が飛び込んできた。
 レジで他の客にケーキを出していたゆきねが気づき、会釈する。
 やがてレジが空くと、梢はゆきねの元へ向かった。
「ゆき姉、今日も繁盛してるみたいだな」
「そうだね。これで梢君が戻ってきてくれれば完璧なんだけど……」
「それは出来ねぇ。第一徳子さんが了承しない」
「……そうね」
 そう言って、ゆきねは少し寂しそうに笑う。
 が、すぐに明るい表情に切り替えた。
「それより今日はどうしたの? 涼子ちゃんなら今日は入ってないよ?」
「生徒会も解散した今じゃ、あいつに取り立てて用はない」
「あらら。冷たいお兄ちゃん分になったこと」
「あいつの兄貴分代わりはもう終わってるよ」
 特にどうということもない様子で梢は言う。
 寂しさとか苛立ちとかは一切含まれていない。
 かつて梢は、美緒と涼子の兄として振舞った時期があった。
 その時期は、特にドラマチックなラストを迎えたわけではなく、自然消滅したらしい。
「それじゃ、どうしたの?」
「ゆき姉に会いに来た……って言いたいとこだけど、ちと違う。天夜いる?」
「あら、天夜君なら今仕事中だけど」
「じゃ、手伝いながら話そう」
 そう言って梢は手を洗い、エプロンをつけて厨房へと入っていく。
 そこは大勢の客に追われているせいか、非情に忙しそうだった。
 三人しかいないキッチンスタッフの中に、天夜もいる。
 梢は天夜の隣に立って料理を拝見。
 即座に進行状況と天夜の味付け方法などを分析し、手伝いを開始した。
「……何やってんだ、あんたは」
「いや、ちと話したいから手伝いながら話そうと思ってよ。ほれ、この間お前に天我不敗流話したろ。俺んとこの流派」
「ああ、聞いた気がする」
 それから梢は料理の手伝いをしながら、天我不敗流の入門生を探していることを告げた。
「……ズバリだ。天我不敗流に入ってみる気はないか」
「ない」
 即答された。
「俺はそもそもこの地に永住するわけじゃない。そんなものを押し付けられても困る」
「別にここじゃなくても、実家戻ってからでもいいんだよ。ほれ、実家には確か道場あるんだろ? そこを天我不敗流の道場にしちまえ」
「無茶苦茶言うな……親父が承知しないだろうし、そもそも俺はあそこには戻りたくない」
「ぐ……」
「だいたい、俺がここにいるのはそう長くない。せいぜい半年から一年か? ともあれ、そんな短期間でマスター出来るようなぬるい流派でもないだろ」
「ちっ、確かにお前の言うとおりだ」
 勧誘に失敗したとなれば、これ以上ここにいても邪魔になるだけだった。
 梢はさっさと厨房を退散し、店から出て行った。
 ――――――緋河天夜、失敗。

 落胆しながら梢は帰宅した。
 結局町中を探し回ったのだが、いい人材が見つからなかったのである。
「くそ、こうなったら大々的に告知するか。インターネットとか広告とかで」
 そんなことを言っているものの、梢はパソコンを全く使えない。
 広告も長期的に見なければ効果は現れないだろうし、実質的に手詰まりであった。
『いや、だからちゃうねん!』
 居間の方から、呑気なお笑い番組の音が聞こえてきた。
『何回も繰り返すなアホ! ってそれセクハラッ、ハードゲェェ!?』
「あははははは」
 番組だけでなく、呑気な声も聞こえてきた。
「そういえば、いたな」
 梢の両目がギラリと光る。
 獲物を見つけた獅子の目つきだった。
「いたよなぁ。それなりに素質はあって、暇な奴」
 無意識のうちに、気配を殺して居間へと侵入。
 梢に背を向けたまま、番組に夢中になっている哀れなカモが一人。
 どうやら気づかれていないらしい。
『もう嫌! トラウマですよこれ!』
「ぶっ」
 噴き出す程面白いらしい。
 が、とりあえず梢にとってその辺はどうでもいい。
「と、お、る」
「あはは……ん?」
 梢の声に気づいたのだろう。
 亨は振り返ろうとして――――
 めきょ、という音と共に昏倒した。

 目が覚めると、いつのまにか縛られていた。
「って何ですかこれ!?」
 亨の力を持ってしても千切れない。
 かなり頑丈なもので縛られているようだった。
 場所は、見覚えがある。
 榊原家の道場だった。
「よ~うこそ、榊原道場へ」
「はっ! その声は梢さんっ!?」
「正解~」
 道場の入り口から、稽古着姿の梢が入ってきた。
 なにやらハイテンションのようである。
「ちょっ、なんでこんなことするんですか! 僕折角面白いテレビ見てたんですよ!?」
「ふっふっふ、まぁそう言うな亨。お前は選ばれたんだ――――天我不敗流の後継者に!」
 勢いよく亨を指差し、高らかに宣言する。
 亨としては戸惑うしかない。
「こ、後継者ってなんですか!?」
「師匠の後釜だ。俺は諸事情により後継者になれん! だからお前を生贄……じゃなくて、栄誉ある伝承者の地位に推薦したのだっ!」
「今生贄って言いましたよね!?」
「んー、聞こえんなぁ~」
「世紀末の悪役みたいなこと言わないでくださいよ!」
「気にするな」
「気にしますよっ!」
「そうか……せっかく、お前の才能を見出してのことだったのに」
『才能』の部分を強調して言う。
 梢は、亨の自尊心の高さと、現状への不満を見抜いていた。
「さ、才能?」
「ああ。俺の知り合いの中で、この選考に残ったのはお前だけなんだ」
 他は全部断わられたのだが、別に嘘ではない。
「俺はお前に期待したんだがなぁ」
「う……」
「ま、駄目か。嫌ならもう、二度とお前を誘うことはしないよ」
「い、いや……ちょっと待ってください」
 見事に食いついてきた。
「天我不敗流の伝承者になれば、かなりの栄誉だ。結構有名な流派なんだぞ」
「そ、そうなんですか……?」
「ああ、(無茶苦茶厳しいことで)名を知られている流派なんだ」
「へ、へぇ」
「もし伝承者に上り詰めれば、もう美緒とかに馬鹿にされることもなくなるだろう」
「……いいですねぇ」
「格好いい技とか会得して、モテモテになれるかもな」
 梢の言葉に、亨は少しずつ乗り気になっていった。
 ただ、いきなりその気にさせるのは難しい。
 だから梢は、ここでメリットを告げるのを止めた。
「ま、とりあえず一週間くらいお試しでどうだ? それでキツけりゃ止めていいぞ」
「あ、それならいいですねぇ」
 いきなり不意打ちで縛られたものだから、梢のこの言葉は意外だったのだろう。
 だからこそ亨は安心した。
 それが間違いだとは、夢にも思わずに。

 一週間後。
 お試し期間を無事終えた亨は、少しばかりたくましくなったように見える。
 稽古も程好いキツさなので、これくらいなら問題ないと考えているようだった。
「よく一週間耐えたな。皆ここで最初はダウンするもんだぞ」
「いえいえ、これくらいなら楽勝ですよっ」
 既にノリノリだった。
「で、どうする? 入門してみるか?」
「ええ、全然構いませんよ。いい運動になります」
「いやー、その言葉を待ってたぜ」
 ポンポンと亨の肩を叩く。
「ついては、入門後の軽い運動をやろうと思う」
「あ、組み手ですか?」
 お試し期間中は、町中の走りこみなどの基礎運動。
 そして道場での組み手だった。
「ああ、そうだな。でも今度から相手は俺じゃないぞ」
「俺だ」
 入り口からのっそりと、榊原が上がりこんできた。
 既に稽古着に着替えており、準備万端といったところである。
「榊原さんが相手ですかー。いいですよ、よろしくお願いします」
「ああ。正式に入門したんだ、手は抜かんぞ」
「はっはっは、手なんて抜かなくていいですよ~」
 気楽に受け答えする亨。
 それとは対照的に、梢はそそくさと道場から出て行こうとしていた。
「あれ、どうしたんですか梢さん」
「い、いやー。俺、夕飯の買出しに行かないと」
「そんなの後でいいじゃないですか。一緒に稽古しましょうよ」
「悪いけど俺は遠慮させてもらうぜっ」
 と、なにやら逃げるように道場から出て行く。
 そんな梢を見送りながら、亨は首をかしげた。
「変な梢さんですね。どうしたんでしょうか」
「巻き添えは御免だと思ったんじゃないか」
 準備体操を終え、肩をボキボキと鳴らしながら榊原が近づいてくる。
 ……何か、嫌な予感がした。
「……あの、榊原さん。なにかこう、凄い闘気? みたいなものを感じるんですが」
「そりゃ、稽古だからな」
 稽古と言うより、真剣勝負を前にした剣豪のような雰囲気だった。
 一言で言うと怖い。
「ま、今日のところの課題は一つだ」
「へ?」
「倒れるな――――以上」
 その言葉を最後まで聞き終わらないうちに、亨の意識は吹き飛んだ。

 後日、亨は必死に嘆願して入門を取り消してもらったらしい。
 梢は亨に散々非難され、再び弟子探しをするハメになったのだが……それは、また別の話である。