異法人の夜-Foreigners night-

-日常編-
藤田の日常
 藤田四郎。今春より朝月大学所属。
 はっきり言って平凡極まりない名前。
 せいぜい、某漫画で有名になった三番隊組長の名前と一字違いなのがネタだろう。
 趣味は球技、特に野球。
 幼い頃から父親に鍛え上げられた結果、県でも屈指のプレイヤーに育つ。
 ただし仲間に恵まれず、甲子園への夢は破れた。
 主な友人は倉凪梢と斎藤恭一。
 しかし、梢は調理師学校、斎藤は東京へ行ってしまったので大学にはいない。
 その代わり雅や遥、零次に沙耶といった面子がいるので、友人には恵まれている。
 これはそんな彼の視点から眺められた、秋風市の日常である。

 藤田四郎の朝は早い。
 朝四時半には目を覚まし、せっせと着替えて近所を走りこみ。
 それが終わって帰宅する頃に両親が目覚める。
 仕事が忙しい割にはさして疲れた様子も見せない父と、でっぷりとしたお腹の母。
 ちなみに妊娠しているわけではない。
「ほぉら四郎、ご飯に味噌汁ついで!」
「へいへい! 息子使いの荒い母上ですねぇ!」
 藤田四郎は気分次第で親への呼び方を変える。
 母上、親父殿、お袋、ダディ、ビッグマザー、おっちゃん等。
 気分の良し悪しはさして関係ない。
 慌しい朝食を終えると、藤田は早速最寄の駅へ向かう。
 藤田の家は一応秋風市なのだが、梢たちの家がある朝月町とは違う。
 北西の方に位置しており、朝月町へは山が間にあるため電車で移動するのだ。
「んじゃ、行ってきますっ!」
「あいよ!」
 藤田家の住人はいつも景気のいい挨拶をする。
 それだけ元気がいいということなのだろう。
 駅までは走って五分程度。
 以前ならその途中の道で、斎藤恭一が合流するはずだった。
 が、彼は今この町にいないため、それはない。
 駅はさして大きくはない。
 近所のおじさん(駅員)に挨拶をしながら、丁度やって来た電車に乗り込む。
 と、そこで珍しい顔に会った。
「あれ、仲橋じゃん。どうしたんだよ、こんな時間に」
「ふ、藤田さん!?」
 それは藤田の近所に住む、仲橋由井子だった。
 家が近所なので昔からよく一緒に遊んだ仲である。
 その影響か、藤田と同じく球技大好き少女に育った。
 お互い気心の知れた相手であり、今も家族ぐるみの付き合いは続いている。
「女子ソフトはもう朝練の時間だろ。……ははーん、なんだよ寝坊か?」
「違うッスよ、今日は、今日は……えっと」
「俺に対する言い訳を考えるくらいなら、部長への言い訳考えた方がいいんじゃないかぁ?」
「い、意地悪ッス! 藤田さんいじめっ子ッス!」
「いやだなぁ、お前相手のときだけだぞ? こんな風に出来るのは」
「わ、私だけって何ッスか!」
 なぜか顔を真っ赤にして狼狽する由井子。
 藤田はそれを分かっていてからかっているのだった。
 由井子は昔から、この手でからかわれることに弱いのだった。
「ったく、お前の寝坊癖昔から直らないもんなぁ。俺が起こしに行ってやろうか?」
「いいッスよ! もういい年なんですから、藤田さんにそんなことされなくても平気ッス」
「そうかぁ? 残念だなぁ」
「何が!? 何が残念なんすか!?」
「ほれほれ、そんなこと気にしてる場合か。新部長怖いんだろ? 寝坊で遅れたなんて言ったら、校庭五十週とかさせられるぞー」
「う、うわぁぁんっ」
 由井子はからかうと面白い。
 少なくとも藤田の方は、そんな風に考えていた。

 朝月大学は、中学高校とは入り口が異なる。
 いくつもの建造物が建ち並ぶキャンパスは、高校以下とは少し離れた所にある。
 だからか、藤田にとってもさほど馴染みのある風景ではない。
 今日は一時限目からあるので、藤田は早速指定の教室へ向かう。
 高校までと違い、やりたいことを自分で全て選べる大学生活。
 それに憧れていたのだが、一年のうちは必修だらけでそうもいかない。
 その分、旧知のメンバーと顔を合わせることも多かったのだが。
 教室に入ると、既に何人かの学生が来ているようだった。
 その中に知った顔を見つけ、藤田は声をかける。
「よっ、久坂」
「藤田か。おはようだ」
「おう、おはようだ」
 久坂零次。
 藤田にとってはさほど付き合いの長い相手ではない。
 ただ、親友である梢の同居人だという縁で知り合った。
 一見仏頂面の変な奴なのだが、実際は発想豊かな変な奴なのである。
「……藤田、今何か失礼なことを考えなかったか?」
「いーや? それより英語の宿題やってきたか」
「無論だ。あんなもの数分もあれば終わる」
「マジかよ、さすがに本場仕込みは違うな」
 零次は朝月高校に転校する前は海外を飛び回っていたらしい。
 あちこちの国で生活した経験からか、語学力は大したものだった。
「お前はその様子だと、やってないか終わってないようだな」
「う……いや、やったけど分からなかったんだよ。ってことで写さして」
「クリームパンと焼きそばパン、それに百二十円」
「要するに昼飯奢れってか。ちゃっかりしてんなぁ」
「なに、貸し借りはなるべく早めに清算した方が後腐れないだろう」
「そりゃ確かに。オッケ、その条件呑んだ!」
 第一印象からして近寄りがたい雰囲気を与える零次だが、実際のところはそうでもない。
 やや常人と感性がずれているところはあるが、人間嫌いだとかそういうことはない。
 たまに皮肉屋になったり、訳の分からない勘違いで事態を悪化させるのが困ったところだが。
「時に藤田よ」
「ん?」
「高坂とはうまくやっているのか?」
「ぶっ!?」
 ――――こんな風に。
「ちょ、ちょい待て! 俺と高坂は別にそんなんじゃ……」
「む? ではあの下級生の方か。確か仲橋」
「そいつとも違うッ! つーか誰だそんなこと言ってたのは!?」
「倉凪」
「あ、あの野郎……」
 今は学校を別にした親友の顔を思い浮かべながら、藤田は思わず拳を握った。
 ところが、零次の言葉はそれで終わりではなかった。
「――――冬塚、遥、美緒、亨、水島、それから電話口で斎藤も何か言っていたな」
「……俺とお前の共通の知人ほとんどじゃねぇか!」
 どうやら噂はかなり広まっているらしい。
 要約すると、『最近藤田に彼女が出来た!?』という内容のようだ。
 彼女候補には二人の名が挙げられている。
 高坂雅……藤田や零次と同じく朝月大学の学生。
 藤田とは高校三年間ずっと同じクラスで親しくしていた。
 仲橋由井子……藤田にとっては幼馴染。
 藤田の影響か女子ソフト部に入り、スポーツ大好き人間として知られている。
「違うのか。本当ならメギド総出で援護してやるつもりだったのだが」
「それは止めろ絶対止めろ死んでも止めろっ」
「……了解」
 少しつまらなそうに頷く零次を他所に、藤田の思考は既に別のところに行っていた。
(この噂、変なことにならなきゃいいけどなぁ……不安だ。実に不安だ)
 そんな不安を抱いたところで時間は止まらない。
 こういう時に限って時間の流れは早く感じるもので、すぐに雅と対面する二時限目がやって来たのだった。

 この日の二時限目は、藤田たちにとってさほど興味のある講義ではない。
 ただ必修ということもあって、メンバー全員が揃う講義だったりする。
 講義の内容そっちのけで、隠れて会話に勤しむ者たちの姿があった。
「おっす、藤っち。君もスミにおけないねっ」
 いきなり脇腹を小突いてきたのは水島沙耶。
 彼女も藤田とは結構な付き合いになるのだが、どこまでいっても異性ではなく悪友といった感のする相手なのである。
 零次から聞いた噂のこともあって、藤田は多少警戒しながら尋ねる。
「スミにおけないって、何がだ?」
「まったまた! 雅ちゃんと下級生の子で二股してんだってぇ~?」
 噂は悪化していた。
「待て水島さん。話し合おうじゃありませんか。そんな噂信じる君ではないでしょう」
「あははっ、私面白い嘘なら嘘と分かっても信じる派だよん」
「最悪だなお前」
「そんな褒めなくてもいいってば。でも、雅ちゃんを不幸にしたら許さないぜい……」
「どうすりゃいいんだよ。ったく、もういい。お前と話すと無駄に疲れる」
 沙耶は分かっていて藤田をからかっている。
 こうした手合が一番相手にしにくい。
 零次からは既に話を聞いているため、藤田は遥にアタックを仕掛けた。
 シャーペンで軽く彼女の頭を小突く。
 途端、遥は大袈裟に身体を揺り動かした。
 そのまま静止し、やがて素早く藤田の方に振り返る。
「ね、寝てないよ?」
「うん。遥ちゃんの寝顔は俺のメモリーに刻んだとして」
「駄目駄目っ、私の寝顔なんてだらしないから。今すぐ消去してっ」
「ははは、冗談冗談。しかし遥ちゃんが居眠りって珍しいな。寝不足?」
「うん、ちょっとね……梢君が昨日眠らせてくれなくて」
 遥の寝不足。
 梢が眠らせてくれなかった。
 ――――藤田の中で、簡単にして明瞭な答えが導き出される。
「……進んでるんだね、二人とも」
「?」
 不思議そうに首を傾げる遥。
 寝不足の理由は榊原家で行った『徹夜カラオケin白木の湯』だったりするのだが、藤田にそれが分かるはずもない。
 零次は零次でこの会話を聞いていたのだが、藤田の誤解には気づいていなかった。
「あ、それでさ。何か俺に関する噂が流れてるって聞いたんだけど」
「藤田君の噂? 美緒ちゃんから聞いたのかな」
「どんな内容だった?」
「え、うーんと……」
 この間美緒から聞かされた噂話。
 あれは確か……
『藤田さんて優柔不断みたいですな~』
『美緒ちゃん、藤田君がどうかしたの?』
『うん。どうも噂だとねぇ、藤田先輩は二人の女性の間で――――』
「――――グレてる、だったっけ」
「どんな噂なんだ、それは……」
 藤田四郎、反抗期は小学校高学年で終結。
 今更グレる理由は見当たらなかった。
 雅は意外と講義を真面目に聞いているようだった。
 それを邪魔する気にもなれず、かと言って講義を真面目に聞く気にもなれない。
 そんな半端で曖昧な状態のまま、今度はやけに長い時間が過ぎていった。

「昼だー!」
「おーっ」
 昼時は、大学内ではなく夢里で過ごすことにしている。
 大学内の食堂はやけに人が多く、そのくせ味はあまり良質ではなかった。
 その点夢里なら常連でもあり、気楽に昼を楽しめる。
 続く三時限目がない場合はかなりの時間をこの喫茶店で過ごすことにしている。
 まだ日中であるため涼子はいない。高校にいる頃だろう。
 天夜はいるのだろうが、厨房から姿を見せない。
 詩巳もまだ学校なので、心配して厨房から顔を出すということもないようだ。
「おっひるっ、おっひるっ、おっひる~」
 食事が大好きな遥にとって、この時間は至福のものらしい。
 普段からぽややんとしている顔が、さらに緩んでいた。
「いえい、早食い競争やる人!」
「その勝負、乗った」
 一方では沙耶がいつものように勝負をけしかけ、零次がそれに乗る。
 呆れるくらいに平和な風景だった。
「いいもんだよなぁ」
「どうしたんだい藤田、変な顔して」
「俺はいつもこの顔だ……って高坂っ!?」
「なんだい、えらく驚くね。あたしが話しかけたらいけないか?」
 油断をしていたからか、雅に話しかけられただけで藤田は変な声をあげてしまった。
 雅はそれを可笑しそうに見ている。
「どうしたのさ、何か今日のあんたは様子がおかしいねぇ」
「そ、そうか?」
「そうだよ。私を除け者にして遥たちと何話してたんだか」
「別に除け者にしたわけじゃなくてだ。まぁその、いろいろとな」
「ふーん?」
 深く追求して欲しくないという藤田の態度が伝わったのか、雅はそれ以上は何も言わなかった。
 そんな二人をよそに、他の三人は――いつのまにか遥も加わっていた――早食い勝負を始めている。
「誰が勝つと思う?」
「本命遥ちゃん、対抗水島、大穴久坂ってところだな」
 話題を変えれば元通り。
 藤田たちも自分の食事へと箸を伸ばしながら、三人の友人を見ているのだった。

 三時限目は休みだった。
 いきなりの休講だったため、遥たちと別れていた藤田……そして雅は時間を持て余している。
 二人きりで何もすることがない為、微妙な雰囲気になってしまった。
「……どうする、高坂。四時限目サボって帰るか?」
「五時限目がなければそうしてもいいんだけどねぇ。あの先生出席五月蝿いから」
「そういやお前、今日は一から五までぶっ通しか。大変だなぁ」
「その代わり明日は一個もなし。フリータイムを気楽に過ごせるさね」
 そこで会話は途切れる。
 藤田は先ほどから、雅と視線を合わせようともしていなかった。
 大学校門付近のベンチに座ったまま、空を見たり地を見たり校舎を見たりと落ち着かない。
「な、なぁ高坂」
「ん?」
「その、さ」
 変な噂が流れてるみたいだけど――――と言いかけて、藤田は口をつぐんだ。
 その後に何と続ければいいのか、分からなかった。
 気にするなよ、と言えばいいのか。
 だがそれは、藤田としてはあまり言いたくない。
 ……言いたくないのだ。
 なぜなら、藤田は。
 藤田四郎は、高坂雅のことが……。
 ――――不意に、目の前に雅の顔が広がった。
「ばっ!」
「どわぁぁぁ!?」
 物思いから一気に呼び戻され、藤田は身体を仰け反らした。
 あまりに大きく仰け反ってしまったせいか、ベンチの後ろへと転げ落ちてしまう。
 そんな藤田を見下ろしながら、雅はしばし呆然としていた。
 まさかここまで反応するとは思っていなかったらしい。
 それは藤田も同じで、両目をきょとんと見開きながら雅を見つめ返す。
 やがて双方の表情に浮かんだのは、笑みだった。
「あ、あははは」
「ははははは!」
「ば、馬鹿っ。なんでそんな反応するのさ、あんたは」
「うるせっ、いきなり不意打ちけしかけるお前が悪いんだよっ!」
「だからって普通そこまで飛ば……あ、あははっ!」
 余程ツボにはまってしまったらしい。
 藤田が疲れて笑い終えても、雅はまだけらけらと笑い続けていた。
 やがてそれも収まると、雅は藤田を助け起こした。
「サンキュ」
「いや、あたしが落としたようなもんだしね。しかし藤田、あんたはからかってると飽きないなぁ」
「俺はイジられキャラかよっ」
「ん。そんな感じ」
「あっさり認めないでくださいお願いします」
 藤田はがっくりと項垂れる。
 その頭上へ、雅がおかしそうに告げた。
「あははっ。あんた、例の噂を気にしてんだろ?」
「……おい、知ってたのかよ!」
 今までの素振りからして、知らないものだとばかり思い込んでいた。
 だが考えてみれば、噂の当事者である雅の元に届かないはずがない。
 おそらくは藤田よりも先に、この噂話をキャッチしていたのだろう。
「知らない振りしてたらどうするかな、と思ったんでね。くくくっ」
「性格悪いなオイ」
「まあねー。でもその分だと、あんたは結構気にしてるみたいだね」
「当たり前だろ。俺とお前はまだそんな仲じゃないし……」
「“まだ”?」
「い、いや。そのだなぁ、つまりは」
 こうなると藤田に勝ち目はない。
 それから四時限目が始まるまで、藤田は散々雅にからかわれるハメになるのだった。

「はぁ……疲れたぁ」
 駅のベンチに座って缶コーヒーを一杯。
 そうしているとサラリーマンみたいだな、などと考えながら、藤田は今日一日を振り返って見る。
 噂に散々振り回され、雅に散々からかわれた挙句脈アリなのかどうかすらも掴めず。
 無駄に疲れた一日と言わざるを得ない。
「お前だけが俺の友だ、エメラルドマウンテン……」
 哀愁漂う男の背中。
 今なら酒場で女性を口説く男となっても不自然ではない。
 そんな藤田の裏側のベンチからも、似たような声が聞こえてきた。
「はぁ……疲れたぁ」
 その声が聞き覚えのあるものだったので、藤田は背後へ振り返った。
 そこにいたのは予想通り、藤田の幼馴染……仲橋由井子だった。
 由井子はまだ藤田に気づいていないらしい。
 周囲が薄暗いせいだろう。
 藤田はふと、疲れも何もかも忘れて悪戯心を浮かび上がらせた。
 そっと気づかれないように回り込み、頭を垂れている由井子の真下に屈みこむ。
 そして一気に顔を出した。
「ばっ!」
「うっきゃあぁぁぁっ!?」
 予想以上に大きな反応を見せて、由井子は仰け反った。
 藤田のときと同じく後ろへ転げ落ちそうになったが、藤田が手を差し伸べたおかげでどうにか留まった。
「よっ」
「ふふ、藤田しゃん!?」
「おう、藤田四郎だぞ」
「な、なひひゅるんでふか!」
 かなり驚いたらしく、舌がうまく回らない様子。
 藤田は由井子の肩を軽く叩いて落ち着かせた。
「なるほど、脅かす側になってみると面白いもんだなぁ」
「私は面白くないッス! ただでさえ今日は大変だったんスから!」
「そういや朝遅れてたんだよな。新部長に怒られたのか?」
「それも大変だったッスけど、それよりも会長……じゃなくて冬塚先輩が」
「冬塚ちゃんがどうかしたのか?」
「あ、いや、その」
 と、由井子は急に顔を赤らめて明後日の方を向いた。
 藤田は首を傾げて、すぐにその理由に思い至った。
「あ、ひょっとして仲橋もあの噂聞いたのか?」
 確か噂では、藤田の彼女候補に由井子の名前も挙がっていたはずだ。
 藤田としては由井子は妹のようなものなのだが、由井子の方は一概にそうとも言い切れないらしい。
 その辺りを分かっていて、藤田は普段から由井子をからかっている。
 だが今日は藤田自身も噂に翻弄されたこともあり、からかう気にはなれなかった。
「そっか……ま、お互いに大変だったよな」
「え、いや、その、大変と言いますか」
「まぁあれだ。そんな噂――――気にしないでやっていこうぜ」
「……あ」
 邪気のない藤田の笑い顔。
 彼は深く考えず、噂など気にせず、いつも通りの二人でいようと思って言った。
 しかし由井子はそう受け取らなかったらしい。
 少しだけ呆然とした表情で藤田を眺めながら、すぐにぎこちない笑みを浮かべる。
「そ、そうッスよね! あんな噂気にしてちゃ話にならないッスよね!」
「そうそう。あ、ほら電車着たぞ。乗ろうぜ」
「……はい。そう言えば新しいクラス、面白い子がいるんスよ。笹川さんって言うんですけど」
「あー笹川? どっかで聞いた姓だなぁ」
 明るい電車に乗り込み、薄暗いホームには静寂が訪れる。
 そこに残るのは、少し冷たい春風だった。

 夕食を終えた藤田は部屋に戻り、最近買ったばかりのパソコンをつける。
 まだ手馴れぬ様子でブラウザを立ち上げ、見知ったサイトへアクセスする。
 それは東京へ行った斎藤が立ち上げたものだった。
 藤田も一応副管理人として運営に関わっている。
 斎藤はイラストや小説などを器用にこなしており、藤田は掲示板などの管理を行っている。
「今日は書き込みはなしっと。それじゃ、日記でもつけるとしますかね」
 右も左も分からない藤田に斎藤が用意した簡単な日記で、コメント機能もついていたりする優れもの。
 この日記を書いて一日を締めるのが最近の日課だった。
「とりあえず、今日あったことを書いておけばいいかなっと」
 変な噂が流れたこと。
 雅に散々からかわれたこと。
 由井子をちょっと元気付けたこと。
 それらを、実名を省いたまま書き連ねていく。
 藤田はあまり文章力がなくゴチャゴチャしたものになりがちだったが、この日は割とうまくできた。
「よし、それじゃ今日はこれで終わりっと」
 他に一つ二つ巡廻サイトを回り、電源を切ってパソコンを終了。
 そのままベッドに飛び込んで、読みかけの漫画を読み漁る。
 やがて藤田の意識は、深い眠りの闇へと落ちていった。

『コメント:斎藤恭一/藤田、君も倉凪といい勝負だ』