異法人の夜-Foreigners night-

-日常編-
倉凪密着24時!?
 ある土曜の昼下がり。
 珍しくも、榊原家のほぼ全員が揃っていた。
 梢だけは買い物に出かけており不在だったが、残りのメンバーは居間に集まってビンゴ大会などをやっている。
 食事時以外は時間が合わないこともあり、全員で何かをするということは滅多にない。
 それだけに、偶然の機会によって始まったビンゴ大会は盛り上がりを見せていた。
「次は……4だ」
「ふむ。リーチだ」
 あまりイメージには合わないが、榊原もちゃっかり参加している。
 しかもどんな運の持ち主なのか、先ほどから連戦連勝だった。
「お、お義父さんばっか! インチキだインチキだインチキだーっ!」
「絡むな。お前とてさっきから二位を死守しているだろう」
「私は一番がいいのー!」
 はいはい、と榊原はぶぅぶぅ文句を垂れる美緒を軽くあしらう。
 この家の中でも特に家族として長い付き合いをし、美緒の扱いに手馴れた榊原だからこそできることだ。
 先ほど亨が榊原の真似をしようとしたら、美緒に手痛い反撃をくらっていた。
「次は……12」
「あ、私リーチ」
「私は一気にダブルリーチ!」
 遥と美緒が順に手をあげる。
 零次も榊原の前にリーチを宣言しているため、場の緊張感は一気に高まっていく。
 亨だけは半端に穴を開けつつ、なかなか揃わずにいるのだが。
「くっそー、三つまでは空くのに」
「ヤザキンらしいよねぇ」
「な、何がさ」
「半端なとこ」
「う、うぐぐ……見てろ倉凪。今に逆転して恐るべき罰ゲームを味あわせてやる」
「へへーんだ。今まで散々罰ゲームにあってきたヤザキンが言うと、重みはあるけど怖くはないよっ」
 と、美緒に鼻で笑われる始末。
 この二人はいつもこんな感じである。
「次……17」
「き、キタキタキタキタキタキタァァァー!」
 零次が静かに数字を告げると、亨はいきなり立ち上がって高笑いを始めた。
 それは今まで敗者という立場に甘んじ続けてきた男の、歓喜の笑み。
 どん底から這い上がるための奇跡の力、その表れと言っても過言ではなかった。
「来ましたよ来ましたよ来ちゃいましたよトリプルリーチィィ! もうこの僕に敵はいません! 次のラストボールで勝負を決めます! 今の僕は、誰にも負ける気はしないッ!」
 これまで抑えていた勝利への執念が、トリプルリーチという機会を得たことで一気にあふれ出した。
 今の亨はこれまでの亨ではない。
「そう、今の僕なら覇者を名乗ることすら出来ましょう! 勝ったら倉凪はもう一日僕のシモベ。絶対服従だぁぁ!」
「あっそう」
 盛り上がる亨とは逆に、冷めた反応の美緒。
 亨はそれを諦めと取ったらしい。
「今更命ごいはなしだぞ倉凪ッ! 日頃お前によって蓄積された僕のもやもやとした心理的重圧っていうかストレス。それを一気にブチ撒ける!」
「ふーん? いいの、そこまで言っちゃって?」
「ここに来てのトリプルリーチ。単純に確率の問題として考えれば、僕が一番勝率高いんだぞ」
「それは違うよ、矢崎君」
 と、横から心配そうな表情の遥が口を挟んできた。
「確率はもう0だよ。だから、もうその辺でやめよ?」
「何故ですか遥さん。ここからが本番ですよ、勝負はこれからです」
「違うの、矢崎君。勝負はもう、終わってるんだよ」
「……?」
 遥の神妙な様子に、亨も眉を潜めた。
 昂っていた気分も少しは落ち着き、周囲を見渡してみる。
 榊原や零次は元からあまり表情豊かではないので、よく分からない。
 ただ、冷めた反応の美緒と、心配そうな遥の表情が印象的だった。
「どうしたんですか、皆さん」
 少し不安になって尋ねてみる。
 途端、ペタリと。
 亨以外の四人が一斉に、手持ちのカードをテーブルに差し出した。
「え、ちょ、まさかとは思いますけど」
「勝負はもう、終わってるんだよ」
「は、遥さん……」
「いいのかな、あんなこと言っちゃって。私、手加減知らずの相手には手加減しないよ?」
「お、お前はいつも手加減知らずだろうが……!」
「亨。運の良し悪しはあるものだ。諦めろ」
「ちょっ」
「ビンゴだ。――――俺たち四人、全員な」
 榊原の宣言に、亨はがっくりと崩れ落ちる。
「ちょ、ちょ、ちょっ。そんなのおかしいですよ、普通ここから奇跡の大逆転とか起きるはずじゃないですか!」
「そんなのは漫画の中だけだ。……お前はもう、死んでいる」
 フッ、と零次が勝ち誇った笑みを浮かべる。
 亨は両手で頭を抱え、無残な敗北者へと舞い戻った。
「そもそも四人全員同時アガリってキツイですよ冗談が! 何この展開!?」
「へへん。ヤザキン、今更命ごいはなしだよー」
「く、くそう。まさか、四人全員から罰ゲームを受けろと?」
「それはイジメに近いから勘弁してあげる」
 珍しく美緒が寛大な措置を見せた。
 亨は思わず安堵し表情を崩す。
 しかし、美緒はそれを狙って宣告した。
「ただし、罰ゲームの内容は四倍くらいキツイかも」
「えっ!?」
 亨が不安に慄く中、四人は集まってゴソゴソと話し合いを始めた。
 罰ゲームの内容を協議中らしい。
「そ、それは矢崎君が引きこもりになっちゃうんじゃないかな……」
「ふむ。ではこういうのはどうだろう」
「おい久坂、矢崎を殺す気か。そんなもんにあいつが耐えられるとは思わん」
「お義父さんも甘いねー。私だったらこれこれこうして」
 聞くだけで寒気のする会話だった。
 自分の身に何が起きるのかを想像すると、妙に落ち着かない気分になる。
 やがて四人が一斉に頷き、代表として美緒がやって来た。
 美緒が来た、という時点でかなり不吉である。
「えー、ヤザキン。罰ゲーム発表しまーす」
「早く言えよ……どうせろくでもないものなんだろ」
「やり方次第じゃ無傷で終わるよ? 肉体的にも精神的にも」
「……本当か?」
 疑わしそうに問いかける亨に、美緒はにんまりと笑みを浮かべた。
 さぞかし嬉しいのだろう。
 とても楽しそうに、美緒は罰ゲームの内容を宣告する。
「――――お兄ちゃんに気づかれず、丸一日尾行すること」
 無茶だった。

 倉凪梢。
 榊原家筆頭家老にして台所マスター。
 他にも掃除大臣、洗濯の騎士などの称号を持つ、日常面で言えば最強の男である。
 彼は人間を超越した異法人でもあり、零次や亨と同じ存在。
 戦闘面ではあまりパッとしないが、気配を探知したり遮断したりする術だけは馬鹿に優れている。
 その彼を丸一日尾行しろという。
「無理だろ絶対」
 そう思いながらも実行している、悲しい立場の亨だった。
 現在時刻は午前二時。
 梢の部屋のすぐ側に亨は潜んでいる。
 部屋の障子などに近づくことはしない。
 それだけで梢は起きてしまうだろう。
「いる、よな?」
 亨は地面に耳をつけて、部屋の中の音を探る。
 寝息一つ立ててないからよく分からないが、かすかに人の気配がしないわけではない。
 寝てるときでさえこれなのだから溜まったものではない。
 そのとき、室内で音がした。
 どうやら梢が布団から起き上がったらしい。
 亨は一瞬気づかれたかと思ったが、そういうわけではないらしい。
「ふあぁぁ……よく寝たっと」
 寝たのかよ。
 確か最後に起きている梢を確認したのは、午前零時。
 少なくとも二時間以上は寝ていない。
「さてと」
 ごそごそと音がする。
 どうやら着替えているらしい。
 続いてばたん、という音も聞こえてきた。
 布団を畳んで押入れにしまったらしい。
 ということは、今夜はもう寝るつもりがないということか。
「ふんふんふふーん」
 上機嫌に鼻歌なんぞを歌いながら、梢は部屋からひょっこりと出てきた。
 寝起きにしては元気が良すぎる。
 元々眠りが浅いのだろうか。
 寝ているときは死んだように眠りこけているようだったが。
「さて、今夜もパトロールといくか」
 梢の部屋の外は縁側になっている。
 梢は無造作に縁側から飛び立ち、庭の塀の上にのぼった。
 亨は予め死角に隠れているため、まだ気づかれていないらしい。
 そのまま梢は隣の家の屋根へと飛び移ってしまったので、亨は廊下の隅から出てきた。
 後を追わなければ見失いそうだが、このままついていっては確実にバレるだろう。
 しかし尾行するのであれば、どうにか気づかれずについていくしかない。
「今更ながら無茶してるなぁ、僕」
 なにせ亨の気配遮断能力が50だとするなら、梢の気配探知能力は200を超えるだろう。
 そんなものを相手にしなければならないこの状況は、異法隊時代の任務より厳しい。
 それだけに血が騒ぎ出すのだが。
「ふふふ、意外と面白いですね。この尾行ごっこは」
 ヤザキン、やっぱストーカーの資質あるね。
 そんな美緒の声が脳内に響いたが、亨は即座にそれを抹消した。

 梢の行動範囲は無茶苦茶広かった。
 山中を含め、秋風市全域を見て回っているのだ。
 午前二時に出ていたはずなのに、帰ってくる頃は既に陽が昇りつつあった。
「ふぅ、疲れた」
 いい汗かいた、と言わんばかりに爽やかな朝を迎える梢。
 それにこっそりとついていった亨はというと、神経をすり減らして死にそうな顔をした。
(ま、まさか本当に秋風市全域を徘徊してるなんて……)
 人間業じゃなかった。
 事実人間ではないのだが。
 高層ビルの間を次々と飛び回ったり、山中の木々を掻い潜ったり、民家の屋根の上を走り回ったり。
 梢がいる限り、秋風市の夜に事件は起きないような気さえしてくる。
「さーて飯飯」
 果たして梢に眠気は存在するのか、彼はそのまま足を台所へと向ける。
 亨はというと、榊原家の屋根に上って溜息をついていた。
「こんなのいつまで続ければいいんだ……」
「ご苦労だったな」
「どわああぁぁっ!?」
 突如背後から聞こえてきた声に、亨は仰天してひっくり返った。
 空が真下に見え、やがて中心に見知った顔が現れる。
「何を驚いている。そんな調子ではあと十九時間耐えられんぞ」
「れ、零次! 貴方まで気配を消して突然現れないでください!」
「俺は気配を消してなどいない。お前が倉凪へ意識を集中し過ぎだったのだ。まるで隙だらけだったぞ」
「……ぐあ」
 今にも泣きそうな顔で、亨は呻き声を漏らした。
「まぁいい。さすがにこの罰ゲームは難易度が高すぎるからな、俺も手伝うことにした」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ。決して暇だからではないぞ」
「いや、まーこの際理由はどうでもいいんですけどね」
 援軍が来るのは純粋にありがたい。
 特に零次は頼りになる存在の一人だった。
「では頼みま……」
「――――何やってんだお前ら。飯できたぞ」
 今度は驚かなかった。
 というか、驚いている余裕すらなかった。
 いつのまにか梢が、背後にいる。
 零次は亨より先に感づいたらしく、目を見開いているもののさほど驚いていない。
「しょ、梢さん。今の話聞いてましたか?」
「話? いや、今来たとこだけど」
 梢は嘘をつけるタイプの人間ではない。
 ということは、本当に話は聞かれていなかったとみていいだろう。
「ま、さっさと来いよ。後、美緒と師匠起こしてきてくれ」
 さっさと言い捨てて、梢は屋根から飛び降りてしまった。
 それを見下ろしながら、亨と零次は同時に呟いた。
「難儀だ……」
 全く、難儀である。

 食後は少しだけ休む余地があった。
 梢は台所で洗い物をしているので、隣の居間にいればいいのだ。
 呑気にテレビを見ながら明け方の疲れを癒す。
「そういえば零次、冬塚さんとは仲直りしたんですか?」
「いや、今回はなかなか許してくれん。たまにはと思って食事を俺が用意したのだが、好みに合わなかったようだ」
「零次のサバイバル食品なんか僕も食べたくありませんよ。でもそれだけでそこまで怒りますか? 今更なことじゃないですか」
「気になる発言だが今は置いておこう。問題はその後だ。冬塚に習って料理を作ってみたのだ」
「へぇ、どこぞのリーサル娘みたく、殺人料理ができたとか?」
 ちなみにリーサル娘は今この場にはいない。
「失礼な。きちんと完成させた。ただし少々失敗が過ぎてな。鍋とボウルを粉砕し、皿を二枚割ってしまった」
「……それはまずいんじゃないですか」
「ああ。さらに冷蔵庫の中身を大半使い切ってしまったのがまずかったらしい」
「うわぁ。冬塚さんも、途中で止めればいいのに」
「いや、彼女が少々席を外しているうちに夢中になってきてな……」
「勝手にやったんですか!? それは怒られますよ」
「代金は置いてきたのだがな……」
 むむぅ、と零次が唸る。
 亨はその光景をありありと想像できることに、妙なおかしさを感じた。
 だが涼子からすれば笑い事ではないだろう。
「で、冬塚さんに相手にしてもらえないから暇なんですか」
「水島は高坂と遊びに行くらしいし、沙希はバイト探しで忙しいらしいからな」
「沙希って、店長の娘さんですか? もう名前で呼ぶなんて、零次も隅におけないですねぇ」
「妹のようなものだからな」
 そんなことを話しているうちに、梢が台所から出てきた。
「あんまりゴロゴロしてると身体なまるぞー」
 さして深い意味の込められていない言葉を送り、梢はそのまま居間からも出て行く。
 それまで雑談に興じていた二人は、不自然にならないよう会話を終わらせ、こっそりとついていく。
 廊下の方から聞こえる梢の声は、
「さて、今日はさっさと掃除でも済ますか。洗濯は遥がやってくれてるし」
 掃除と聞いて、零次たちの耳がぴくりと動いた。
「聞きましたか、零次」
「ああ聞いた。倉凪七不思議の一つが、今明かされるのか……」
 知らず知らずのうちに緊張感が高まっていく。
「亨、一つ妙案を思いついた」
「なんですか?」
「倉凪の正確性を確かめる。美緒にも協力を求めるぞ」
 零次は珍しく、好奇心丸出しの顔となっていた。

 それから数分後、梢は美緒の部屋の扉をノックした。
「美緒、いるか? 入るぞ」
 デリカシーのない男、倉凪梢。
 妹の部屋だろうが他人の部屋だろうが、榊原家内の部屋ならどこにでも入る。
「げっ」
 部屋に入るなり、梢は顔を引きつらせた。
 美緒の部屋は、人の住む部屋とは思えないほどに散らかっている。
 漫画はあちこち地面に置かれ、学校のプリントや教科書は机の上に放り出し。
 ゴミ箱にはデタラメな量の紙切れが押し込まれ、半ば開いたクローゼットの中は衣服がもみくちゃに押し込まれていた。
「なんて部屋だこりゃあ……我が妹ながら凄まじいな」
 それを影で見ている者たちがいた。
 零次、亨、美緒の三人である。
「倉凪がどうやって掃除するか。それを確かめるため、部屋を予め汚しておく。ここまでやれば、倉凪の真価が発揮されよう」
「っていうかほとんど手を加えてませんけどね。もとから凄い散らかりよう……」
「ヤ・ザ・キ・ン? 私今機嫌いいから、お昼御飯作ってあげるよ」
「ゴメンナサイ」
 ちなみに三人は美緒の部屋、その天井裏に潜んでいるのだった。
 眼下では梢が腕まくりをして、片付ける気満々のようである。
「ったく、これで嫁の貰い手いるのかねぇ……亨にでも引き取ってもらうか? ま、結婚しなけりゃ死ぬわけじゃないし別に心配しなくてもいいか」
 随分と無茶苦茶言っていた。
 美緒は顔を紅潮させ、拳をわなわなと震わせていたが、どうにか抑えていた。
「さーてと、ちゃっちゃとやるか」
 特別なことをするわけでもなく、梢はまず漫画を本棚にしまっていく。
 数分でその作業を終えると、今度は学校のプリントをまとめ始めた。
 梢の持つ『植物の力』で何かをしているのでは、と思い込んでいた亨は落胆した。
 普通の片づけを見物していても、面白くもなんともない。
 やがて、亨にとって面白くない十五分が過ぎた。
 梢は片づけを終えると、次の部屋に向かうため、さっさと出て行ってしまった。
 そっと天井裏から降りて、亨は嘆息する。
「つまんないですね。もっとこう、どばーんと何かやってるものだと」
「うむ。倉凪、普通に掃除していたな……あの惨状を十五分で収めたのは大したものだが」
「……そう? もうちょいよく見た方がいいんじゃない?」
 美緒は難しい顔つきで、まず本棚を示した。
 そこには少年漫画、少女漫画、ライトノベルから成年コミックなど、様々な本が置かれている。
「あれ? 結構綺麗に置かれてますね……1、2、3、4、5……どの漫画も巻数順になってますよ」
「ちょっと待て。いちいち確認している風ではなかったぞ。適当に押し込んでるだけに見えたが」
「全部、覚えてるんだよ。多分」
 さらりと美緒がとんでもないことを言った。
「覚えてる? ぜ、全部を?」
「そだよ」
「待てよ倉凪。いくらなんでも冗談キツイって。梢さんあんまり記憶力良くないじゃん」
 本の配置全部覚えていられるわけがない。
 そう言おうとしたところを、零次が遮った。
「まさか、思考としてではなく、経験から記憶していると?」
「そう。さっきも“考えて”置いてる感じじゃなかったでしょ。迷わずせっせと片付けた」
「……」
「多分だけど、お兄ちゃん身体でこの家のこと全部覚えてるんじゃないかな」
 そう言えば、何度かそういったことがあった。
 例えば零次が、ゲームソフトを探しているとき。
 梢に聞けば、なぜか一発で言い当てられたものである。
 なぜ、と問われると、梢は「なんとなく」と答えた。
「れ、零次。プリント類も全部教科別にまとまってますよ!?」
「それも直感でやったというのか……!」
「お兄ちゃん、家事のことになると『僕は自動的なんだよ』ってな感じになるからね」
 倉凪梢。
 彼は戦闘などではあまりパッとしない。
 しかし、日常面では恐ろしい男だった。

 今、梢は凄まじい争いに身を置いていた。
 多くの猛者たちが獲物を求め、相手を押しのけ、目的達成のためだけに驚異的なパワーを発揮している。
 参加しようとする意志さえ奪うような、そんな恐ろしい光景。
「凄いですね」
「ああ」
「よくできるね、我が兄ながら」
 三人は気配を隠していない。
 今の梢ならば、こちらに意識をやっている余裕はないだろう。
「ではこれより――――卵一パック1円のサービスタイムとさせていただきます!」
 実際のところ、三人の耳には卵の「たま」の部分までしか聞こえなかった。
 その時点でブロッコリー争奪戦を終えた主婦たちが、一斉に卵に殺到したからである。
 梢の姿も当然のように、その中に混じっている。
「ちょっ、どいて!」
「それあたしのだ! 割るな!」
「邪魔よっ、どきなさい!」
「ええい、その卵貰ったァァァ!」
 傍から見てると地獄絵図のようにしか見えない。
 しかもいつのまにか、その中にもう一人知人の顔が混じっていた。
 梢も気づいたらしい。
 他の主婦にもまれながらも、どうにかその名を呼ぶ。
「よ、よう冬塚! どうしたこんなところで!」
「あー! 先輩ですか!? あのですね、あるお馬鹿さんがうちの食材ほとんど使っちゃったんで! 買い物に来てるんです!」
 その会話が亨と美緒の耳に飛び込んできた。
 二人は半眼で零次に視線を送る。
 零次はこめかみに脂汗を浮かばせながら、頭を振った。
「悪意あってのことではない」
「でもこの買い物もう一回するハメになったら、誰だって嫌だと思うけど」
「サービスタイムではなく、普通の買い物にすればいいのではないか?」
「それができないんだと思うよ。涼子ちゃん、お兄ちゃんなんかよりずっと財政感覚厳しいから」
 一方では梢と涼子の会話が続いている。
 人込みの中での会話なため、両者ともに声が大きい。
「冬塚、お前さっきのブタコマ取ったか!?」
「はい、取りましたっ! それがどうかしましたか!?」
「取引だ! 今晩すき焼きにしたかったんだが、肉の獲得に失敗した! 肉くれ、代わりに今日はお前も家で食ってってくれ!」
「悪くない、取引ですねー! でも零次と顔合わせると、文句言っちゃいそうなんですが!」
「言いたきゃ言っとけ! 言いたいこと言い合えないなんて、ケチな仲じゃないだろお前ら!」
「それは、そうなんですけどー……」
「文句言って仲直りすりゃそれでいいだろ。会わなきゃ仲直りもできんぞ」
「零次はどう言ってましたか?」
「あいつはあいつなりに悩んでるようだったぜ」
 少しずつ人込みから抜け出しながら、二人は話し続ける。
 その間に、三人は既に何処かへ隠れていた。
「……ま、お金はちゃんと払ってたしそろそろ許してあげよっかな。お釣り払わないといけないし」
「んじゃ、取引成立な。肉くれ肉」
「先輩、買い物になるといつもより三倍正直になりますねー……」
「それくらいでないと耐え切れんぞ」
 さも当然といった様子なのである。
 梢は涼子から肉を受け取り、スーパーから出た。
 野菜や肉、魚などがたっぷりと入った買い物袋が見るからに重そうである。
「それじゃ、先輩。私美緒ちゃんに借りてたもの取ってから行きますんで」
「おう、了解。んじゃな」
 駆け足で去っていく涼子を見送ってから、梢はしばらくぼーっと突っ立っていた。
「あ、そだ。久しぶりにあっち行ってみるかな」
 何か思いついたらしい。
 重そうな袋を両手に下げたまま、梢は急ぎ足で新興住宅街の奥――朝月町の墓地へと向かっていった。

「零次、ここは……」
「ああ……彼らの墓があるところだな」
 梢の後をこっそりとつけながら、三人はこそこそと囁きあう。
 それは去年の春から夏にかけての事件で、命を落とした人々のことだった。
 この墓地には三人の知り合いも眠っている。
 だが梢は、それらの墓だけでなく、もっと奥の方へと足を進めていく。
「この先も墓地が続いてるんですかね? なんかただの山道に見えるんですけど」
「どうだろうな。美緒は何か分かるか」
「あ、うん。多分あそこじゃないかな」
 美緒はどうやら梢の行き先に心当たりがあるようだった。
 それから数十分。
 墓地を抜けてから、道とも言えぬ道を進んできた。
 どこかの山の中だということ以外には何も分からない。
 段々日も暮れてきた。
 周囲は夕闇に包まれ、ほんのりとした夕焼け空が広がっている。
 やがて、梢は開けた場所に出た。
 そこは先ほどの墓地よりも更に見晴らしのいい場所で、遠くには三嶋教習所が見える。
 さらに笹川邸も確認できたし、駅付近の高層ビルも見ることが出来た。
「うわぁ……いい景色ですね」
 亨が感嘆の声を漏らす傍ら、零次は梢の前にあるものを見ていた。
「あれは……二つの墓、か?」
 墓石にしては粗末なものだった。大きな岩を削って作ったように見える。
 世間の目を避けるような、けれどもとても見晴らしのいい場所に建てられた墓。
 人々の手が届かない場所から、人々を見守っている墓。
「――――よう、久々に来たぜ」
 梢は買い物袋を両手に持ったまま、墓石に向かって「よっ」と手をあげる。
 当然返事はあるはずもない。
 梢もそんなことには期待しておらず、ただ独白を続けた。
「こんな静かでのんびりな場所に墓建てろなんて、あんたらしくもないと思ってたけど……最近じゃ、それも分かるような気がしてきたよ」
 梢の両手に、緑色に輝く魔力が蓄積されていく。
 やがてそれは、二つの花という形になって顕現した。
 片方は綺麗な花だが、もう片方はお世辞にも見栄えのする花とは言い難い。
「――――親父はハシバミ。母さんはアイリスだな」
 その言葉に、零次たちは息を呑んだ。
 この二つの墓は、どうやら今は亡き梢たち両親の墓らしい。
 美緒が知っていたのは、こういう訳があってのことなのだった。
「しっかし親父は変なもん好きだよなぁ。花言葉が好きなんだっけ? 仲直りとか和解とか。久坂と冬塚にくれてやろうかね」
 からからと笑いながらも、梢の声はどっしりと落ち着いたものになっていた。
 落ち込んでいるという感じではなく、なんというか、物思いに耽っているように見えるのだ。
「……こっちは皆元気にやってるよ。とてもいい感じだ」
 そう言ったかと思うと、梢はいきなり後ろに向かって、
「そうだろ? そこの暇人三名」
「うあ」
「あちゃー」
「やっぱり」
 バレていた。
 どこからバレていたのかは知らないが、完全にバレていた。
 のそのそと隠れていた草むらから出てきて、美緒は墓の前に立った。
 その肩を梢がポンポンと叩き、
「ほれ、たまには親父と母さんに何か言っとけ」
「ええーっ?」
 いきなり言われて美緒は戸惑いの声をあげる。
 元々墓参りのつもりなど毛頭なく、ただ梢の後をついてきただけなのだ。
 美緒はどうも、こういた湿っぽい雰囲気が好きにはなれない。
 だから手短に、梢にとって言って欲しくないであろうことを告げた。
「えー、お父さん、お母さん。あんま実感ないからって、墓参りもあんまり来ないですみませんでした」
 両親が死んだ頃、美緒はまだ物心がついてないも同然の年頃だった。
 そのため両親についての記憶は皆無といっていい。
 だからか、梢ほど両親に対する思い入れは深くなかった。
「最近うちの兄は無自覚な女たらしになりつつあります。お義父さんの話に聞くお父さんみたいになりつつあるのでしょうか。お母さんなんとかしてください。妹として私は心配です」
「お前なぁ……いきなり何言ってんだコラ!」
「あーっ、いいのかな? お父さんとお母さんの前で妹に乱暴するのかなぁ?」
「ぐっ、この娘っ子は……」
 などと言いながらも、兄妹はさして険悪な雰囲気になることもなかった。
 それもこの場所のおかげかもしれないな……と、亨は思っている。
「さて、それじゃ顔見せも終わったし、帰るか。冬塚を待たせたら悪いからな」
「ああ、そうだな。これ以上怒らせたら怖い」
 本気とも冗談ともつかない顔で零次が呟く。
 その言葉に、三人は揃って笑い声をあげるのだった。

「そういやなんでお前ら、俺の後をつけてたんだ?」
「罰ゲームですよ。昨日のビンゴ大会で、梢さんに気づかれずに一日尾行しろってのが」
「あー、なるほど。だから朝からいたのか、大変だったな」
「……最初から気づいてたんですか」
「それじゃ、ヤザキン罰ゲーム失敗だね。別の罰ゲームやんないと」
「えっ!?」
「既に別のは考えてあるんだよー。はいっ、久坂さん発表!」
「笹川邸に赴き、小摩木源五郎氏の前で笹川志乃に――――」
「それは本当に殺されるからやめてーーーー!」
 とりあえず、彼らは今日も元気でした。