異法人の夜-Foreigners night-

-日常編-
父の日の贈り物
 それは六月の第二日曜のこと。
 いつものごとく家で平穏な日々を過ごしていた零次の耳に、ある言葉が飛び込んできた。
「そういや、もうすぐ父の日か」
「だね。今年もアレでいっかな?」
「いいんじゃねぇか? あとはちょいとご馳走でも用意して」
 倉凪兄妹の会話だった。
 零次はのっそりと起き上がり、居間でテレビを見ながら話している二人に、
「……父の日とは、なんだ?」
 いきなりそんなことを尋ねてきた零次をきょとんと見ながらも、美緒は指を立てて説明を始めた。
「父の日ってのはね。お父さんに感謝する日」
「ふむ」
「で、日頃のお礼ってことで何か贈り物をしたりするのよ」
「そうなのか……知らなかった」
 なにせ父だの母だのといった言葉とは程遠い人生を過ごしてきたのだ。
 零次が知らないのも無理はない。
「ということは、榊原さんに何か贈り物を用意すべきか」
 血は繋がってないし、戸籍上の家族と言うわけでもない。
 しかし今の零次にとって、父と言えば榊原幻しか該当者がいない。
「お前たちは何を贈るつもりだ?」
「俺と美緒は毎年決まったものを贈ってるからな。一般的じゃないしアドバイスにはならんと思うぞ」
「ちなみにお兄ちゃんは日本刀、私は屏風」
「おそろしく豪勢だな」
 現代に生きる武士という印象のある榊原には似合っているが、あまりに常識離れしている。
 とてもじゃないが、零次には用意出来そうになかった。
「今回は一戸の旦那の紹介で腕利きの職人さんに頼めることになったからな。なんでも同田貫を作ってくれるらしい。俺は来週の土曜、泊りがけで貰ってくるわ」
「私は幸町さんに紹介してもらったよ。割と安めのやつで頼んだけどね。あんま高いとさすがに買えないし」
「……」
 当たり前のように話す二人を見ていると、なんだかこれが父の日の正しい在り方のように思えてくる。
(……俺も何か、芸術品の類を贈った方がいいのだろうか)
 悩んだところで結論は出そうにない。
 とりあえず零次は、榊原が欲しそうなものを調査するために――――榊原の部屋へ向かうことにした。

「で、来たわけだが……なぜお前がここにいる」
 あまり立ち入ったことのない榊原の部屋。
 なぜかそこには、矢崎亨の姿があった。
「あはは、零次もあれですか? 冒険したいお年頃みたいな」
「生憎俺は人生ブレーキ送りバント大好き人間だ」
「はぁ、よく分かりませんけど……それじゃ、何でここに?」
「榊原さんの好みそうなものを調査しに来た。何でも父の日というやつが近いらしいからな」
「あ、父の日ですか。僕もよく兄さんにプレゼントしたりしてましたよ。本とかCDとか」
 父の日なのになぜ兄に贈るのかはよく分からなかったが、その辺りは流しておくことにする。
 零次にとって最優先事項は、榊原の好みそうなものを調べることにある。
「何か面白いものはあったか?」
「んー、とりあえず最初に見つけたのはこれですね」
 と、亨はアルバムを取り出した。
 結構古そうなもので、埃をかぶっている。
 開いてみると、今よりも画質が遥かに劣る写真が現れた。
 そこにはまだ若々しい榊原の姿が写っている。
 今の榊原しか知らない零次たちは、かなり奇妙に感じた。
「ほう、朝月学園か。制服は今と微妙に違うようだな……」
「校舎の形もちょっと違いますよね。時代を感じるなぁ」
「む。見ろ亨、女性と腕を組んでいるぞ」
「榊原さんにもこんな時期があったんですねぇ。今じゃ身近にほとんど女性いないのに」
「ううむ。……稽古着姿で見知らぬご老体と共に写っているな。これが榊原さんの師か」
「トロフィー持って嬉しそうにしてますね。今じゃ想像つきませんよ」
「この爽やかな笑顔……少々不気味だな」
「――――――ほほう」
 不意に、心臓が止まったような気がした。
 振り返る。
「あ」
「……よう」
 恐怖の権現が、いつのまにか背後に立っていた。
「家に帰ってきてみりゃ部屋から気配がする。こっそり入ってきたらお前らがいた。さて――――何してるたわけども」
「失礼しましたー!」
 榊原が何か言う前に、二人は即座に部屋から飛び出した。
 下手に言い訳するよりは問答無用で逃げた方がいい。
 夕食時になれば、榊原も忘れていることだろう。
「しかし、相変わらず天我不敗流は気配能力が凄まじい」
「気配察知、気配遮断は天我不敗流の基本ですからね。元々実戦というか、暗殺向きというか。まぁ、かなり特殊な立場にいた人が創設したものらしいですし」
「いやに詳しいな」
「梢さんのおかげですっかり詳しくなりましたよええ」
 亨は一時期梢にハメられて天我不敗流を学んだことがある。
 あまりの厳しさに耐え切れず、今はもう止めているが、事情通になってしまっていた。
 無論、あまりいい思い出ではない。
「……もう榊原さんの部屋を調べるのは無理そうだな。どうする」
「あ、そうだ」
 亨はいかにも名案だ、という風に手を打った。
「遥さんに聞けばいいんですよ。彼女なら去年の今頃はもうここにいましたし、僕らとは今の立場似てるはずです」
「成る程。確かに遥は去年からここに滞在するようになったばかり。何を贈るか、参考になるかもしれんな」
 遥は今朝から外出している。
 零次はポケットに入れていた携帯電話を取り出し、電話帳から彼女の番号を選んだ。

「はぁ……今日も良い天気だねぇー」
 ここは一戸神社。
 付近では有名な神社で、なんでもこの地域に昔から伝わる神様を祀っているらしい。
 かなり古き時代からあったらしいが、何度か修繕が繰り返されていたため、割と綺麗である。
 遥は雅たちと作った同好会で何度かここを調べたことがあるので、そこそこ詳しくなった。
 それはまた別の話として、今日彼女がここに来ているのは巫女のバイトがあるからだった。
 たまに来ては神社の手入れをする程度のものであり、給料はあまり高くない。
 だが遥はこの落ち着いた場所が好きだったため、文句などは何一つなかった。
 今は境内の掃除も終わり、賽銭箱の手前にある階段で一休み。
 そこに竹刀をぶら下げた男がやって来た。
「あ、一戸先生」
「……ああ榊原か。すまん、一瞬ゆきねと間違えた」
 そう言って、一戸伝六は半端に上げた手を気恥ずかしそうに下ろした。
 彼はその姓が示すとおり、代々この神社の管理を任されている家の人間である。
 今は学校の教師としてバリバリ働いているが、父親が死亡した際には辞職して神主を継ぐという約束があるらしい。
 幸い彼の父親はまだまだ元気なので、しばらくは一戸も教師を続けられそうである。
「いつもすまんな。俺も父も、その……掃除が壊滅的でな」
「いえいえ、お仕事ですから」
 二人に任せると神社が壊れるとはゆきねの談。
 実際遥もその光景を見たことがある。
 一分待たずに止めに入ってしまう有様だった。
「先生は稽古ですか?」
「そんなところだ。最近暑くなってきたからか、すぐにバテる奴が増えてきて困る」
 一戸は剣道の有段者であり、実力は相当のものだった。
 現在彼は、土日に地域の子を集めて剣道教室を開いている。
 今はその帰りなのだろう。
「本当は夕方まできっちりやりたかったんだがな。子供たちの顔色が悪くなってきたから、今日は早めに切り上げたんだ」
「そうなんですかぁ……」
 遥はどこか含みのある声を上げた。
 一戸の視線が微妙に逸れる。
「今日は元々ゆきねさんの担当日だったから、早く帰ってきたんだと思ったんですけど」
「あ、あいつは関係ない。妙な勘繰りをするなっ」
「はい、分かりました」
 クスクスと笑って遥は頷いた。
 彼女にここの仕事を紹介した山口ゆきね。
 普段は喫茶店『夢里』の店長代理をしている人である。
 そんな人と一戸がどんな関係なのか。
 遥はまだはっきりとは分かっていない。
 一戸やゆきねの周辺も、色々と複雑な事情がありそうだった。
「そう言えばもうすぐ父の日ですけど、先生は何をプレゼントするんですか?」
「あのハッスル爺はエレキギターが欲しいと言っていた。まぁそんなものをくれてやるつもりはない。新しいゲートボール用のボールでもやるつもりだ」
「ぼ、ボールだけですか?」
「足りないと言うようならマジック用の『くっついてるトランプ』もつければいい」
「あの、関連性が全くないように思えるんですが……」
「気にするな。去年、浮き輪と使い捨てカメラで満足した爺だ。問題ない」
 そこまで強く言われると、遥としてもそれ以上言えることはない。
 これでいて一戸親子はそんなに仲が悪いわけではないので、部外者の遥が口を挟んでも仕方がない。
「うーん……」
「何を贈るかで迷っているのか?」
「……はい、実は何を買えばいいのかまるで分からなくて」
 はぅ、と溜息をつく。
 去年はネクタイとスーツを買ったのだが、今年は別のものにしたかった。
 なぜなら榊原はネクタイにしろスーツにしろ、既に大量に持っている。
 これ以上贈ったところで場所を取るだけになってしまいかねないのだ。
「料理とかはプレゼントにならないし、私に出来ることじゃ限りがあるし……どうすればいいのか、ちょっと悩んでます」
「ふむ……」
 一戸は教師の顔になって唸った。
 遥にとって一戸は特別世話になった相手ではない。
 しかしこんなときの彼を見ていると、梢たちが慕うのも頷ける気がする。
「榊原……幻さんが好みそうなものは、和風のものだな」
「梢君は日本刀、美緒ちゃんは屏風を贈るって言ってました」
「ああ。で、お前が用意出来そうなものは何か」
「……温泉旅行とか」
「あの人は忙しいと聞いている。時間が取れるならばいいが、そうでないなら旅行系は控えるべきだな」
「んー、座布団は家にあるし。扇子も持ってる。……えーと、えーと」
 考えれば考えるほど駄目な結果ばかりが浮かんでくる。
 やがて十個目の案を述べた辺りで、遥は力尽きた。
「思いつきません……」
「そうか。まぁ確かに、普通に買える和風のものは揃ってるだろうしな」
「うぅ」
「そう悲観するな。そうだな、買えるものが駄目なら別の手を使えばいい」
 一戸はそう言いながら、手にしていた荷物を置いて奥へと向かった。
 神社の奥地には一戸親子が暮らす家がある。
 すぐに一戸は、そこからあるものを取って戻ってきた。
「これが何だか分かるか、榊原」
「……湯飲み、ですか?」
 少し答えるのに戸惑ったのは、湯飲みの形が変わっていたからだった。
 家にある湯飲みと比べると、表面がやや歪。
 見た目はあまり綺麗ではなかったが、なにやら頑丈そうだった。
「これは俺の作品でな。見栄えは悪いが頑丈で飲み心地も悪くない」
「へぇ……」
 感嘆の眼差しで湯飲みを見つめる遥。
 一戸は少し照れ臭そうに、
「……まぁ今のは身内の意見なんだが。贈り物としての効果はそれなりにあると思う」
 つまり一戸は、湯飲みを作って贈らないかと勧めているのだった。
 それは確かに魅力的な提案だったが、
「私に出来るかな……」
 これまで粘土細工すらしたことがない遥にとって、茶器製作には大きな不安が残る。
 何をどうしたら湯飲みになるのかすら、分かってるような分かってないような有様なのだ。
「なに、あの爺がそれなりにやり手でな。奴に教われば、一週間もあれば充分良いものを作れるようになると思う」
「本当ですかっ? そ、それじゃあ……お願いします!」
 こうして、遥の贈り物は決まった。
 ちなみに彼女の携帯は着替えと共にバッグの中。
 ちょうどこのとき携帯が鳴っていたのだが、遥がそれに気づくはずはなかった。

 そして六月の第三日曜日。
 意外にも零次は、既に何を贈るか決めていた。
 その上準備も完全に終えていた。
「ということだ、亨。お前はお前で頑張るといい」
「ここに来てその発言はあんまりでしょうに。僕を、僕を弄んで捨てるんですねっ!?」
 その光景を、遥が見ていた。
 彼女は最初きょとんとした顔だったが、次第に乾いた笑みを浮かべてきた。
 視線をあらぬ方向へやり、気まずそうにそのまま立ち去っていく。
 零次も亨も硬直していた。
「……おい。お前のせいでまた遥にあらぬ誤解をされたぞ」
「いっそ変態ギャグキャラとして再スタートしてみるのはどうでしょう」
「それは店長一人で事足りているッ!」
 とりあえず亨の首を絞め落としておいた。
 以前のセガール事件でも、零次は遥に誤解を受けていた。
 一つ屋根の下に暮らす異性にそういった誤解をされるのは、さすがの零次でも嫌である。
 さらに恐ろしいのは、遥を通してその情報が涼子に流れることなのだが。
「セガール事件のときは酷かった……誤解を解くのにどれだけの労力を費やしたことか」
 思い出すだけで涙が出る。
 と、一人落ち込んでいると、遥は再びてけてけとやって来た。
 なぜか悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「あはは、まぁ冗談は置いといて」
「冗談だと気づいてたのかっ」
 とりあえず額にチョップ。
「いたいたいたたたっ」
「分かっててああいうリアクションは止めろ。心底心臓に悪いっ!」
「み、美緒ちゃん直伝の『必殺ボケシリーズ三十五号』だったのに」
「美緒直伝だと? 道理で性質が悪いはずだ」
 というかボケなのになぜ必殺なのか。
 色々とツッコミどころが多い辺り、確かにボケと言えばボケなのだが。
 十発目辺りでチョップを止める。
 遥は赤くなった額をさすりながら零次をむーっと睨んだ。
「今のはお前が悪い。いかに睨もうと無駄だ」
「むーっ」
「それより、どうかしたのか?」
「うぅ、未来の義弟が暴力的で悲しいよー……」
「誰が未来の義弟かッ!?」
「涼子ちゃんと久坂君が結婚すれば……いたいたいたいたたたたたっ」
 微妙な照れ臭さのせいで威力三割増し。
 終わる頃には、さすがに零次もちょっと気の毒になってきた。
「……すまん、それで、話はなんだ?」
「あうぅぅぅ……未来の義弟が」
「無限ループを繰り返す気かっ! ええい、用件を述べよ、述べてくれ、述べてください!」
 ほとんどヤケだった。
「えっとね……私夕食の準備しなくちゃいけないから、お義父さん迎えに行って欲しいの」
 零次は窓の外を見た。
 結構な量の雨が降っている。
 天気予報では一日快晴のはずだったのだが。
「お義父さん傘忘れたみたいなの。だから、お願い」
「なるほど。そういうことならいいだろう」
 今は倉凪兄妹もいない。
 梢は昨日から日本刀を受け取りに行っているし、美緒は一戸神社の方へ向かっている。
「あの二人はいいのか?」
「うん。電話で確認したけど、大丈夫だって。でもお義父さんは『晴れたら帰る』って言ってたから」
「今日は晴れないだろう、これは……」
 豪雨という程ではないが、長引きそうな雨だった。
 屋敷の中も若干じめじめしている。
「まぁいい、行って来るか。おい亨、起きろ」
「あぁ……そ、そんなパラダイスがっ!? もう僕死んでもいいかなぁ……へぶるぉぁっ!?」
 亨は幸せな夢から一転、強烈な一撃で現世へと呼び戻された。
 今度は遥も、本気で引いているようだった。
「あれ、僕は一体何を。折角ハーレム気分でウッハウハだったのに」
「くだらんことを言ってる暇があるなら行くぞ。何も用意してないならせめて何か買っていけ」
「え、ちょっと首根っこ掴まないでくださいよ。僕小動物的扱いですか? あっ、ちょっ、ぶら下げて持ち歩かないでいただきたいんですがっ!?」
 そのまま二人は玄関から出て行った。

 二人を見送ってから、遥はエプロンをつけて台所へ向かった。
「……さてと、私も準備しなきゃ。今日はご馳走~」
 そう思っていたところで、家の電話が鳴った。
 誰からだろうと思い、受話器を取る。
「もしもし、榊原です」
『俺だ』
 声の主は榊原幻だった。
『悪いが今日はちと遅くなるかもしれん。駅付近で厄介な事件が発生して、これから向かうところだ』
「あ、そうなの?」
『ああ。立てこもりだから少し骨が折れる』
「そうなんだ……あ、場所どこ?」
『駅前の笹川銀行だ。言っておくが、お前は来るなよ』
 そう言って榊原は電話を切った。
 電話の向こう側で何人かの叫び声が聞こえてきたので、結構大事かもしれない。
 詳しいことは分からないが、あまり楽観出来るようなことではなかった。
「大丈夫かな……」
 不安げに呟く。
 もしここに梢がいたらすぐに出ていたのだろうが、彼は今留守だった。
「あ、そうだっ」
 梢はいない。
 だが、彼以上の実力を持った人ならいる。
 遥はすぐさま、電話のボタンを押し始めた。

 雨が降りしきる中、数台のパトカーが銀行周囲をぐるりと囲んでいる。
 そんな中で榊原幻は、スピーカーで犯人に投降を促す課長の横に立っていた。
『いいか、こんなことしても何にもならん! 親御さんが泣くだけだぞ!』
「俺らにもう親はいねェーーーー!」
 銀行内から凄まじい叫びと共に銃声が聞こえてきた。
 悲鳴も同時に上がり、周囲はさらに緊迫した空気に包まれていく。
「課長。あんたそれでいいのか」
「え、いや。こういうもんじゃないの?」
 頭が痛くなってきた。
「ったく。……犯人は三人組のグループ。それぞれ拳銃を所持してるのは確認。あとナイフも持ってるんだったか?」
「はい。全員錯乱してるのか気が昂ってるのか、具体的な要求はまだですね。彼らは皆、笹川系列の会社をリストラさせられた連中です」
「理性よりも感情で動いてる性質かね。面倒な……おい龍、県警の応援はまだか」
「まだです。でも駄目ですよサカさん、勝手に突入とかしないでください。後で睨まれるだけ損ですよ」
「やかましい。事件の早期解決を刑事が願って何が悪い」
 課長を無視して年下の刑事と相談する。
 相手は今年入ってきたばかりの竜野龍一郎という新人刑事だった。
 まだ若いが才気溢れる面もあり、将来が楽しみな逸材である。
 やや環境に埋もれがちなところが、榊原からすれば不満だったが。
「でもどうしますかね」
「とりあえず交渉続行だ。んで、隙を見て……」
「……あんまり滅茶苦茶しないでください」
「保障出来んな」
 榊原は目を細めて銀行の中を覗き見る。
 障害物がいくつかあってよく分からないところもあるが、犯人グループの姿は見えた。
 マスクもせずに顔をむき出しにしており、格好もバラバラ。
 計画的犯行というよりは突発的な犯行にしか見えない。
「素人だな。も少し辛抱して生活してりゃ活路も開けただろうに。自分から底なし沼に飛び込んでどうすんだ」
「いつまで辛抱してればいいんだってとこなんでしょう、連中からすれば」
「なんだ龍、お前あの連中の味方か?」
「そんなんじゃないです」
 そこで話を打ち切り、龍一郎は課長に耳打ちした。
 課長は渋々といった調子で頷き、
『あー、分かった。とりあえず君たちの要求を聞こうではないか』
 説得しようという意志を前面に出せば、相手もムキになってくる。
 それより相手が何を望んでいるか聞き出しながら様子を探る方がいいと、龍一郎が耳打ちしたのである。
 銀行内から、犯人たちのざわめきが聞こえてきた。
「ま、待て。十分待て! 十分後に答える!」
 そのうろたえようを耳にして榊原は肩を竦めた。
「おい龍、殴ってきていいか?」
「駄目ですよ」
「立てこもった後に要求考えようとしてるぞあの連中――――この俺の時間を無駄にしやがって」
「ああもう、そうやってすぐ熱くならないでくださいよ! 情熱系じゃないんですから!」
「なんだ、お前は純情派か」
「あのね二人とも、もうちょっと緊張感持ってよ!」
 場違いな会話をする二人に、課長の悲鳴が投げかけられる。
 だが榊原は全く物ともしていない。
 地位は課長の方が上だが、秋風署の刑事課で実質的な中心にいるのは榊原だった。
 彼からすれば、榊原は目の上のたんこぶなのである。
「新田課長。そうは言っても、この状況だとこうして突っ立ってるしか出来んぞ。俺が突入していいなら話は別だが」
「いや止めてお願いだからサカさん。あなたが暴れると神田署長も困るんだから!」
 新田課長は必死に止めにかかる。
 以前似たような事件が起きたとき、榊原がほとんど単独で事件を解決したことがある。
 被害は皆無、榊原自身は犯人を殴りすぎて手を僅かに痛めた程度だった。
 ただやり方が無茶苦茶で、県警の逆鱗に触れてしまい後々問題になった。
 この件で、かつての刑事課長、現秋風署署長の神田が随分と苦労したことは榊原も聞いている。
 そのため、今回は渋々思いとどまった。
 苛立たしげに煙草に火をつけ、
「まどろっこしいのは嫌いなんだがな……今日はうちのガキどもが何かするってはりきってたから、早く帰ってやりたいんだが」
「へぇ、サカさんにしちゃ珍しいですね」
「どういう意味だこの野郎」
 榊原は普段仕事に専念して、家のことなどあまり口にしない。
 そんな彼が『早く帰ってやりたい』というのは、半年付き合ってきた龍一郎からすれば珍しいことだった。
 榊原は少しそっぽを向いて、
「ま、今日は父の日だからな。こんな日ぐらいは……」
 と、榊原が何かいいかけた瞬間。
 ――――周囲に銃声が響き渡った。
 咄嗟に新田課長が振り返り、
「サカさん突入してないよね!?」
「ここにいますよ課長」
「っていうか課長、心配するとこ違いますよ」
 前線にまで出張る勇気はあるのだが、新田課長はどこか天然だった。
「そ、そうだ! 何があったんだ!? おーい!」
 動揺を隠そうともせず、新田課長のうろたえた声がスピーカー越しに流れる。
 それを意識の片隅に追いやりながら、榊原は銀行内に視線を向けた。
「……ほう」
 何が起きているのか、数秒もせずに理解する。
 ――――中では二人の人物が、立てこもる犯人と戦っていた。

 銀行内には驚愕が満ち溢れている。
 突如拳銃を持った五人組が現れただけでも、人々にとっては非日常。
 そしてさらに――――レインコートを着込んだ謎の二人組みが現れ、先の五人組と戦い始めた。
 ここまで来ると感覚も麻痺してくる。
 感情をどう働かせればいいのかまるで分からず、彼らは黙ってことの成り行きを見守る他なかった。
 驚愕は五人組にも訪れている。
 いつのまにか従業員の中に、レインコートを着込んだ者を発見したのが数秒前。
 彼らのうち一人がそれを発見すると同時に、異変は始まった。
「ぐあぁっ!?」
 まず発見した一人が、レインコートに殴り飛ばされる。
 それに他の四人が気づくと同時、また一人が別のレインコートによって打ち倒された。
 当たり所が悪かったのか、尋常ならざる力で殴られたのか、やられた二人は完全に意識を失っている。
 他の三人は理解する。
 眼前に現れたレインコートは敵だ。
 警察ではないかもしれないが、彼らにとっては脅威に値する敵だ。
 それも、対抗するのが虚しくなるほどに――――強大な。
「ずらかれっ!」
 三人の中でもっとも出口に近い男が宣告する。
 こうなれば人質にしていた従業員に構っている暇などない。
 すぐさま彼らは裏口の方へと駆け出していく。
 が、それを逃すほどレインコートの二人は愚かではない。
 最近は遠のいていたが、こういった荒仕事は元々彼らの得意とする分野なのだ。
「逃がすか――――!」
 レインコートの片割れ――久坂零次が疾走する。
 その速さは、獲物を追う肉食獣を連想させた。
「ひぃっ!?」
 最も出口から遠くにいた一人が、背後に現れた零次を見て恐怖の声を上げる。
 そんなものに構わず、零次は男の首筋に軽く当身を放った。
 抵抗の意志すら跳ね飛ばされ、男はあっさりと倒れ伏す。
 同時にもう一人――矢崎亨も動いていた。
 彼はポケットにこっそり入れておいた錫の塊を、誰にも知られないようにこっそりと滑らせる。
 地を駆け抜ける錫の玉は、闘争する男の足元まで達した瞬間に形を変えた。
「――――青金の輪!」
 亨が小さな叫びを上げる。
 すると錫の玉は輪へと形を変え、男の足に絡みついた。
「ぐあっ!?」
 不意に足元に障害物が出来たせいか、男は前のめりに倒れこんだ。
 起き上がろうとする頃には、既に背後に亨が来ている。
「僕をただのいじられキャラだと思わないことですね」
 男には意味不明であろう勝ち台詞を言い放つ。
 それと同時に、亨は彼の意識を奪った。
「残り一人、外に逃げましたね」
「さっさと追うぞ」
 呆然としている人々を尻目に、二人はすぐさま外へ向かう。
 警察が異常を察して中に踏み込む、数秒前のことだった。

 裏口から出た男は、建物の脇に隠していたバイクを使って走り出した。
 不意を突かれた警察は反応が遅れ、男を取り逃がしてしまう。
 零次と亨が建物を出たときには、男の姿は小さくなりつつあった。
「どうします?」
「走って追いかけるしかあるまい。全力で飛ばせば、まだ追いつける」
「町中であんまり目立ちたくないんですけどねぇ」
「レインコートでしっかり顔隠しておけ。……行くぞ!」
 その言葉を合図に、二人は走ってバイクを追いかける。
 前方を走る男との距離は、そう簡単には縮まらない。
 向こうとて、逃走のために全力なのだ。
 道行く通行人などお構いなしで疾走するため、人々の悲鳴があちこちから上がる。
 さらに異様なのは、それを後から追う二人の姿だった。
 なにしろ速い。
 普通の人間には到底ない脚力で、標的との差を少しずつ縮めていく。
 しかし、いかんせん雨のせいか走りにくい。
 顔を見られないようレインコートを抑えながら走っているのも災いしていた。
「攻撃しちゃいますか?」
「無茶を言うな。町中での騒動は控えろ」
「既に充分騒動になってるじゃないですか」
「だからこそ、これ以上騒ぎを広めるな。……後で怒られる」
 男は駅付近の都市部を抜けて、商店街へと突入した。
 人の数は多少減ったが、道が狭くなっただけバイクの速度も下がる。
「よし、この分なら追いつくぞ」
 零次が、そう呟いた瞬間のことだった。
 バイクを走る男が突然、天に銃を一発放った。
 商店街に轟音が響き渡り、周囲に驚愕が広がっていく。
 その隙を突いて、男はバイクを捨てて脇道へと駆け込んだ。
「しまっ……!」
 零次たちは慌てて後を追う。
 男が入ったと思われる道は、そのまま住宅街へと繋がっていた。
 万一住民に被害でも出たら大事である。
「早く追わねば!」
「分かってますって!」
 零次たちは二手に分かれる。
 亨が地上から追い、零次は屋根の上から男の姿を探す。
 男の姿はすぐに見つかった。
「亨、真っ直ぐ進んだところを突き当って左! 早くしろ、逃げられる!」
「了解っ!」
 亨はわずかに身体を沈め、一気に跳躍した。
 ほぼ一瞬で突き当りまで跳び、視線を左に向ける。
 そこでは、男が拳銃を片手に車を強奪していた。
 元々の持ち主を慌てて引きずり出し、エンジンをかける。
「やばっ……!」
 跳躍の反動を抑えて亨が再び踏み込んだときには、車は既に発進していた。
 屋根から飛び降りた零次も合流し、車が走り去った道路へ出ようとする。
「法定速度無視の車相手は疲れるな」
「追うしかないでしょう」
「分かっている。行くぞ」
 と、二人が再び踏み込もうとした瞬間。
 眼前を一台のパトカーが駆け抜けていった。
 本気を出した零次たちと同程度の、凄まじい速度である。
「今のは……」
「榊原さん、でしたよね」
 零次たちは確かに確認した。
 煙草をくわえながら片手で運転し、片手でこちらに手をあげていた榊原の姿を。
「あ」
「む」
 そんなとき、二人にメールが届く。
 送り主は榊原だった。
 本文は至って簡潔。
 だが、信頼に足る言葉だった。
『犯人逮捕は刑事の仕事だ。任せろ』

 豪雨を物ともせず、凄まじい速度でパトカーが駆け抜けていく。
 運転するのは秋風市在住、警部補榊原幻。
 片手で運転し片手で携帯をしまい終えた彼は、ようやく前方の相手に集中する。
 助手席に座る龍一郎は心配そうに彼を見ていた。
「あ、あの! サカさん、この速度はマズイと思うんですけど。じゃなくて、せめて携帯いじりながら運転するのはやめてくれませんかっ!?」
「心配するな。これでも、秋風ナンバー1の走り屋――――の幼馴染だ。心配いらん」
「いや、全然安心出来ませんよ!?」
「あ、違うな。あいつはもう"走り屋"は引退してっから……元走り屋の幼馴染か」
「実質的には変わってませんけど、なんかすんごい不安になりましたっ!」
「ええい、男がギャーギャー喚くな五月蝿い。黙って俺について来い」
 言葉と共に、榊原はより強くアクセルを踏み込む。
 もはやジェットコースターに乗っているような気分だった。
 眼前の車との距離はどんどん縮まっていく。
 障害物がないのもあるが、榊原の度胸による部分も大きい。
「だ、大体どうしたんですかいきなり! パトカー拝借して犯人追うなんて!」
「馬鹿野郎、一人ぐらいは俺らがとっ捕まえた方が面子立つだろう?」
「そんな理由ですかっ」
「冗談だ。警察の面子なんざ俺はどうでもいい。俺は俺の面子のために動いてる」
「ど、どういうことですか?」
 龍一郎が戸惑いがちに問いかけてくる。
 相手の男との距離はもはや僅か。
 そこで榊原は獰猛な笑みを浮かべ、
「父の日なんだからよ――――親父らしく、格好つけたいだろ?」
 言葉と共に、車体が斜めになる。
「……え?」
 あまりの事態に、龍一郎の表情が凍りついた。
 やがて車の角度はどんどん傾いていき、
「か、壁を疾走するつもりですか!?」
「漫画じゃあるまいし、そんなことするかよ。……半分ちょい傾けるだけだ」
 車体を傾けたまま、なおも速度は緩まない。
 やがて相手の車に追いつくと、榊原は窓を開けて相手に語りかけた。
「よう。逮捕するぞ」
「……っ!」
 その声が聞こえたのか、相手は更に速度を上げようとする。
 だがその瞬間、榊原は突然ハンドルを切った。
 車は壁から弾け、相手の眼前に叩きつけられる。
「ひっ……!」
 突然のことに、ブレーキをかける余裕などない。
 相手の車はそのまま、榊原の真横に激突した。
 凄まじい音と共に、パトカーのドアが少しヘコむ。
 それで、この追走劇は幕を閉じた。
「……これで事件は解決だな」
 当たり前のように告げる榊原。
 そんな彼に、龍一郎は悲鳴に近い声を上げた。
「――――始末書書かなきゃいけませんよっ! 俺もっ!」
 後続のパトカーが近づいてくる。
 そんな中、榊原は雨雲空をじっと見上げていた。
 どこか、おかしそうに。

 夜も更けた頃、榊原は零次たちと共に帰宅した。
 待っていたのは、タオルを持った遥と倉凪兄妹。
 その後風呂に入り、夕食を食べ終わった席で、ようやくプレゼントが贈られることになった。
「ほれ、師匠お好みの一品だ。同田貫、欲しがってたろ」
「胴狸……?」
「間違っても狸の腹を想像するなよ?」
 遥に注意しながら、梢が榊原に日本刀を手渡す。
 榊原はそれを丁重に受け取ってみせた。
「この場で鞘から抜くのは物騒だからな。後でゆっくり鑑賞するとしよう」
 そう言って頭を下げる。
 次に美緒から屏風が贈られ、その次は遥の番になった。
「あ、あの……これ」
 緊張した様子で、一つの湯飲みを差し出す。
 それは少し不恰好だが、全体的に丸みがあった。
 飲む際に怪我をしないようにという配慮から来ているのだろう。
 一目見て榊原は事情を察し、遥の頭をポンポンと叩いた。
「初めてにしては上出来だ。……ありがとう」
「あ……え、えへへ」
 はにかむ遥を一同は微笑ましげに見守った。
 その次は亨の番。
 彼は榊原から何がいいか聞きだし、夕食の間までの時間で作り上げてしまった。
 それは表札。
 榊原とだけ書かれた今の表札に代わるものだった。
 そこには『榊原 幻 遥 倉凪 梢 美緒 矢崎 亨 久坂 零次』と彫られていた。
「えっへん。実は僕、結構彫刻は得意なのです」
 即興で作ったため少々荒々しかったが、それは後で手を加えればいい。
 表札一つで何が変わるわけでもないが、なんとなく全員が嬉しいようなこそばゆい気持ちに包まれた。
 そして最後に、零次。
「俺のプレゼントは既に用意しておきました。道場の方へどうぞ」
「道場?」
 その言葉に、全員が嫌な予感を抱いた。
 零次は過去、榊原家の地下室を危険空間へと変貌させた経歴がある(一応許可は得てるけど)。
 まさか道場を変に改造してはいまいか、という危惧を抱かせるには充分だった。
「心配無用。確かに少々手は加えましたが、問題はないと思われます」
「そうか……?」
 訝しげな表情を浮かべながらも、榊原を先頭に、一同は道場へと足を運ぶ。
 外観はさして変わっているようには見えなかった。
「ということは、中か……?」
 慎重に中へと入っていく。
 特に罠が仕掛けられているようでもない。
 と、道場内が急に明るくなった。
 天井を見上げると、いつのまにか蛍光灯の数が増えている。
「夜間の使用が不便だと前々から思っていたので、少々改良しました」
「なるほど。確かにこいつは悪くない」
「他、畳などは老朽化が激しかったので入れ替えてあります」
「ほう」
 感心しながら榊原は道場内を眺め回す。
 すると、正面の壁際にあるものが飾ってあった。
「あれは……」
「あ、ああ……あれはその、余計かと思いましたが」
 そこに飾ってあったのは、一つのトロフィーだった。
 何のトロフィーかは刻まれていない。
 ただ、このトロフィーは榊原にとって特別なもののはずだった。
「あ、思い出しましたよ。あれ、写真で榊原さんが持ってたやつだ」
「……懐かしいものを」
 苦笑して、榊原はトロフィーを手に取った。
 梢や美緒ですら見覚えのないものだから、相当古いものになる。
「こいつは、俺が先代の師範から贈られた唯一の物でな。印可代わりとか言って手製でくれたやつだ」
「そういったものだったんですか」
「なんだ、知らないで持ち出したのか?」
「はい。写真でとても嬉しそうに手にしていたものですから」
「ふぅむ。最近アルバムも見てないし、すっかり忘れてたな」
 榊原はしばらくそのトロフィーをじっと眺めていた。
 が、やがて元の場所に置く。
「……倉庫の中で埋もれさせとくよりは、いつか俺の後継者にくれてやる方がいいか。それまではここに飾っておくとしよう」
 どこか嬉しそうに、そう呟くのだった。