異法人の夜-Foreigners night-

-日常編-
夏の蔵
「掃除をしよう」
 母親が言い出しそうなこの台詞。母親が不在の榊原家では、大抵梢が口にする。
 そんなわけで、一家総出で大掃除。榊原も休みなので、渋々付き合っている。
「ったく、仕事で疲れてるってのに……」
「榊原さんもそろそろ四十肩ですか? ぎっくり腰には気を付けてくださいねー……ってぶほぁっ!」
 軽口を叩いて拳骨を喰らった亨。いつものことなので誰も心配しない。
 榊原屋敷は広い。普通の一戸建ての数倍はある。いつも梢が掃除しているとは言え、時折こうして本格的にやらなければ、細かい汚れは溜まってしまうのだ。
 それぞれの担当は、自分の部屋プラス・アルファ。遥は台所と食堂を任されていた。
 食器を全部出して食器棚を丹念に拭いたり、油がずっしりと溜まった換気扇周りを掃除したり。結構骨が折れる作業だ。
「掃除終わったらすぐお風呂入ろ……」
 油まみれでべとべとになった自分の髪を見て、遥はそうぼやいた。綺麗な長髪で羨ましいとよく言われるが、こういうときは邪魔になる。手入れだって楽ではない。
「……こうして見ると結構無駄が多いなあ」
 換気扇周りを片付けた後は、下の方を掃除する。常温で保存するものがいろいろと置かれているが、奥の方に醤油が四つぐらい入っていた。他にも去年買った酢があったり、セットで買ったのであろう缶詰が大量に余っていたり。
「梢君って、味にはこだわるけど計画性では今一つなのかな……」
 そういえば家計簿をつけているところは見たことがない。出来るだけ無駄遣いはしない、という姿勢は取っているが、細かい計算などはしてないのかもしれない。
 奥の方に合ったものを前方に引っ張り出していると、誰かに尻をつつかれた。
「……どうしたの、美緒ちゃん」
「おー、何で私って分かったの?」
「美緒ちゃん以外だったらセクハラで訴えてるよ」
 顔を出すと、袖まくりをして埃まみれになった美緒が立っていた。
「美緒ちゃんは担当の掃除終わったの?」
「うん。廊下全般。床だけ拭いて終わらせようとしたら、柱とか天井も拭けって馬鹿兄貴が五月蠅くってさ」
「細かいんだか大雑把なんだか分からないところがあるよねえ……。それで、どうかしたの?」
「ああ、うん。手が空いたらちょっと来てくれって」
「梢君は蔵の担当だっけ」
 榊原家は本宅の他に離れ、道場、そして蔵がある。加えて相当の大きさを誇る庭まであるのだから、贅沢なものだ。友人の家に何度か遊びに行ってみて、ここがどれだけ大きな家かよく分かった。さすがに志乃の家には敵わないが。
「うーん、それじゃちょっと待ってて。もうすぐ終わらせて行くから」
「なら私も手伝うよ。水まわりって汚れ落ちにくくて大変なんだよねー」
「美緒ちゃんも分かる? この大変さが」
「そりゃ、昔は私とお兄ちゃんとお義父さんの三人で全部やってたからね。今は人手が増えて助かるの何の」
 確かに、三人でこの屋敷の掃除をしろと言われたら気が遠くなる。
 妙なところで、家族のありがたみを感じる遥だった。

 そして、蔵の前。
 他の所の掃除を終えた面々が集まって、物珍しげに視線を動かしている。
 そこには、榊原家が先祖代々保管していた様々な代物が広がっていた。
「おい梢、なんでこれ全部出すんだ?」
「整理。家の中にある物も合わせて、要らない物は処分する。要るか要らないか微妙な物だけを蔵に入れておくんだ」
 ほれ、と梢は埃まみれのダンボール箱を引っ張って来た。中身は、見たこともない衣類の数々だ。
「確かこれ、俺の爺さんが着てたような……」
「さすがにそれはいらないだろ。誰も着ないだろうし、生地もぼろぼろだ」
「……これは?」
 零次が取り出したのは、セロハンテープで何重にも補強された箱だった。中を見ると、カルタらしきものが入っている。
「俺が子供の頃に遊んでたやつだな。って、全然枚数足りてないじゃねえか……」
 半分ぐらいしか入っていない。これではどうしようもないだろう。
「こういう風に、いるものといらないものとを分類する。価値のありそうなものは師匠に確認取れよ。んじゃ、開始!」
「って、蔵はお前の担当じゃなかったのか」
 零次が不満を漏らすが、梢は肩を竦めた。
「蔵の中の掃除はまだ終わってないんだよ。所々痛んでるから補強もしないといけないし、誰かさんが妙な改造施した地下の掃除もしてたしな」
「ぐっ……」
 それを持ち出されると零次も反論出来ない。
 仕方なく、皆で分類作業に入ることにした。ちなみに梢は蔵の中で掃除をしている。
 内容は雑多としか言いようがない。衣類関係がまとめられた物もあれば、錆びついて動かなくなったピアノ、壊れたギターや三味線、破れた屏風なども出てきた。
 中には、榊原家が先祖代々遺してきた曰くつきの代物などもある。榊原家は退魔だ魔術だと言った妙なものと深い関わりを持っていた一族なので、その手のものが腐るほどあるのだ。
「ほう、こいつは懐かしい」
 紅と蒼の銃らしきものを取り出して、榊原は懐かしむようにそれを眺めていた。が、やがてそれを『必要』と書かれたシートの上に放り投げた。
「うわ、これ凄いな……」
 亨も何か妙なものを見つけたらしい。皆の視線が彼の方に向く。
「亨君、それ何?」
 彼が持っていたのは、武器と思われる妙なものだった。形状としては薙刀に似ているが、刃の部分が大きく、柄の反対側にも同様に刃がついている点が変わっている。
「ああ、そいつは呪いの武器だ」
「へ?」
 榊原が何気なく発した一言で、全員が亨から離れた。
「ちょ、ちょっと待ってよ皆。何で僕から逃げるんだよ……」
「いや呪われたくないし」
「同感」
 美緒の言葉に零次が同意を示す。血も涙もない。
「は、遥さんは……」
「亨君、ファイトっ!」
 言って、遥は一歩後退した。
「……ちなみに、どんな呪いなんですか?」
「あらゆるゲームでセーブデータが消えていくという呪いだ」
「うああああぁぁ、それはかなり嫌だぁぁぁぁ!」
「デロデロデロデロデンデロン」
「デロデロデロデロデンデロン」
「やめろおおぉ、その効果音は心臓に悪いぃぃ!」
 零次と美緒が、亨の周りで例の音楽を口ずさんでいる。その都度、亨は頭を抱えて転げまわっていた。
「……で、お義父さん、それ本当は何なの?」
「ああ、俺のカミさんの得物だ」
「————」
 遥だけでなく、他の面子も沈黙した。この中では一番榊原のことを知っているはずの美緒でさえ、口を開けたまま固まっている。
「えーと、お義父さん?」
「なんだ、遥」
「結婚してたの?」
「一応な。籍は入れてないが」
 意外過ぎる事実だった。普段まるで女っ気を感じさせない榊原に、そんな相手がいたとは。
「わ、私一度も聞いたことないんだけど」
 美緒もうろたえている。十年以上ここで生活していただけに、衝撃も大きかったのだろう。
「お前らを引き取るよりも前だからな」
「あの、不躾かもしれませんけど……その、奥さんは」
 亨の問いかけに、榊原は肩を竦めて頭を振った。
「生死不明。結婚しようと言っていた矢先にトラブルが起きて、それっきりだ」
「……」
 薙刀もどきを得物にしていたことと言い、榊原のカミさんであることと言い、只者ではなさそうだった。もし生きているなら、一度お目にかかりたいものだ。
「おーい、これ、どうするよ」
 と、蔵の中にいて一人話を聞いていなかった梢が、いくつかの部品を持ってきた。
「あ、これか。……どうしようか」
 美緒がそれを受取って首をかしげる。
「それは何だ?」
「ああ、それはな……っと」
 言いながら、梢は他の部品を引っ張り出す。それを見て、遥はなんとなく察しがついた。
「吉崎君のバイク?」
「そう。あいつのバイク、うちで預かってたのすっかり忘れてたぜ」
 吉崎和弥。昨年の夏に短い生涯を終えた、梢の親友であり、美緒の想い人であり、榊原にとっては弟子だった人だ。遥も面識はある。
 確か彼は無類のバイク好きで、あれこれと危ない改造を施していたはずだ。いつからか見なくなっていたが、蔵の中にあったのか。
「いろいろと無茶やってぶっ壊れてな。どうしようかと悩みながら、結局蔵の中に放り込んでたんだ。……どうしようかね」
「お兄ちゃん免許持ってないから使えないしねえ……」
 梢と零次、それに亨は自分の足でバイクより速く走れる。だからか、免許取得には乗り気でなく、三人とも何の免許も持っていない。
「美緒も免許はないからな……あとは遥と榊原さんか」
 零次がこちらに視線を向けてくるが、遥は慌てて手を振った。吉崎の違法改造が施されたモンスターマシンを乗りこなす自信などない。下手すれば200kmを叩き出すのだ。遥では振り落とされるのがオチだろう。
「俺も既に自前のがあるから、新しいのはいらんな」
「っていうか、それ以前に壊れてますよね、これ。修理代考えると、捨てた方が早くないですか?」
「それはそうなんだけど、なんつーかな」
 珍しく、梢の歯切れが悪かった。
 やはり、思い入れというものがあるのだろう。親友が愛用していたバイク。梢や美緒にとっては、馴染み深いものに違いない。
「俺たちが使うのも何だけど、出来るなら修理して、然るべき相手にでも譲りたいんだ」
 梢に反対する者はいない。ただ、それならどうするべきか。
「走九郎の奴にでも頼むか」
「あ、その手があったね。走九郎さんか詩巳ちゃんに頼めば、しっかりと修理してくれるかも」
 遥が通っていた教習所の経営者である走九郎は、バイクや車のことに詳しいし、榊原とは幼馴染だ。多少の難題も快く引き受けてくれるかもしれない。
「おし、バイクのことは後で三嶋教習所に連絡しとこう。それじゃ、残りをちゃっちゃと片付けるぞ」
「へーい」
「気合い入れてやれよ、終わったら特製ケーキ作ってやるから」
「おう!」
 何とも現金な一家だった。

 さすがにタダというわけにはいかなかったが、修理自体はしてもらえることになった。
 ただ、早九郎は教習所で忙しいらしく、やって来たのは娘の詩巳だった。
「まあ、任せとけって。バイクいじりなら親父にだって負けねえ自信あるからよっ!」
 詩巳は作業服に工具箱を持参して来ていた。相当気合いが入っているようだ。
「あんまり無理しなくていいからね。あ、庭は好きに使っていいよ」
「サンキュ」
「後でお煎餅とお茶持ってくるね」
 遥はバイクの構造についてほとんど知らない。手伝いを申し出るよりは、こうして彼女をもてなしている方が良いだろう。
 庭先からは断続的に音が聞こえてくる。お茶を持っていくと、詩巳は顔中を汚していた。
「思ったより時間かかるかもしれねえな」
「そうなの?」
「うん。これ、吉崎の兄ちゃんのだろ? いろいろと面倒な仕掛け施してあるから、こっちもそれを探りながらやってかないといけないんだよ」
 詩巳は軍手をはめたまま、自前の紙を広げて乱雑に図面を書きだしていく。遥も少し覗き見たが、内容はまるで分からない。
「うーん、こうかな。いや、でもこの形状からするとこうした方が……」
 悪戦苦闘する詩巳の側に、お茶と煎餅を乗せたお盆を置いておく。彼女はそれにも気づいていないのか、バイクの部品と図面を睨みつけながら唸り声を上げていた。
「大分難航しそうな感じだね」
 廊下で寝ぼけ眼の美緒とばったり遭遇した。昼寝から起きたばかりなのだろう。欠伸を噛み殺している。
「それより、あれ引き取ってくれる人見つかったの?」
「あ、まだだった」
「修理しても乗り手がいないんじゃどうしようもないでしょ……」
「美緒ちゃんは乗ってみようとか思わない?」
「無理無理。免許取れたとしても、あれを乗りこなすのは相当鍛えないと無理だしね」
 おやつおやつ、と言いながら美緒はそのまま行ってしまった。吉崎のバイクということで思い入れがあるのでは、と考えていたが、どうもそうではないらしい。
 ある程度、吹っ切れたのかもしれない。
「となると、ちゃんと探した方がいいのかな」
 脳裏に幾人かの候補が浮かび上がる。とりあえずその人たちに電話してみることにしよう。
「お義姉ちゃーん、ここにあったお煎餅知らなーい?」
「あ、はいはい、ちょっと待っててー」
 陽射しの強い、夏の午後のことだった。

「おっしゃあ、出来たぜ!」
 修理を始めてから十日程経った頃。
 庭先で詩巳が、ガッツポーズになっていた。
「お疲れ様」
「いやあ、大変だったね」
 側には走九郎を始めとする三嶋教習所の面々もいる。さすがに詩巳だけに任せるのもまずいということで、時折手伝いに来てくれていたのだ。中には、走九郎知り合いのエンジニアの人もいる。
「さすがに、吉崎の奴の改良は度が過ぎてたからな。少し控え目にしといたぜ」
 ランニング一丁の走九郎が、汗を拭きながら言った。どうでもいいが、夏場にこの人を見るとそれだけで熱中症になりそうな気がしてくる。
「しかし、何であいつはこんな無茶な改造をしたんだかなぁ」
 走九郎のぼやきで、遥は先日梢から聞かされたことを思い出した。
 吉崎は、梢との付き合いで、危険な場所に赴くことが何度かあった。そういうとき、バイクはより速い方が役に立つ。
 ただ、400ccを超えるパワーのバイクは大型二輪に分類され、十八歳以上にならないと免許取得資格が得られない。そのため、吉崎は普通二輪の上限である400ccの機体に、いざというときだけ速度制限を解除出来るよう細工したのだという。日常と非日常の区別をバイクでしたというわけだ。
 無論、限定的とは言え道路交通法違反になるため、決して褒められたことではない。ただ、そこまでして梢に付き合った吉崎のことを考えると、どこか微笑ましいものを感じてしまう。実際に『限定解除』をしたのは、二〇〇三年の事件のときだけだったらしいのだが。
 吉崎は、早く大型二輪の免許が欲しいと言っていたそうだ。そのことを思うと、少し寂しい気もする。十八歳の誕生日を迎える前に、彼は亡くなってしまった。
「けど、びっくりするぐらい完璧な復元だぜ、三嶋のおやっさん」
 梢が竹を組みたてながら感心している。今日は客が多いので、庭で流しそうめんをやることになったのだ。
「そりゃ、吉崎の野郎にバイクの構造のあれこれを教えたの俺だし」
「私も一緒に教えられたんだぜ」
「だから、あいつの癖とか、なんとなく分かるのよ」
「呆れた野郎だ。今度逮捕すんぞ」
 作務衣で縁側に腰掛けながら、榊原が毒づいた。
「何、こいつの修理代をチャラにするってことで勘弁してくれ」
「いや、そいつは悪い。梢」
「あいよ」
 既に準備しておいたのか、梢はそれなりに厚い封筒を走九郎に放り投げた。咄嗟に受け取って、走九郎は口をへの字にする。
「おいおい、危ねえだろうが」
「そうすりゃ、とりあえずは受け取ってくれると思ってな」
 梢が「くっくっく」と笑う。走九郎はしてやられた、といった顔をしている。
「はい、出来ましたよー」
 遥はそうめん担当だった。茹でたそうめんを順番に流していく。どんどん作っていかなければならないので、意外と大変だ。
「おお、美味そうだ。やっぱ夏はそうめんだよな!」
「分かってるじゃねーか親父! あ、ネギちょうだい。私はネギないと何か駄目なんだよなー」
「ちゃんと薬味も揃えてあるから、好きなの使ってね」
 遥もそうめんには生姜を加えて食べる。そのまま食べてもつるつるとした食感が良いのだが、薬味があると引き締まってより口中に美味しさが広がるのだ。
 皆が夢中になってそうめんを食べている中、一人梢は吉崎のバイクをじっと見ていた。
 何か声をかけようかとも思ったが、今は手が離せない。それに、そういう雰囲気でもなかった。
 懐かしむような、穏やかな顔。そこに暗い影は見当たらない。
 やがて、何かを振り切るようにこちらにやって来た。
「……梢君、そうめん出来てるよ」
「ああ、いただくか。お前の作る麺は、美味いんだよな」
 何事もなかったかのように言って、梢はそうめん争奪戦に加わった。
「蔵ってのは、いろんな思い出が埋まってるところだ」
 麺をすすりながら、榊原がやって来た。
「久々に目にすれば、少しそれに気を取られる。けど、それに囚われる程あいつはヤワじゃねえ。心配無用だ」
「うん。そうみたいだね」
「そうそう。……ところで、納豆はないのか遥」
「そうめんに納豆ってどうなの、お義父さん」
「意外と美味いんだがな……お前にはまだ早いか」
 心底残念そうに溜息をついて、榊原は本宅の中に行ってしまった。納豆を探すつもりだろうか。
「遥さーん、追加お願いしまーす」
「あ、はいはいーい」
 家族が多いと、こういうときは大変だ。
 そんなことを考えながら、せっせとそうめんを茹で続ける遥だった。

 その夜、遥はこっそり、蔵を訪れた。
 手にはアルバム。この家に来てから皆と撮った写真を収めてある。
 それを、蔵の片隅にそっと置いた。
 ……私もいつか、これを見て皆との思いでを振り返れるときが来るのかな。
 そんな日が来るといいな、と思いながら、遥はそっと蔵の戸を閉めた。
 夏にしては、少し寒い夜。
 秋が近い。そんなことを思った。