異法人の夜-Foreigners night-

-日常編-
夏終わり、紅葉咲く頃、焔往く
 夜、秋風市の郊外。
 一台のバイクが疾走している。
 まだ残暑も厳しい季節、夜と言えど、そこまで寒くはない。
「どうだ、乗り心地は」
「悪くない」
 バイクと並んで走る人影に、乗り手である緋河天夜が答えた。
「ただ、慣れるまで時間はかかりそうだな。癖が強い」
「かなり手が加えられてるからなぁ」
「……っていうか、こっちは一応全力疾走なんだけど」
 天夜が気味悪そうな声を上げる。それもそのはず、こちらは——梢は生身でバイクと並走しているのだ。異常な身体能力を持つ異法人だからこそ出来る芸当だ。
「気にするな。俺のことはライダーとでも思っておけ」
「そういや、これ、サイクロンって名前だったんだっけ?」
「あいつ好きだったんだよ、ライダー」
 もっともその名前には、乗りこなすのが大変、という意味もあったらしいのだが。
 天夜が今乗っているのは、今は亡き梢の友人である吉崎のバイクである。吉崎の死後、壊れたまま蔵に収められていたのを修復したのだ。その際、ちょうど天夜がバイクを探していたということで、彼に譲ることになったのだ。
「しかし、本当にタダでいいのか?」
「ああ、別にいいぜ。元々俺たちのものってわけじゃないし。そいつを大事にしてくれれば十分だ」
「それは約束する。人から貰ったものを粗末にするほど薄情じゃない」
「その言葉が聞ければ十分だ」
 対向車が来たので、梢は一旦天夜から離れた。頃合いを見計らって再び近づく。
「けど、免許も取ってバイクも手に入れた。当初の目的は果たしたってことか」
「そうだな。この町とも、そろそろお別れだ」
 そう。天夜は元々放浪中の身。この町に立ち寄ったのは偶然で、せっかくだからここでバイクと免許を手に入れよう、と考えていただけだ。
 目的を達した以上、彼は再び旅に出る。
「旅か。旅って面白いか?」
「大変なことの方が多い。けど、学べることも多い」
「そうか。俺もそのうち、旅とかしてみるかね」
「どうかな、あんたはそういうの向いてなさそうな気がするけど」
 かもしれない。いろいろな場所を渡り歩くより、一つの場所を大切にしていく方が自分の性に合いそうだ。
「それで、出立はいつ頃の予定なんだ?」
「五日後——そうだな、五日後ぐらいだ」
 秋に入って間もない頃の、ある夜のことだった。

「あらそう……残念ね。緋河君がいなくなると寂しくなるわ」
 一日の業務を終えた夢里の面子は、スタッフルームに集まっていた。
「まあ、元々根無し草だしね、緋河君は」
 余ったケーキを口にしながら涼子が言った。事前に天夜から話を聞いていたので、一人涼しい顔をしている。
「でも、びっくりしました。旅人さんだったんですか」
 事情を知らなかった沙希は興味津々のようだった。旅人など、御伽話かテレビの中にしかいないようなものだ。それが目の前にいたとなれば、驚きもするだろう。
 もっともこの子の場合、旅の様子を聞いたらどこかへ行ってしまいそうで怖い。
「けど、なんでそんな旅なんぞに出ようと思ったんだ? 親御さんとか反対するだろ、普通」
「うちの親は普通じゃないんでね。というか、むしろ家のことが嫌になったのが旅するようになったきっかけの一つでもある」
「……それって要するに家出なんじゃねえの?」
 けけけ、と馬鹿にするように笑う詩巳。対する天夜はむっとした表情を浮かべていた。
「事情も知らないで馬鹿にするな。家にはいろいろ事情があるんだよ。お前みたいに能天気な生活してる奴には、分からないかもしれないがな」
「あんだと?」
 売り言葉に買い言葉。ふだんから二人はこんな調子だったが、今日は何やらいつもと様子が違っていた。
「誰が能天気だコラ、言ってみろや」
「お前だお前。自立して生活したこともないガキが偉そうなこと抜かすな」
「てめえこそ、学校にも通ってないボンクラだろうがっ!」
「はっ、大して頭も良くない癖に学歴重視か? 嫌なんだよな、そういうの」
 次第に両者の目つきが剣呑なものになっていく。
 沙希はその間で右往左往するばかり、涼子も頭を抱えて溜息をついていた。
 ……なんだってこういうタイミングで喧嘩するかな。
 喧嘩するほど仲が良い、ということなのかもしれないが、物事にはタイミングというものがある。今は喧嘩をしているようなときではない。
「ちぇっ、なんか感じ悪い。私、先にあがらせてもらうぜ」
 そう言って、詩巳は支度を整えて帰ってしまった。残されたメンバーの間にも、気まずい空気が漂い続けている。
「あ、あのさ緋河君。あんまり気にしない方がいいよ、いつもの喧嘩だし」
「ああ、分かってる」
「だといいんだけど……」
 あさっての方向を見つめながら、涼子は引きつった笑みを浮かべた。
「そうだ緋河さん、出発の前夜辺り、閉店してから送迎会でもやりませんか!? ねえ、ゆきねさん!」
 両手を合わせて沙希が提案する。ゆきねもにこやかな表情で頷いた。
「いいわね。その日は少しだけ早めにお店閉めて、送別会開きましょうか」
「いや、それはいい」
 天夜は大きく頭を振って立ち上がる。
「俺に気を使わなくてもいい。いつも通りでいてくれた方が、こっちとしても気が楽だ」
 それだけを言って、天夜も店を出てしまった。
「あ、あのぅ……もしかして私、緋河さんを怒らせてしまったんでしょうか」
「別に沙希ちゃんのせいじゃないわよ。先輩も同じような提案して断られたって言ってたし」
「倉凪さんもですか?」
「うん。何でも、緋河君なりのルールみたいなのがあるらしいのよ。旅に別れはつきものだから、特別な形にはしたくないんだって。名残惜しくなるから」
 だから、沙希の提案を断ったのは怒ったから、というわけではない。元々断るつもりだったのだろう。
「けど、詩巳ちゃんとの喧嘩はそうもいかないわねー。放っておくのも後味悪いけど、今下手に突っついて余計悪化してもなぁ」
「別に気にしなくてもいいと思うわよ?」
 そう言ったのはゆきねだ。彼女はおっとりしたまま、のんびりコーヒーなどを飲んでいる。
「普通なら、あれぐらいのやり取りで喧嘩はしないわ。きっと、二人ともどこかでお別れが寂しいって思ってるのよ。それを素直に出せなくて、ああいう形になっちゃったんだと思うの」
「ってことは、放っておけば元に戻る?」
「どうにかなるような気はするわね」
「うーん、ゆき姉がそういうなら。……でも、あの二人、どっちも強情だからなぁ」
 どうにかなればいいのだけれど。
 そんなことを思いながら、涼子は小さく溜息をついた。

「それで俺のところに相談に来た、ということか」
 天夜の出立を明後日に控えた日の午後。涼子は零次の元を訪れていた。
「うん、まあ先輩とか姉さんとか今日忙しいみたいだし」
「その発言を深読みすると傷つきそうなので、それはスルーしておこう。しかし、それはゆきねさんの言うようにしておいた方がいいのではないか」
「まあ、そうなのかもしんないけど」
「下手に突いて余計こじれたら、どうにもならないからな」
「……ところで」
 何やら難しそうな機械をいじっている零次から視線を逸らし、涼子は居間でぐったりしている巨漢に目を向けた。
「なんで走九郎さんがここに?」
「詩巳と喧嘩したのだそうだ」
「不機嫌症候群、感染拡大中、ってとこかしら」
 走九郎の隣には、彼から散々愚痴を聞かされたらしい榊原が、面白くもなさそうな表情を浮かべている。せっかく有給を取ったのに、幼馴染の愚痴を延々と聞かされたのだ。機嫌も悪くなるというものである。
 今は、どちらにせよ近づかない方が良さそうだ。
「よし、出来た」
「……そういや、さっきから気になってたんだけど、何作ってたの?」
「見ていれば分かる」
 どことなく自慢げに、手にした機械のスイッチを入れる。すると、そこから僅かな風と、新鮮な香りが漂ってきた。
「持ち運び可能な空気清浄機。うむ、実に良い出来だ」
「空気清浄機って外で使っても意味ないから、持ち運びする利点ないと思うんだけど」
「——はっ!?」
 涼子に指摘されるまで、そのことに気付かなかったらしい。零次はこういうところで抜けている。
 どうせならもっと役に立つものを作ってほしいものだ。例えば、喧嘩の仲裁をする機械とか。
 ……って、そんなのあるわけないでしょうが。
 非現実的な考えを打ち払いながら、涼子は縁側に腰をおろした。
 零次もその隣に腰をかけ、勿体なさそうに携帯型空気清浄機を眺め続けている。
「前から思ってたんだけどさ」
 何の気なしに聞いてみる。
「零次って、そういう開発作業みたいなの良くやってるよね。なんで?」
「いつか役立つかも知れんだろう?」
「そ、そうかなあ」
「うむ。確かにこれは、発想のミスだ。しかし、こいつを作るために俺が学んだ技術は、きっと何かで役に立つ」
「……ああ、なるほど。確かにそう考えると、それも『失敗は成功の母』って感じがするわね」
 しかし、零次も随分と前向きになったものだ。昔の彼では考えられない。
「あの二人も、同じではないかな」
「ん?」
「緋河と詩巳のことだ」
 零次はそこまで言って、少しおかしそうに口元を緩めた。
「対人関係においても経験は重要だ。俺と君もよく喧嘩はするが、前に比べると頻度も減ったし、早い段階で仲直り出来るようになった」
「あの二人も同じこと、ってこと?」
「うむ。少なくとも、第三者がお節介をするほど深刻なことじゃない。仮に緋河の出立までに仲直り出来ずとも、携帯があれば連絡はいつでも取れるだろう」
「まあ、それはそうなんだけどねえ」
「なるようになる。それより————あいつはどういう形で出立するつもりなんだ?」

 随分と長い滞在になった。旅でここまで長居するのは、おそらく最初で最後になるだろう。
 免許を取得しようとしたことも理由の一つだが、もっと大きいものがある。それは、居心地の良さだった。
 実家にいたときや、これまでの旅で感じたことのなかった安らぎ。それが、この町では得られたような気がした。
『男は旅に出て成長するものだ。そう、旅をすれば、今まで知らなかったこと、見えなかったことが理解出来るようになる。お前がくだらないと思っていることも、実際に触れてみることでかけがえのないものになるかもしれない』
 天夜に旅を勧めた人が、旅立ちの前にそんなことを言っていた。そのときは半ば聞き流していたが、今はその言葉に込められた意味がなんとなく分かるような気がする。
 本当に、この町からは多くのものを学んだ。気心の知れた友人も、何人も出来た。
 ……変わった町だったな。
 そのことを話したら、ゆきねは笑ってこう言った。
『それは、ここで緋河君が変わったからそう思うようになったんだと思うわ。別に、秋風市は特別変わっているところなんてないもの』
 一部の住人が普通ではなかったりすることに目をつぶれば、確かに秋風市は特徴的な都市ではない。せいぜい開発途上という点が目立つだけの、平凡な田舎町だ。
 つまり、この町で得られたものは、他の場所でも手に入るということだ。無論、ここにしかないものもあるのだろうが。
 そう考えると——この先にある旅の続きも、楽しみに思えてくる。
 半年以上生活してきた部屋に別れを告げて、天夜は外に出た。まだ暗い。夜明け前だ。
 夜遅くになってからの移動は旅に向かない。だから、旅の移動は朝早いうちから行い、夕刻には済ませている。出立も、当然早い。
 隣の部屋にちらりと視線を向ける。涼子には生活面で何かと世話になった。時折お節介に感じることもあったが、全て終わってみれば感謝の気持ちが勝る。
 そっと頭を下げてから、天夜は駐輪場へと向かった。
 バイクに乗る直前、時間を確認しようと携帯を取り出し、あることを思い出して溜息がこぼれた。
 詩巳のことだ。
 昨日一昨日と、彼女はバイトの当番ではなかったので、顔を合わせられなかった。あの日喧嘩してから会ってもいないし、電話もメールもしていない。
 自分から連絡入れるのも癪だ、と思ってそのままにしておいたのがまずかった。早朝には出発すると言った手前、遅らせるのも何かみっともない。かと言って、今連絡するのも迷惑だろう。寝起きの彼女を刺激して、余計怒らせることにでもなりそうだった。
「……しかし、あれだな」
 意地を張ったままお別れというのも、なにやら子供っぽくて情けない気がしてきた。
「一応、教習所の方に寄り道してから行くか」
 幸先の悪い出発だ、と思いながらも、天夜は三嶋教習所へと向かうのだった。

 結論から言うと、寝ているようだった。
 家の中は物音もしない。悪いと思いながら呼び鈴を鳴らしてみたが、反応はなかった。
「……仕方ない、手紙でも置いていくか」
 手持ちの用紙に「この間は悪かった。元気でな」とだけ書いて、郵便受けに入れておく。もっと気の利いたことを書くべきなのかもしれないが、生憎そういうことは苦手だった。
 最初はそのまま立ち去るつもりだったが、ふとあるものが目にとまった。
 教習所の方には、待合室がある。そこの前に、ギターやドラムが置き捨てられていたのだ。
 いつだったか、走九郎がどこからともなく持ってきたものである。試しに皆でやってみたが、数回やっただけで壊れてしまった。
 あのとき、はじめて詩巳と意気投合したのだ。それまでは喧嘩したり勝負したりしていただけで、互いに嫌な奴だとしか思ってなかった。
『お前、歌上手いなあ! ちっとばかし見直しちまったじゃねえか!』
 皮肉でも厭味でもなく、ただ素直に称賛してもらえた。それまでも歌を歌うことはあったが、ここまで純粋に褒められたのは初めてだった。
「音楽、か。そういうのも、悪くはないかもな」
 ギターを片手にインディーズ活動を続けながら旅をする、というのも面白そうだ。あるいは、どこかで仲間を集めてバンドを組んでみるのも良いかもしれない。
 もう一度三嶋家の方に目を向ける。相変わらず静かだった。
「……じゃあな」
 聞こえているはずもない、と思いながら、天夜はバイクを走らせた。

 駅付近にいると忘れそうになるが、こうして郊外を走っていると、秋風市が田舎だということを再認識する。見渡す限り、田畑や森、遠くには山々が広がっている。
 そうした風景が、少しずつ昇りつつある朝日によって照らし出されていく。
 これまでの旅のことを思い出す。いつも徒歩で、足が痛むまで歩き続けていた。これからは、随分と楽に移動出来そうだ。その分ガソリン代がかかるが、そのことも考えて金は大分稼いでおいた。バイク代も浮いたので、当面は資金で困ることはない。
 梢たちの知り合いが使っていたものを修理したものだそうだが、見た目は新品同様だった。教習所のものと比べるとやや癖のある感じだが、それはこれから慣れていくしかない。
 なお、以前の持ち主はこれをサイクロンと名付けていたらしい。天夜としては、某風の魔装機神の名前や某SPTの名前をつけたかったのだが、さすがにそれは遠慮しておいた。
 ほんの少しだけ後ろを振り返る。遥か後方から、電車が走ってくる音が聞こえた。その向こう側には、都市部で一番高いビルが見える。
「ぉぉぉぉおおおいいい」
 と、どこからともなく声が聞こえてきた。
「おおおおい、反応しろおおぉぉ!」
 声が自分に向けられていることも、その声の主が誰であるかもすぐに分かった。自然と口元が緩んでしまう。
 しかし、反応しろと言われても困る。こっちは今、バイクの運転中なのだ。
「ったく……何してるんだ、お前は!」
 呆れ三割、おかしさ七割で声を張り上げる。
 電車がバイクに並んだ。そちらに視線を向けると、電車の中には何人もの人影があった。
 詩巳に走九郎、榊原家の面々に夢里の皆がいる。
「揃いも揃って、あんたらは暇人なのかあっ!?」
「夢里は食材の買出しよー!」
 涼子がすかさず返してきた。郊外だから許されることだ。住宅地だったり、他の乗客がいたりすれば怒られていたことだろう。
「私たちは隣町に遊びに行くんだよー!」
 遥が小さく手を振りながら叫んだ。その隣では、梢や零次も同じように手を振っている。
「私はお前を見送りに来てやったんだぞー!」
 詩巳は直球だった。良くも悪くも素直な奴だ、と苦笑してしまう。
「そうかい、そいつはありがとなぁっ!」
「気にすんなよ! まあいろいろ大変かもしれないけど、頑張れよなあっ!」
「当たり前だ!」
 車道と線路が少しずつ離れていく。電車とバイクは、それぞれ別のトンネルに向かって進んでいく。
 出来るなら手を振りたかった。だが、そんなことをしては走九郎に怒鳴られそうだ。だから天夜は、思い切り笑ってみせた。
 それが、皆のところまで届いたのかどうかは分からない。
 確認しようとしたときには、もうトンネルに入ってしまっていた。
「やれやれ、付き合いが良いというか、連帯感があるというか」
 笑うときに力を入れすぎたのか、表情がなかなか元に戻らない。
 トンネルから出たとき、既に電車は遠くになっていた。やがて、視界から完全に消えていく。
 いつのまにか、頬が濡れていた。
 拭うのも馬鹿らしい。放っておけば、そのうち乾くはずだ。
 アクセルを踏む足に力が加わる。
 先に広がる道は、どこまでも広がっているように見えた。