異法人の夜-Foreigners night-

-日常編-
年が明けて
 大晦日の夜。
 他の家と同様、榊原家でも年越しのカウントダウンが行われていた。
「3、2、1……」
 秒読みが頂点に達したとき。
「あけまして、おめでとーっ!」
 こうして、榊原家のメンバーは新たな年を迎えたのであった。

「はい、それでは昨年を振り返りつつ、今年の目標をそれぞれ言ってみましょーっ!」
 遊びに来ていた涼子が場を仕切る。
 一月一日になったばかりのこの時間。
 人によってはもう寝る時間なのだろうが、榊原家はここからが本領発揮である。
「はいはいはーいっ」
「はい、美緒ちゃんどうぞっ!」
「歌を歌いたいと思いますっ」
「あんた話聞いてなかったでしょーっ!」
 勢いに任せた漫才を始める二人。
 榊原が飲んでいた酒を拝借したのがまずかったらしい。
 すっかり出来上がっているようだった。
「はいはい、藤田四郎! 今年の目標は、彼女作ることでっす!」
「君は受験を頑張りたまえ」
 同じくすっかり出来上がっている藤田。
 その隣でちびちびと酒を飲んでいる斎藤はまだまだ大丈夫そうだった。
「ったく」
 こういうときに酔えないのは面倒くさいものだ、と梢は思う。
 周囲はすっかり盛り上がっているのだが、梢はテンションが下がりつつある。
 最初の頃は持ち前のテンションで盛り上げていたのだが、酒という支援がないと疲れてくるのである。
 しかし、涼子の言葉を思い返すと感慨が沸いてくる。
 今年は色々あった。
 まさに劇的な変化が訪れたのである。
 失ったものもあり、得たものもある。
 そのどちらが良いか、などと優劣は決められるものではない。
 が、それでも……。
「終わっちまったか、2003年」
 周囲の喧騒を避けるようにして、梢は居間から離れた。
 盛り上がっている居間とは対照的に、他の場所は薄暗く、静かだった。
 やがて居間の喧騒が聞こえなくなった頃、梢は庭に出た。
 どこか遠くで、除夜の鐘を突く音が聞こえた。
 寂しげな鐘の音を聞きながら、梢は空を見上げた。
「寒いな……」
「ならば中に戻ればいいだろう」
「うるせぇな、感傷に浸りたいときもあるんだよ」
 背中の方から聞こえてきた声――零次へと、ぶっきら棒に答える。
「……思い出していたのか?」
「まぁ、いろいろとな。今年は大変な年だったからよ」
 左手で自分の右腕を持って見る。
 一見以前と何も変わっていないようでいて、中身はもう別物である。
「非常に珍しいことだが、俺もお前と同じだ」
「いろいろと思い出してたってか?」
「ああ。振り返ってみると、今の俺があることが不思議でならん」
「だよなぁ。最初に会ったときは、まさか一緒に飯食う仲になるとは思わんかったぞ」
 そもそも最初に会ったときは敵同士だった。
 どころか、時には生死をかけるような戦いさえもした。
 そのことを考えると、人の縁というものは奇妙なものである。
「倉凪」
「あん?」
「――――今年もよろしく頼む。今後は戦友としてありたいものだ」
 零次にしては素直な言葉に、梢は少しだけ面食らった。
 笑って、
「馬鹿抜かせ。戦いなんざないに越したことはねぇんだから、戦友じゃなくて友人、あるいは仲間にしとけ」
「ああ、それなら仲間だ。お前とは友人という関係ではないような気がするからな」
「はっ、違いねぇ」
 戦友であり、仲間であり、友人ではない。
 奇妙な関係だが、二人は妙に納得してしまっていた。

「ふー……」
 屋敷の二階。
 ベランダに出て、夜風を感じながら遥は溜息をついた。
 そこには先客がいた。
「あ……お義父さん」
「よう、疲れたか」
「あ、うん。こういうの、はじめてだから」
 そう言ってから遥はふと、今年何回この台詞を言っただろうか……と考えた。
 数え切れないほどの、新たな体験。
 梢や美緒たちにとっては当たり前のことでさえ、遥には不慣れで、少し怖くて、とても興味深いものだった。
「一年、お疲れさん。お前にとっては大変な年だっただろう」
「ううん、そんなことない……私よりも、梢君たちのほうが大変だったと思う。私のせいで、いつも迷惑ばかりかけちゃって」
 梢たちは気にするな、と言ってくれるのだが、遥は時折そのことを気にしていた。
 普段から迷惑をかけてしまうこともあるし、なにより梢はかけがえのない者を失っている。
 それは考え方によっては遥のせいだ、と考えられなくもない。
「……まぁ、悩んでる人間に悩むな、とは言わん」
 榊原はベランダから身を出して下を見た。
 そこには一人佇んでいる梢の姿がある。
「だがな……あいつはこれから何があっても、お前と出会ったことを後悔したりはしない」
 榊原は不思議な確信を持って、断言した。
「どれだけ悩んでも構わん。だが、お前がいることで作られている笑顔があること――それは、決して忘れないでおくことだ」
「……うん」
 人と人は決して同じ生き物ではない。
 場合によっては、お互いを傷つけてしまうこともあるかもしれない。
 それでも人は一人で笑える生き物ではないから。
 傷ついたことを思いながらも、なお笑顔でいられるように。
「ありがとう、お義父さん。本当に、感謝してるよ」
 遥はそう言うと、中へと戻っていった。
 残された榊原は壁にもたれかかりながら、煙草を一服。
「俺も、少しは親らしくなったのかねぇ……どう思うよ、倉凪司郎」
 今は亡き友に語りかけるように、榊原はそっと囁いた。

 零次が居間へと戻ってくると、そこには泥酔しきっている美緒たちの姿があった。
 しかし一人、姿が見当たらない。
「冬塚……?」
 先ほどまで美緒たちと一緒に騒いでいたはずなのだが、彼女の姿は見当たらない。
 視線を動かすと、居間の窓の外にいた。
 周囲に寝転がっている者たちを避けながら零次は涼子の横に座る。
「あれ、零次さん……どこ行ってたの?」
「些事だ、気にするな」
「うん……今はここにいるし、ね」
 零次がそこにいることを確認したいからか、涼子は寄りかかってきた。
 まだ酔いが抜けていないらしい。
 顔が真っ赤になっていた。
「思い出すね、最初に会った頃」
「ああ、いきなり雪を投げつけられたときには驚いたが」
「……ごめんね」
「いや、そんなに気にするな。今のは軽い冗談だ」
 こんな弱気な返答がくるとは思っていなかったので、零次は正直困った。
 梢と同じように涼子も幾分感傷的になっているらしい。
「ねぇ零次さん」
「なんだ」
「もうすぐ零次さんたちは、卒業なんだよね」
「そういえばそうだな。高校三年、残り二ヶ月程度か」
「寂しくなるね……」
 三年は三学期になると自由登校なので、学校で会う機会も減ってくる。
 ようやく学校生活に慣れてきたかと思えば、もう終わり。
 涼子としては物足りない気分になるらしい。
 そんな涼子の気持ちを察して、零次は少しだけ話題を変えた。
「冬塚、俺は少し楽しみにしている」
「卒業を?」
「ああ。なにしろ俺は今度が始めてだからな」
「そっか、これまでは学校もろくに通ってなかったんだっけ」
 海外をあちこち飛び回っていた零次は、学校に通ったりしていなかった。
 本人が学校というものを避けていたのもあるが、彼を取り巻く環境による影響も大きい。
 だから、卒業ということさえも未体験なのだった。
「大学も楽しみにしている。これまでは避けていたが、お前たちが俺に学校の良さを教えてくれた」
「……」
「お前たちがいなければ、俺は社会を受けいれず異常なる者として、今も血と戦いの中に生きていただろう。本当に感謝している」
「そんな、感謝されることなんか私たちしてないよ?」
「感謝というのはされようとしてされるものではない。いつのまにかされているものだ……だから気にすることはない」
 言うと、零次は涼子の頭にポンと手を乗せた。
「それに卒業したからと言って俺とお前に溝が出来るわけでもなかろう……だから、気にするな」
「零次さん、なんだかさっきから気にするなってばっかり言ってるよ」
「む」
 確かにそうかもしれない、と慌てて口を閉じる。
 その様子がおかしかったのか、涼子は口を押さえて笑った。
「でも、うん。そうだね……細かいことばかり気にしてるようじゃ、駄目だね」
「倉凪のように大雑把過ぎてもいかんがな」
「もう、駄目だよ零次さんそんなこと言っちゃ」
「ククッ、どうもこの皮肉は性分らしい……気にしないでもらえるとありがたい」
「あー、それは気にするかなぁ」
「やれやれ、姫君がそう言うなら控えねばならんな」
 肩を竦めながら笑みを浮かべ、零次は涼子の頭を撫でていた。
 少しだけ、昔を懐かしみながら。

 梢が庭から戻ると、縁側に遥が座っていた。
「そこ、寒くないか?」
「涼しいよ」
 遥はニコリと笑う。
 梢はその隣に座って、身体を伸ばした。
「遥」
「何?」
「去年はいろいろあったなぁ」
「そうだね……梢君と会ったり、ここに来たり、皆と会ったり」
「おう。いいことも悪いことも沢山あった」
「……うん」
 いいことばかりではない。
 それはどうしようもない事実。
 梢自身も右腕を失うほどの怪我を負った。
 だが、それでも。
「だがよ、俺は一つだけ言えることがある」
「……?」
 梢が何を言おうとしているのか、遥にはいまいち分からないらしい。
 首をかしげ、視線で「何?」と問いかけてくる。
 梢は遥の頭をわしゃわしゃと撫でながら、
「――――今が楽しいってことだ」
 思い切りよく笑いながら、梢は言った。
 足りないものはある。
 いない人がいる。
 ないものがある。
 それでも今この瞬間を不幸だと思う人間は、この家にはいない。
 願わくば、それがこれからも続くように。
 そんな意味を込めて、梢は遥に言った。
「今年もよろしく頼むぜ、遥」
「――――うんっ!」
 過ぎたものと来たものと。
 今年もまた失うものがあるかもしれない。
 それでも、来年の今頃にはまた笑っていられるように。
 そう、強く願う。