異法人の夜-Foreigners night-

-日常編-
バレンタイン血風録(前編)
 二月十三日、金曜日。
 その日、町ではチョコレートが大量に売り出される。
 少しばかり田舎の秋風市でもそれは例外ではない。
 そんな人々を横目に、倉凪梢は夕飯の買い物をしている。
 隣を歩くのは久坂零次。
 特にすることがないというので、ついてきているのだった。
「倉凪。この騒ぎはなんなのだ?」
「明日がバレンタインだから、チョコ売ろうってんだろ」
「バレンタイン……どこかで聞いた気がするな」
 長いこと一般的な社会から隔離されて育ってきた零次は、こういったイベントには疎い。
 せいぜいクリスマスと正月を知っている程度なのだった。
「好きな相手に贈り物をする日だ。特に女から男へってパターンが多いらしい」
「ほう。好きな相手に贈り物を、か」
「別にチョコじゃなくてもいいはずなんだけどな。まぁチョコを贈るのが一般的だ」
 そんなことを話しているうちに買い物が終わった。
 混雑しているスーパーから抜け出して、梢たちは帰り道を歩く。
「お前は案外沢山貰いそうだよな。うちのクラスでも女子の人気高いんだぞ、お前」
「分からんな……さほど好かれる事をした覚えはないのだが」
「人気なんてそんなもんだろ」
 直接零次が何かをしなくても、周囲の人間がちょっといいなと思えばいい。
 それだけで噂と言うものが広がり、人気へと繋がっていく。
 そんなものだろう、と梢は思う。
 そのまま家に到着すると、零次は自室へ。
 梢は早速夕食の準備をするために、台所へと向かった。
 ところが。
「ふむふむ……」
「そこはこうして……」
 どうやら、台所には先客がいるらしい。
 そっと中を覗いて見ると、そこには遥と涼子の姿があった。
 チョコレート作りに専念しているのだろう。
 二人は梢に気づかないまま、作業に没頭していた。
「あ、ここはこうしたらどうかな?」
「うーん、それだと少し甘すぎない?」
「そうかな。これくらいがちょうどいいと思うけど……」
「まー渡す相手にもよるな。相手が甘いもの苦手だと、ちょっとキツイかもしれん」
「うーん、甘いもの苦手なのかなぁ梢君……って梢君うわあっ!?」
 なんだかとても愉快な反応だった。
 驚き、固まっている遥を押しのけて梢は出来かけのチョコを少しだけ舐める。
「これくらいがちょうどいいとは思うぞ。下手に味付けしすぎるよりかはな」
「あ、えと、その」
「しかし遥も手作りチョコに挑戦とはなー。誰に贈るかは知らんが、手伝ってやろうか?」
「て、手伝うって何を?」
「作るのに決まってんだろ。なーに、この倉凪梢、チョコ作りだって手馴れたもんぐふぉぁっ!?」
 自慢げに胸を叩くのと同時、背後からの衝撃に梢は喉を詰まらせた。
 慌てて背後を見ると、笑顔でハリセンを持った涼子が立っている。
「先輩。お帰りなさい。ちょっと台所借りてますね」
「あ、お、おお。ところでそのハリセンはなんだ?」
「台所借りてますね? ちょっと今、私たち専用地域なんで」
「……えーと、つまり?」
「――――出てけ」
 笑顔の裏に、凄まじい怒りが見え隠れしていた。

「……どうした、倉凪」
 レーシングゲームに没頭する零次。
 そんな彼の部屋の隅っこで、梢は体育座りをしていた。
「なんか知らんが、冬塚が怖かった」

「ふぅ……ったくもう、先輩はデリカシーのない」
 梢を追放した後、涼子は遥と共にチョコレート製作の続きにとりかかっていた。
「でも良かったのかな。梢君善意で言ってくれたんだと思うけど」
「善意程厄介なものはないのよ姉さん。これは覚えといて損はないわ」
「そ、そういうものなの?」
「そういうもの! だいたいあのまま先輩が手伝ってたら姉さん、立場ないじゃない」
「あうぅ、確かに……」
 なにしろ、今遥が作っているチョコレートは梢に贈る物なのだ。
 それを梢が作ってしまっては話にならないし、遥の立場がなくなってしまう。
「……ありがとね、涼子ちゃん」
「気にしない気にしない。私としても先輩がいると集中しにくいしね」
「え? そ、それはもしかして涼子ちゃんも……」
「妙な誤解はしないよーに。先輩は料理に関すると姑並に口うるさくなるからね」
 悪意はないのだろうが、料理に関しては梢はやかまし過ぎる。
 そのことは遥もよく知っていたため、なんとなく同意の溜息が漏れてしまった。
「それじゃ涼子ちゃんは誰にあげるの? やっぱり久坂君かな」
「零次さんにもあげるし矢崎君にもあげるよ。それから藤田さんや斎藤さん……あ、斎藤さんは彼女いるから止めた方がいいか。あとはサカさんに……」
「……涼子ちゃん、そんなに好きな人いるの?」
「まさか。だって全部義理チョコだよ」
 遥は義理チョコというものを知らなかったらしい。
 涼子は説明すると、分かったのか分かってないのか微妙な顔をした。
「うーん、それなら私も矢崎君とか藤田君にあげるやつ作った方がいいよね?」
「どうかなぁ。本命だけに渡す人もいるし、義理配る人もいるし。どっちでもいいと思うけど」
「でも、いつもお世話になってるし友達だもん。用意しておかなきゃ」
 張り切る遥。
 その姿は、妹の涼子から見ても微笑ましいものだった。
「でもちょっと意外だったな」
「何が?」
「涼子ちゃん、久坂君が本命だと思ってたんだけど……」
「あー、そう見えるのかな」
 涼子は考え込むような仕草をした。
「ラブっていうよりライクなのよ、今のとこ。だから本命っていう感じではない、かな?」
 何故か問いかけるように締めくくる。
 正直なところ、自分でも判断しかねているのだろう。
 その辺りの区別というものは、人によってはなかなかつかないこともある。
 涼子の場合はその典型的なものだった。
「……ま、そこまで深く考えなくてもいいじゃない。それよりホラッ、早くしないと先輩がまた現れるよっ」
「あ、うん。って涼子ちゃん、押さないで~」
 バレンタイン前日は、そんな風に過ぎていった。

 二月十四日、土曜日。
 この日、朝月学園は普通の生徒にとっては休みの日である。
 しかし部活動や生徒会の人間は例外だった。
 榊原家にいるメンバーは零次以外登校組である。
 梢は生徒会、遥や美緒、亨は演劇部の練習。
「久坂は今日、どうすんだ?」
「暇だからな……生徒会の仕事でも手伝うか」
 ちなみに零次は既に受験を終えている。
 朝月大学へ内部進学が決まっており、後は卒業を待つのみなのである。
 遥、それに藤田や高坂雅たちも同様の進路である。
「あ、そうだ。皆にチョコ渡しておくね」
 朝食を終えた頃、遥はいそいそと冷蔵庫からチョコレートを取り出した。
 零次、亨、榊原にそれぞれ渡す。
「ふむ、こういうものなのか」
「どうもありがとうございますっ」
「ああ、すまんな」
 それぞれの感想が飛び交う。
 ところが、いざ渡そうとしたところに梢の姿がない。
「あれ……梢君どこかな」
「お兄ちゃんなら、さっき出てったよ」
 と、何故かチョコを食べている美緒が答えた。
 自分で買って自分で食べるのがいいらしい。
「生徒会の会議は少し早めにあるから、先に行くーって言ってた」
「そうなんだ……渡し損ねちゃったな」
「お義姉ちゃん、心配には及ばないよ」
 チョコを食べ終えて、余裕のある笑みを浮かべる美緒。
「お義姉ちゃん、お兄ちゃんにあげるのは本命だねっ!?」
「え、あ、うん」
 なぜか異様な迫力で問い詰める美緒に圧されて、遥は思わず頷いてしまった。
 頷いてから、その意味に気づいて真っ赤になるが、美緒はそんなことを気にしない。
「なら、むしろ今渡さなかったのは正解だよ」
「そうなの?」
「うん。だって他の人と同じに渡したんじゃ気持ちが伝わらないし、ムードがないっしょ」
 言われてみればそんな気もする。
「でも、ムードって言ってもどうすればいいのかな」
「渡す時間は放課後、場所は校庭。それに決まりだね!」
「そ、そっか……美緒ちゃん、私頑張るね!」
「うんうん、私も応援してるよ!」
 顔を綻ばせて去っていく遥。
 それを見送る美緒の背後に、亨が現れた。
 先ほどから二人の会話を聞いていたらしい。
「……倉凪。やけに具体的な指示だったけど、なんなんだアレは」
「今週見たドラマがそういう展開だったんだよ。これはもう外すわけないね」
「お前、アホだろ」
「お義姉ちゃんにチョコ貰って鼻の下伸ばしてたヤザキンに言われたくないねっ」
「だ、誰が鼻の下伸ばしてたんだよっ!」
「やーい、赤くなってるー!」
 きゃあきゃあと追いかけっこを開始する二人。
 そんな二人を見ながら、零次と榊原は無表情で遥のチョコを食べているのだった。

「うおおおおおおおっ! 俺は今日、燃えているぜぇぇっ!」
 朝月学園、高等部校舎屋上。
 そこで空に向かって吼える馬鹿が一人いた。
「……藤田、虚しくないのか」
「虚しくなどないッ! きっと今日家に帰るとき、俺は笑顔でこう思っている! バレンタイン万歳、と!」
「そうか。君は幸せだな」
 対する斎藤はバレンタインだからといって気負いも何もない。
 そもそも斎藤は高校一年の頃から付き合っている彼女がいるため、チョコを貰うのが半ば当たり前になりつつあった。
「ケッ、勝者の余裕気取ってられるのも今のうちだぜ!」
「そんな君に朗報だ。僕は今日チョコを貰うことはない」
「おぉっ、そいつは素晴らしい。確定事項か?」
「確定事項だ」
「ちなみに今お前が手にしているのはなんだ?」
「昨日、美奈が家に来たときにくれたチョコだ。今日は用事があって来れないらしいからな」
「死ねーっ!」
 涙ながらに藤田は斎藤にラリアットを仕掛ける。
 だが斎藤は片手でそれを制すると、藤田の関節を押さえた。
「通信教育で習った関節十八番の一つだ。よもやこんなところで役に立つとは」
「ぐっ、なんだこの敗北感は……」
 斎藤はすぐに藤田を解放したが、藤田はショックで座り込んでしまった。
 そんな友人を慰めようと、斎藤は彼の肩に手を置いた。
「何、手近な人間ならくれるかもしれん。今日学校に来ている人間に当たってみればどうだ」
「そ、そうかッ! 今日は確か高坂たちも来てるし、ちょっと行ってくるぜ!」
 行動力は人並以上にあるのか、藤田は早速教室へと向かうことにした。
 ――――水島沙耶の場合
「えーっ、なんでフジにあげなきゃいけないの? っていうか、むしろチョコおくれっ!」
 ――――綾瀬由梨の場合
「君にあげる道理が見つからない。それに私は受験勉強中だ。邪魔なので早く去ってくれ」
 ――――高坂雅の場合
「あの、高坂先輩。これ、貰ってくださいっ」
「え、ああうん。ありがとう」
「そ、それでは失礼しますっ!」
「……行っちゃったか。しかし毎年毎年、なんで私こうなんだろうねぇ」
 貰う側だった。
「その様子だと全滅だったようだな」
「ちくしょうっ! っつーか俺女の子の知り合いあの三人だけかよっ!」
「そういえば仲橋はどうだ?」
「あいつはそういう発想なんぞ持たんから最初から期待出来ん!」
 涙ながらに地面を叩く藤田。
 斎藤は相変わらず彼女から貰ったチョコを食べていた。
「遥に冬塚、そして美緒とかはどうだ」
「三番目は論外だろ。人にあげる性格とも思えないし……万一貰えたとしても手作りだったらあの世逝き確実じゃねぇか」
 マーダーシェフ・倉凪美緒。
 兄の友人たちの間でさえこの評判だった。
「遥ちゃんはくれそうな気がするけど、十中八九義理だろうしなぁ。くそっ、倉凪の野郎呪い殺してやるぅ!」
「なんで俺を呪い殺すんだよ」
「いやそりゃ当然あいつが本……ひいいぃぃぃっ!?」
 突然背後に現れた梢に驚いたのか、藤田はカッと目を見開いた。
 怯えているのか威圧しているのかさっぱり分からない。
「お前、怖いぞ」
「うるせぇっ、今日の俺は修羅だ!」
「ちなみに高坂たちにチョコを貰おうとして失敗したらしいぞ」
「うわ、それ痛々しいな」
「二人揃って俺を苛めて楽しいかッ!?」
 今日何度目かの涙を流しながら、今日何度目かの絶叫をする。
 藤田四郎、一年の中でもっとも感情の起伏が激しい日かもしれない。
「あ、そうそう」
 梢は何かを思い出したかのように、ポケットからチョコを一つ取り出した。
 それを藤田に向かって差し出す。
「ほれ」
「ほれ……って、まさかお前そっちの趣味が!?」
「嫌な誤解するなっ! 冬塚がお前に渡しておいてってよ」
「――――」
 藤田は恐る恐ると言った様子で、チョコと梢を見比べた。
「……マジ?」
「ああ、マジだ」
「信じていいのか?」
「俺はこういう冗談はしねぇ」
「――――ヒャッホォォォォウ! 冬塚ちゃん、あんた最高だぜぇぇぇっ!」
 チョコを梢の手から引ったくり、その場で回転しながら躍り上がる。
 その動きは某格闘ゲームのアッパー技のようであった。
「……幸せな奴だな、あいつ」
「全くだ」