異法人の夜-Foreigners night-

-日常編-
バレンタイン血風録(後編)
 土曜日に学校へとやって来るのにも、そろそろ慣れた。
 なぜなら遥は今、部活動中なのだから。
「だから、貴方はまだここにいてください」
 演劇部の部室の中。
 普段置かれている机などが端に押しやられ、部屋の忠臣には人が立っている。
 立っているのは、遥と志乃。
 二人の女生徒による、友情の物語なのだった。
 カセットテープからは音楽が流れている。
 側には五樹がスタンバイ。
 その裏では亨と美緒、そして睦美が劇の様子を真剣に眺めていた。
「私がこの学校を好きでいられたのは、貴方のおかげ」
「私は何もしてない。何も出来なかった……それどころか、貴方を傷つけてしまった」
「そんなことない! そんなこと、言わないで」
 そこで舞台が暗転。
 ……と言いたいところだが、部室での練習ではそれは無理だった。
「ナイス演技、姉ちゃんに遥先輩。これなら本番でもいい感じにいけると思うぜ?」
 ニッ、と笑ってみせる五樹。
 最初は取っつきにくい性格だったが、今では大分打ち解けている。
 もっとも、
「五樹君、鼻の下伸びてますよ」
「あァン? どっちかってーと伸ばしてんのはアンタだろ矢崎先輩」
「ぐっ……どいつもこいつも、まるで僕が鼻の下伸ばしっ放しみたいじゃないか!」
「違うのかよ、むっちりスケベ」
「む、むっちり!? むっつりじゃなくてむっちり!?」
「そうだそうだ、アンタはむっちりスケベだ。むっちりと粘っこい感じでうわキモッ!」
 亨とは相性が悪いのか、常時こんな風に口論が耐えない。
 ちなみに、これまで亨が五樹に口で勝った試しはない。
「なんか酷いって言うか後輩のくせに生意気なっ!」
「今どき年功序列で偉さは計れねーんだよ、アホ」
「言わせて、おけ、ぶぁぁぁっ!」
「ぐおっ、ヘッドロック!? ぐえぇっ、ギブギブ!」
 ちなみに、実力行使になると当然亨が勝つ。
 最近だと忘れられがちだが、彼もまた人外の身体能力を有する一人。
 ガチンコで殴り合いになった場合、梢や零次でないと話にならない(例外は榊原)。
 そんな馬鹿二人を無視して、女性陣は既に食堂へと移動しているのだった。

 食堂のおばちゃんは土曜日だろうと、笑顔で生徒に食事を用意してくれる。
 そのことに感謝しながら、演劇部女性陣は揃って席につくことになった。
「そういえば今日ってバレンタインですよね。遥先輩とかは誰かにあげるんですか?」
 ハンバーグ定食を食べながら、笹川睦美が尋ねた。
 その途端、周囲の空気はピシリと凍った。
 笹川志乃。
 榊原遥。
 両者は――――倉凪梢をかけて戦う恋のライバル。
 睦美はそんなことは知らない。
 志乃の妹である彼女は恋愛面には非常に疎い。
 まさか遥と志乃がライバル同士だなどとは、夢にも思っていない。
「姉さんは何か昨日から張り切ってるんですけど、誰にあげるか教えてくれないんですよ」
「そ、それは……睦美、口が軽いから」
「酷いなぁ。私、人に聞かれたら正直に答えてるだけだよ?」
 それを世間一般では口が軽いという。
(でもこの状況……)
(ど、どうしよっか)
 気まずそうにアイコンタクトする遥と志乃。
 お互いライバルとしての自覚はあるが、友人としては良好な関係を築いている。
 それだけにこの空気は、なんともいづらいものだった。
「チッチッチッ、それくらい分からないのむっちー? お義姉ちゃんはお兄ちゃんにあげるんだよ」
 と、美緒が得意げに語る。
「え、そうなんですか? それって本命?」
「本命も本命、大本命。あの馬鹿兄貴は鈍いから多分気づいてないか、理屈では分かってても感覚ではサッパリみたいな感じなんだろうけどね~!」
 実に酷い言い様である。
 もっともその言葉、あながち間違ってはいないのだが。
「へぇ、遥先輩も青春してるんですねー」
「何言ってんのむっちー。長ちゃんだって青春してるじゃん」
 ちなみに長ちゃんとは志乃のことらしい。
 五樹をいっちー、睦美をむっちーと呼び始めたので志乃のことも同じように呼ぼうとした。
 だが『しっちーじゃなんか言い難い』ということで、部長の長を取って長ちゃんにしたのだそうだ。
 それはともかく。
 睦美は美緒の言葉に、目をぱちくりとさせていた。
 僅かに顔を綻ばせて、テーブルに身体を乗り出してくる。
「美緒先輩、ひょっとして姉さんが誰にあげようとしてるのか知ってるんですか?」
「そりゃ知らぬはむっちーだけだよ。長ちゃんは――――」
 美緒が口を開きかけたそのとき、かつてない程の力を発揮した遥と志乃は二人を即座に引き離して一気に食堂の端へと移った。
「美緒ちゃん、それは言っちゃ駄目」
「むぐ、むぐー!」
「あんまり言い触らすものじゃないでしょ、ねっ!?」
「むぐ、ぐ、ぐぅ……」
「分かった?」
「ぐ……」
「――あのぅ、遥さん」
 既に睦美を説得したのか、志乃がいつのまにか目の前にやって来ていた。
 少し気まずそうに美緒を指して、
「美緒さん、白目剥いてるんですけど……」
「あ」
 その後、美緒が意識を取り戻すのに数十分はかかったという。

「ってなわけで、私たちにとって最終回直前の生徒会会議を終わります」
 狭い会議室内で、涼子が締めくくる。
 途端、室内の空気が和らいだ。
 扉に何重にも仕掛けられた鍵を外し、皆それぞれお茶などを飲んで一息いれている。
 そこにいる面子は、普段の倍。
 正確には旧生徒会の面子と、この間新たに決まった新生徒会の面子である。
 朝月学園では生徒会の仕事が多いため、新たに生徒会役員が決定した後もしばらくは前任の者が様子を見に来るのである。
 新生徒会の面子には、数々の極秘情報(生徒会限定)が教え込まれる。
 それは外部に漏らすことの許されぬものであり、情報の受け渡しは口頭のみ。
 メモすらも禁じられており、徹底した秘密主義の形を取っていた。
「俺らの時も疑問に思ったけど、この生徒会って変だよなぁ」
「言うな倉凪。僕らも先日まではその一員だったんだぞ」
「そうですよ先輩方。そりゃまぁ普通とは言いませんけど」
 新生徒会の面子が挨拶しながら出て行く中、旧生徒会のメンバーはそんなことを語り合っていた。
「けどま、あと一回様子見れば完全に任期終了。ようやく肩の荷が降ろせるわ……」
「冬塚、そういやお前なんで会長引き受けなかったんだ? 推薦されたんだろ」
「来年は受験だからハードな生徒会にはついていけませんよ。先輩たちみたいに、三年になっても生徒会の仕事続けてる方が珍しいです」
「そういうもんかね。まぁでもお前は一年、二年と頑張ってきたからな。そろそろ解放されてもいい頃か」
 ポンポンと、労をねぎらっているつもりなのか、梢は涼子の頭を軽く叩いた。
 斎藤はその様子をおかしそうに見ている。
「そういえば先輩、姉さんからはチョコ貰いましたか?」
 さり気なく梢の手を払い除けながら、涼子は確認のために尋ねた。
 ところが梢は頭にハテナマークでも浮かべてそうな間抜け面でいる。
「遥か? そういや貰ってないな。朝は少し早めに出てきちまったし」
「それじゃ志乃からは?」
「志乃? あいつもチョコ配ってるのか。なんかオドオドして渡せなさそうなイメージあるけどな」
「……」
 涼子は何か意見を求めるような目で斎藤を見た。
 しかし斎藤も苦笑して頭を振るばかりで、何も言わない。
「……ちなみに先輩、今日この後の予定は?」
「今日は晴れだからな。洗濯物干したいし帰るぞ」
 駄目だこの男。
 バレンタインに期待する心も持ち合わせてないし、自分に向けられている感情に鈍すぎる。
 本人にそのつもりはなくとも、梢は遥や志乃よりも洗濯物を選んだようなものだった。
 もっとも遥は家に帰ってから渡すという選択肢がある。
 だが志乃は完全にアウトだろう。
 もし梢が家に帰ってしまった場合、控えめな性格などを考慮する限りまず渡せない。
 涼子は再び斎藤にアイコンタクトを送る。
 斎藤も涼子の意図に気づいた。
(――――斎藤先輩、ここは作戦開始といきますか)
(そうだな。こういう余興も悪くはない)
 お互い確認し、頷く。
 こういうとき、細かい打ち合わせなどは必要ない。
「倉凪、ちょっと待て」
「ん、なんだよ」
「少し付き合え。たまの息抜きだ、藤田や高坂たちを誘ってバスケでもやりにいこう」
「バスケか。まぁいいけど……珍しいな、お前がそういうこと言い出すの」
「今は結果待ちの状態だからな。リラックスしておきたい」
 ちなみに斎藤は朝月大学へは行かない。
 第一志望は国際基督教大学(ICU)で、第二志望は慶応義塾大学。
 その名前を聞いただけで、梢や藤田は頭が痛くなるほどのハイレベル大学である。
「ま、別にいいぜ。それじゃ早速行くとするか! 冬塚はどうすんだ?」
「あいや待たれよ倉凪。冬塚は用事があるのでバスケは出来んそうだ」
「そうなのか?」
「ええそりゃもう。友人のために頑張らないといけない用事がありますんで」
「そっか。それじゃまた今度な」
 手を振って、体育館の方へと駆けて行く二人。
 そんな二人を見送りながら、涼子は携帯の番号を素早く押し始めた。

 その頃、商店街にて。
 当初の予定を変更し、学校へは行かずにいる男が一人。
 久坂零次である。
 彼の視線の先には、大量に山積みとなったチョコレートの山があった。
 おそらく大量に入荷したのはいいが、あまり人が来なくて余ってしまったのだろう。
 店の親父は胡散臭そうに零次を見ている。
 なにしろ、かれこれ十分はチョコレートの山を凝視しているのである。
 モテない男が自分でチョコを買おうかどうか悩んでいる……という風に、見えなくもない。
「兄ちゃん……チョコ買うのかい?」
 半分呆れ、半分同情しながら店員は声をかけた。
 すると零次は、山の中から一つのチョコを取り出した。
 それは猫のキャラクターが可愛らしくプリントされた紙で包装されており、なかなか高価なチョコだった。
「そうだ。このチョコレートを頂きたい」
 あまりに堂々と言うため、店員の方がまいってしまった。
「……じ、自分で食うのかい?」
「まさか。日頃世話になっている相手に感謝の意を込めて贈る」
「それは、女の子かい?」
「ああ。異性に贈るものだと聞いているが、おかしいだろうか」
「……いんや、ただ珍しいと思っただけさ。でもアンタ、中々いい奴じゃねぇかっ!」
 店員は何故か零次のことが気に入ってしまったらしい。
 大量のチョコの山からいくつかを無造作に掴んで、零次に手渡した。
「俺はアンタが気に入ったぜ。どうせ売れ残るもんだ、くれてやらぁっ!」
「……いいのか?」
「構わねぇよ、俺の奢りだ。ほれ、世話になってる子に渡すんだろ? さっさと行きな!」
「ああ……感謝する。これからこの店は贔屓にするとしよう。では、また!」
 チョコを片手に抱えて立ち去る零次。
 それを黙って見送る店員。
 ここ、秋風商店街において――――奇妙な友情が生まれた。

 ところ変わって学校。
 体育館を借りて、梢たちは3on3に燃えていた。
「高坂、パスっ!」
「任せたよ藤田!」
 雅から藤田へと絶妙なパス。
 その間に割り込むように、水島沙耶が接近した。
「水島君パスカットーにいったー! おぉーっと!」
 弾いた。
 すかさずそのこぼれだまを、脇に控えていた綾瀬由梨が拾う。
「そのこぼれダマを綾瀬君がフォローしたぁっ!」
「キャ○テン○みたいなアナウンスはいい!」
 接近する斎藤と雅をけん制しながらも、由梨は律儀にツッコミを入れる。
 が、状況はよくない。
 斎藤も雅も一筋縄ではいかない相手なのだ。
 が、由里は自分の背後に気配を感じた。
 迷わずそちらにボールを送る。
「……チッ!」
 気づいた雅が舌打ちするも、もう遅い。
 ボールは梢の手に渡り、凄まじい勢いでゴールへと向かっていく。
 それを迎え撃つのは藤田ただ一人。
「悪いが倉凪、お前相手でも球技じゃ負けないぜ……!」
「そうだな、球技でお前と勝負はしたかねー」
 と言いながら、梢は真横にボールを放った。
 そこには完全にフリーになった沙耶が飛び込んできている。
「しまった……倉凪はフェイクか!」
「遅いよん、へへーっ!」
 得意げにボールを受け止め、沙耶は綺麗なポーズでボールを放った。
 なぜか渋い顔つきになって、一言。
「左手は添えるだけ……」
 ドン、とボールが地に落ちる。
 ……ハズレだった。
「あれ、嘘っ!?」
「おっしゃ、リバウンドーッ!」
「させるかぁっ!」
 驚愕する沙耶を尻目に、梢と藤田は空中戦を繰り広げる。
 先にボールを手にしたのは――藤田だった。
「速攻ォォ!」
 梢の追撃よりも早く、着地する前に藤田は前方の雅へとボールを投げた――――。

「ふぃーっ、久々にいい汗かいたぜっ!」
 そう言って顔の汗を拭う藤田。
 結果は藤田、雅、斎藤チームの圧勝だった。
「あーあ、負けちゃったよ。三人ともちょっとは手加減してよぅ」
 ぶーぶーと文句を垂れる沙耶。
 だがすぐに太陽のような笑顔を向けた。
「でもまっ! 久々に楽しかったのは事実だね!」
「そうだな、三年になってからはあまりこういう機会はなかった」
 あまり運動するタイプには見えないが、由梨もこういったイベントは嫌いではないらしい。
 僅かながらも、極自然な笑みがそこにはあった。
「遥ちゃんも誘って出来たら良かったんだけどね」
「そりゃ難しいだろう。遥、今演劇の練習に一生懸命なんだからさ」
「……そういやお前らって、最近遊んでないのか?」
 ふと気になったのか、梢がそれとなく尋ねる。
 すると雅をはじめ、女子三人は半分呆れたような顔で梢を見た。
「なんか倉凪って、遥の保護者みたいだよねぇ」
「実質的には似たようなもんだろ。あいつまだまだ世間知らずだし、師匠……榊原のオッサンは忙しいしよ」
「はぁ……」
「いや、なんで溜息つくんだよ」
 梢は怪訝そうに眉をしかめる。
 だがその問いに答える者は誰もいなかった。
「――さて倉凪、勝者側からの要求だが」
 と、斎藤が不意に口を挟んだ。
「要求って……賭けてたのか、なんか」
「そうでなければこういう遊びは面白くない。さて、これを渡すから飲み物買ってきてくれ」
 斎藤は六百円を梢に手渡した。
 これで五人分。
 梢の分の百二十円は自分で払えということだろう。
「はいはい、そんなんで良ければすぐに買ってくる。なんでもいいのか?」
「適当でいいよ、あたしは」
「私もだ」
「あたしは甘めのものならなんでもー!」
「俺はポカリがいいな」
「僕は十六茶で」
「へいへい、それじゃちょっくら行ってくる」
 金を受け取ると、梢はすたこらさっさと体育館を出て行った。
 真っ直ぐ行けば食堂に到着する。
 そこに自動販売機があるのだ。
「さて……」
 斎藤はポケットから携帯電話を取り出すと、無駄のない動きで電話をかけた。
 当然相手は涼子である。
「――冬塚か。倉凪は食堂へ向かった。自動販売機のところにいるはずだ」
『了解。すぐに連れていきます』
 それだけを告げて、電話を切る。
「……なんの電話してたんだい?」
「なに。戻ってきたとき、倉凪が面白くなるような呪いだ」
 呪いと書いて、まじないと読む。

「ほ、本当に来るんでしょうか」
 そわそわしながら、志乃が呟いた。
 この場にいるのは三人だけ。
 涼子、志乃、そして遥だけである。
 そしてここは食堂。
 一足先に着いたのか、まだ梢の姿はない。
 しかし直に現れるだろう。
「志乃、大丈夫よ。先輩は間違いなく来るから、後は貴方次第」
「は、はい」
 ガチガチに固まっているようだった。
 対する遥はというと……。
「うぅ、放課後の校庭じゃなくていいのかなぁ」
「姉さん、それはドラマの話かなんかだと思うけど。とにかく二人とも、しゃきっとしなさい!」
 バシンと、二人の背中を叩く。
「とことんぶつかっていかないと先輩は気づいてくれないわよ!? いい、ちゃんと言うの。それは前提条件であって、そうしなければ何も始まらないの!」
「……冬塚さん」
「涼子ちゃん……」
「分かったらホラ、スタンバイ。二人ともちゃんと言うのよ? 順番は決めた?」
「あ、それはね」
「はい。二人一緒に言おうかと……」
 公平な勝負にしたいから。
 そう言って二人は、今年の初めに約束しているのだった。
 ――――と。
 食堂の扉が開き、誰かが入ってきた。
 涼子たちは柱の影に隠れているため、相手はまだ気づいていないだろう。
「……二人とも、頑張って!」
「はいっ!」
「うんっ!」
 そして、二人は揃って駆け出し、チョコを差し出した。
「倉凪君、これ、受け取ってください!」
「先輩、これ、受け取ってください!」
 ――――。
 緊張のあまり、二人は目を閉じてしまっている。
 チョコを持つ手も震えていた。
 そんな二人にかけられたのは、少し戸惑った声。
「……遥よ、俺は倉凪ではないのだが」
 え、と二人は目を開ける。
 ――――そこにいたのは、大量のチョコを抱えた久坂零次だった。
「それにお前のチョコなら今朝既に頂いている。二度も貰うわけにはいかん」
 律儀にも、手を出して遥のチョコを引っ込めさせる。
 だが二人は完全に固まってしまった。
 ……なぜなら、零次の背後に“倉凪梢が立っていたのだから”。
 場が凍る。
 誰も一言も発さない。
 零次は遥のチョコこそ引っ込めさせたものの、志乃にはどう声をかけるか迷っているようだった。
 二、三度面識がある程度なので、口下手な零次にとっては声をかけづらい。
 志乃自身も完全に硬直しているし、涼子は場の雰囲気上出て行きにくかった。
 そんな中、口を開く者が一人。
「……そうか、志乃。お前久坂が好きだったんだな」
 梢の言葉に零次はハッとして、
「……本命というやつか。だが――――すまない」
 丁重に、頭を下げてしまった。
「う……」
 段々と凍り付いていた場の空気が溶けていく。
 それまで固まったままの志乃は、あまりのショックに目に涙を浮かべていた。
「う、うわぁぁぁぁん!」
 思い切り泣きながら、飛び出していってしまった。
 残されたのは、罪悪感に顔を暗くした零次と、どうすればいいのかよく分かっていない梢。
 そして、凍りついたままの遥と涼子だけだった。

 結局、事態を理解している人間が総動員でかかることにより、志乃が零次に惚れているという情報は修正された。
 だがその後、彼女が誰に本命を渡そうとしていたのかはうやむやになってしまった。
 そんなこんなの帰り道。
 涼子は隣を歩く零次をギロリと睨んだ。
「で、なんであんなところにいたの?」
「……何故睨む。俺にも落ち度はあったかもしれんが、あの状況は誰が悪いというわけでもあるまい」
「それはそうかもしれないけど。でも志乃があまりにも不憫じゃない……」
「そうだな、今度謝っておかねば」
 それきり、零次は口を閉ざしてしまった。
 もう一度涼子は、何故あそこにいたのかを尋ねた。
 すると零次はやや照れ臭そうに鼻っ柱を掻きながら涼子にある物を手渡した。
 それは猫のキャラクターがプリントされた紙で包装された、チョコレートだった。
「え、これ……」
「日頃世話になっている例にと、お前にまず渡そうと思っていた。こんな形になってしまってすまんが……一応渡しておこう」
「……零次さんの馬鹿。なんか私が悪人に思えてきた」
「やはり男が渡すのはおかしいことなのか?」
「そうじゃない。そうじゃないよ……うん、貰えたことは嬉しい」
「そうか」
 それきり、二人は無言になる。
 やがて、分かれ道のところまで来た。
「零次さん」
「なんだ?」
「チョコさ、明日でいいかな」
「構わん。だが何故だ?」
「ごめん、色んな人に配ってたらなくなっちゃってさ」
「そうか……なら、楽しみにしておこう」
 そう言って、手を振りながら零次は去って行った。
 その背中を見送りながら、涼子は上着のポケットの中身を確かめる。
 本当は、渡すつもりだったチョコは入っている。
 他の人と同じ、普通のチョコ。
 だけど。
 もう少し、大きいものを作っても罰は当たらないだろう。
 そうと決まったら、早く家に帰って作らねばならない。
「……そうだ、どうせ明日あの家に行くなら志乃も誘おうか」
 あんなことがあった後では告白は出来まい。
 だがチョコを渡すということくらいは、叶えさせてやりたかった。
「うん、そうしよう。それじゃ、頑張って作ろっ!」
 夕焼けの道。
 伸びる影は、楽しそうに舞っているように見えた。

 オマケ
「はぁ……」
 朝月学園校門前。
 そこで藤田は一人、意気消沈といった様子で黄昏ていた。
 その手には涼子から貰った義理チョコ――――その残骸が入っているのだった。
「ずっと入れっ放しにしてたから、溶けちまったんだろうなぁ」
 今では半分以上液体になりつつある。
 これではとても美味しそうに見えない。
「はぁ……折角貰ったのになぁ」
 何度目かの溜息をつく。
 そこに、一つの影が伸びてきた。
 影は藤田の肩を叩く。
 藤田が振り向くと、そこにはチョコが差し出された。
「……え?」
「え、じゃないだろ。あんまり寂しそうだったからさ、あげるよ」
 影の主は、高坂雅だった。
 藤田は少し笑って、
「なんだよ、昼間貰ってたやつの余りか?」
「あれ、あんた見てたのか。まぁそうだね、あたしだけじゃ多過ぎるし」
 別段そのことを隠すこともなく、雅はさっぱりとした調子で言う。
 これを断わるのもなんだと思い、藤田はチョコを受け取った。
 二人揃って校門を出て、しばらく歩く。
 やがて分かれ道に着いた。
 何事もなく藤田が行こうとすると、
「藤田」
 雅が呼び止めた。
 何の気なしに振り返った藤田は、絶句した。
 夕陽に照らし出された雅。
 普段から友人として接してきた、男勝りの女。
 そんな情報が全てシャットアウトされるくらい――綺麗に見えた。
 雅は悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「寂しいあんたに一つ朗報だ」
「……なんだよ」
「――――あたしは、あんたみたいなやつ嫌いじゃないよ」
 それだけ。
 それ以外に特に何があったわけでもなく、雅は去って行った。
 残された藤田は一人、その場に立ち尽くす。
「……女ってズルイなぁ」
 そう言って、ポケットの中身を確かめる。
 これは溶けないうちに持って帰らなくちゃな――――と思いながら。