異法人の夜-Foreigners night-

-日常編-
木の枝のように――――その1
「もうすぐ桜が咲くかな」
「ああ咲くな、きっと咲く」
 少しだけ暖かくなった夜風が二人を吹き抜けていく。
 二人の視線の先には、遠い町並。
 明かりはもうほとんどついていない。
「ねぇ梢君」
「なんだ?」
「……卒業、だね」
 榊原家の屋根の上。
 そこに上って、二人はジュースを飲んでいた。
 遥の問いかけに、梢は声なき笑いを以って答える。
 そう、明日は卒業なのだ。
「志乃たちとの練習はいい感じなんだって?」
「うん。凄いよ、志乃ちゃんの意気込み。私も涼子ちゃんも、たじたじ」
 あはは、と笑う遥の顔には、何か誇らしげなものがあった。
「……皆で頑張った部活だから」
「ああ」
「――――絶対、凄いのにしたいな」
「なるさ。俺が保証してやる」
 梢が保証したところで何が変わるわけでもない。
 ただ、それだけの言葉でも遥は嬉しかった。
「でも少し寂しいね」
「そうか?」
「卒業したらもう同じところにはいられないんだよ? 寂しいよ」
「うーん、俺は卒業ってのに慣れてるから、あんましそうは思わないけどなぁ」
「そうかなぁ」
「そうそう。どうせ何かある度に会うに決まってるんだからよ。毎日会うよりかはたまに会うくらいの方が丁度いいかもしれねぇぞ?」
 いつもと同じように、からからと笑う。
 梢のこうした純粋な笑いを見る度に、遥は安心する。
 ……が、その笑みがふと止んだ。
「なぁ遥」
「ん?」
「明日はさ」
「うん」
「皆で行こう」
「……」
 皆で。
 そんなものは言うまでもないこと。
 それを何故今更言うのか。
 梢はどこか遠くを見ているようだった。
 視線の先には月が一つ。
 なんとなく、遥は梢の言いたいことが分かった気がした。
「皆で?」
「ああ」
「……そっか。そうだよね」
「そうだ。皆で……卒業しよう」
 ――――月は静かに、夜を見守っていた。

 朝月学園正門前に飾られた看板。
 そこには『高等部卒業式』を書かれていた。
 多くの下級生が下駄箱の前で待機しており、卒業生が通りかかると花をつけている。
 その中の一人――――冬塚涼子は、ふと歩いてくる集団に目を留めた。
「あ、姉さんに先輩……と、零次さん!」
「俺はついでか」
 不服そうに唸る零次に頭を下げつつ、涼子は早速三人に花を取り付けた。
「えっへっへ。なんか不思議な感じ」
「……卒業生でもないお前が浮かれてどうする」
「む、零次さん分かってないわね。こういうのは当事者じゃなくても、その近くにいたりとかすると盛り上がるものなのよ」
「そ、そうなのか?」
「そうそう。零次さんはどっちかっていうと皆が盛り上がってる中、一人瞑想してそうな雰囲気があるけど」
「……こら」
 ビシ、と涼子の頭にチョップが振り下ろされる。
 涼子は笑いながらそれを避けつつ、遥の背中に隠れた。
「あはは、二人ともなんか前より仲良くなったね」
「冬塚の口が悪くなっただけだ」
「零次さんが短気になっただけ」
 遥のコメントに当事者二人が反論。
 もっとも梢から言わせれば、三人の意見は全て正解な気がする。
「ま、いいことじゃねぇか。久坂も少しは人間味出てきたって感じだ」
「失敬なことを言うな。以前の俺は人間味がなかったと?」
「なかったじゃねーか。なんかロボットみたいに理論とか理屈だけで動いてるようなとこあったし」
「む……」
 その意見に何か思うところがあったのか、零次は視線を落として考え込んでしまった。
「……けどま、今のお前はただの変わり者だ。そうだろ冬塚」
「そうね。零次さん確かに変だけど、ロボットなんかじゃないと思う」
「励ましているのか貶しているのか、どちらだお前たちは……」
 そんなやり取りをしている間に、少しずつ玄関が混み始めてきた。
「っと、それじゃ行くか」
「うんそうだね。涼子ちゃん、それじゃまたね」
「うん、三人ともも卒業式頑張って!」
「何を頑張れと言うのだ」
 苦笑して、三人は玄関から離れた。
 人込みの中で忙しなく動く涼子の姿が、やがて見えなくなった。

 教室には既に、割合多くの生徒が来ていた。
 梢たちが教室へ入ると、その姿を認めた二人の生徒が駆け寄ってくる。
「よっ、倉凪。いよいよ卒業だな」
「おう藤田。お前の面を日常的に見るのも、今日で最後だな」
 と言っても梢と藤田はさほど家が離れているわけではないから、会おうと思えばいつでも会える。
 藤田の隣にいる男子――斎藤は、卒業後東京へ行くことになっていた。
「少し寂しくなるよなぁ」
「僕はさほど気にしていない。なに、夏休み冬休み春休みには戻ってくる」
 斎藤自身は今の別れよりも、東京の地が気になるらしい。
 おそらく斎藤はどこに行っても自分を見失うことなく、上手くやっていけるだろう――梢は、そう思っている。
「でもよ、3-A四天王も皆バラバラになっちまうんだもんな」
 ――――――――。
 藤田の何気ない一言で、周囲の空気が少し重くなった。
 ――――3-Aには、四天王と呼ばれた四人がいた。
 行事で一番活躍する奴、勉強が一番出来る奴、クラスで一番いいコンビだった二人……。
 その四人は、いつからか冗談交じりで四天王と呼ばれるようになった。
 藤田四郎、斎藤恭一、倉凪梢――――そして、吉崎和弥。
 去年、遠くへ行ってしまった、四人目の四天王。
「吉崎か」
 斎藤はとても深く、重い声を吐き出す。
 語るに語れない。
 それだけの思いがあるのだった。
 藤田は自らの失言に気づいたのか、黙ったままだった。
 だが梢は――吉崎の一番の親友だった梢は、にやりと笑ってみせた。
「ちゃんと連れてきてるぜ。なぁ、遥」
「……うん」
「連れてきている?」
 梢の言葉に、藤田と斎藤は首をかしげた。
 連れてこれるはずがない。
 吉崎和弥は、もういないのだから。
「倉凪。あんまそういう冗談は」
「冗談じゃねぇって。ほら」
 梢は鞄の中からそっと、小さな写真を取り出した。
「あっ」
「これは……」
 それは、遥がやって来て少し経った頃。
 梢が藤田たちに遥を引き合わせ、皆で遊びに行ったことがあった。
 そのとき、別れ際に撮った写真がある。
 梢が取り出したのはその写真。
「遺影じゃ辛気臭いし、あいつもそんなん喜ばないだろうしな」
 写真の中で吉崎は、梢や藤田と肩を組んで笑っていた。
 今その時を、心の底から楽しんでいるかのように――――。
「やっぱ、皆で一緒に卒業したいと思ってよ。まあ、感傷っちゃ感傷なんだけど。行き先は別々でも、俺たちは確かにこの教室で一緒に馬鹿やってたんだからな」
「……そうだな」
「へっ」
 斎藤は微笑みながら頷く。
 藤田は写真をじっと見ながら、鼻をこすっていた。
 そんな二人の肩に手を回し、
『なーに感傷に浸ってんですか、君たちは』
 そう言ってにやにやと笑う吉崎の姿が……遥には見えた気がした。

 遥はクラスメートたちと言葉を交わしつつ、雅たちの元へ合流した。
 雅と沙耶はこれからも一緒だが、由梨は斎藤と同様に東京へ行くことになっている。
「おはよーっ」
「お、遥。おはよ」
 雅はいつもと変わらない様子で遥に応じた。
 だが由梨と沙耶は、お互い視線を逸らすようにしている。
「ああ、気にしなくていいよ。こいつら今ちょっと喧嘩してんだ」
「け、喧嘩?」
 卒業式当日だというのに、なぜ喧嘩などしているのか。
 そう口にしようとしたところで、遥は沙耶が涙ぐんでいることに気づいた。
「由梨がさ。東京行っても寂しくもなんともないって言ったんだよ。そしたら沙耶が拗ねちまって」
「うぅ、だって! 酷いじゃん、いつも一緒だったのに! バラバラになっても全然平気って、なんか寂しいじゃん!」
 沙耶は雅に顔を突きつけながら同意を求める。
 鼻先がぶつかり合うくらいの距離まで迫った沙耶をなだめながら、雅は困ったように笑うばかり。
 肝心の由梨は視線を明後日の方に向けていて、表情が伺えない。
「由梨ちゃん?」
「……」
 遥の声に、少しだけ肩を動かして反応する。
 だがそれだけ。
 由梨は決して遥たちの方を向こうとしない。
「由梨ちゃん、泣いてる?」
「泣いてなどいない」
 確かに声は泣いていない。
 いつもと同じ、冷静そうな声。
 だが。
「……そっか」
 遥は一人得心し、雅に目配せした。
 雅は遥の考えを察したのだろう。
 引っ付いていた沙耶を引き剥がし、席を立った。
「どれ、倉凪でもからかってこようかね。遥、ちょっと行こうか」
「うん」
 言いながら、二人は沙耶と由梨の方をちらりと見た。
 決して視線を合わせない二人。
 そんな二人ではあるが……
(大丈夫だよね)
(ああ、大丈夫だろ)
 小声で囁きあい、遥たちはその場を後にした。
「……沙耶」
「何さぁ」
「私はな、泣いていない。悲しくもない。ただ――――とても怒っている」
「うぇ?」
「悲しくはない。平気だ。だがな、お前がそんな風だと、とてもイライラする」
「な、なんでさ」
「別れは笑顔で。陳腐かもしれないが、私はそんなことをずっと考えていた」
「……」
「今日に至るまで、一番いい別れ方をずっと考え続けた。また会うときに、笑っていたかったからだ。
それをお前は一人で泣き喚いて、文句ばかり言って。私はそんな風に見られていたのか、と。
――――そこまで薄情な奴だと。なんとも思っていないと。そんな風に見られていたのか。
そう考えるとな、悲しいとか寂しいとかなんて考えは吹っ飛ぶぞ。腹立たしい」
「由梨ちゃん……」
「さっさと泣き止め。お前がいつものように馬鹿笑いをしていないと、私の怒りは収まらん」
「……ん」
「分かったなら良し。私もこんな顔はお前に見せたくはない。……怒りが収まったら、そっちを向く」
「――――ごめん。あと、ありがと」
「ふん。今更だな。それと、後で雅や遥にも謝るぞ。心配をかけたからな」
「……あはは、うん。そだねっ」

「先輩方、卒業おめでとうッス!」
 3-Aの教室に響く景気のいい声。
 それは前回の生徒会会計にして、新生徒会の副会長と務めることになった仲橋由井子だった。
「おっ、仲橋。サンキュな」
 藤田が礼を言う。
 二人は家が近いこともあってか、比較的昔から付き合いがあるのだそうだ。
「藤田さん、大学でも野球やるんですか?」
「当たり前だろ。俺から野球を取ったら……」
「人体から水分を取るようなものだからな」
 斎藤がボソリと呟く。
「斎藤。それはどう解釈すればいいんだっ!?」
「好きなようにしたまえ」
「あー、こいつらのことは気にせんでいいぞ」
 梢が苦笑して言うと、由井子も
「分かってます」
 と頷いた。お互い笑っている。
「倉凪先輩、本当に一年間ありがとうございましたっ」
「ああ、生徒会の方は大丈夫か?」
「はい! 書記と会計の枠が一つ余っちゃってるんですけど……そこは、今度入ってくる新入生の子で埋めたいと思います」
「去年のお前がそうだったようにな。いや、あのときはビックリしたぜ」
 梢は教室のドアに視線を向けた。
 そこから去年、藤田に引っ張られて由井子がやってきたのである。
『倉凪っ、人手が足りないんだろ? 立候補者見つけてきたぜっ!』
『仲橋由井子です、頑張りますッス!』
 藤田の声も大きかったが、由井子の声はそれ以上だった。
 ただし可愛らしい声なので藤田と比べると、やかましいという印象はない。
「なんかお前ら見てると兄妹みたいだよなぁ」
「そ、そうッスか。藤田さんは自分の憧れなんすけど」
「憧れねぇ……」
 梢は隣で斎藤と口喧嘩をしている藤田を覗き見た。
 梢から言わせれば藤田はどこまでも馬鹿な友人である。
 だからあまり、憧れの対象とかそういう風には見えない。
 ただそこには、由井子なりの想いがあってのことなのだろう。
 特に茶化したり否定したりするわけでもなく、梢は笑って頷いただけだった。

「久坂よ、早いもんだな」
 クラスメートと軽く挨拶を交わした零次は、そこで担任の一戸に捕まった。
 一戸は梢や涼子も世話になっているし、転校当初から何かと気を使ってもらっていた。
「一戸先生。本日まで、真にありがとうございました」
「気にするな。俺は教師としての本分を全うしたまでのことだ」
 謙虚などではなく、本心からそう言っている。
 少々タイプの古い人間ではあったが、一戸のこういったところは零次も好感を持っていた。
「それにしてもよく無事卒業出来たもんだな。正直入学当初は心配していたぞ」
「誰もがそう言います」
「だろうな。やはり、榊原家に住み込み始めてからか」
「……と言いますと?」
「お前が少しずつ、学校の中に――いや、日常に溶け込んできたのが、だ」
 確かに、そうかもしれない。
 普通じゃない人間だらけのあの屋敷に住み込み始めてから、零次の中では何かが変わった。
 それまでは白い風景の中にある黒い点だった零次。
 それが榊原家の強烈な勢いに飲まれ、今では白……とまでは行かずとも、灰色くらいにはなっている。
「榊原さんや、倉凪たちには感謝せねばなりません」
「お前がそうしたいのなら思い切り感謝しておけ。そしていつか、お前自身も多くの人から感謝されるような人間になることだ」
「はっ、お言葉しかと刻みました」
 びし、と敬礼する零次。
 傍から見ると少し滑稽に映るが、一戸は真顔で敬礼し返した。

 体育館の保護者席。
 そこに並んで座る二人の男がいた。
「なんだか懐かしいですね、ここも」
「ここではない。お前は向こう側だったろうが」
 と、榊原は顎で卒業生たちの席を示す。
 隣に座る幸町は「そうでしたねえ」と笑っていた。
「榊原さんは、二度目ですね」
「……ああ、そうだな」
 一度目は、もう何年前になるのか。
「思い出すな。あの初代馬鹿が卒業式でやらかした大惨事を」
「ですね」
 二人は舞台の上に視線を向ける。
 数年前にそこで行われたとんでもない珍事。
「……今回は何事も起きなければいいがな」
「さてはて。倉凪君たちがどう出るか。なにしろ、あいつの弟分ですし」
「不吉極まりない発言をするな馬鹿たれ」
ごろりと榊原が幸町を睨んだ。
そこで、校内放送が響き渡る。
『高等部の一、二年生は第一体育館へ移動してください。繰り返します、高等部の一年、二年生は――』
 …………。
「始まるな」
「ええ、卒業式ですね」
「ま、俺たちは見てるだけだけどな」
 保護者はただ見守っていればいい。
 舞台を彩るのは、当事者たちなのだから。