異法人の夜-Foreigners night-

-Walk Together-
式泉運命の章「式泉運命とその家族」
 運命と未了には悩みがあった。それは、子どもができないだろう、というものだ。
「私には、不変の魔法がかけられているんです」
 結婚する少し前、未了は運命の肩に寄りかかりながらそう告白した。
「千年以上生きているという私の噂は、本当なのです。私は変わらないようになってしまっている。怪我をしても、病にかかっても、死んだとしても――元に戻ってしまう」
 だから。
 お腹に子どもが宿ったとしても――それすら元に戻ってしまうはず。
「この千年、そういう機会はなかったので実際にどうなるかは分からないですけど」
 そんな風に言う未了を、運命は強く抱きしめた。
「子どもが出来ようと出来まいと未了さんは未了さんだ。俺は好きだよ。愛してる」
 そう言って、そっと唇を重ね合わせた。
 ……とは言え、出来るなら欲しいよなぁ、子ども。
 結婚してから、運命はそう思うようになった。未了に対する愛情に変わりはないが、やはり子どもはいた方がいい。正直にその旨を打ち明けると、未了もそれに同意した。
「ですが、なかなか兆候がありませんね。……産めないわけではないのですが」
「……産んだことはあるんだっけ?」
「でなければ、運命はここにいませんよ」
 遠慮がちに尋ねた運命に、未了は笑って応えた。どうやら、彼女が自分の先祖であることは間違いないらしい。先祖と結ばれた男など自分くらいのものではないか、と運命は妙なところで得意な気分になった。
「私、名前も考えてるんですよ」
 そう言われては、ますます子どもが欲しくなる。
「それじゃ、今日も頑張る?」
 そんな運命に、未了は無言で枕をぶつけてきた。

「ふむ。そういうことなら――私に腹案があるぞ」
 後に司郎と名付けられる少年と出会う前後の頃。運命は思い切って父に、子どものことを相談してみた。
 運命の父は倫理観がやや欠けた人間だが、その分発想が自由で、既成概念に囚われない考え方ができる。信用はできないが信頼はできる。
「未了様が不変の存在である、と。それが原因で、受精したとしても卵子が元の状態に戻ってしまう――。ならば未了様の外で受精すれば良いのだ」
「そ、そんなことできるのか?」
「理屈の上では可能だ。母体とまったく同じ環境で受精を実現し、胎児を育てられれば良いのだからな」
 もっとも、そういう事例は聞いたことがないがな――と父は付け足した。
 現代で言う体外受精に近い発想である。ただ、受精後に子宮へ戻さない点などが異なるし、この頃、一九七五年には、まだ体外受精が成功した例はないとされている。
「それじゃあ、結局駄目なのか……?」
「いいや。私は成功例がないと言っただけだ。それだけで諦めるのは、私の息子としていかがなものかな」
「……どういう意味だよ」
「お前が最初の成功者になればいい。なに、そう難しいことではない。私も協力してやろう。早く孫の顔も見たいしな」
 そう言って父は笑った。不気味ではあったが、頼りにもなる笑みだった。

 父が採ったのは、魔術師ならではの異様な方法だった。
 未了の細胞から彼女の子宮や卵巣を再現し、そこに運命の精子を送り込むことで受精を実現させるというものである。
 運命や未了本人も、培養液の中にぷかぷか浮かぶ肉の塊を見たときは絶句した。受精し胎児を育てる。そのためだけに作られたのである。
「なに、知り合いのホムンクルス製造技術を応用しただけだ。そんなに珍しいものではないぞ」
 世間話するかのように語る父を、運命は正直殴り飛ばしてやろうかと思った。
 それでも運命や未了は何も言わなかった。彼らも努力はしていたが、子どもができる気配は一向にない。
 ……こんな方法でも、可能性があるなら。
 そう考え、運命は拳を握り締めながら耐えた。未了はもっと複雑な思いだったろう。けれど、彼女も何も言わなかった。
 このことは村の中でも噂となって広がった。もともとはぐれ者扱いだった運命の立場はますます苦しいものとなった。変わらず接してくれたのは文次郎と家人くらいだ。
 否。もう一人、長泉の長がいた。
 あるとき、長は突然式泉家にやって来て、その培養菅の前に立った。
 慌てて駆けつけた運命に対し、長は短く、
「産まれるな」
 と言った。
 この頃、既に『受精』は確認されていた。あとは胎児が無事に育つかどうか、という段階だったのである。
 それだけに、運命と未了は――複雑な思いを抱きながらも――この培養菅の側から離れず、じっと見守っていた。
「長泉さん、あんた何しに……」
「なに。家の者がうるさいので来ただけじゃ」
 そう言って、長はもう一度それを見上げた。
「命じゃな」
「え?」
「どんな経緯であれ、ここには小さな命が確かにある。誇れ。そして祝福してやれ。つまらぬ噂に気を取られることはない」
 それだけ言って、長はゆるりと去っていった。
 運命が面と向かってこの長と話したのは、未了との結婚を認められたときと、このときだけだった。それだけで、忘れがたい人になった。
 同年の秋、無事に子どもは産まれた。
 真っ先に抱き寄せた未了によって、この子は優香と名付けられた。
 長泉の長は、その子どもが産まれる前日、ひっそりと行方をくらませた。後日、遠い荒野で自害したという話が運命たちの元に届いたが――その原因は分からない。

 初めてできた子どもだけに、運命の喜びようは凄かった。赤ん坊相手に暇さえあれば話しかけ、頬を突っついたり、手を握ったり、抱っこしてやったりと――周囲が呆れ返るほどの溺愛振りだったという。
 経過は特殊だったが、産まれてみれば普通の子どもと変わらない。
 以前の不安も消え、運命と未了は子育てに熱中する日々を送った。
 ただ、なにもかもが順調だったわけではない。
 一つは、村の中で式泉家が孤立しつつあるということだった。未了がいる手前、表立って非難する声はないが、運命や優香を見る視線は冷たいものだった。旧習を守る立場の人間からすれば、運命は不遜な輩、優香は忌み子のようなものだったのだろう。
 そしてもう一つの問題は、優香に特殊な力が宿っているということだった。
 それがどういうものか皆目見当がつかない。優香が眠ろうとすると並外れた魔力が彼女を覆うこと、そうなると優香は激しく泣き叫び、すぐに目を覚ましてしまうということ――。分かっているのはそれだけだった。
 優香がせめて何か話してくれればいいのだが、赤ん坊にそれは無理な注文である。
 運命と未了は途方に暮れたが、我が子が衰弱していく様を黙ってみているわけにはいかなかった。
 式泉家を総動員して、優香を助けるための研究が始まった。
 まず分かったのは、優香の持つ力の性質だった。
 司郎のときに使った砂。それが遠ざかり、同時に変色した。
「……異法なのか魔法なのか。あるいは両方の性質を持った、もっと別の……」
 分かったのはいいが、これは難事だ。異法も魔法も、技術と呼べる代物ではなく、解析のしようがない。まして、それら両方の性質を持つものがどういう概念であるのかなど、分かるはずもなかった。
 ここで運命を救ったのは、未了の知識だった。
「『異法』については分かりませんが……『魔法』は制御することができるはずです」
「制御?」
「ええ。魔法そのものを除去することはできませんが、方向性を持たせることはできるはず。そうすることで、この子の負担を少しでも抑えられれば……」
 未了は、この千年の中で何人かの魔法使いと出会ったことがあるという。その中には魔法をうまく使いこなすために、魔術式で制御を行っていた者もいたというのだ。
 優香の力の本質は分からないままだったが、未了が魔術式の基礎を組み立て、運命がそれを改良して優香に組み込むことで――ようやく彼女の力は鎮まった。
 しかし、これは優香の特異性を部分的に制御したに過ぎない。根本的な解決には程遠かった。
「……未了さん」
 優香をあやす未了に、運命は言った。
「俺、これからは『異法』と『魔法』の研究をやるよ」
「研究……ですか」
「ああ。親として、この子のためにも……出来る限りのことはしてやりたいんだよ」
 優香は一時期、無残なまでに衰弱していた。あわや命を落とすところだったのだ。そんな娘の姿が、運命には何ともやりきれなかった。
 村の人間は優香を助けてくれない。助けてやれるのは自分たち家族だけだ。その思いが運命を突き動かしたと言える。
 式泉運命の研究活動は、それから足掛け十年ほど続く。

「……ん」
 昼下がりの陽射しが窓辺から入り込んでくる。それを浴びて、うたた寝していた運命はゆっくりと目を覚ました。
 ふっと意識を失い、目覚めるときには決まって頭痛がする。
 ちょうど優香が生まれる前後から、こういうことが起きるようになった。最近、その回数が増えてきているような気がする。
「っと」
 胸の辺りにも、ずきりと痛みが走った。
 どうやら相当疲れているらしい。連日の疲労がなかなか抜けない。
 そこに、優香が扉を開けて入ってきた。
「あ、お父さん起きてる」
「おお、優香。それに遥も」
 もう十にもなる優香。その背中には、小さな赤ん坊がいた。遥という。運命と未了の第二子である。
 優香のことがあって、二人は子どもを作ることに躊躇していた。妙な力を持っていたら大変だという理由もあるし、優香を育てるだけでもなかなか大変だったのだ。
 昨年、優香が「妹か弟が欲しい」と言わなければ、遥は生まれていなかったろう。
 案の定、遥も優香同様に妙な力を持ち合わせていたが、これは運命の研究成果が実を結び、優香のときよりスムーズに沈静化させることができた。
 優香は初めてできた妹が可愛くてならないらしい。運命や未了からふんだくるようにして、いつもこの妹を連れ回していた。
「大丈夫? 少し顔色悪いよ」
「ああ。少し疲れていてね。それより、どうしたんだい?」
「あ、そうそう。司郎さんが来たの。居間で待ってるよ」
「へぇ。久しぶりだな」
 よっこらせ、と重い腰をあげる。なんだか身体がだるい。
 優香がおじさん臭いよ、と言ってきた。運命は困ったように笑う。
 居間に向かうと、そこにはスーツ姿の司郎がいた。もう少年ではない。十年も経ったのだから、当然と言えば当然である。
「よう、久しぶりだな司郎。そんな格好してどうしたんだ」
 司郎は普段もっとラフな格好だった。この前ここを訪れたのは一年半も前だったが、そのときはボロボロのジーンズに薄汚れたシャツだったはずだ。
「ここは相変わらずだね、運命」
 司郎はややすっとぼけた返事をした。昔に比べればずっと人間味が増して来たが、どこか天然っぽい。
「そんなことねぇぜ。今じゃどの家にもテレビと電話がある」
「そいつは凄いな」
 二人は年の差を意識しない友人関係だった。性格も全然違うのだが、不思議とウマが合う。付き合いが今も続いているのがその証拠だった。
「ああ、そうそう。報告が遅れたんだけど」
「ん?」
「僕、結婚したんだ」
「なぬっ」
 突然の告白に、運命は口をあんぐりと開いた。
「ほ、本当か。だって……こう言っちゃなんだが、お前と結婚しようって人がいるなんてなぁ。ちょっと想像つかないぞ」
「うん。相変わらず失礼だね運命」
「おっと悪い。へぇ、でも戸籍とか大丈夫だったのかよ」
「ああ、それについては上手くやったよ」
 どう上手くやったのかは聞かない方が良さそうだった。未了もそうだが、司郎も正規の戸籍には名前が載っていない人間だったのである。
 未了の場合は内縁の妻という扱いだった。村の人間の反感を避けるため、ということもあって、已む無くそうしたのである。
「今は倉凪司郎ってことになる。実はもう子どももいてね。梢って言うんだ」
 そう言って司郎は笑った。確かに、もう少年の顔ではない。父親の顔だ。何かを守ろうとする男の顔になっていた。
「知らないうちに、年取ったなぁ。お互い」
「なんだよ。こっちはまだ二十代だし、運命だって三十路になったばかりだろ」
「そうだけどな」
 運命は苦笑して、
「なんか――そう長くはない気がしてよ」
 と、自分でも驚くようなことを言ってしまった。
 言い終わってから、運命ははっと口を閉ざした。正面の司郎が、鋭い視線を向けてきている。
「な、なんだよ。そんな怖い顔するなって。冗談だよじょう……」
「運命が言うと冗談に聞こえないな」
 遮るように、司郎が言った。
 そういうことが分かるのが運命の力だ。意識・無意識問わず、運命の言葉は冗談として聞き流せない重みがある。
 運命は落ち着かなくなって周囲を見た。誰かが今の話を聞いていたらまずい。
 幸い、人の気配はしなかった。
「……何かそういう兆候でもあるのか?」
「病気とかはしてないつもりなんだけどな」
 年に一度の医療検査では、特に問題は見つかっていない。表面的には健康そのものだった。ただ、最近妙に身体がだるくなったり、頭が痛くなったりすることがある。
 話を聞いた司郎は、より表情を険しくした。いつもの茫洋とした表情とは大違いだ。
「もう少し、詳しく話を聞かせてくれないか? 些細なことでもいい」
 問われるままに、運命は近頃抱いた違和感を語った。
 司郎は難しい顔をしてそれを聞いている。
 やがて、話しているうちに、運命はあることに思い至った。
「なあ、司郎」
「うん?」
「もしかしてお前――『土門荒野』の心配をしてるのか」
 司郎は答えなかった。それがある意味答だった。
 土門荒野。
 それは、十年に及ぶ運命の研究と無縁ではない。
 前触れもなく現れ、周囲を根こそぎにしてしまうと伝えられている能力者。やり口も時代も場所もてんでバラバラのため、複数の存在だという説、あるいは長命かつ単独の存在だという説など、様々な説が飛び交っている。
 その正体の一端を、運命は未了から聞かされた。
 彼女は何度も遭遇しているというのだ。その土門荒野と呼ばれる、伝説の存在に。
「人に寄生しては力尽きるまで辺り一帯を破壊し尽くし、やがて別の宿主に乗り移り、力を蓄えて同じことを繰り返す――そんな奴だって聞いてる」
「未了さんから聞いたのか」
「ああ。でも司郎、お前も知ってるとは驚きだったぞ」
 土門荒野に関する知識は、ほとんど出回っていない。魔術師たちの組織――魔術同盟や魔術連盟を初めとする、そういう裏方の組織ですら、ほとんど情報を掴めていない。
 おそらく、大半の魔術師は土門荒野など実在しないと思っているはずだ。
 その疑問に対して、司郎は言葉を濁すように、
「土門荒野の伝承は……僕や未了さんの故郷に伝わっているんだ」
「故郷……?」
 これまでも気になってはいたが、きちんと尋ねたことはなかった。
 聞いてみようか。
 そう思いかけたがやめた。司郎の表情を見る限り、素直に教えてくれそうにはない。
「まあ、いいか。問題は――土門荒野に、俺が取り憑かれたかどうかってことだな」
 未了から聞いた話では、土門荒野に取り憑かれた人間は少しずつその力が強力になっていく。同時に全身に違和感を覚えるようになり、そのうち虚脱感に襲われたり、激しい頭痛に苛まれるようになる。
 やがて自我が少しずつ土門荒野に侵食され、最後は心が死ぬ。
 心が死んだあとは、土門荒野に身体を限界まで酷使され、身体の方も死ぬ。
 土門荒野を追い出す術は、今のところ見つかっていない。未了もそういうものだという曖昧な知識しか持っていなかった。
 つまり現状、土門荒野に取り憑かれるということは――不治の病に侵されるのと同じ意味を持つ。
「司郎。お前、土門荒野を取り除く方法とかって知ってるか?」
「いや……。そもそも、言い伝えがあったってだけだから、俺も詳しいことは知らないんだ。うかつに話してると村の古老たちから罰があったし。禁忌なんだ、土門荒野は」
「……そうか」
 まだ自分が土門荒野に取り憑かれたと決まったわけではない。
 だが、その名前を意識すると心がざわめく。何かイライラしてくるのだ。それが何に対する苛立ちなのかは、自分でも分からない。
「一度、確認しておく必要があるな」
「そんな方法あるのか?」
「既存の技術を組み合わせれば、見えるものはあるはずだ。土門荒野の正体が分からない以上、確信まで持っていくのは無理だろうけどな」
 そう言いつつ、運命は自分の中で形のない確信が芽生えつつあるのを感じた。
 寒気がする。内側から来る寒さだ。
 そのとき、襖をトントンと叩く音がした。視線をやると、すっと襖が開き、優香がお盆を手に入ってくる。
「どうぞ。お菓子です」
 すまし顔の優香の背中には、目をぱっちりと開いた遥がいる。視線が合うと「ばあ」と運命に手を伸ばしてきた。
 苛立が、少し収まる。
「おお、優香ちゃんありがとう」
 そう言いながら司郎は優香の頭を撫で、遥の顔を覗き込んだ。
「ううん、やっぱ赤ん坊は可愛いね。実は俺のところにも子どもが出来たんだよ」
「えっ、そうなの? ってことは司郎さん結婚したんだ!」
 興味津々の様子で優香が司郎に詰め寄る。
「ねぇねぇ、結婚ってどんな感じ? 司郎さんの子どもってどんな子? あ、奥さんってどんな人なの?」
 質問攻めを食らって、司郎は苦笑しながらこちらを見た。
「薮蛇だったかな」
「自業自得だろ」
 平和な光景だ。
 妻と、娘と、友人と。ここにはいないが、弟分もいる。
 村の中の生活は窮屈を感じることもあるが――それでも概ね、満ち足りた生活だ。
 ……父親だもんな。
 家族を――守らないと。
 周囲を根こそぎにしてしまう存在、土門荒野。自分がそれになりかけている可能性があるなら、楽観視はできない。
 どれくらいの時間が残されているかは分からないが、出来る限りのことはしてやりたかった。すまし顔の優香や、ぱっちりした目が可愛い遥。
 それに――自分が愛した人。
「あら、司郎。来ていたんですね」
 玄関口の方から庭の方に来たのだろう。未了が、文次郎を連れて姿を見せた。
「……未了さんか」
 そんな何気ない呟き。
 そこから、いつもと違う何かを感じたのだろう。
 未了は不思議そうな顔を運命に向けた。
「あなた。どうかしたんですか?」
「……いや。どうもしないよ」
 ここにある当たり前の幸せ。
 それを守ろう。
 何が何でも――守りぬこう。

 数日後。
 式泉運命は、自身の異法にぴったりへばりつく別の異法の存在を確認した。
「異法に取り憑く異法――土門荒野か」
 そう呟く彼の顔を見た者は、誰もいない。