異法人の夜-Foreigners night-

-Walk Together-
草薙樵の章「草薙樵と土門荒野」
 寝起きは最悪だった。
 辺りを見渡す。
 ここはあの廃墟ではない。男の死体もなければ、白夜の姿もない。
 あれはもう十年以上昔のことだ。
「ようやく目を覚ましたか」
 声がする。
 毎日聞いている声だ。
「よう。今何時だ」
「十時過ぎだ」
「ある意味気楽だよな。ナースは美人さん多いしよ」
「お前、ナースフェチだったのか?」
「ナースなら何でもいいってわけじゃねえ。俺に尽くしてくれる感のあるナースじゃないと駄目だ」
「相変わらず素晴らしい自己中ぶりだな。病院側からしたら最悪の患者だぞお前」
「フィストは真面目だなぁー。ま、お前は夕観一筋だからなぁー」
「わざとらしく大声で言うな、馬鹿!」
 フィスト――かつて拳児と名乗っていた少年は、隣のベッドから身を起して叫んだ。
 フィストというのは魔術名――魔術師が持つ別名――であり、戸籍上彼の名前は拳児のままとなっている。しかし仲間内ではフィストと呼ぶのが当たり前になっていた。
 由美も発音は変わっていないが、魔術名として『夕観』という字を当てた。夕観の名付け親は白夜であり、フィストの名付け親は夕観である。
 樵は――魔術師でもなんでもないので、そのままである。
 名前以外はいろいろ変わった。
 多くの経験を積み、様々な人間と出会い、別れ、影響を受けることもあった。
 ただ、本質的なスタンスは変わっていない。
 自分の中の正しさを梃子でも曲げず、それを証明するための強さを得るため努力を続け、勝負とくれば意地でも勝ちを掴みに行く。
 そのスタンスが強過ぎるせいで、余計なトラブルに見舞われることも多々あったが、自分としてはこれで良いと思っている。
「相変わらず元気そうねー」
 と、そこで夕観が病室の扉を開けて入って来た。その瞬間、フィストが全身を硬直させた。
「おう、夕観。今の話聞こえてたか?」
「内容までは。なんかあんたらが叫んでるのは聞こえてきたけど」
 ほっとフィストが胸を撫でおろす。
 彼は知らない。彼が夕観を異性として意識していることが、皆にばればれであることを。こういう場合フィクションものなら夕観だけがそれに気付いていないというのがお約束なのだが、夕観はそこまで鈍くない。
 一度それとなく話題を振ったところ、
『あいつの口からはっきり聞きたくてさ』
 二人の側にいる樵としては、もどかしいことこのうえない。
 ちなみに、恋愛もののフィクション作品であれば、樵も夕観に惚れて云々というのが王道なのだろうが、樵にとっての夕観はどこまでも『友人』なのであった。
「しっかし樵、あんた目が覚めるまで随分と時間かかったわね」
「ん? ああ、そういやあれから何日経ったんだ?」
「一週間。フィストは三日で意識戻ったわよ」
 夕観の言葉を信じるなら今から一週間前。
 樵たちは、白夜から流れてきた情報を元に、あるはぐれ魔術師の討伐に出向いた。
 そこでやや無茶をして、樵とフィストは大怪我をするはめになったのである。
「夕観はいいよな。後方支援がほとんどで、俺たちみたいに危険な橋渡ることねえし」
「馬鹿言いなさんな。あんたら当日に突撃かますだけの楽な仕事じゃない。私なんか数日前から情報収集やら状況のセッティングやらで大変だったのよ。単独調査はかなり危険だってのに。そのうえで当日あんたたちの後方支援までこなしてるんだから」
「そう怒るな、夕観。樵のはただの愚痴だ。こいつも分かってるよ」
「えーえー。それでも言い返しておかないと気が済まないわ。ったく、のんびり寝ちゃって。何か良い夢でも見てたの?」
 夕観に尋ねられ、樵はぽりぽりと頭を掻いた。
「まぁ……見たといえば見たな。夢。御世辞にも良い夢たぁ言えなかったが」
「どういう夢よ?」
「父さんと母さんが死んでから、お前らに会った頃までの夢だよ」
「ふーん。それは確かに、良い夢とは言いにくいわね」
「地獄のような期間だったからな」
 良かったことと言えば、倉凪司郎に助けられたことと、夕観とフィストに出会えたことくらいだ。照れ臭いので間違っても口には出さないが。
「あ、そうだ。あんた、目が覚めたならちょうどいいわ。郵便物が来てたの。あとで確認しておいた方が良いと思うわよ」
「俺宛てにか? さすがにしばらく仕事はできないぜ」
 樵は、夕観やフィストに協力する形で、違法性の強いはぐれ魔術師等を討伐する仕事を引き受けている。そういった仕事を繰り返すことで、魔術師たちの集まりである魔術同盟の評価を得て、古賀里家再興をしようというのが狙いだった。
 はぐれ魔術師というのは、大抵が禁忌及びそれに近いものに触れる研究をしている。安定した進化を望む魔術同盟という組織は、その手の輩を危険視し、排除するよう動いている。三人がやっているのは、その手伝いというわけだ。
 もっとも、三人に標的となりそうな魔術師の情報を流すのは、ほとんどあの老人、古賀里白夜である。そこはかとなく、良いように使われている感がなくもない。
 もっとも、稀に白夜以外から依頼が来ることもある。今回もその手合いだろう。
「確認だけならできるでしょ。一応持ってきてあげたから、あとで見ておきなさい。あんたにとって、もしかしたら大事なものかもしれないわよ」
「あん? どういう意味――」
 尋ねかけたところで、夕観が封筒をこちらに放り投げる。慌てて受け取り、送り主の名前を見たところで、樵の表情が凍りついた。
「……なんだ? どうした、樵」
 フィストが心配そうな顔をこちらに向けてくる。
 しかし、樵はそれどころではなかった。
 柄にもなく、封筒を持つ手が震える。
 送り主のところには――倉凪司郎と書かれていた。

 病院の屋上に出て、封筒を開く。
 司郎のことは夕観やフィストに話してあるので、別に病室で見ても良かったのだが――なんとなく一人で見たかった。
 正直なところ、司郎本人からのものとは思えない。
 ここ数年で様々な人々と知り合い、樵もある程度魔術の世界に通じるようになった。その中で、ダブル・ワンと呼ばれる存在のことも知った。
 魔術師殺し。畏怖の念を持ってそう呼ばれていたのがダブル・ワンという正体不明の能力者である。その正体を知る者はほとんどいない。
 樵は、そのダブル・ワンが倉凪司郎であることを知っている。司郎自身からそう聞いていたからだ。
 ダブル・ワンはここ数年行方不明となっている。一時期は相当派手に活動していたらしいのだが、あるときを境にぱったりと姿を消した。
 そのあるときというのは――樵が白夜に連れだされる少し前の頃だった。
 引退説も流れてはいるが、大多数は『暗殺説』を信じている。
 樵もそう見ている。司郎自身、そろそろ誰かに殺されるんじゃないか、というようなことを語っていた。
 だから、今になってこの封筒を送ってきたのは、司郎ではないと考えている。
 ……けどよぉ、誰だ?
 見当もつかない。樵と司郎の関係を知っているのは、夕観とフィスト、それに白夜くらいのはずだ。
 ……夕観とフィストには、俺が少し話したってだけだが。
 白夜にしても、わざわざ司郎名義で樵に封筒を送る理由がない。
 ……いや、あの妖怪腹黒爺が何考えてるかなんて分からねーし、可能性としちゃ一番ありそうだけど。
 封を切って中身を取り出してみる。
 そこには、更に二つの封筒が入っていた。
「マトリョーシカかよ」
 入っていた小さい封筒のうち、一つは魔術同盟宛てになっている。もう一通は樵宛てだった。
 魔術同盟宛てのものを大きい封筒の中に戻し、樵は自分宛のものを開ける。
 中に入っていたのは、一枚の手紙だった。

 草薙樵君。
 これを君が読んでいるということは、これから記すことを僕が口頭で君に伝えられなかったということだ。
 本来は手紙で伝えるようなことではない。その点を、まずは詫びさせてほしい。
 手紙に慣れていないから、書き方など不作法な点もあるだろう。その点はご了承願えるだろうか。
 そう、これから記すのは君にとって重要なことだ。
『土門荒野』。
 君がこの言葉を忘れているとは思わないから、この単語についての説明は省くよ。
 忘れていないよね?
 君の前に土門荒野に取り憑かれた男を僕は殺した。その後、宿主を失った土門荒野は君を新たな宿主とした。一度寄生した土門荒野が宿主の生存中に離れたという事例は聞いたことがないから、きっと今も君の中にいることだろう。
 だが、君の中にいるのは、正確に言うと『土門荒野の半身』に過ぎない。
 君の中の土門荒野は、不完全なものなんだ。
 だから、何事もなければ、君は土門荒野に乗っ取られずに済む。大変な人生だとは思うが、最後まで自分を失うことなく生き続けることができる。
 僕は君に取り憑いたばかりの土門荒野を分割した。そういう力が僕にはある。
 0が真で1が偽とするなら、君の中の土門荒野は0.5。真偽定まらぬ状態にあるわけだ。こういう状態は過去に先例がないから、土門荒野がどう動くかは、正直よく分からない。
 本当ならその経過を見守っていきたかったんだが、近頃僕の周囲はかなりまずい状況になってきている。遠くないうちに殺されるかもしれない。
 だから、土門荒野に関する情報を君に残しておこうと思う。
 助けることはできないかもしれないが、伝えておくことはできる。土門荒野に関わった者として、君を最善の形で救えなかった者として、それくらいはやっておくべきだと思ってね。
 次のページに、僕が伝えられることを列挙しておくよ。
 頑張って、最後まで生き抜いてほしい。

 ●土門荒野は異法人に寄生する。一度寄生すると死ぬまで離れない。
 ●土門荒野は実体を持たない概念存在である。
 ●土門荒野は性質上『異法』に分類すべき概念らしい。
 ●土門荒野は寄生した宿主が持つ『異法』の力を過剰に高める。
 ●土門荒野は寄生した宿主の意志を徐々に喰らう。
 ●土門荒野は宿主の意識を喰らった後、周囲のものを徹底的に破壊し尽くす。
 ●土門荒野は宿主が壊れるまであらゆる破壊を繰り返す。
 ●土門荒野は宿主が壊れると、次の宿主を探して寄生する。
 ●先の土門荒野の宿主は式泉運命。倉凪司郎が討伐。
 ●現在の土門荒野の宿主は草薙樵。ただし、半身。
 ●草薙樵に寄生した土門荒野は、倉凪司郎の手によって分割。
 ●分かたれた土門荒野は、倉凪司郎の長子である倉凪梢に移植された。
 ●分かたれた土門荒野が今後どのように動くかは不明。
 ※失われた半身を求めて動き出す可能性あり。要注意。

「……なんだ、これ」
 手紙を読み終えて、樵は戸惑いの声を上げた。
 土門荒野。忘れるはずもない。平穏な生活に終止符を打ったあの怪物。今もときどき自分の中で蠢くその存在を、忘れられるはずもない。
 手紙の内容は、既知の事柄と、未知の事柄が入り混じっていた。
 未知の事柄――特に、司郎が土門荒野を分割していた、という事実には大きな衝撃を受けた。
 この手紙の内容が事実なら、土門荒野は二つに分かたれた状態で――自分と、司郎の子に寄生している状態なのだろう。
 そこが、分からない。
「なんで、そんなことをわざわざ書く……?」
 もしこの手紙を見て、樵の中にいる土門荒野の半身が刺激されたらどうするのか。
 樵の中の土門荒野に意志があるとするなら、失われた半身を求めようとするのではないか。
 もう片方を持っているのは倉凪梢――司郎の子だ。
 土門荒野は一度寄生すると死ぬまで離れない。ならば、土門荒野が半身を取り戻す手段は一つだけ。相手の宿主を殺す。そういうことではないのか。
 つまり、司郎のこの手紙は――自分の子の危険を増やす効果を持つ。
 また、樵に知らせたところで、メリットもほとんどない。
 言ってしまえば、有害な手紙だった。
 真実というのは知ればいいというものではない。知らなければいいことも、世の中には掃いて捨てるくらいある。
 それくらいのことが分からない司郎ではないだろう。
 だからこそ、この手紙の真意が分からない。有害な真実を伝える意味は何なのか。
 土門荒野をどうにかする解決策が提示されているなら、まだ分かるのだが。
 更に言ってしまうと、全体的に違和感がある。
 ところどころ司郎らしさが垣間見えるのだが――逆に、司郎らしからぬ部分も多くあるような気がする。
 最前線で武器を欲しがっている兵士の元に、ケーキが送り届けられたかのような、そんなちぐはぐな手紙だ。
 手紙というのは事実を伝えるためだけのものではない。そこには何かしらの意図があるはずだ。それがさっぱり見えてこない。
「ちっ」
 癪だが、こういうことで頭を使うのには慣れていない。普通なら夕観にでも相談するところだが、これについてはもっと適任な者がいる。
 あまり会いたい相手ではないが。
「行くしかねぇか」

 その日の暮れ。
 小さな町のとある神社の裏手。そこに寂れた古書店があった。
 ガタガタと音を立てて戸を開けると、整理された本棚が視界を埋め尽くした。
「おい、邪魔するぜ。本家の爺」
「――その呼び方はやめろと言うたはずじゃ」
 樵の呼びかけに、店の奥の影が応じた。
 古賀里白夜。年齢は不詳ながら――出会った頃と変わらず、壮健である。
 この老人は古賀里本家の出身ではない。しかし本来の本家筋が壊滅し、もっとも本家に近い血筋の夕観が若年ということもあって、魔術同盟から暫定的に古賀里本家として扱われている。
 一応、夕観の後見人という立場だが、直接顔を合わせる機会はそう多くない。
 白夜本人は、古賀里本家という扱いがむしろ不満らしい。詳しい理由は夕観やフィストも知らないそうだが、白夜は『古賀里本家がどうなろうと知らぬ』と昔から明言していたらしい。
 そんな老人は、普段人が訪れることのない古書店に籠りきりの生活を送っている。
「毎日毎日こんな本の中で生活してやがんのか。よく飽きないな」
「書痴ゆえ気にならぬ。それよりも『後継者』の小僧。貴様がここを訪れるとは珍しいではないか。何かあったか」
「その『後継者』ってのやめろ爺。……ま、そのことだがな」
 白夜は樵のことを『後継者』と呼ぶことがある。何を意味しているのかと以前問い質したところ、土門荒野の力を継いだ者、という意味らしかった。樵としてはいい気分ではない。
「こんな手紙が届いた。正直、意味が分からん。放っておくにしても気持ち悪いんで、一応アンタの意見を聞きに来た」
 言って、樵は封筒を白夜に放る。白夜は無造作に受け取ると、緩慢な動きで手紙を取り出し、一読した。
「ふむ。なるほどな」
 一通り読み終えると、白夜は手紙を元に戻し、樵に投げ返した。
「二枚目は違うな」
「ん?」
「土門荒野に関する事柄を列挙しておるじゃろう。二枚目。それは違う」
「違うって、内容が嘘ってことか?」
「いいや。おそらく内容は事実であろう。違うというのは――それを書いたのは倉凪司郎ではあるまい、ということよ」
 白夜は断言した。
「紙の質、文字の濃さが明らかに違う。一枚目は何年も前に書かれたようじゃが、二枚目が書かれたのはそう昔のことではあるまい」
 言われて、樵はもう一度一枚目と二枚目を見比べてみた。確かに、意識してみると二枚目の方が新しいように見える。
「ダブル・ワンこと倉凪司郎はおそらく一枚目を書いて程無く死んでいる。直接面識はないし、奴の死は誰一人確認しておらぬから断言はできぬが……二枚目を書いたのは別の人間であろう」
「そいつは誰だ」
「そこまでは知らぬ。泉の人間であれば、物質に触れることで残記憶を辿れたかもしれぬが……わしにその手の力はない」
 煙管を吹かしながら、白夜は続ける。
「ただ、二枚目を書いた人間の思惑ならば分かる。おそらく、貴様にこの手紙を送ったのも、二枚目を書いた輩の仕業であろうよ」
「なんだよ、その思惑ってのは」
「決まっておろう。土門荒野の復活よ」
 どくん、と。
 心臓が、跳ね上がった。
「この手紙で得られる効果。それは貴様に土門荒野の現状を再認識させること。分かったことと言えば――土門荒野復活の方法。それをわざわざ知らせて寄越したのだ。他に目的はあるまいよ」
 確かに、言われてみればその通りだ。
 相手の目的がそこにあると考えれば、納得がいく。
「けど、誰だ? ここまで土門荒野の事情に詳しい奴なんて、誰がいる?」
「……分からぬ。だが、気をつけておいた方が良いな。その『誰か』は貴様のことを知っている。倉凪司郎が『知らない』と報告していた、土門荒野の宿主であることを。この手紙の内容が魔術同盟などに持ち込まれれば――貴様、ただでは済むまいぞ」
 今のところ、魔術同盟にとって草薙樵とは、古賀里復興を志す夕観の協力者でしかなかった。異法人という特異性は彼らの利害にそう大きな影響を与えない。
 ただ、土門荒野となれば話は別だ。魔術同盟にとって、土門荒野とは、地域レベルの破壊を繰り返す伝説の存在。災害指定を受けている危険な存在である。
 正体が知られれば、討伐指定を受けるのは必須だった。
「爺。一応確認しておくが、手紙を出したの、アンタじゃないだろうな」
「……ふん。疑うのは勝手じゃが、違うと言っておこう。貴様の中の土門荒野をいたずらに刺激させて、わしに何の益がある。そもそも、わしも土門荒野が分かたれていることは知らなかったのじゃぞ」
 ふー、と静かに息を吐き出し、白夜は窓の外に視線を移す。
「……そう。知らなかった。わしが。自覚はなかったが、耄碌したかの」
「は?」
「そろそろわしも終わりかもしれぬな。次が来る。そういう頃合いよ」
「何言ってやがる。さっぱり分からねぇぞ」
 本当に耄碌したのか。
 しかし、その割に白夜には呆けたような雰囲気がない。
「小僧。一つ聞いておこう」
「なんだ」
「もし貴様の中の土門荒野が復活に向けて活性化したら――貴様はどうする。抗うか、それとも諦めるか」
「抗うに決まってるだろ」
「どうやって? 十年、二十年と、ずっと抗うのか。生きている間、ずっと土門荒野を押さえつける自信はあるか?」
「そんなん知るかよ。けどな、ただ黙ってやられるつもりはねえ。俺の人生無茶苦茶にしやがった、ろくに正体も分からない化け物なんぞに、これ以上好き勝手させるつもりはねえよ」
 少なくとも。
 最後まで、『自分』を捨てるつもりはない。
 今、ここに自分がこうしていられるのは、両親や司郎、それに夕観やフィストたちのおかげだ。その人たちに受けた恩を思えば、そう簡単に諦める気にはなれない。
「相変わらず短慮。浅はかな答えじゃ」
 白夜は淡々と言う。だが。
「だが、貴様らしい――良い答えよ」
 老人の口から出た思いがけない言葉に、樵は返す言葉を失った。
「どういう意味だ」
「そのままの意味よ。まぁ、せいぜいもがき苦しみながら生を全うすると良い。わしのように、それさえままならぬ爺もおるのだ。貴様ら若造はしゃんと生きろ」
 たとえ、どれほどの苦難が待ち構えていようと。
 老人は、最後にそう言った。

 手紙の一件以降、草薙樵の中の土門荒野は急速に存在感を増していく。
 そして、二〇〇五年。
 彼は、夕観やフィストの前から、突如姿を消した。
 その翌日――古賀里白夜は、何者かによって殺害される。