異法人の夜-Foreigners night-

-Walk Together-
郁奈の章「郁奈と悪夢」
 自分には無理だと嘆き諦める。
 他人を頼ればいいだけの話だというのに。



 しんしんと雪が降る。
 空は薄暗く、白い。
 雪を綺麗だという人もいるが――自分はあまり好きではない。
 見上げた空が、いつも陰鬱な雰囲気を漂わせているからだ。
 そこから少しずつ視点を下ろしていく。
 自分の立っている場所。ある町の風景。
 そこは廃墟だった。
 正確に言うなら――廃墟になりつつある町だ。
 凄まじい揺れが町を襲い、今また一つどこかでビルが崩れる音がした。
 瓦礫の山に立ちながら、自分は遠方に視線を向ける。
 震源地。
 そこに立っているのは、草薙樵という男だった。もっとも、今はもうその自我は残っていないかもしれない。ならば、彼のことは『土門荒野』と呼ぶのが適切か。
 何年も前、『土門荒野』は倉凪司郎という男によって二つに分けられた。草薙樵という少年と、倉凪梢という幼子の中にそれぞれ封じられた『土門荒野』は、一つになって復活を遂げた。
 数日前になるだろうか。草薙樵が倉凪梢を殺して、彼の中にあった『土門荒野』の片割れを喰らった。草薙樵の意識はそのまま『土門荒野』に呑まれ、破壊をまき散らす怪物が再び姿を現す。
 それに対して必死に抗う者たちがいる。しかし彼らも無事では済まない。
 誰が生き残り、誰が死ぬことになるか。それは『その時々で異なる』から自分にも正確には分からない。ほぼ確実に生き残れるのは、上泉陰綱と久坂零次くらいか。
 真泉未了はそもそも死なない存在だから、例外である。
 多くの人が死ぬ。
 命の光が一つ一つ消えていく。
 それを前にして、自分はあまりに無力だった。
 なぜなら――これは既に起きてしまった出来事だからだ。
 自分は過去の夢を見ているに過ぎない。
 無数に存在する並列世界――その中で過去に起きた悲劇を、垣間見ている。
 夢に介入することはできない。それで起きてしまったことが変わるわけでもない。
 そう、これは夢だ。
 物心つく前からきっと見ていたであろう夢だ。
 毎晩毎晩気の遠くなるくらい見続けてきた夢だ。
 主観では、現実で過ごした時間よりも、夢を見続けた時間の方が長く感じられるくらい――馴染み深い夢。
 こんな夢と付き合い続けるコツが『諦め』にあると気付くのに、そう時間はかからなかった。
 どうにもならない。
 自分は無力だ。
 諦観の眼差しで見届ける以外、どうしようもない。
 ……ああ。朝はまだかな。
 悲劇を見ながら少女は思う。思った後に、ふと気付く。
 夢から覚めたところで、現実もそう幸せなものではないということに。

 チュンチュンと雀が鳴く声が聴こえてくる。
 朝のささやかな陽射しを感じつつ、少女は瞼をこすりながら布団からのっそりと身を出した。
 隣に布団はない。既に畳んで押入れにしまっているのだろう。
 こじんまりとした和室。
 何の飾り気もないその在り様は、心を落ち着かせてくれる。
 言いつけ通り蒲団を畳み、寝巻から着替えて縁側に身を出す。
「おはよう」
 横から声がした。優しい声だ。思わず頬が緩む。
「おはよう、冷」
 立っていたのは、着物姿の女性だ。どちらかというと細めの身体つきで、着物が様になっている。折り目正しく気の強い性格は、そのまま顔つきに表れている。
 飛鳥井冷夏。この屋敷の主でである。
 日本における魔術の名家の中で、もっとも幅広い範囲の分野を研究し、もっとも規模が大きいと言われているのが飛鳥井家である。
 冷夏はその飛鳥井家でも重要な位置にいる。二十六の若さで屋敷の主を務めているのは、そういった事情がある。
 もっとも、自分にとってそういったことは興味がない。自分は飛鳥井家に属しているわけでもないし、自分と冷夏の縁は彼女の立ち位置とは関係ないからだ。
「朝食の支度はできてるけど、食べる?」
「うん」
 音もなく歩く冷夏の後を、少女はとてとてと歩く。
 食事用の部屋に、他の人の姿はない。ここは屋敷の主の家族が使う部屋なのだ。
 冷夏にも自分にも家族はいない。
「昨日も眠れなかったの?」
 食事の途中、冷夏が心配そうな眼差しをこちらに向けてくる。
「うん」
 少女は睡眠不足だった。それはここ数日の話ではない。物心ついた頃からずっとだ。落ち着いて眠れたことなどない。
「……そう」
「大丈夫だよ。冷が気にしてる理由じゃない。夢のせいだから」
 冷夏には、夢の内容についてまでは話していない。ただ怖い夢をいつも見る、とだけ言っている。
 少女が見る夢には様々なパターンがある。毎晩見る夢は、いずれもどこかが違っている。それでも、大筋は決まっていた。
 別の世界で起きてしまった様々な悲劇。それは、少女が生きるこの現実では、まだ起きていない。言い方を変えれば、おそらくこれから起きるであろうことを、少女は夢で見ている。
 その内容は、残酷なものだった。
 ……私にとっても、冷にとっても。
 だから言わない。少女なりの気遣いだった。
「冷こそ、大丈夫?」
「え?」
「まだ気にしてるように見えたから」
 少女に指摘され、冷夏は曖昧な笑みを浮かべてみせた。
 今はこうして日常的な風景の中にいるが、冷夏は先日、大規模な『作戦』に参加していたのである。
 魔術師だけでなく、様々な組織が集まって、たった一人の男を滅ぼさんとした。冷夏はその中で重要な働きをしたらしく、そのせいでしばらく魔術が使えないくらい消耗してしまった。
 だが、少女が心配しているのはそういうことではない。
 その作戦の中で、ある人物が命を落とした。
 冷夏の親友の一人だった。
 そして、少女の父親でもあった。
 父は作戦の討伐対象だった男と浅からぬ因縁があった。そのため作戦の際、他の組織と歩調を合わせず、深入りし過ぎて命を落とすことになってしまったのだという。その代わり、父の行動がきっかけとなって、討伐対象の男が倒されたとも聞いている。
 だが、冷夏や自分にとっては『死んだ』以外の何でもない。
 冷夏は父を亡くした自分のことを気遣っているようだが、冷夏の方がダメージは深いように見えた。
 ……私は、よく分からない。
 いろいろ事情はあるのだが、少女は父の顔をほとんど見ていない。記憶にあるのはとてもおぼろげな輪郭だけだ。ほとんど縁がなかった父親の死は、どう受け止めるべきなのか。そこがよく分からない。
 死んでしまったことを悲しむべきなのか。放っておかれたことを怨むべきなのか。それすらはっきりしない。
「ともあれ、今日は孝也のところに行こうか。夢のことも調べてもらうようお願いしておいたから」
「うん」
 決まりきった展開に相槌を打つ。冷夏がこういう風に提案する場面も、夢の中で繰り返し見てきた。多少の差異はあれど、これから起きることは大抵夢であらかじめ見てしまっている。
 分からないことと言えば。
「冷」
「ん? どうしたの、郁?」
「私、今日は卵焼き食べたかったな」
 目の前の目玉焼きを睨みながら、少女――郁奈はぼやいてみせた。

 幸町孝也は開業医である。第三者への適当な説明ならこれで足りる。
 もう少し詳しく言うと、正規の医師ではない。魔術師含む『裏』の面々が主な顧客である。立場は相当に胡散臭い。
 そして、郁奈から見た場合、もう少し付け加えなければならない。
 父の旧友であり、冷夏の婚約者である、と。
 二人はこの日、彼の診療所を訪れていた。玄関先に人の姿はなく、閑散としている。診察室にでもこもっているのだろう。
「孝也。いますか」
 返答を確認する前に、冷夏はいきなりドアを開けた。普段は礼儀正しく才媛としてふるまっているが、近しい人に対しては割合杜撰なところもある。
「ああ、いるよ。ところでノックくらいしたらどうだい」
 入ると、孝也はデスクに肘をついて何かの書類を読んでいた。
 ぼさぼさ頭に眼鏡、少し汚れた白衣。履いているのはサンダルだ。普段着のときは闇医者というより保父さんのような印象だが、こういうところを見ると闇医者という肩書きが相応しいように思えてくる。
「ま、いらっしゃい。適当なところに座ってて。今飲み物入れてくるから」
 よっこらせと腰を上げ、孝也は奥の台所に行ってしまった。冷夏は言われた通り空いていた椅子に腰を下ろしたが、郁奈はなんとなく孝也の見ていた書類が気になった。
「こら、郁」
 覗き見していると、冷夏に頭を小突かれた。
「冷、これ何て書いてあるの?」
「だから、人のものを勝手に見ては駄目って、いつも言ってるでしょ」
「えー。でも」
 先の見えている日常。そんなのは飽き飽きだった。
 だから、こういう『よく分からないもの』には興味がわく。
「……これ、ドイツ語だから私にも分からないわ」
 郁奈に押されてちらりと書面を見た冷夏は、すぐに頭を振った。
「お客さんの診断書だよ。勝手に見られると、さすがに困るかなぁ」
 戻って来た孝也は、二人分のカップを置くと、書類をさっさと片付けてしまう。
「それで、郁奈の夢の話だったか」
「ええ。何か分かりそうですか?」
「正直言ってさっぱりだ。毎晩同じような悪夢を必ず見ている……って話だったね」
「うん」
「夢見の力ってことだ。古来伝承の類ではよく聞く力だけど……」
 そこで孝也は、一枚の書類を取りだした。
「孝也。それはなんですか?」
「冬塚夫妻の研究室にあった書類でね。まあ、彼女のことが書いてあったのさ」
「私のお母さんのこと?」
 知らないふりをして尋ねてみる。想像通り、冷夏と孝也は少し驚いた顔をしてから、ゆっくりと説明を始めた。
 夢の中で見た光景だ。当然、内容についても知っている。
 郁奈の母親は、父同様、冷夏や孝也の友人だった。彼女には、他人の過去を夢で見るという不思議な力があったらしい。
 郁奈が毎晩同じような悪夢を見るのは、母と同じような力を持っているせいではないだろうか――孝也はそう推察する。
 曖昧に頷いてみせたが、郁奈はその推察が正しいことを知っている。
 自分が見る『土門荒野』にまつわる夢。それは、自分の奇妙な因縁と、母から受け継いだ能力が見せているものだ。
 見たくもない悪夢。それを終わらせる手立てはない。
 孝也は『何かいい方法がないか検討してみる』といったが、期待はできない。この問題が解決した夢など、見たことはなかった。
 悪夢を防ぐことも、土門荒野の復活を防ぐこともできない。
 何もできない。どうしようもない。
 郁奈が生きているのは、そういう現実だった。

 冷夏と孝也を残して、郁奈は一足先に幸町診療所から出た。婚約者同士、積もる話もいろいろあるだろう。
 と言っても、幸町診療所があるこの町には馴染みがない。行くあてもなければ、行きたい場所もない。だから、郁奈は適当な民家の上に腰を下ろしていた。
 郁奈には常人を超えた身体能力――異法人の力がある。まだ五つという幼さながら、屋根に飛び乗るくらいは簡単だった。
 ……あと二年か。
 夢の中の光景は、いずれ現実にも現れるだろう。夢の中で土門荒野問題が顕在化してくるのは二年後、二〇〇五年のことだ。
 ……たくさんの人が死ぬ。
 止められない。それに、止めなければならない理由もない。
 自分はたまたま変な夢を見せられているだけだ。夢を見ているから、これから起きるであろうことを知っているから、止めなければならない――なんて理屈はおかしい。
 かすかに思うのは、冷夏が死なないように、ということくらいだ。
 夢の中で、冷夏は結構な確率で命を落としてしまう。仮に生き残ったとしても、彼女の周囲は多数の問題を抱え込むことになり、今のような平穏な日常は失われてしまう。それだけは嫌だった。
 けれど、自分にはどうする力もない。
 知っているだけではどうにもならないのだ。
 テレビの内容と同じだ。面白くない、自分の望む展開じゃないと喚いたところで、番組の内容が変えられるわけではない。
 自分はテレビの視聴者に過ぎない。あらかじめ予告を見ていて展開が見えている、というだけだ。
 何もかもを諦めて、受け入れていくしかない。
 ……私だって、嫌だけど。
 まったくの無関係ではないところが、郁奈の心を重くしていた。冷夏以外にも、二年後の事件には、彼女の関係者が何人か関わることになる。
 面識はないが、縁はある。この町にいるから会いに行こうと思えば行ける。しかし、そうする気にはならなかった。
 縁があると言うだけでも気が重いのに――顔見知りにでもなったら、夢の件を、二年後に起こるであろう事件のことを諦めきれなくなる。
 諦められなかったら――自分はあの夢に押し潰されてしまう。
 だから、『彼ら』には会いたくなかった。
 ……今頃何も知らないで、呑気に過ごしてるんだろうな。
 恨めしい。自分一人が、訳の分からない夢のせいで思い悩むはめになっている。
 そんな風に考えていた矢先のことだった。
「おい」
 頭上から声が聴こえた。そして、何かの影が見えたかと思ったら、
「こんなところに子供が上るもんじゃない」
 誰かが、自分の目の前に着地した。
 ……え?
 屋根の上に飛んでくるなんて、非常識にもほどがある。自分を棚に上げてそんな風に考えながら、彼女は視線を上げた。
 そこにいたのは、知っている顔だった。
 夢の中で何度も見た顔。そして、現実では初めて見る顔。
 禍々しいことこのうえない凶悪な目が、郁奈を見下ろしていた。
「こっから落ちたら危ないだろうが」
 会いたくないと思っていた関係者の一人。
 郁奈が毎晩見る夢の中で、必ず命を落とす男。
 つまり、二年後――必ず死ぬであろう男。
 倉凪梢が、そこに立っていた。

 出会い頭に散々説教されたあと、郁奈は梢に抱えられて屋根からおりた。
 正直、頭の中が真っ白で、説教の内容については全然覚えていない。
 ……まさか、こんな形で会うことになるなんて。
 倉凪梢。郁奈の夢――つまり二年後にこの町で起きるであろう事件において、必ず命を落とす男。土門荒野の片割れを、父である司郎によって封じ込まれた男。
 今、彼はその事実を知らない。ただ、困ったような顔で自分に何か問いかけている。
「え?」
「……いや。だからな。お嬢ちゃんは迷子か何か?」
「あ、えっと。違うよ」
「じゃ親御さんとか近くにいるのか」
「うん」
「んじゃ、そこまで送っていく。また屋根に上るなんていたずらされたら怖い」
 どうも彼は、郁奈が異法人だと気付いていないようだった。塀からよじのぼったものと勘違いしているらしい。相当無理のある考えだが、彼はその辺を疑問に思っていないようだった。
「あ、でも。今大事なお話してるの」
「いや、でもなぁ」
 彼は何か言いたそうな顔をして頭を掻いた。大事な用件だろうと、子供を放っておくなよ。そう言いたいのだろうが、郁奈に言っても仕方ないので我慢しているのだろう。
「……」
 彼はしばらく、その凶悪な眼差しで郁奈をじっと見ていた。並の子供なら泣きだしているところだろう。
 やがて大きくため息をつくと、手にしていた買い物袋からチョコを取りだした。
「これ、あげるぜ」
「いいの?」
「ああ。そこの公園で座って食おう。俺も食べる」
 どうやら、彼は郁奈の『親御さん』が用事を終えるまで、お菓子で彼女を釣って妙なことをしないよう見張ろうと決めたようだった。お節介である。
 だが、断る理由が思いつかない。あれこれ考えているうちに、梢はさっさと公園の方に歩いていく。
 躊躇いを感じながら、郁奈はその後を追いかけた。
 夏の終わり。蝉の鳴き声が耳に残る季節だった。