異法人の夜-Foreigners night-

-Walk Together-
郁奈の章「郁奈と遥」
 遥の怪我は、肋骨にひびが入ったことを除けば、そう酷いものではなかった。安静にする必要はあるが、入院はしなくても良いらしい。
 今は部屋で寝ている。本人は大丈夫だと言い張っていたが、他の皆に止められると、渋々おとなしくなった。
 郁奈は他の皆と一緒に、居間に戻って来ていた。昨日は見なかった顔が二つある。久坂零次・矢崎亨だと二人は名乗った。郁奈と天夜も簡単に自己紹介を済ます。
「ようやく一息ついたって感じだな。……ああ、それと緋河。礼がまだだったな。ありがとう、助かった」
「たまたま居合わせただけです。そんな礼を言われるようなことはしてません」
 それにしても、偶然というのはあるものですね――と緋河天夜は笑ってみせた。
 彼は以前、この家にいる矢崎亨の兄・矢崎刃と出会い、届け物を頼まれていたのだという。あのとき天夜が言っていた用事とは、そのことだったのだ。
 緋河天夜。魔術師たちとは別系統の『異端狩り』の一族。その出自ゆえに、二〇〇五年、土門荒野という魔を狩る際に動員されることになる男。
 しかし、そんな素性とは裏腹に、彼は気ままな一人旅をしているらしい。実家とも折り合いは悪いようで、組織に縛られるのは嫌いだという。矢崎刃と出会ったのも、旅先で偶然知り合っただけのようだ。
 今回は、梢を討ちに来たわけではないらしい。
「世間は広いようでいて狭いからな。意外なところで意外な縁があったりする」
 合縁奇縁。確かに、この家にいると妙な縁を感じることが多い。
 郁奈としては、天夜の目的が梢殺害でないと分かって一安心といったところだ。それはまだ魔術同盟が梢殺害に動き出していないことを意味している。
 ただ、もう一つ確認しておくべきことがあった。
「……ねえ、緋河さん。あの人たちは?」
「ん? ああ、古賀里たちのことか」
 そう。草薙樵たちがなぜ二〇〇三年に秋風市を訪れたのか――そこは絶対に明らかにしておく必要がある。魔術同盟が動かなくとも、草薙樵には梢を殺す理由がある。
「えーと」
「あの人たち、私知ってるの。古賀里のはぐれ魔術師狩り三人組でしょ。この町を預かってる飛鳥井家の人間として、見逃せないんだから」
 訳知り顔の子供っぽく言ってみる。世話になってるだけで飛鳥井家の人間ではないのだが、そんなことまで説明することはないだろう。
「飛鳥井家、か。魔術師ってのは、子供でもしっかりしてるもんなんだな」
 天夜が感心したような表情を浮かべる。
「別にあの三人は事を荒立てに来たわけじゃない。この町にいる情報屋に用事があるって言ってたな」
「それだけ?」
「多分な。俺も、あいつらとは別の町でたまたま会って、目的地が同じだったから一緒に来たってだけだ。あんまり詳しい事情は知らない」
 緋河天夜が嘘をつく理由は思いつかないから、彼の言葉は信じてもいいだろう。天夜が草薙樵たちに騙されている可能性もあるから、まだ気は抜けないが――。
「どうした、難しい顔して。若いうちからそんなんじゃ、辛気臭い大人になるぞ」
 エプロン姿の梢が茶化すように言ってくる。誰のせいで思い悩んでいるのか今すぐ言ってやりたい。
 その不満が表情に出たのだろう。梢は「悪い悪い」と笑って、
「あとで相談に乗ろうか?」
 急に真顔になって言ってきた。
 梢は梢なりに、郁奈の不景気面には何か理由があると察したのだろう。考えなしに見えて、意外といろいろ見ている。
「ん。いいよ」
「さよか」
 深く追求はしてこない。彼はおぼんに一人分の夕飯を乗せて、
「先に食ってていいぞ」
 居間から出て行った。郁奈もなんとなく気になって後を追う。
「あれ、どうした?」
「遥のお見舞い」
「さよか。……飯、そっちで食べる?」
「うん」
 いろいろと気にかかることが多くて、正直整理しきれていない。今はあまり多くの人と顔を合わせたくなかった。
 遥の部屋は静かだった。梢が声をかけると「どうぞ」と返事があった。今日一日聞いたのと同じ声だ。そのことにほっとする。
 遥の部屋は、割と殺風景だった。郁奈が寝泊まりしている客間よりはモノもあるが、普段からこの家で生活しているにしては少ない。
 本棚には漫画や小説が少しだけ入れられていた。空白の方が多く、なんだかとても贅沢に感じる。本のジャンルもばらばらだ。
「あれ、郁奈ちゃん?」
「心配で来たんだと。ああ、ちょっと待っててくれ。お前の分、こっちに持ってくるから」
 そう言い残して梢が出て行く。
「……遥。大丈夫?」
「うん。少し身体は痛むけど、全然平気だよ」
 へっへっへ、とわざとらしく笑ってみせる。そのせいで骨が痛んだらしく、「うおおおお」と悶え始めた。
「だ、大丈夫?」
「へっへっへ……これくらいなら平気だよ。うん。平気」
「言えば言うほど嘘っぽい……」
 呆れていると、梢が郁奈の分の夕食を持って来た。後で取りに来るから、無理して起き上がるんじゃないぞ、とオカンのようなことを言って去っていく。
「はぁ。梢君は心配性だな」
「梢だけじゃないよ。皆、心配してた」
「あー……。そうか。まあ、そうだよね」
「そうだよ。……でも、ごめん」
「え?」
「遥が怪我したのって、私をかばったからだよね」
 あのとき、バイクの気配を察した遥は咄嗟に郁奈を壁側に押した。おそらくだが、バイクの男は最初から遥のバッグを狙っていた。遥が押さなければあのバイクは郁奈の身体を跳ね飛ばしていただろう。
 遥はそれに気付いていた節がある。郁奈を壁側に押したあと、彼女はバッグに伸ばされた手を軽く掴んでいたのだ。おそらくあそこから何かやろうとしたのだろう。
 ただ、郁奈をかばったせいでバランスが崩れて、失敗した。
 結果、バイクに引きずられる形になり、こんな怪我を負う羽目になった。
「だから、ごめんなさい」
「い、いやいや。怪我したのは私の対応がまずかったからで、郁奈ちゃんのせいなんかじゃないよ」
 それでも、郁奈は頭を下げ続けた。遥の許しが欲しかったからではなく――彼女に怪我をさせた自分に、歯がゆさを感じていたからだ。
 知らなかった。身近な人が傷つくのが、こんなにも辛いことだったなんて。
 これまではすべて『夢』の中の出来事として捉えることで、割り切っていた。しかし目の前の現実で同じことが起きたのは、あれが初めてだった。
 冷夏や孝也は大人だ。郁奈の前で弱いところを見せることはない。彼らが傷ついているところを、郁奈は見たことがない。
 だが、遥は違った。
 数多の平行世界での遥は関係ない。郁奈にとって重要なのは、今目の前にいる遥が自分のせいで傷ついているということだ。
 それが、無性に悔しかった。
「……なんだか、逆に傷つけちゃったみたいだね。ごめん」
 郁奈の心情をそれとなく察したのか、遥も謝ってきた。
「頭下げてても仕方ないし、食べよっか。冷めると美味しくなくなっちゃうよ」
 遥に勧められるまま、梢の作ってくれた夕食を口にする。温かいご飯を食べているうちに、少しずつ気分が落ち着いてくる。
「私もね、郁奈ちゃんに謝らないといけないこと、あるんだ」
 おかゆを食べ終えた遥は、申し訳なさそうな顔で言った。
「実はね――私、朝に郁奈ちゃんの『夢』を覗き見ちゃったんだ」
 時間が止まった、ような気がした。
 ……あれを、見た?
 二〇〇五年、梢が死に、遥も死に、大勢の人々が苦痛の波に呑み込まれるあの悪夢を見たのか。
「郁奈ちゃん、すごくうなされててね。声かけたんだけど、全然起きなくて。だから揺さぶって起こそうと思ったんだけど……」
 郁奈に触れた瞬間、その内側に広がっていた『悪夢』に、遥は意識を呑まれたのだという。
 遥には、他者と意識等を共有する力がある。それは基本的に任意で発動する力だが、凄まじい『念』を前にした場合等は事情が異なるらしい。郁奈の内側に収まりきらぬあの『悪夢』は、遥の意志とは関係なく、その意識を呑み込んだ。
 自分の持つ力を一通り説明し終えた遥は、こう付け加えた。
「でも、あの『夢』が何を意味するのか、そこまでは分からなかった」
 遥が見たのは、あくまで『悪夢』の光景だけ。それが何を意味するかまでは理解していない――という事実に、郁奈は少し安堵した。
 あれが、数多の世界で繰り返されてきた梢や遥の顛末だと伝えるのは、あまりに残酷すぎる。
「でも、ただの『夢』じゃないってことは、なんとなく分かる」
 それはそうだろう。問答無用で人の意識を呑み尽すほどのモノが、ただの『悪夢』であるはずがない。
 あれは郁奈にとっての『悪夢』であり――数多の世界の『記憶』なのだ。
 ありもしない、脳内にのみ存在するものではない。かつて、別の世界で起こった事実なのである。
「私ね、それをなんとかしたいって思ったんだ。だから、今日一日郁奈ちゃんと一緒に過ごして、いいとこいっぱい見せて、郁奈ちゃんの信頼を勝ち取ってやろうって、勝手に企んでたんだよ」
「信頼……?」
「郁奈ちゃんにとって、それはすごく重いものだろうから。頼りない、会って間もないおばさんには教えてくれないだろうなって思って。だから、まずは頼ってもらえるようにならなきゃな、と。うーん、改めて考えると、打算だらけですごい嫌な奴だなぁ」
「……なんで。遥には、関係ないじゃない」
 そんな、大怪我を負うようなリスクを冒してまで、知りたいと思うようなことか。
「それで怪我してちゃ、全然意味ないじゃない」
「う、うーん。ごもっとも。……本当、ごめんね」
 そうじゃない。
 聞きたいのは、そういうことじゃない。
「なんで、会って間もない私のこと、そんな気にかけるの?」
「あ……駄目だった? ごめん、嫌だったら、その、やめるようにするけど」
「そ、そうじゃない!」
 噛み合わない。このままでは、話が平行線だ。
「嫌じゃない。気にかけてくれるのは嫌じゃない。けど、なんで」
「なんで――か」
 郁奈の意図がようやく伝わったのか、遥は言葉を止めた。
「いろいろ、もっともらしい理由はあるんだけどね……」
 結果的に郁奈から父を奪ってしまったこと。
 郁奈の父が、郁奈のことで後悔していたと知ったこと。
 郁奈が自分の姪であること。
 そんな、いかにもな理由を列挙した後、遥はそれを「でも違う」と否定した。
「あの『夢』が流れ込んできたとき、私には、郁奈ちゃんが独りで泣いてるように見えたんだ」
 多分それが本当の理由だと――自分に言い聞かせるように、彼女は言った。
「勝手な思い込みかもしれないんだけどね。私は、郁奈ちゃんがとても辛いものを背負っていると思ってる。それは、一人でどうにかできるようなことじゃない。でも、誰にどう助けを求めればいいかも分からない。そんな袋小路にいるような感じがしたんだ」
 郁奈は否定できなかった。
 その通りだったからだ。
 すぐ側にある平行世界からカンニングして得た答えは、どうしようもないくらい絶望的で、救いがない。けれど、知り得た方法が反則である以上、誰に言うこともできないし、言ったところで理解してもらえない。
 それでも、いつか答えはやってくる。
 郁奈は、いつもその答えに怯えていた。あれは別の世界のことだから、と無理に自分に言い聞かせていた。そうしなければ、自分自身を保てなかったからだ。
 何回も冷夏や孝也に言おうとした。その度に、彼らの『夢』を見た。彼らが死んでいく『夢』を何回も視た。彼らに何を言っても無駄だと、数多の世界の誰かが告げているような気がした。
 だから、本当は誰かに助けてもらいたかった。
 こうすれば未来はよくなると、そう言ってくれる誰かが欲しかった。
「私も、昔は同じだったんだ」
「遥も……ひとりぼっちだったんだ」
 遥は両親を知らない。
 物心つく前に実父・式泉運命は土門荒野に呑まれ、倉凪司郎の手で討ち滅ぼされた。実母・式泉未了は娘たちと距離を置き、各地を渡り歩いている。
 両親と引き離された彼女は、魔術の名家出身というだけの理由で、とある研究機関に連れ去られた。そこで待っていたのは、被験体としての日々。人間扱いすらされず、残酷な仕打ちを日常的に受け続けた。
 助けてくれる人は誰もいなかった。
 誰に助けを求めればいいのかも分からなかった。
 自力でどうにかすることなど、不可能だった。
「だから……なんか、放っておけなくて。誰にも助けを求められない辛さは、私もよく知ってるつもりだから」
 でも駄目だね、こんな心配かけてちゃ。そう言った遥に、郁奈は思い切り抱きついていた。
 無性に抱きつきたくなった。言葉にならない思いが、次々と溢れ出てくる。
 確かに駄目だ。こんなに頼りない遥では、どうにもならない。きっと他の世界と同じように、今自分がいるこの世界でも二〇〇五年の悲劇は避けられない。
 それでも、そんなことを忘れるくらい嬉しかった。
 出口のない迷路の果てで、一人うずくまっていた。その目の前に、蜘蛛の糸が垂らされた。頼りないけど、それでも自分に手を差し伸べてくれる誰かがいる。そのことが、どうしようもないくらい嬉しかった。
「私、強くなるよ」
 遥の声が聞こえた。
「きちんと頑張って、郁奈ちゃんに頼られるくらい強くなる」
「うん」
「だから、そのときは郁奈ちゃんが何を抱えてるのか教えて欲しい」
「……うん」
「そしたら、郁奈ちゃんが抱えてる問題を、一緒にどうにかしよう」
 一緒にどうにかする。
 それは、とても力強く、そして温かい言葉だった。

 それから、あっという間に時間は流れ――冷夏が榊原家にやって来た。
 飛鳥井本家では定例会議でかなりもめたらしく、冷夏はどことなく疲れているように見えた。ちなみにもめたのは『水系魔術と土系魔術のどちらが緑地化に有効であるか』という点とのこと。当人同士は大真面目なのだろうが、第三者からするとどうでもいいと言わざるを得ない。
「ともあれ――今回は急なお願いを引き受けてくださり、ありがとうございました」
「気にするな。夏の一件ではお前たちに助けられた。困ったときはお互いさまだ」
「そうですね。今後も……時折、厄介になるかもしれませんが」
 冷夏と榊原の視線が、脇に控えていた自分の元に向けられた。もしかすると、榊原も郁奈が霧島直人の娘であることは知っているのかもしれない。榊原幻は、父が師と仰いだ唯一の人だと聞いている。
「構わんさ。うちの遥もその嬢ちゃんとは仲良くしてもらってるようだ。これからも気軽に遊びに来てくれ」
「そう言っていただけると助かります」
 それから、ひとしきり礼を告げて、冷夏は席を立った。郁奈もその後に続いて、玄関口に足を向ける。
 そこには、見送りに来ていた梢たちの姿があった。
「よっ。また遊びに来いよ」
 意外にも、梢は冷夏より先にこちらへ話しかけてきた。
「……うん。遥に会いに来るね」
「あれ、俺は?」
「遥のついでだもん」
「あはは、お兄ちゃん振られちゃったね」
「んー。やっぱこの凶悪面が悪いのかな……」
 ぼやく梢のまわりには、久坂零次や矢崎亨の姿があった。控えめに手を振ってくれたので、こちらも振り返した。
 遥の姿はない。怪我に加えて熱まで出たので、今は部屋でおとなしく休んでいる。
 熱が出た原因は、夜通しいろいろ話しこんだせいだろう。悪いことをした。
「梢、遥にお大事にって言っておいてね」
「ああ、分かった。郁奈もあんま無茶すんじゃないぞ」
「梢も無茶しないでね」
 梢はそれに笑って応えた。少し大きな手で、頭をわしゃわしゃと撫でくりまわしてくる。それが不思議と心地よい。
「それでは、そろそろ失礼いたします」
「ええ。また今度遊びに来てください」
「ありがとう。是非、この子を連れてまた来させていただきます」
 冷夏に手を引かれながら、榊原家に手を振る。
 来るときはあんなに嫌だったのに、今はどこか離れがたい思いすらある。
「……郁。あそこの家、楽しかった?」
 少し歩いたところで、冷夏からの問いかけ。
 郁奈は迷わず頷いた。
 冷夏の顔もほころぶ。
「そう。よかった」
「あのね。あそこ、いっぱい人がいるの。もう変な人ばっかりなんだよ」
「あら、駄目よ。そんな風に言っちゃ」
「だってねー……」
 二人並んでの帰り道。郁奈と冷夏の話は、尽きることがなかった。

 一緒にいたい人が増えた。
 その人々は、今この世界で自分と共に生きている。
 これから先も、一緒に歩き続けていきたい。
 だから、変える。
 二〇〇五年に訪れる、彼らの破滅を。
 そこに至るまでの運命の流れを、変える。
 一人では無理かもしれない。
 けれど、一人ではない。
 共に歩いていける人がいる。
 だから――挑むと決めた。