異法人の夜-Foreigners night-

-Walk Together-
断章「■●と○◇」
 二〇〇五年十月、倉凪司郎の遺言状が魔術同盟に届けられる。
 その内容に魔術同盟は浮足立った。伝説の異法人、土門荒野の所在が明らかになったからだ。
 土門荒野は度々魔術師に甚大な被害をもたらしてきた。式泉運命が遺したレポートと魔術同盟の歴史を照らし合わせると、土門荒野がやったとしか思えない災厄が多数確認されている。
 本来、異法人に関することは異法人の組織である異法隊に任せるのが筋だが、過去の経緯が経緯なので、日本在住の各組織は臨時の対策本部を設け、緊急会議を開いた。
 彼らにしてみれば、土門荒野は厄介極まりない存在だ。手段を選ばなければ討伐は可能だが、被害は大きなものになるだろう。
 彼らにしてみれば、杞憂に終わるのが最良だった。
 即ち、倉凪司郎の遺言状は間違いであったと。
 しかし、そんな各組織の希望を否定する文書が、同じ時期に届くことになる。
 かつて日本の魔術四大名家の一角を担った古賀里家の長老、白夜翁からの報告だ。
 倉凪司郎の遺言状と古賀里白夜の報告が示す事実は以下の通りだ。
 かつて式泉運命を乗っ取った土門荒野は、倉凪司郎に討たれた。
 次の宿主に選ばれたのは草薙樵という少年。彼がそのまま土門荒野に乗っ取られることを危惧した倉凪司郎は、土門荒野という概念を分割し、片方を自分の息子――倉凪梢の中に移植した。
 二つに分かたれ無効化されたはずの土門荒野は、草薙樵の動向から察するに、復活の兆しを見せ始めている。白夜翁は『倉凪梢を殺し、その内に眠る半身を取り戻そうとしている』と推察していたが、各組織の主だった人々もそれを否定しなかった。
 かくして、以上の要因が出揃ったことで各組織は土門荒野の復活阻止――すなわち草薙樵・倉凪梢の討伐を決意。
 確実に土門荒野を討ち、かつ自分たちの組織の被害を最小限に抑えられるような編成にしよう。各組織のそうした思惑が絡んだこともあり、方針決定後も討伐隊の編成は遅々として進まなかった。
 その矢先、草薙樵が古賀里家から離れ、間もなく白夜翁の遺体が発見される。土門荒野が草薙樵の意識を喰いつくし、倉凪梢抹殺に向けて動き始めたものと思われた。
 事態が動いたことを察した各組織は、急ぎで討伐隊を編成。
 中心となるのは、決戦の地・秋風市を管理する飛鳥井家。そして、そのサポートとして奈良塚家、泉家の残党、御法機関、退魔九裁等が加わった。
 二〇〇三年、同じ秋風市で行われた蛇王討伐隊に勝るとも劣らない顔触れである。
 討伐隊は二〇〇五年十二月に秋風市へと向かう。
 同時期、姿を消した草薙樵を追って古賀里夕観とフィストも秋風市へと侵入。彼らは倉凪梢ごと土門荒野の半身を破壊することで、草薙樵を救おうとしていた。

 それは、どれくらい前のことだったろうか。
 不意に覚醒して、最初にそんなことを思った。
 随分と遠い過去のようであり、つい少し前のことのようでもある。
 どれくらいそのことを考えていただろう。
 やがて、その考え自体が無駄であることに思い至る。
 ……ここでは『時間』など何の意味もない。
 否、ここという言い方も相応しくない。『場所』という概念すら無意味だ。
 ここは――便宜上『ここ』という――そういうところだ。
 と、そこで新たな疑問が生じる。
 私は誰だ。
 この意識は誰のものだ。
 そもそも、なぜここで『意識』などというものが芽生えるのだ。
 考えど考えど答えは出ない。
 どれくらい考え続けただろう。三日と言えば三日のようでもあり、一年と言えば一年のようであり、一世紀と言えば一世紀のようでもある。
「なにやら――妙なものが転がっておるのう」
 不意に、声がした。
 心臓が跳ね上がる。ここで声を聞くことになるとは思っていなかった。
「しかも、ひどく不安定だな。……まあ、ここはそういうところだが」
 例外的なのはわしの方かのう、と問うてくる。しかしこちらは答えようがない。
「おう、そうか。答えようがないか。ふむ……しゃーない、あとで怒られそうだが、話せるように『定義』してやろう」
 その瞬間、ぶるりと『身体』が震える。
 いつのまにか、自分に形が出来ていた。
 形など意味のない場所で、形作られていた。
「ほう、これは存外愛らしい。孫にでも欲しいのう」
 見る。
 眼前に偉丈夫がいた。顔を見ると老人のようだが、二メートルを軽く超すような巨体の持ち主は、老人ではなく偉丈夫と形容すべきだろう。
 周囲を見る。ありとあらゆる場所に、光の線があった。まっすぐなもの、歪んでいるもの、枝分かれしているものなどがある。様々な形をしたそれらの線は、よく見ると常に蠢いている。線の中には更に無数の細かい線があり、絶え間なく揺れ動いていた。
「ありゃ運命ってやつだぁな」
 偉丈夫が言った。
「細かい線は一人一人の運命。わしは運命線と呼んでおる。それがまとまったのは世界の運命ってやつだわな。こっちは世界線と呼んでおる」
 言われて、足元を見る。か細い運命線が何本か絡み合いながら、遠くの世界線から伸びてきていた。
「複数の運命線と結びついておるとはなぁ。変な奴だ」
「……そう、なのでしょうか」
「普通の人間なら運命線一本だ」
 言って、偉丈夫なそれら運命線を摘み上げた。
「なるほど。なかなかどうして、深い業だ」
 絡み合っていた運命線のうち一本を偉丈夫が引っ張る。辿ってみると、それはなぜか複数の世界線に繋がっていた。
「複数の世界を渡り歩いてきて、今また別の世界に行こうとしている――ってところかのう。ったく、世界を越えてまで何をしようというんだ」
「……それは、分かりません」
「だろうな。世界を越えるというのは、ルール違反もいいところ。おぬしは見たところ世界移動の法を持っている様子もない。無理矢理やっとるんだろ。だから――いろいろなものが壊れる。姿形・人格・思い出といったものが。相当な執念で世界越えを敢行したのだろうが、別の世界に辿り着く頃には、その執念の元すら忘れておる」
 だから、どれだけ世界を渡り歩いてもおぬしの目的は果たされぬ。
 偉丈夫は嘆息しながら言った。
「そのことに、おぬしは気付いておるのではないかな」
「……なぜ?」
「世界移動ってのは時間かからんのよ。だってここには時間という概念がない。世界からはみ出たまま留まっているというのは、おかしい話なんだな」
「はあ」
「世界を越えたいと願うほどの執念と、それを帳消しにするほどの何かがあるってところか。ふうむ?」
 ちょいと失礼、と断ってから、偉丈夫は絡み合っている運命線のうちいくつかを凝視してみた。
「相当濁っておる。見辛いったらありゃしない。……おう、こいつか」
 何かを見つけたらしい。試しに自分でも運命線を注視してみたが、ただの細い線にしか見えなかった。
「何が、見えたんです?」
「土門荒野」
 偉丈夫は自らの髭を撫でながら言った。
「土門荒野とやらにまつわる、長い長い歴史が見えた。そうか、おぬしは――」
 否、おぬしらは――と訂正し、偉丈夫は続ける。
「失敗したのだな。失敗し続けてきた。その失敗をなかったことにしたい。過去に戻ってやり直したい。されど自らの過去は変えられぬ。だから、救いを別の世界に求めた。世界を渡り歩いた。けれど、どの世界に渡っても失敗し続けた」
 どくん、と。
 胸が苦しくなる。
 失敗した。その言葉を聞くと、全身が引き裂かれたような気持ちになる。
 何に失敗したのか。
 思いをそこに向けた途端、手にした運命線の中身が見えた。

 二〇〇五年、十二月。
 倉凪梢は、大切な人々を守ることに失敗した。
 自らを討ちに来た人々から逃れた彼は、家族の前から姿を消した。
 問題の要は、自分の中に封じられている土門荒野。こいつを無効化すれば、コトは解決する。
 無効化するためには、分割された土門荒野を一つにし、そのうえで討ち果たせばいいはずだ。根本的な解決にはならないが、もっとも犠牲が少ないのはその方法だ。また数十年でもしたら復活するだろうが、そのときはそのときで何とかしてもらうしかないだろう。
 少なくとも、今回死ぬのは、草薙樵と倉凪梢の二名だけで済む。
 そう考えた彼は草薙樵を探し求める。
 自らの死を前提とした行動の結果は――悲惨なものだった。
 草薙樵を見つけたのと同時に、彼らは討伐隊に捕捉された。そのうえ、討伐隊は梢に対する切り札として、彼の妹を人質に取っていたのである。
 混沌とした状況の中、不幸な偶然が、彼の妹の命を奪った。
 彼はキレた。
 妹を殺した相手に。そして何より――妹を守れなかった自分に。
 それが倉凪梢の最期。
 そこで彼は『土門荒野』に成り果てて、討たれることになる。
 人になりたくて、誰かを救い続けてきた男は。
 最期の最期に、大切な相手を救い損ね、人をやめてしまった。

 思い出した。
 自分は知っている。
 倉凪梢という男のことを。
 異常な力を持ち合わせ、その力を人のためだけに使うと誓ったことで、ようやく人としてのカタチを保っていた異形の男。
 彼は――死んだのか。
 彼の妹、倉凪美緒も。
 二人とも、いい人だったのに。
 助けたかったのに。
 結局――また助けられなかった。
「なるほど、これがおぬしの後悔の一つか。他にもあるようじゃが」
 偉丈夫は一つ頷いて、手にしていた運命線から手を離した。
「しかし、こいつは……相当に根が深い」
 辺りをぐるりと見渡し、偉丈夫は同情するように言った。
「いくら世界線を越えようと、こいつは助けられそうにない。この辺り一帯の世界線を見てみたが、この男が死ぬ流れがすっかり出来あがってしまっている」
「どうにもならないのですか」
 自分には、ただ光の線が蠢いているようにしか見えないが。
「可能性はゼロじゃあないがね。相当な難事だ」
 運命の流れというのは二通りある、と偉丈夫は語る。
「一つは無数の偶然によって積み重ねられるもの。これは見極めることが難しい。ただ流れを変えるのは簡単よ。適当な要因を一つぶつけちまえばいい」
 ただ、変わった結果どうなるかは予測不能だがのう、と付け加える。
「もう一つは、かなり強い意図によって流れが作られた運命。こいつは流れを変えるのが難しい。ただ、その運命の流れを作っている意図を突き止めれば――変えられる可能性はある」
「つまり、誰かが倉凪梢の死を望んでいる――その誰かというのを突きとめればいい、ということですね」
「そういうことだ。ここでなら、丹念に調べればその正体も掴めるであろう」
「……なら」
「ただなぁ。おぬしにとって、既にそいつは――死んでおるからのう」
 偉丈夫は、無情な現実を突きつける。
「自らの過去は変えられぬ。さっきも言ったが、それは大前提だ。でなければおぬしの存在が矛盾してしまう」
「……」
「そやつを死なせたから、おぬしはここにいる。そやつを死なせたから、おぬしはここでコトの原因を丹念に探ることができる」
「けれど、知ったところでどうにもできない――と?」
「おぬしは過去に戻れない。別の世界に行き着いたとしても、ここでのことは覚えていないだろう。ゆえに――どうにもならぬ」
「どうにも、なりませんか」
「ゼロではないがな。何千何万という世界を渡り歩けば、そのうちそやつが生き延びる世界に辿り着くかもしれぬ」
「……でも、それは」
「そこに行き着くまでに、何千何万もの絶望を味わうことを意味する。おぬしはそれに耐えられまい」
 既に相当摩耗しているようではないか――。
 確かにそうだ。今はこの偉丈夫によって仮初の形を得ているが、もう自分が誰なのかすら思い出せない。彼に指摘されるまで、こんなところにいる理由すら思い出せずにいた。
 それに。
「気付いたんです」
 それは、今気付いたのか、それとも元いた世界から離れるときに気付いたのか。
「過去は変えられない。私には助けたい人がいた。分かり合いたい人がいた。けれどできなかった。だから別の世界に行って、やり直そうとした。でもそれは――違う」
 本当に自分が助けたかった人々ではない。分かり合いたかった人ではない。
 世界を越えて、別の世界の倉凪梢を助けたところで――元いた世界の彼を救えなかったという事実は消えない。
 だから、世界を越えて救いを求めるという行為に、意味などない。
 まさに世界を越えようというとき、それに気付いたのだ。
「なるほど。だからおぬしは――世界と世界の狭間で、こんなところで、漂っていたわけか。まったく、難儀なものだ」
「……」
「なら、難儀なこの状況を利用してみんかね」
 偉丈夫は腰をおろして、両手を大きく広げた。
「数多の世界線を見渡して、運命を変える手段を探してみるのだ」
「でも、探したところで――どうにもならないと仰いました」
「どうにもならんのは、あくまでここにいるおぬしだけよ」
「……?」
「はっきり言うが、もはやおぬしに救いはない。だが、おぬしが誰かに救いをもたらす可能性はゼロではない」
「どういうことですか……?」
「おぬしはここで運命の流れを調べる。そしてそれを誰かに伝えればいい」
「誰か?」
「誰かは誰かだ。そう――おぬしの運命線に連なる誰かだ」
 足元を見る。そこには、先程と同じように、複雑に絡み合った運命線があった。
「世界線や運命線は、世界の内側にいる者どもにとっては次元が高過ぎて知覚することはできぬ。それをこうして見渡している我らもまた、次元が違う存在。世界の内側からは知覚できぬであろうよ」
「それなら、伝えようがない……」
「かもしれぬ。自由自在にお喋りすることなど到底不可能だ。しかし、思いは伝えられるかもしれないであろう?」
 思いに次元は関係ないからのう。
 偉丈夫は、存外にロマンチックな台詞を吐いた。
「……優しい、ですね」
「わしがか? おいおい、おぬしに救いはないと言っちゃうようなわしだぞ?」
「気休めでありもしない希望を持たせるより――ずっといいです」
「ふむ。そういうもんかな。気休めでも、幻でも、希望は必要だと思うがのう」
 まあよい、始めようか――。
 そう言って、偉丈夫はあちこちの運命線を手に取り始めた。
 倉凪梢を死なせる運命の解決策を、一緒に探してくれるらしい。
 やはり優しい。
「ええ、始めましょうか」
 急ぐ必要はない。時間という概念がないのだから、急ぐ必要はない。
 自分自身に伸びている運命線を摘み上げながら、元いた世界のことを思った。