異法人の夜-Foreigners night-

-Walk Together-
倉凪梢と榊原遥の章「榊原遥と泉の里(後編)」
 窓から差し込む月明かりが、郁奈の顔を照らす。それは嘘や冗談を言っているような顔ではなかった。
「――そっか」
 なんとか口に出せたのはその程度だ。
 常盤から泉の里が滅びたときの話を聞いて、その後すぐに郁奈に大事な話があると呼び出された。それが二年前の話だということは、なんとなく察することができた。
 常盤の話にも驚かされたが、郁奈の話はそれ以上に衝撃的だった。
 二〇〇五年に梢が死ぬ。
 今はもう二〇〇五年の十月。残された時間はあまりに少ない。
 郁奈が自分の『悪夢』の話をしたのは、残り時間が少なくなってきたことと、常盤の話が原因だという。確かにこの『悪夢』の話をするには絶好の機会だ。
「分かった。信じるよ」
 郁奈の話はスケールが大き過ぎて、荒唐無稽の感がなくもない。それだけに却って嘘や冗談のようには思えなかった。
 それに、遥は二年前に一度郁奈の『悪夢』に触れている。あの残酷で生々しい感覚は今でも思い出すことができるくらいだ。
「遥。どうしたらいいのかな」
 助けを求めるような声。
 否、実際に求めているのだろう。
 郁奈は袋小路のような運命に、一人きりで向き合い続けてきたのだ。
「常盤の話を聞いて、梢はどうするかな」
「それは」
 土門荒野という危険因子を実の父に埋め込まれた事実に、梢はさほどショックを受けていないようだった。むしろ、何かを受け入れるような――諦観の表情を浮かべていたように見えた。
 梢は優しい。困っている人がいれば手を差し伸べてしまうタイプだ。そして、困っている誰かのために、我が身を平気で捨ててしまうようなところがある。
 常盤の話を聞いて、彼が何を思ったのか。想像するのが怖い。
「郁奈ちゃんの『夢』の中では――どうだった?」
「私の夢で常盤が出てきたことはないの。泉の里に来るってこともなかった。でも」
 土門荒野に乗っ取られて皆を危険に晒すくらいなら。
 大抵の場合、土門荒野のことを知った梢は姿を消す。そして、多少の時間差はあれど命を落とすことになる、と郁奈は言った。
 遥は窓の外を見た。
 泉の里は土門荒野に乗っ取られた父が滅ぼした。そのとき、多くの人々が命を落とすことになったのだという。
 父はそうなることを見越して、自分が周りの人々を傷つけることを恐れ、梢の父に自分のことを殺すよう頼んでいたのだという。
 惨い話だ。
 常盤の話は、誰一人救われることのない惨い話だった。
 それと同じことが、十二月にまた起きる。
 秋風市で土門荒野が復活したら、犠牲者は泉の里の比ではないだろう。郁奈が夢で見てきた数多の平行世界では、多大な犠牲により都市が壊滅したこともあるらしい。
「土門荒野の復活は、間違いないんだよね」
「うん。二〇〇五年の十二月に。それは、間違いない」
「……」
 いきなり突きつけられた大問題に、頭が追い付いていかない。
 土門荒野の復活は認められない。秋風市には友達もたくさんいる。彼らを死なせたくはない。それに、土門荒野の復活は梢の死にも繋がる。
 問題は、どうやって復活を防ぐかだ。
 郁奈の話だと、魔術同盟をはじめとする各組織は梢と草薙樵の抹殺によって、被害を最小限に抑える方法を採ることになるという。そうすると土門荒野は弱った状態で次の宿主の元に転移する。根本的解決にはならないが、確実で犠牲も少ない。
 しかし、遥はそのやり方を認めるわけにはいかない。別の方法を探す必要がある。
「消去法で考えていこう。郁奈ちゃんが見た夢の中の私たちが試していないやり方で土門荒野の復活を阻止するんだ」
「……できるかな」
「分からない。分からないけど、私はやるよ」
 かつて梢は遥のことを救ってくれた。その借りを返す、というつもりはないが、今度は自分が彼を救うんだ、という思いはある。
 彼の隣りに並び立ちたい、という願いはある。
「さっき郁奈ちゃんは言ったよね。ここに来たことはないって。なら、ここに何かヒントがあるかもしれない」
「ここって」
「父さんの研究資料。常盤の話だと父さんは土門荒野に関する研究をしていたらしいから、何かあるって考えられる。あとは――」
 自分はあまり頭を使うのが得意ではない。
 こういう事態には――優秀な参謀が必要だ。

 夜風が沁みる。冬が近いからだろう。今はこれくらいの寒さが丁度良い。
 常盤の話を聞いて、久しぶりに父のことを思い出した。
 父は変な人だった。変だったが、それ以上に尊敬できる人だった。
『お前は人にできないことができる。だがそれは偉くも何ともない。むしろ、悪いことも簡単にできてしまう分とても危険だ。だからこそ、お前は自分の力を自分のためだけに使っちゃあいけないよ』
 幼い頃、そんなことを言われた。異法という歪んだ力を持ちながら、自分が真っ当に生きて来れたのは、そんな父の教えがあったからだ。
 父は、自分の中に――倉凪梢の中に土門荒野という怪物を埋め込んだ。
 土門荒野に取り憑かれた子供を助けるためだったという。理屈はよく分からないが、分割して無効化したうえで埋め込んだのだとも言われた。
 そういう父の行いを聞いて美緒は憤慨していたが、自分としてはさほど気にならなかった。倉凪梢に移植しなかった場合、先に取り憑かれていた少年は、確実に死ぬことになっていたらしい。それなら、二人とも助かる見込みのある方を採るべきだろう。自分が父の立場でも同じことをするはずだ。
 ショックだったのは、また別のことだ。
 式泉家の屋上から月をぼんやりと眺めていると、背後に誰かの気配がした。
「運命もよくそうやって月を見上げていたっけね」
 常盤だった。
 彼女は梢の隣りに立つと、懐かしそうに言った。
「運命は月見が好きでね。あたしや司郎もよく駆り出されたもんさ。あたしなんかは宴会そのものが好きだったけど、あいつは妙に月見にこだわるところがあったっけね」
「きっと、月が好きだったんでしょう」
「かもね。皆が盛り上がってる中、運命はときどきぼんやりと一人で月を見ていた。まあよく分からない奴だったわさ」
「常盤さん。何か話があるんでしょう」
 梢は適当なところで問いを投げた。常盤は少し困ったように頬を掻く。
「察しがいいね。そういうとこは父親似だ。……一応フォローしておこうと思ったんでね。いや、場合によっちゃ追い打ちになりかねないから話すかどうか迷ってるんだけどさ」
「それは、俺が『倉凪梢』じゃないってことですか」
 こちらの言葉に、常盤は沈黙を返した。
 倉凪梢が赤ん坊の頃、倉凪司郎はその中に土門荒野を埋め込んだ。土門荒野は人の意思を乗っ取り、その異法を暴走させて破壊の限りを尽くすと言う。
 倉凪梢に埋め込まれた土門荒野がどういう状態だったのかは知らない。ただ、赤ん坊の意思を乗っ取ることなど、それこそ赤子の手を捻るようなものだったのではないか。
「今日里の外で遭遇した怨霊は、多分運命さんが土門荒野になったとき殺された人たちなんだと思います。俺は責められた。大事なものを返せと。身に覚えのないことで散々責められて。なのに、俺はひどく悪いことをした気分になった。いや」
 実際、悪いことをしたのだろう。
 あのゴーストハウスで垣間見えた光景は、妄想の類にしてはあまりにリアルかつ鮮明だった。おそらくあれは過去の記憶なのだろう。
 自分がかつてあの人々を殺めたときの、記憶なのだろう。
「俺は『倉凪梢』なんかじゃない。そいつはとっくの昔に意識を喰われていて、もうどこにもいない。ここにいるのは『倉凪梢』の振りをした土門荒野だ。違いますか」
「イエスかノーでは答えられないね」
 常盤は明確に答えることを拒否した。
「あたしはあんた以外の『倉凪梢』は知らないし、何とも言えないわさ。けどまぁあんたの言っていることは、多分間違っちゃいない。土門荒野については不明な点も多いから推測交じりになるけど、元々の『倉凪梢』の意識が既に喰われているってのは合ってると思う」
 生まれて間もない頃に、本物の倉凪梢は死んでいたということだ。
「でも、この事実は一つ良い点がある。分かる?」
「いや」
「あんたは土門荒野に乗っ取られる心配がないってことだよ」
 そういうことか。おそらく、それがフォローなのだ。
 既に乗っ取られているのだから、これ以上乗っ取られようがない。
「土門荒野は宿主の異法を無理矢理強化して暴走させる性質もあるから、それには気をつける必要があるけど――それもあんたの異法が上手い具合に抑え込んでるからね。あんたがしっかりしてれば、まず問題ないと思うわさ」
「俺の異法が?」
「あんたの異法は植物を生み出す能力。言わば生命の創造の力。暴れまわり死を撒き散らす土門荒野とは対極の性質なのよ。だから、良い感じで抑えられてる」
「……」
 倉凪梢の意識はとっくに死んでいる。残っているのは異法のみ。
 昔はこの力が嫌いだった。普通じゃない力が嫌いだった。その力こそが倉凪梢としての唯一の名残で、嫌っていた自分が紛い物だったというのは、ひどく滑稽な話だ。
 誰かのためだけに振るおうと決めていた忌むべき力に、一番救われていたのは自分自身だった。
「すまないね」
「え?」
 突然常盤が謝ってきたので、思わず首を傾げた。
 彼女は悔いるような表情を浮かべている。
「あたしたちの世代は、結局問題をあんたに丸投げする形になってしまった。いらん重荷を背負わせることになったこと、代表して謝らせてもらうわさ」
「い、いや」
 謝られても困る。
 むしろ、憎まれるぐらいで丁度良い。
 今までは忘れてしまっていたが、自分は土門荒野なのだ。常盤からすれば友人の一人を奪った仇と言える。あの怨霊たちのように、憎悪の念をぶつけられる方が普通ではないのか。
「俺、少し辺りを歩いてきます」
 そう言って逃げるのが関の山だった。
 紛い物の『倉凪梢』としてどうすべきか。そんな漠然とした悩みを抱えたまま。

「話はだいたい理解したわ」
 一通り説明を受けて、涼子はただそう言って頷いた。
 普段通りの顔でこちらをじっと見つめてくる。
「……あれ、反応それだけ?」
「うん。え、駄目かな」
「いや、駄目じゃないけど……もっと驚くか疑うかすると思ってたから、拍子抜けというかなんというか。郁奈ちゃんの素性聞いても平気な顔してるし」
 郁奈が霧島と優香の子であることは、今はじめて話したはずなのだが。
 その疑問に対し、涼子は肩を竦めた。
「だって前から知ってたもの。多分他の皆も気付いてるんじゃない?」
「え。涼子知ってたの?」
 逆に驚いたのは郁奈だった。今回の件を涼子に話そうと相談したとき、自分の素性について言うべきかどうか散々悩んでいたのだ。それを知ってましたで済まされたからなのか、どことなく不服そうである。
「なんで知ってるのよ」
「郁奈がなーんか姉さんそっくりだったから、幸町先生とか冷夏さんにそれとなく探りを入れてみたのよ。そしたら普通に教えてくれた」
「あの二人……」
 郁奈が若干呆れたような表情を浮かべた。
 涼子もそこには苦笑いを返しつつ、
「まあ、さすがに後半……平行世界の話は驚いたけど。でも、ありえない話じゃないと思うし」
「そうなの?」
「平行世界についての解釈は複数存在するし、私も専門じゃないからそんなに突っ込んだことは知らない。暇潰しに参考書でシュレディンガーの猫とかエヴェレットの多世界解釈に関すること読んだくらいかな。あとはゲームとか漫画とか」
 シュレディンガーの猫の話は遥も何かの漫画かゲームで見たことがある。猫の入った箱の中に一定確率で猛毒ガスが広がる仕掛けを施しておく。猛毒ガスが広がればその猫は死ぬことになるが、それは箱を開けるまで分からない――というものだった。
「そのなんとか解釈とかって、今回の件に関係あるの?」
「うーん。考え方の参考にしかならないと思う。例えば、郁奈の夢で起きる出来事は二つの種類に分けられるわよね」
「二つ?」
「そう。必ず起きることと、起きるか起きないか分からないこと」
 必ず起きるのは梢と草薙樵の死及び土門荒野の復活くらいだ。他の点については起きることも起きないこともあるらしい。
「毎晩見てるって言うんだから相当な数があるはずなのよ。その平行世界は。にも関わらず先輩と草薙樵は必ず死ぬことになる。惨いこと聞くけど、死に方は?」
「いろいろなケースがある」
「じゃ、死に方は重要じゃないのか。死ぬって結果だけが重要なのね。だとすると」
 これは小手先のことをどうこうして解決できる問題じゃない、と涼子は言った。
「多分土門荒野の復活を阻止するとか、そういうレベルで考えていても解決しない。それで解決するなら、郁奈の夢の中のどれかに一つくらい、先輩たちが生き延びるのがあってもいいはずだもの」
「えっと、それって?」
「真面目な話だけど。先輩たちが死ぬのは運命で定められてる、と考えておいた方が良いと思う」
 運命。涼子がそんな単語を使うとは思っていなかった。
「運命って」
「そう馬鹿にしたもんじゃないと思うわよ、姉さん。だって常盤の話にも出てたじゃない。私たちの父さんは『運命を視る異法』を持っていたって」
 運命と呼ばれるような『流れ』はあると考えて差し支えない。涼子はそう断言した。
「大事なのは視点の持ち方よ。多分数多の平行世界の私たちは『町を守ろう』とか『先輩を助けよう』と考えて失敗し続けた。それぐらいじゃ足りない。俗な言い方になるけれど、『運命を変える』くらいに考えておかないと、きっと誰のことも助けられないんじゃないかと思う」
「梢君や皆を助けることだけに囚われず、できそうなことは全部やらないと駄目ってことだね」
「そゆこと。一つの物事だけ見てちゃきっと解決しないわ。先輩のことに限らず、郁奈が見てきた数多の二〇〇五年の事件の情報、それに父さんたちの遺した情報、すべてを総動員して臨む必要がある」
 運命というのは数多の出来事の積み重ねだ。それによって流れが作られていく。
 だから、梢を助けるという点だけを意識してはいけない。運命を変えるつもりなら、今回の件に関するあらゆる出来事を視野に入れ、対応すべき事柄すべてに対応していくことで、全体の流れを変えていく必要がある。
「今のところ対応すべきなのは二点。先輩が死なないようにすることと、草薙樵が死なないようにすること。それを実現するための手札を集めていかないといけない」
「その手札は、私の夢?」
「ええ。郁奈の夢がなければ正直ほとんど手詰まりだわ。結構きついこと聞いてくことになるけど、協力お願いしてもいいかしら」
「うん。私も……梢には生きてて欲しいから」
 郁奈は力強く頷いた。
 彼女の夢は悪夢そのものだ。これまできっと郁奈は、ずっと悪夢に苛まれていたのだろう。遥も二年前に一度それに触れたが、あれを毎日見続けるのは生き地獄に等しいと思う。
「あとは父さんの研究資料だね」
「ええ。姉さんの言ったように消去法で考えていくのが一番無難だと思う。父さんたちや平行世界の私たちがまだやってないことを中心にやっていけば……」
「――それなら丁度良いわさ」
 いつの間にか、常盤が部屋の入口に立っていた。
「常盤。聞いてたの?」
「ああ。さっき資料室を直しといたんで知らせようと思ったら、涼子の声が聞こえてきてね。田舎だからいいけど、あんた声でかいよ」
「うっ……。失礼」
「それより、資料室直しておいたって」
「改めて確認したら酷い惨状だったからね。ちょいと魔術で直しといた。他の部屋も今直してまわってるとこだから、今日はここに泊っていくといい」
 既に時刻は二十時を回っている。今から戻っても日が替わってしまうだろう。
「ありがとう」
「気にしなさんな。あんたたちには、いろんなものを押しつける形になってしまったからね。できることであれば、何でも協力するわさ」
 司郎の子、助けてやってくれ。
 そう言って常盤は頭を下げた。
「常盤……」
「歯がゆいのよ。運命のことも助けられず、重い責任を司郎一人に追わせて、あたしはただここで留守番してるだけ。それが悔しくてね」
 常盤は面を上げた。とても寂しそうで、迷子になった子供のように見えた。
「あの。それなら一つ聞きたいことがあるんだけど」
「ああ、答えられる範囲でなら何でも答えるよ」
「私たちの母さん――真泉未了、でしたっけ。今連絡取れます?」
 母は泉の里崩壊の際も生き延びて、今は各地を渡り歩いているという。
 千年以上前から変わらぬ姿で生き続けてきた人で、泉家では『始祖』とか『姫君』と呼ばれ、畏れ敬われていたという。
 常盤は申し訳なさそうに頭を振った。
「未了は連絡手段を持たないようにしてるんだ。意図的にね。たまにここに戻って来ることもあるけど不定期だし」
「そっか……。母さんの魔法、先輩たちを助けるのに使えないかと思ったんだけど」
「あ、そうだね。母さんの魔法を使えば」
 真泉未了が千年以上も生き続けてきたのは、魔法によってその存在が不変であるよう固定されているからだ、と常盤は先程語っていた。
 存在の固定化がもし可能であれば、梢たちの中に眠る土門荒野を固定化することで封じられるかもしれない。
 しかし、常盤はその方法を否定した。
「確かに未了は魔法によって存在を固定化させられている。けど、それは未了の魔法じゃない」
「……そうなんですか?」
「それができれば運命のときに試してる。……未了はとても優秀な魔術師だけど、魔法使いじゃないのよ」
「なら、母さんにその魔法をかけた人って誰なんですか?」
「はっきりしたことは分からない。何しろ未了がその魔法をかけられたのは千年以上前だからね。あたしから見ても、遠い昔の話だわさ。ただ、不確実な話でよければ多少話せることはあるけど」
「聞かせてください」
 遥と涼子の声が重なった。今は少しでも多くの情報が欲しい。時間はあまり残されていないのだ。
「……分かった。ただ、あたしも未了本人に確認したわけじゃないってことは念押ししとくよ。これはあたしらの郷に伝わってる話からの推測だわさ」
 常盤は壁に背を預けて「まずは何から言おうか」と呟いた。
「あたしは未了や司郎と同郷でね。あたしも司郎も、最初ここに来たのは未了を連れ戻すためだった」
「連れ戻す?」
「ああ。未了は千年以上前、事情あって、あたしらの郷を追放されたらしいのよ。でもそれはそう重い刑罰じゃなくてね。郷のすぐ近くで暮らしていたらしいんだけど」
「そこから、いなくなった……?」
「らしい。いや、あたしも生まれてなかったし伝承の類だからね。はっきりとしたことは言えないんだけど……未了は人間の魔術師たちに攫われたらしいのよ」
 なんだろう。
 常盤の言葉に、違和感がある。
「常盤。人間のって……」
 そういう言い方をされると、まるで常盤が人間じゃないように聞こえる。
 遥の懸念に、常盤は「ああ」と頷いた。
「最初に言っておくべきだったね。あたしや司郎、それに未了は人間じゃない。翼人と呼ばれる種族なのよ」
「翼人……少しだけ、聞いたことはあります」
 冷夏から魔術の歴史について教わったときに聞いた。
 翼人は文字通り翼の生えた人の姿をした種族らしい。翼は強力な魔術補助装置として機能するため、種族全体が非常に優れた魔術師なのだという。
 古代、まだこの国の魔術師たちが発展途上にあった頃、翼目当ての人々に多くの翼人が狩られたという。結果、翼人は人間を敵視するようになり、両者の間には深い溝が出来てしまった。その溝は現在もなお埋まっていないのだという。
「人間たちが翼人を狩りまくってた頃、未了は攫われた。そのとき郷では死んだものと思われていてね。でも些細な偶然から、彼女がなぜか魔術師たちに囲まれて生きていることを知った。郷は若干揉めたけど、同胞を取り戻すためとして、司郎やあたしを泉の里に送り込んだ」
「今の話だと、母さんは攫われたとき、まだ魔法をかけられてなかったんですよね」
「少なくとも翼人の郷じゃ把握してなかった。だから、魔法をかけられたのは攫われたあとだって考えて良い」
「ということは、攫った人間の中の誰かが?」
「いや。一番可能性が高いのは――未了の最初の旦那、一夜という人よ。この人は魔法使いだった。それが原因で未了は翼人の郷を追放されてるんだから、間違いない」
 翼人の郷では、魔法使いの存在は忌避されているらしい。そのため魔法に目覚めたものは例外なく追放する決まりとなっているそうだ。かく言う常盤も、郷からは追放された身なのだという。おかげで翼人の証である翼はもがれたらしい。
 常盤は郷に嫌気がさしていたので、そのまま人間の世の方に来たという。だが、未了の場合はそうではない。強制的に連れて来られたのだ。
「未了が攫われたあと、一夜は幼い子を連れて妻を探すため行方をくらませたって話だわさ。その後、多分一夜は未了を見つけて、固定化の魔法を彼女にかけたんだろう」
「なんで、かけたんでしょう」
 存在の固定化。それは永遠の命と同義だ。それが必ずしも良いものとは限らない。
「それはあたしも未だに聞けてない。本当に一夜がかけたかどうかも分からないし」
 攫われた母。
 探しに出た一夜という人。
 翼人の郷。
 気になることはいくつもあったが――現状、この話は土門荒野の件に結び付きそうになかった。

 翌朝、遥たちは泉の里を離れた。やるべきことが出来たのだ。あまり悠長にはしていられない。
『何かあったらいつでもおいで。あたしで良ければ、力になるわさ』
 常盤からはいろいろな話も聞けたし、運命の遺した資料もいくらか分けてくれた。いろいろなことが分かって、ゆっくりできなかったが、今回の一件が落ち着いたら、改めてお礼を言いにまた来よう。そう思えた。
 ただ、帰りの車中、梢の様子が気になった。昨日と同じようにずっと呆けていて、窓の外をぼんやりと眺め続けている。こちらがいくら話しかけても「ああ」とか「うん」しか言わない。
 何かあったのだろうか、という不安が湧き上がる。
 だが、その不安は家に着いたときに吹き飛ぶことになる。
「……これ、どういうこと?」
 呟く遥に、誰も答えない。否、答えられないのだろう。
 榊原家が――半壊していた。