異法人の夜-Foreigners night-

-Walk Together-
倉凪梢と榊原遥の章「榊原遥と魔術師たち」
 何度も訪れている場所だけに、いつもと何かが違うということはすぐ分かった。
 ここは飛鳥井家の客室。座っているのは遥一人だ。
 表向きの用件は『郁奈に会いに来た』ということにしているが、実際は一切の連絡を寄越さなくなった彼女の様子を伺いに来たのである。
 榊原家が半壊してから既に半月。
 あの日、郁奈は一旦飛鳥井家に戻ると言い残して去っていった。それきり姿も見せないし連絡もない。
 泉の里で郁奈から聞いた話だと、飛鳥井家の元にそろそろ土門荒野に関する情報が伝わる頃だ。魔術同盟等の組織は、土門荒野が草薙樵と倉凪梢に封じられていることまで把握することになる。
 飛鳥井家は魔術同盟に属している。どころか、日本における魔術同盟の代表格だ。
 冷夏がどう動くのか、予想がつかない。場合によっては一戦あるかもしれない。少なくとも遥は、その覚悟をしてここに来ている。
 やがて冷夏が姿を見せた。普段通りの着物姿だ。
「よく来ました、遥」
「お久しぶりです」
「大変だったようですね」
 一瞬何のことか分からなかったが、すぐに榊原家のことだと思い至る。
「ええ。まだ犯人も見つかってなくて」
 犯人が草薙樵だということは、涼子にしか言っていない。はっきりと確認できたわけではないし、迂闊に口走るには刺激が強過ぎる名前だ。
「私に協力できることであればいつでも言ってください。魔術師としてですが、一応秋風市の担当ですから。危険な輩は――」
 そこで冷夏は少し口籠る。遥から若干視線を逸らし、
「その、危険な輩は無視できませんので」
 と、ぎこちなく言った。
 普段の冷夏はもっとはきはき物を言う女性だ。曖昧な態度を取ったのは、幸町のどこに惚れたのか涼子と一緒に問い詰めたときくらいだ。
 ……ああ、そうか。
 どう対応すべきか悩んでいるのは、向こうも同じなのだ。
 冷夏が今言ったように、彼女の立場上、この町に危険を及ぼすような存在――例えば土門荒野のような輩――は放置しておけないはずだ。
 しかし、それが自分の知り合いだといきなり言われても、なら退治しようとはいかない。疑わしきは即罰すべき、というような強固な信念でもあれば話は別だが、冷夏はそこまで物事をすぐに割り切れる性格ではない、と思う。
「冷夏さんは土門荒野を知っていますか」
 思い切って遥は踏み込んでみた。このまま曖昧にするよりは、正直に行った方が良いと思ったのだ。
 根拠はない。だが、こういうものに根拠は求めようがない。ない以上、冒険するより他にない。
「その口振りだと――遥、あなたも既に知っているようですね」
「ええ。今、解決策を練っているところです」
「解決策ですか。あるのですか、そんなものが」
 冷夏の声には諦観の念と疲労感があった。よく見ると表情にも生気がない。
「冷夏さん、調べてたんですか?」
「何を言ってるんですか。当然でしょう」
「まあ、そうなんですけど」
「もっと私がドライな対応をすると思ってましたね。その反応」
 ジト目で睨まれた。実はその通りなので目を逸らしてしまう。
 なにしろ、遥にとって冷夏はおっかない魔術の師なのだ。どことなくドライなイメージを持つのも無理はない――と自分で言い聞かせてみる。
「言っておきますが、私は……その、貴方たちのことを友人と思っています」
 改まって言うのは照れ臭いのだろう。顔が赤くなっている。
 もっとも、言われる方も照れ臭い。二人無言で俯きあうという妙な具合になった。
「友人を討てと言われて、はいそうですか、と答えるはずがありません。救える可能性はぎりぎりまで模索します」
「……ありがとうございます」
「礼を言われるような人間ではありませんよ、私は」
 自嘲気味に笑う冷夏を、遥はどこか遠くに感じた。彼女は今、ここにいない誰かのことを想っているに違いない。
「私は過去に友人を救えなかったことがあるのです」
 懺悔するように言う。その話を、遥は郁奈から少しだけ聞いたことがある。
「……姉さんのことですか?」
 八島優香。ついに会うことの叶わなかった、遥の姉。
 郁奈の母である彼女は――何年も前に、帰らぬ人となっている。
「私は当時飛鳥井家に関わるいざこざに巻き込まれていました。当時は右も左も分からない学生でしたが……もっと上手く立ちまわれていれば、優香を救えたかもしれない」
「当時の状況を私はよく知りません。ですからあまりどうこう言うことはできませんけど……冷夏さんだけが、責任を感じることはないと思います」
 優香を救うことができなかったのは、霧島や幸町だって同じだ。その場に居合わせなかったとは言え、遥だって何もできなかったという意味では同類である。
「そう言ってもらえるのはありがたいのですが、私は自分自身が許せないのです。これは私自身の気持ちの問題ですので」
 やんわりと流された。
「それだけに、私はもう同じ過ちを繰り返したくはない。可能であるなら、倉凪梢を助けるため力を貸したい」
「それが、難しいということですね」
「……」
 冷夏は苦しげな表情で押し黙った。
 彼女は魔術師や退魔士といった裏側の世界における秋風市の代表を任されている。加えて、飛鳥井家現当主の姪という微妙な立ち位置でもあった。
 個人の感情だけで表立って動くことはできない。
「ぎりぎりのところまで、各組織の足を鈍らせておく。それが精一杯です」
 おそらくそれが、十二月なのだろう。
「私にとっては、この町に住む人々を守ることも大事なことなのです。決して違わぬと約束したことなのです。だから――時が来れば、彼を討つ側に回ることになります」
「承知しています」
 それは最初から覚悟していたことだった。
 むしろ、思っていた以上に冷夏はこちらに好意的だった。それを知れただけでも、遥にとってこの対面は有益だったと言える。
「冷夏さんは、土門荒野についてどれくらいのことを御存知なのですか?」
「おそらく遥が知っているのと大差ない知識だと思いますよ」
 確認するように土門荒野の特徴を挙げていくが、いずれも既知の情報だった。
 ただ一点、気になる点がある。
「何でこのタイミングで、なんでしょう」
「タイミングと言うと?」
「梢君たちのお父さんの遺言状と、古賀里白夜さん……でしたっけ。土門荒野に関する情報が、ほとんど同じ時期に魔術同盟に届いた。穿ち過ぎかもしれませんが、何か意図的なものを感じる気がするんです」
「厳密に言うと、その二つだけでもありません」
 冷夏は捕捉するように言った。
「他にも複数の情報源から、土門荒野復活の予兆を匂わせる証言が届いています。決定的なのは倉凪司郎氏の遺言状と、古賀里白夜翁からの連絡なのですが」
 言われてみれば確かに妙ですね、と冷夏も呟く。
「実際に復活しそうだから情報が出るようになった。おそらく大半の者はそう思っているのでしょうし、私もそうだとばかり思っていましたが……」
「梢君のお父さんの遺言状に限って言えば、なぜこの時期に出てきたのかが不透明ですよね」
「……」
「ちなみに冷夏さん、その二つの情報、どちらが先に届いたんですか?」
「最初に届いたのは倉凪司郎氏の方です。草薙樵と倉凪梢の中に土門荒野を封じ込めている。情報を受けて同盟でも動揺はしましたが、まだ復活時期についての言及はありませんでしたし、真偽の程も掴めていませんでした。だから当面は大丈夫だろうと、日和見的な結論に至ったのです」
 しかし、それを覆す情報がもたらされた。それが古賀里白夜の情報である。
「白夜翁の情報は、倉凪司郎氏の情報を裏付けると共に、土門荒野の復活が近いことを知らせるものでした。ここで二つの情報の整合性は取れたので、同盟は慌て対策案を講じている――現状はこんなところです」
「うーん……何かが変だと思うんですけど」
 上手く説明できない。それは冷夏も同じようだった。
 確かに違和感があるのに、その取っ掛かりが掴めない。
「要するに」
 ばん、と勢いよく襖が開いた。そこには得意げな顔の郁奈が立っている。
「要するに、梢のお父さんの情報が出てきたタイミングが都合良過ぎるっていうのと、古賀里白夜が何で梢に土門荒野が埋め込まれてることを知ってたのかってことよね」
「あ、うん」
 間の抜けた返事になってしまったのは、ついここに来た当初の目的を忘れていたからだった。郁奈に会いに来たのだ。
「郁。少し待ってなさいって言ったでしょう」
「だって話が進みそうになかったんだもん。冷、三日徹夜した頭じゃろくに働かないでしょ。遥は直感でもの言うし」
 否定できない。この場に涼子を連れてきておけば良かったと後悔する。
「冷、梢のお父さんの遺言状って、そもそもどういう流れで出てきたの? 確か倉凪司郎って、特定の組織にきちんと所属はしてなかったんだよね」
「ええ。倉凪司郎の遺言状を見つけたのは、大伴氏と呼ばれる退魔の一族です」
 大伴。
 その響きには覚えがある。少し前に出会った少年――大伴百夜だ。他の組織が動いていないのに、一足早く彼の一族は土門荒野討伐に向けて動いていた。その背景には、そういう理由も絡んでいるのかもしれない。
「大伴氏は今でこそ没落していますが、古代有力氏族の大伴氏から出た家系と言われていて、戦国から江戸期にかけては退魔士として随一の勢力を築いていたと言われている一族です。今は往時の勢力を失いましたが、信頼できる相手です」
「大伴氏と古賀里白夜さんに、何か繋がりは?」
「ありません。少なくとも我々は把握していない。妙な符合も、両者が結託しているのであれば納得はできますが、そう単純なことではないと思いますよ」
「そうですね。でも、何か気にかかるんです。……冷夏さん、古賀里白夜さんがどこに住んでいるかは分かりますか?」
 遥の申し出に、冷夏の表情が硬くなった。
「まさか本人に確認しにいくつもりですか?」
「それが一番確実だと思います」
 冷夏は少し考えてから、小さく頷いた。
「少し時間がかかります。明日、もう一度来てください」
「分かりました」
「ただ、あまり過度な期待はしない方が良いですよ。白夜翁は魔術師嫌いで有名ですから」
「魔術師嫌い……ですか? 白夜さんも、魔術師なんですよね」
 遥の当然の疑問に、冷夏も戸惑いの表情を見せる。
「ええ。ですが彼は魔術師やそれに関わるものを異様に嫌っている。同盟に籍を置いていることが不思議なほどに。同族嫌悪とはまた違うようですが」
 冷夏はやや躊躇いながらも、最後にこう評した。
「まるで――不倶戴天の敵であるかのように」

 翌日、遥は冷夏から古賀里白夜の住所を教えてもらい、その足でそこに向かった。
 同行しているのは涼子と零次だ。
 零次や亨にも、梢を巡る問題については説明してある。彼らは迷うことなく協力を約束してくれた。以降、こうして何人かで組んで解決策の調査を行っている。
 ただし、郁奈の正体については伏せている。これは郁奈の要望だった。
『私の素性については、言わない方がいいと思う』
 これは、零次の実父が郁奈の両親を破滅させたという過去が関係している。郁奈の方はそのことで零次に思うところはない。ただ、零次に気を使わせたくないという。
「今日は郁奈を見なかったな」
 車で移動中、零次がぽつりと呟いた。
「今日は平日だし学校じゃない?」
「そうか。そういえばそうだったな」
 本来なら遥たちも学生だが、出席日数や単位にはかなり余裕があるので、調査のためにここ最近は休みがちである。一人医学生の涼子は遥たちのような余裕はないが、留年覚悟で付き合ってくれているのだった。
「久坂君はさ」
「ん?」
「郁奈ちゃんのこと、気になる?」
「まあな」
 特に誤魔化すことなく、零次は頷いた。
「話したことがあるだろう。俺には昔、郁奈という名前の妹がいた。だからというわけではないが……何か妙な縁を感じてな」
 そこで零次は後部座席の涼子を振り返る。
「それに、郁奈はどこか昔の涼子に似ている。なんというか、ああいう子は放っておけないところがある」
「私に? 似てるかな」
「結構似てるよ。性格とか」
 頭は良いのにあまり使わず突っ走るところとか。
 相手が誰だろうと遠慮しないところとか。
 妙なところで負けず嫌いなところとか。
 言ったら怒られそうなので、黙っておく。
 涼子が唸っている間に、目的の場所についた。
『古賀里古書店』
 大分昔に作られたであろう看板に、そう書かれている。
 目的の場所を通り過ぎて駐車場に向かおうとしたとき、店の中から一人の青年が出てきたのが見えた。
「あれ……」
 急に車を止めるわけにもいかず、バックミラーでその後姿を確認する。
 どこかで見たことがあるような気がする。だが、はっきりとは思い出せない。
 ――その青年が草薙樵であると、このときの遥は気付けなかった。
 もやもやした気分のまま、駐車場に車を停める。
「やっぱり正面突破?」
「そもそも突破しないから。ただ質問しに行くだけだから大丈夫だよ。駄目だったら帰ればいいんだし」
「んー。そうだけど、相手の正体が今一つ掴めないじゃない。少し心配よ」
「何、荒事になれば俺がなんとかしよう」
 零次は当たり前のように言う。
 彼は榊原家に居候する前、異法隊という組織に属していた。そこで荒事の経験を積んでいるから、何かあったときは頼りになる。戦闘力では榊原家最強と言っても過言ではない。
 車から降りて書店の前に戻る。遥は少し周囲に目を向けたが、先程の青年はもういなかった。
「ごめんください」
 一言断って、ガタガタと戸を開ける。
 目的の人物はすぐに見つかった。入口からまっすぐ進んだ先にカウンターがあり、そこに小柄な老人が座っている。
 老人はこちらを一瞥して、眉をぴくりと動かした。
「……ふむ。何者だね、おぬしら」
 容貌も雰囲気も、どこか妖怪じみた老人だった。
「式泉遥と申します。こちらは妹の涼子、それから久坂零次です」
「ほう」
 老人の表情に、驚きの色が浮かんだ。
「わしは古賀里白夜という。どこかで見た顔だと思ったが、妙な客が来たものよ」
「え? あの……失礼ですが、どこかでお会いしましたか?」
「おぬしらに会うのは初めてじゃが、わしはおぬしらのことを前から知っておった」
 あがれ、と白夜は言った。
 白夜に促され、三人は店内にあったパイプ椅子に腰を下ろした。
 埃っぽい店だが、それくらいしか特徴がない。何の変哲もない古書店だ。
「それで、若人三人がこんなところに何用かね」
「土門荒野のことでお尋ねしたいことがあります」
「ほう。ますます奇妙な」
 白夜はおかしそうにからからと笑う。
 その笑いの理由が先程出ていった青年――草薙樵との会話にあることなど、遥たちは知る由もない。
「今日は千客万来じゃな。よかろう、知っていることであれば答えてやる」
「では、まずお聞きしたいのですが……あなたはダブル・ワンと、何か繋がりがあるのでしょうか」
 遥の問いかけに、白夜はぴたりと笑いを止め、怪訝そうな顔つきになった。
「ダブル・ワンの名は知っておる。だが本人に会ったことはない」
「ない……? でも、それじゃあどこで土門荒野が分割されていることを知ったんですか?」
 重ねての質問に、白夜の表情はますます訝しげになっていく。
「土門荒野がダブル・ワンに分割されていることか。それであれば、わしも先刻知らされたばかりよ」
 おかしい。
 話が、噛み合わない。
 まさかと思いながら、遥は恐る恐る尋ねてみた。
「白夜さん。魔術同盟に、土門荒野に関する報告を出したんですよね……?」
 白夜の表情が、無数のしわに呑み込まれ隠れてしまう。
 そう錯覚してしまうくらい、白夜の表情が歪んだ。
「馬鹿を言うな。なぜわしがあのような奴らにそんなことを言わねばならぬ」
 場の雰囲気が、凪いだ。
 どうやら、と白夜は低い声で言う。
「どうやら――わしの名を騙る何者かがいるようじゃのう」