異法人の夜-Foreigners night-

-Walk Together-
倉凪梢と榊原遥の章「榊原遥と襲撃者」
「白夜さんの、偽物がおられる――ということですか?」
 眼前の老人の断定に、遥は戸惑いを覚えた。
 土門荒野の情報を提供した白夜なら、何か知っているかもしれない。そう思ってここまで来たのに、その前提が崩れてしまう。
 手掛かりを逃したくない思いから、白夜の言葉を素直に受け入れることができない。
「わしは古賀里の代表にされておるから、仕方なく同盟に属してはおる。じゃが自ら接触したことはない。おぬしらは聞いておらぬか、わしの噂を」
「異常なまでに魔術師がお嫌いだとは聞いてますが……」
「事実じゃ。わしはこれまで自分から同盟と接触しようとしたことなどない。利用できるときはさせてもらっているがの」
 ふん、と忌々しげに言う。
 それは単なる好悪というより、もっと根深い恨みを感じさせた。
「おぬしらも同様じゃ。式泉の人間でなければ追い返している」
「それは、どういう……?」
「例外ということよ。真泉未了の娘。あの女の娘であるからこそ、話を聞いてやっておるのさ」
 真泉未了。その名を口にしたときだけ、白夜の表情から憎しみが消え、代わりに悔恨の念が表れた。
「なら、誰が同盟に土門荒野のことを知らせたのかしら。他にこの情報を知っていておかしくない人なんて」
 涼子が当然のお疑問を口にする。
 白夜すら知らなかった情報を誰が把握していたのか。
「わしは先程、草薙樵から土門荒野が分かたれていることを聞いた。それまでわしは土門荒野は草薙樵の中にのみあると信じていたがな」
「草薙樵が……?」
 遥はふと思い出す。
 先程車から見た青年。どこかで見たことがある気はしていたが、あれが草薙樵だったのか。
「彼は、最初から知っていたのでしょうか」
「いいや。あやつ自身、分かたれていることを知らなかったようじゃ。あれは生前のダブル・ワンと短期間交流があったようじゃがな。……まぁ、言えなかったんじゃろう。その気持ちは分からなくもない」
「ダブル・ワンの気持ちが……ですか?」
「分かった気でいるだけじゃよ。何度も言うが、わしはダブル・ワンと直接の面識はない。多少の縁はあるのかもしれんが、な」
 とん、と煙管を叩く。
「ゆえに、わしの名を騙る何者かは草薙樵ではない。あやつも土門荒野のことが書かれた差出人不明の手紙を受け取った。おそらく同一犯じゃろうな」
「……それでは、大伴という家は御存知ですか? 退魔士の家系らしいのですが」
「大伴? いや、知らぬな。わしは退魔士との繋がりはほとんどない」
「そうですか……」
 これで手詰まりだ。
 冷夏との会話で微かに抱いた違和感。そこから土門荒野の問題を解決する手掛かりが掴めないかと期待したが、それは虫の良い考えだったのか。
 落胆する遥を見て、白夜はぽつりと言う。
「蛇の道は蛇と言う。土門荒野は異法人であろう」
 そこで白夜は、遥の後ろに控えていた零次を見た。
「同盟やわしなぞ頼らず、異法隊で調べた方が良いのではないか。久坂零次」
 異法隊。それは異法人たちの組織だ。規模は小さいが、異法人に関する知識量であれば他の組織にも引けを取らないだろう。
 もっとも、零次自身も所属していた日本支部は壊滅状態だ。
「零次、異法隊の資料とかって残ってるの?」
「一応一通りはな。ただ俺が預かって部屋に置いていたんだが、この間のあれ以来見つからなくてな。……それに、土門荒野については異法隊でも不明点が多くてろくに手掛かりが掴めなかったんだ。大した情報は載ってなかったと思う」
「それはあくまで異法隊日本支部の資料であろう」
 白夜の言葉には含みがある。
 最初にその意味を察したのは涼子だった。
「もしかして、零次のお父さんなら何か知っていたかも……ということですか?」
 零次の父は異法隊に属しつつ、独自の目的を持って動いていた。異法隊にはない独自の情報を掴んでいた可能性は十分ある。
 白夜は素早く万年筆を走らせ、書いたメモを零次に渡した。そこにはいくつかの住所が記されている。
「これは?」
「あやつの隠れ家よ。異法隊ではなく、あやつ個人のな。そこに行けばいろいろ見つかるじゃろう」
「貴方が、なぜこれを?」
「何度か行ったことがある。あやつに魔術を教えるためにな」
 そういえば、零次の父は異法人にしては珍しく魔術を取得していた。異法人であることは魔術師として大きなハンデとなり、大成することは決してない。しかし零次の父の目的は魔術師としての大成ではなかった。
「あやつは己の悲願成就のため、様々な情報を集めていたようだからの。その中に土門荒野の情報があってもおかしくはあるまい」
 受け取った零次の顔には、躊躇いの色が浮かんでいた。
 零次にとって父の話題はタブーだった。彼はまだ父と向き合うことができていない。今は亡き父をどう見ればいいのか、まだ迷っている。
 そんな彼に涼子がそっと手を添えた。それで零次の表情は若干柔らかくなる。
 ……久坂君のことは涼子ちゃんに任せとけばいいか。
 遥は視線を白夜に戻した。白夜はもう話は終わりだとばかりに背を向けていたが、遥にはまた別の考えがある。
「白夜さん。草薙樵の居場所は分かりますか?」
 え、とその場の全員がこちらに向けられる。
「式泉遥よ。おぬし、あやつに会うつもりか?」
「はい。だって別に会っちゃ駄目な理由もないですし。さっき仰られていた手紙の件とか、ダブル・ワンの話とかも聞きたいので」
「で、でも姉さん。草薙樵って……」
 涼子が心配しているのは、草薙樵が榊原家を襲撃した件だろう。その目的もはっきりしてないし、今会いに行くのは危険ではないか、と思っているのだ。
 遥は笑って頭を振った。
 大伴百夜の言葉を疑うわけではないが、草薙樵が榊原家を破壊したという決定的な証拠はまだ存在しない。その確認もしたいと考えてのことだ。
「……まあ、いろいろ考えてはおるようじゃな」
 白夜はもう一度万年筆を走らせた。
 渡されたの紙片には住所が一つ。
「言っておくが、そこはあやつらの住居ではない。連絡用の中継点よ。行けば会えるという保証はない」
「あなたは、草薙の保護者というわけではないのか?」
「同盟への報告からそう読み取ったのか? ふん、それは偽物だと言うたであろう。わしとあやつはそんな生易しい関係ではないわ」
 これで本当に終わりだとばかりに、白夜は席を立った。
 まだ聞かなければならないことはたくさんある気がする。しかし、それが形になる前に、その姿は奥へと消えてしまった。

 心配する涼子と零次に異法隊関連の資料捜索を任せて、遥は草薙樵の元を目指した。白夜の書店の最寄りの駅から三十分程電車に揺られて到着する。
 そこは、秋風市よりもやや都会的な町。
 既に暗くなっていたので、遥は一旦宿を取ることにした。金は榊原から多少多めにもらっているから心配ない。
 問題は、徒労に終わる可能性があるということだ。この辺りを張っていれば草薙樵が必ず姿を現す、というわけではない。
 チェックインを済ませて辺りを散策しながら、遥は状況を整理する。
 自分たちは泉の里に行き、そこで父の最期と土門荒野のことを知った。
 一人、郁奈だけは並行世界の出来事から、やがて十二月に梢と草薙樵が命を落とすことを知っていた。そのことを知っているのは梢を除く榊原家の面々、それに涼子と常盤だ。幸町や冷夏には、郁奈の希望もあって話していない。
 ただ、郁奈の夢について知らない人々も土門荒野に対する警戒を見せ始めている。きっかけとなったのは大伴家が発見したという倉凪司郎の遺言状と、古賀里白夜の名を騙る何者かが出した報告書。
 これら情報によって、今では大抵の者が、土門荒野は梢と草薙樵に分かたれた形で封印されている、ということを知っている。ただ、司郎の遺言状と偽の報告書が上がる前にそのことを知っていた人間はほとんどいないはずだ。
 分けた当人である司郎と、その奥さん。それに常盤をはじめとする運命の仲間もそれを知っているという。
 ……私の母さんを含めて。
 だが、彼らが同盟にこのことを報告する理由が思いつかない。わざわざ白夜の名を騙る必要性がまったくない。
 となれば、他にいるのだ。事の真相を知りつくして、何かを企てている者が。
 それが誰なのかと思いを巡らせる前に、遥の身体は反射的に飛び退いていた。
 轟音。
 それは、直前まで遥が立っていた場所に何かが墜落してきた音だった。
 周囲のざわめきの中、立ちこめる煙の中から一人の男が姿を見せる。
 草薙樵。
 先程見かけた青年だった。
「ウォォオオオオォオオオオオオオオオオオッ!」
 獣の雄たけび。そして獣の如き双眸。
 一目で、正気を失っていることが分かる。
 ……なんだ!?
 考えるよりも速く、暴力そのものが、遥に迫る。
 普通の人間ではまず耐えられないような凄まじい力が、文字通りこちらを叩き潰さんと迫り来る。
 ……ちっ!
 防御結界を展開するが、強度が足りない。駄目元で五重に結界を張ったが、瞬く間にすべて突き破られ、派手に身体が宙に舞う。
 息つく間もなく樵が追撃に来る。防御する余裕はなかった。
「ぅぁっ!」
 脇腹に樵の足が叩きこまれ、近場のビルの屋上に叩きつけられた。
 気を失いそうになるほどの痛みと、それ以上の寒気。
 遥はすかさず起き上がり、天を仰ぎ見た。
「オオオオオオオオオォォォォ――――!」
 人間の喉が発しているとは思い難い咆哮が夜空に響き渡る。そして、その叫びはそのまま暴風となって遥の元に墜落してきた。
 屋上を突き抜け、何度も地面をぶち抜いて落下していく。
 全身が痛みに広がり、思うように動かない。
 死を、予感する。
 その瞬間、遥の眼前が真っ白に染まった。

 大切な何かを失う夢を見た。
 自分にはとても大切な人がいて、ずっと一緒にいたいと願っていた。
 しかしその人は唐突にいなくなった。
 とても寂しくなって、夢中になって追いかけた。
 どこにいるのかも分からない。見つかるかどうかも分からない。それでもボロボロになった足を動かし続けた。
 長い長い時を経てようやく見つけたその人は、見るも無残に壊されていた。
 もう自分に笑いかけてはくれない。
 決して手の届かない場所に行ってしまった。
 それでも、目の前のその事実を受け入れたくなくて、どこにもいないその人を探し求め、長い長い時をかけて旅をする。
 そんな――救いのない夢を見た。
 ホテルの病室で目を覚ましたとき、珍しく夢の中身を鮮明に覚えていた。
 普段はこんなことないのに。
「ん……?」
 時間を確認しようと携帯を見ると、遥からのメールが入っていた。
 所用でしばらく留守にする。そんなことが書かれていた。
 ……そういえば、ここしばらくあいつの顔見てないな。
 声を聞いたのも、天夜と対峙したあの晩が最後だ。
 あれから梢はどことなく無気力になり、この部屋に塞ぎ込んでいた。調理師学校もずっと休んでいる。
 この部屋を訪れるのは天夜や美緒、たまに幻が来るくらいだった。天夜は梢が妙な真似をしないか見張りを頼まれたという。誰にとは言わなかったが、おそらく遥にでも頼まれたのだろう。
「あの晩、あんな形で電話切って悪かったかな……」
 彼女の好意を受けたくなくて、性急に電話を切ってしまった。あれで却って心配させてしまったかもしれない。
 彼女は自分に並々ならぬ恩を感じているようだった。だからか、彼女はいつも自分に優しい。純粋過ぎて痛ましいくらいの好意を向けてくれる。
 そんなまやかしの好意のために、彼女は無茶をしかねない。そういう子だ。
 だから、あまり心配はかけたくない。一応元気な姿を見せて、大丈夫だと言っておいた方がいいだろう。
 しかし、呼び出そうと思ってかけた電話は繋がらなかった。
「……変だな」
 何度かけ直しても通じない。短時間に何度もかけるのは失礼だと思い、かなり間隔を開けてかけてみたのだが、ずっと繋がらないままだ。
 メールをしようかとも思ったが、うまく文面が思い浮かばない。
 何か、落ち着かない気分だ。
 あんな夢を見たせいだろうか。
 大切な人を失う夢。
 ……いや、あれは夢じゃないんだろうな。
 あれは、自分の――忘れてしまっている土門荒野としての記憶だ。
 そう。確か自分は長い旅をしていた。決して手に入らない何かを探して。
 まわりには、怖い人間たちがいっぱいいた。いつも自分を恐れて、武器を向けて、討ち滅ぼそうとしてくる。
 味方はいない。昔はいた気もするが、とっくにはぐれてしまった。
 目的地も忘れ、味方も消えて、一人で迷子になっている。
 やがて、自分が置かれている状況すらも忘れて――紛い物が生まれた。
 長い長い旅の最中、自分は数多の過ちを犯したような気がする。その贖罪のために生まれた紛い物。それが今の自分だ。
 そんな独り善がりの贖罪に意味などない。
 こんな紛い物の自分にできることなどない。
 ……出るか、家を。
 その後どうするかなんてあてはない。
 ただ、相応しくないと思った。
 自分のような奴は、あの温かい場所にいてはいけない。
 そのためにも遥を探そう。
 まず、彼女に別れを言わなければ。
 憂鬱さを引きずりながら、梢は部屋を出た。

 常盤の声がした。
『あたしの魔法には、一つ裏技というか応用技がある』
 それは半月前、泉の里を訪れたときに聞いた言葉だ。
『可視化した情報に、手を加えることができる。情報の改ざん――まぁ、この出鱈目なカタチに合わせて加工しないといけないから、正直使い道はほとんどない。せいぜい情報を部分的に塗り潰して無意味なモノにするってくらいだわね』
 そう。なぜそんな話を彼女はしたのか。
 思い出す。
『実はあんたたちが赤ん坊の頃、運命に頼まれて、あんたたちの力を今言った方法で塗り潰したのよ。部分的にね。その力――性質的には異法に分類されるその力は、赤ん坊に扱うには危険過ぎると判断されたからね』
 でも。
『今のあんたたちなら、ある程度力を戻しても、上手く使えるかもしれない。無論、戻さなくても良い。平凡に生きたいなら、余計な力はない方が良いからね』
 しかし、これから自分たちが挑むのは平凡とは程遠い相手だ。
『力が、必要かい?』
 力は、必要だ。
 例えそれが――危険を伴うモノだとしても。
「あああぁ……っ!」
 両腕で、力を込め、正面から相手の一撃を受け止める。
「いきなり、なん、なん、だああぁ――っ!」
 相手の腕を掴み、身体を回転させて振り投げる。
 思わぬ反撃を喰らった草薙樵の身体は、凄まじい勢いで遥か上空へと舞う。
 その隙に、遥は手近な窓を突き破って外に飛び降りた。
 四階の高さから地上に飛び降りてきた遥に、周囲の視線が集まる。遥は咄嗟にサングラスと帽子をつけた。こういうときのための備えだ。
 備えはしていたが――いきなり襲われるとは思わなかった。
 空気が揺れるのを感じて、遥はまた駆け出した。一目散に駆け抜ける。
 気配だけで、相手が自分を追ってきているのが分かる。
 ……私、何かした!?
 そんな覚えはない。ただ話をしに来ただけだ。
 相手がすぐ見つかったのは良いが、その相手は聞く耳を持っていないらしい。運が良いのか悪いのか、さっぱり分からない。
 危険なものを感じて、一気に近くのビルへと跳躍する。一瞬遅れて、自分が走っていた場所が巨大な力で叩き潰されたのを感じた。
 ……普通じゃ考えられない。異法人としても桁違いの力じゃない。
 常盤に異法人としての力を戻してもらい、一般人を凌駕する身体能力を得てなお、先程の一撃は身を裂かれるほどのダメージだった。既にこちらは息が上がっている。走るたびに脇腹が痛む。何本か折れているかもしれない。
 ビルを三角跳びで上りながら、遥は先程の樵の表情を思い出した。
 明らかに正気を失った目。異法人としても桁違いの力。
 ……土門荒野?
 だとしたら、話に聞いていたのと随分違う。
 土門荒野は無差別に周囲を破壊し尽くす悪鬼だと言われている。だが先程から樵は、明確にこちらを狙ってきている。他のものには目もくれない。
 ……本当、運が良いんだか悪いんだか。
 ビルの屋上から一気に遠くへ跳躍しようとして、眼前に追手の姿を見つける。どうやら駆けっこでは分が悪いらしい。
 ……ちぇ。
 死ぬかもしれない。
 それは嫌だなと、胸中で呟いてみた。