異法人の夜-Foreigners night-

-Walk Together-
倉凪梢と榊原遥の章「倉凪梢と草薙樵」
 喫茶店の窓際の席で向かい合っている三人の男がいた。
 梢と亨、そして天夜の三人である。
 亨と合流してから状況を一通り整理する中で、天夜も呼ぼうという話になった。亨は僅かに逡巡したが、各個人の持っている情報が錯綜している今、なるべく大勢で集まって情報を整理すべきだと梢が電話をしたのである。
 三人が集まってから、亨は遥たちが置かれている状況を一通り説明した。
 郁奈が『夢』を通して平行世界の出来事を見ていること。数多の世界の二〇〇五年に梢をはじめとする大勢の人が死んでいること。それを防ごうと榊原家の面々が動いていること。
 そして、二〇〇五年の災厄は土門荒野に起因するものであること。
「なるほど。他の世界みたいなことにならないよう、いろいろ調査してるのか。そういうことなら俺にも言ってくれればよかったのに」
「泉の里に行ってから、梢さん明らかに様子がおかしかったじゃないですか。とても話せませんよ。話したら何するか分かりませんし」
「……まぁ、そこは否定できねえけど」
 十中八九、皆に迷惑をかけまいと一人で草薙樵のところに乗り込み、始末をつけようとしていただろう。
「それを話してもらえたってことは、今は少し信用されたってことか?」
「半々です。人間、急にそんな変われるとは思えませんし。元通りになっただけって感じですね」
「元通りならいいんじゃねぇのか……?」
「あなたは少し自分を見直した方がいいと思いますよ」
「……」
 何を言われても、今は言い返せない。納得しがたい気もしたが、今は黙っておくことにした。
「けど、今の話信じるんですね。僕は最初なかなか信じられませんでしたよ。いえ、今も半信半疑です。平行世界が実在するなんて」
「その辺は信じる信じない以前によく考えてないだけだ。ただ、俺はそう言った郁奈やそれを信じたお前たちを信じてみようと考えた。それだけだ」
 平行世界などと言われても、よく分からないというのが本音だ。こことよく似た世界が見えない壁の向こうにある。そこでは両親と共に平穏に暮らす自分もいるのかもしれない。だが、それは曖昧な想像の域を出るものではない。
 大事なのは、今自分がいるこの世界だ。
 他の世界のことは、その世界にいる奴らが考えればいい。
「そういや、俺は遥たちがウチを襲った奴を追いかけてるって聞いてたぞ。あっちはどうなったんだ?」
「そっちも並行して調査してます。ウチを襲ったのは、他ならぬ草薙樵ですからね」
「……あいつが?」
 それまで黙って話を聞いていた天夜が、怪訝そうに眉を上げた。
「天夜君は彼と面識があるんですか?」
「ああ。けど、変だな。あいつらしくない。何度か行動を供にしたことがあるが、とにかくあいつは真っすぐで融通が利かない性格だった。おまけに自分でこうと決めたら人の話を聞かない。自己中な奴と言えなくもない」
「話を聞く限り印象最悪だな」
「まぁ、実際第一印象はかなり悪かった。けど、己を厳しく律する奴でもあった。自己中に、正しく在ろうとしていた。訳もなく人を襲うような真似はしないと思う」
「……ううん。となると二通りのケースが考えられますね。ウチや遥さんを襲ったのはそもそも草薙樵ではない。あるいは、草薙樵の方に襲うだけの理由があった」
「補足するなら、ウチや遥を襲ったのは草薙樵であって草薙樵ではない可能性もあるよな。土門荒野の影響が徐々に強くなってきているのかもしれない。郁奈の見た平行世界ではだいたい今くらいの時期に土門荒野が活性化してるんだろ?」
「ええ。その可能性も十分あります。どちらにせよ、草薙樵に会って話を聞く必要がありますけど……」
「手掛かりがな。なんとなく、前よりは近づいてる感じがするんだが」
「その感覚は確かなんですか?」
「ああ。俺たち異法人同士に生じる共鳴現象を、もっと長く緩やかにした感じだ」
 思い込みなどではない。
 亨や美緒に喝を入れられたあとも、この感覚は残り続けている。
 やまない耳鳴りのように。
 治まらない頭痛のように。
「あいつに連絡取りたいなら、かけてみるけど」
 天夜が自身の携帯を取り出してみせた。
「登録してんのか?」
「二度目に会ったときの別れ際に登録したんだ。かけるのはこれが初めてだけど」
 言いながら、天夜はアドレスを選び通話ボタンを押した。
 場が緊張に包まれる。コール音がこちらにまで聞こえてくるような気がした。
「……」
 天夜の表情が微かに動いた。視線で問いかけると、無言で頷く。
 草薙樵に、繋がったらしい。
「もしもし、草薙か。ああ、緋河だ。久しぶり。少し話したいことがあるんだが、時間大丈夫か?」
 草薙の声は聞こえない。ただ天夜の表情から読み取るしかなかった。
「ああ。ああ。そうだ、▲×町だ。そっちは? 近くにいる? ああ……分かった」
 ひとしきり話を終えて、天夜は電話を切った。
「四時間後、道の駅近くのバス停で会うことにした」
「了解。向こうの様子はどうだった」
「何か、苛々しているようだった。向こうは向こうで何かがあったのかもしれない」
「一応、用心はしておいた方が良さそうですね」
 ただ話をして終わり、というのが最善の形だが、そうはならない予感がする。
 自分と草薙樵の対面は、土門荒野を強く刺激することになるだろう。それだけで十分危険と言える。
「……亨。それに天夜。今のうちに、お前たちに頼みがある」
「なんですか? 言っておきますけど、何かあったら俺を殺せ、なんて頼みだったらまた殴りますよ」
「言わねえよ。いや、天夜にはこの間言っちまったけど。ただ、あれは惨い頼みだったと思う。もう言わない」
「じゃあ、なんですか?」
「俺と草薙の対面は、土門荒野の復活を招くかもしれない。もし俺や草薙がやばくなりそうだったら――皆を守って欲しい」
「……」
「やり方はお前たちに任せる。とにかく、皆を守ってくれ」
「分かりました。僕は僕なりの最善を尽くして、皆を守ると約束しましょう」
「俺も、約束しよう」
 梢はそっと拳を前に出す。二人も拳を出し、打ち合った。

 待ち合わせのバス停までは徒歩で行った。
 元々一日数本しか走っていない路線だ。町と町の間にある辺鄙な場所で、車もろくに通らない。
 草薙樵は先に来ていた。
 険しい表情で、こちらを睨みつけてくる。
「……緋河。連れがいるとは聞いてないぜ」
「この人たちが、あんたに話を聞きたがってる。俺は仲介役だ」
「ふん。話ね」
 草薙は天夜や亨のことは見ていなかった。ただまっすぐ、梢を見据えている。
 こうして相対してみると分かる。草薙の中には、確かに土門荒野がいる。向こうも感じているはずだ。この感覚を。
「お前、名前は」
「倉凪梢だ。はじめましてかな、草薙」
「どうかな。もしかしたら、互いに覚えてないだけで前に一度会ってるかもしれない。この俺の中にいる厄介者を、お前に移したときにな」
「覚えてないことを言っても意味ないだろ。それより、二つ聞きたいことがある」
「話すことなんかねえな」
 言って、草薙は右腕を大きく横に広げた。
 周囲の土や岩が――大地がその腕に吸い込まれていく。やがてそれは、岩の腕へと変化した。
 梢の翠玉の篭手と似た力。
 それは、明らかに戦闘用のものだった。
「いきなりやる気か。どういうつもりだ」
「どうもこうもあるかよ。よくもまぁノコノコと顔を出せたもんだな、ええ?」
 今度は左腕を広げ、同じように岩の腕へと変化させる。
 両腕の武装。そこからは、翠玉の篭手より鋭く力強い魔力を感じる。
「お前が、俺のダチに何をしたか! そいつを忘れたとは言わさねぇぞ……!」
「ダチ?」
「すっとぼけてんじゃねぇッ!」
 草薙は大地を思い切り殴りつける。瞬間、凄まじい砂ぼこりが周囲を覆い尽くした。視界が塞がれ、何も見えなくなる。
 梢は迷わず宙を見た。見えなくとも、相手の気配は嫌というほど感じている。
 跳躍した樵は、空中を疾走してこちらに突っ込んでくる。
 ――翠玉の篭手(エメラルド・ガントレット)!
 咄嗟に魔力を展開し、創出した篭手で草薙の一撃を受け止める。
 弾き飛ばすつもりで受けたが、草薙の力は想像以上だった。かつて感じたことのない力強さと強引さで、こちらの防御をまっすぐに突き崩そうとしてくる。
 ……なんだ、この力!?
 翠玉の篭手に亀裂が走る。正面からのぶつかり合いでは分が悪い。
「こなくそっ!」
 あえて力を抜き、拮抗状態を崩す。その一瞬で、草薙の真下に飛び込んだ。
 ガラ空きの腹に向かって、思い切り殴りつける。草薙の身体が、バス停の待合室に吹き飛んだ。
 綺麗に入った手加減なしの一撃だ。いかに異法人と言えど、相当なダメージを受けたに違いない。
 にも関わらず、草薙は立ちあがった。
 ダメージがないわけではない。ただ、それを忘れさせるほどの強い怒りが彼を支配しているようだった。
「本来なら、俺はお前に憎まれても仕方ないと思っていた」
 口元の血を拭いながら、草薙は言う。
「だが、ダチをあんな目に合わされちゃ話は別だ。どんな言い訳があろうと、ひとしきりボコらにゃ気が済まねぇッ!」
 風圧を感じた瞬間、何かが顔面に衝突した。
 頭に身体が引きずられるような感覚。そこに、今度は真上から何か強烈な力が加わった。
 意味が分からない。
 草薙のダチに何かした覚えはない。
 というか、何かしたのは向こうではないのか。
「っ……だらああぁ!」
 突き出された草薙の拳を、自らの拳で迎え撃つ。
 互いの拳が衝突し、そこから魔力が溢れ出す。
「さっきから黙ってりゃいい気になりやがって……! てめぇのダチなんざ知るか。それよりてめぇこそ、ウチを襲ったんじゃねぇか!? 遥をどうした、答えろ!」
「言ったろうが、話すことなんかねえ!」
 言葉と共に叩きつけられる一撃。
 それは、どれも重くて痛い。
 草薙の動きはどれも単純で直線的だが、分かっていても防ぎきれない力がある。
 単純な一撃を出すことに、一切のためらいや怯みがない。
 多くの修羅場を潜ってきたのだろう。
 おそらくは、そのダチと一緒に。
「聞け! 俺は何もやっちゃいねぇ!」
「ナメてんのか? こっちはな、俺たちのアジトから逃げるてめぇの姿を見てるんだ。それに、てめぇから感じる土門荒野の気配……間違えようもねぇ!」
 蹴り飛ばされ、水平に身体が飛ぶ。
 ……俺の姿を、見ただと!?
 そんなはずはない。誰かを襲った記憶などまったくない。
 ……まさか、土門荒野か?
 寝ている間に土門荒野の意識が勝手に――という可能性はなくもない。だがそれは常々危惧していた。意識を失っている間に何かしてやしないかと、起きる度にチェックしていた。
 これまで、自分の中の土門荒野が何かしたという形跡は、ない。
 ……ならコイツが見たのは何だ!?
 状況が見えない。
 この違和感は何だ。
 説得力のある解が出てこない。
「草薙……お前は」
 梢が言い終わるより先に、草薙の周囲に五本の長槍が突き立った。即席の檻に囲まれて、草薙の猛攻が一旦止まる。
「そこまでです」
「少し手を休めてもらうぞ、草薙」
 亨と天夜だ。後を追ってきたのだろう。
 草薙は射殺さんばかりの形相で亨を睨みつけた。
「てめぇもこの野郎の仲間か。邪魔するならぶちのめすぞ」
「話を聞いてください。梢さんは、あなたの仲間に危害を加える人じゃない。そんな理由もない。落ち着いて考えて――」
「るせぇッ! ゴタクが多いんだよ小僧!」
 己を取り囲む五本の槍を払いのけようと、草薙が腕を振るう。槍は砕けたが、すぐに球状に形を変え、草薙の動きをけん制するように飛び回る。
 五種類の金属を自由自在に操る。それが亨の異法だ。決定打には欠けるが、汎用性は高い。敵の動きを封じ込めるという点では、梢や零次の能力より適任だ。
「聞いてくれないなら、聞かざるを得ないようにしますよ」
「俺も同意見だ。今回は話を聞いてもらうぞ、草薙」
 天夜が右腕に巻いている包帯を解いた。この包帯は、天夜が持つ火の力を抑えるためのものだ。それを外したということは、天夜が本気だということである。
 三者に囲まれる形になった草薙は、こめかみに青筋を浮かび上がらせながら血を吐き捨てた。
「どいつもこいつも……邪魔するならまとめて――」
 言いかけて、草薙は動きを止めた。その瞬間、どくん、と梢の心臓が跳ね上がる。
 直感が『まずい』と告げる。
「……っ、てめぇ、じゃねえ。これは、俺の喧嘩だ……!」
 誰かに怒鳴りつけるように、草薙が呻く。
 その身体から、先程までとは異質な魔力が溢れ出てきた。
「梢さん、これは……」
「ああ。草薙のじゃない」
 草薙の魔力は、意固地なまでにまっすぐで、強引で力強いものだった。
 しかし、今彼から溢れ出ているのは、歪で暗く、吸い込まれそうな闇そのもの。
「く、そ、が……」
 頭を押さえながら、草薙がその場に倒れる。途端、彼を覆っていた暗い魔力が、暴風となって周囲に解き放たれた。
 少し触れただけで、背筋が凍えるような力だ。二年前、ザッハークに挑んだときと同様の恐怖が全身を包み込む。
「これが、土門荒野の力か」
 そうだと言わんばかりに、心臓が跳ね上がる。
 鼓動が、やかましい。
 恐怖を上書きせんと、高揚感が湧き上がってくる。
 倉凪梢と土門荒野の境界を押し流そうと迫ってくる。
「亨」
「はい」
「俺が時間を稼ぐ。天夜連れて逃げろ」
「……嫌だと言ったら?」
「言っとくが俺は死ぬつもりなんてねぇぞ。ただ、逃げに関してはお前らより上手くやれる自信があるし――」
 ゆらりと草薙の身体が起き上がった。
 正気を失った獣の顔。
 それは、まっすぐに梢を見ていた。
「どう考えても、奴の狙いは俺だ。下手に三人行動してお前ら巻き込むよりは、一人の方がやりやすいんだよ」
「ですが……」
「ただ逃げろとは言わん。こいつがこの調子じゃ話にならないからな……草薙の仲間のこと、調べておいてくれ。天夜なら連絡先知ってるんだろ?」
「ああ」
「なら決まりだ。それぞれでやれることをする。……任せたぜ、二人とも」
 草薙が――否、土門荒野が咆哮する。
 失われた半身を取り戻そうと、こちらに爪牙を向けてくる。
 ……やれやれ。二つの土門荒野が相手か。キツイわ。
 胸中でぼやきながら、梢は一目散に逃げ出した。