異法人の夜-Foreigners night-

-Walk Together-
断章「倉凪司郎と土門荒野」
 数多の運命線は絶えず形を変え、それ自体が生き物であるかのようにゆらゆらと動き続ける。隣の運命線にぶつかって弾かれる運命線もあれば、途中で徐々に勢いを失い止まってしまう運命線もある。
 しかし個々の運命線がどんな形になろうとも、大きな流れは変わらない。運命線の集合体である世界線は、何を目指しているのか、ひたすらどこかへと突き進んでいく。
 それをじっと見ている小柄な影。
 人間の子供にしか見えないようなその影は、実際のところ、子供でもなければ大人でもなく――そもそも人間とすら呼べない。
 人間らしき形は、自分が定義して与えただけだ。本来あれに形はない。
 その影は、ゆらゆらと蠢く運命線の先端から、視線を逸らした。
「動いているのは先の方だけなんだ」
 今更のようにその事実に気付いたのか、妙なところで感心していた。
 過去は動かしようがない。それは当然のことだ。魔法でも使えば運命線を逆行させてやり直せるのだろうが、そんなことが出来るのは自分のような異分子だけだろう。
 否――その影も、過去が変え難いことは理解しているはずだ。そんな話を、いつかした。時の概念がないここで『いつ』というのも妙な話だが――ここの住民にはここの住民の『後先』があるということだ。
「先の方が動いているのは、未来が不確定だからだ」
「決まってないなら、なぜ運命線はあるんですか?」
「ある程度は決まっているからだ。未来とは過去の延長に過ぎない。過去の道筋から、未来というのはある程度は予測することができる」
 自堕落な生活をしている者の未来は大抵ろくなものではない。危険な戦場にいる者は未来が途絶える可能性が高い。未来とは、これまでの積み重ねの延長なのだ。
 宝くじに当たるという『運』の要素も絡むことはあるが、それにしたって『宝くじを買った』という過去があればこそだ。
 未来は決まってはいない。ほぼ決まっているだけだ。大抵の生き物はそれを予測する能力が低いため、それに気付かない。
 だが稀に、それこそ運命の悪戯としか思えないように『確定された未来』が生まれることがある。そこに至るまでの過程は幾千万あれど、結末はたった一つという事柄が、この世には確かにある。
 目の前にいる子供の形をしたものが、その証拠だ。
 数多の世界線で必ず起きる『土門荒野の悲劇』と呼ばれる出来事がある。それは地方都市で起きた小規模な問題なのだが――長い歴史の積み重ねゆえか、運命線の流れがあまりにはっきりしている。
 本当に細かいところでは、多少の差異が生じているのだろうが――ほぼすべての世界で、この出来事の結末は決定づけられている。
 いくつもの運命線が、吸い寄せられるように結末へと進んでいく。
 それら運命線から感じ取れるのは、憤り、嘆き、悲しみ、苦しみといった負の感情である。結末を変えようと足掻きに足掻いて、それでも叶わなかった者たちの思い。
 普通ならただ消えていくはずのそれらは、消えずに形を成した。
 数多の世界の数多の思いが重なり合い、起こってしまった悲劇を変えようと動き始めた。それが、目の前にいる子供の形をしたモノである。
 ソレは自分の足元に届いている運命線を気にしているようだった。まだ辿り着いてはいないが、いつかは辿り着いてしまう運命線。
 辿り着けば、その時点であの運命線は子供の形をしたソレの一部になる。
 土門荒野事件。
 その事件によって生まれた無念は、世界という枠を超えて、集まって、形を成して、何をしようというのだろうか。
 何にせよ、自分はそれを見届けるつもりでいる。
「それで。何か分かったか?」
「……分かりません。あなたの言うように、運命線に向かって語りかけてみましたが、それにどういう意味があるのか」
 ただ、幾分緩やかになりました、とソレは言った。
「運命線の流れが?」
「はい。これは良いことでしょうか?」
「良い悪いで括ることはできぬな。ただ可能性の幅は広がった」
 余計悲惨なことになる可能性も出てきたわけだが、それについては黙っておく。
 既に目の前の子供の存在は、相当摩耗している。迂闊なことを言えば、そのまま消えてしまいかねない。
「土門荒野は、誰かを探していたようです」
「うん?」
「誰かと一緒に、誰かを探していたようです」
 それきり、子供は何も言わなくなった。
 わざわざそのことを口にしたのだから、相当気になったのだろう。
 異法に寄生する異法。それはもはやただの存在であって生き物ではない。
 誰もが土門荒野をそういう存在だと見ていた。
 しかし、そうではない。土門荒野には過去があり、おそらくは――意思もある。
「でも、土門荒野の運命線は実体が失われていて、溯ることもできません。土門荒野に関わった人々の運命線から、その欠片を集めることができるのみです」
「欠片は手にしておるかな?」
「はい」
 子供が差し出した手には、何かが乗せられていた。まだ形の定まらぬ曖昧なモノ。確かに存在はしているが、誰にもその正体を知られていないモノだ。
 見やすいように、それに仮初の形を与える。
 どんな形にしようか迷ったが――もっとも馴染み深く、分かりやすいものにした。
 一冊の本。
 自分の手に突如現れた重量に、子供は大層驚いていた。
「これは、本ですか」
「そうだ」
「こう、紙をめくっていくんですよね」
 運命線を見て学んだのだろう。ぺらぺらとページをめくっていく。
「読まねば意味はないぞ」
「本とは、どうやって読むのですか?」
「……おぬし、何かこう、知識の得方が変だよなぁ」
 む、と不服そうな表情を浮かべる子供。
 運命線で何人かの人間の生き方を見て、少しだけだが人間らしさというものを得てきているようだ。元々は人間の無念から生まれたものだから、人間ではないにしても、その真似事は簡単なのかもしれない。
 あまり馴染みはないが、もっと分かりやすい形にした方がいいかもしれない。
「ちょっと本を出してみろ。動くんじゃないぞ」
 子供から本を取り上げると、それを握りつぶす。無形に戻った土門荒野の欠片を指先に集中させ、子供の頭を軽く突いた。
「――」
 子供の表情が虚ろなものになった。意識が欠片の方に入り込んだからだ。
「どれ、わしも視てみるか」
 自分の額に指を押し当てる。
 知る由もない記憶が、流れ込んできた。

 息が上がっている。
 鼻孔に入り込んでくるのは、錆びついた血の臭い。
 借り物の身体はとうに原型を留めていない。普通の人間であれば、とうに死んでいなければならない身体だ。
 舞台は夜の寒村。俗に泉の里と呼ばれていた地の外れ。
 多くの血を見た。暴れに暴れて、殺して殺して――そうして殺される。
 いつもと同じ。
 ずっと、この繰り返しだ。
 眼前には武骨な黒い銃と、それをこちらに向けている青年の姿がある。
 青年の名は倉凪司郎。
 翼人の一族に生まれ、名も与えられず生き続けてきた彼は、はじめて名前を与えてくれた友人に向かって、銃を突きつけていた。
 勝負はとうについている。
 この身は満身創痍。対して向こうは無傷。
 勝てる見込みはあった。一撃でも当たればこちらの勝ちだった。
 だが、一撃も当てられなかった。否、当たったはずなのに当たっていないことになっているような感じだった。
 だが、それはさして問題ではない。
 今回もやれるだけのことはやった。だから、自分としては満足だった。
 気になるのは――この状況下で、倉凪司郎が動かないことだけ。指先を僅かに動かすだけで怨敵を討ちとれるはずなのに、そうしない。
 この身体が恩人のものだから躊躇っている、という線はない。倉凪司郎はそんな感傷に引き摺られる男ではない。それは、この身体の持ち主を通してよく知っている。だからこそ、彼は自身の殺害を頼んだのだ――。
「おい」
 死体と同じような目をした男が、声を発した。
「それで終わりか?」
 長い時の中で、取りついた者以外に声をかけられたのは、随分と久しぶりだった。
 誰もが自分を意思なき化け物と見ていた。化け物相手に言葉はいらない。ほとんどの人々は、ただ自分を殺しに来た。自分はそれに応じ続けた。
 だから、問いかけられるというのはほとんど未知の体験だ。答え方が分からない。随分と昔は普通に話もしていたはずなのだが、もうやり方を忘れてしまった。
「……あ……」
 声を絞り出す。到底答えにはなっていない。ただの呻き声だ。
 だが、倉凪司郎はそこに何かを感じ取ったらしい。
「お前には、やはり意思があるのか」
「……う?」
「伝聞と実際のお前の行動を比べてみると、どうにも違和感がある。お前は意思なき怪物と言われていた。ただ周囲一帯を破壊し尽くす害悪そのものだと」
 酷い言われようだ。
 自分は――そんなつもりはない。
 そんなつもりは、ないのだ。
「実際のお前は、見境なしに暴れているようには見えなかった。優先順位をきっちり決めていた。僕がお前を殺すつもりで何度仕掛けても――お前は他の人々の殺害を優先して動いていた。普通なら邪魔者である僕を真っ先に殺害すべきなのにな」
 だから、それは誤解なのだ。
 倉凪司郎は、本来自分が殺すべき対象ではない。
 他に殺すべき対象がいたから、そちらを優先した。
 自分としては、それが当然のことなのだ。
「お前の攻撃が一撃でもまともに当たれば、僕は死んでいた。そして、その可能性は決して低くなかった。僕は九割九分死ぬ覚悟だった。お前と相討ちになる覚悟だった。それがこういう結果になったのは、お前が僕の殺害を最優先としなかったからだ」
 だから僕はお前に意思があると確信している――と倉凪司郎は冷めた口調で言う。
「答えろ。意思がある以上、お前には『目的』があるはずだ。何のために運命を乗っ取り多くの人々を殺した?」
「……わ……か」
 分からないのか。
 倉凪司郎。お前になら分かるはずだ。
 途切れ途切れの言葉を、倉凪司郎は辛抱強くじっと聞いていた。
「――成程」
 それで、倉凪司郎はこちらの正体を察したらしい。
「うちの里で禁忌とされている時点で予想はしていたが……土門荒野、お前は古の時代の翼人か」
 土門荒野。
 それは偽りの名だ。
 誰も自分の名前を知らないから、便宜上適当な名前をつけて定義した。
 異法人に寄生する異法。周囲に破壊をもたらす災厄――土門荒野。そういう分かりやすいカタチの幻想を作り上げた。
 自分は土門荒野などではない。しかし土門荒野という定義の中に閉じ込められているのだ。窮屈で仕方がない。
 だから言おうとした。
「チ……がう」
 自分の名は。
 本当の名は――。
 瞬間、ぶつりと接続が切れた。
 延長に対応していないレコーダーで撮った番組のように――肝心なところが視えないまま、この記録は途絶えたのだ。

 意識が引き戻される。
「……今のはなんでしょう」
 目の前の子供は不思議そうな顔をしている。
「追体験というやつだ。土門荒野が経験したことを我々も見たのだよ。まあ、紛い物の経験だがね」
 実際は式泉運命と倉凪司郎の運命線から、土門荒野に関する情報をかき集めて作られた擬似的な記憶だ。土門荒野自身はあんなに明確に物は考えていなかったろうし、実際の会話は細部が異なっている可能性もある。
 身も蓋もない言い方をしてしまうと、出来の悪い二次創作のようなものだ。
「だが、土門荒野には多少なりとも知性があることが分かった。元々は翼人だったということもな」
「……」
 子供は浮かぶ顔つきだ。
 何か別に気がかりがあるかのような――。
「最後に聞こえたんです。倉凪司郎の声が」
「ほう? あのダブル・ワンが何か言ったのか」
 自分が見た追体験では、そういったものはなかった。だが、あれは見る者によって細部が変わるものだ。自分とこの子供で別のものを見たからと言って、特別それを問題視することはない。
「何と言っていた」
「次に会うときはお前の気が変わっていることを祈る、と」
「……」
「どういう意味なのでしょう。なぜか、その言葉がひどく気になるのです」
 言葉の前後は分からないが――自分には倉凪司郎の真意がなんとなく分かった。
 あの男は、土門荒野事件のカギを握る重要なファクターだ。
 前土門荒野である式泉運命の友人。
 泉家の姫である真泉未了の同郷人。
 土門荒野の片割れ、草薙樵の命の恩人。
 土門荒野の片割れ、倉凪梢の実の父親。
 そして――土門荒野の正体と目的を知った男。
 どの世界でも不慮の事故で退場してしまう倉凪司郎が、仮に二〇〇五年まで存命していたとしたら――事態はまったく別の展開を迎えていたことだろう。
 首を傾げ続ける子供の頭をポンポンと叩きながら、途中でぷつりと切れた倉凪司郎の運命線を見据えた。
 そこにある何かに、語りかけるかのように。