異法人の夜-Foreigners night-

-Walk Together-
冬塚涼子と久坂零次の章「久坂零次と久坂源蔵(前編)」
 時間は、古賀里白夜の元を訪れた涼子たちが遥と別れて程ない頃まで溯る。
 信号が赤になったタイミングで、涼子は助手席に座る零次を見た。先程から顔色が優れない。どことなく思い悩んでいるようにも見える。
「やめとく?」
「何?」
「調査。きついんだったら矢崎君とかに替わってもらうけど」
「……いや、大丈夫だ。俺が行く」
 零次は大きく頭を振った。信号が青になる。涼子は黙ってアクセルを踏んだ。
 これから向かうのは零次の実父がアジトとして使っていた場所だ。そこに土門荒野に関する手掛かりがないか探すのが目的である。
 ただ、零次にとって実父の話題はタブーだった。涼子にとっても、あまり話題に上げたい事柄ではない。
 彼の父・久坂源蔵は異法人への迫害を撤廃するため、人類の意識改革を行おうとした男である。こう言ってしまうと怪しい宗教のような印象を持たれるだろうが、彼の計画は正体不明な怪しさはなく、むしろ強引としか言えないようなものだった。
 人の精神に働きかける泉家の魔術を用いて、人間の集合無意識を書き換える。
 何の縁もない赤の他人同士でも共有している、人間という種族の普遍的な意識の集合体。それを大規模な魔術で強引に書き換え、異法人への迫害をやめさせる。それが久坂源蔵の計画だ。
 そのための犠牲になったのが、八島優香。
 式泉運命の長女であり、涼子たちの姉であり――零次は知らないが――郁奈の母でもある女性だった。
 八島優香は久坂源蔵の手で連れ去られ、泉家の魔術を研究するための素材として扱われた。無理な研究が続けられた結果、優香は命を落とした。
 零次にとって辛いのは、父がそういった凶行に走った原因が自分にあるという点だ。久坂源蔵が異法人への迫害を無理矢理にでも取り除こうとしたのは、息子である零次が迫害され、家庭が崩壊したことがきっかけなのだ。
 久坂源蔵の妻と娘――零次の妹の郁奈――は、そのせいで命を落としている。
 一度、零次は父の所業を省みて、涼子の前から消えようとしたことがある。そのときは梢が無理矢理止めたのだが、零次の中でこの問題は未だに燻り続けていたらしい。
 久坂源蔵が遺した資料を調査するということは、彼が積み重ねてきた業を掘り起こすことと同義だ。零次にとっては相当な負担になるだろう。
 ……ここで『気にしないで楽に行こう』って言っても意味ないわよね。
 口先だけの慰めは逆効果だ。
 久坂源蔵の事情は把握しているし、彼の所業を涼子は既に赦している。それでも気にしてないわけではないし、割り切れないものは胸中に残っている。
 零次もそれくらいは分かっているだろう。だから、口先だけの慰めは却って彼に気を使わせてしまうことになる。
「ねえ零次。さっきのお爺さん、どう思う?」
「……む? どう、とは?」
「多分まだ何か隠してると思うんだけど。注意を払っておくべきかな」
「どうだろうな。少し接してみただけだが、役者としては向こうの方が一枚も二枚も上手だと思う。警戒したところで良いように利用されて終わりじゃないか」
「だよねー。何か底知れないもの感じたもの。気になるけど、あっちに気を割くのは無駄骨になるか」
 こういうときは別の話題を振るに限る。
 触れたくない話題なら無理に触れる必要はないのだ。
 そのうち、否応なく触れざるを得なくなるときが来るのだから。

 白夜が示した複数の住所のうち、まずは一番近い場所に行ってみることにした。
 アジトというから郊外の廃墟や怪しげな洋館を想像していたのだが、そんな涼子の期待は見事に裏切られることになる。
 記された住所に従って辿り着いたのは、町中のボロアパートだった。
「……本当にここなの?」
「そうなるな」
「うーん。あえてこういう普通っぽい場所の方が、ものを隠すのにはいいのかしらね。木を隠すなら森の中――ってわけじゃないけど」
 そう言いつつ、涼子は微かな違和感を抱いていた。
 周囲は閑静な住宅街で、元から人気はない。しかしこのアパートは、人気がないというだけでは済まない異質な空気が漂っている。
 涼子の目が何かを捉えた。アパートの前にある室外機。そこにとても小さく薄い魔術文字が刻まれている。よほど注意深く見なければ見落としてしまうようなものだ。
 念のためにと、涼子は三十分ほど周囲の調査を行った。
 分かったのは、かなり高度な人避けの結界が張られていることと、このアパートには誰も住んでいないということ。
 人避けの結界の効力によって、このアパートは町の住民から忘れられた存在となっている。
 幸町の診療所も人避けの結界は張られているが、ここに比べるとかなり雑で分かりやすい。あまり高度な結界にすると患者も来れなくなるので、あえて雑にしているのかもしれないが。
 このアジトに関しては、来ようとして来られるものではない。
 よく見ると、白夜に渡されたメモには微かな魔力が込められていた。理屈は分からないが、おそらくこのメモがなければ、涼子たちもここには辿り着けていなかったのではないか。
「随分と手の込んだ隠し方だな」
「それに見合う情報があることを祈りましょ」
「そうだな。倉凪には世話になっている。あいつを助けるための手がかりがあればいいが……」
 メモに記された部屋の前に立つ。
 扉には鍵がかかっていた。
「当然と言えば当然だった……。鍵、どうしよう」
「任せろ。ピッキングは心得ている」
 零次は無造作にポケットから針金を取り出し、それを少し捻じ曲げて、カチャカチャと鍵穴を弄り始めた。程なくカチャ、と鍵が外れる音がする。
「……悪用しちゃ駄目よ?」
「するはずないだろう」
「ならいいんだけど」
 零次は悪人ではないが、過ごしてきた環境が少々特殊なため、たまに一般常識から外れた行動を取ることがある。この二年間、零次のそういった行動に起因するトラブルに度々巻き込まれた身としては、彼の言葉を素直に信用することはできない。
 それはさておき。
「とりあえず入ろう」
「そうね。……うわ、埃っぽい」
 扉を開けた途端、もわっと埃が広がった。
 零次の父が亡くなってから、長らくこの場所が忘れ去られていたことを示す空気だ。
 部屋は六畳一間で、本棚くらいしかものがない。
 生活感の欠片もない部屋は、おそらく資料の保管室として使われていたのだろう。
 本棚は扉つきのもので、魔術式によってロックされているようだった。
「これは……血族封呪の文言ね」
「なんだ、そのなんとかかんとか、というのは」
「血族封呪。冷夏さんから聞いたことがあるわ。元々吸血鬼が開発した封印術式の一形式なんだけど、いろいろあって人間も使うようになった術なんだって」
「吸血鬼か。過去に一度だけ実物を見たな。あれは怖かった」
 零次が怖がるとは相当なものだ。涼子はあまり見たいとは思わない。
「吸血鬼って血統を大事にするのよ。親子関係。人間と違って、自分を吸血鬼にしたのが親で、された方が子って関係になるんだけど。で、血族封呪は同じ血統の者にしか解除できませんよっていう封印術式なの」
「詳しいな」
「冷夏さんからの聞きかじりよ」
 零次は少し逡巡して、
「……ふむ。つまりこの場合、俺なら開けられるわけか」
「多分ね。術式施したのはあの人だろうし」
「やり方は?」
「その魔術印に零次の血を少しつければいけるはずよ」
 零次は指を噛んで、そこから滲み出た血を印に押しつけた。紫色の光が発して、音もなく本棚の扉が開かれた。
 結界、鍵、封呪。三重の壁によって守られていた本棚の中身は――非常に素っ気ないものだった。
 ファイルやノートがびっしりと詰まっているのを想像していたのだが、実際はあまりものが入っていない。空白だらけだ。
 六段もあるのに、一段に五、六冊のファイルがある程度。
 だが、何よりも目を引いたのは、二段目に飾られていた写真立てだった。
 若い夫婦が、二人の子供を抱きかかえている。男の子は無邪気に笑いながら写真に向かって手を伸ばしていた。女の子はまだ赤ん坊で、つぶらな瞳を母に向けている。
 母は二人の子に慈しみの眼差しを向け、父は――。
 その顔をしっかりと見る前に、写真立ては零次の手に取られた。
 零次は苦虫を噛み潰したような顔で、それをそっと伏せる。
「零次、それ」
「これは調査とは関係ない。故人のプライバシーに関わるものだ。見ないでおこう」
 有無を言わさない口調だった。
 気にはなるが、零次の言葉に反論する気にもなれない。確かにあれは、自分が軽々しく見ていいものではないだろう。
 何冊かファイルを手にして見る。
『集合無意識に対する魔術的アプローチ』
『異法人』
『異法隊の歴史』
『古賀里家の歴史』
 武骨な文字で描かれた表題に目を通し続ける。
 その中で一つ目を引くものがあった。
『続・異法考察(私)』
 異法考察というのは、常盤に借りた父・式泉運命の論文のタイトルだった。
 気になって中身を見る。概要の中に、予想通りの一文があった。

 私は古賀里家に連なる魔術師を師としながら、泉家に関わる研究を続けてきた。
 その中で式泉運命という人物と、その研究内容を知り、まことに勝手ながら、その研究を引き継いでみたいという思いに駆られた。
 私の立場上あまり研究に割ける時間はなく、また研究成果を公表することも不可能に近い。そのため、これから始める研究はあくまで私的なものになる。
 土門荒野という幻の異法人。
 そして、異法人とはそもそも何であるかという命題。
 式泉運命の異法考察は、その二点が主題となっている。どちらも私にとって他人事では済まされない。
 なぜなら、我が子が持つ異法の特徴が、土門荒野の特徴と非常に似通っているからである。
 土門荒野が式泉運命の次に選んだ宿主については、現在情報が掴めていない。鍵を握っていると思しきダブル・ワンという男は既に死亡したと言われている。
 それゆえ、私は独力でこの難題に挑まねばならない。
 万一息子が土門荒野に寄生されているのであれば、必ずこれを除去し、救い出す必要があるからだ。
 鬼畜の所業を積み重ねてきた私が、我が子ばかりは救おうというのは、都合の良い話かもしれない。だが、それでも私は我が子の幸せを願わずにはいられない。

 そこまで目を通したところで、涼子は零次の様子を伺った。彼は難しい顔をしながら別の資料を読んでいる。
 ……これは、零次には見せない方がいいかな。
 久坂源蔵の我が子を思う心を、零次は受け止めきれないだろう。
 親の心子知らず、という単純な話ではない。久坂源蔵の子を思う心には、優香をはじめとする多くの犠牲者の屍が含まれている。
 零次がそれに耐え得るだけの強さを持てたら、そのときは見せよう。
 そう思いながら、涼子はページをめくった。
 しばらくは、式泉運命の『異法考察』を簡略化してまとめた内容が続く。
 運命は研究能力はあったようだが、文章力や構成力はなかったらしく、元の『異法考察』はかなり読み難かった。久坂源蔵はそれをよくまとめている。
 第二章からが久坂源蔵の研究内容になる。
 式泉運命は自身に宿った土門荒野の性質に対してアプローチを仕掛けていたが、久坂源蔵は土門荒野の足跡にアプローチを仕掛けていた。
 まず年表が表記されている。
 これは土門荒野が関わったと想定されている事件の年表だ。
 土門荒野の正体を運命がある程度突きとめてから、それを元に魔術同盟は土門荒野に関する事件を再調査して整理したらしい。この年表は、魔術同盟の調査内容を更に発展させたものになる。
 久坂源蔵の恐ろしいところは、人脈の広さだ。
 魔術同盟が行った土門荒野に関する調査は、魔術関係者の間に伝わる伝承等を集めたものに過ぎない。しかし久坂源蔵は魔術師に限らず、様々な組織に調査協力を求めていた。大抵は組織の構成員が私的に協力する形を取っているようだが、中には組織をあげて源蔵に協力したところもあるらしい。
 驚嘆したのは、源蔵の協力者に翼人や鬼族といった人外の存在がいたことだ。
 様々な視点から得た情報を元に、源蔵は土門荒野の歴史を調べ直した。
 そして、結論。
『これはあくまで推測に過ぎないが、私個人としては、土門荒野の目的は魔術師の殲滅と考えている』
 年表を見直してみる。
 九七六年、近江の泉家の里を滅ぼす。
 一〇九六年、伊勢の奈良塚家の集落を滅ぼす。
 一一五四年、飛騨の奈良塚家の集落を滅ぼす。
 一二四七年、相模の泉家の里を滅ぼす(宝治合戦の怪異に影響か?)。
 一二九三年、武蔵の隠れ里で土門荒野らしき怪物退治の伝承あり。
 一三二五年、能登の飛鳥井家の里を滅ぼす。
 以降も記載は続いているが、確かに改めてみると魔術師関係の事柄が中心となっているように見える。
『この推測を裏付ける理由は、土門荒野に対する翼人たちの態度である。彼らは土門荒野の話題を極力避けようとしていたが、一部の解放的な若者から聞いたところ、土門荒野は追放された解放者なのだという――』
 ふと、常盤の話を思い出した。
 母・真泉未了の最初の旦那である翼人。彼は翼人の郷でタブーとされている『魔法』を会得したため追放されたという。
 昔から翼人たちは、強力な魔術補助装置である翼を狙われ、人間の魔術師たちに狩られる存在だったという。母・未了も人間の手によって攫われたことがあるらしい。
 その辺りに何か鍵があるのではないか。
 そう思ってページをめくる。そこには、意外な記述があった。
『新たにこの問題についての手がかりが得られた。八島優香からの証言だ』
 突然出てきた姉の名に、涼子の思考はしばし止まった。
 ……姉さんの?
 姉が土門荒野について何か知っていたというのか。
 そんな話は今まで聞いたことがない。
『こちらに記載すべきかと思ったが、信じ難い内容が多く、確証もない。内容も重複してしまうため、詳細は彼女との対話記録の方に記載しておく――』
 そこで、資料は終わっていた。
 涼子は慌てて他のファイルを漁る。しかし『八島優香』や『対話記録』といった表題は見当たらない。
 ……別の保管場所にある資料かしら。
 だが、こういう風に記載するなら同じ場所にまとめておくのが普通だろう。
 一つ一つ中身を確認していくしかないか、と覚悟を決めたとき、涼子は正面の零次の様子がおかしいことに気付いた。
 強張った表情は真っ青で、生気が感じられない。
 彼の視線は、真っ直ぐ手にした資料に向けられている。
 資料の表題は『集合無意識に対する魔術的アプローチ』。
 ……まさか。
 慌てて彼の後ろに回り込み、肩越しに資料を覗き見る。
 そこに、八島優香との対話記録があった。