異法人の夜-Foreigners night-

-Walk Together-
冬塚涼子と久坂零次の章「冬塚涼子と昔語り」
 室内の様子は、先程三人で訪れたときと変わっていないようだった。日が暮れた影響か、薄暗くなっている。
「そこに座れ。茶でも出してやろう」
「いや、結構」
 彼は白夜を制して、立ったまま胸の傷口を示した。
 傷口から見えるのは、微かに滲み出る血のようなものだった。血ではない。それが濁り固まった魔力だということに、涼子はようやく気付いた。
「ご覧の通り、俺は生身ではない。疲労もなければ茶も飲めない。そういった気遣いは不要だ」
「……成程。つまり別の形で報いる必要がある、というわけか」
「そういうことだ。本当は先程の子供を捕らえて聞き出したいところだったが、リスクが高過ぎる。今はあなたから話を聞く方が先決だと思う」
 リスクが高い、と彼は言った。確かにあの子供は何か得体が知れない。単に速いとか強いとかそういう恐ろしさではない。まったく別種の何かがある。
 本来こういう考え方は良くないが、対峙したのが彼だったのは幸いだろう。この世界の久坂〇零次だったら、太刀で胸を貫かれた時点で終わっていた。
「しかし、話を聞くと言っても、何の話を聞きたいのだ?」
「全部」
「それでは答えようがない」
「なら、あの子供の正体だ。今はそれだけでいい。知らないとしても、心当たりがあるなら洗いざらい話してもらう」
 彼の物言いは、とても頼んでいる側のものとは思えなかった。古賀里白夜は味方ではない。場合によっては、無理にでも聞き出すという意思の表れなのだろう。
 白夜もそれを察したのだろう。ふん、と鼻を鳴らして鋭い眼光を向けてきた。
「あの子供については知らぬ。初めて見る顔だ。だが、正体ということであれば推測はできる」
「妙な言い回しをするな?」
「最後まで聞けば分かる。座れ、立ったままでいられると話し難いわ」
 促されて、彼は腰を下ろした。涼子も異空間の中で腰を下ろす。
「……おぬしの中には、式泉涼子がいるのか?」
「先程の子供の言葉を聞いていたか。さて、いるのかいないのか」
「別にあの娘に危害を加えるつもりはない。ただ、これから話す内容はあの娘にも関わりがあることだ。いるなら、それなりに配慮して話をしようと思ったまでよ」
 彼は少し考えて、小さく頷いた。
「いる。こちらの状況も見聞きしている。ただ、それ以外のことは出来ん」
「分かった。それでは話をしようかの」
 白夜は少し顔をしかめて、咳ばらいをした。
「わしのことを裏切り者と評した。ならばあの小童の正体は一つしかない」
「魔術同盟……というのはありえんな」
「ああ。わしを裏切り者呼ばわりできるのは『一夜』だけよ」
 一夜。その単語は、ここ最近、どこかで聞いたことがある。
 ……確か、常盤が。
 それを思い出して、涼子は息を呑んだ。
「それって、母さんの――」
「『一夜』。真泉未了の最初の夫にして、我らの起源」
 畳みかけるように、古賀里白夜は続けた。
「あの小童は、わしと同様――『一夜』の魂から生み出された者であろう」

 吊り橋に車が突っ込む。思わず縄を注視してしまった。まだ、切れてない。
 しかし、後続車の重量が加われば、かなり危うい気がする。
「来るかな」
 幸町が緊張の面持ちでバックミラーを見た。
 来ている。とことん追うつもりらしい。
 あっと言う間もなく、2台分の重量に負けて、吊り橋の縄が切れた。
「落ちるっ……!」
「郁奈!」
 幸町が叫んだ瞬間、郁奈の身体から膨れ上がった魔力が、車体を包み込んだ。
 懐かしい感覚に包まれる。以前もどこかで感じたことがある。
 急に周囲の動きが遅くなった。吊り橋が落ちるより早く、車が駆け抜ける。
「これは……!」
 零次がそう口にしたとき、既に車は吊り橋を渡りきっていた。同時に車を覆う魔力が消え、物事の早さが元通りになる。
 郁奈を見た。彼女は、ぐったりとした様子で目を閉じている。意識を失ったらしい。バックミラーを確認すると、追跡車が吊り橋と共に崖下に落ちて行くのが見えた。
「これなら事故だ。僕らが手を出したわけじゃない」
 しれっという幸町に、零次は視線を向けた。
「何か聞きたそうだね」
「これは、霧島の異法じゃありませんか」
「まあね」
 幸町は郁奈の姿勢を正して、ぽつりと付け足す。
「この子の父親の力だ」
「……」
「驚かないところを見ると、この子の事情は知っているのかな。君だけには知らせないようにしてるって聞いてたんだけど」
「……俺以外は、皆知ってたってことですか」
「君を気遣ってのことだろう。君が郁奈の正体を知れば、必ず思い悩むだろう? 郁奈としても、そうやって変に悩まれるのは望むところじゃなかったんだ」
 車の運転を再開した幸町は、いつもと同じ、愛想のよい顔で言った。
「できればこれからも今まで通りこの子に接してやって欲しい。郁奈はそれを望んでいる」
「いいんでしょうか、俺なんかが」
「僕や冷夏は君の父親に思うところがある。それはどうしようもない。しかし、君のことを恨んだりしたことはないよ。郁奈は、また違うみたいだけど」
「……」
「マイナスに考えてないかい? 逆だよ、逆」
「逆、ですか?」
「郁奈は物心ついてから君の父親に養育されてたんだ。直人が身柄を取り戻すまで。直人は直人でその後郁奈を冷夏に任せてそれっきり。郁奈にしてみれば、少し会っただけの実父より、君の父親の方に情があるのかもしれない。例え実母を死に至らしめた相手だと知っていてもね」
「……郁奈は知ってるんですか?」
「僕も冷夏も話してないんだけどね。多分、夢で見たことがあるんじゃないかな」
「郁奈は、俺のことを兄と呼ぶんです。どういう思いで、そう呼んでたんでしょう」
「少なくとも皮肉とか悪意とか、そういうのじゃあないと思うけどね。そこは本人に聞いてみないと、何とも言えないな」
 その本人は、意識を失っている。カーブに差し掛かると、大きく身体が傾いた。
「僕もよく分からないんだけど、郁奈は両親の力を両方使えるみたいなんだ。ただ、それぞれの力を両親程使いこなすことは出来ないみたいでね。消耗が激しいって本人は言ってた」
 初めて見るタイプの異法だった。かつて世界各地の異法隊を転々としたが、複数の力を持つ異法人とは会ったことがなかった。
 ……まぁ、それはいい。
 郁奈の意識が戻ったら一度話す必要があるだろう。彼女がすべてを知っているというのなら、このまま有耶無耶にしていい問題ではない。
 車は走り続けている。追われている身だ。まだ安全になったわけではない。
「これからどうする? 僕は君たちに同行するつもりだけど」
「そうですね……」
 零次は携帯を取り出し、涼子にかけてみた。しかし電波が届かないという無機質な案内が流れるだけで、何度かけても繋がる気配はない。
「涼子には繋がらないようですし、土門荒野に関する調査を続けたいと思います」
「彼女を探すあては?」
「ないです。ただ、もう一人の俺と一緒にいる、という感じはします。涼子を攫ったということは、何かしらの意識がある、ということでしょう。なら、奴が彼女に危害を加えるとは考えにくい」
「あてもなく探し続けるより、当初の目的を優先させた方が良いということだね」
「涼子も……もしかするともう一人の俺の目的も、同じかもしれません。同じ目的に向かっているなら、どこかで鉢合わせる可能性はあると思います」
 無論、定期的に電話はしてみるつもりだが、闇雲に涼子を探すよりはその方が良いだろう。救わなければならないのは涼子だけではないし、時間もあまり残されていない。胃がきりきりと痛むが、ここは堪えどころだった。

 白夜は語る。
 千年以上も前に起きた、翼人の物語を。
「翼人という種族がいる。今もいるらしいが……わしが話すのは、一三〇〇年程昔。そうさな、の翼人たちの話だ」
 翼人の在り様については、常盤から聞いて知っている。白夜もまず翼人像について語ったが、概ね常盤の話と同じ内容だった。
 背に翼が生えた人型の種族。翼は強力な魔術補助装置であり、それを狙った古代の魔術師たちに狙われていた。そのことで生じた人類と翼人の対立は、現在も尚残っているらしい。
「真泉未了は翼人の男、一夜と共に暮らしていた。長が定めたことだったが、二人は互いに心許し合っていた。共に暮らすようになって二年後、子供にも恵まれた」
 常盤の語りと違うのは、白夜の話しぶりだった。まるで、当事者が往時を振り返りながら話しているようだ。
「あるとき、一夜に魔法の才が現れた。それは翼人にとって許されざることだった。翼人は魔術を通して、この世にあまねく存在する『法』の信望者となっていた。そんな翼人にとって、『法』を曲げてしまう魔法の力は『呪い』と言うべきものだったのだ」
 一夜は里からの追放を命じられた。未了は元の家に戻るよう厳命がくだった。
「そして、二人の間に生まれた子は、処断されることになった。『呪い』を受け継ぐかもしれない、という理由でな」
 そこで白夜は少し言葉を止めた。
「一夜はその厳命に従うことにした。そなたらには理解し難いかもしれぬが、一夜や未了が過ごしてきた翼人の世では、それが普通だったのだ」
 だが、未了はその厳命に反発した。
 処刑寸前のところで我が子を取り戻し、翼人の郷で大立ち回りを演じて、そのまま一夜を追って郷を離れた。
「一夜は若干戸惑った。しかし、再び三人で暮らせるようになったことに、喜びも感じていた。郷に対する後ろめたさはあったが、妻と我が子の笑顔を見て、そんな思いも吹き飛んだ」
 三人は郷から離れた辺境の地で暮らし始めた。
 貧しく質素な生活だったが、不満はほとんどなかった。子供の遊び相手に恵まれなかったのが、唯一の悩みと言えた。
「郷の方も、この件は黙認されていたらしい。長に逆らった未了も追放対象として扱われるようになったから、辻褄は合った、ということなのだろうな」
 呪われた翼人。
 反逆者となったその妻。
 忌み子となったその子。
 誰からも祝福はされなかったが、三人はそんなものを必要とはしていなかった。
 野山の恵みを分けてもらいながら、夫婦は互いに助け合い、我が子の成長を見守っていた。子もすくすくと成長した。歩き方を覚え、言葉を覚え、父と母の手伝いも覚えていった。
 三人にとっては、幸せな日々だった。
「ある日、人間の夫婦が倒れているのを見つけた」
 白夜は、淡々と語る。
「郷を追放されたと言っても、翼人は翼人。一夜は飢えて死にかけていたその人間たちを救うことに反対した。しかし未了は反対した。ここは郷ではないのだから、そんな掟に縛られる必要はないと。一夜は未了に頭が上がらないところがあったから、渋々その人間たちを助けた。食べ物を恵んでやるだけでは持ちそうにないから、魔術も使った。それが、良くなかったのだ」
 人間の夫婦は善良そうな笑みを浮かべて、何度も感謝の意を示した。
 翼人に関する知識はなかったようで、無邪気に一夜たちのことを天人様などと呼んでいたらしい。その後も謝礼のため、ときどき村の収穫を運んでくるようになった。
「あの夫婦自体は、本当に善良だったのだろう。しかし、そこから一夜と未了のことが徐々に人間たちの間に知れ渡っていった」
 ある日。
 山菜を採りに行っていた一夜が戻って来ると、家の中が荒らされていた。
 元々大したものは置いていなかったが、郷を離れるときに餞別として貰い受けていた魔術道具は根こそぎ奪われていた。
 そして、女の死体があった。
 未了ではない。以前助けた人間の女だった。
 外傷は見当たらないが、口元が血塗れだった。魔力の残滓があった。おそらく、内臓を破裂させられたのだろう。
 死体のすぐ近くにある竈の中を覗き込むと、五歳になったばかりの我が子がいた。何か恐ろしいものを見たのだろう。恐怖の表情を浮かべたまま、ぴくりとも動かない。
「一夜はそのとき気付けなかったが――おそらく人間の女が庇ってくれたのだろう。子供は怪我一つなかった。ただ、心は完膚無きまでに壊されてしまった」
 よく話す子だった。
 親切で、他者への思いやりが深い。しかし、反面頑固で怒るときはすごく怒る。感情がとても豊かな子だった。
 それが、表情を失った。喜怒哀楽が失せて、人形のようになってしまった。目の中に暗い炎が見え隠れするのが、唯一感じ取れる感情らしきものだった。
「人間の男は見つからなかったが、家の周囲に妙な臭いが漂っていたから――おそらく粉微塵にされて死んだのであろうな」
 白夜が淡々と告げる一三〇〇年前の惨事。それは、以前常盤から聞いていた、ある出来事に符合するものだ。
「一夜は探し続けたが、未了の姿はどこにも見当たらなかった。微かに未了の発した魔力の残滓を感じ取れただけで、それも途中で消えてしまった。人間の魔術師に連れ去られたのだ――そう結論付けるのに、そう時間はかからなかった」
 それから、一夜は心を喪った我が子を連れて、三人で過ごした家を出た。
 どれだけ時間がかかるかは分からない。それでも、いつか必ず愛した人を取り戻してみせる。そして、また三人で幸せに暮らす。そのために、あてのない旅を始めた。
「――まるで」
 白夜の話が一段落ついたと見たのか、彼が口を開いた。
「まるで、見てきたかのような話しぶりだ。白夜翁、あなたはその『一夜』なのか」
「最後まで聞けば分かる。話はまだ半ばよ」
「……」
「ただ、そうだのう。わしは古賀里白夜であって、今の話に出てきた『一夜』そのものではない。先程の小僧も、そうであろう。今言えるのはそれくらいよ」
「……失礼した。続きを」
 白夜は茶をすすり、話を続けた。
「一夜とその子の旅路は平穏無事なものではなかった。追放された身ゆえ翼人の助けは得られない。人間たちも信じられないから、迂闊に接触できない。ただ旅をするだけならそれでも良かったが、未了の手がかりを得るための有効的な術がなかった」
 聴力強化や読唇術、隠密用の魔術を駆使して、密かに情報を集め続けた。しかし、一夜の側から問うことができないため、望む情報はほとんど得られなかった。
 それでも、人間社会の情報を少しずつ集め、時の朝廷に接近し、人間の魔術師たちの情報を少しずつ得ることに成功はした。かなり時間はかかるし効率も悪い。それでも他に方法がなかった。何年かかっても未了を取り戻すと決めた一夜にとって、効率の悪さは苦痛ではあったものの、彼女のことを諦める要素にはならなかった。
 ただ、辛いのは我が子の姿を見ることだった。未了が連れ去られて以降、子は言葉を喪った。笑うことも、怒ることも、悲しむこともない。
 こちらの言うことは聞くし、逆らうようなこともなかった。母に会いたいという意思はあるようで、険しい道のりでも迷わずついて来てくれた。
 それでも、変わり果てた我が子を見るのは辛かった。子は未了によく似ていた。彼女もこんな風に壊されてはいないか。子を見る度に、一夜はその不安に苛まれた。
 やがて、十年もの歳月が流れた。
 十年もかけて、ようやく一夜たちは『翼人の女を捕らえている魔術師の一派』と、その隠れ里を突き止めることに成功した。
 ただ、一夜は子を置いていった。翼人の女の境遇が、あまりに悲惨なものだったからだ。それが未了なのだとすれば、決して我が子には見せられない、と思ったのだ。
 比較的安全と思われる場所に我が子を置いて、一夜は単身その場所に向かった。
 そこに、未了はいた。
 我が子の比ではなかった。
 完膚無きまでに、壊されていた。
『翼人の女を母体にすると、魔術師として優れた素質を持つ子が生まれるそうだ』
『折よく胎内の子を急速に成長させる術が生み出されたらしい』
『最初に生まれた子はもう十歳になると聞く』
『そろそろ二〇〇になるのではないか』
『他所の里からも要望が出ているらしいな』
 実際にその光景を見るまでは、嘘だと信じたかった。
 しかし、未了が置かれている状況は、こちらの想像を超越していた。
 道具扱いだ。翼人としての尊厳はおろか、生き物としての尊厳すらどこにもない。
 地獄絵図のような光景に一夜は正気を失った。気付いたときには、自身も魔術師たちに捕らわれていた。
 背中にある翼をもぎ取られ、研究という名の拷問を受けた。
 魔術師たちには、良心の呵責は微塵もないようだった。もしかしたらあったのかもしれないが、一夜や未了のような翼人は、その対象外だったのだろう。
 何もかもがどうでも良い。長年かけて取り戻そうとした人は、既に完膚無きまでに壊されてしまっていた。すべて徒労だった。何もかも無駄だったのだ。
 そのときだ。
 我が子が、帰らぬ父を探し求めて、魔術師たちの隠れ里までやって来たのは。
 魔術師たちは立て続けに現れた研究材料に目を輝かせた。だが、その喜びは長続きしない。
 翼人を捕獲する術に長けていた彼らは、一夜の子に壊滅させられる。
 一夜の子は、ただの翼人ではなかった。その頃はまだそう呼ばれていなかったが、その子は異法を持っていた。尋常ならざる身体能力と、魔術では説明がつかない不可思議な力を持っていた。
 魔術師たちを殺戮する我が子を見て、一夜は更なる絶望を味わった。
 泣き叫んでいた。血を吐くほどに。血の涙を流すほどに。
 決して見せたくなかった母の現状を、その子は見てしまったのだ。
 長年求め続けていた母が置かれている境遇は、十五になったばかりの子供に耐えられるようなものではなかった。
 おまけに、父である一夜も正視できるような状態ではなくなっていた。そのとき既に一夜の身体は使い尽くされて、脳髄だけが残っている、という有様だった。
 それでも意識はあった。魔術師たちの技術によるものだ。
 なければ良い。死んでいれば良かった。心の中がどす黒く染まっていくのを抑えられない程の、圧倒的な絶望を感じた。
 蹂躙された妻。
 壊されてしまった我が子。
「だが、一夜にとって『本当の最悪』というのは、その次の瞬間にこそあった」
 いつの間にかは分からない。ただ、正気を失って暴れ回る我が子の前に、未了が現れたのだ。
 そのことに気付いたのは、おそらく一夜ただ一人だったのだろう。
 次の瞬間――我が子の放った斬撃が、未了の身体を真っ二つに裂いたのだ。
「一夜にとって、その一瞬は永遠のようなものであった。気付いたとき、既にどす黒い怒りで満ち溢れていた一夜の心は、石を投げ込まれた湖のように揺れ動いた」
 自分の目の前で子が母を殺す。そんな情景を目の当たりにして、一夜は動いた。
「それまで一夜は、自身が手にした魔法の力を理解しつつ、一度も自発的に使ったことはなかった。翼人の世で育った彼にとって魔法の力は忌避すべきものだったからだ。自分たちの平穏な暮らしには、これっぽちも役に立たないものだったからだ。しかし、そのときは迷わなかった」
 動ける身体がない。
 意識しかない一夜に打てる手段は、他になかったのだろう。
「未了が切り裂かれる寸前、一夜は己の魔法――存在固定の魔法を未了にかけた。固定の割合を強くし過ぎると、彫像のようにぴくりとも動けなくなり、とても生き物とは呼べなくなってしまう。だから少し弱めにした。身動きしたり、知識を積んだりといったことだけはできるようにした」
 かつて常盤が話していた推測は、概ね正しかった。
 未了を不老不死にしたのは、最初の夫である一夜だった。
「だが、子はそれを理解できなかったのだろう。切り裂かれた母が、存在固定の魔法で元に戻るということを理解できなかったのだろう。一夜も、それを子に伝える術は持っていなかった」
 その、微妙なすれ違いが新たな悲劇を生んだ。
「母を切り裂いてしまったその子は、より一層激しく暴走した――のだろう。一際強い光が全身から溢れ出て、そのまま子の身体は爆発した。怒りと憎悪から生まれる膨大な魔力に、身体の方が耐えきれなくなったのだ」
 そこまで話して、白夜は言葉をとめた。
 書店内に重苦しい静寂が訪れる。
「……その子は、どうなった?」
 彼が尋ねる。白夜は眼を閉じて言った。
「妻を愛していたように、一夜は我が子も愛していた。当然、救おうとした。しかし未了のときと違い、タイミングが少し遅れた。我が子にかけた存在固定の魔法は、身体まで元に戻すことはできなかった。その子は、異法と魂だけが固定されたのだ」
「……白夜翁。一夜のその後とあなたの正体について、大分予想はついてきた。その点も確認したいが、先にこれだけ聞いておきたい」
 彼が何を聞こうとしているか、涼子にも予想がついた。おそらく、彼と自分はまったく同じことを考えている。
「一夜と未了の最初の子。その名は――なんだ?」
「……日が光る夜と書いて、晃夜という」
 晃夜。こうや。
 その響きに、涼子は納得していた。予想通りだったからだ。
「晃夜の魂と異法は、今も両親を破滅に追いやった魔術師への憎悪を燃やし続けてさまよっている。暴れるための器を手に入れては、魔術師たちを殺戮していく。魔術師どもはそれを『地獄の門が開き、辺り一帯を荒野と化す』ことからこう名付けた」
 土門荒野と。