異法人の夜-Foreigners night-

-Walk Together-
冬塚涼子と久坂零次の章「冬塚涼子と式泉運命」
「うーん、ここはもうちょっと……こうかしらねぇ」
 隣でもぞもぞと動く気配がする。常盤が紙を手にしながら、もう片方の手で頭を掻き毟る気配だ。
 ここは彼の中。今は自分だけでなく、常盤もいる。
 何をしているのかと言えば、涼子の能力の書き換えである。
 未了によって泉の里に招き入れられた一行は、まず常盤に挨拶をした。思ったより早めの再会になったことを常盤は驚いていたが、事情を聴いて納得したようだ。
 涼子としては白夜の話の続きを、当事者である未了も交えて聴き出したかった。しかしそれに賛成する者はおらず、逆に皆から「まずその力をどうにかしろ」と押し切られたのだった。
 古賀里白夜と式泉未了の話を聴いてしまうと、否応なく涼子の運命に大きな影響が出ることになる。そうなると、涼子の『未来予見』がどう作用するか分からない。
 例えば涼子が自身の死を予見したとしよう。それはあくまで確定していない未来だから変えようと思えば変えられる。ただ、それは理屈上の話だ。運命の流れから極めて正確な未来を予見する涼子の力が捉えた以上、それを変えるのはとても難しい。しかも死ぬのは『未来を予見した涼子』なのである。
 死ぬのが未来を予見していない涼子であれば、未来を予見した段階で運命の流れが変わり死ぬ可能性が減る。それは極めて正確な未来予見という力と矛盾する。
 彼女が知覚可能な未来は、未来を予見したという前提ありきなのだ。だから、未来を予見してそれを変えるということには不向きな力と言える。どちらかと言うと、来るべき運命に対する覚悟を決めるための力と言った方がいい。
 それゆえ、白夜や未了の話を聴いて涼子が恐ろしい未来を知覚してしまった場合、それに引きずられる危険性が高くなってしまう。
『採り得る選択肢は二つだ。未来を知覚してもそれに引きずられない方法を探すか、未来を予見しないよう完全に力を封じるか』
 彼が望んでいるのは力を封じることだろう。そこの部分だけ、僅かに声のトーンが低くなっていた。しかし、それは安易な選択肢だ。未来を予見する力を有効活用する方法を検討する価値はある。
 だから涼子は、常盤と二人でこうして能力の改竄を試みている。常盤が涼子の能力の性質を解析し、そこから涼子が活かす術を検討する。二人で意識合わせをして、ようやくゴールイメージが見えてきたのはつい数時間前のことだ。
 あとは、常盤がそれを実現するために能力の書き換えをするだけだ。
 ちなみに、涼子たちが赤子の頃に行った能力の改竄は常盤一人の力で行ったわけではないから、今回思うように書き換えられるかどうかは分からないらしい。当時能力の改竄に関わったのは常盤、倉凪司郎、ボン・ヴォヤージュの三名だが、司郎は故人、ボンは神出鬼没な性質で現状生死すら分からないため、協力は期待できない。
 だからこちらの要望が完璧に実現できるかは分からない。それでもやれるだけやってみよう、と常盤は言ってくれた。
 能力の改竄について涼子にできることはない。だから、今は運命の資料を読み漁っている。白夜から聴いた話、例の子供のこと、梢と救う方法。考えることはいろいろあって、少しずつその整理がついてきた感じがする。
「ねえ常盤」
「んー?」
「常盤は父さんから土門荒野対策について、何か聴いたりしなかった?」
「自分の代では無理だろうって言ってたわね」
「対策が?」
「ええ。けど、次代にこの重荷を押しつけるのも……ああ、いや。違うな。確かこう言ってたんだわ」
 ……俺にはこいつを理解してやれるだけの時間がない。だから、次の世代には――こいつと理解し合える術を遺してやりたいな。
「運命は妙に土門荒野に甘いと言うか、自分の命を喰い尽くそうとしてる相手なのに、研究対象……ううん、駄々っ子のように扱っていたような節があったわね」
「父さんは、土門荒野の正体を掴んでたんでしょうか」
「いや。未了に尋ねたけどはぐらかされるって嘆いてたし、私には何も聴いてこなかったしねぇ。司郎が何か吹き込んだ可能性はあるけど、あいつも私と知ってることは大差ないから」
「知ってたとしても、翼人の里で禁忌とされていた――ってことくらいか」
 それ以前に、母は土門荒野の正体に気付いているのだろうか。自分の最初の子・晃夜だということに。はぐらかしたということは、何も知らないということはないのだろうけれど。
「……父さんの研究内容は、異法の性質、魔術の歴史と精神交感に特化してる」
「私はあんまり運命の研究は把握してないけど、何か気になる点でもある?」
「精神交感。精神系の魔術を得意としていた泉家の魔術師として見ればそう不自然な研究テーマではないけど、父さんは異法のせいで一部の魔術が使えなかった。だから魔術の研究に関しては乗り気じゃなかった……それは間違いない?」
「ええ。この前遥たちと来たとき、そんな話をしたわね」
「でも、精神交感系の魔術の研究をしてる。父さんの研究が土門荒野対策に特化したものだとしたら、これにもきっとその意味があるはずなのよ」
「精神交感で何しようとしてたのかしらね。まさか、土門荒野との対話とか?」
 常盤は冗談半分で言ったのだろう。しかし、涼子はそれを否定しなかった。
「もし土門荒野と対話する機会があれば、上手く説得できるかもしれない」
「非現実的な気がするけど」
「……先輩はどうなんです?」
 涼子は少し切り込んでみた。常盤は予想通りぴくりと反応した。
「どういう意味?」
「先輩、倉凪梢は土門荒野なんじゃないですか?」
「……」
 常盤は肯定も否定もしなかった。それがそのまま答えなのだろう。
「あんたに話したっけ」
「いえ。でも、赤ん坊に土門荒野を移植するなんて無茶じゃないですか。いくら弱っていたとは言え、人間の意識を侵食するようなものに赤子が対抗できるとは考えにくいです。そもそも、乗っ取るような自意識があるのかも分からないですし」
「……そうだね。あんたの推測通りだよ。司郎の子は赤子の頃に死んだと見るべきだわさ。今の彼は――倉凪梢という在り様を得た土門荒野と見るべきだわさ」
「かつての土門荒野と同一の存在ではないでしょうけどね。まず本人にそういった自覚がなかった。土門荒野としての記憶もなかったし、力も持っていなかった」
 涼子は運命の研究ノートの一冊を手渡した。精神交感に関する研究内容が記載されたものだ。内容は『精神調和』。遥の力を参考にまとめたものらしい。
「姉さんの力は、一歩間違えば自分と他人の精神的な境が完全に崩れてしまう。このノートには、その力に関する内容がまとめられています。いや、それだけじゃない。姉さんの力と同じようなことができないかと検証した痕跡があるんです」
「……なんだって?」
 常盤はノートを注意深く読み始めた。しかし程なく首を傾げる。
「ただ遥の力を制御する術をまとめてるだけに見えるけど」
「補足事項のところを意識して見てみてください。あまり必要性が感じられない記述が大量にあるんですが、それらを集めるとこのノートのもう一つの姿が見えてくるはずです」
 言われて、常盤はノートを再読した。その表情に少しずつ驚きの色が表れてくる。
「あんたの言う通りだ。これ、遥の力の模倣をしようとしてたってことだわ。しかしよくこんなの気付いたわね」
「父さんの資料を読み漁って癖が分かってきたんです。多分、これは意図的に隠そうと思ってこういう書き方にしたんだと思います」
「隠す? 誰から? 何を?」
「推測になりますけど、ほぼすべての人から、自分の狙いを隠すために」
「……それは私たちからも?」
「はい。状況から考えて、父さんの狙いを知っている人がいたとしたら倉凪司郎さんくらいだと思います」
 決定的な証拠があるわけではない。ただ、運命が素直に土門荒野化することを受け入れたとは考え難いのだ。おそらく彼にはある狙いがあって、それを実行した。そう考えると、いろいろ納得出来る箇所がある。
「聴かせて。あんたの考えを」
「父さんの狙いは、土門荒野を『人』に戻すことだった。私はそう考えています」
「土門荒野は元々人だったってこと?」
「……ええ、まあ」
 土門荒野が未了の子だということは伏せておいた。肝心の未了から話を聴いていない段階で人に言い触らすのはフェアじゃない。おそらく運命もそこは気付いてなかったはずだから、今はその話をする必要もない。
「手掛かりがほとんどないモノに対してアプローチするのは難しい。でも、その対象が意思疎通可能なモノなら話はずっと単純です。その対象自体と交渉すればいい」
「まあ、理屈上はそうだけど。普通、土門荒野相手に対話を試みようなんて思わないんじゃないかね」
「実際、最初は別の方法で解決しようとしていた節もありました。いろいろ試して駄目だったから、最後の手段として対話を試みようとしたんだと思うんです」
 そういう意味で運命は必死だったのだろう。あらゆる方法を模索して自身が助かる道を見つけ出そうとした。
「でも、それは失敗した。土門荒野と自身の精神を近づけることはできたけど、互いの精神がどうしても干渉し合う結果になった」
「それじゃ、対話どころか土門荒野に取り込まれるのが早まるだけだわ」
「ええ。でも父さんは、その問題を把握しながら精神調和の術を行使した。私はそう推測しています」
「なんで?」
「さっき常盤さんが言っていた通りです。自分自身を救う手立てはない。父さんは途中でそう見極めて、目的を『次代での解決』に変えたんです」
「……わざと自分と土門荒野の精神を干渉させて、土門荒野を変えようとした。涼子はそう考えているわけね」
「はい。何もしなければ自分が土門荒野に食われてしまうだけ。でも、精神調和の術を使えば、侵食は早まるけど土門荒野にも影響を与えることができる」
「……けど、一つ腑に落ちないわ。次代での解決って言ったって、次に土門荒野が誰に取りつくか分からないじゃない。運命は目的に対してはかなり貪欲だったからね。どこの誰とも分からない次代に後を任せる、なんて考え難いけど――」
 言っている途中で、常盤は言葉を切った。
 常盤は半ば信じ難い何かを見るような目を涼子に向けてきた。おそらく彼女が見ているのは、涼子ではなく、その先にいる運命の姿なのだろう。
「まさか、あんた――」
「そう。そこで倉凪司郎さん……いえ、先輩が必要になるんです」
 涼子は躊躇わずに続けた。常盤の同じ発想に至ったことで、この推測に自信がついたというのもある。
「父さんは自分の後を誰にするか考えていた。異法人であることが前提条件ではあるけれど、異法人なら誰でもいいというわけじゃない。異法というのは異法人の本質だと父さんは考えていた。だから、土門荒野をより宥めて人間に近づけるためには、土門荒野の異法と対極に位置するような異法の持ち主であることが望ましいんです。そういう異法の持ち主であれば、土門荒野を抑えつつ『対話』まで持っていけるかもしれない」
「……」
 常盤の顔色が蒼くなった。
「これはあくまで推測です。けど、郁奈の『夢』や彼が持っていた並行世界の記憶を見ても、明らかに先輩と草薙樵では土門荒野化の症状に差があった。どの世界でも、先輩は土門荒野に関わるまでまったく土門荒野化の兆候を見せていない。父さんが精神調和を行ったことも関係してると思いますが、それだと草薙樵との差が説明できない。先輩はおそらく土門荒野と対極に位置する異法人なんでしょう」
「……同じことをこの間梢にも話したわ。でも、それは素性確認のとき梢の情報を見てなんとなく分かったことよ。運命や司郎には知りようもないことだわ」
「でも何かしらの根拠は掴んでいたんだと思います。他の候補より見込みはある。そう思わせる程度の根拠は。他に判断材料がなかった父さんや司郎さんにとっては、それで十分だった」
「でも、その推測に根拠はない」
「はい、明確な根拠は。でも『他人の子を助けるために一か八か自分の子に危険因子を埋め込む』よりは、ある程度『埋め込んでもなんとかなるという認識があった』という方が、司郎さんの行動に納得出来るんです」
 それで自分の子を危険に晒した司郎の考え方は、やはり理解し難いが。
「実際、先輩だけなら土門荒野に持ちこたえることができていた。でも、もう一人の存在が父さんたちの狙いを邪魔した。どの平行世界でも」
 草薙樵。
 おそらく父や倉凪司郎は何かしらの方法で土門荒野を梢に転移させようとした。しかしそれは梢の元に行く前に、草薙樵の元に行ってしまった。だから司郎は、無理矢理樵の中の土門荒野を切り分けて梢に移したのだ。
「ずっと疑問に思ってたことがあるんです。司郎さんは、なんで草薙樵に土門荒野が転移したということを分かったんでしょう」
「……私はその場にいなかったから司郎に聴いた話になるけど。運命の身体から土門荒野が出ていって、それを追っていたら草薙樵の中に入っていくのを見たって」
「追うと言っても、そんなに長時間追い続けるなんて無理な気がしますけど……草薙樵はこのすぐ近くにいたってことですか?」
「言ってなかったっけ? 今は半ば異界化しつつあるけど、この里のまわりにも昔はいくらか人が住んでてね。草薙家はその中の一つだったのよ。草薙家含め、そういった家の人々は土門荒野騒動で皆命を落としたけどね」
「先輩がこの間ここに来たとき迷い込んだゴーストハウスは、そういった家だったということですかね」
「多分ね。一通りその筋の人を呼んで供養したって聞いてたんだけど」
「草薙樵の素性については調べたりしました?」
「いや、それは分からないわさ。この子のことは俺に一任してくれって司郎が言ってたから、あいつなら何か知ってたのかもしれないけど」
「……」
 どの平行世界でも必ず運命の次の宿主になった少年、草薙樵。彼が泉の里の近くに住んでいたことは、偶然なのだろうか。
 当時まだ子どもだった彼自身も、その辺りはよく分かっていないだろう。知っているとすれば、倉凪司郎くらいだろうか。
「さっき話した私の考えが間違っていなければ、先輩と美緒のお父さん――倉凪司郎さんの立ち位置が微妙に変わることになります。それが、もしかすると鍵になるかもしれない」
「どういうこと?」
「先輩が土門荒野を抑えられたのは、先輩の異法がそういうことにたまたま適していたから。常盤は最初、そう考えてたんですよね」
「ええ」
「でも、実際はたまたまじゃなかった。父さんと司郎さんは先輩を次の宿主にしようと考えていた可能性がある。実際、先輩は土門荒野を抑えられている。きっと父さんたちの判断には何か根拠があった。けど、その狙いは草薙樵の存在によって失敗してしまった。元々行うはずだった計画が失敗した。……なら、司郎さんは計画を修正しようとしたと考えられる」
「それが、草薙から梢への土門荒野移植だったんじゃないの?」
「草薙樵を助けるために一か八か賭けた。そういう話なら土門荒野の移植をした時点で司郎さんは打てる手をすべて打ったということになります。でも司郎さんはそれ以外の情報を持っていた。先輩を土門荒野の宿主にしようと判断した理由を知っていたはずなんです。なら、移植だけで計画の修正が上手くいったと考えるでしょうか」
 そうは思えない。土門荒野の移植作業は、その場を凌ぎ切るための応急措置だ。放っておけば自分の子どもが将来災禍に見舞われる可能性が高い。
「私は、司郎さんが父さんの後を継いで土門荒野対策を研究していたと考えています。おそらくその研究が完成する前に、亡くなられてしまったんだと思いますが……」
「司郎が……。確かに、考えられる話だけど」
「司郎さんが亡くなられた前後、何かそういったものを託されたりとかってしませんでした?」
「いや、突然だったからね。そういったのは全然。あいつの私物がどうなったかは家族の方が詳しいんじゃないかい? あるいは、当時親交のあった人たちとか」
「……サカさんか」
 仮に、榊原が倉凪司郎の遺した資料を引き取っていたとしたら。この間の榊原邸襲撃はそれを狙ったものではないか。
 自分でも発想が飛躍し過ぎていると思いつつ、それが確かな事実のように感じてしまう。ちょうど零次と一緒に久坂源蔵の拠点にいったときのような感覚だ。
『冬塚涼子』
 彼が口を挟んできた。
『気晴らしはそこまでが限度だ。それ以上考えるな。今の君は正解を求めようとしない方が良い』
「そ、そうみたいね」
 妙な脱力感が全身を襲う。どうも未来を読みかけていたらしい。
 ただ、思考は打ち切るにしても、泉の里での用件を片付けたら榊原に話を聴くのは忘れないようにしないといけない。彼の中から出れば携帯が繋がるだろうから、未了たちの話を聴く前に確認しておいた方が良いかもしれない。
 ……零次はどうしてるかな。
 思考を逸らすため、逃走中だという零次のことを考えてみる。正直なところ、あまり心配はしていない。日常面では一番不安にさせられるが、有事の際は一番頼りになるところがある。
「ねえ。零次の様子って今分かる?」
『いや。結界の中にいるからか、外部の様子はよく分からなくなった。九州の方に向かっているようだったが』
「そっか」
『心配か?』
「無事かどうかって意味ではあんまり。多分大丈夫だろうなって」
 ただ、会って話したい。別れる寸前、少し様子がおかしかった。何か声をかけて、安心させてあげたかった。
 今頃どうしているだろう。早くやるべきことを終えて、また会いたい。