異法人の夜-Foreigners night-

-Walk Together-
冬塚涼子と久坂零次の章「久坂零次と冬塚涼子」
 零次と郁奈は、連れ立ってある青年を尾行していた。
 二人の前を歩いているのは亨だ。彼はここ数日梢のことを探し回っている。雑踏の中を目立たぬよう歩いているが、視線はあちこちに向けている。
「ねえ、お兄ちゃん」
「なんだ?」
「本当にこれ、意味あると思う?」
「ある」
 あれから梢の元に向かおうとした零次たちだったが、電話で榊原に聞いたところ、現在梢は行方不明になっているらしい。電話も繋がらないので、こうやって亨が動いているというわけだ。
 零次はと言うと、亨に連絡を入れて居場所を聞き出し、「自分たちは別の場所を探してみる、魔術同盟に追われてるから合流はしない方が良いだろう」とだけ伝え、亨を尾行し始めたのだ。
 亨の動向に不審な点があるわけではない。ただ、彼のまわりに不審な奴がいないか、というのを期待している。
 梢が本当に連絡も取れず行方不明になっているなら、黒幕も何かしらの方法で探し出そうとしている可能性が高い。既に見つけて張り付いていることも考えられるが、もし黒幕が亨を使って梢の位置を掴もうとしているなら、亨の近くに潜んでいるのではないか、と考えたのだ。
 言ってしまえば、何も知らない亨を使ったおとり捜査である。
「お兄ちゃんの考えは分かるけど、結構希望的観測が多い気もするんだよね」
「それは分かってる。ただ、俺たちの目的と取り得る手段を考えると、このやり方が一番無難なんだ」
 目的とはもちろん、梢の発見――ではなく黒幕の発見である。言ってしまえば、梢の発見は二の次だ。確かに梢の状況は心配だが、自分以外のメンバーも動いているのだから、それはそちらに任せることができる。
 黒幕の動向については、あえて郁奈以外に話していない。だから、自分たちだけで動く必要がある。
 これまでのことから察するに、本件の黒幕は相当に用心深い。迂闊に口にすれば、自分たちの動向や考えがどこからか黒幕に伝わってしまう恐れもある。そこまで気にするのは慎重過ぎると郁奈は言うが、今回の黒幕はそれぐらい徹底して挑む必要がある相手だ。
「亨が倉凪を見つければ、俺たちはその周囲に黒幕がいないか探ればいい。黒幕が亨を介して倉凪を探り出そうとしているなら、それを俺たちが見つければいいんだ」
「黒幕が草薙樵の方に張り付いてたら?」
「それも問題ない。黒幕の目的はおそらく土門荒野の復活だ。なら、近いうちに倉凪と草薙は必ず会うことになる。そのとき、近くに黒幕はきっといるはずだ」
 まだ具体的に掴んだものは何もない。しかし、零次は少しずつ黒幕に近づいているという実感を抱いていた。必ず見つけだして、土門荒野の復活を阻止する。今考えているのはそのことだけだ。
「でも、こうしてると亨にちょっと悪い気がするわ」
「敵を騙すにはまず味方からだ。少し文句言われるだろうが、あいつならきっと許してくれるさ」
 亨は休む様子もなく、歩き回り続けている。一刻も早く梢を見つけたいのだろう。
 どういう伝手があるのか、何度か電話を繰り返しながら行き先を変えているらしい。数日、電車や車を乗り継ぎながら、亨は移動し続けた。夜間ホテルに泊まる以外はほとんど休んでいない。必然的に零次たちもほぼ休息なしとなった。

 何日か経過した。
 郁奈は度々方針を変えた方が良いのではないかと口にしていたが、零次は彼女を宥めながら亨の周囲を警戒し続けた。
 ……俺も榊原さんに師事しておけば良かったか。
 榊原が師範を務める天我不敗流という武道の流派は、極めて実践的なことを教えているらしい。その門下である梢や霧島は、人の気配を探ったり自分の気配を遮断する術に長けていた。梢曰くそれは天我不敗流の技術、とのことだ。
 千里眼がある自分には不要と思っていたが、こういう局面では欲しい技術だった。
 ……いかん、見失う。
 曲がり角の多い街並みだと、特に欲しい。ある程度距離を置くと、零次には気配だけで相手を追うことはできなくなる。だから見失わないよう一定の距離を保ちながら追い続ける必要があった。
 しかし、自分たちが黒幕に見つけられては元も子もない。だから気配を隠しながら尾行を続けなければならないのだ。
 以前同様、目や耳を変えて千里眼や超聴力を得られないか試してもみた。しかし出力不足のせいか期待していた半分の効果も得られず、しかも持続させようとすると相当神経を使うことになる。コストパフォーマンスが悪過ぎて、使い物にならなかった。
 やはり、あの悪魔が自分の力の大部分を占めていたのだろう。改めて自分自身の卑小さを思い知らされた気がして、少しいじけたくなる。
 曲がり角を曲がった先には、またすぐに十字路があった。亨の姿はない。
 慌てて十字路のところから顔を覗かせる。いた。そのことに胸を撫で下ろす。
「今更言い訳がましいが、本来こういうのは倉凪の仕事だと思う」
「しょーがないじゃん。その梢がいないんだから」
「そう考えると倉凪に腹が立ってきたな。こんなときに何をやっているんだ、あいつ」
「その怒りはもっともだけど、ちょっと酷だよ」
「あいつが戻って来たとき文句を言うくらいなら構わんだろう」
 亨は湾岸エリアに向かっているようだった。そちらで梢を見かけたという話でも聞いたのだろうか。
 倉庫が建ち並ぶ場所で、亨はしばらく周囲を見渡して携帯電話を取り出した。
 だが、かけようとしたその瞬間、亨の手元にあった携帯が不意に消失した。
「お兄ちゃん!」
「ああ。この前の古賀里やあの子どもらと同じだ」
 亨の手元に携帯は間違いなくあった。しかし、まるで最初からなかったかのように忽然と消えてしまった。亨自身、自分が何を持っていたかを失念したのか、茫然と佇んでいる。
「どうする? 近くにあいつがいるんじゃ」
「いるかもしれんが少し待て。すぐに出て俺たちまで見つかったら駄目だ」
 脳裏に浮かぶのは、九州で襲いかかって来た子どもだ。もしあの子どもが黒幕なら、この状況は逆にチャンスでもある。
 しかし、待てども状況は変わらなかった。亨がようやく異変を実感したのか、自分のポケットを漁り始める。だが、それだけだ。遠くでカモメの鳴き声がする。他に変わったところは一切ない。
「お兄ちゃん……!」
「動くな。待て!」
 亨が一通りポケットを調べ終えて、おもむろに槍を創り出した。こういうところは異法隊にいた経験が生きているらしい。今起きている異常が何者かの攻撃と判断したのだろう。
「……っ!」
 その亨の頭上に。
 近くの倉庫の上から。
 ――十数人の子どもが、一斉に襲いかかった。
「お兄ちゃん!」
「お前はここにいろっ!」
 郁奈にそう言い残して、零次は飛び出した。
 子どもたちが一斉にナイフを構える。亨もその気配を察し、頭上を見上げた。だが僅かに遅い。間に合わない。
「防げっ!」
 零次は鎖帷子をイメージした。刃を防ぐ大きく広い網。具現化は一瞬でいい。亨を守ることができれば十分。
 具現化した網は亨の頭上に大きく広がり――。
 ……あ?
 いない。
 たった今、無数の刃に狙われていた亨の姿が、忽然と消えた。
 あのときの古賀里由美やフィスト。そして先程の携帯と同じように。
 ……まさか!
 子どもたちの視線は、亨ではなくこちらに向けられていた。以前と同様、深く暗い憎悪を燃やした双眸。そして、鋭く冷たい無数の刃が、こちらに向けられる。
 ……あの亨自体が罠だった、ということか!
 いつからかは分からない。だが、いつのまにかあの子どもが生み出した偽物にすり替わっていたのだ。すべては、こちらを誘き出すため。
「貴様の考えなど、貴様の可能性などとうに見切っておるわ……!」
 一斉に刃が放たれる。
 イメージしていた防刃の網は、投げてしまった。次のイメージは追いつかない。
 読み違えた。いや、方向性は間違っていなかった。ただ、相手がより上手だった。
 ……やれやれ。やはりこういうのは、俺向きではない。
 尾行は倉凪、頭を使うのは涼子の領分だ。慣れないことを無理にやるものではない。
「すまん、涼子」
 そのとき、周囲に突風が吹いた。強い風。今の自分にはとても出せないであろう強い風だ。
 その風が、ナイフと子どもたちを吹き飛ばす。危うく零次まで吹き飛ばされるところだった。
「これは……」
「何が『すまん涼子』よ」
 思いもよらぬ声がした。
 視線を向ける。そこに、彼女がいた。
 後ろで縛った髪が風で揺れ動く。少し怒った顔をして、彼女は声高に叫んだ。
「そんなに簡単に諦めないでよ! 零次に死なれたら、私泣くわよ。盛大にね」
「涼子……!」
 思わず駆け寄る。その細い肩を掴み、顔を近づけ、思わず零次は口走った。
「……本物か!?」
「久々にあって第一声がそれかいッ!」
 思い切り、グーで殴られた。
「当たり前よ! 私は正真正銘、冬塚涼子!」
 その名乗りに呼応するかのように、周囲に多くの人影が現れた。
「皆、行くわよっ!」
「応ッ!」
 突如変わった状況に動きをとめた子ども。そこに、涼子の掛け声に応えた人影が雪崩れこんでいく。
 状況が掴めていないのは零次も同じだった。呼吸を落ちつけながら、涼子に視線を向ける。確かに本物のようだが、たった今起きた出来事を考えると安心できない。
「本当に、涼子なんだよな……」
「ええ。少なくとも、私自身は本物だと思ってるわ」
 そこなのだ。先程までいた亨も、こちらを騙そうとしている感じはしなかった。おそらくあの亨は、自分自身を偽物だとは感じていなかったのではないか。
 あのとき、九州で襲いかかって来た古賀里夕観とフィストもそうだった。彼らは黒幕の目的とは関係なく、こちらを襲撃してきた様子だった。
 今の状況からすると、偽物を生み出したのはあの子どもだ。自分だけでなく他人すらも増やすことができる。そう考えると、涼子もそうして生み出された偽物という可能性が残る。恐ろしいのは、この偽物たちには偽物であるという自覚がないという点だ。
 その点は涼子も承知しているのだろう。
「偽物じゃないって証明はできない。けど、そこは一か八か信じてくれない? その調子じゃすべてを疑わなきゃいけないでしょ」
「……それはそうだが」
「見て」
 子どもはまた一人きりになっていた。周囲はピラミッド状の魔力で覆われている。結界によって閉じ込められたのだ。
「一応動きを封じることはできたみたいね」
「……なあ、彼らは?」
 結界を張っているのは涼子と一緒に現れた人影だった。老若男女合わせて十人前後といったところか。
「安倍家っていう新興勢力の魔術の家。魔術同盟の一員として、土門荒野復活を目論んでる私や母さんを捕まえに来たのよ」
「……はあ?」
「一応言っとくけど冤罪だからね。で、安倍家は新興勢力として手柄を欲しがってるみたいだから、本当の黒幕の存在をちらつかせて協力してもらうようにしたの」
 悪い女がここにいる。
 思わずそう言いかけたが、思い切り殴られそうなので黙っていた。
「……いや、それもそうだが。あれから、どうしていた? 大丈夫だったか?」
「それを最初に聞いて欲しかったんだけどな……」
「ん?」
「なんでもない」
 子どもは結界の中で伏せっている。どうやらあの結界の中は圧力がかかるようになっているらしい。どうにか動こうともがいているようだったが、安倍家の魔術師たちはその度に結界を二重三重に張り続けている。
 その魔術師たちの中に、一人妙な男がいた。どこかで見たような面構えだ。
 ……あれは、俺か?
 男はこちらを忌々しげに見やり、すぐ視線を子どもの方に戻した。
「……あいつ、俺の中にいた悪魔か。別の世界からやって来た――」
「うん。……別の、久坂零次だよ」
 あの悪魔の正体を察したとき、微かに垣間見えた記憶がある。数多の世界を渡り歩きながら、駄目だ駄目だと思いながらも、一抹の希望を捨て切れず、却って数多の世界に悲劇を撒き散らし続けた男。自分が辿っていたかもしれない――否、辿るかもしれない可能性でもある。
「あいつに、妙な真似はされなかったか」
「ええ、まぁ。危害は加えられてないわよ」
 若干歯切れが悪い。別世界の時分が涼子に害を加えるとは思えないが、自分自身というのはどうも信じきれないところがある。
「……やっぱり、あのときの子どもかしら」
 呟きながら、涼子は結界内でもがく子どもを注視している。
「涼子も襲われたのか」
「ええ。どうにかそのときは撃退できたんだけど……」
「取り逃がしたか。こっちも似たようなものだ。……だが」
 これはさすがにもう逃げられまい――。
 身動き一つ取れない状況であれば、分身の力を使うこともできないだろう。仮に使ったところで、起点である本体が結界に封じ込められている以上、どうすることもできないのではないか。
 事実、あの子どもは右腕をかろうじて動かしているだけで、他は何もできそうにない様子だ。
「すべてが片付いた……というわけではないだろうが、あの子どもから話を聞き出せれば、倉凪たちの件はどうにかなりそうだな」
「そうなの?」
「ああ。おそらくあの子どもは、黒幕もしくはそれに近い位置にいる」
 零次は結界に近づいた。涼子も警戒しつつそれに続く。
 例の『無現』の隣りに並び立ち、結界の中でもがく子どもに言葉を向ける。
「答えろ。お前は何者だ。お前が土門荒野の復活を目論んでいる、黒幕なのか――」
 零次の鋭い問いかけに対し、子どもは変わらぬ憎悪の眼差しを向けてきた。
「何者かだと……ふん、そうだな。千年も経てば知る者などいないだろうな。私のことなど……我ら家族が受けた仕打ちなど……!」
「千年――やっぱり、貴方は『一夜』の記憶を持っているのね」
 涼子が聞きなれない単語を口にした。口振りからすると人名のようだ。
「やはり、古賀里から話を聞いていたか。だが貴様は一つ思い違いをしている」
「……思い違い?」
「私はあの爺とは違う。あれはただ魂の欠片から生まれた派生物に過ぎぬ。だが、私は違う。私は『一夜』そのものよ。私が何者かだと……? 答えは単純だ、私は『一夜』だ。他の何者でもない」
 涼子と無現は子ども――『一夜』との会話に集中している。
 しかし、零次はその間もあるものをじっと見ていた。一夜の右腕。会話をしながら、絶え間なく動かし続けている。
 ……なんだ?
 違和感がある。話しながらも右腕を動かし続けていることに、ではない。その動きが単純な足掻きによるものに見えないのだ。
 ぞっと悪寒が走る。
 この子どもは、一夜は何かをしようとしている。
「涼子、離れろ! 魔術師たちは結界で右腕を封じるんだ! 動かさせるんじゃあないッ!」
 話を遮る形で叫んだときには、既に遅かった。
 零次の言葉を受けて結界を操作しようとした魔術師の一人が、背後から刀で貫かれていた。貫いているのは、一夜と名乗ったあの子どもだ。
 視線を結界内に戻す。そこにも一夜はいた。また増えたのだ。結界で封じられていても、能力は有効だったということなのか。
「……ほんのちょっぴりで良かったのだ」
 してやったり――という笑みを浮かべず、相変わらず憎悪に満ちた表情のまま、結界内の一夜は言った。
「砂漠の中の一粒の砂――その程度で良かった。その程度でも『可能性』があれば」
 言い終わる前に、結界内の一夜は姿を消した。
「「「「――それが我らの突破口になる」」」」
 引き継ぐ形で言葉を紡いだのは、結界の外に現れた無数の一夜たち。
 結界を張っていた魔術師たちは、予期せぬ奇襲に対応が遅れ、次々と倒されていく。一夜たちの手は、すぐに零次たちの元に迫って来た。

 涼子は予期せぬ光景に動きを止めていた。突然のことに、恐怖したと言える。
 ……なに、これ!?
 多数の一夜が現れたこと、ではない。彼女が視ているのは、それに対応しようとした自分の辿る結末――未来だ。
 だが、いくつかある選択肢のどれを選んだとしても、辿り着く結末は分からない。視えないのではない。逆だ。
 ……結果が、絞りきれない!?
 自分の行動を起点に結果を読む力。それが涼子の力だ。泉の里で完成させてから何度も試したが、効果を限定的なものにしたからか、精度は極めて正確だった。視える結末は一つ。自分の行動次第でそれが移り変わることはあっても、同時に複数の結果が視えるということはなかった。
 今は、複数視える。絞りきれないのだ。
 どうすべきか分からなくなり、一瞬足が止まる。
 だが、止まっていては確実にやられる。そう思い直した涼子は、ぶれ続ける未来を視ながら、できるだけ危険性の少なそうな行動を取ることにした。
 懐に隠し持っていた水銃ヴェー。大気中に存在する魔力素を持ち主の魔力に変換し、一時的に操作する力を持つ魔銃。
 その力を使い、涼子は咄嗟に結界を自分たちの周囲に張った。先程安倍家の魔術師たちが張った結界とは違う。泉の里の結界のように、外敵から結界の内側を守るためのものだ。
 安倍家の魔術師たちも散開する。何人かは奇襲を防げず斃されていたが、半数近くは距離を置いて応戦の構えを見せている。
「逃げて! 普通のやり方じゃ、倒せない!」
 視える未来はすべて斃れ行く魔術師たちの姿で埋め尽くされている。彼らが弱いのではない。突如増えたこの敵。未来が複数に視える一夜という存在は、おそらく強弱とは別の、何か特異なものを持っている。
「冬塚涼子」
 隣に立っていた彼が口を開いた。
 いつの間にか、その手には漆黒の剣が握られている。
「何が視えた?」
「……一夜に対して何かしようとすると、必ず複数の未来が視えたわ。私の予測能力を上回る何かを持っているのかもしれない」
「なるほど。では、試してみるとしよう」
 漆黒の剣から、凄まじい風圧が放たれた。
 彼はゆっくりと剣を上段に構えた。突如放たれた風圧は、予備動作で生じたものだ。これから彼は、何かをやる。
「何をするつもりだ!?」
 風圧に負けじと零次が声を張り上げる。それに対し、彼は冷淡な声で、
「貴様は黙って見ていろ」
 と返した。
 この異変に気付いたのか、一夜たちの視線が彼に集中する。
 何かをやろうとしている彼の元に、一夜たちが殺到した。
 しかし、それよりも速く、彼は剣を振りおろす。
 その一振りは暴風となり、周囲すべてを薙ぎ払った。