異法人の夜-Foreigners night-

-Walk Together-
冬塚涼子と久坂零次の章「冬塚涼子と久坂零次」
 港のあちこちで煙が上がる。
 暴風がすべてを薙ぎ払い、残ったのは幾多もの炎と、そこかしこで倒れる魔術師。そして、暴風の中心点となった『彼』。
「――」
 涼子は言葉を失っていた。
 これほどの力を『彼』が持っていたことに、ではない。それは『彼』の中にいたときに散々見てきている。数多の世界を渡り歩いた『彼』は、少しずつ無念という名の力を積み重ね続けてきた。前いた世界よりの自分よりも、少しで良いから強く。運命を変えられるような強さが欲しいと、渇望し続けてきた。
 しかし、その力をこんな形で振るうとは思っていなかった。周りにいた魔術師たちは味方だったのだ。利害関係が一致しただけだという見方もあるだろう。だが、悪い人間ではなかった。この場限りかもしれないが、仲間だったのだ。
 それを、敵もろとも暴風に巻き込んで倒した。
「非難の目を向けるのは構わんが」
 零次の姿をした『彼』は、冷徹な声を上げる。
「文句は後にしろ。……」
 言うなり、反転して後方に跳躍した。
 もうもうと煙が立ち込めていてよく見えないが、その先に何がいるのか、涼子には分かっていた。この状況で『彼』が向かうのは、敵の元だ。

 一番最初の久坂零次は非力な異法人だった。
 暴走するような『悪魔』を身に宿していないため、家族が虐待されるようなことはなく、ただ強くて立派な父親に憧れて異法隊に入った。
 エースとして活躍する矢崎兄弟に比べると戦闘能力は低かったが、冷静に物事を判断する力と、皆をまとめる素質を買われて、異法隊日本支部の副隊長を任されるまでになった。
 彼には一つ悩みがあった。
 通っている高校の生徒会長――冬塚涼子という少女のことだ。
 出会いはよく覚えていない。覚えていないということは、割と普通の出会い方をしたのだろうと思う。
 最初の頃は特に何があったわけでもない。ただ「しっかりした生徒会長だな」としか思っていなかった。
 だが、文化祭の日。皆が立ち去ったあとの体育館で一人後片付けをしている彼女を見て、印象が変わった。
 他に誰もいない場所で、彼女は一人黙々と動く。
「手伝おうか?」
 そんな風に声をかけてしまう。
 彼女は記憶力が良い方で、数回会った程度の先輩のことも覚えていた。
「いいですよ。久坂先輩、疲れてるみたいですし。早く帰って、休んでくださいね」
 久坂零次には、そういう彼女の方こそ疲れているように見えた。
 そのまま帰ることはできなかった。
「先輩?」
 黙って手伝い始めた久坂零次に気付いた彼女は、少し困ったような表情を浮かべた。しかし、止めはしなかった。
「ありがとうございます。とても助かりました」
「生徒会役員の仕事だったか? それにしたって、他の役員にも手伝ってもらえばいいだろうに」
「いえいえ。他の役員の皆だってサボってるわけじゃないんですよ? 皆それぞれ忙しいんです。ここは私一人で大丈夫そうだから、他のところに行ってもらったんです」
 嘘を言っているようには見えなかったが、何か腑に落ちなかった。
 それから、校内で彼女を見かける度に、少しずつ気になっていった。
 彼女は大抵誰かと一緒にいる。彼女の周りには、人が集まる。しかし、いくら周囲に人がいても、彼女はいつも一人に見えた。
 たまに周囲に誰もいないとき、彼女はいつも何か忙しそうにしている。そういうときだけ、久坂零次は手を貸すようになった。
 最初は遠慮していた彼女も、次第にその厚意を素直に受け入れるようになった。
「先輩は随分とお節介焼きですね。どうしてですか?」
「……」
「はっ、もしかして私に気があるとかっ!?」
「いや」
「一瞬で否定しましたね。それはそれで悲しいモノがあるのですけど」
「ああ、すまない。そういうことじゃなくて。なんというか、気に入らなかったんだ。一人きりで何かをやっている、というのが」
 久坂零次には特異な力がある。しかし、家族や友人たちのおかげで、変に歪むことなく真っ直ぐ生きてこれた。周りの皆がいたから、今の自分がある。
 しかし、彼女にはそれがない。決して孤独なわけではないが、自分一人で何でもできます、みたいな雰囲気を醸し出しているように見えた。それが最初は気に入らなかったのだ。
「……うーん、そういうつもりはないんだけどなあ」
「すまん。今のは、少し言い過ぎたかもしれない」
「いいですよ。そういう意見は貴重ですし」
 そこで彼女は夕焼け空を見上げながら、訥々と自分のことを話し始めた。
 自分には本当の家族がいないこと。義理の両親は自分のことをとても大切にしてくれているし、自分もとても感謝しているが、本当の親子でないと知ったときから、なんとなく『誰も頼れない』と感じるようになってしまった、ということ。
 そんな風に生きてきたら、自然とこんな風になって、似合いもしない生徒会長なんて大任を引き受けるようになってしまったこと。
 いろいろ語り終えてから、彼女は少し気恥ずかしげに笑った。
「すみません。先輩がいろいろ言ってくれたもんだから、私も話さなくていいようなことまで話しちゃいましたね」
「いいよ。俺でよければ、いくらでも聞く。いくらでも助ける」
 彼女は笑って感謝の言葉を述べた。
 そう、久坂零次はあのとき誓ったのだ。
 彼女を――冬塚涼子を助けることを。

 黒き剣で周囲すべてを薙ぎ払ったのは、すべての一夜を倒せば良い、という安易な発想によるものではない。本当の狙いは、周囲にいる者たちの動きを止めることだ。
 その僅かな隙を突いて、彼は――無現は駆ける。
 その先は、先程まで安倍家の者たちによって結界が張られていた空間。その中心部には、一夜が一人いた。
「他の一夜がどうだかは知らないが、あのとき、結界が張られていたときにいた一夜は間違いなく貴様だけだった」
 一夜もこちらには気づいているだろう。煙のせいで互いの表情は分からないが、考えることはよく分かる。相手を倒すこと。ただそれだけだ。
「つまり、貴様の異法がどんなものであれ、起点は貴様ということだ。どんな異法であっても、起点――要するに本体を倒せばそれで終わる!」
 見えた。煙の隙間から一夜の目だけが。
 暗い双眸がこちらを見据えて、単独の生物であるかのように蠢いた。
 だが、一夜の身体は動いていない。先程まで結界に押さえつけられていたダメージが残っているようだ。
 千載一遇の好機。相手は子どもだが、それは見かけの話だ。
 ……俺は、彼女を救う。どんな手段を使ってもだ!
 迷わず、無現は手にした黒剣を一夜の頭目がけて振り下ろす。
 剣は、目標を違えることなく、真っ二つにした。
 幼き少年の身体が、左右に分かれる。その表情は、最期まで憎悪に満ちていた。

 二〇〇五年の冬。
 冬塚涼子の知人である倉凪梢が土門荒野だという情報が異法隊に届いた。土門荒野は危険な存在として知られていた。父は、彼の討伐を決断した。久坂零次もそれに従おうとした。迷う理由はなかった。
 だが、彼女はどこからかその動きを察知して、零次を止めに来た。
「きっと助ける方法はある! お願い、協力して!」
 異法隊の隊員としての責務と、彼女と交わした約束。どちらが大事か。悩んだ末に、久坂零次は異法隊や家族と訣別し、涼子とともに倉凪梢を救う道を選んだ。
 すべてを投げ打って涼子を選んだ。その選択を決断した自分自身に、久坂零次は驚いていた。だが、後悔はなかった。少なくとも、そのときは。
 倉凪梢を助ける方法を見つけるのは至難の業だった。時間もない。あてもない。他に頼れそうな相手もいない。
 絶望に崩れ落ちそうになる彼女を、何度も励ました。少なくとも君は一人じゃない。俺がいる。
 今にして思えば、なんと無責任な言葉だったろう。
 結局倉凪梢を救う方法は見つからなかった。追い詰められた久坂零次は、彼女たちと逃げる道を選ぶ。
 住み慣れた町を離れ、どこか誰の迷惑にもならない場所へ。
 だが、それは世の中の残酷さを知らない子どもの家出と同じ。きっとなんとかなるという根拠のない自信からくる、解決とは真反対の道だった。
 倉凪梢が、逃亡先で発症した。
 青函トンネルの中で起きた。同行していた仲間は皆、決壊したトンネルから流され海の藻屑となった。
 久坂零次と冬塚涼子だけが奇跡的に逃げ延びた。だが、無力な久坂零次は倉凪梢から逃げるだけで精一杯で、他のことに気が回らなかった。
 怪我を負った冬塚涼子を背に、夢中で泳いだ。地図で見るとそんなに離れているように見えないが、青函トンネルの真ん中辺りから陸地までは、随分と遠くに感じた。
「ごめんね」
 背中で弱々しく冬塚涼子が謝る。
「私が間違えたから、零次まで巻き込んで、ごめんね……」
 気にするなと言ってやりたかった。だが、人一人を背負って泳いでいるのに、声を上げる余裕なんてなかった。
 すべてを捨てても構わないと思った。一人きりでいる冬塚涼子という女の子の隣りにいたい。そう願ったのは、他の誰でもない。久坂零次なのだ。
 彼女の声が段々弱まっていく。
 それにも気付かず、久坂零次はひたすら陸地に向かって泳ぎ続けた。
 目覚めたのは病院のベッドの上。
 すぐ側には、父の顔があった。
 久坂零次が目覚めたことを確認すると、父は何も言わずに病室から出ようとした。裏切った息子を叱ることもせず、かと言って優しい言葉をかけるわけでもない。
 その態度に嫌な予感がして、ベッドから身を乗り出した。
「彼女は、どうなった」
 父は少しだけ振り返り、やがて小さく頭を振った。
「あれはお前のせいではない。倉凪梢の――いや、土門荒野の一撃を受けた時点で、彼女はもう助からない運命にあった」
 今回の件は不問に付すから、今は休め。
 その言葉も、久坂零次には聞こえていなかった。
 憎悪が、心の中に膨れ上がる。
 倉凪梢に対してではない。父に対してでもない。ましてや、彼女に対してでは決してない。
 何もできなかった自分自身に対する憎悪だ。
 思い浮かべたものを形にする。こう言えば万能じみた力に思えるが、動力が小さ過ぎるせいでろくなものがアウトプットできない。せいぜい創り出せるのは、ちょっとした小物類がせいぜいだ。
 倉凪梢が土門荒野と化したとき、零次は戦うことができなかった。彼女の手を引いて逃げるしかなかった。そのとき、手を引いた一瞬、彼女の背には致命傷の一撃が加えられたのだ。
 あのとき、自分に戦う力があれば。少なくとも彼女を逃がすことはできたのだ。
 悔やんでも悔やみきれない。病院のベッドの上で、久坂零次は何度も懊悩した。
 矢崎兄弟や家族が何度か見舞いにきたが、久坂零次の顔を見ただけで何も言わずに帰っていった。
 無理もない。鏡で自分の表情を見る度に、吐き気がする。
 醜い憎悪が前面に現れた顔だった。

 無数の刃が、その身を串刺しにした。
 一夜の本体を一刀両断した。その直後のことだ。
 全方位から、別の一夜たちが無現に刃を突き立てていた。
「我らはすべて一夜の『可能性』だ」
「お前が今斬り殺したのもその一つ」
「お前を殺す我らもまたその一つ」
「……成程」
 痛みはない。この身は元々仮初のもの。世界を越える際――自分がいた世界を捨てた際に、本当の身体は捨てている。すべてを捨ててでも、彼女とともに。彼女を救うために。そのためだけに、こんな見知らぬ世界までやって来た。
「本体、というものがないわけだ。そして一夜、お前の力……正体が見えたぞ」
「……」
 一夜たちは、突き立てた刃を引き抜いた。もう無現が助からないという確信があるのだろう。事実、その通りだった。
 生身でなくとも、形を維持するために必要なものはある。今の無現は、割れた風船のようなものだ。
「――『可能性』。お前の異法は『可能性』の顕現だ。自分自身の『可能性』や他人の『可能性』を顕現させることができる。あの馬鹿を誘き出した亨も、亨自身の可能性の一つだった。俺が斬ったのはお前の可能性の一つ。だが、そいつを斬ったところで意味はない。斬られなかった可能性が僅かでもあるならば、お前たちはそこから再び現れることができる」
 言ってしまえば、選択肢すべてを選んで結果を確認し、都合の良い結果のみを残しているようなものだ。涼子の異法で一夜を視ると結果がぶれるというのも、そういうことなら納得がいく。
「都合の良い可能性を顕現させ続ければ、お前は決して死なないどころか、あらゆる物事を思い通りにしていくことができる。成程――道理で、いくら力を得ても、いくら世界を渡り歩いても、上手くいかないはずだ」
 だが。
 無現の表情に、絶望や諦めは見えない。
「それが分かっただけでも、良しとしよう。俺たちの可能性も、まだ消えたわけではない。俺はこれで終いだが――この世界にはこの世界の久坂零次と冬塚涼子がいる。そして、俺も二人の力として共にお前に挑むことにするよ」
 零次が己が内の悪魔の正体に気付いたときの、大きなショック。その揺さぶりが奇跡的にこの人格を創り出した。世界を渡る際に壊れてしまった記憶というピースが、偶然一つの形になった。
 それが今、再びばらばらになる。再生不能なほどに砕け散ってしまう。零次の異法を以てしても、今回のようにつなぎ合わせることは、きっともう出来ない。
 それでも、完全に消えてしまうわけではない。この世界の久坂零次の元に還る。そして、この難敵を打ち払う力になる。
「惜しむらくは、この目で結末を見届けられなかったということだが……」
 何もかも捨てて彼女の救いを求め続けた久坂零次たちに対する、天の救済。そう思って頑張ってみたが、やはり世界はそう甘くないようだ。
 ……この世界の冬塚涼子を救ったところで、俺たちが涼子を救えなかったという事実は変わらないしな。
 この世界の彼女を救う役割は、この世界の久坂零次が受け持てば良い。
 そのための布石になれたのなら、異世界からの来訪者は、それで良しとするべきだろう。
 身体が消えていく。現れるはずの無かった悪魔が、あるべき場所へと還っていく。
 夢に見た可能性を、追い続けるために。

 逃げろ、と彼は言った。文句は後にして、逃げろと。
 今、涼子は零次と共に港から離れつつあった。まだ息のあった魔術師たちを抱えながら、とにかく距離を取ろうと足を動かす。
「ねえ、無現はどうなったの?」
 隠れていた郁奈が涼子に尋ねてきた。無現。それが彼のことを言っているのだと、なぜかすぐに分かった。
「彼は――」
 言葉に詰まる。あのとき視えた彼の行く末。涼子が止めても止めなくても、彼の辿る道は同じだった。
 そのとき、周囲を薄暗い光が包み込んだ。とても冷たくて、それでいてどこか優しい光だ。
 それが彼だった。
 数多の世界を渡り歩いた久坂零次としての人格は、もうない。ただの『力』として、零次の中に流れ込んでいく。
「……」
 郁奈もそれを察したらしい。口をつぐんで、じっと零次を見ている。
「ふん、意地っ張りめ」
 光がすべて消えたとき、零次はそう毒づいた。
「零次。彼は……」
「還って来た。すべて、伝わってきた。意地っ張りの馬鹿どもが今まで何を見て、何を感じて、何のためにここまで来たのかを」
「……」
「こいつのせいで俺は家族を失った。そこからすべてがおかしくなったんだ。許せないと思っている。今でもだ。……それでも、こいつの思いは、こいつの願いは否定できない。それは、俺の思いであり、願いでもあるからだ」
 零次の家族が失われたことで、涼子も郁奈も家族を失うことになった。そういう意味で、彼の存在は元凶とも言えた。
 それでも、その在り様を否定することはできない。彼が目指していた光景は、あまりにささやかで、悲しいものだったからだ。
「行こう」
「ああ。こいつの意志と力は確かに受け取った。それを使ってこの世界の流れを変えるのは――俺たちの役割だ」