異法人の夜-Foreigners night-

-Walk Together-
断章「当事者と観察者」
 世界線の中に、運命線ではない異物が現れ、そして消えた。
 土門荒野の悲劇を食い止めようと数多の世界を渡り歩いたそれは、久坂零次の運命線の中に溶け込んでいたはずだったが、何の因果か独立した点として浮上した。
 浮上した点はいくつかの運命線を掻き乱し、そして消えた。
 そう言ってしまうと、ただいたずらに場を混乱させただけのように観えるが、実際の影響は単なる混乱では治まらなかった。
 一つの大きな運命線が見えてきたのだ。他の運命線の影に隠れて今まで姿を見せなかった何者かの運命線。運命線は常に一本のはずなのに、その何者かの運命線は時折枝分かれしていた。枝分かれした運命線は他者の運命線にぶつかり、その流れを捻じ曲げたり、切断してしまったりしている。
 明らかに異常な運命線だ。
「何かを見つけたようだな」
「……懐かしい、感じがしました」
 偉丈夫は頷いた。
「無現か。あれは部分的におぬしと同じ存在だからのう。土門荒野の悲劇から生まれ、数多の世界を渡り歩き、どうにかそれを変えようともがいている。違いがあるとすれば根っこの部分と、立場の違いか」
「立場、ですか?」
「左様。あれは当事者としてもがいていたが、おぬしはもはや当事者ではない。先立って教えただろう。おぬしは、もう終わってしまった存在なのだ。当事者として舞台に上がることはできない。舞台を外から観察することしか、できないのだ」
「……」
 そうだ。この偉丈夫に定義される前のことだから明確には覚えていないが、自分もかつては無現のように世界線の中で動き回っていたような気がする。だが、それはもう終わったことらしい。
「私も、前は無現だったことがあるのでしょうか」
「どうだろうな。おぬしは複数の運命線が混じり合って出来た存在だから、根っこの一つは無現――久坂零次だったかもしれん」
 それだけではないぞ、と。
 無理に自分を定義しようとするなと、言外に釘を刺されたような気がした。
 確かにそうだ。この『私』というのは何でもない。漂う事象をこの偉丈夫が定義したという、それだけの存在だ。気にしたところで答えはない。
 答えはない。そのはずだ――。
 自分の元に伸びている運命線。今観測している世界線とは別の世界線から伸びている運命線だ。いくつもある運命線。それが自分の元だ。
 これらの運命線は、かつて別の世界線の中で『何か』だった。
 今の『私』はその『何か』とは別物だ。だが、その『何か』は決して自分とは無関係ではない。
 これほど土門荒野の件に気を惹かれるのは、なぜなのか。
 その起源は、きっとその『何か』にある。
「私は、知りたい。私が何者かということではない。なぜ彼らから目を離せないか。この思いはどこから発しているものなのか。これは貴方に定義されたものではない。そうなる前から在ったものだ。私の起源――それを知らなければならない」
「なぜ」
「どこに行きたいのか分かりもしないまま、答えを探すことはできないから」
 なんとなく気になる、というままでは、これ以上のことはできない。
 何も、見つけられない。
 見つけられなければ、変えられない。これまで辿って来た世界と同じような結末を辿るだけだ。
 偉丈夫は長いこと沈黙していた。
 やがて、静かに深い溜息をつく。
「……そうか。もはや、そんな段階になっていたか」
 そうしてこちらに向けてきた眼差しには、複雑な感情が込められているようだった。愛憎。郷愁。忌避。それらは、すぐに消えた。
「ならば今一度振り返るが良い。ここに至るまでお前たちが――お前が辿って来た道、そしてその途上で消えていった数多の者たちのことを。だが、そうする以上ここに留まることは許されない」
 意識が薄らいでいく。
 彼の言葉が、徐々に遠ざかっていく。
 初めから不確かな存在だった『私』が、再び霧散しようとしている。
「なぜなら、お前が辿って来た道は激流だからだ。そのことを自覚してしまえば、お前は否応なく流れ、進んでいかざるを得なくなる」
「構いません」
「お前は流されることにすら疲れ、進むことを諦めるようになっていた。進んだ先にあるものは、決して幸福ではない」
「構いません」
「そもそも今こうして存在している『お前』は観察者として定義した存在だ。変わろうと言うのであれば、お前はお前でなくなる。……お前は消える。それでも良いのか」
「構いません」
 眼前の彼が、表情に驚きを浮かべた。
 何か驚くようなことでもあったのだろうか。
 最後にそういう顔を見られただけでも満足だ。
 とても満たされた心地で、いつの間にか表情が緩んでいた。
「ここで『私』として安穏していても私に幸福は訪れない。どんな艱難辛苦が待ちうけようと、『私』が消えてしまうとしても、私は先に進みます」
 これまで見続けてきた彼らは、誰もが絶望的な未来に挑む意思を持っていた。守りたいもののために自身の幸福すら投げ打って進み続けている。
 自分も彼らのように在りたい。そのために今の自分が消えるとしても、それは覚悟のうえだ。
 意識が消えゆく。
 彼が何かを言っている。聞き取れない。口の動きも良く見えない。
 だから、それはきっと激励なのだと思うことにした。
 過酷な道から目を背けて立ち止まってしまった自分に、今度は負けずに進み続けるよう、檄を飛ばしているのだと。
 そういえば。
 結局、彼は自分にとってどういう存在だったのだろう。自分は、彼にとってどういう存在だったのだろう。
 それが分からないことだけが、心残りだった。