異法人の夜-Foreigners night-

-Walk Together-
Walk Together「司郎」
 依然、予断を許さない状況は続いていた。
 圧倒的な破壊力を持つ晃夜は司郎に動きを封じられているが、回復するのは時間の問題だ。こちらの異界はもう持ちそうにない。異界の再生能力がなければ、晃夜の破壊力であっという間にやられてしまう。
「……ちっ」
 ここで晃夜を見逃せばこの先どうなるか分からない。
 彼女は泉家を皆殺しにすると宣告した。遥や涼子もその対象になり得るだろう。何があっても止めなければならない。
「言っとくが、ここで残っても無駄死にするだけだ」
 司郎が背を向けたまま言う。
 悔しいがその通りだ。こちらの力はまさに尽きようとしている。今すぐ逃げ出さなければ、絶対に逃げ切れない。
 そして、逃げるためには足止め役が必要だ。司郎と一緒に逃げることはできない。
「早くしろ。どのみち俺は結界の中でしか出てこれない幽霊みたいなものだ。だがお前は違うだろう。真っ当に生きてるんだ。真っ当に生きると決めたんだろう。一緒に生きたいと思える人がいるんだろう。だったら行け」
「……一つだけ、言わせろ」
 かつて憧れだった父。
 とっくに死んでいたと思っていた父。
 またこうして会えるかどうか分からない。父は決して死なない存在になったと言っていたが、こうしてまともな形で再び会えるという保証はなかった。
 だから、最後かもしれないと思い、言葉を吐きだす。
「あんたも、一緒に生きたいと思った人がいたはずだ」
「……」
「だけどその人は一人で死んでいった。俺は――その一点についてだけ、絶対あんたを許すことができない」
 思い出すのは、既に色あせた記憶の中にいる母の姿。
 自分たちの前では常に気丈に振る舞っていた母が、深夜一人で泣いているのを見てしまったことがある。
 なぜ泣いているのかは幼いながらにすぐ理解できた。
 そのときから、父は自分にとってのヒーローではなくなった。
「……俺もだよ。俺も自分を許すことができない」
 父がそう答えるであろうことは、なんとなく予想できていた。
 だから、梢は何も言わずその場を駆け去った。

 優しい子に育ったものだと思う。
 こんなろくでなしな父親に対して、一つのこと以外は許せると言ったのだ。
 散々酷い仕打ちをされたのに、そのことに関しては一切恨み事を言わなかった。
「サカちゃんに感謝しないとな」
 かつての相棒のことを思い出しながら司郎は銃身に魔力を集中して流し込む。
 銃身に流れ込んだ魔力はそのままラインを伝って眼前の晃夜を縛り続けていた。
 魔術王の名を冠するこの銃は、その名の通り支配するための力を持つ。ただし、それに見合うだけの力は自分にない。
「う、う、あああぁッ!」
 気合を込めて晃夜が立ちあがる。やはり完全に御することは出来ないようだ。
「倉凪司郎……きさま、きさまあぁ!」
「怖い顔するな。女の子ならもっと可愛らしく振る舞った方が良いよ」
「戯言をッ!」
 飛び出す。少女の細腕が、司郎の立っていた場所目がけて振り下ろされる。
 地面が爆ぜた。
 見かけに惑わされてはいけない。晃夜の持つ筋力・敏捷性等はそこらの異法人を遥かに凌駕する。身体能力が一般人並の司郎にとっては、掠り傷すら致命傷だ。
 普通なら渡り合うことなど到底できそうにない格上の能力者。しかし司郎はそれに対抗する禁忌の力を持っている。
 魔法。
 翼人の里を追放されるきっかけとなった、誰もが内に抱えている才能の結晶。それは一時的とは言え世界の理を書き換えてしまう力。
 司郎の魔法は『契約破綻』。世の中にはAの結果Bとなるといった図式が無数存在しているが、司郎はそれを無効にすることが出来る。
 攻撃を喰らえばダメージを受ける。そういった戦いにおける大前提を司郎はなしに出来るのだ。
 ただしこの力は発生させるタイミングが相当シビアだ。AとBの間に割り込むタイミングで魔法を行使しないと意味を成さない。攻撃を無効化するなら攻撃された瞬間にアクションを起こさないといけないのだ。
 少しでもタイミングがずれれば直撃を受ける。そうなれば自分は終わりだ。
 普通の人間なら恐ろしいと思うところなのだろう。だが、司郎は違う。恐れるべきだという常識は教わったが、本質的なところで恐怖を感じていない。
 ぞくぞくする。
 こういうときこそ、生きているという感じがしてしまう。
 紙一重で晃夜の攻撃を避け、避けきれないときは魔法で防御する。
 こちらの勝機は薄い。油が撒かれた鉄棒の上を駆け抜けるような危うい綱渡り。それを何度も越えた先にしか存在しない。
 だが、ないわけではない。
「貴様は、なぜ邪魔をする!」
 晃夜が吠えると大地が隆起した。草薙樵の中にいた影響か、彼の異法の残滓が彼女の中に残っているようだ。前に戦ったときもそうだった。運命の異法を使っているかのような恐るべき『読み』を感じさせる動きをしていた。
「土門荒野――いや、晃夜。お前、友達はいるか?」
「なにをっ!」
 裂帛の気合と共に放たれた一撃が、司郎の左目を切り裂いた。魔法による防御が間に合わなかった。眼球とその周りの皮膚が切り裂かれ、視界が減る。
 しかし痛みを無視して司郎は言葉を続けた。
「じゃあ、家族はいるか?」
「いない! 全部、失ったッ! 父様は殺された! 母様は――母様、はッ!」
 どう言えばいいのか分からなかったのだろう。続きを言わず、晃夜は鋭い爪でこちらの脇腹を抉り取る。また、防御が間に合わない。
 前に戦ったときと比べて、こちらのコンディションは最悪の状態だ。死ななくなっただけで、今も司郎は死にかけの重傷を負ったままなのである。
 だが、司郎は表情にそれを出さなかった。
「最初からいなかったわけじゃないだろう?」
 オーディンを放り捨てる。晃夜の視線が一瞬そちらを向いた。
 その隙に、袖口に仕込んでいた別の魔銃――ロキを晃夜の脳天目がけて撃った。
 ロキは実弾ではなく、撃たれたとしても身体的なダメージはない。ただ、相手の五感を狂わせる効果を持つ。オーディン程の効果はないが、負荷が軽い分使い勝手はこちらの方が良い。
 撃ち抜かれた途端、晃夜はあさっての方向を狙い始めた。
「俺が戦っているのは、家族や友達のためさ」
「貴様ァッ!」
 戯言を。司郎の言葉を一息で否定するような叫びが、虚しく宙を裂いた。

 全身がひりひりする。仕事で無茶をやらかして、その後病院で目覚めたときの感覚に似ている。ただ、今回はより酷い。まるで一度身体をバラバラに解体されたような凄まじい痛みだ。
 無論そんなことはない。意識ははっきりしているし、半身を起して見た限りでは五体満足の状態だった。
 しかし、状況が思い出せない。倉凪梢と戦っていたところまでは覚えている。そこで意識が土門荒野に喰われそうになった。そこで意識が途絶えたのだ。
 ……土門荒野の気配がしない。
 痛みの次の感じたのはその違和感だった。自分の中に絶えずあった怒りと怨みの塊のような存在。それを一切感じなくなっていた。
 だからだろうか。意識を失う寸前まで抱いていた倉凪梢への怒りがすっぽりと抜け落ちてしまっている。なんだかひどく虚ろだ。
「やあ、ようやく目が覚めたようだね」
 だから、死んだ筈の男が目の前に立っていても、特に驚きも感慨もなかった。
「生きていたのか、あんた」
「死に損ねているだけだよ。ここが異界だからこうして姿を現すことが出来る。その異界ももう消えようとしているけどね」
 異界というのはよく分からなかったが、男が――倉凪司郎がじきに消えるのだということは理解できた。
 男は酷い怪我を負っていた。脇腹を抉り抜かれ、顔も半分近くが血塗れだ。表情にも生気がない。普通ならとっくに死んでいるような状態なのだろう。
「時間がないから手短に要件だけ伝えるよ」
「要件?」
「悪いが黙って聞いてくれ。まず一つ。君は土門荒野から解放された。君の中にいた土門荒野は君の中から抜け出して元の肉体を取り戻した。つまり、もう誰かに取り憑いて回るようなこともない。君も土門荒野に蝕まれることはない。君は――自由になったんだ」
 それは、半ば予想していた言葉だった。だが、どう反応すれば良いか分からない。自分の命は人より短くて、いつ死んでもおかしくない。だから一瞬を懸命に生きようとしてきた。それを『もうそうする必要はない』と否定されたのだ。
 喜ばしいことのはずなのに、素直にそれを受け取ることができない。
 きっとこの場に夕観やフィストがいれば素直に喜べと背中を叩いてくれたのだろう。しかし二人はもういない。素直に自分の境遇の変化を喜べないのは、そのことも大きく関係しているのだろう。
「もう一つ。君の友達二人は――生きている」
 だから、二つ目の言葉には衝撃を受けた。
「ま、マジか……!?」
「今回の騒動が始まってから、俺は君のことも気になってね。何度か様子を見に行っていたんだ。……君、先日古賀里翁のところに行ったろう。そのあと、君はどこにいたんだい?」
「……夕観やフィストと飯食ってた、と思う」
「同じ時刻にある女の子が君に襲われて重傷を負っている。うちの息子と一緒に暮らしてる娘さんだ」
「どういうことだ?」
「君の偽物がいるということさ。そして、偽物がいるのは君だけじゃない」
「……おい、まさか」
 腕の中で冷たくなっていく夕観とフィスト。無言でに立ち去った翠玉の篭手の男。
「君が君の友人たちの死を見届けたとき、俺も実はあそこにいたんだ。誰も知覚出来なかったと思うけどね。……君は二人の遺体をそのままに、すぐうちの息子を追いかけたね」
「……」
「俺は若干違和感を覚えていたからその場に残ることにした。そして、遺体が消えるのを目撃したんだ。まるで最初から遺体など存在しなかったかのように」
「それはつまり、あの遺体は偽物だったってことか!?」
「そうなる。確証はないけど、あのとき現れたうちの息子も偽物じゃないかな。あいつはそのとき、とてもじゃないが人を襲えるような状態じゃなかった」
 そこまで言って、司郎は素早く反転した。手にしていた銃を撃ち放つ。
「やれやれ、ロキは負荷こそ少ないけど弾丸の生成に時間がかかるのが難点だな。乱発出来ない」
 撃ち抜かれたのは、まだ幼さの残る少女だった。だが見た目に反して、その周囲には禍々しい魔力が漂っている。
 怒りと怨みの塊。あれが土門荒野の本来の姿なのだと、樵は本能的に悟った。
 同時に、この場に起きつつある変化にも気付いた。場が――異界とやらが崩れつつある。あちこちに亀裂が走り、少しずつ何かが剥がれ落ちつつある。
「……間に合って良かった」
 司郎は安堵したような声で言った。
「君が思っている以上に、俺は君に対して罪悪感を持っていたんだよ。だから伝えるべきことがきちんと伝えられて、本当に良かった」
 言葉の意味は分からない。ただ、そういう彼の表情はとても優しげだった。ふと、亡き父もこんな顔をしていたな、ということを思い出す。
「……俺は、どうしたらいい?」
「とりあえずここは危険だからさっさと逃げなさい。その後は……好きなようにするといい。それが生ける若者の特権だ」
「あんたは、どうする?」
「ここに残ってあの子の足止めをする。これは大人の義務というやつだ」
 何か言おうとするこちらの動きを封じるように、司郎は頭を振って背を向けた。
 樵はゆっくりと立ちあがる。だが、司郎をこのままにして逃げて良いのかが分からなかった。
「君は本調子じゃないんだろう。さっさと逃げなさい」
「けど、俺はあんたにまだ何も返してない」
「返す必要なんかないさ」
「ある。俺にとってあんたは恩人なんだ」
 司郎の向こう側にいる少女は四方八方に細腕を振り回していた。怒りに身を任せた動きだ。敵がどこにいるかも分かっていない。錯乱した駄々っ子が暴れ回っているようにしか見えない。
 だが、一撃貰えば無事では済まない。それだけの力を秘めている。
「ロキのおかげで時間は稼げたが、そろそろ効果が切れる。残弾はもうない。この異界が完全に崩れ落ちるまであと少しだけある。その間に早く逃げるんだ。異界が消えれば俺も消えるが……あの子は消えない。残っていれば、無事で済む保証はないぞ」
「嫌だ」
「……やれやれ」
 司郎は三つの銃を放り投げて寄越した。白と黒の二丁拳銃。そしてそれより少し大きめの灰色の銃。
「オーディンとロキという業物だ。奈良塚の天才児が作り上げた一品でね。俺と一緒に消すには惜しい。それを息子に届けてくれないか」
「……」
「それと、もう一つ言伝を。――『翼人風土記』を探せ。榊原幻に預けてある、と」
「そいつは、重要なものなのか?」
「重要だ。今回の件は、土門荒野の件は誰かが裏で糸を引いている。俺の名前で君に要らん手紙を送り付けた奴とかな。そいつを表に引き摺りださなきゃ、本当の解決にはならない。おそらく『翼人風土記』はそのための鍵になる」
 だから必ず伝えてくれと、司郎は言った。
 そう言われては、この場に残ることなどできない。
 ここから去って、倉凪梢に必ずこのことを伝えなければならない。そうすることで初めて、自分はこの男の恩義に報いることが出来る。
 妙なものだ。こうして顔を見るまでは、そこまで恩義など感じていなかった。存在すら時折思い出す程度だったのに。
 なぜ、こうも離れ難いのか。
 おそらく、倉凪司郎という存在が昔の自分と今の自分の繋ぎ目だからだ。彼との決別は昔の自分との決別に等しいと感じているからだ。
「行きなさい。君の仲間が待っている」
「……っ!」
 その言葉が決め手だった。
 あちこち痛む身体に鞭打って走り出す。司郎に背を向けて、一目散に駆け出した。
 振り返らない。今は前だけ見なければならない。
 背後で微かに聴こえた異音を無視して、樵はただ駆け抜けた。

「家族のためだと……? 友達のためだと……?」
 掠れた声が聞こえる。
 泣き疲れた子供があげる声だ。
 姿は見えない。
 もう、自分には人間としての各機能がほとんど残っていない。聴覚は僅かな例外の一つだった。
 ロキの呪縛から逃れた晃夜の一撃が思いのほか早く、両腕を持っていかれた。次いで足。トドメとばかりに胸を貫かれた。
 普通なら死んでいる。自分には『死』がないから、かろうじてそれを免れているに過ぎない。異界のおかげで身体のあちこちが再生しつつあるが、おそらく再生しきる前に異界自体が消えてしまう。
 もう、自分は動くことが出来ない。
「その結果が、こうだ。お前には何も残らない。死ぬことすら出来ず、誰にも知覚されないまま……ずっとここで未来永劫苦しむことになるんだ」
 意外に、優しい声音だった。
 暴れ回って怒気が抜けたのか。あるいは、今の自分の姿がそれほど惨めなのか。
「悪くは、ない」
「……悪くない、だと?」
「元々俺は空っぽだった。運命たちに会って人間になれた。沙羅さんに会って家族を知った。梢たちを見守り続けて親になれた。これだけ充足した人生をくれた人たちのためなら……こういう結末も、悪くない」
 少なくとも、今自分は満ち足りている。
 苦痛にまみれてはいるが、それ以上の何かがこの身体を包みこんでいる。
「お前は、どうだ」
「……」
「復讐を否定はしない。だがお前のそれは復讐ですらない。仇はもういない。今の泉家に当たるのは筋違いだ。ただの八つ当たりだよ」
「黙れ」
「復讐という行為はケジメだ。前に進むために必要なときにだけ行うべきものだ。じゃあ、お前はどうだ。その行為の先に……未来はあるのか?」
「――」
 返答はなかった。
 晃夜が何も言わなかったのか。自分の耳が駄目になったのか。その区別すらもうつかない。
 ……まあ、いいか。
 後は未来を生きる者たちに任せようか、運命。
 司郎の意識は闇に溶け込んでいく。
 彼は死なない。しかし、もう生きているとも言えない。
 ただ、暗く静かな海の底に落ちていくような感覚があるだけだ。そしてそれは、案外と悪くないものだった。

 言うだけ言って、倉凪司郎は消えた。
 気付けば周囲の風景はすっかり様変わりしていた。
 どこまでも広がっていそうな森ではなく、だだっ広い田園地帯。
 そこに、晃夜はひとりきりで倒れていた。
 無理をし過ぎたのだろう。身体がろくに動かない。
 晃夜の異法は負荷が大きい。あの異界の中にいたときは再生の力で守られていたが、普通は数分も使い続ければ身体が自壊してしまう。
 再生が半端な状態で異界が消えたため、晃夜の身体はあちこちがたが来ていた。
「何と言われようと……このままでは終われない」
 こうして千年以上も経った世に再び受肉した意味を考える。答えは一つしかない。
「八つ当たりでも、何でもいい。されるがままで終わるのは、嫌だ……!」
 必ず一矢報いる。でなければ、自分と父があまりに報われないではないか。
 そのとき、足音が聞こえてきた。
 軽い足音だ。近くで遊んでいた子供が興味本位で近づいてきたのか。
 顔を上げる。そこにいたのは、やはり子供だった。
 自分より少し幼いくらいの少年だ。はじめて見る顔。なのに、どこか懐かしい感じがする。
 こちらが何か言うよりも先に、少年の双眸から涙が流れていた。
「まさか、こうして昔の姿で会えるとは思っていなかった」
「……父様?」
 なぜだろう。自分より幼いはずの少年が、なぜか遠き日の父のように思えた。
 こちらの呟きが聴こえたのだろう。少年は哀しみの入り混じった笑みを浮かべた。
「分かるのか」
「い……一夜父様、なの?」
「ああ。私は一夜だ。……晃夜、お前なんだな」
 千年以上前、見るも無残な姿になっていた父。それがなぜ今少年の姿になっているのかは分からない。だが、彼は偽物ではないように思えた。
「ここでは危ないな。魔術師どもにお前を発見されるわけにはいかない。私の隠れ家に行こう、晃夜」
「……うん」
 一夜は当然のように晃夜を背中におぶった。
「と、父様……。いいよ、重いでしょ」
「これくらい軽いものだ。我々が受けてきた苦しみに比べれば」
 微かに声が強張っていた。やはり父も、昔の怨みを忘れてはいないのだ。
「行こう。お前はゆっくりおやすみ」
「……うん」
 父の背中は、昔と違って小さかった。だが、変わらず温かかった。