異法人の夜-Foreigners night-

-Walk Together-
Walk Together「晃夜と一夜」
 目が覚めて、最初に見えたのは木の天井だった。
 どうやら自分は布団で眠っていたらしい。周囲を見る。畳の部屋。押し入れ。箪笥が一つだけあって、その上にやや年季を感じさせる置時計があった。
 時刻は午前三時半。かなり半端な時間に起きてしまったらしい。
 他に人の姿はない。
 ただ、布団の脇には簡単な書き置きが残されていた。
 ――箪笥の中にこの時代の衣類がある。それなりに種類は揃えたから好きなものを選んで着て良い。
 名前は載っていなかったが、誰が書いたものかはすぐに分かった。
 こうして自分の身体で袖を通すのは初めてだが、どういうものが一般的な衣装なのかは理解しているつもりだった。式泉運命や草薙樵の中にいたときの記憶がおぼろげに残っている。
 自分は千年以上前の人間だが、この時代の常識もある程度は把握していると自負している。
 箪笥の陰になっていて気付かなかったが、姿見もあった。
 自分の姿を改めて見てみる。
 腰元まで伸びた髪の毛はややぼさぼさしていた。お世辞にも綺麗な髪とは言えない。陰気な表情で、正面をじっと睨み据えている。
 ……嫌な顔。
 小一時間ほど衣装選びに悪戦苦闘してから部屋を出た。どうやらここはどこかの家屋の二階のようだ。ここが隠れ家なのだろうか。その割にはすぐ側に民家がある。あまり隠れ家という感じがしない。
 ぎしぎしと音を立てる階段を下りると、台所と居間が見えた。台所では父が台に乗りながら料理をしている。
「……おはよう、父様」
「おはよう。思ったより衣装選びに時間がかかっていたようだな。この時代の衣装は肌に合わないか」
「ううん。ただ、私は馬子にもなれそうになくて」
 何を着ても似合わないと思って、選びあぐねていただけだ。衣装ではなく素材たる自分の問題である。
 何か手伝おうかと思ったが、正直なところ自信がない。昔も料理は基本的に父が用意してくれたものを食べるばかりだった。
 父はその小さな体躯に似合わずてきぱきと動いて、すぐに食事を用意した。ほかほかの白米に油揚げとわかめの味噌汁。焼き魚にサラダ。
「朝食にしても早過ぎる時間帯だが、お前はまだこうして蘇ってから何も食べていないだろうからな。今日は例外だ」
 向き合って座り、互いに「いただきます」と食卓に頭を下げる。
 昔もこうして二人でよく食事を取った。まさか再びこうして父と共に食事が出来るとは思っていなかっただけに、それだけで少し涙ぐんでしまいそうになる。
「……父様は、なぜそんなお姿に?」
 食べながらではあるが、ずっと気になっていたので聴いてみた。
「晃夜。お前と違って、私は元の身体で復活したわけではない。魂だけの状態だ。この身体の持ち主に取り憑いているに過ぎん」
「では、その身体は……」
「本当は大伴百夜という少年の身体だ。今は完全に私が支配しているが」
 味噌汁を口にしながら一夜は少し目を細めた。
「晃夜。美味いか」
「……はい、美味しいです」
「そうか、良かった。私は味見が出来ないから、もし不味かったらどうしようかと不安に思っていたところだ」
 少し沈黙が続いた。
 父が自分と違う形で蘇ったということは分かった。だが、それでも父は父だ。こうして再び会うことが出来たのは嬉しく思う。
 たった二人きりの家族なのだから。
「私、父様の話が聞きたいです」
「大して面白い話はないが」
「それでも聞きたいです」
 あれからどうしていたのか。面白くなくとも良い。辛い話でも良い。父が辿って来た道筋を知りたかった。
 こちらの熱意が通じたのか、父は溜息をつきながら頷いた。
「……そうだな。すべてはあのとき、僅かなずれから生じた問題だった」

 一夜は晃夜と共に、連れ去られた妻を探していた。
 その旅の果てに待っていたのは、感動の再会などではなく、無残な末路だった。
 妻を連れ去った魔術師たちに捕らえられた一夜は凄惨な生体実験の材料にされ、挙句の果てには脳髄だけの状態で生かされ、魔力を発生させるための装置にされた。
 幸か不幸か、一夜はその間ずっと自我を保ち続けていた。
 程なく、父の後を追って晃夜が魔術師たちのところにやって来た。
 ……逃げろ。
 そう叫びたかったが、もはや一夜には叫ぶための器官が残されていなかった。
 晃夜は逃げなかった。逃げず、自分の身を省みず、怒りに身を任せて魔術師たちを殺戮した。そんなことをすれば自分の助からないと分かっているだろうに。
 一種辛い選択だったが、一夜は我が子を助けるためにある決断を下した。
 一夜が翼人の里から追放されるきっかけとなった魔法――不変の力を行使する。使えば容易に解除することは出来ない。もしこのまま自分が朽ちてしまえば、晃夜は未来永劫死ぬことなく永遠に生き続けなければならなくなる。
 それでも、親として我が子が死ぬ姿は見たくなかった。
 だから、彼は残されたすべての力を賭して魔法を行使するための準備を行った。
 だが、そのとき問題が起きた。晃夜の力の矛先が妻に向いたのだ。晃夜が意識してそうしたわけではないはずだ。おそらく晃夜が殺そうとした子供を妻が庇おうとしたのだろう。
 そのときの心情を振り返ろうとしても、一夜はどうしても思い出すことが出来ない。一つ言えるのは、彼は不変の魔法を我が子ではなく妻にかけたということだけだ。
 結果として妻は助かった。晃夜の力によって身体を切り裂かれたが、そのとき既に彼女は不変の存在になっていた。すぐに元通りになる。
 問題は晃夜の方だった。力を使い過ぎたのか、母を殺してしまったという罪悪感に駆られたのかは分からないが、程なくその身体が壊れ始めたのだ。
 一夜は急いで魔法を再度行使するための準備を進めた。しかし、それよりも早く晃夜の身体は壊れていく。
 間に合わない。
 その焦りから、一夜は不完全な状態で不変の魔法を晃夜にかけた。既に晃夜の身体は崩れかけていた。それでも奇跡が起きるかもしれないと一縷の望みを託して、一夜は最後の力を振り絞って魔法を行使したのだ。
 結果は、成功とも失敗ともいえないものだった。
 晃夜の身体は持ちこたえられずに崩れて砂のように散った。しかし、その内側にあった魂だけは残った。魂だけが不変の存在になったのだ。
 しかし、肉体を持たない魂は行き場を失い、どこへともなく流れて消えた。
 一方で、一夜も限界を迎えていた。脳髄だけの状態で無理に魔法を行使し過ぎたからだろうか。魂が擦り減って消えてしまいそうな感覚に襲われていた。
 もはや助かろうとは思わない――魔術師たちの手でこのような姿にされたときはそう思っていた一夜だったが、今はそうも言っていられなかった。
 妻と我が子を不変の存在にしてしまった。二人はこれからどうなっていくのだろう。自分はそれを見守っていかねばならない。その責任が自分にはある。
 だから、一夜は最後の力を振り絞って自分自身にも不変の魔法をかけた。それは晃夜にかけたもの以上に不完全なものだったが、どうにか彼の命を繋ぎとめることには成功した。
 一夜の場合、晃夜と違って魂すべてを不変のものとすることはできなかった。できたのは極一部で、それ以外の部分は放っておけば霧散してしまうような有様だった。
 それを防ぐために、一夜は不変化出来なかった魂を各地に飛ばし、まだ魂の形がはっきりしていない赤子に取り憑かせた。憑かれた赤子は長ずるにつれて一夜としての意識を明確化させていき、寿命を迎えるとまた別の赤子の元へ魂を移していく。それを繰り返すことで、一夜は千年のときを過ごしてきた。
 不変化された部分の魂は各地に散った他の魂と繋がっており、それぞれの一夜たちは互いの存在をなんとなく把握することが出来るようになっている。
 千年の間、一夜の数は減少の一途をたどっていた。新たな器を見つけ出す前に魂が擦り減って消えてしまうこともあれば、取り憑かれた側が一夜の魂を呑み込んでしまうようなこともあった。
 今でも残っている一夜の魂は、不変の存在となった中核部分と、大伴百夜、そして古賀里白夜のみである。

「これが、私の来歴だ。面白い話ではなかったろう」
 確かに面白い話ではなかったが、聞いておいて良かった。
「……父様、ごめんなさい」
「何を謝る?」
「父様がそうなったのは、私のせいでしょう」
「馬鹿を言え。あれは事故だったのだ。誰のせいでもない」
 父はそう言って笑ってくれたが、自分にはどうしてもそうは思えなかった。
 あのとき、母が幼子を抱きかかえているのに気付いて――本当はこの手を止められたような気がするのだ。あのときは激昂していて冷静ではなかったから、はっきりと断言出来るわけではない。ただ、あのときの自分は意図的に母を殺そうとしていたのではないかという気がする。そうでないにしても、死んでも構わないとは思っていた。
 自分がそういう心持ちでなければ、父はもう少しましな状態だったのではないか。
 父はこちらの悩みに気付いているようではあったが、何も言ってこなかった。
「ところで晃夜、私はお前に一つ聞いておきたいことがある」
 食後のお茶を出しながら、父は少し怖い目つきで言った。こういう目をするのは、とても大事な話を切り出すときだ。
「なに?」
「……質問の前に念押しさせてもらう。これは大事な質問だ。即答する必要はない。時間をかけて、ゆっくり回答しても構わない。いいか、これは本当に大事な質問だ」
 まだ幼さの残る少年の姿なのに、父から発せられる威圧感は凄まじいものだった。
 父は普段温厚だったが、怒ると本当に怖い。昔、何度か父が怒っていたときのことを思い出す。
「分かったか?」
「……はい」
「良し。では聞くが――お前は母さんと泉家の魔術師どもをどう思っている」
 母。今では真泉未了と呼ばれている女。
 ……私たちを裏切った女だ。
 母をこの手にかけたときのことを思い出す。ざわざわと胸の奥が疼いた。
「私は……どちらも許せません」
 自分たちから母を奪った魔術師どもとその子孫も、そして真泉未了という女も許すことは出来ない。許してしまえば、父とともに母を求めて旅をしてきたあの日々が無為になる。数多の苦難が無意味になる。
 否、あの日々だけではない。その後の千年すら、無意味になる。
「皆、許せないです。一人残さず殺します。他にやりたいことはありません」
「……そうか」
 父は難しい顔をしたままそう言った。特に良いとも悪いとも言わない。
 少し不安になった。
「父様は、違うのですか?」
 父とはずっと同じ目的のために動いてきた。もし自分の考えを否定されたらと思うと不安になる。
「泉家に連なる者どもは皆殺しにする。その思いは私も同じだ。必ず殺す。一人の例外も認めぬ。あれらは私にとってすべて仇だ」
 そう語ったときの父の表情に、怖気を感じた。自分の抱いている怒りとはもっと別の名状しがたい負の感情。父の中にはそれが隠されている。
「だが、お前にとってはどうなのだ?」
「私にとっても……仇です」
 なぜだろう。そう答えるとき、僅かに抵抗を感じてしまった。
「正直なところ、私はその言葉を信じることができない」
 聞く前から既に父はそう言うと決めていたようだった。
「お前は昔から怒ると手がつけられなくなるが、それ以外は素直で良い子だった。私の言うことにもほとんど反発するようなこともなかった。だからこそ、逆に心配なのだ」
「どういうこと……ですか?」
 父が何を言いたいのかが、よく分からなかった。
「私はお前をつれて旅に出たことを今になって後悔しているのだ。お前の考えは――私の考えに引き摺られたものではないのか、と」
「それの何が問題なんですか?」
「……私は自分自身の考えが『正しいもの』だとは思っていない。だからお前がそれに引き摺られているなら、一度己を見つめ直して欲しい」
「正しくないって、なんで。おかしくないですよ、私たちには復讐する理由がある」
「そうだな。復讐は理由があってするものだ。だがな、理由があろうと、正しい復讐というものは存在しないのだ」
「なら、あの魔術師どもの方が正しいのですか!?」
「違う。断じて違う。奴らは畜生にも劣る下劣な存在だ。奴らが正しいはずはない。だからと言って、それに相対する我々が正しいとも限らんのだ。正義に対峙するのは別の正義であり――悪を討つのは別の悪だということだ」
「……」
 分からない。
 魔術師どもは自分にとってただ不条理の塊だった。突然母を奪い、父を奪った。自分が何か彼らにしただろうか。断じて否だ。だというのに奴らはすべてを自分から奪っていった。不条理な悪。それ以外の何物でもない。悪は討つべきものだろう。
 そんな自分の胸中を見抜いたのだろう。父はこう付け加えた。
「今のはあくまで私の考えだ。それが正しくないと思うのであれば――お前はお前が正しいと思うことを考え行動しなさい」
「私が、正しいと思うこと……?」
「復讐というのは『それをしなければ後にも先にも行けなくなってしまった者』だけが行うものだと私は考えている。そしてお前には、まだ過去のことを忘れて新たにこの時代で生きていくという選択肢がある」
 言って、父は周囲に視線を向けた。
「この辺り一帯は一見普通の住宅街のようだが、特殊な事情で世を追われた者たちが集まって生活をしている場所だ。はみだし者たちが互いに支え合って生きている。世の中には他にも似たような場所が無数にある。互助会に入れば生活で困ることはない。互助会だから当然やらねばならぬことも出来るが、これまでの我々の暮らしぶりからすれば極めて真っ当な生活が送れるようになるだろう――」
 それは、確かに魅力的な話のようにも思えた。
「……父様は、それでは駄目なのですね?」
「もはや私の魂は中核部分を除いて、この身に宿った分と、古賀里白夜に宿った分しか残っていない。そしてこの身に宿った魂もそう長くは持たないのだ。中核部分は不変の魔法によってこの先も未来永劫残り続けるだろうが、それは本当に魂という概念があるだけで、私の意志や記憶は残らない。住民がいなくなった家屋のようなものだ……」
 だから、ここで一緒に暮らすことはできない。
「晃夜。本当はお前が良き伴侶を見つけてくるまでは一緒にいてやりたかったが……もうそれは叶いそうにない。一人立ちするのだ。自分で考えて、自分でどうするか決めなければならない。私の娘としてではない。晃夜という一人の人間として、この先どうするのかを決めるのだ――」
 そこまで言って、父は目を閉じた。
「最低でも三日は考えろ。お前は事を急ぎ過ぎるきらいがある。ゆっくりとこの町で過ごして、身の振り方を考えるのだ。三日過ぎても答えが出ないようであれば待つ。私の魂がどうしようもなくなるまではな」
 だから絶対に後悔しない選択をせよ。
 父との会話は、それで締め括られた。

 家の中に篭っていても良い考えは浮かばないと、追い出された。
 家の外はやはり何の変哲もない住宅街のように見えた。まだ早朝ということもあってか人の気配がない。日の光すらまだ見えない刻限だ。
 すぐに戻ったところでまた締めだされるのが目に見えているから、しばらくこの辺りを散策することにした。見慣れない土地に来たらまず散策する。これは昔父と二人で旅をしていた頃の習慣だった。
 いざというとき地形を把握してすぐに逃げられるようにするための行動だったが、嫌いではなかった。目についたものについて父はいろいろなことを教えてくれた。それを聴くのが楽しかった。
 ただ、こうして一人で散策することはあまりなかった。
 ……潮の香りがする。
 海が近いのかもしれない。生前は――こうして再び肉体を得た今そう言うのは少々おかしいかもしれないが――あまり海に出る機会はなかった。
 懐中電灯が細々と照らす塗装された道を歩きながら、潮の香りがする方を目指して歩いて行く。
 十分もしないうちに波止場に着いた。小さめの船が何隻か見えた。あれはなんという船だろう。
 堤防沿いを歩きながら、吸いこまれそうなくらい暗く広がる景色を見た。波の音は常に一定のリズムを刻んで、こちらへ来いと誘っているような気がする。
 気分が沈みかけたそのとき、少し先のところにある桟橋に人影を見た。
 ……子供?
 こちらに背を向けて何かをしているようだった。こんな時間に子供が何をしているのだろう――そう言いかけて、自分のことを思い返す。この町がやや特殊な人々の集まりだというなら、何か訳ありなのかもしれない。
 少し興味が出て、近づいてみた。
 子供は短髪でウインドブレーカーを着込んでいる。男の子のようだ。手には釣竿を持っている。
 ……釣りをしているの?
 確かに夜明け前の薄暗い時間帯は釣りに適しているとされている。父も昔この時間帯に釣りをして食料を調達することがあった。しかし、子供が一人でこんな時間帯に、という点が奇妙な気がする。見たところ自分よりも小さい。今の父と同じくらいの背格好だ。
 邪魔をしないよう足音を消して近付く。しかし、相手はもうこちらに気付いていたらしい。
「おはよう、お姉さんも釣り?」
 こちらに顔を向け、あばたが特徴的な顔でにっこりと快活そうな笑顔を浮かべる。
 こんな素直な笑顔を向けられたことがないせいか、少し引いてしまった。
「い、いえ。私は散歩してるだけで……」
「そうなんだ、早起きだね」
「貴方も早起きじゃない」
「ううん。僕は昼間ずっと寝てて夜起きてるってだけ。早起きじゃないよ」
「……そういうの、あんまり身体に良くないんじゃない?」
「そうなんだろうけど、僕は日中外に出られないからさ。どうしてもやることなくて、寝ちゃうんだ」
「出られないの?」
「日の光を浴びると僕の皮膚、焼け爛れちゃうんだよね」
 言っておくけど僕は吸血鬼じゃないよ、と捕捉する。
「……病気か何か?」
「ううん。どちらかというと『呪い』かな」
 そこまで言って、少年は不意に気付いたかのように照れ笑いを浮かべた。
「ごめんごめん、初対面の人にはまず自己紹介からだよね。僕は日陰っていうんだ」
「……私は、晃夜」
「よろしく、晃夜さん」
 それが、日陰と名乗る奇妙な少年との出会いだった。