異法人の夜-Foreigners night-

-Walk Together-
Walk Together「晃夜と日陰」
 翌朝も、夜明け前に家を出た。
 父に追い出されたのではない。父は昨日家に戻ったとき、三日目になったら戻る、という書き置きを残して姿を消していた。
 自分から離れて考えてみろ――ということなのかもしれない。
 とは言え、元々人間は敵だと思って生きてきた身だ。日中外を出歩いていろいろな人と話してみようという気にはなれない。例え自分と同じようなワケありばかりだとしてもだ。
 かと言って、ずっと家に篭っているばかりでは気分が沈んで仕方がない。これで後悔しない選択が出来るのかと言われると、少々自信がなかった。
 だから、人気の少ないこの時間帯に外を歩くことにした。町の風景は嫌いではない。町はただそこにあるだけで、こちらに悪意を持っていない。
 もっとも、人がまったくいないわけではない。
 こんな時間からランニングをしている人もいれば、犬の散歩をしている人もいる。彼らはこちらに気付くと軽く会釈をしたり、
「おはようございます」
 と声をかけてきたりする。
 返事に戸惑っている間に彼らは通り過ぎていくので、結局まともにやり取りできていない。挨拶はきちんとしろと父から教わっているのだが、どうにも慣れなかった。
 同じ場所を歩いても意味がないと考え、昨日とは別の道を選んでいく。
 ふと脳裏に日陰と名乗る少年のことが浮かんだが、すぐに消えた。呪いという言葉が引っかかってはいるが、自分とは関係のないことだ。彼は今日も釣りをしているのだろうか。おそらく会うようなことはあるまい。
 町の中央には大きな丘――ちょっとした山のようにも見える――があった。そこがこの辺り一帯の魔力の中心地となっており、そこに特殊な術式を埋め込むことで、外の人間がこの町に出入りし難くなるような結界を張っているらしい。
 と言っても、さほど強力な結界ではない。強力過ぎると怪しまれるから、とても密度の薄い、あるかないか分からない程度の結界だ。だから外の人間も明確な目的意識や地図があれば普通に出入りは可能である。
 これらの説明は父が残した書き置きに記載されていた。自分がここで暮らすために必要な情報は一通り揃えておいてくれたようだ。
 暗に「お前はここで暮らせ」と言われているようで嫌な感じだ。
 丘を上る道の両脇には畑があった。収穫時期は過ぎているようで、今は割と開けている。その中に、見覚えのある姿が見えた。
「あれ。昨日のお姉さんだ。おはよう」
 日陰と名乗る少年が、薄闇の中でひらひらと手を振りながら声をかけてきた。
「……」
「ん? もしかして聞こえてないのかな。おーい、おはよう!」
「……お、おはよう」
 聞こえてはいたが挨拶に躊躇ってしまっただけだ。
 昨日と違って農作業用と思われる格好をしている。顔にも土がついていた。
「あれ、意外そうな顔してるね。冬にだって畑仕事はあるんだよ?」
「いえ、貴方がこっちにいるとは思ってなかったから……」
「別に僕は海の男というわけじゃないよ。畑仕事もすれば運び屋だってやる。まだ子どもだから本格的な仕事は出来ないけど、その分手広くやってるんだ」
「運び屋……?」
「新聞とか牛乳とか宅配便とか。自転車で運べる範囲のものだけだけどね」
 何か変なものを運んでいるのではないかと思ったが、割と普通だった。
「お姉さんもしかしてこの先の丘に行こうとしてた?」
「え、ええ。なんで?」
「この先には民家と畑以外じゃそれ以外ないから。でもやめておいた方が良いよ。立ち入り禁止になってるから。あそこは大事な場所らしいんだよね」
 結界の中心だから一部の人間以外は出入りできないということなのだろう。確かに言われてみれば納得だ。どうやら無駄足だったらしい。
「まあまあそんな残念そうな顔しないで。ほら、これあげるよ」
 日陰が差し出してきたのは小さな形状のぐにぐにしたものだった。確か式泉運命の記憶で見たような気がする。確かグミだったか。食べるものだったはずだ。
「いいの?」
「お近づきのしるしってことで」
 口に入れてみた。果実に似た味わいだ。噛めば噛むほど味が広がっていく。
「……美味しい」
「なんだったらもっといる?」
「いえ、いいわ」
 他人からあまり施しを受けてはいけない。返せるようなものがないからだ。
 これは父と二人で各地を旅してきた頃からの習慣である。断ると失礼になるような場合は最初に少しだけもらうようにしている。
「お姉さんこの町に来たばかりなんだろう? いろいろ歩いて見て回ってる?」
「ええ。まだ勝手が分からないところもあるけど」
 地形はだいたい把握したが、人を避けていたこともあって、この町の実状はさっぱりだった。そういう聞き込みは父がやっていて、自分は苦手だった。
「なんだったら僕が教えてあげようか」
「……いいの?」
「この町じゃ困ったことがあれば助け合いさ。一般社会から切り離されてるからこそ、僕たちは――この町の住民は仲間を決して見捨てないし裏切らない」
 畑仕事は一段落ついたところらしく、日陰は側にあったブロックに腰掛けた。自分もそれに倣って腰を下ろすことにする。
 日陰はどこか不思議な雰囲気を纏っていたが、話しぶりは年相応の少年といった感じだった。ただ、要点が分かりやすく上手い話し方をする。
「君は話が上手いのね」
「そうかな?」
 満更でもない、といった表情だ。
「将来は教師なんか向いているんじゃないかしら」
「先生ね……なれるかな」
 どこか、表情に陰りが見えた気がした。何かまずいことを言っただろうか。
「ああ、ほら、僕には呪いがあるから。夜の学校っていうのもあるみたいだし、そこの先生目指すのもありなのかもしれないね」
 そうだった。理由は分からないが、彼には陽の光を浴びることが出来ないという呪いがある。浴びると肌が焼け爛れてしまうのだという。
「病気じゃなくて呪いだって言ってたけど……」
「うん。この町に来るくらいだし、お姉さんも呪いが実在することには疑いを持っていないんだろう? 僕の呪いは本物だよ」
「解くことは出来ないものなの?」
「出来ない」
 強く言い切った。むしろ、それは解けないのではなく解くべきではないと言っているようにも受け取れる言い切り方だった。
「……もし差し障りがなければ、その呪いがどういうものか教えてくれないかしら」
「いいよ。減るものでもないし」
 そうして日陰少年は滔々と語り始めた。自分がこの町に来ることになったきっかけについて。

 少し前の話。
 あるところに若い女がいて、ある男に対して恋をした。
 それはもう周囲が見て心配するくらいの恋い焦がれっぷりだったという。
 紆余曲折あって女は男との間に子を成した。ただ、それは男にとって望んだものではなかったようだ。男は行方をくらました。
 女は愛しい男を探して四方八方駆け回ったが、結局男は見つからなかった。
 子どもは無事生まれた。ただ、その子どもは女にとっても望んでいたものではなかった。女が欲しかったのは男からの愛情であり、子どもはそれを繋ぎ止めるために使えると思っていただけだったようだ。
 虐待とまではいかないものの、子どもは愛情を知らずに育った。
 女は子どもが生まれてからも男を探し回っていた。子どもはそれに引き摺られる形であちこちを回りながら過ごした。親しい友達はいない。女のまわりには次第に妙な連中が集まるようになる。
 最低限の衣食住があるだけましだったのかもしれない。
 ただ、子どもはその生活に耐えられなくなっていた。
 あるとき子どもは女に問い質した。自分と父とどちらが大事なのか、と。
 その質問は女にとってタブーだったのだろう。苛立ちを露わにしながら、吐き捨てるように女は答えを口にした。
 それに対し子どもは何と返したのか。今となってはよく思い出せない。
 ただ、それは女を激昂させるようなものだったのだろう。殴られた。蹴られた。家の外に追い出された。
 そこで子どもの中の何かが切れた。
 子どもは家の扉が開かないよういろいろなものを急いでかき集めて入口を塞いだ。マンションの五階だから窓から逃げるという選択肢はない。通路側の窓は防犯対策で格子がついているから、大人がここから出ることもできない。
 準備を済ませてから、子どもは窓から火のついたマッチ棒を家の中に投げ入れた。マッチ箱に入っていたマッチ棒すべてに火をつけて、部屋の中に投げ入れる。
 自分の怒りを知らしめたかった。どうせ子どものやることだから、どこかで漏れがあって失敗するだろう。
 そんな風に思って始めた報復は――思っていた以上の効果を出してしまった。
 燃え広がる部屋で叫ぶ女の声。扉をガンガンと蹴る音。窓から出ようと格子を外すためもがいている姿。窓の外にいる自分を見て怨嗟の声を上げる女。
 全部、よく覚えている。
 このことは大事件になった。状況からして子どもが犯行に関わっていたことは間違いないとされたが、警察は子どもの行方を掴むことは出来なかった。
 子どもは逃げた。逃げ続けた。
 やっと自由になれたという高揚感と、取り返しのつかないことをしてしまったという後悔の念。大きな感情が大渦のように子どもの中で回り続けている。
 ああするしかなかった。そう思いつつ、自分には罰が必要だとも思った。
 自由になる権利はある。だが自分はお天道様の下を歩いていてはいけない。強くそう念じた。
 そしてその念はそのまま呪いになった。
 自分自身に向けた罰という名の呪いになった。

「さして面白い話じゃなかったでしょ」
 日陰はまだ夜が明けない空を見上げながら、淡々と言った。
「僕の力は異法っていうらしいんだ。対象に制約と罰を付与する力。僕はそれで自分に『お天道様の下を歩いてはいけない』という制約を付与した。罰については僕の裁量で決められないんだけど……まあ適切なものだと思うよ」
 能力の説明を聞いても、その前の話がいろいろと衝撃的過ぎて頭に入って来ない。
 子を愛さない親。その親を殺した子。
 どちらも自分には理解できない。
「後悔するくらいなら、なんで殺したの……?」
「違うよ、お姉さん。後悔はしてない。ただ間違ったことをしたとは思っている。間違ったことをしたことを後悔していない――というのも変かな」
「……どうかしら。でも、正しいことをしたはずなのに後悔したことなら、私にもあるわ。人に言えるようなことではないけれど」
 脳裏に浮かぶのは、この手で死なせたあの女の姿。
 父の反則技によってあの女はまだ生きているが――あのとき確かに、自分はこの手であの女を殺したのだ。
「罪っていうのは悪いことをしたから背負うものじゃない。罰は悪人だけが受けるものじゃない。そういうことなんだと、僕は思うよ」
「悪くもないのに罪を押し付けられるのは嫌ね」
「嫌なことだね。でもそれで誰かに文句を言うこともできないんだ。結局罪を負わすのも罰を与えるのも、他の誰でもない、自分自身なんだから」
 そういうものだろうか。自分にはよく分からなかった。
 ただ、罰を受けるべきなのに受けていない連中がいた。それを許すことができなかった。晃夜が今こうしてここにいるのは、その延長線上なのだ。
 そして、その連中はまだ残っている。
「誰かが与える罰もあると思うわ。……誰かが裁かないといけない罰が」
「かもしれないね」
 日陰はあまり自説にこだわる素振りを見せなかった。
 先程の言葉は、あくまで自分の経験から来た言葉だったのだろう。違うケースがあるということも彼は理解している。
「日陰君。もし良かったら、私にその異法を使ってみてくれない?」
「……え?」
「こんなことを君に言うのもおかしい話だけど、私は今少し迷っているの。これから先どうしていくべきか……それを決めるために、自分の中にもし罪があるなら向き合っておきたい。罰を受けておくべきだと思うの。そうでもしないと、きっと私は前に進むことができない――」
 自分の進もうとしている道が正しいかどうかは分からない。ただ、他にもう道が残されている気はしなかった。だったら、その道を迷いなく進むための禊が必要だ。
 自分に罪があるというなら、ここで背負っていこう。罰があるなら受けていこう。
 そうすることで、自分は完全に罰する者になれる。
 日陰は迷っていたが、こちらの決意が固いことを察したのか、深い溜息をついた。
「できなくはない。僕のこの町での『仕事』の一つだしね。でも、あまり気分の良いものじゃあないよ。否応なく自分の中にある一番醜悪なものと向き合うことになる。はっきり言っていいことなんか何もない」
「構わないわ。私は幸せな人生を過ごしたいわけでも、安穏な日々を求めているわけでもない。醜悪でも何でもいい。向き合って、踏み越えていかないといけないの」
 それを聞いて、日陰はとても哀しげな、憐れむような表情を浮かべた。

 そうして――約束の三日目が来た。

 夕刻になってから、父は帰って来た。
 顔を見せるなり少し驚いていたのは、こちらが夕食を作っている最中だったからだろう。街で料理に関する本を購入し、材料をどうにか買い集め、四苦八苦しながら調理していたのだが、驚いてもらえたのなら苦労した甲斐はあった。
 何分元々の時代とは常識がいろいろと違う。これまでの宿主を通して知識だけは持っていたが、自分の身体で動いて何かをするとなるとなかなか難しいものだった。
「どういう風の吹きまわしだ、晃夜」
「……父様は座って見ていてください。これくらいならば私一人で」
「いや、手伝おう。危なっかしくて見ていられない」
 笑いながら父は台を用意して自分の隣りに並び立った。
 慎重に包丁で野菜をゆっくりと刻んでいる自分の横で、父は慣れた手つきで味噌汁の味見をしていた。
 手元が覚束ない自分に、父は細かく助言してくれた。
 噛み締めるように。
 親子として過ごせる最後の時間を、一秒一秒噛み締めるように過ごした。
 他愛ない話をした。
 昔のこと。今の時代のこと。
 二人で作った手料理の味は、どこか大雑把で、とても暖かく感じた。
 食後の片付けも二人並んで行った。
「父様」
「ああ」
「私は、戦うことにしました」
「……それは、お前の意志か」
「はい。父様が戦うことを放棄したとしても、私は最後までやり遂げます」
「私が反対してもか」
「父様は知っているでしょう。私は昔から……」
「言い出したら聞かない性格だったな」
 横に立つ父の顔を窺う。その表情からは、喜びも悲しみも見えてこない。ただ、どこか遠くに眼差しを向けている風だった。
「私は私の罪を背負います。父様は父様の罪を背負ってください。そうして我々で罰を与えましょう。私たちからすべてを奪った者たちに。そうして地獄へ落ちましょう」
「……できればお前は地獄に落ちずにいて欲しかった」
「既に地獄にいるようなものです」
 今ここに至るまでの道のりそのものが地獄の道。
 母を奪われ、父を奪われ、長き時の中で数多の命を奪ってきた。
 今更どうして幸福な日常に辿り着けよう。
 自分にできるのは、あくまでこの道を進み続けることだけ。
 それが、日陰によって自らの罪と向き合った晃夜の出した結論だった。
「そうか。……そうかもしれんな」
 父も否定はしなかった。
「殺しましょう。殺し尽くしましょう。私たちの怨敵を」
 そう。
 そうして最後まで進み続けるしか――ない。