異法人の夜-Foreigners night-

-Walk Together-
Walk Together「仲間たち」
 何かに追われている。敵はなかなか姿を見せない。ただ、確実に何かが迫っているという感覚はある。
 表面上はとても静かだ。時刻は正午過ぎ。閑静な住宅街の中、亨と天夜は二人で駆けていた。たまにすれ違う人々はちらりとこちらを見るだけ。何か走っている人がいるなというくらいの認識なのだろう。
 数歩下がったところまで生温い何かが接近してきている。
「埒が明かない。いっそ倒してしまった方が良いんじゃないか」
 天夜の提案に亨は頭を振った。
 梢に逃がされてから数日。亨と天夜は行方知れずになったという古賀里夕観とフィストを探していた。しかしその折、何者かの妨害を受けるようになった。
 被害は出ていない。ぎりぎりのところで回避している。ただ、一歩間違えば重傷を負っていたであろうケースが数回あった。敵意は確かにある。
 そういう緊張状態がずっと続いている。天夜は少し苛立ちを見せ始めていた。
「なぜだ」
「前も言ったでしょう。零次から聞いた話では魔術同盟が僕らの敵にまわっている可能性がある。けど、僕らからしたら魔術同盟に追われる理由に心当たりがない。僕らを今追っているのが同盟の魔術師なら、誤解があって追って来ている可能性がある。そこで僕らが反撃してしまっては問題が拗れるかもしれない」
「正当防衛だろう、どう考えても!」
「相手が個人だったり小さい組織ならそういう理屈も通用するけど、相手が悪い。魔術同盟は日本国内だけでなく世界各地に拠点を持つ言わば『非日常』の世界最大規模の大手組織だ。何か勘違いがあって僕らを追っていたとしても、僕らが下手に反撃して構成員に被害が出れば面子が潰される形になる。そうなれば元々の理由が勘違いによるものだと分かっても、僕らのことを追ってくるようになる」
「言いたいことは分かる。分かるが、この状態がいつまでも続くようなら我慢の限界が来る。人間には我慢できることとできないことがある」
「まあ、そうだよねえ」
 亨自身もかなり苛々している自覚はあった。昨日の朝からずっと緊張が解けない。ろくに寝てもいないのだ。
 同盟の日本代表とも言うべき飛鳥井家に乗り込んだ幸町にも連絡してみたが、何分組織としての規模が大きいせいか何が起きているのか正確な情報を掴むのに苦労しているらしい。もう一人、飛鳥井家の身内である冷夏とは連絡がつかない。
 最悪、同盟に喧嘩を売る覚悟で動かなければならないか。
 そう考えていた矢先、天夜が遠目に見えるビルを見て行った。
「あそこだ」
「あそこが?」
「ああ。あれが第九高司ビル――古賀里夕観たちが職場として使っていた場所だ」
 天夜は一時期草薙樵や古賀里夕観、フィストたちと付き合いがあったらしく、そのとき職場に通されたこともあるそうだ。その情報を頼りにここまでやって来たのである。何か手掛かりが掴めないかという淡い期待を抱いてのことだった。
「もっとも、今のままだとビルに行ったところでろくに調査は出来そうにもないな」
「確かに。これ以上接近すると僕らの目的地にも感づかれる恐れがありそうだね」
「どうする? リスクは大きいが二手に分かれるか」
「いや、相手の正確な人数が分からない以上それは得策じゃない。……こっちだ」
 目的地のビルには向かわず、曲がり角で右折する。まずは追手を撒く。こちらの狙いが別にあると思わせる。
「正直うろ覚えだけど、確かここの通りをしばらく進んだところにはこの辺りを取り仕切る魔術同盟の支部――飛鳥井家の分家があったはずなんだ」
「なるほど、そこを叩きに行くと見せかけるのか」
「かなり遠回りになるけど、付き合ってもらうよ」
「乗りかかった船だ。仕方ない」
 天夜は溜息をついたが、首肯した。
 急がば回れと言うが、今は時間が惜しい。亨は天夜を引き離さないよう気をつけながら、少し加速した。

 屋敷内がざわついている。
 普段と変わらぬ静けさを保ちつつ、飛鳥井本家が微妙に揺れ動いている。
 自室で書物を読み解きながら、冷夏は常に周囲の気配を探っていた。
 彼女は半ば幽閉状態にある。
 あの日――遥が土門荒野について尋ねに来た日、冷夏は土門荒野に関する情報に不審な点があることを飛鳥井本家に連絡し、翌日実際に本家を訪れて当主である叔父に「倉凪梢と草薙樵討伐を少し見送るべき」と直談判した。
 叔父は気難しいところもあるが、決して頭の固い人物ではない。話せば分かってもらえる。そういう期待があった。
 実際、叔父は冷夏の進言を否定しなかった。ただ、肯定もしなかった。
 ――お前の言い分はよく分かった。改めて考える故、ここにしばし滞在していろ。
 それが冷夏にくだされた当主からの命令だった。
 本家滞在中、冷夏は大忙しだった。次から次へと本家から魔術論文に関する依頼が送られてくるのだ。「せっかくしばらく滞在されるのですし、いろいろとお願いしたく」と低姿勢で恩のある人々に頼まれては、無碍に断るわけにもいかない。
 論文に関する依頼をこなすために用意されたのは本家地下深くにある実験室だった。魔術に関する道具が数多取り揃えられており、研究好きの魔術師にとっては楽園とも言える場所である。ただし、地下には携帯の電波が入らない。
 生活全般に不便はないのだが、明らかに外部から自分を遮断しようとしての措置と言えた。
 ……叔父上の中では八対二といったところか。
 二割程度はこちらの言い分を認めている。ただ、倉凪司郎と古賀里白夜からの連絡の方が信憑性はあると見られているのだ。そしてその判断は無理のないものと言える。冷夏の言い分は見方を変えると親しい相手を守りたいがための感情的なものと映る。
 だから、冷夏が余計なことをしないようこうして屋敷内に留め置いているのだ。
 扉をノックする音がした。どうぞ、と言うと控えめに扉を開けて一人の女性が入ってくる。
「冷夏様、こちらが例の書類になります。こちらは御当主様からの依頼の書類です」
「ありがとう。こちらは昨日の実験結果をとりまとめたものです。叔父上に渡しておいてくれますか」
「承知致しました」
 それだけ言って女性は部屋を後にする。
 冷夏はまず最初に渡された書類に目を通した。古賀里白夜に関するものだ。
 彼の生い立ちやこれまでの魔術師としての経歴がまとめられている。飛鳥井家が独自に調べ上げたものだ。日本を代表する四大名門の一角である古賀里家。半ば滅びたとはいえ、そこの当主を務める程の男だ。飛鳥井家としてもそれなりに意識していたのだろう。
 梢たちが本当に無害だと証明するのは至難の業だ。だから冷夏は逆に、土門荒野に関する情報の信憑性を再確認することに決めた。才気煥発で将来性のある魔術師、おまけに現当主の姪である彼女にはこの屋敷内にも協力者が何人かいる。
 叔父に逆らわないようにしつつも独自の調査が可能な環境は整っていた。
 そもそも不自然なのだ。古賀里白夜は魔術師嫌いの魔術師として界隈でも名が知られている。なぜ知られるようになったのかと言えば、そうなるだけの出来事があったからである。
 魔術師に起因するトラブルが発生したとき、魔術同盟は関わりのある家に協力を求めることが多い。しかし古賀里白夜はこれまでの協力要請をすべて蹴っている。
 彼が動かなかったことで被害をこうむった者も多数いる。しかし彼らから非難を受けても白夜は眉一つ動かさず、「おのれらの無力をわしのせいにするでないわ」とにべもない応答をしている。
 同盟の集まりに顔を出すようなこともなく、同盟員が彼の住まいに向かえば居留守を使う。むしろなぜ同盟に所属しているのかと言いたくなるくらい、彼は魔術師を拒絶していた。
 それが、なぜ突然協力的な姿勢を取ったのか。
 古賀里白夜の経歴には不審な点がいくつかある。魔術同盟以外にもいくつかの組織と繋がりがあるということもその一つだ。二年前に崩壊した異法隊日本支部の隊長との繋がりも確認されている。二人は魔術の師弟関係にあったらしい。
 その一事だけで冷夏の中の白夜に対する印象は急速に悪化した。だが、今回新しく持ってきてもらった資料にはそれ以上に気になる記述があった。
「……崩壊前の泉の里に出入りしていた形跡あり?」
 時期的には古賀里家が崩壊したのと同じ頃になる。そんなとき古賀里家の長老格だった白夜が何をしに泉の里に行っていたのか。
 叔父から頼まれた仕事をこなしながら、冷夏は黙々と調査を続ける。しかしその間にも状況は動き続けていた。

「どういうことだ、あれは」
 魔術同盟の追手と思われる気配を撒くのに半日以上かかった。そうしてようやく辿り着いた夕観たちのアジトを前にして、天夜は疑問の言葉を発した。
 彼らは第九高司ビルの隣りの建物の屋上にいる。既に時刻は夜だ。月は雲で隠れている。屋上とは言え二人の姿は闇に包まれていた。
 二人の視線の先には、電気のついた部屋の中で雑談をしている夕観とフィストの姿があった。
「なんだあの呑気な空気感は。異常があるようにはとても見えないぞ」
「……天夜君。電話を」
 亨も戸惑いを隠せなかったが、まずは確認をしてみることにした。
 これまでも天夜の携帯から二人に電話をかけてみたことはあった。だが一度も繋がらなかったのだ。
 亨が通話ボタンを押す。僅かだが、夕観たちのいる方からも電話の鳴る音が聴こえてきた。だが二人は反応を示さない。意に介した様子もなく雑談を続けている。
「一見異常がなさそうに見えるけど、それがもう異常ってやつだね。……やっぱり何かあるよ、あのアジト」
 言うなり亨はポケットから錫の球を取りだした。球は亨の異法によって意志を持ったかのように宙へ浮かび、そのまま夕観たちのアジトの窓を叩き割って中に飛び込んでいった。
「おいおい」
「時間がない。また魔術同盟の連中に追いつかれたら厄介だ。正常か異常かはともかく二人はいるんだ――早々に確保してずらかるよ」
 亨は普段あまり自分の意見を主張することがない。しかしそれは意志が弱いということではなく、主張しなくても別にいいと思っているからそうしているに過ぎない。
 異法隊で荒事に何度も関わった経験があるからか、いざというときの思い切りは良かった。
 亨の遠隔操作によって錫の球は電光石火の早さで縄のように形を変え、夕観とフィストの身体を縛り上げた。
「幻覚の類じゃない。二人とも実物だ」
 錫を通して感覚が伝わってくる。亨はすぐさま錫ごと二人の身体をこちらに引っ張り寄せた。
 夕観と亨は抵抗する素振りを見せなかった。縛りあげられたまま雑談を繰り返している。引き寄せられて亨たちがいる屋上に乱暴に投げ出されても、一切反応を見せなかった。
「こうして見ると不気味だな」
 間違いなく何か精神干渉を受けている。揺さぶれば目を覚ますかもしれない。そう思って亨はフィストの肩に手をかける。
「……ん?」
 フィストに触れた手から何かが流れ込んでくる感覚がした。慌てて手を離す。
「天夜君、この二人には触るな!」
 同じように夕観の肩に手をかけようとしていた天夜を制して、亨は自らの右手を凝視した。何かぼんやりと刻印のようなものが浮かんでいるようにも見える。
「まずいな、この二人そのものがトラップだったっぽい」
 少しずつ瞼が重くなってきた。おそらく二人がかけられているのは幻覚を見せる類の魔術と、触れた者にそれを感染させる魔術なのだろう。このままでは自分も幻覚の魔術の餌食になってしまう。
 命に別条はないのかもしれないが、この状況で意識不明になるのはまずい。
「僕にも触るな。おそらくこれは幻覚魔術だろうけど……感染する。迂闊な行動に出れば君まで意識不明になってしまうかもしれない」
「幻覚ね……。魔術はあまり詳しくないが、手の打ちようはあるのか?」
「今考え中」
 とは言え時間はあまりない。意識が少しずつ落ちつつあるのが分かる。
 とりあえず試しに鉄の槍を作って右手の刻印を突き刺してみた。激痛が走る。にも関わらず意識がはっきりしていく感じがしない。
 ……魔術は決して万能ではない。
 かつて異法隊で魔術師と敵対したときの対策について学んだことがある。
 魔術とは特定の事象を発生させるために魔力と魔術式を用いて行う術のことだ。つまり、この幻覚・感染魔術を実現させるための魔力と魔術式がどこかにあるということになる。それを破壊してしまえばこの術式は解けるはずだ。
 だが、腕に現れた刻印はその術式ではないということになる。
 ではどこに術式はあるのか。そう遠くにはないはずだ。
 周囲を凝視する。そして、一つ怪しい場所を見つけた。
「……天夜君。一つ物騒なことを聞いても良いかな」
「なんだ? 何か分かったのか?」
「うん。おそらくだけど……あそこにこの魔術の術式がある」
 言って、亨はアジトを指差した。あの中に――というよりあのアジトそのものが幻覚と感染魔術の術式そのものになっているのだろう。ここはアジトに近過ぎる。だから術式から完全に逃れられず、影響を受けてしまっているのだ。
「――あのアジトだけを燃やすことはできるかい?」
「燃やすだと?」
「ああ。術式を解除する方法なんて僕も、君も知らないだろう。知っていたとしても解除する前に幻覚の餌食になる。だったら破壊してしまうしかない。だが僕はもうそうするだけの余裕がない」
 平衡感覚は失われている。この状態で正確に金属操作をする自信はなかった。
「……やるしかなさそうだな。近所迷惑にはなるが」
「だから聞いたんだ。あそこのアジトだけを燃やせるかって」
「やるしかないだろう。責任は持ちたくないがな」
 天夜の右腕から炎が出る。彼は異法人とは別の異端者と呼ばれる特殊能力の持ち主で炎の使い手だ。今はその腕前に賭けるしかない。
 炎が螺旋を描きながらアジトに向かう。暗い夜が突然明るくなった。
 ……ああ、まだ寝ちゃ駄目だろうに。
 夜空に浮かぶ炎龍を見ながら、亨の意識はそこで完全に落ちた。

 目が覚めると、そこは荷台の上だった。
 トラックの荷台である。亨はむくりと身体を起こす。側には寝息を立てている天夜がいた。
「寝かせてやれ。大分疲れてるようだから」
 声をかけてきたのは助手席にいるフィストだ。運転は夕観がしているらしい。
「こうして言葉を交わすのは初めてだな。元・異法隊の矢崎亨」
「その口振りだと自己紹介は要らないみたいですね」
「状況説明も不要だ。天夜からあらましは聞いている。今回はあの馬鹿共々迷惑をかけたようだな」
 あの馬鹿というのは草薙樵のことなのだろう。
 これで、梢から頼まれていた依頼は達成できた。思わず安堵の息が漏れる。
「安心するのはまだ早い。状況はまったく片付いてないぞ」
 フィストが釘をさすように言う。
「どういうことですか?」
「貴方たちが来る少し前に、私たちをあんな風にした奴が様子を見にアジトに来ていたのよ。そのときあいつはぶつぶつと何か独り言を呟いていたわ」
「状況が変わった、狙いを変えなければ――そんなことを言っていたな」
「狙い?」
「ああ。確か――榊原と言っていた」
 どくん、と心臓が鳴る音が聞こえた気がした。
「天夜から聞いたが、榊原というのはお前たちが世話になっている人なんだろう?」
「……ああ。それに、榊原さんと一緒に女の子が一人いるはずだ」
「今この車は秋風市に向かっている。助けてもらった例だ。協力はさせてもらう。……間に合うと良いが」
 寝起きの頭で状況を整理しながら榊原や美緒、梢たちの携帯に電話をかける。しかしどれも繋がらない。
 焦燥感に駆られながら、亨は全員の無事を祈った。