異法人の夜-Foreigners night-

-Walk Together-
Walk Together「支え合う者たち」
 榊原幻には妙な勘の良さがあった。
 嫌な感じがしたかと思えば、実家から父親が死んだと連絡があった。
 何か妙な感じがして立ち止まった瞬間、目の前に鉄骨が落ちてきたことがある。
 犯人と思われていた男を一目見て「違う」と感じ、その直感だけを頼りに真犯人を特定したことも何度かある。
 その直感が「このガキはヤバイ」と告げた。榊原はそれを信じて、美緒の腕を強く引いて駆けだした。
 ホテル間を移動している最中だった。
 同じホテルにずっと滞在しているのは危険ではないか。そういう考えから、状況が沈静化するまで榊原と美緒は各地のホテルを転々としていた。
 移動中は細心の注意を払っていた。美緒ともつかず離れずの距離を保ち、身内と分からないように見せていた。
 数分前から何か妙な感覚はあった。そのとき榊原は美緒より前を歩いていたが、なんとなく後ろの方に移動した。
 それから程なくして、帽子を目深に被った子どもが先を歩く美緒の正面から近づいてくるのが見えた。
 一気に美緒との距離を詰めて腕を掴んだのはその直後だ。美緒がぎょっとしたのが見えたが、榊原はそれを気にしている暇がなかった。
「お義父さん、どったの!?」
「良いから走れ! やばい!」
 榊原は美緒の手を引きながら人が比較的多い通りに出た。相手がよほどいかれてなければ人目のあるところでは動きが鈍る。
 通りに出ると最初にタクシーが目に付いた。今まさに乗ろうとしている人を制して、榊原は財布から数枚の札を出した。
「すまんが緊急事態で急いでいる。これで順番を譲ってくれ!」
 相手は一瞬むっとしたようだが、渡されたものと榊原の切羽詰まった表情を見て頷いた。それを確認するやいなや榊原は美緒をタクシーの中に押し込んだ。
「すまんが○○町の△△病院まで頼む。急ぎなんだ、俺が指示する通りのルートで行ってくれないか」
「あいよ」
 出発したタクシーの背後を見る。先程の子どもの姿は見えない。
「帽子をかぶった小学生くらいの子どもを見たら気をつけろ。あくまで勘だが、あいつはやばい。新月の夜に井戸の底を覗いたら何かが覗き返してきたような、そんなおぞましさを感じた」
「お義父さんがそこまで言うなんて、よっぽどだね……」
 あれほど怖気が走ったのは随分と久しぶりだ。勝てる勝てないの次元ではない。あれはそもそも関わってはいけない類の相手だ。
「ありゃ、赤信号だ。すみませんねお客さん、少しだけ待ってください」
 少し進んだところでタクシーが停車する。
 その瞬間ーーフロントパネルに何かが落ちてきた。
「……っ!」
 美緒が悲鳴を呑み込む。
 落ちてきたは、先程の帽子をかぶった子どもだった。
 この世のすべてを憎悪するような血走った目が、ガラス越しにこちらを覗き込んでくる。
「なんだあ、おい、そこのーー」
 サイドウインドウを開けて注意しようとした運転手の声が止まる。
 何をされたのかは分からない。運転手の腕がだらりと落ちていた。完全に意識を失っている。
 子どもはルーフパネルを無理矢理引き剥がし、こちらを見下ろしてきた。
「泉家の者以外は極力巻き込まぬようにするつもりだったが、状況が変わった」
「……何者だ、お前」
 子どもは答えない。憎悪に燃える眼差しのままで榊原たちに腕を伸ばしてくる。
「美緒、逃げろ!」
 言いながら榊原は懐に隠し持っていた護身用の魔銃を、子ども目がけて迷いなく撃ち放った。美緒もこういうことには多少慣れているのか、文句も言わずドアを開けて駆けだしていく。
 撃たれた子どもは直撃をまともに喰らって崩れ落ちた。
 だが、すぐにその影からまったく同じ姿形をした子どもがもう一人現れる。
「こちらの存在が知れた以上、次第に状況はそちらの有利な方向に傾いていくだろう。そうなる前に決着をつける必要がある。そのためにも貴様らを人質にさせてもらう」
「お、お義父さん!」
 美緒の悲鳴が聞こえた。視線をそちらに向けると、更にもう一人、同じ姿形をした子どもがいた。美緒はそいつに腕を捻り上げられている。
「事が済めば解放してやる。私は奴らのような外道ではない。標的は必ず殺すが、それ以外の者に手はかけん。今は手段を選んでいられないので多少強引な方法を取らせてもらうことになるがな……」
「随分お優しいことだ。だが話を聞いている限り、お前が絶対殺すと言っている標的の中にはうちの馬鹿どもが含まれているんだろう」
「然り」
「なら親代わりとして応じるわけにはいかんな」
 もう一丁の魔銃も取り出して、頭上にいた一人と美緒を押さえていた一人を同時に撃ち抜く。周囲にいた通行人が悲鳴を上げているようだったが、気にしている暇はない。
 車から出て美緒の様子を見る。腕は折られたりしているわけではなさそうだ。
「やったの?」
「いや、どうだろうな」
 言い終わらないうちに、撃ち抜かれた子どもたちと同じ姿形の子どもたちがわらわらと現れた。
「やっぱりか。零次から連絡のあった奴だ。特徴が完全に一致している」
「なんかどんどん増えるってやつ? ど、どうしよう……そんなのチートじゃん!」
「チート野郎は取り締まらないといけないが、さすがに打開策が思い浮かばんな」
 子どもたちの数は増えていく。榊原を警戒しているのか、積極的に近づいて来ようとはしない。ただ、少しずつこちらを取り囲みつつある。
「相手は異法人だろうから、走って逃げるというのもまず無理だな。やれやれだぜ。もう少しいろいろ持ってくれば良かったな」
「その銃って何か凄い力持ってたりとかしないの?」
「それを聞くか? ここで話したら奴にも聞かれちまうだろう」
 実際のところ、今手にしている魔銃にヴィリ・ヴェーのような特殊効果はない。ただ魔力を魔弾に変えて撃てるというただそれだけのものだ。強いて言えば弾速が他の魔銃より速いという点が特徴である。
 つまり、この状況は非常にまずい。
 ……やれやれ。相手がこっちを殺すつもりなら美緒だけ逃がす算段を付けるところだが、そうでもないしな。厄介厄介。
 完全にこちらを取り囲んだ子どもたちが、じわじわと距離を詰めてくる。
 さすがに打つ手なしか。
 榊原が歯噛みしたそのとき。
「――ケッ。ピンチのようだなあ?」
 声が、聴こえた。

 相手は何が起こったか咄嗟に理解できなかっただろう。
 頭上から急に降って来た巨漢が大きな音を立てて着地すると、そこから一気に大地震でも起きたかのような衝撃が周囲一帯に広がった。
 揺れに足を取られている隙に、別の男が取り囲まれていた二人を抱えて跳んだ。
 追いかける余裕もないまま、最初に落ちてきた巨漢が見た目に反する速さで次々と相手を打ち倒していく。
 あっという間の出来事だった。
 数秒した後、その場に立っているのは巨漢一人だけだった。

「刃さん!」
 美緒が自分たちを助けてくれた巨漢の名を呼んだ。
 呼ばれた男――矢崎刃は、周囲の敵をすべて一掃したことを確認してから榊原たちの方を見た。
「すまない。遅くなった」
「俺もいるぜ、忘れんなよ」
 榊原と美緒を適当なところに下ろしながら、細身の男が「ケッ」と文句を言う。
「ごめんごめん。えーと、赤城だっけ」
「赤根だ! 赤根甲子郎!」
 フンスと鼻を鳴らす赤根。彼らはかつて零次や亨と同じ組織――異法隊に属していた異法人である。刃は亨の実兄だった。
「零次から連絡を受けて早く合流しようとしたのですが、いろいろあって遅くなってしまいました。申し訳ありません」
 そこでもう一人、優しげな顔立ちの青年が姿を見せた。彼は藤村亮介。実際は異法人ではないのだが、いろいろあって異法隊に所属していた青年だ。
「いや、助かった。礼を言う。とは言え状況が落ち着いたとは言えんがな」
 藤村が運転手の様子を見ていた。呼吸はあるし脈も正常だという。どうやら気絶させらてているだけらしい。
「泉家以外の人間には極力手をかけない、か――」
「泉家というのは遥さんや冬塚さんの生家ですよね。となるとターゲットは彼女たちということになるんでしょうか」
「おそらくな。零次から連絡のあった話の通りなら、和解は難しいかもしれない」
 自分の妻を奪われて、結果妻子共々真っ当な人生を送れなくなってしまった。実際にその非道な仕打ちをしたのか遥たちの遠い先祖で彼女らに非はないのだが、それはあくまでこちらの理屈だ。自分がもし同じような目にあっていたとしたら、そんな理屈を受け入れられるかどうかは分からない。
 納得が伴わない理屈に理はないのだ。
「あれで終わりではないだろう。今は僕たちが来たことでどう動くか考えあぐねているんだろうな」
「ケッ、何度来ようと返り討ちにすりゃあ良いんだろうが」
「そうだ」
 赤根に対して刃が軽く頷く。
 三人は異法隊をまともな組織として再興するために各地を渡り歩いているという。以前の異法隊にいた頃はまとまりのない面子だったと零次たちは言っていたが、彼らも時間を経て変わりつつあるようだ。
「とりあえずこの場を離れよう。車か何かはあるか?」
「近くに俺たちが乗って来た車がある」
「大口径のライフル数発喰らってもびくともしない安心設計だ」
「そいつは良いな。今度から俺もそういう車を買うことにしよう」
 軽口を叩きながら、榊原たちは駆け足でその場から立ち去った。
 打ち倒された子どもたちの姿は、いつの間にか消えていた。

「そうか。引き続きよろしく頼む」
 零次はそう言って電話を切った。横で車を運転する涼子が視線を向けてくる。
「榊原さんと美緒は無事だ。刃たちが間に合ってくれた」
「そう」
 涼子は短く言葉を切りつつ、安堵の息を漏らした。涼子にとって美緒は一番の親友である。先程亨からの電話を受けて以降、ずっとそわそわしていたのだ。
「皆バラバラで動いていたが連絡も取れるようになってきたし、状況は少しずつ好転しつつある。だが油断はできないな。倉凪と郁奈が上手くやってくれれば良いが」
「先輩が心配よね。草薙樵と二人で魔術同盟のところに乗り込むって……」
 少し前、梢から連絡があった。携帯が壊れたので公衆電話から連絡しているとのことだった。
 詳しい経緯は不明だが、草薙樵の中にいた土門荒野が復活した。どうにか逃げ切ったが相手は泉家に連なる者を皆殺しにするつもりでいるらしい。
 その場を逃げ延びた梢は同じく逃げ延びてきた草薙樵と合流し、土門荒野を止めるために動くことを決めた。
 そのために必要なものがあるので、心当たりがあれば探して欲しい――。
「翼人風土記か……。どういうものなんだろうな」
「風土記はその土地の文化や歴史なんかをまとめた記録だから、多分名前の通りなら翼人のことについていろいろ書かれているんでしょうね。土門荒野……いえ、晃夜は翼人だから、もし弱点とかが載っているなら有効打になるかもしれない」
「元々は榊原さんに預けてあったのよね?」
「ああ。だが榊原さんに確認したら手元にはないと言っていたそうだ。蔵の中にあったのかもしれないが、あそこは先日襲撃を受けて大分ぐちゃぐちゃになっている」
「もしかすると襲撃者が奪っていったのかもしれないわね」
「……草薙樵……の偽物か。まあ、まず一夜の仕業だろうな」
 言っている間に榊原邸に到着した。まだ修復は進んでいない。
 涼子と二人で手分けして蔵を探してみたが、やはり翼人風土記なるものは見つからなかった。
「なんか部分的に埃がかかってないところがあるのよね……。最近何かのタイミングで誰かがここに入り込んだのは間違いないと思う」
「もし一夜が持っていったとするなら厄介だな。見つけるのは相当困難になる」
「でも、なんで一夜はここに風土記があることを知っていたのかしらね」
 涼子が疑問を口にする。言われてみれば、確かにその点は不自然だった。
 倉凪司郎が語るまで存在自体ほとんど知られていなかった翼人風土記とやらを、なぜ一夜が知っていたのか。
「……考えても結論は出そうにない。それより今は榊原さんたちとの合流を急ごう。刃たちが加勢してくれたとしても、一夜相手に『数』は意味を成さない」
 零次の言葉に、涼子は力強く頷いた。

 刃たちと合流してから丸一日。
 榊原たちはガソリン補給のとき以外一切足を止めずに車で走り続けた。
 今のところ追撃は喰らっていない。
「こうして走り続けるのも良いけどよ、この先どうすんだ? 逃げの一手か?」
「俺たちに関してはそうだ」
 赤根の疑問に刃が答えた。
「今、零次や倉凪梢たちが状況を好転させるために動いてる。僕たちは彼らを信じて待つ。逃げの一手ではあるけど、これも立派な戦いだ」
「ケッ、捕捉されなくても分かってるよ。だが逃げ続けるってのもなかなかしんどいもんだぞ。あいつらさっさとどうにかしてくれれば良いんだがな」
「大丈夫だよ、皆なら。赤崎さんだってそう思ってるんでしょ?」
「赤崎じゃねえし! 赤根だし!」
 緊迫した状態ではあるが、美緒のおかげか社内の空気はそこまで重くはなかった。傍から見ると無神経なように見えるが、これも美緒なりの気遣いなのだろう。
「……妙に霧が濃いな」
 街中を走っていたのだが、いつの間にか周囲は濃霧で覆われている。
「榊原さん、運転代わりましょうか?」
「いや、お前たちには何かあったときすぐ動ける状態でいてもらわないと困る。別に事故りそうだとかそういうわけじゃあない。ただ――何か嫌な予感が」
 言い終えるよりも先に、車が何かにぶつかって止まった。
 衝撃自体は軽いものだが、正面を見ても何も見えず、何にぶつかったのかが分からなかった。
 車内に一瞬妙な緊張感が漂った。
「なあオッサン。今のは……」
 赤根の言葉の途中で、がくんと大きな衝撃が走った。
 車が傾いている。正面にいる何かに持ち上げられているかのような傾き方だった。
「何かやばい! 全員外に出ろッ!」
 榊原の言葉と同時に全員が――美緒は刃が抱える形で――車外に飛び出す。
 直後、持ち上げられていた車は地に叩きつけられて、ぐしゃぐしゃに潰された。
「お、俺の車……! てめえ、どこのどいつだ!」
 赤根が怒りの声を張り上げる。
 それを黙って受け止めたのは、昨日の子ども――ではなかった。
 年の頃は美緒より少し下くらいの少女。
 彼女は無感動に自らスクラップにした車を眺めていたが、その視線をそのままこちらに向けてきた。
 ぞわりと怖気が走る。昨日の子どもに感じたものと同じだ。
「榊原さん、彼女は……」
 強張った表情を浮かべる藤村に榊原は「ああ」と頷いた。
「どうやら最悪の相手が来たようだ」