異法人の夜-Foreigners night-

-Walk Together-
Walk Together「Walk Alone(1)」
「土門荒野――」
 榊原がその名を口にすると、少女はぴくりと眉を動かした。
「私のことを知っているのですか」
「あらましはな」
 引き取った直後の梢と同じ目をしている。周囲のすべてを信じられなくなった、孤独な子どもの目だ。
「……一応聞くが、矛を収めるつもりはないか」
「愚問。収めるつもりならこの場に立ってはいません」
「それを承知で聞いてるんだよ。正直、こちらとしてはお前たちが手を引くなら戦う理由もないんだ。お前たちの怒りは無理もないと思うが、それは今の泉家の人間を殺す理由にはならないだろう」
「ならないでしょうね。私が貴方がたの立場だったとしても、ならないと考えるでしょう。ですが、私の立場ではそれが理由になります」
「他にやりようがないから、怒りの鎮め方が分からないから、無理を通しているだけなんじゃないか」
「そうですね。それは先刻承知です」
 土門荒野は――晃夜という少女は、榊原の吐く正論に動じなかった。
 こういう手合いの説得は難しい。
 彼女はこの復讐劇が八つ当たりだと理解したうえで動いている。
 最初から自分が間違っていると分かっているから、正論に屈することがない。
「交渉は決裂か」
 刃たちが榊原と美緒を庇うように前へ出た。
「……どいてください。私が父様に言われているのは後ろの二人の捕獲だけです」
「そういうわけにもいかない。僕らの仕事は二人の護衛なのでね」
「ってか、人様の車ぶっ壊しておいてそれはスルーかコラ、悪いことしたら謝れって教わらなかったのか、あ?」
 赤根が凄むと、晃夜は意外にも頭を下げた。
「申し訳ありません。邪魔でしたので破壊させていただきました」
「……」
 鼻白む赤根に、晃夜はさらに続けた。
「悪いことをすれば謝る。それは父様からきちんと教わりました。ですのでもう一つ、先に謝っておきます」
「これから貴方たちを殺します、か?」
 刃がぼそりと言った。晃夜は表情を変えることなく首肯する。
「邪魔ですので、殺します」
「ケッ、やれるもんならやってみろ!」
 言うや否や赤根が先行して自身の爪から爪弾を飛ばす。
 十発の爪弾は上下左右前後各方向から晃夜に迫った。当たればたやすく身体を切り裂く威力である。
 晃夜は避けなかった。
 すべてを受けて――そのまま弾き飛ばした。
 その隙を突いて刃が肉薄する。衝撃を増加させる異法を込めた拳による一撃が迫る。これはヒットしてしまえば衝撃を連鎖させることで身体の内側を破壊する、極めて強力な攻撃だった。
 さすがにこれは危険と感じたのか、晃夜は紙一重で回避した。回避した勢いで、そのまま刃の腹に一発撃ち込む。
 刃の身体が大きく震えた。だが、崩れ落ちるようなことはなかった。
「……衝撃吸収ですか」
 忌々しそうに呟く晃夜に、刃は左足の蹴りを放つ。
 刃相手に接近戦はまずいと見たのか、晃夜は大きく後方に飛び退いた。
「隆起せよ」
 それは詠唱なのか。
 晃夜がそれを口にすると同時に、刃の周囲の大地が一斉に隆起した。
 地面が突如無数の槍になって刃の元に殺到する。
 地槍が刃に直撃する寸前のところで、赤根の爪が刃の身体に巻きついて、大きく引っ張り上げた。
「ケッ、お前にしては反応が鈍かったな」
「すまん、腹の中をやられた」
 刃は腹部を押さえていた。口元からは僅かに血が垂れている。
「……おいおい、傍目には軽い一発に見えたぞ」
「多分刃が衝撃吸収したからそう見えたんだね。それでもその威力ってことは、赤根じゃ胴体引き千切られるかも」
「お前じゃ粉微塵だろうな」
 言っている間に、周囲一帯が大きく揺れ始めている。
「近づけば刃以上の近接戦闘能力、遠距離でもこの大地を操る能力か……」
「この大地を操るってのはアレじゃねえのか、草薙って奴の能力だろ。……もしかして乗り移ってた奴らの異法取りこんでるんじゃねえのか」
「ありえない話ではない」
 そうやって話しているうちに、周囲の大地が次々と隆起し続けて行く。囲むような形で壁が出来つつあった。こちらを逃がすまいと牢獄を作ろうとしているようだ。
 揺れが収まる。周囲は完全に土壁で囲まれていた。
「……どうやら囲まれた、というだけでもないらしい」
 榊原の視線はあるものを捉えていた。
 晃夜によって作り出された土壁の上に、小さな人影が見えた。周囲に無数の気配を感じる。
 ずらりと、こちらを見下ろすようにその人影は姿を見せた。
 一夜である。
 数十――下手をすれば数百はいる。
「……圧倒的不利ってやつか。ケッ」
「これで相手が慢心してくれるようなタイプならまだやりやすいんだけど……」
「そういう手合いではない」
 刃が断定した。
 確かに一夜も晃夜もその表情に油断の色は見えない。復讐という大望を成し遂げようとする意志の強さを感じる。その目は暗く淀んでいるが――ある意味では真っ直ぐだ。愚直と言うべきか。
「晃夜」
「はい」
「異法隊の三人は私が殺す。無関係故に手にかけるのは本意ではないが、邪魔立てする以上生かしておけるだけの余裕はない」
「分かりました。では私はその間に二人を確保します」
 淡々としたやり取りを聴きながら、榊原は藤村に耳打ちした。
「勝機は?」
「逃げるだけならどうにか……と言いたいところですが、正直分が悪いですね」
「最悪の場合お前たちは逃げろ。いくら頼まれているからってここで命を落とすことはない。逃げれば連中もお前らを追いはしないだろう」
「ケッ、その後あんたらが捕まったら同じだっての。あいつら絶対あんたら助けに行こうとするだろうしな、俺たち巻きこんで」
 赤根が毒づく。
 刃は何も言わなかったが、撤退するつもりがないことはなんとなく分かった。
 一夜たちが一斉に土壁から飛び降りて、じわじわと距離を詰めてくる。
 ふと、榊原は自分の腕に何かが巻きついているのに気付いた。薄ぼんやりとしているが、確かに何かがある。触れてみると、それはまるで植物の蔓のような感じがした。
 ……これは。
 ほぼ同じタイミングで刃たちも気付いたらしい。微かに表情が変わった。
 そして、その僅かな変化を正面にいた晃夜も感じ取ったらしい。
「――父様! 早くそいつらを!」
 言いながらこちらに向かって飛び込んでくる。
 だが、晃夜や一夜たちがこちらを捉えるよりも先に、蔓がこちらの身体を土壁の上まで引っ張り上げた。
「――草の創生(グラス・クリエイション)」
 こちらの身体を引っ張り上げた蔓は、思ったよりも丁寧に放してくれた。
 そこにいたのは――。
「草薙樵――倉凪梢!」
 忌々しげにこちらを見上げながら晃夜が吼える。
「また会ったな、土門荒野。ケリをつけに来たぜ」
 樵は正面から晃夜を睨み返す。それに対し梢はどこか静かな眼差しで晃夜を見つめていた。
「悪いな嬢ちゃん。この人たちは渡せない。遥たちを殺させるつもりもない」
 そして、視線を一夜に向ける。
「……倉凪梢か」
「ああ。あんたが一夜だな」
 しばらくの間、時間が止まったような気がした。
「……俺は、あんたのことを知っている気がするよ」
「そうだな、私もお前と初めて会った気がしない」
「手を引く気はないか?」
「ない。お前は、我々と共に来る気はないか」
「……ないな」
 それが、梢と一夜の会話のすべてだった。
「晃夜、私の支援をしろ! 人間二人以外を捕獲する余裕はない――全員ここで始末するッ!」
「久坂アッ!」
 一夜が晃夜に指示を出すのとほぼ同時に、梢が叫ぶ。
 その瞬間、一夜と晃夜の間に着地した零次が、手にした黒い剣で一夜を――その何人かを一刀両断した。
「久坂零次……! お前までもが来ていたのか……ッ!」
 斬られなかった一夜たちが憎々しげに突如現れた零次を睨みつける。
「散々追いまわされた礼はさせてもらおう。倉凪! 手筈通りだ!」
 零次の叫びが、戦いの始まりの合図となった。

 実のところ、勝算は特にない。
 昨日草薙樵と連れ立って日本魔術同盟の総本山とも言える飛鳥井本家に出向き、当主に直談判してどうにか味方につけることに成功した。そのとき飛鳥井家の魔術師たちが榊原たちの状況に変化があったと報告してきたのである。
 そこからは兎にも角にも駆けに駆けてどうにか来た。
 本当は飛鳥井家の魔術師たちも一緒に来てくれる約束だったのだが、異法人の全力疾走にはさすがに敵わなかったのか、まだ追いついていない。
 この場にいるのは、途中でどうにか合流できた零次たちと――。
「草薙、俺たちは晃夜を抑える」
「おう。今はお前の命令に従ってやる」
 全身に岩を身にまとい、岩人間といった格好になった樵が吼える。
「土門荒野とケリをつけるのは、俺の望むところでもあるからなァッ!」
 空中で全身を回転しながら拳を握り、晃夜に向かって叩きつける。
 晃夜はそれに対し真っ向から拳を撃ち返した。
 二人の拳がぶつかり合う。拳に込められた互いの魔力が凄まじい勢いで溢れ出した。
「どうした、てめぇの全力はそんなもんか、ああ!?」
「これしきで、私を止めたつもりになるな!」
 晃夜は不意に拳を引いて、身を反転させた。勢い余った樵は拳を滑らせてしまう。その隙を突いて、晃夜はがら空きになった樵の腹部を思い切り蹴り飛ばした。
 勢いよく吹き飛ばされた樵の身体は、土壁を突き抜けて霧の町の中に消えていく。
「どうした、倉凪梢。貴様は来ないのか!」
 晃夜が梢に視線を向ける。だが梢はそれに応じなかった。
「まだだ」
「なに……?」
 そのとき、周囲一帯が大きく揺れた。
 晃夜が作りだした土壁だけでなく、辺り一帯の地形が大きく歪んでいく。
「人の異法をパクって良い気になってるみてえだが、まだまだ甘いんだよ」
 煙の中から樵が姿を現した。全身を岩で覆っているからか、先程のダメージも思ったほど深くはなさそうだった。
「まだ生きていたか。確かに貴様のしぶとさは第一級だったな」
「そういうこった。俺様の中に何年もいたんだからその辺は良く分かってるだろ」
「ああ。だから分かる。貴様の実力も、分かっている」
 晃夜は片腕を真上に振り上げた。それに連動して大地から無数の土で出来た槍が跳び出てくる。
「貴様では、私に勝てない」
 上げた腕を振り下ろす。槍が一斉に樵に向かって放たれた。
「そいつはよ、俺一人だったら、ってことだろうがァッ!」
 樵は拳を地に叩きつける。その瞬間、樵と晃夜の周囲一帯の地面が吹き飛んだ。
 思わず腕で視界を守った晃夜の耳に、何か妙な異音が聞こえて来た。
 何かが飛来するような、風を切り裂くような音だ。
「まさか……!」
 音のする方に目を向ける。
 見えたのは、自分目がけて飛来する巨大な魔力と、それを放ったであろう一人の女の姿だ。その手には不思議な形状をした弓がある。
「古賀里夕観……!」
 夕観の放った高出力の魔の矢が、晃夜に直撃した。

 状況は概ね臨んだ通りの展開になっている。
 ここまでは良い。
 緊張で胃が痛くなるのを実感しながら、涼子は双眼鏡で戦いの状況を見張っていた。
 あまり時間がなかったので、具体的な勝利へのビジョンを描くことはできなかった。途中で梢たちと合流して戦力を把握し、急げや急げと駆けつけたのだ。これで勝利への道筋を描くのは諸葛亮にだって無理だろう。
 状況を見て涼子が零次や梢たちに出した指示はシンプルなものだった。
 一つは、一夜と晃夜を分断すること。まとめて相手をするのはどう考えても無理がある相手だ。
 もう一つは、速やかに榊原たちを安全圏に逃がすことだ。
 晃夜の相手は梢と草薙たちに任せることにした。晃夜が持っているであろう大地を操る異法に対抗しやすいメンバーである。
 一方一夜の相手は零次に任せることにした。異法隊のメンバーと連携するように言ってある。一夜の異常ともいえる能力は初見で相手をするのはリスクが高過ぎる。無現の記憶を引き継いだ零次でなければまともに戦えないだろう。
 樵が大暴れしてくれたおかげで分断は徐々に成功しつつある。一夜はこちらの狙いに気付いている節があるが、樵の暴れっぷりと零次たちの連携に押されて少しずつ晃夜と離れつつあった。
 だが、問題はここからだった。
 一夜は『可能性』の顕現という途方もない異法を持っている。言ってしまえば何度倒してもそれをなかったことにされてしまう恐れがあるのだ。
 涼子の目は自分の行動がもたらす結末を視ることができるが、一夜の能力相手では何も視えなくなってしまう。どうすれば良いのか、対策は思い浮かんでいない。
 晃夜はその異常とも言える身体能力に加え、草薙樵の異法を扱うことができる。加えて、これは涼子の推測になるが――彼女は、式泉運命の異法も使える可能性がある。草薙樵の異法を使用している以上、その前の宿主の異法だって使えてもおかしくはない。 これ以上ない難敵だ。加えて相手は泉家への復讐心が原動力になっている。そういう相手は妥協してくれないし、本来の実力を上回る力を発揮することもあるだろう。
 それでも考えねばならない。この戦いを勝利に導くための道筋を。
「――成程。やはりいたな、冬塚涼子」
 声が聞こえたのは、そう思った矢先のことだった。
「……そのうち来るとは思っていたけど、思った以上に早かったわね」
 涼子がいたのは町にあった一軒家の屋上だった。その隣の家屋の屋上に、一夜が姿を見せている。
「でもわざわざ声をかけるなんて愚策じゃないかしら。問答無用で始末すれば良かったのに」
「確認したいことがある。それが済んだら始末する」
 言っている間に、一夜の数は増えていく。あっという間に囲まれてしまった。
「確認したいこと?」
「今我々がいる、我々にとっての軸とも言うべきこの世界は何かがおかしい」
 突然の話に、涼子はしばし理解が遅れそうになった。
「何かが、っていうのは? 他の世界では大抵起きていることがここの世界でだけ起きていないとか?」
「……倉凪梢と草薙樵はまず間違いなく死ぬ。我が娘である晃夜がああいう形で復活するということもなかった。そもそもの話、私がこうして表舞台に出てくること自体がおかしなことなのだ」
 一夜は疑念のこもった眼差しを涼子に向ける。
「この世界でだけ、様々なことが違っている。古賀里白夜の名を使って魔術同盟を動かすところが私の計画の本来の起点だったのだが……何者かが私より更に早く動いた。それも私が出そうとしていたものとまったく同じ内容の文面で同盟に連絡を入れていたのだ」
「……」
 それが何を意味するのかまだよくは分からない。一つ言えるのは、一夜すら知らない何者かの介入があった、ということだけだ。
「その後ある筋から『翼人風土記』に関する情報を得てそれを手に入れた。半信半疑だったが、いざ手に入れて中身を見て、私は戦慄したよ。翼人風土記は本来翼人の生態や風習、文化をまとめただけのものだが……そこに何者かが追記していたのだ。私が起こそうとしていた計画のことを。本来この世界が辿っていたであろう我々のこの一件の粗筋がすべて書かれていた」
「……だとすると、別の世界の何者かが書いたのかしらね。あるいは未来が見通せる誰かが書いたのかも」
「少なくとも、この世界が本来辿ろうとしていた運命から逸れているのは確かだ。そしてそれは何者かの意図によるものとしか思えない」
 ここまで話して、ようやく涼子は一夜の確認したいことが何なのか理解した。
「成程。貴方はそれが私ではないかと疑っているわけね」
「貴様は未来が視える。翼人風土記が保管されていた榊原家へも頻繁に出入りしていたという。条件に合致していると言えなくもない」
「そうね。で、もし私が風土記に追記したのだとしたら、どうするつもり?」
「予定通り始末するだけだ。問題はむしろ貴様ではなかった場合だな……」
 当然そんな覚えはない。
 追記したのは涼子以外の何者かだ。
 誰がどんな意図でそんなことをしたのかは分からない。魔術同盟に連絡を入れたのと同一人物かどうかも分からない。
 だから、どう答えるか少し迷った。
 その迷いが顔に出てしまっていたのだろう。
「……成程。どうやら貴様ではないようだな。今、状況を整理しながらどう答えるのが得策か考えていただろう」
「……さあてね」
「いや、もういい。貴様ではないと判断して貴様を始末する。この一件の犯人探しはその後だ」
 一夜は既に涼子から興味を失ったらしい。眼差しから疑念の色が消えて、純粋な殺意だけが残った。
「さらばだ泉家の末子よ。残りの輩もすぐに送ってやる」
 無数の一夜たちが一糸乱れぬ動きですらりとナイフを引き抜いた。
 涼子も異法人としての力を得ているので普通の人間より身体能力は向上しているが、ろくに戦闘経験がないというのは変わらない。一夜相手に戦って勝てる見込みは薄かった。
 零次たちは遠い。助けを呼んだとしても間に合わないだろう。
 一夜たちが一斉にナイフを構えてこちらに突っ込んでくる。思わず緊張で胃が縮んだような気がした。
 だが。
「――御免」
 その一言で、無数の一夜たちが一斉に斬り捨てられる。
 斬ったのは涼子ではなかった。
 この場にいた一夜たちが、自分たちがやられたことにすら気付かないで消滅した。一人残らず、ほぼ一瞬で。
「これ以上は待たない方が良いと判断し、斬り捨てました」
「ありがとう。最高のタイミングだったわ」
 側で刀を納める上泉陰綱に礼を言って、涼子は再び戦場に目を向ける。
「先程一夜たちが言っていたことが気にかかりますな」
「……そうね。でも今はまず戦況を変えることを考えないと。引き続き護衛お願いします、陰綱さん」
「御意」
 戦いは一進一退の状況だ。
 涼子は司令塔として、勝利を引き寄せる術を見つけなければならない。