異法人の夜-Foreigners night-

-Walk Together-
Walk Together「Walk Alone(4)」
 零次たちと一夜の戦いが始まってから三十分程が経過した。
 戦いにおける三十分は長い。生死をかけた緊張状態がそれほど続くというのは他人が思っている以上の心労を伴う。
 決め手に欠ける戦いだった。
 一夜を殺し尽くすことは困難だし、一夜の方も元々の戦闘能力に差があるためかこちらを仕留めきれずにいる。互いに体力も消耗しつつあるこの状況下、普通ならより体力のありそうな零次たちが有利にも思えるが、そうとも言い切れない。
 ……まずいな。
 零次は自分たちと相対する一夜たちの目を見て危惧を抱いた。
 身体は疲労しているのだろうが、その眼光は未だ鋭く殺気に衰えがない。
 この手合いは精神が肉体を凌駕している。身体が文字通り壊れない限り向こうは全力でこちらに臨んでくるだろう。その精神の強靭さは体力差を覆しかねない。
 油断もなければ温情もない。復讐を遂げるためだけに先鋭化された意識がこちらの肌に突き刺さってくるようだ。
 強大な力でこちらを圧倒してきたザッハークとは真逆の性質と言える。
「……決着をつけるために後一手、何かが必要だ」
 言いながら、一夜は己の右手を顔に押し当てた。
「何がその一手になるかこの五分間で必死に考えた。だが今こちらが持っている手札の中に切れそうなものは一つもない。……故に新たな札を引かせてもらうことにした」
「新たな札だと?」
「これは賭けだ。この一手によって何が起きるのかは私自身にも分からん。だがこちらは前に進むしかないッ! 迷ったり躊躇ったりすることなどできぬ状況なのだッ!」
 吼える一夜の右腕が独立した生き物のように蠢いた。
 その動きには見覚えがある。以前魔術師の結界に囚われた一夜が新たな自分の可能性を呼び出す際に見せた動きにそっくりだった。
「赤根!」
 零次が叫ぶと同時に、赤根の爪弾が一夜に向けて放たれた。同時に零次も黒剣を大きく振り上げる。
 しかし、爪弾が辿り着く前に、そして零次が剣を振り下ろすよりも早く、一夜の姿はそこから掻き消えてしまった。まるで、最初からいなかったかのように。
 周囲にいた無数の一夜たちも一斉に姿を消してしまった。辺り一面に充ち満ちていた殺意もなくなってしまった。
「……何が来る?」
 刃が短く警戒の言葉を口にする。
 互いが互いの死角をカバーするよう陣取り、警戒態勢を取った。
 異変に気づいたのは、零次だった。
 視界の中には赤根と亨がいる。二人の間の空間が、突如陽炎のように揺れ動いた。かと思いきや、その陽炎は形となって赤根の喉元に向かって延びていく。
 ――赤根。
 そう口にしようとしたが、身体が動かない。よく見ると赤根も亨も微動だにしていなかった。何もかもが静止した世界の中で、正体のよく分からない何かだけがゆらゆらと動き、赤根の喉元に近づいていく。
 その結果何が起こるのか、なぜか零次には理解できていた。予測できたのではなく、必ずそうなるということが分かっていた。
「赤根ッ!」
 ようやく声が出た。
 しかしそのとき、既に赤根の喉は小さなナイフによって大きく切り裂かれていた。
「……な、なっ?」
 赤根自身は何が起きたのかまったく理解できなかったらしい。
 ただ、自分が何か致命的なダメージを受けたということは察したようだった。
 赤根の喉元に入り込み、首を切り裂いたのは一夜だった。あの陽炎のような何かは一夜だったのだ。
「――このッ!」
 即座に亨が一夜目がけて鋼鉄の槍を叩きつけた。だがその攻撃が届く前に、またしても世界が静止し、一夜が陽炎のようになって二人から離れていった。
「……っ」
 何もない空間に槍を叩きつける格好になった亨は、すぐに周囲に視線を巡らせ、離れたところに立つ一夜を見つけた。
「刃、見えたか」
「……何のことか分からん。分からん以上、おそらく見えていない」
 背中を預けていた刃には、あの静止した世界と陽炎のようになった一夜は見えていないようだった。おそらく赤根や亨にも見えていないのだろう。
 一夜は、顔に押し当てていた右手をゆっくりと放した。どこか放心しているようにも見える。
「赤根の傷は、そこまで深くはないです」
 一夜を警戒しつつ倒れた赤根を診た亨は、戸惑いながらもそう報告した。
「貴様らは泉家の者ではない。故に、殺さずに済むのであれば命までは取らない」
 一夜はにこりともせず冷たい表情で言った。
「一夜。今のはなんだ。俺にはまるでお前が時間を止めたように見えた。……だがお前の異法の性質からすると、それはおかしい。まったく別の能力ということになる」
 一夜の異法はあくまで可能性を呼び寄せるものだったはずだ。それが本質ではないにしても、時間操作はまったく別ものになる。
「……見えたのか。貴様の中には様々な可能性――平行世界を渡り歩いた無現がいるのだったか。だから見えたのかもしれんな」
 一夜は左手に構えていたナイフをしまうと、再び右手を顔に押し当てた。
「あえて答えよう。あえて今私が何をしたのか明かしてやろう。私の力はこの手で可能性を招き寄せること。だがそれだけでは貴様らを倒しきることはできない。戦いながらこの力を使っても分身を増やせるという程度の効果しか見込めないからだ」
 それでも十分な脅威ではあったが、零次たちのような練度の高い集団相手だと、やられないにしても決め手には欠ける。これという必殺の一手がないからだ。
「だから私は自分自身を招き寄せた。私が普段呼び出している無数の可能性が存在する場所――私が『可能性の海』と呼ぶ場所に。そこには様々な可能性がある。そこに入ってしまえば、どうやら様々な可能性へと自ら行くことができるらしい」
「……ふざけたことを。それなら貴様は、あらゆる可能性を自ら実現することができるようになったというのか」
「そういうことになる。『可能性の海』に入れるのは私だけだ。誰に邪魔されることもない。私は望む結果を探し出して、そこまで行くだけで良い。そこから外に出れば、求めていた結果が待っている」
 今までは必要とする可能性を探して自ら招くだけだったのが、自ら望む可能性を探し出して結果に到達できるようになった、ということだ。
 招く場合はどうしても今の自分自身を起点にせざるを得ないから、周囲に邪魔されることもあり得る。起点となる自分から遠い可能性は招くのも時間がかかるから、戦いながら理想の可能性を招き寄せるのは不可能に近い。
 一夜は、その問題をすべて解消してしまったのだ。
 零次には『可能性の海』の中を動く一夜の姿は見えても手だしはできない。『可能性の海』の中にいる一夜は絶対者だ。誰にも邪魔されることなく望む結果を選びとることができる。
「実のところ私にとってこれは賭けだった。『可能性の海』に自ら入って無事で済むという保証はなかったからな。こうして本来の世界に戻って来られるかどうかも分からなかった。――だが、できた」
 何かを確かめるような言い方に、零次の背筋がぞわりと震えた。
「刃、亨! 即行で片を――」
「遅い!」
 零次の言葉を遮り、一夜が叫ぶ。それと同時に再び『可能性の海』が現れた。
 一夜の姿がぼやけ、零次の身体が動かなくなる。
 だが、零次の予想に反して一夜はこちらには向かって来なかった。まるで逃げるかのように遠ざかっていく。
 一夜が見えなくなると、零次の身体が動くようになった。
「……消えた?」
「零次。見えたのか?」
「あ、ああ。だが遠ざかって見えなくなった」
「なんででしょう……」
「――」
 亨と同じ疑問は零次の中にもあった。あんな力を持っているならこの場にいる全員を始末することもできただろうに。
 そこまで思って、先程の一夜の言葉が脳裏によみがえった。
 ……貴様らは泉家の者ではない。故に、殺さずに済むのであれば命までは取らない。
 嫌な予感がした。
「涼子」
『状況は把握してるわ。なに?』
「今すぐ逃げろ、できるだけ遠くに」
『……ああ、そういうこと』
 説明するまでもなく涼子はこちらの言いたいことを察したのだろう。
 一夜は己が望む可能性に直接到達する力を得た。
 ならば、そもそも零次たちなど倒す必要はないのだ。
 一夜は、直接涼子を始末しに向かったのだ。

 逃げろと言われたことで状況は理解できたが、さりとて素直に逃げるわけにもいかない。涼子はこの状況の司令塔なのだ。この戦いを完全に放棄して逃走することはできない。
「陰綱さん。少し場所を移しましょう」
「承知」
 周囲を見渡し、他に見晴らしの良さそうな場所を探す。
 先程までは定期的に一夜たちの襲撃があったが、今は静かなものだった。
「あっちのビルの屋上にしましょう」
 陰綱の方を振り返る。
 どくん、と心臓が跳ね上がった。
 眼前には鋭い銀色の刃。眼球に触れるかどうかという距離に、それが迫っていた。
 冷たい感触が――した。
「ぬんっ!」
 大地が揺れ動く程の気合の声がしたかと思うと、眼前の刃が大きく弾かれた。
 次いで何かに抱えられるような感覚と、大きく身体が浮いたような感覚。
 景色が二転三転して脳がついていけない。
 ただ、自分が何か危機的状況にあって、辛くも陰綱に助けられているのだということは理解出来た。
「失礼しました」
 その言葉とともに陰綱から降ろされる。
 少し離れたところには、手首を抑える一夜の姿があった。
 過程に干渉せず、結果だけを掴みとる。零次たちとの通信を通じて把握していたが、こうして直面すると恐ろしい力だった。
「……ふん。『可能性の海』で選んだ結果が現実に反映されるまでの間に割り込むか。さすがは剣聖とうたわれているだけのことはある」
 憎々しげにに吐き捨てる一夜の口元からは、一筋の血が流れ出ていた。よく見ると右手で覆っている顔のところどころが変色しているようにも見える。
「見たところそのやり方は大分無理があるようだな。これは推測だが、そのやり方、あと数回やるのが限界というところであろう」
 陰綱の指摘を一夜は否定しなかった。おそらくその通りなのだろう。
「……あと四人」
「なに?」
「あと四人だ。我が復讐の対象である泉家は、上泉陰綱、式泉涼子、式泉遥、そして霧島郁奈。それくらいならば――殺しきれる」
 言い終わるな否や、一夜の姿がふっと掻き消える。
 ……まずい。
 涼子は急ぎ未来視の力を使おうとした。可能性に介入する一夜の力を前にどれだけ有効かは分からないが、何もせず待っているというのは悪手でしかない。
 だが、涼子の力が発動するよりも、一夜の兇刃が涼子の胸元に吸い込まれる方が早かった。
「涼子様――!」
 陰綱の刀が一夜の手にしていた凶器を弾き飛ばす。
 だが、そのとき涼子は聞いた。
「――待っていたぞ」
 次の瞬間、一夜の姿は陰綱の背後にあった。
 ずぶりと、陰綱の心臓部にナイフが突き立てられる。
「が……っ!」
「貴様は単純な強さなら私はおろか久坂零次たちよりも遥かに上だ。真っ当なやり方では殺せん。……だが、貴様の目的は戦うことではなく守ることだ。そこに付け入る隙があった」
 言いながら、一夜は更に陰綱の喉元を大きなナイフで切り裂いた。とどめと言わんばかりに、体勢を崩した陰綱の身体を蹴り落とす。
 ビルの屋上から、陰綱の身体が遥か下へと落ちていった。
 助けに行くような余裕などなかった。
「次はお前だ、式泉涼子」
 一夜は袖から大量のナイフを取り出した。
「私も余裕がない……貴様は普通に殺すとしよう。大人しくしていれば、苦しまぬよう一撃で終わらせてやる」
「……生憎、往生際悪いのが私の特徴なのよ」
「ならば苦しんで死ぬことになるだけだ」
 一夜が右手を顔から離し、そちらの手でも数本のナイフを手に取った。
 露わになった顔は変色していなかった。ところどころが、欠けていた。
 右半分は空洞になっている。真っ暗闇に覆われている。あそこには何もない。
 よく見ると顔以外の部位もあちこちが同じようになっている。
「あなた、その顔……」
「『可能性の海』に置き忘れて来たらしい。あそこは本来、この身で入るべき場所ではないのだろう」
 だが、と一夜は頭を振った。
「構わぬ。我が身は復讐に捧げている。私に将来(さき)などない。この身が朽ち果てようと、最後まで成し遂げられればそれで良い」
 一夜は話しながらもこちらに迫ってくる。
「死んでもらうぞ――式泉ッ!」
「ふざけるなァッ!」
 轟音と共に飛来した何かが、一夜の身体に正面からぶつかった。
 零次だ。
「零次!」
 零次はちらりとこちらを見て頷くと、そのまま一夜の身体を押し出すようにして上空へと飛び立っていった。

「久坂ァァ零次イイイイィィィッ!」
 後一歩というところで邪魔をされた怒りを露わに、一夜が吼えた。
「空中戦だ、一夜! ここなら貴様が辿り着ける可能性とやらにも限りがあろう!」
 ここで『可能性の海』に飛び込んだとしても、せいぜいあり得る可能性は零次を殺して落下するか、零次を殺さずに落下するかしかないだろう。
 招き寄せる方の力に関しては、呼び出す隙を与えなければ良い。零次は体当たりするなり、一夜の右腕を掴んで捻り上げていた。
 飛行能力のない一夜にとって、これは相当まずい状況のはずだ。
「限りがあるなら迷わずに済む! 貴様を殺してこのまま落ちれば良い……! 私自身無事では済まないだろうが、そのときは無事な可能性を招き寄せるだけだ!」
 一夜の目を見て零次は逡巡した。一夜のことだ、やると言ったからにはやる。
 ……ここでの相討ちは意味がない!
 零次は決断すると、押さえこんでいた一夜の身体を蹴り飛ばすことで引き離した。
「そうだ、それでいい!」
 そう言うと、一夜は再びその姿を消した。『可能性の海』へと潜ったのだ。
 零次の身体が空中で静止する。ゆらゆらと陽炎のようになった一夜が、まるで時間を巻き戻すかのようにこちらへと迫ってくる。
 蹴り飛ばされなかった可能性に向かっているのだ。
 やがて零次の前にやって来た一夜は、零次本人ではなくその手に握られている黒の剣に向かって手を伸ばした。
「……貴様本人はともかくとして、この黒い剣は厄介だ。おそらくこの剣の元になったあの男――無現の力で、こうして貴様は今私を認識しているのだろう」
 一夜の両手が剣に添えられる。
 ……まずい。
 一夜の狙いは明白だった。しかし今の零次にそれを止める術はない。
 ぼやけていた一夜の姿が少しずつ定まっていく。
「――これは、邪魔だ」
 一夜が剣を挟み込むようにして拳を打ちつける。
 零次の身体の自由が効くようになるのと同時に、剣に亀裂が走った。亀裂から黒い霧のようなものが出ていく。霧はこの剣の中に充満していた力の源。かつては悪魔と恐れた――無現という男の存在そのものだ。
 それが剣から漏れていく。亀裂が広がっていく。
「くっ……このままでは……!」
 零次の飛行能力――風を操る力の源も元を質せば無現の力だ。それが霧散してしまえば、後は零次もここから落ちるしかない。
 力の回収には時間がかかる。飛行能力が戻るよりも、落下して地面に衝突する方が早いかもしれない。
「なるほど、この剣は貴様の飛行能力にも関与していると見た」
 零次の焦りと風の勢いの変化を見て、一夜は即座に状況を見抜いたらしい。
 拳を固めて、更に剣を集中的に攻撃してきた。
 零次も抵抗するが、己が身を省みない一夜はどれだけ抵抗されても攻撃の手を緩めない。
「落ちろ落ちろ落ちろ――久坂零次ィッ!」
 怨嗟の声と共に放たれた一撃が、零次の黒剣を粉々に打ち砕いた。