異法人の夜-Foreigners night-

-Walk Together-
Walk Together「Old people leaving」
 その男は、疑問を持たずに生きていた。
 物心がつく頃には、自分が他の人間と違うことに気づいていた。
 人はその人生を己のために使う。だが自分は違う。自分の中に己はない。代わりに別の者がいる。それは違和感なく受け入れられた。最初からそうだったのだから、違和感も何もない。
 ただ、己というものはなんだろうという疑問はあった。一度も感じたことのないモノだから、想像のしようもなかった。
 男は長ずるにつれて一人になろうとした。その方が自分の抱えている目的を達するために動きやすくなるからだ。それに、周囲の環境に嫌悪感を抱いてもいた。
 男が生を受けたのは、国内でも有数の魔術師の家柄だった。
 魔術は嫌いだった。魔術師という輩はもっと嫌いだった。自分が今の自分になる前に受けた仕打ちを考えると、この嫌悪感を拭い去ることはできそうにない。
 だから距離を置き、一人になった。
 故郷を離れ、一人流離い続けた。
 そこで、探し求めていた者を見つけた。
 かつての自分が愛した女。そして、その女との間に設けた愛しき子。
 ただ、女は既に新しい家庭を築いていた。我が子は魂だけがかろうじて残っているような状態で、女の新しい伴侶の中に潜んでいる状態だった。
 そんな二人を取り囲んでいるのは、男にとって忌むべき復讐の対象である泉家の者たちだ。
 ……なんとも、面妖な。
 久々に――あるいは初めて見た最愛の家族たちの在り様に男はいささか戸惑った。
 だが、すぐに考えを切り替えた。
 ……二人が幸せであれば、それで良い。
 己の中に燻ぶる復讐心は未だ絶えていなかった。だが、愛した家族たちを踏みにじってまで成し遂げたいとは思わない。そもそも復讐の発端は、家族を奪われたことにあるのだ。その家族が嘆く結末など望むところではない。
 ただ、女の新しい伴侶が彼女を託すに足る人物なのかは見極めておきたかった。振り返ってみると、それは女への未練から生じた思いだったのかもしれないが、男はあるとき女の不在を見計らって、その新しい伴侶――式泉運命の元を訪れた。
「やあ、今日の客人はあなたかな。誰か来る気はしていたんだ。ああ、お茶でもいるかな?」
 突然現れた男に対し、運命は気さくな態度で接してきた。
 運命は予め己の異法で今日誰かが自分の元を訪れるということを察していたらしい。ただ、そんなことを知らない男は運命の態度に内心戸惑うばかりだった。
 話してみると、運命はなかなか面白い男だった。
 魔術の世界に鬱屈とした感情を抱いていること。そして彼女に惚れぬいていること。その二点はまるでかつての自分のようだと感じた。
 反面、かつての自分とは決定的に違うことがあった。運命の元には、不思議と人が集まる。
 魔術の世界を苦手とする割には村の人間から一目置かれているし、どうも翼人の友人もいるらしい。運命と友人たちの話はどれも興味深かった。
「良かったらあなたの話も聞かせてくれないか。ええと、今更だけど名前教えてもらっても?」
「……ボン・ヴォヤージュ」
 咄嗟に出てきた偽名に意味はない。適当につけたものだが、運命は感心したように頷いた。
「良い旅を――か。いいね。旅はいい。ボンさん、と呼ばせてもらっても?」
「別に構わない」
 それから、自分の身元がばれない程度にいくつかのエピソードを語った。
 運命はそのどれに対しても面白いリアクションをしてくれた。
 一通り語り終える頃には、男も運命なら大丈夫だという感触を得ていた。運命ならば彼女を幸せにしてくれるに違いない。唯一不安なのは運命の中にいる我が子――晃夜の存在だが――。
「また来てくれ」
 去り際に運命はそう言った。何のために訪れたのかも分からない怪しげな男に、親しみを込めた声で。
 そのときからだ。
 男の中に『己』ができたのは。
 それが偽りの名前だったとしても、その名で呼んでくれる友人ができて、それが嫌ではなかった。
 それだけの、ちっぽけなその場だけのものだったとしても。
 男の中ではとても大きな変化だった。

「なにやってんだ、爺ィッ!」
 草薙樵の絶叫が響き渡る。
 遠目に未了と晃夜を見守っていた者たちの視界に突然現れた第三者――それは古賀里白夜だった。
 母娘を小刀で一突きして切り払った老人は、その眼差しを樵に向ける。
「……見ての通りだ。何か疑問が?」
「疑問もクソもねえ! 話がまとまりそうだったところにいきなり現れて、何のつもりだコラァッ!」
「まとまる? そうか、貴様らにはそう見えているのか」
 白夜は倒れている晃夜を見下ろした。まだ息はあるようだった。
「であれば貴様らは随分とお人好しだ。晃夜が――我が娘が復讐をやめればそれで終わりであると。本気でそう思っているのか。草薙樵。倉凪梢。泉家の者ども」
 白夜はよく通る声で吠える。
「晃夜は復讐する側……それだけか? ここにいるのは多くの者を死に追いやった者であろう! 晃夜、一夜は復讐する者――そして同時に復讐される者でもある!」
 古賀里白夜の言葉に、樵は言葉を失った。樵の家族は土門荒野の力で暴走した運命によって殺されている。それは事実だ。恨みがないとは言えない。
 梢も遥も、その場にいた他の者たちも言葉を差し挟めずにいた。白夜の言葉には、とても強い怒りが含まれていたからだ。
「この話は――千年以上続くこの話は、もはや良き結末を迎えようのないところに来ている。終わり方は明白だ。晃夜と一夜は消え去る。それ以外にない」
 刀をもう一度振り上げる。晃夜に完全なとどめをさすためだ。
 そんな白夜の前に立ちはだかる人影が一つ。
 未了だ。
 彼女は突き刺された胸を押さえながら、晃夜を庇うかのように白夜の前に立った。
「……どけ。わしの中の一夜も、そしてわしも、そなたにこれ以上の危害を加えたいとは考えておらぬ」
「どくわけ、ないでしょう。……我が子が殺されようととしているのに、助けない母親はいません」
 いかに不変の特性を持っているとはいえ、すぐに傷が修復されるわけではない。立っているのも辛い状態のはずだ。それでも未了は真っ直ぐに立ち、白夜を睨み返した。
「私は……あなたの、あなたたちのことを知らなかったとは言え、ある意味では裏切ったようなもの。本来私からあなたに言えることなんてないのかもしれない……。でも、それでもこの子は死なせない……絶対、死なせない!」
 気迫のこもった言葉が、白夜には心地よかった。
「――そなたは変わらぬな。嗚呼……今も昔も。そんなそなただからこそ一夜は惚れぬいたのであろうよ。裏切り? 千年前に死んだ筈の男に対して気に病むことなどない。そなたは今も昔も、良き女子である」
 言いながら、白夜は刀を未了に突きつけた。
「だが、だからこそ、どかぬというなら斬り捨てねばならぬ。晃夜と一夜を残しておけばそなたの愛する他の子らの幸せの妨げになろう。晃夜自身の復讐心が絶えたとしても――晃夜を取り巻く環境は決して良いものではない。そなたも、泉家の生き残りどもも巻き込まれるは必定」
 未了は答えられなかった。
 先程の口上で既に限界だったのだ。もう立っているだけで精一杯の状況だ。
 白夜としてもぐずぐずしていられなかった。周囲にいた者たちがこちらに駆け寄ってくる。早急に片をつけなければならない。
 意を決して白夜が刀を振り下ろそうとしたとき、未了の身体が真横に倒れた。否、倒された。
 彼女の後ろにいた晃夜が、未了を押しのけて白夜の前に立ったのだ。
「……邪魔です。どいててください、"母様"」
 突き飛ばされた未了は何か言いたげな顔を浮かべて身体を起こそうとする。だが、力が入らないのか起き上がれそうになかった。
「……あっちの父様はあなたのことを裏切り者だと言っていましたが、あなたもやっぱり父様ですね。父様は優しいばかりではなかった。厳しいときは厳しかった。あなたは厳しいときの父様だ」
「そうか。やはりわしは一夜であったか」
 白夜は喜んでいるのか皮肉を感じているのか、どちらとも取れるような笑みを浮かべた。
「復讐は否定しない。千年以上の長きにわたり抱き続けてきたその想いは――正しいか間違いかなどというもので括れるものではない。だが、復讐というのはすべからく罪を負うことになる。それが正しかろうと間違いであろうと――復讐者は罪人であり、罪人である以上裁きを受けねばならぬ」
「分かっています。そんなことは」
 晃夜の身体が、淡く光る。
 間近に来ていた梢や遥、樵たちが思わず足を止めた。
 晃夜を覆う光は――青白い炎だった。
「あなたが手を下すまでもないんです、もう一人の父様。私はここに来る前に一人の異法人に会いました。罪と罰を司る彼に、私はもう頼んでいたのです。『そのときがきたら、私に相応しい罰を』と」
 青い炎に包まれながら、晃夜は穏やかな表情で言った。
「復讐だけが意地汚く生き残り続ける理由でした。自分がやってはいけないことをやっているという自覚はあったけれど……それでも成さねばならぬこともあると、歩みを続けてきました。だからこそ、復讐が終わったときどうすべきかを考えると、昔迷子になってしまったときのような心細さを覚えたのです」
「そうして得た答えが、自害するというものなのか」
「どうか否定しないでください、父様。自害も決して良き行いでないことは分かっています。父様や母様を傷つける行為であることも承知しています。けど、私はこうすべきだと思ったのです。間違っているかもしれないけれど――私が考えて辿り着いた答えなのです。だから、どうか否定しないでください」
「……わしはボン・ヴォヤージュであり、古賀里白夜であり、そして一夜である。わしの中の一夜は、そなたの振る舞いを否定はせぬ」
「それで、十分です」
「だが」
 白夜は刀を捨てて、炎に包まれた晃夜を抱きしめた。
「一人では行かせぬ。わしの中のボン・ヴォヤージュは過去の怨霊ともに死ねという。わしの中の一夜は我が子一人寂しい黄泉路は歩ませぬという。……悪いが共に逝かせてもらうぞ」
「……そうですか。正直なところ、少し安堵しています。父様や母様には生きて幸せになって欲しいと思う反面、一人は寂しいとも思っていたので」
 晃夜を覆っていた炎が白夜にも燃え移っていく。
 二人の身体が青白き炎に包まれるのを、周囲の者たちは見ていることしかできなかった。

「……爺。てめえ、なんなんだよ。最初から最後まで好き勝手にしやがって」
 樵が絞り出すように言葉を吐く。
 それに対し、白夜は穏やかな表情を向けた。
「こちらとて生まれたときから不自由であったのだ。たまに好き勝手するくらい許すが良い。貴様とてこれからは自由だ。思う存分、自由に生きてみるがよかろう」
 次いで、樵の側にいた夕観とフィストに視線を向ける。
「わしは魔術師が嫌いだ。古賀里の連中も皆吐き気がするくらい嫌いであった。生き残りも皆死んでしまえと思い、過酷な試練を与え続けた。……それでもそなたらは生き抜いたな。そして、珍しいくらい真っ直ぐに成長した。せいぜい、そのまま馬鹿正直に生き抜いてみよ」
「言われなくても」
「そのつもりだ」
 夕観とフィストは樵の肩を掴みながら言った。三人の力強い眼差しを見て、白夜の中にあった心残りがなくなっていく。
「この後この件についてお前たちはいろいろと飛鳥井あたりの詮議を受けるであろう。そのときは、すべてわしがやったことで自分たちは知らぬと言えば良い。事実そうなのだからな。面倒をかけるが、よろしく頼む」
 白夜は天を仰ぎ見る。
「本来ならば――わしは大伴の方のにやられて早々に退散する運命だったらしい。何も為せぬまま、ただ死んでいくだけだった。だが今回は違った。思うような結果になったのかはわし自身分からぬが、まあ、悔いはない」
 そこまで言いきって――古賀里白夜は炎の中に消えていった。

 業火に焼かれながら、晃夜は眼前に立ち尽くす梢と遥を見やった。
「お前たちは強かったな。その分ならこれからもしぶとく生きていけるだろう。さっきまで殺そうとしていた身でこう言うのも奇妙だが――これからもしぶとく生きていってくれ」
「……そんなこと言うくらいならお前も生きろ、というのは、駄目なんだろうな」
 苦々しい表情で梢が言った。
「私の分はお前が生きろ、倉凪梢。復讐を捨てて新たな人生を選んだもう一人の私。ただ私の罪をお前が背負うことはない。これは私のものだ。私が地獄まで持っていく」
「――ああ、分かった。それはお前のものだ。お前が生きた証だ。お前が持っていけ、最後まで貫き通したもう一人の俺よ」
 今の晃夜に必要なのは憐れみでも同情でもなかった。ただ、ここまで生ききった。そのことを認めてやる他はない。なぜなら、彼女は既にゴールを選び、そこに辿り着いてしまっているのだから。
「遥」
 何か言おうとする度に躊躇って口を閉ざす彼女に、晃夜は優しく微笑みかけた。
「さっきはすまなかった。痛かったろう。八つ当たりだと分かってはいたが、ああするしか私にはなかった。許してくれとは言わない。ただ謝らせて欲しい」
「……うん」
「そこの男は私と同じで、馬鹿で愚直なところがあると思う。私のようにおかしな道へ行かないよう、どういう形でもいい、近くで見張ってやって欲しい。その手の輩には誰かが側にいてやらないと駄目だ」
「……うん」
 遥はそれ以外言えなくなっていた。
 言葉が出てこない。代わりに出てくるのは涙ばかりだった。
「ごめん、なさい。どうしても納得できなくて。本当にこういう終わり方しか、なかったのかって」
「……そうね」
 晃夜の口調が若干柔らかくなる。
「私こそ、ごめんね。本当に――妹を泣かせるなんて、私は本当に――」
 何かを言いかけて、晃夜は言葉を呑みこんだ。
 そこから先は、言ってはいけない気がしたからだ。
「――ありがとう。こんな私たちのために泣いてくれて。……涼子は無事かしら。無事だったら、あの子にもよろしくと伝えておいて」
「……晃夜」
 そこに、か細い声が割り込んできた。
 未了だ。
 まだ顔を上げることすらできずにいる。それが、必死に声を絞り出している。
「晃夜。いかないで。私は……」
「ごめんなさい、母様。あなたに抱きしめてもらえたとき、私は嬉しかった。……本当はずっと拗ねていただけなのかもしれない。捨てられたと、裏切られたと早合点して。だけど違った。あなたはさっき私のことを身を持って守ってくれた。あなたは私を愛してくれていたんだと思えた。……きっと、私の千年はそのことに気づくためにあったんだと、今はそんな風に思える」
 母に手を伸ばそうとして、晃夜は自分の全身が炎に包まれていることを思い出した。もう感覚という感覚はとうになくなっている。最期が近づいていた。
「残酷かもしれないけど……母様はこれからも生きて、幸せになって欲しい。泉家は許せないけど――母様の家族は別かな。あの子たちのためにも、母様はこれからも生きていかないと」
 自分勝手だ。
 どこまでも自分勝手な言い分だ。
 それでも、そう言うしかなかった。
「――ありがとう。私と父様を愛してくれて。これからはその愛を、今生きている家族に向けてあげて――」
 そこまで言いきって――晃夜は炎の中に消えていった。