異法人の夜-Foreigners night-

-Walk Together-
エピローグ「これからの人々」
 どこかで鐘の音が聞こえた。
 外は寒く、内は暖かい。テレビでは人々が新しい年の訪れを祝福していた。
「遥は良かったのか?」
 隣にいた梢が声をかけてきた。
「除夜の鐘。せっかくだし撞いてくれば良かったのに」
「梢君」
「ん?」
「あけましておめでとう」
「おう。あけましておめでとう」
「今年も――これからもよろしくね」
「……ああ。これからもよろしくな」
 これを一番に言いたかったから、行かなくても良かった。
「うーん……」
 と、梢の横で寝ていた美緒が起きた。
「あれ。もしかしてもう年越しちゃった?」
「ああ、ついさっきな」
「起こしてって言ったじゃん!」
「起こしたよ。起きなかったんだよお前が。それより騒ぐな、郁奈まで起きるだろ」
 美緒の更に隣では郁奈が小さく寝息を立てていた。零次たちと一緒に除夜の鐘を撞きに行くのだとはりきっていたのだが、睡魔には勝てなかったらしい。
 ここは榊原家ではない。冷夏が使っていた飛鳥井家の屋敷の一つだ。あの戦いの後、遥たちはここに間借りしているのである。
 あれからいろいろあった――のだと思うが、実のところ遥たちの身の回りはさほど大きな変化があったわけではない。榊原家の面々や異法隊、草薙樵たちは揃ってこの屋敷で待機するよう飛鳥井家から申しつけられて、そのままずっとここでだらだらしているというのが現状だ。
 別段不自由はしていないが、勝手にどこかに出かけることだけは禁止されている。今頃今回の件をどう扱うかお偉方の間で検討しているのだろう。遥たちは巻き込まれた側ではあるが当事者だ。勝手にうろうろされては困るのかもしれない。
 日が昇る頃、出かけていた零次たちが戻って来た。
 冷夏と未了も一緒だ。彼女たちはずっと飛鳥井本家の方に出向いていたので、会うのは数日振りになる。
「お待たせしました。今回の件について魔術同盟と退魔九裁、御法機関で詳細調査を行い、今後のことを検討してきました。居間に皆さんが集まったら話をします」
 少し疲労の色を見せながら冷夏が言った。もっとも、疲れてはいるが暗い表情ではない。一方の未了は出立したときと同じく感情の失せた顔だった。
「……皆さんについては、悪い話はありません。榊原家の修復が済み次第、元の生活に戻れますよ」
 冷夏が少し補足した。未了について何も言わないのは――補足できることがないからだろう。
 程なくその家にいた全員が居間に集まった。
「まず、この件がどのような扱いになるかという点から説明させていただきます」
 冷夏曰く――。
 今回の件は翼人の里から追放された一夜と晃夜の両名による災害事件として扱われることになった。殺人ではなく災害としたのは、正確な被害が分からないからだ。両名がどこまで直接手をくだしたのかというのも判断が難しい。両名の存在自体が魔術師の目から見ても常識の外にあるため、どう扱えば良いか決めかねた、というのが正直なところである。
「倉凪梢、草薙樵両名についての危険性の有無がいろいろと議論になりましたが、最終的には担当者をつけて経過観察するというところで落ち着きました」
「担当者?」
 樵が怪訝そうに尋ねた。
「あなたの場合は古賀里夕観が担当になります。倉凪梢の場合は私ですね。特段行動の制限はありませんが、年に一回は担当者の元に顔を出して近況報告をするようにしてください。担当者はそれを魔術同盟に報告します」
「なんでそんな七面倒くさいことしなきゃならねえんだ……」
「私も初耳なんだけど」
 夕観が問い質すように言った。
「無論これは命令とかそういう類のものではありません。同盟は別に魔術師たちを統括する組織ではなく、単なる同盟組織ですから。ただ報告がない場合同盟は二人を危険視するようになる可能性があります」
「脅しじゃねーか」
「……あの。面倒とは言いますが、あなたや古賀里夕観は元々古賀里家復興のこともあって同盟には頻繁に顔を出していますよね。そのときついでに報告すればいいのでは?」
 冷夏の言葉に夕観は「あ、そうか」と手を打った。
「今と大して変わらないじゃない。ならいいわ。ほら樵も文句言ってんじゃないの」
「あっさり掌返しやがった……どう思うフィスト」
「いいんじゃないか。我儘言い過ぎもよくないと思うぞ」
「そうだったこの野郎、夕観第一主義者だった……」
 二対一に追い込まれた樵は渋々「わーったよ」と頷いた。
「倉凪梢、あなたも構いませんか」
「年一くらいなら別に構わないさ。健康診断みたいなもんだと思えばいいんだろ?」
「そうですね。もし自分の状態に不安があれば申し出てください。同盟側でマナチェックを行います」
「そんなことできるのか……」
「魔術の世界も進歩していますからね。それこそ健康診断みたいに自分の状態を正確に計測できますよ。……健康診断同様、一部のチェックは嫌がる人も多いですが」
「なにか変なもの飲まされたりしないよな……」
 不安を口にしたが、冷夏はそれに対しては答えなかった。
「それ以外の人は特に何もなしです。今回皆さんは基本的に巻き込まれた側になりますので。あえて責任を問うのであれば――古賀里白夜翁に、ということになりますが、翁は既に亡くなられています。もし古賀里家が健在なら同家に対して責任を追及したかもしれませんが、事実上壊滅している今は詮無きことでしょう」
「……やっぱり、あの爺が全部裏で手を回していたってのか?」
 樵の疑問は、その場にいる全員の疑問でもあった。
 張本人がおらず確かな証拠も残っていない以上、真実は半ば闇の中だ。
「――会議の途中、これが飛鳥井本家に届けられました」
 と、冷夏は袂から冊子を取り出した。表題は『翼人風土記』とある。
「倉凪のオッサンが言ってたやつか」
「ええ。この書籍の中身は郁奈が常盤さんから聞いた通りでした。翼人に関する記述と――この冬に起きた出来事。いえ、起きるはずだった出来事と言った方が正確でしょう」
「……冷夏さん。すまないがそれはどういう違いが?」
 零次の疑問に、冷夏は「中身を見た方が早いかと」と冊子を渡した。

 二〇〇五年の冬――。
 大伴百夜は、一夜として動き出す。
 土門荒野を呼び起こし、ともに泉家の者たちへの復讐を果たすために。
 彼は『可能性』を呼び出す異法を利用し、古賀里白夜の別の可能性を呼び出して、草薙樵や魔術同盟へ土門荒野に関する手紙を送りつける。元々倉凪司郎から土門荒野について聞き知っていた草薙樵には、これだけで相当な圧力になる。彼はその後そう遠くないうちに土門荒野に駆り立てられるようにして倉凪梢の元へ行くことになるだろう。
 倉凪梢は草薙樵との邂逅や魔術同盟の動きによって自身の危うさを知り、自滅に至る道を進むことになる。彼は良くも悪くも我欲が薄く、人のためにならないことはしない性質だからだ。自身が生きている限り周囲に害が及ぶとなれば、必ず死を選ぶ。
 その過程で倉凪梢や草薙樵の周囲の人々も巻き込まれていく。
 式泉の娘たちも死に絶えるかもしれない。生き残る者もいるかもしれない。どちらにしても深く傷つくことは避けられない。
 多くの人が――深い傷を負うことになる。

 冊子の隅の方に、あまり流暢とは言えない字体でそのように書かれていた。
「……俺が、無現を通して視たのと同じだ」
 零次の脳裏に無現を受け入れたとき垣間見た光景が浮かび上がる。
 何度も何度も死んでいく涼子や梢。それを防ごうと奮闘する人々。周囲一帯が火の海になった町――。
 この文章は、それを端的に書いている。
「こちらでも念のため確認しましたが、その文章が書かれたのは泉の里が滅びる前後に違いないそうです。ただ、やはり式泉運命や倉凪司郎の筆跡とは大分違っているようなので、古賀里白夜が――ボン・ヴォヤージュと名乗っていた翁がこれを書いたのだと、同盟ではそのように判断されました」
「なんだってあの爺はそんな未来のことを知ってたんだ……?」
「不明です。ただ久坂零次の無現の事例もあるので――おそらく同じように並行世界から何者かが渡りついて、そこからこの先起こることを知り得たのではないかとされています」
「……そうかしら。だったらなぜそれをこの冊子に書く必要があったの?」
 涼子がふと疑問を口にした。
「この内容を見るとしたら父さんとか司郎さんだと思うけど……二人にそれを知らせてどうするつもりだったのかしら。本当に未来のことが視えていたのだとしたら、二人では二〇〇五年に起こることをどうにもできないって分かってそうなものだけど」
「本当は二人以外の誰かに見せようとしていた、という線はないですかね?」
 亨の思いつきに涼子は頭を振る。
「だったらこんな個人の冊子に書き込まないでしょ」
「……涼子の疑問点ももっともです。同盟でもその冊子の不自然さは指摘されました。ただ議論はされませんでしたが」
「そこまで追求するのも手間ってことだったんでしょうね。同盟の人たちからすれば古賀里白夜がやったこと、で済ませるのが一番スマートに事態を収められるわけだし。そもそもそこまで真相にこだわる義理もないわけだし」
 涼子の指摘に冷夏は苦笑いを浮かべた。事実そういう感じだったのだろう。
「久坂、ちょっとそれいいか?」
 梢が零次から冊子を受け取る。彼は零次が冊子を読み上げ始めた頃から難しい顔をしていた。
 零次が読んだ文章の少し下。そこが若干くすんでいた。
「……なにか書いて一旦消した後みたいだね」
 隣から覗き込んだ遥がそんなことを言った。
「多分、消したんだ」
 部屋の鉛筆立てから鉛筆を取って、梢はそのくすんだ部分に何か書き込み始めた。
「……きっと、これで合ってる」
 梢から冊子を受け取った零次は、追記された文章を読み上げる。

 この文章が誰の元に届くかは分からない。
 願わくば大伴百夜を止められる者の元に届いて欲しい。
 私には何もできない。だからどうか止めて欲しい。
 この願いはじきに燃え尽きてしまうだろうけれど――。

「なんだこれ」
 読み上げた零次が首を傾げた。
「自然と思い浮かんだ。元々そこに書かれてた文章は多分それで合ってる。なんか調べる方法とかあるなら調べてみてほしいとこだけど……」
「……なんだろうな。確信はねえけど、おそらくそいつで間違いないんじゃねーかって気がする」
 草薙樵が眉間にしわを寄せて言った。
「意外だな。なに適当なこと書いてんだって文句言いそうな気がしたのに」
「茶化すなフィスト。なんだろうな……なんか上手く言えねえ。くそっ、イライラするぜこういうの」
 梢と樵の妙な様子に一同は戸惑いの表情を浮かべた。
 そんな中、郁奈がぽつりと呟く。
「つまりこれって……晃夜が書いたってこと?」
 その言葉に、それまで能面のような表情だった未了がぴくりと動いた。
「はっきりとした記憶がないから自信はないけど……多分そういうことなんじゃねえかな。運命さんの中にいた晃夜が、自我があったかどうかも分からないような状態のままで、どうにかこうにか必死こいてこれを書いたっていうなら……冬塚がさっき言ってた疑問は解ける気がするし」
「……なぜこの冊子に書いたのか。これを選んだわけじゃなく、書けそうなものがこれだったから、ってことですか」
「誰に見せるつもりだったのかってのはここに書いてある通りだ。それも選んでられるような状況じゃなかったんだろう。ただ、百夜のことを止めるために誰でもいいから見て欲しかった……ってことなんじゃないか」
「だとしたら……これを書いている晃夜さんは、きっと別のどこかで二〇〇五年を経験して――後悔していたのかな」
「かもな。運命さんの中にいたときの晃夜はひどく不安定な状態だった。どこかの世界の記憶を知り得たとしても、それもいつ消えるか分からないような。多分燃え尽きるってのは、そういうことだったんだろうよ。ただ、今にして思えば最期のときの晃夜は、それを思い出していたような気もするけどな」
 梢の言葉に一同は押し黙る。
 これが本当に晃夜の書いたものだとしたら――。
「……復讐を遂げたいと願うあの子と、復讐を止めたいと願うあの子と、それぞれの願いを叶えようとしたあの人と。私は、誰に対してもなにもしてあげられなかった」
 未了が、かすれた声で言った。
「……せめて。この文章に、私はここにいると、助けて欲しいと――そう書いて欲しかった――」
 うつむき肩を震わせる未了にかけられる言葉は――この場の誰も持っていなかった。
 おそらくこの筆跡を消したのは白夜だろう。この部分が残されていたら、自分以外の誰かが――晃夜が発端であることがばれてしまう。それを彼は嫌った。すべて自分による行いとして片を付けようとしたのだ。
 そうした方が未了も傷つかないだろうと――おそらくそう思ったのだろう。

 屋敷の庭で、零次と涼子は二人並んで立っていた。
 今夜は月がよく見える。澄んだ空気のせいか、月の輝きはいつもより一際強く感じられた。
「ねえ、零次」
「……ん?」
「もし私が母さんと同じような目にあったら……零次はどうする? 一夜さんみたいに復讐する?」
「……」
 あのとき、大伴百夜から――否、一夜からされたのと同じ問いだ。
 零次は熟考した。あまり考えたくはないことだったが、一生懸命に考えた。
「……本当にそういうことになったら自制せず復讐に走るかもしれないが、俺は、まず涼子の意思を尊重したいと思う」
「私の?」
「だってそうだろう。涼子が酷い目に合わされたのなら、まず相手をどうしてやるか決めるべきなのは涼子だ。俺は涼子を絶対助けるが――そこから先は涼子の意見を聞きながら決めていきたいと思う」
「もし私が復讐するって言ったら止める?」
「どうだろうな。相手次第という気もする。正直、そこは分からない」
「そっか」
 零次の答えに涼子は一言頷いた。
「……もしかして満足いかない回答だっただろうか」
「そんなことないよ。むしろ安心したかな。私の意見ちゃんと聞いてくれるって辺りポイント高い」
「なら良かった」
 零次も安堵して、再び二人揃って月を見上げる。
「一夜さんも母さんや晃夜さんのことを愛していたのは間違いないと思うけど……難しいね」
「ああ、難しい。互いに想い合っていても嚙み合わないということもある」
 零次の父だってそうだ。彼は彼なりに家族を愛していた。その結果非道を働くことになったが――その愛自体は嘘ではなかったのだと、今はそんな風に思う。
「……なあ涼子」
「ん?」
「俺は、よく人と噛み合わないと言われることがある。あまり認めたくはないが、俺は少し変なのだろう」
「あー、まあ、うん」
「だが、少なくとも涼子と噛み合わないままでいるのは嫌だ。だから言っておきたい」
「ん、なあに?」
「――好きだ。結婚を前提に付き合ってほしい」
「ぶっ!?」
 突然のことに、涼子は飲みかけていたお茶でむせた。
「だ、大丈夫か?」
「けほっ、ごほっ、だ、誰のせいだと……!」
「俺か」
「他に誰がいるのよ……げほっ!」
 涼子の顔は真っ赤になっていた。それがむせたせいなのか、零次からの告白のせいなのかは分からない。
 咳が収まっても、涼子の顔は赤いままだった。
「……はあ。零次、そういうところが噛み合ってないって言われるんじゃない?」
「かもしれん。薄々気づいてはいたが、どうも治らん」
「まったく、しょうがないわねえ」
 一旦ため息をついた涼子は、やれやれといった感じで笑みを零次に向けた。
「私も零次のこと、好きだよ。……そ、その、結婚とかそういうのはまだ正直実感わかないけど……嫌じゃないし、私としてはオーケーっていうか」
「そうか」
 零次はそれだけ言って視線を月に戻した。
「な、なによ。こっちも勇気出して言ったのに。それだけ?」
「……いや、その。恥ずかしくてな」
 彼女の顔が直視できない。
 零次のその言葉の意味に気づいた涼子は、より顔を赤くして、自身も視線を月に向けた。
 数分後、空気を読まず「トランプやろうよー」と美緒が誘いに来るまで、二人はずっとそうして並んで月を見上げていた。