魔法使いの旅

良い人の話
「まいったなぁ」
 全くまいった様子を見せずに、飛鳥井秋人はぼやいた。
 頭にかぶった麦藁帽子から瞳を覗かせて、周囲を見渡す。
 蝉の鳴き声がとても五月蝿い。
 ザ・蝉地獄だと命名したのはナナシ。
 長生きしてるくせにセンスないな、と言った秋人の言葉に撃沈しているため、ナナシは先ほどから黙りこくっている。
「暑い」
 明確なことこの上ない意思表示。
 今は夏で、確かに暑い。
 ずっと炎天下の中、外をほっつき歩くのが職業のようなものの秋人でさえ暑いと感じる。
 この前購入したラジオでの予報によると、今日は最大気温40度にまで達する地域もあるそうな。
 今朝ラジオに触るだけでも非常に暑かった。
 火傷するんじゃないかと思ったぐらいだ。
 もともと半袖だったTシャツの袖をさらに捲くり、似合わないからと、買ったきりかぶっていなかった麦藁帽子までかぶる始末。
 生憎と耐熱魔術は習得していない、魔法使い秋人だった。
 みーんみーんと、あちこちで鳴き喚く蝉が鬱陶しいことこのうえない。
「頭がおかしくなりそうだ。脳みそ溶けそうだよ」
「もとから溶けてるだろう」
 復活したのか、ナナシの毒舌攻撃が決まった。
 秋人は反論する気力がほとんどない。
「だいたいなんでナナシは平気なんだ。昔、暑さや寒さは僕らと同じように感じるって言ってたじゃないか」
「実は俺、暑さには強い」
「うわ、つまらん理由」
「面白いと思われようとしたことはないわ!」
「熱さに強いんだったら火をつけてみてもいいかな」
「多分貴様が思い描いている漢字とは違う“あつさ”だぞ」
「ああ、厚さか。本だし」
「違うっ! それといい加減『興味半分でナナシを燃やしてみよう計画』は取りやめるべきだと思うのだが!」
 そう言ってぴょこんと秋人の横に姿を現したのは、宙に浮かぶ一冊の魔道書。
 自分の意思を持ち、あらゆる知識を会得し続けることが出来る万能の魔道書。
 製作者が題名もつけないまま死んでしまったので、彼には名がない。
 だからか、いつの頃からかナナシと呼ばれるようになった。
「そういえば外人の人が持ち主だったときはなんて呼ばれてたんだい?」
 気を紛らわすために、どうでもいいことを聞く。
「ネームレス。まぁ要するに名無しという意味では同じなのだが」
「毒にも薬にもならない話だ」
「聞いたのお前だろ!」
「なんかホームレスに響きが似てるよね」
「人の名前をなんだと思っとるんだ貴様!」
「っていうかナナシって名前なの? 愛称じゃないの?」
「いや、名前だろう。少なくとも俺という存在を指し示す唯一の名詞がそれだからな」
「でもナナシが名前だったら名無しではないわけで、だとすると名前はナナシ以外のものが適当ということに。おお、これぞタイムパラドックス?」
「タイムは関係ない!」
 ボケとツッコミの応酬。
 それがこの1人と1冊の会話の基本だった。
「にしてもまいったなぁ」
「冒頭に戻るんかい」
「いや、だってさ」
 秋人は周囲をグルリと見渡した。
 360度全方向、じっくりと観察しつくして。
「ここ、何処?」
 広大な畑のど真ん中で、秋人は1人立ち尽くしているのだった。

「さぁさぁ、どうぞあがってください」
 親切そうな笑みを浮かべた女性が、家の中へと秋人を招きいれる。
 秋人は人の好意に対して遠慮というものを全くしない性格なので、ずけずけと家の中へと上がりこむ。
 口先では「いやぁ、すみませんねぇ」などと言っているが、内心は単に楽できるとか考えているだけだろう。
 少なくともナナシはそう見ている。
 あの後、あてもなく畑をさまよっていた秋人を救ったのが、この女性だった。
 年はいくつくらいか、よく分からない。
 まだ10代後半のようにも見えるが、20代くらいかもしれない。
 雰囲気は穏やかそのもので、気がよくて優しそうな人だった。
「まさか畑の中で行き倒れてる人がいるなんて、驚きでした」
「僕も驚きでした」
「いや、お前が驚いてどうするよ」
 ナナシが秋人にツッコミを入れる。
 もはや脊髄反射で動いているとしか思えない。
 もっともナナシに脊髄なんぞありはしないが。
「ふふ、仲がよろしいんですね」
「いえ、腐れ縁です」
「むしろ腐れた縁だ」
「どう違うんだろう」
「言ってから俺も疑問に思った」
 女性はそんなやり取りさえも、微笑みながら見守っていた。
 それはさながら出来の悪い息子を見守る母親のような。
 その視線に気づいて、秋人は珍しく照れたようにして頬を掻いた。
「いいですね、そんな風に言い合える友達がいるって」
「そういうもんですかね?」
「私には、いませんから」
 そう言って笑う彼女の顔は、どこか遠くを見ているようだった。

「はぁ、リラックスリラックス」
 ごろごろと横になる秋人を冷ややかに見下ろしながら、ナナシは溜息をついた。
「お前の嫁さんは少々自堕落な方がいいな」
「んー、なんで」
「嫁さんがしっかりしている人だと、お前は甘える傾向にある」
「ああ、それはあるかも」
 自覚があるのか、秋人はポツリと呟いた。
 と、そこに彼女がやって来た。手には秋人に用意した夕食らしきものが乗せられている。
 ご飯に味噌汁、鯵の開き、きんぴらごぼう、レタスとトマト、ハムなどをふんだんに使ったサラダ。
「どうぞ、こんなものしか用意出来ませんでしたが……」
「おおおおお」
 謙遜しながら言ってくる彼女の言葉を意に介さず、秋人はその料理を凝視した。
「いや、これだけあれば十分です。僕などここ数日水しか飲んでいませんから。しかも水田の」
「あらあら」
 秋人の発言をさらりと流して――よく見ると冷や汗のようなものをかいていたが――女性は微笑んだ。
「そう言って頂けると光栄です。こんなところで申し訳ありませんが、今日はゆっくりしていってくださいね」

「風呂に入るのって何日ぶりだろうか」
 是非是非、と彼女に勧められた結果、こうしてお風呂まで世話になっている。
 秋人は見た目はそれほど悪くない。
 どちらかというと整った顔立ちをしている。
 ただし歩いて旅をしているせいか野宿することが多いため、身だしなみに関しては人並以下なのだった。
 顔も洗わなければ歯も磨かない。
 風呂に入るなど1週間に1度あるかないか。
「歯を磨いたり顔を洗ったりはできるだろう」
「いや、面倒くさい」
「ったく。人が散々注意しているのに2日に1度しかしないんだから気持ち悪い」
「人じゃなくて君は本だ」
「屁理屈はいい! そして俺に湯をぶっ掛けようとするな!」
 開いた窓の外から聞こえてくるナナシの悲鳴を聞きつつ、そちらに湯を投げかけることを忘れない秋人。
 防水対策はばっちりだというナナシだったが、なぜ湯をぶっ掛けられるのが嫌なのかが秋人には分からなかった。
「月が綺麗だなぁ」
 夜空を見上げる。
 月は出ていなかった。
「いい加減なこと口にするもんじゃないな」
「……なぁ秋人」
「なんだいナナシ。僕の行動が馬鹿っぽいって説教なら勘弁してほしいな」
「違う。あの女性、いったいどういうつもりなんだ?」
「なにが?」
「見ず知らずの素性も知れない男を家に連れ込むかね」
「そりゃ僕が倒れてたからでしょ」
 と、秋人は事もなげに言い切った。
 だがナナシの追求は止まない。
「お前も気づいているんだろう」
「それは、当然」
 なにをいまさら、と言わんばかりに秋人は嘆息した。
「――――彼女が人間じゃないことぐらい、とっくに気づいてるよ」

 翌日、長居するのも悪いと思って出立しようとしたところを引き留められた。
「せっかくですから、ゆっくりしていってください」
 そう言って、彼女はどこかへと出かけて行った。
 朝食に釣られて残ると言ってしまった手前、黙って去るわけにもいかず、秋人は縁側でぶらぶらと足を動かしている。
「そもそも、ナナシの存在に驚かない時点で普通じゃないしねえ」
「高い魔力……というか霊力が感じられた。亡霊の類か」
「でも彼女、ああなってから長そうだよ。それにしてはまともだ。亡霊ならとっくに怨霊になってる」
「なら八百万の神の化身といったところか。どちらにせよ、さっぱり意図が掴めんな」
 秋人をなぜここに引き留めたのか。
 昨日だけならばお節介で済むが、今日もとなると少し妙な話になる。
 なにかしらの思惑があるのだろうが、それもさっぱり分からない。
「まあ、危険はなさそうだし、美味しいご飯も食べられるし。僕としては、残らせてもらえるなら是非って感じだけどね。神様なら魔術同盟とか連盟絡みじゃないだろうし」
「ほう、落ち着きのなさ選手権世界チャンプのお前が、『留まろう』などとは珍しい」
「……あれ。言われてみればそうかな」
 理由がなければ、一つのところに留まることをしない。
 それが飛鳥井秋人の流儀だったはずだ。
「まあ、でもそんなに深く考えることじゃないでしょ」
 よっこらせ、と起き上がる。
「ナナシ、留守番よろしく。彼女が帰ってきたら、夕方までには戻るって言っといて」
「散歩か?」
「そんなとこ。ここは確かに居心地いいけど、何もしないってのは僕の信条に反するからねえ」

「あー、んだな。ここいらじゃ有名だ」
「そうですか。ありがとうございます。あ、ついでにも一つ良いですか? その場所って、大体どの辺りなんでしょうかね?」
「そら、そこの道さまっすぐ行って――――」
 通りすがりの老婆にいろいろと教えてもらい、彼女の家へと戻る。
 この辺りは結構昔の話などが色濃く残っているらしく、なかなか面白い話を聞けた。
 主に悲劇で終わる物語が多いのが特徴と言えば特徴か。
 例えば、互いに領地を巡って争い、結果弟を死なせてしまった姉の物語。
 それはいつの時代かもよく分からない程度昔の出来事。
 姉弟の父が死に、一家は弟が継ぐことになった。
 しかし弟はまるで怠けて畑に出ない。仕事は全て姉が引き受けた。
 そんなことをしてれば、当然姉は弟を不甲斐なく思うようになり、土地に愛着を抱く。
 弟もまた、そんな姉への対抗心を持つようになり、姉弟はわずかしかない土地を巡って争うようになった。
 当時は男尊女卑の考え方があった。
 だから周囲は、当然弟の方が跡継ぎになるべしと考えた。
 まるで仕事をしようとしないにも関わらず、だ。
 その理不尽に姉は怒った。
 なぜ女というだけで、自分が退かねばならないのか。
 畑を頑張って耕しているのは自分に他ならないと言うのに。
 そうして姉は、自分が勝ち残る単純明快な方法を選ぶ。
 それは、邪魔者を排除することだった。
 しかし、排除に成功した後に姉は後悔することになる。
 自分は誰のために畑を守っていたのか。
 いつか弟がやる気を出して、仕事をしてくれるようになるまで、それまで守ろうと決めたはずなのに。
 決して自分一人で、こんな小さな土地を独占したかったわけではない。
 なのに、なぜ。
 嘆きに嘆いた姉は、村のはずれにある沼に身を投じた。
 以来、村では姉弟の悲劇を訓戒とし、男はしっかりと働き、女はこれを支え、家族を大切にするようになったという。
「なんというか、無理矢理まとめた感のある話だけど。その訓戒も、今の御時世じゃどんだけ通用するか」
 それに、これは彼女の物語ではない。
 彼女の物語はもっとちっぽけで、それでいてどうしようもなく救いのないものだった。

「どうも今晩は」
 縁側で1人座って月を見ていた女性の後ろから、ひょっこりと秋人が顔を出した。
 突然声をかけられたので少し驚いたが、彼女はそれでも笑顔で「どうしましたか?」と尋ねた。
「いや、ちょっと眠れなくて」
「……すみません。うちには扇風機もクーラーもついてなくて。夏場の夜だと寝苦しいですよね」
「お気になさらず。眠れないのは、僕がもとから夜行性なのと、気になることがあるからです」
「気になること、ですか」
「ええ。貴女はなんでそんなに"良い人"なのかな、と」
 言われて、彼女は秋人の眼をじっと見た。
「ひょっとして、気づいてました? 私の正体」
「まあ、おおよそは。相棒も気づいてましたよ。この辺りの土地神様とかですか」
「すごい、です。簡単に当てられてしまいましたね」
「これでも魔法使いなのでね」
 苦笑してウインクをしてみせる。
「それと――――神様としてのではない、人間としてのあなたのことも、少しだけ分かりました」
「……そう、ですか」
 彼女は笑う。寂しげに。
「だからこそ分からない。あなたは、なぜそんなに"良い人"でいられるのか」
「私は別に良い人なんかじゃありませんよ。ただ、後悔してただけなんです」
「後悔、ですか」
「はい。例えば魔法使いさん、大切な人がいたとします」
「ふむ」
「その人は優しく接してあげたいと思うような人でした。だから優しく、親切に接します。相手は喜ぶと思いますか」
「さて、それはどうでしょう」
 少なくとも秋人は、親切にされて嫌だという思いは抱いたことがない。
 自分に対して親切にしてくれた人間など、今隣にいる女性を含めてもごくわずかなのだが。
 しかし、世の中そう単純には出来ていない。
「――魔法使いさんでも、分からないことってあるんですね」
 彼女はさもおかしそうに、クスクスと笑った。
 それはとても自然な笑み。
 何の意味をも感じさせない、空虚な笑みだった。
「そうとは限らないんです。その人のためにと思ってしたことが、全然その人のためにならなかったり、苦しめてしまったりすることもあるんです」
「そんなことを言われたら、誰かに親切にするなんて出来なくなりますよ、怖くて」
「ええ。人に親切にするというのは、とても怖いことなんです。物事の始まりや思いはこちらにあっても、結果は全て相手が受け取るわけですから」
 良いことをしたつもりが鬱陶しく思われる。
 悪いことをしたつもりが感謝される。
 そんなこともあるのだ。特に前者は、比較的多い。
 他人への親切心を形にするのは難しい。
 そして、他人の親切心をそのまま受け取るのは、ほとんど不可能に近い。
「それが後悔のもとなんですか」
 得心したかのように呟く秋人の顔は、や曇っている。
 彼女の物語はとっくに終わっている。掛け値なしのバッドエンドだ。
 いくら秋人でも、遥か昔に生きた女性の後悔を取り除くことは出来ない。
「別にそれで大切な人を傷つけてしまった、とかが後悔なんじゃないんです。ただ私は、生きている間ずっとそうだったから」
 生きているときも、彼女はずっと誰かの世話をしたり、親切にしてやったりすることが好きだった。
 しかし、それを好意的に受け止めてくれた人間はいなかった。
「こっちはそんなことは望んでいない」
「勝手にそっちがやったことだろう」
「俺はいいって言ったんだ!」
「恩着せがましくて鬱陶しいんだよ!」
「余計なことをしてくれたものだな」
 返ってきたのはそうした否定の言葉。
 彼女の好意は、全てが憎悪となって返ってきた。
「多分、私はちょっとズレちゃってたのかもしれません」
 あはは、と寂しそうに笑う女性にかける言葉を、秋人は持たなかった。
「だから今こんなことをしてるのは感傷なんです。1人くらいは笑顔にしてあげられないかなって。それすらも、私のエゴに過ぎません」
「今までうまくいったことはないんですか?」
「ありませんよ。私幽霊のような存在ですから。普通の人には見えませんし、普通じゃない人は私なんかに助けを求めたりしませんでした」
 ならば、彼女はどれだけの時をそうして生きてきたのだろう。
 たった1人で、善意を胸に秘めながら、決して誰にも理解されずに。
「ちょっと、良いですか」
 秋人はそっと立ち上がり、彼女に手を差し伸べる。
 彼女はきょとんとその手を見て、訳も分からぬままに掴み取った。
「あの?」
「いや、なに。ちょっと夜の散歩にでもと思いましてね」

 散歩そのものに意味はない。
 特に目的地があったわけでもなく、二人は適当にぶらぶらしていた。
 沢山の話をした。
 彼女はこの地に気の遠くなるくらい存在しているらしく、様々な話をした。
 それに応える形で秋人も旅の話をした。
 彼女は本当によく喋った。
 普通の人とは話せないから、ここに居続けた長い時間の中で、ほとんど会話をしたことがないらしい。
 だから、秋人との他愛ない話も、本当に楽しそうだった。
 そうして夜の散歩は終わりを迎える。
「あれ、どちらに行くんですか?」
「ちょっとした親切心、でしょうかね。あなたの厚意に対する、僕なりの御礼ですよ」
「……?」
「その様子だと、やっぱりまだ気づいてないみたいですね」
 秋人が向かったのは、家の裏側である。
 そこには見事な老樹と、腰を下ろせる程度の岩が置いてあった。
 樹もさることながら、岩の方もだいぶ古いものらしく、苔がびっしりとついている。
「懐かしいですね。この樹、私が生きてた頃からあったんですよ。弟がいつも登って、危ないから降りなさいっていつも言って。……そのときも、お節介だと思われたのかもしれませんが」
 彼女の言葉を聞きながら、秋人は静かに岩に手をつけた。
「こちらの岩はどうでしょう」
「と、言いますと?」
「見覚えはありますか? あなたが生きていた頃から、ここにありましたか?」
「さあ、えっと、それは……」
「なかったと思うんですよ。僕の聞いた限りではね」
 それから、秋人はゆっくりと語り始めた。
 既に終わってしまった彼女の物語。
 それを、最後まで。

 それは気の遠くなるほど昔の物語。
 この国が国としての形を得たばかり、そんな頃の話。
 村はとても小さくて、十に満たない家族が住み暮らすだけの場所だった。
 十の家族の一つに、とてもお節介な娘のいる家族があった。
 娘は家族や村人の世話を焼いてばかりいたので、怠ける者はさらに怠け、働き者は仕事を取られてやることをなくしてしまった。それでも娘は悪いことをしたわけではないから、誰に責められることもなかった。
 その代わり、誰に感謝されることもなかった。
 村人たちは娘の厚意を疎んじるようになり、家族もまた娘を持て余すようになった。
 かくして娘はひとりぼっちになり、それは突然の病にかかって亡くなるまで変わらなかったのである。
 彼女の命はそこでおしまい。
 けれど、その物語はもう少しだけ続く。
 過ちと訓戒。昔話のお約束の一つ。
 彼女の死後、村人たちは急に慌ただしい生活に戻ることになった。
 炎天下の中の畑仕事は辛く、怠け者だった人たちは倒れてしまった。
 働き者だった人たちも、怠け者だった人たちの分まで仕事が増えて、皆どんどん疲れていった。
 彼女がいてくれたら、手伝ってくれたんだろうな。
 そう思う村人たちが、大勢いた。
 確かに彼女の厚意はちょっとずれていたし、駄目なところも沢山あった。
 それでも、皆を助けようとするその心に、責めるべきところなどなかったのだ。
 ただ自分たちが、純粋な厚意に向き合えなかっただけ。
 彼女の思いに自分たちも厚意で返していれば、皆もっと幸せになれたのではないか――――。
 それから、村人たちは彼女の魂を慰めようと、近くの山で見つけた一番大きな岩で彼女を祀った。
 親切の神様。
 そう呼んで、村人たちはずっとその神様を大切にしてきた。
 以上。
 これで、彼女の物語はおしまい。
 どうしようもなく救いようのなかった彼女と、どうしようもないくらい間に合わなかった村人たちの物語。
 それでも。
 彼女の厚意は、苔だらけの岩なんて形ではあるけれど。
「確かに、今に伝わっていたんですね――――」

 夏の太陽が眩しい。
 麦藁帽子をひょこひょこと動かしながら、秋人はタオルで汗を拭いた。
 その後ろから。
「大丈夫ですか? 暑そうですけど……」
 なぜか、彼女が歩いてきている。
「あの」
 困惑気味に振り向き、彼女の顔を見る。
「なんでついてきてるんですか?」
「え? 駄目ですか?」
 ものすごく不安そうにこちらを見上げてくる彼女を前に、珍しく秋人は頭を抱えた。
「いや、貴女はあの地域の神様でしょう。出歩いちゃ駄目だと思いますが」
「代わりの神様がいますので」
「いるんですか。そんなに神様は量産型ですか」
「あらあら。日本の神様ってそんなものですよ」
「そうだぞ秋人。お前そんなことも知らんのか」
 なぜかナナシまでが加わってきた。
「いや、そうじゃなくて。なんでついてきているんでしょう」
「ああ、それは」
 穏やかな笑みを浮かべ、片手で頬に手をあてる。
「私も旅をしてみたくて」
「いや、神様がそんな理由で」
「秋人さんとナナシさん、とても楽しそうでしたし」
 全く邪気のない笑顔で言ってくる彼女に、秋人は降参したとばかりに両手を上げた。
「分かりました。言っても仕方ないようですから同行を許可しましょう」
「秋人、お前偉そうだな」
「うるさい」
「ああ、さてはお前年上好みか? この間の一件でてっきりロリコンかと」
「レマダ・イサルウ・ゲサフヲチク・カイナチクカウイト・ヤイイアマ……」
「ぐもっ、もごっ、むぐがごっ!?」
 なぜかいきなり口を塞がれたように、悶え苦しむ様を見せるナナシ。
 ちなみに魔力と式さえきちんと編めば、呪文自体が適当なものであろうと魔術は発動する。
 そんな1人と1冊の様子を、微笑ましそうに見る彼女。
「そういえば、お名前は?」
 肝心なことを聞きそびれていた。
 彼女はにっこりと笑って、
「名前はないんですよ」
「ナナシですか。じゃナナシ2号?」
「あらあら、ナナコというのはどうでしょう」
「名無子さんですか? 別に僕はそれでも構いませんが」
 むがむがと、なにかを言いたそうに暴れまわるナナシ。
 そんなナナシを放って、名前談義に決め込む2人。
 暑い夏の日、飛鳥井秋人の旅は少々賑やかなものになりそうだった。