魔法使いの旅

山の話
 初秋の山道を歩きながら、飛鳥井秋人はぼそりと呟いた。背には大きなリュック、更に肩から鞄を下げている。細身の割には引き締まった身体だ。あてもない旅を続けているからこういう風になったのだろう。
 今、彼は一人だった。いつも一緒に旅をしていた相棒たちは、別行動を取っている。時には離れてみるのも悪くない、と思っていた。
「しかし、この気配は何なんだろうねぇ」
 秋人は俗に言う魔術師であり、魔法使いであった。彼が言う気配とは、魔術に精通したものにしか気づくことのできない、尋常ならざるものだった。
 元々、山という場所には妙なものが集まりやすい。人間たちが容易に入り込めないような険しい山なら、尚更のことだ。古くから信仰の対象とされ、修験者や山伏たちの修業の場としても利用されてきた。そういう修験者の中には古の魔術師たちもいたであろう。表沙汰にはなっていないが、今もそういう類の者は多い。妙なものが集まりやすいのは、そのせいだ。
 ただ、それだけなら秋人は動かなかった。彼が山の中に入り込んだのは、その山から生じる気配が、今まで感じたことのないものだったからだ。
「近くなってきたな……面倒事にならなければいいけど」
 まだ緑の色彩が残る山道を潜り抜けると、開かれた場所に出た。
 そこは廃村だった。
 いくらかの家屋には、放置されて伸びきった植物が絡みついている。かつては未知だったであろう場所も、完全に緑でえ埋まっていた。水没した村ならぬ、草没した村と言ったところか。どこを歩いても、膝の辺りまで草に沈みこむ。
 来る途中に調査は済ませてある。ここは元々少数の人間が暮らしていた、辺境と言っても差し支えのない村だったのだという。資料は公正面を心がけていたものらしく、その程度のことしか書かれていなかった。その資料は明治時代のもので、明治中頃から村は人口が減っていき、やがて大正期には廃村になったと記されていた。
 江戸時代の頃の資料も、やや面倒ながら手に入れた。
 かつてこの村は、麓の人々から山人の村と呼ばれていたらしい。あるいは、天狗の里などとも称されていたようである。山の下に暮らす人々との交流はなく、何やら不可思議な存在として恐れられていた節があった。もっとはっきり言ってしまえば、古来妖怪の村として恐れられていたのが、この村だということだ。
「人口の減少も、住民が麓に下りたとか、そういうのが原因ではない。単純な出生率の低下。最後まで麓とは窶披€泊ュ世とは交わろうとしなかった」
 そんな村から、かつて感じたことのない異様な気配が漂っている。興味もあったし、危険なものなら除去するつもりでもいる。慈善事業は柄ではないが、放置しておくほど世の中に対して無関心でもない。
「しかし、意外だな」
 秋人としては、この廃村に実は人がいるのではないか、と期待していた。
 村人たちが生まれた子を隠しつつ、政府の目から巧妙に逃れながら、まったく独自の生き方をするようになっていた、だとか。あるいは、他所から来た何者かが村に住み着き、ここで何事かをやらかそうとしている、だとか。
 日が暮れるまで周囲を散策したが、そういう感じは微塵もなかった。本当に、何もいない。何もいないのに、ただならぬ気配だけがそこにある。
「山は古来、冥界との繋がりも深いと言うけれど……そういう人たちもいなさそうだ」
 となると、視点を変えないと駄目かもしれない。誰かが何かを起こそうとしているのではなく、山で何かが起きつつある、という風に。
 仕方なく、秋人はその晩、廃村の家屋を拝借して休むことにした。窓ガラスもなく、畳もない。誇りまみれの床板に寝転がると、自分が一昔前の人間に思えてくる。
「おや……?」
 ある時刻を過ぎた頃、不意に外に明かりが生じた。無論、夜明けはまだ程遠い。
「この明かりは……」
 家屋から出た秋人は、村の中央が淡い緑色の光を放っているのを見つけた。
 光はゆったりとうねり、天に向かって上がっていく。その周囲を、一羽の鳥が回っている。よく見ると、その鳥には足が三本あった。
「なるほど、この光は魔力泉か。だからこんなところに村を……」
 その呟きで秋人の存在に気づいたのだろう。三本足の鳥が、ゆっくりとこちらに舞い降りてきた。威嚇するつもりはないらしい。その動きは緩慢で、敵意がないことはすぐに分かった。
 鳥は何の種類なのか、よく分からなかった。ただ、秋人と同じぐらい大きい。焦げ茶に近い色をしているようだったが、夜の闇と緑の光のせいで、正確なところがよく分からない。
「……もしかして、貴方はこの山の主様かい?」
 鳥は答えない。ただ、秋人の言葉は理解している。そんな気がした。
「聞きたいことがあるんだけど……答えてはもらえないかな」
「主様は人の言葉は話せないからね。話だったら、私が代わりに聞くよ」
 不意に、女の子の声が聞こえた。と思うやいなや、鳥の身体から小さな女の子が出てきた。ふわりと宙を舞っているところからして、人間ではない。
「君は?」
「私はしず。ここの、最後の人間」
「最後に死んだのか」
「そういうこと」
「……じゃあ、早速質問なんだけど。この山全体を覆ってる気配は、何なんだい?」
「危険なものじゃないよ。ただ、山が見送りの支度をしてるだけ」
「見送り?」
「そ。ここの皆、それに、山で生き、山で死んだ者全て」
 しずは、柱のようになっている光を眺めながら言った。そして、こちらを振り返り笑顔を浮かべる。
「今日が本番なんだよ。お兄さん、良いときに来たね」
「本番というと……その、御見送りとやらが始まるのかい」
「うん」
 主は、既に秋人から視線を外し、じっと光を見守っている。秋人もそれに倣った。
「山で生きる者は、山の恵みを糧として生きる。そして、そういう者たちが死ぬと、今度は山がそれを糧とし、恵みを生み出す。言わば、山は全てを包み込む類のものだ。それが御見送りとは、また妙な気もするけれど」
 見送るということは、外に出すということだ。秋人が持つ山の印象とは、若干違う。
 その問いかけの意味が分かったのかどうか。しずは、にっこりと笑って指差した。
「ほら、始まるよ」
 秋人にも分かった。ずっと感じていた妙な気配が、より強くなったのだ。嫌な感じはしない。敵意も感じない。ただ、自然と威圧される。自分一人の前に、山一つが向き合って立っているような感じがした。
「これは……!」
 光の奔流が始まった。うねりを上げて、などというものではない。滝だ。下から上に流れていく滝のようだ。
 その滝の中に、何十、何百もの人々の姿が見えた。表情はよく見えない。ただ、いずれも生きている人間には見えない。
「皆、ここから離れられなかったんだ」
 しずが、ぽつりと呟いた。
「一時は、麓の人たちとも打ち解けようとしたんだけどね。人間、そんなにすぐに変われるものじゃない。関係は破綻して、私たちは以前にもまして村に、山に引き籠るようになってしまった。それで、別に困るということもなかったからね」
「だが、限界が来た、か」
 出生率の低下。閉鎖された社会でこういう問題が起きると、手の施しようがない。
「それで……村人たちは、死んだ後もここに縛られていたのかい?」
「他に行き場なんてない、って思いこみがあったんだろうねえ」
 気づけば、しずの見た目は大人のそれになっていた。
「村で最後に生まれた子供が私。それでも、村の大人たちが全員死ぬまで、私はここから出なかった。出られなかったんじゃない。出る気がしなかったんだ」
「……」
「結局、出たけどね」
 そう言ってこちらを振り返るしずの顔は、老婆のものになっていた。
「でも、最後まで心はこの山にあった。だから、死んだ後も村の皆と一緒に、ここにずっといたのさ」
「それは、つまらないことだね」
「かもね」
 光の奔流はどこまでも続いていく。雲の向こう側まで、ずっと遠くまで。
「けど、山はそんな私たちを哀れに思ったんだ。だから、今回特別に御見送りをしてくれることになったんだよ」
「へえ。……君たちをここに閉じ込めていたのに?」
「おや、兄さん。それは勘違いだよ」
「勘違い?」
「そうさ。山はただここに在るだけ。引き籠ったのは、我らの勝手。ここを離れられなかったのは、我らの弱さに過ぎぬよ」
「……なるほど」
「一つだけ確かなのは窶披€秤艪轤ヘ山を好いて、山もまた我らを好いていてくれたであろうな、ということぐらいよ」
 しずの身体が、ふわりと舞い上がる。光の中へ、吸い込まれていく。
 それからも、光の奔流は続いた。力一杯の山の御見送り。それを、秋人は一晩中眺め続けていた。

「この辺りでいいよ」
 翌日。麓へのまともな道が見えてきた辺りで、秋人は主に声をかけた。
 主はあの晩、秋人と一緒に御見送りを見守り続けていた。その後姿を消し、秋人が下山しようとすると先導してくれていたのだ。
 秋人の言葉を受けて、主はゆったりと飛び去った。その姿が見えなくなると、再び麓に向かって歩き出す。
「山が好き、ねえ」
 昨日のことを思い出し、秋人は薄く笑った。
「僕も嫌いではないけどね。縛られるほど好きってわけじゃあ、ないな」
 そうして、僅かに山を振り返る。
「そのぐらいが、山も気楽で良いんじゃないかな。ねえ?」
 答えはない。
 ただ、風で山の葉が、少しだけざわめいた。