魔法使いの旅

ある古戦場で(前編)
 ぼうぼうに伸びた草が生い茂っている。ところどころ開けた土地はあるが、そこも随分と長い間手入れがされていない。自然に任せるままの在り様になっている。
 いくつか連なっている小山の一つ。そこから彼女は周囲一帯を見渡していた。
 この辺りは昔鬼に支配されていた。
 旅先で知り合った古老にそんな話を聞かされて、なんとなく興味をひかれてやって来たのである。
 ……まあ、自分が以前鬼子として扱われていたからなんだろうなあ。
 とあるきっかけで旅立つようになってから、鬼だの悪魔だのといったキーワードに惹かれるようになっている自分に気付いた。自分と同じような境遇の者がいれば、なんとかしてやりたい。そんなお節介心だ。
 もっとも、ここにはそういうものの気配は見当たらない。
 あるのは自然に囲まれた小山と草原。
 人里は遠く、ここはちょっとした桃源郷のようだ。
「けど、本当に人っ子一人いないわね」
 誰にともなく呟く。当然返事なんてものはない。
 相方のいない一人旅。退屈を紛らわすために独り言を呟くのが癖になっていた。
 虚しいと言われればそうなのだが、たまに声を出さないと出し方を忘れてしまう恐れがある。久々に人と話すことがあったとして、そのときまともに話すことができなかったらみっともないではないか。
「何か呪いでもかかってるのかしら。特に土地が荒れてるようにも見えないし、人が住むのに向いてないて感じはしないけど」
 歩きながら適当な推論を語り続ける。が、やがてそれにも飽いて、適当な岩に腰を落ち着けることにした。
 昨日立ち寄った宿の老夫婦に貰った包みを開ける。中に入っているのはおにぎりだ。すっかり冷たくなってはいるが、ボリューム満点であと数日分はある。
 早速それを口に放り込もうとした瞬間、ふっと風が吹いた。
「あれ?」
 口の中にあるはずの感触がない。おにぎりがどこかに消えてしまった。
 周囲を素早く見回してみるが、どこにも見当たらない。
 ……明らかに変だわ。
 やはり何かいるのだろうか。勿体ない気もしたが、もう一個おにぎりを放ってみる。今度は口の中ではなく、頭上の辺りにだ。
 またふっと風が吹いた。そして一瞬、小さな何かが見えた。
「……どうやら、呪いじゃなくて魔がいるようね」
 おにぎりは見当たらない。二個も盗っていくとは太い奴だ。とっちめてやろう。
 昔いくつか教わった術の中に、匂いを染み込ませるものがある。この匂いは染み込ませた本人にしか知覚できない。それを二個目のおにぎりに仕掛けておいた。
 もっとも、染み込ませた対象が食われてしまえば追跡は困難になる。
 ……やっぱり人間じゃない。
 匂いが示す道は、とても人間が歩けるようなものではない。山道に慣れている自分でもそのまま追いかけるのは難しかった。
 匂いが大分薄れてきた頃に辿り着いたのは、小さな祠だった。
 何か異様に空気が重苦しい。もしかすると自分は虎穴に飛びこんでしまったのではないかと後悔しそうになる。
 ……か、帰ろうかな。
 振り返る。
 辺り一面は木々に覆われていた。どこから入って来たのかも全然分からない。
 匂いを元に帰ろうかとも思ったが、なんとも悪いタイミングで消えてしまった。
 ……あれ。もしかしてやばい?
 釣り野伏せで嵌められたかのような気分。あとはもう殲滅させられるのを待つばかりなんじゃなかろうか。
 緊張した面持ちで祠を睨みつける。
「……そう睨みつけられると困るのう」
 しゃがれた声が聞こえてきた。
 祠の真上に、ちょこんと座りこんでいる小柄な男がいる。土気色の肌、中身のない両目、ぼろとした言いようのない服。身に纏う雰囲気は人間離れしている。
「まあ、わしの眷族がおぬしのものを頂戴したのは悪いと思っておるが」
「そう思うなら食べないで返してくださいよ」
 男は話しながらも、おにぎりをしっかりと頬張っていた。その肩には小さな獣が乗っている。おそらく強奪犯はこいつだろう。
「カカ、わしを前にして怖気づかぬか。ここに来てる時点でただの人間ではないと思ったが、文字通りおぬし人間ではないな。いや、半分は人間なのか」
「失礼な。私はれっきとした人間です」
「元・人間であろう。染まっておるよ。望む望まぬとは関係なく。おぬし、まわりから鬼子として扱われていたりしたのではないか?」
「……」
「そういう周囲の歪んだ認識が人を変質させるというのはよくある話でな。それを受け入れられない者も多いが、受け入れたうえで面白おかしく生きていくのが賢明だとわしは思うぞ。そもそも鬼だの悪霊だのといったものは、すべてそうやって生み出されてきたものなのだからな」
 言って、男は自分を指差した。
「かくいうわしも昔は普通の人間だった。が、今じゃこの有様よ」
「なるほど。人のおにぎり盗んで買ってに食うほどに落ちぶれたと。もしかして大盗袴垂の悪霊か何かですか?」
「ぬう。なかなか根に持つのう。食べ物の恨みは恐ろしい」
 言いながら、ごくんとおにぎりを完全に飲み干す。完全に舐められていた。
「しかし袴垂と一緒にされるのは面白くない。面白くないことは即払拭するのがわしのモットーじゃ。いただいたおにぎりの分の借りは返そうではないか」
 そうじゃな、と空洞の双眸でこちらをじっと見て、
「少し昔語りでも聞かせてやろう。この地になぜ人がいないのか、気になっているようだしな」
 こちらのことはすべてお見通しのようだった。
 相手が余裕の態度を崩さないのは、圧倒的に向こうが格上だからだろう。こちらに決定権はまったくない。
 この辺りのことについて気になっていたのは確かだし、おにぎり二個でいろいろ話が聞けるなら、そう悪い話でもない。そう思って、素直に頷くことにした。
「おお、良かった。わしもずっとここに一人きりで退屈しておってな。我が眷族は自律意識を持たぬから話相手にはならんし、少しこの寂しん坊の相手をしてくれ」
 実は最初からそれが目的だったんじゃないのか。
 そんな疑念が脳裏をよぎったが、疑ったところで仕方がない。
 黙って、男の昔語りに付き合うことにした。

 その昔、ここはいくつかの村が散在している土地だった。
 あまり豊かな土地ではなかったが、珍しくこれらの村々は揉め事も起こさず、互いに協力し合って生活していた。資源を取り合って隣村と殺し合いになるのが当然のような時代のことだ。
 村々の結束を強めていたのは小領主の存在だった。さしたる勢力を持たぬその小領主は、どこの大名家にも属さず、貧しい土地を細々と治めていた。
 温厚な人柄で、村々の間を駆けずり回っては面倒事を解決していた。有能でもあったらしく、周囲の大名からは何度も仕官の誘いがあったらしい。土地ではなく、その小領主自身の力量を見込んでのことだった。
 だが、彼は頑として大名たちの誘いを断った。どこかに所属すれば領民たちが争いに巻き込まれる。地方一帯を統一してくれるような本当に大きい存在が現れるまでは、どこにも属さずひっそりと暮らす。さして旨味のある領地でもないからこそ、そういう方針が取れるものと考えていた。
 彼にとって誤算だったのは、彼の力量を彼が思っていた以上に周囲が評価していたことだった。評価が高いということは、それだけ恐れられているということでもある。彼は仕官を断るとき他所にも仕えないことを説明したが、大名たちはその言葉を信じ切れなかった。
 彼が他所に仕えることを恐れた大名の一人が、この土地を急襲した。
 周囲一帯は大混乱に陥った。突如現れた軍勢に人々は抗する間もなく蹂躙され、小領主もその日以来行方が知れなくなった。
 この土地を滅ぼした大名も別の大名に滅ぼされ、この土地は歴史から置き去りにされた。殺された人々も、小領主の名も、誰の記憶からも忘れられていった。

 ざわざわと。
 何かが蠢く気配がした。それは決して小さなものではない。大きな流れ。それが、ほのかに薄暗くなりつつある黄昏時に現れつつあった。
「……これは」
「おぬしにも見えるであろう。聞こえるであろう。この音が。彼奴らの声が」
 確かに聞こえるが、それを声と言っていいのかは分からない。人間の声と言うにはあまりにも形を成していない。そんな感じがする。
「話の続きをしようか。この地が再び記録に出てきたのは江戸の世になってから。苦しい藩政をどうにかしようと、開拓されていなかったこの辺りの地を時の藩主が開墾しようとしたのだ。しかし気合いを入れて行われた開墾事業は頓挫することになる」
「その原因が――これですか」
 振り返る。木々の合間から見える眼下の平原。そこに、無数の人影が蠢いていた。
 ぼろい布切れを身に纏った集団と足軽鎧や武者姿の集団が向かい合っている。
 どちらもこの世ならざる者たちだ。巫女としての修練の賜物か、半ば鬼となりて彼らの同胞となっているからか、そういうことは感覚で分かるようになっている。
 集団と集団の間にあるのは強い敵意のようだった。特に、貧相な身なりの集団の方からそうした負の感情が強く漂ってくる。武者姿の集団は、むしろその気勢に怯んでいる様子すら見受けられる。
「普通の人間に彼奴らは見えん。だが影響は出る。開拓のためにこの地を訪れた者たちは皆気が触れたか病で死ぬかして、ここは呪われた地として知られるようになった」
「彼らは?」
「察しはついているであろう。奇襲した大名の軍勢と、奇襲された小領主の民草たちだよ。不条理に殺された民草の恨みが、殺した側の大名家全体をこの地に縛り付けているようだ。こうして毎夜毎夜、合戦を続けている。もう何百年もずっと、な」
 理不尽に殺された者たちが咆哮を上げ、恨みを果たさんと対面の軍勢に襲いかかる。負けじと武者たちも気勢を上げてこれを迎え撃つ。
 それは終わりのない戦の図だ。零体は意思の力で維持されている。恨みが、気持が消えない限り、どれだけ傷つけあってもすぐに元に戻ってしまう。
 何百年も、こんなことを延々と繰り返している。
「恨みは風化すると言うが、それは生きているからだ。生きていればいろいろなことがある。そのいろいろな何かが恨みを少しずつ薄めていく。しかし死者にはそれがない。死んだ時のままだ。恨みも無念も、何もかも」
「……」
 誰かが祓わねば、永遠にこれが続くということか。
「言っておくが、あれに手を出すのはやめておいた方が良いぞ。おぬし、巫女として多少の心得はあるようだが、あの数相手では陰陽寮も匙を投げる」
 あれ、今も陰陽寮ってあったかの――などと呟く男に背を向けたまま、目を凝らす。対の集団を見る。
 そこから立ち込める負の空気は、瘴気と言った方がしっくりくる。
 あれにあてられてしまえば、普通の人間は耐えられまい。
 そして、自分は半分鬼とは言え、そこまで人間をやめているわけではない。あの瘴気に長時間あてられたら、やはりただでは済まないだろう。
 こちらの表情を見て男は頷いた。
「それが賢明な判断だ。この辺りは奴らの瘴気が及ばん。今宵はここで休んでいけ」
 おそらく、それがこの男の狙いだったのだろう。こちらに連れ込んで、あの瘴気から遠ざけようとしたのだ。
「……貴方はどうにかされないのですか?」
「わしは神だ。この国の神は、死者を救うものではない。死に触れれば、穢れる」
 穢れるのが嫌だと言っているわけではない。穢れれば、神は本来の形を失ってしまうのだ。かのイザナギですら、穢れた我が妻から死に物狂いで逃げ延びている。穢れてしまえば、本来の形を失い、どのみち死者を救うことなどできなくなる。
「何者であろうと、できることとできないことがある」
 無力な半人半鬼と古き神は、揃って古戦場に相討つ軍勢を見やった。
 夜が明けるまで、ずっと。