識人の捜し物

第四話「関係」
 翌日、彰はいつもの掲示板の前にいた。
 ただし、掲示板には『臨時休業』と書かれている。
 しばらくは永久の手伝いに専念するのだ。
 他に客を抱え込んでいる余裕はない。
 時計を見ると、午前十時半。
 待ち合わせは十時だったから、三十分待たされていることになる。
 彰は注意深く周囲を見渡したが、永久の姿は見当たらない。
 少し不安になってきた。
 昨日、別れた後に何かあったのかもしれない。
 彰は滅多に使わない携帯電話を取り出した。
 永久からは電話番号しか教えてもらっていないので、直接かけるしかない。
 ……電話は苦手なんだけどな。
 人とあまり深い関係を築かない彰にとって、私的な用事で誰かに電話をかけることなど滅多になかった。
 携帯を握る手に緊張の汗が流れる。
 恐る恐る通話ボタンを押し、しばらく待つ。
 やがて反応があった。
『はい、もしもし。こちら倉凪永久の携帯電話ですよー』
 しかし、聞こえてきた声は永久のものではなかった。
 彰は顔をしかめた。
 電話に慣れていないため、この場合どう対応すればいいかが思いつかない。
「えーっと……君はどちらさまかな?」
『申し遅れました。私は龍宮茜というものです』
「あ、ご丁寧にどうも。捜し屋をやっている不瞳彰といいます」
『捜し屋さん……ですか?』
「はい、倉凪永久さんに用事があってお電話しました」
 相手の丁寧な話し方に合わせて、つい口調が商売用になってしまっていた。
 茜と名乗った少女は困ったような声音で、
『永久ならついさっき、慌てて出て行きましたよ。あ、私は寮で彼女と同室なんです』
「ついさっき、ですか?」
『ええ。永久、最近夜遅くまでどこかに出歩いてるみたいで。昨夜も夜明け前に帰ってきて、さっきまでぐっすり眠っちゃってましたので』
「そうですか……」
 彰は嘆息交じりの返答をした。
 問題の永久が、今物凄い勢いでこちらに走ってくるのを見つけたのである。
「ちなみに、何か伝えておくことありますか?」
『あ、捜し屋さんと待ち合わせだったんですか? でしたら、朝ご飯ちゃんと食べるようにってこと。それから、携帯忘れちゃ駄目だよって』
「分かりました。ちゃんと伝えておきます」
『よろしくお願いします』
 最後までのんびりとした口調で、茜は通話を切った。
 なんとなく、携帯片手に一人でおじぎする少女の姿が思い浮かぶ。
 彰が携帯をしまうと同時に、掲示板前へ永久が駆け込んできた。
「ごっ、ごめん……! 遅れて、ごめんっ!」
「ルームメイトさんから事情は聞いた。別に遅れたのはいいよ。あと、携帯忘れるなってさ」
「うぅ……」
 頭を垂れる永久の髪は寝癖が目立っていた。
 起きてすぐにこちらへやって来たのだろう。
 そう考えると、怒るよりも慰めてやりたくなる。
「とりあえずどこかで朝食にしよう。俺が奢るから」
「い、いいわよ朝ご飯ぐらい自分で買うから。恩とかそういうのは気にしなくていいし!」
 両手をばたばたと動かしながら拒否する永久。
 遅刻した上に食事まで奢ってもらったのでは立つ瀬がないということなのだろう。
 しかし、彰はそんな彼女の格好を一瞥してから淡々と告げる。
「そうじゃなくて……その分だと、君は財布持ってないんじゃないか?」
「あ」
 言われて、永久は自分の格好を見下ろした。
 手荷物一つ持っていない。
 今日は休日のため、制服姿ではない。
 膝元まである黒のスカートにニーソックス、上にはウインドブレーカーを着込んでいる。
 軽快で動きやすそうな服装は永久によく似合っていた。
 ただし急いで着たのか、やや服が崩れていてみっともない。
 永久は自分のポケットを探っていたが、やがて肩を落とした。
 彰は苦笑を浮かべて、
「とりあえずどこかに入ろう。今後のことも話し合いたいし。何食べたい?」
「……パン」
 永久は服装を整えながら、そっぽを向いて答える。
 消え入りそうなほど弱々しい声だった。
「それならお勧めの喫茶店がある。すぐそこだ」
 永久の返答を待たずに彰は歩き出した。
 服装を整えた永久が、慌てて後を追いかけてくる。
 歩きながら、彰はふと尋ねた。
「そういえば、これもルームメイトさんから聞いたんだけど……夜明けまで部屋に戻らなかったんだって? 何かあったのか?」
「え、ああ、うん……」
 永久はかすかに逡巡して、首を振った。
「……何もなかったわ。ちょっと訓練してただけ」
「訓練?」
「そ。退魔士たるもの日々の修練は欠かせないの。一応命懸けだしね」
「なるほど……」
 彰は得心して頷いた。
 修練を怠ること、それは下手すすると死に直結しかねない。
 永久がいるのはそういった環境なのである。
 そう考えると、少し興味が出てくる。
「普段はどんな特訓してるんだ?」
「え? な、なんでそんなこと聞くの?」
「俺にも出来るようならしておきたいと思って。一朝一夕で君みたいになれるとは思ってないけど、何もしないよりはましだろ?」
「う……それもそうね」
 永久は額に手を当てて考え込む。しかしすぐに、肩を竦めた。
「……でも、今は止めておいた方がいいと思う」
 喫茶店が近づいてきた頃、永久は言った。
「夜は人目につかなくなる分襲撃される可能性が高くなる。私は自分の身くらい守れるけど、貴方はそういうわけにもいかない。訓練なんかして疲労してるところを狙われたら、それこそ絶体絶命の状況になりかねないわ」
「そっか。それじゃ訓練はなしだな」
「訓練だけじゃなくて、夜に出歩くのも禁止。午後八時を過ぎたらもうアパートから出ない方がいいわ」
 釘を刺すように、永久は低い声をあげる。
 特に反論する材料もなかったので、彰はとりあえず頷いておいた。

 まだ半端な時間だったため、店内は比較的空いていた。
 客の大半は待ち合わせまでの時間潰しなどに利用しているだけなのだろう。
 どのテーブルにも、コップばかりが置かれている。
 そんな中、皿が出ているテーブルが一つだけあった。
 そこには既に四枚、皿が積み重ねられている。
 そこに座っているのは彰と永久だけだった。
 ちなみに彰はコーヒーを一杯頼んだだけで、あとは全て永久が注文したものである。
 ……よく食うなぁ。
 永久は美味しそうにハムサンドを頬張りながら、至福の表情を浮かべている。
 やがてそれを平らげると、すかさず店員を呼んで次の注文をしていた。
 思わず彰は財布の中を窺った。
 最近は捜し屋としての稼ぎも減ってきたし、先日アパートの家賃を払ったばかりでもある。
 正直、残金はあまりない。
 こっそり溜息をつく彰に対し、永久は笑顔を向けた。
「大丈夫大丈夫、ちゃんと後で返すから」
 それ以前に、この場の支払いが出来るかどうかが問題だった。
「食事はそれぐらいにしておこう。あんまり食べると太るぞ」
「む」
 幸せそうな表情から一転、永久は眉間にしわを寄せ始めた。
 どうやらまだ食べたりないらしい。
 しかし、これ以上頼まれたら本当に支払いが出来なくなる。
「次のやつで終わり。それより、これからどうするかだけど」
「当面の敵は創造主よ」
 永久は唇を尖らせて言った。
 まるで至福のときを邪魔したのはそいつだと言わんばかりである。
「創造主?」
「貴方が連れて来た奴とか、昨日の奴とかを造った存在。下級悪魔を最低でも二体造り上げてるぐらいだから、結構手強いと思うわよ」
「君が言うと、なんだか恐いな」
 永久は斑目や昨日の童女を圧倒する実力の持ち主だ。
 そんな彼女に手強いと言わしめるのだから、相当危険な相手なのだろう。
「それで、問題はどうするかだけど……こっちから攻めるか、守りに徹するか」
 と、永久は何か期待するような眼差しを彰に向ける。
「貴方の右眼で、相手を捜し出せたりしないかしら」
「多分、難しいと思う」
「そう? 相手だってこっちを意識することがあるかもしれないじゃない。その『線』を辿っていけば、簡単に捜せると思うんだけど」
「期待に応えられなくて悪いけど、俺の右眼もそんなに万能じゃないんだ。あんまり使いすぎると頭痛がしたり、意識失ったりすることもある。それに、『線』は発信源になる奴がある程度近くにいないと見えない」
「発信源……つまり、意識する側?」
「そう。君の言ったケースだと創造主がそれに該当する。あっちがこっちのこと意識しても、それがずっと遠くからだったら『線』は見えない。一昨日、斑目に向けられた君の『線』だって、斑目に殺されかけたあの瞬間まで気づかなかったんだ」
「そうなんだ。割と制限あるのね」
「なければとっくに俺は狂ってるよ」
 ある程度近くにいる人の、一番強く意識しているものに対する『線』。
 その二重の制限がなければ、彰の視界など『線』で埋め尽くされてしまっていただろう。
 この制限があってもなお、彰はたまに、右眼が認識する風景を恐ろしく思うことがあるぐらいだった。
「君の方が発信源になるなら捜せるとは思うけどね。相手の姿形、ある程度具体的に意識出来るなら」
「無理ね。私、今回の敵がどんな奴か全然知らないし。具体的にっていうのは……」
 永久はがっくりと肩を落とす。
 彼女の発想自体は悪くない。
 彰も捜し屋として、こういった期待に応えられないのは残念な気がした。
「一応参考に訊いておくけど、他に制限とかあったりする?」
「あー……あとは、俺自身の『線』は見えないってことぐらいかな。まぁ見るまでもないってことなんだろうけど」
 自分が何に対しどういう意識を向けているのか。
 そんなことは、『線』にして見るまでもなく把握出来ることだろう。
 だから彰は、そのことはさほど気にしていなかった。
「貴方に向けられた『線』は見えるの?」
「ああ。それで何度か危険を察知したこともある」
 最近では、斑目に襲われたときがいい例である。
 永久は何度か頷き、やがて深く溜息をついた。
「それじゃ、こっちから攻めるのは難しいわね。となると、当面は地道に捜索しつつ、貴方の身を敵から守るしかないか」
「……悪い。あんまり役に立てなさそうで」
「そんなの気にしなくていいわよ。こうして協力申し出てくれただけでも嬉しいんだから」
 眉尻を下げながらも、永久は柔らかく微笑んだ。
「とりあえず、この後は町中ぶらぶらしてみましょ。右眼を使うかどうかはそっちに任せるわ」
 そう結論づけると、二人の間にあった緊張感が解かれる。
 ちょうどそのとき、永久が最後に注文したホットケーキが運ばれてきた。
 ナイスタイミング、と彼女は嬉しそうに手を合わせて食べ始める。
「……そういえば、さっきは驚いたな」
 こうして対面に座っているのに、会話がないというのは気まずい。
 そう考えて、彰は慣れないながらも話題を振ることにした。
 永久はホットケーキを頬張っているからか、仕草で「何が?」と問いかけてくる。
「いや、電話したとき別の人が出たから。……普通、人の電話に出たりするもんなのか?」
 別に、あの龍宮茜という少女の行動を咎めているわけではない。
 ただ純粋に不思議だった。
 永久はホットケーキを飲み込んでから、かすかに首を傾げた。
「んー……まぁ普通はやらないかもね。私も茜以外にそんなことやられたらちょっと嫌だし」
「仲、良いんだ」
「うん、一番の親友」
 少しはにかみながら、永久は言った。
 そこには嘘偽りが一切見当たらない。
 茜の方も慌てて出て行った永久を心配しているようだったし、二人は本当に仲が良いのだろう。
「親友か、いいもんだ。……俺にはよく分からないけど、きっとそれはいいことなんだろうな」
 彰にはそう呼べる相手がいない。
 何人か奇妙な縁を持つ相手はいるが、胸を張って親友といえるような相手は一人もいなかった。
 小学校のときはこの右眼のせいで、クラスで完全に孤立してしまった。
 中学・高校ではそつなく生活をしていけるようにはなったが、親しい友人はいなかった。
 せいぜい休み時間に少し話をする程度である。
 気づけばグループの中に紛れ込んでいるような、いてもいなくてもいい存在。
 それが不瞳彰のポジションであり、彼自身意図的にそれを狙っていた。
 人に好かれすぎても、人に嫌われすぎても注目を浴びる。
 そうなると、下手に右眼を開いた瞬間自分にあちこちから『線』が向けられてしまうかもしれない。
 それが善意の『線』だろうと悪意の『線』だろうと、彰はあまり見たくなかった。
 だから、目立たない位置にいようと考えたのである。
 そんな風に過ごしていたのだから、その頃の知り合いたちとは既に交流がない。
 友人と呼べるかどうかさえ微妙な相手ばかりだった。
 だから、嬉しそうに親友の話をする永久のことが、彰には少し眩しく映る。
「……不瞳さんにはいないの? 親友」
 永久は両目を瞬かせながら尋ねた。
 彰は軽い笑みを浮かべて、首を振った。
「あいにくとね。こんな右眼を持ったおかげで、どうも臆病になったみたいなんだ。人間関係が恐くてね」
「人間関係、か。そりゃ、私もそれは恐いけど」
「君がか?」
 彰は左眼を大きく見開いた。
 特に根拠はないが、茜という存在や永久自身の性格から、彼女は人間関係など苦とは思っていないような気がしたのである。
 だが実際はそうでもないらしい。
 永久は肩を竦めて、
「じゃあさ。貴方は恐くない? 私のこと」
「え? いや、特にそうは思わないけど。恩人を恐がってどうすんだ」
「……それじゃ、もし私が違う形で現れてたらどう?」
「どうって……」
「例えば――私が一昨日、あの男の同類と見なして貴方のことも殺すつもりで現れていたら」
「……」
 永久の出した仮定に、彰は絶句した。
 確かにそれは、充分ありえたことである。
「もしそうなってたら恐いでしょ? 貴方とはいい形で出会えたけど、そうじゃないことも何度かあった。私には貴方みたいに『線』は見えないけど、人の悪意が分からないわけじゃない」
 永久は目を伏せ、そっと自分の胸に手を当てた。
「本気で怨まれたこともあったわ。……昨日みたいにね」
 そう語る永久の口調は、しかしさほど暗くはなかった。
 昨日のように落ち込んでいるわけでもない。
 むしろ、彼女の口元にはかすかに笑みが見える。
「それでも、私は茜のおかげで救われたわ。落ち込んだりしたとき、誰かに敵意を向けられたとき、自分でもどうすればいいのか分からないとき。何度もあの娘に助けられた」
 だから、と彼女は彰を不満そうな眼差しで見つめた。
「お節介かもしれないけど――なんか不瞳さん、もったいない気がする」
 その声には、非難も気づかいも含まれていない。
 とても美味しい食べ物を前にしながら、くだらない理由で口にするのをしぶる相手に向けるような響きがあった。
 彰には親友というものがどういうものか分からない。
 永久が言うような理屈はなんとなく分かるのだが、そこに実感が伴わない。
 そのため、人間関係という厄介極まりない障害を乗り越えてまで、それを得たいとは思えないのである。
 ある意味、食わず嫌いに似ていなくもない。
「親友、か。いいものだとは思うんだけどね……」
 少なくとも、永久や茜のように仲の良い者同士を見て不快感を覚えたりはしない。
 むしろ微笑ましく思う。
 しかし、彰自身にはそういった相手は出来そうにもない。
 仮に親友が出来たとしても、それはそれで恐い。
 そこまで親密になったら、かえって嫌われたりしたときのショックが大きくなる。
 さして親しくない相手からの悪意にさえ、身を突き刺すような痛みを感じるぐらいだ。
 もし唯一無二の親友からそんな悪意を向けられたら、どれだけの苦痛を味わうことになるのか。
 それを彰は知っている。
 知っているから、なおさら恐い。
 彰はそのことを永久の前では口にしなかった。
 下手なことを言って、彼女たちの関係にケチをつけるつもりなど毛頭ない。
 こんな悩みは、抱かずにいるのが一番いいはずだと彰は思っている。
「……適度な距離を置いた人間関係っていうのが、俺には性に合ってるみたいだから」
 結局、出てきたのはそんな言葉だけだった。
 永久はやはり不満そうだったが、あまり強く言えることでもない。
 それ以上は何も言わず、彰から視線を逸らして唇を尖らせた。
「そうね。人それぞれの考え方ってあるもんね」
 二人の間に沈黙が訪れる。
 周囲の雑踏に取り残されたような居心地の悪さを感じた。
 彰は内心苦笑した。
 人間関係はやはり厄介なものだ、と。
 気まずくならないように話していたのに、いつの間にか余計気まずくなっている。
 ……思うようにはいかないな。
 やはり余計なことは言わない方がいいだろう。
 そう判断して、彰は今後のことを問いかける。
「さっきは町中を歩いてみるって言ってたけど、何か当てはあるのか?」
 永久は若干表情を和らげながら、しかし彰からは目を逸らしたまま応える。
「……悪魔って種族は総じて気配を隠すのが上手いから探りにくいのよ。だから普通に捜すのは大変。でも、全然手がかりがないわけじゃないわ」
 そう言って、永久は残っていた牛乳を飲み干した。