識人の捜し物

第五話「捜索」
 日中とは言え、この季節はまだ肌寒い。
 吐く息の白さにしばし目を奪われながら、彰と永久は活気のある商店街を歩いていた。
 休日ということもあって、人の姿はいつもより多い。
 二人の会話が、周囲の喧騒によってかき消されてしまいそうだった。
「二人。一昨日、昨日と二人の下級悪魔が襲いかかって来たわよね」
「ああ。それは創造主って奴が魔力を使って生み出したんだろ」
 彰は昨日永久に教えてもらったことを思い出しながら言った。
 永久は小さく頷く。
「でもよく考えてみて。いくら中身がすっからかんでも、表面上は普通の人間と見分けがつかないような生命体。そんなのを簡単に生み出せると思う?」
「出来るんじゃないのか?」
 彰は意外そうな声をあげる。
 だが、永久はとんでもないと言いたげに首を振った。
「そんなことが簡単に出来たら今頃下級悪魔は大量生産されて、人間なんかあっという間に滅ぼされてるわよ」
 永久の言うことはもっともだった。
 斑目や昨日の童女、あれらは下級悪魔と言っても、人間を遥かに上回る力を有していた。
 あんなものが気軽に創り出されては、太刀打ちする術がない。
「じゃあ、何か特別なことをしなきゃいけないのか?」
「そうね。まず連中を構成する魔力、そして生贄となる人間が必要なはずよ」
「生贄って……また物騒だな」
「そう? 悪魔に捧げる生贄なんてお約束もいいとこじゃない」
 永久は少しばかり不機嫌そうな声をあげた。
「少し話は逸れるけど、私たちがいるこの世界には厳然たるルール……〝法〟が存在するの。純粋に魔力だけで構成された生命体なんてのは、その〝法〟を逸脱してる。つまりルール違反なのよ。だから〝法〟はそいつらの存在を許さない。発見し次第積極的に排除しようとするわ」
「は、排除?」
「そう。殺したりするわけじゃなくて、文字通りその存在を否定するの。……全部、なかったことになる」
 ぞっとしない話だった。
 日中の商店街だというのに、まるで彰は砂漠に立っているような錯覚を抱く。
 仮に自分がその〝法〟とやらに反していたら、その存在を消されてしまうのだろうか。全てがなかったことにされてしまうのだろうか。
 彰の不安を見て取ったのか、永久はそれを打ち払うように大きな声で続けた。
「でも器があればその心配はいらない。液体と同じようなものね。器に入れておかなきゃ零れていつかは気体に戻る。形を、失う。でも、器さえあればきちんと存在出来る」
 そこで永久は若干目を細めた。
 もともと鋭い目つきなだけに、そうすると迫力がかなり増す。
「その器っていうのが、生贄……生きた人間なのよ」
 永久は怒りの篭もった声で告げる。
 彰の頬を冷や汗が流れた。
「生きた人間の魂を喰らって、空いたところに悪魔の素になる魔力を流し込む。そうすることで、下級悪魔が出来上がるのよ。見た目は人間、中身は悪魔。そうやって、私たちや世界の目を欺いてる。……ふざけた話だわ」
 永久は苦々しい顔で歯を食い縛る。
 力一杯握り締めた拳が、ぶるぶると震えていた。
 そんな彼女を宥めるように、彰は努めて静かに言う。
「つまり、下級悪魔ってのが二体確認された以上、犠牲者も二人いたはずだってことか」
「三人よ。一昨日の奴は多分、私が『右腕』を取り返すとき撃退した悪魔だろうから。外見が変わってたし、命からがら逃げ延びて新しい器に移ったんだと思う」
「そんなことも出来るのか……?」
「ええ。だから放っておくと酷いことになる。奴らに取って人間は、単なる消耗品に過ぎないから」
 悪魔を生み出すために、そして生かすために犠牲になった人間が、最低でも三人はいる。
 その事実は、彰の胸に重く圧しかかった。
 もしかしたら、自分もその仲間入りを果たしていたかもしれないのだ。
 他人事とは思えない。
「行方不明者に関する情報を集めれば、そこから何か掴めるかな」
「ただこうして歩き回るよりはいいと思うけど……何か、当てでもあるの?」
 強い光を宿した彰の眼差しを見て、永久が期待するように問いかける。
 彰は頷いた。
「一つな。……あんまり頼りたくないんだけど、信頼は出来る」
 彰はポケットから携帯を取り出し、素早く電話帳に登録されたある人物の番号を選んだ。
 通話が始まる前に、一度だけ永久に視線を向ける。
 そして、忘れないように一言付け足しておく。
「ただし、かなり騒がしいことになりそうだけどな」
 彰が苦笑をもらす。
 その直後、電話が繋がった。

 涼宮町の住宅街から少し離れたところに、その古めかしい建物はあった。
 今から何十年も前に建てられた、この町でも有数の歴史を誇る建造物である。
 市民たちからはあまり好かれておらず、若者たちには特に嫌われやすい傾向にある職業の人々が集う場所。
 門前には『涼宮署』と書かれたプレートがあった。
 飾り気のない灰色の建物を見上げながら、永久は感嘆の声を漏らした。
「……不瞳さん、警察のお世話になってたことあるんだ」
「誤解しないでくれ。捜し屋稼業をこなしていると、自然とこっちの人と接触する機会が増えてくるだけだ。今回話を訊こうとしてる人は、アパートの隣人でもある」
 彰は永久の前を歩き、慣れた様子で署内に入っていく。
 警備員の青年が軽く手をあげて挨拶をすると、彰もそれに応じる。
 まるでここで働く署員のような振る舞いだった。
 入り口付近の椅子に腰掛けて、二人はその人物がやって来るのを待つことになった。
 永久は署内の様子をきょろきょろと眺めながら、興味津々といった様子で彰に尋ねる。
「どんな人なの?」
「口は悪くて柄も悪い、女癖も悪いから君も気をつけた方がいいぞ」
「ほほう、素晴らしい紹介をしてくれてるようじゃないの」
 と、不意に彰の頭が後ろから掴まれる。
 凄まじい力だった。
 荒事に慣れているであろう武骨な手が、少しずつ食い込んでくる。
 彰は慌てて弁解するように、
「しかし頼りがいがある。信頼出来る人物だってことは間違いない」
「それを最初に言えよ彰」
 途端、彰の頭の拘束が解かれた。
 声の主は素早い動作で二人の正面に回りこむ。
 口元にシニカルな笑みを浮かべた、中肉中背の中年男性である。
「ったく、朝見さん。毎度毎度頭掴むのやめてくれませんかね。これじゃそろそろ頭蓋骨変形しそうですよ」
「いいじゃねぇか、個性ある頭蓋骨。自慢になるぜ」
 うんざりしたような口調の彰に対し、朝見と呼ばれた男は軽快な返答をした。
 一歩間違えれば軽薄と取られかねないような、そんな軽快さを持ち合わせているのがこの男の特徴である。
「おっと、お嬢さんに自己紹介をしなくちゃな。俺は朝見省吾。ここの署員を始めて先日十一年目。この前ようやく巡査部長になったばっかで、彰とはアパートで隣同士の仲だ。よろしくな」
 呆然としている永久に一方的な挨拶を告げると、朝見は彰に向き直った。
「それで、また捜し屋関係の話か?」
「ええ。ここ数週間、この町で行方不明になった人について訊きたいんですけど」
「いいぜ。っと、その前にちょいと失礼」
 朝見の胸ポケットから財布を取り出し、近くの自動販売機に向かう。
「元気な人ねぇ……」
「だから言ったろ、かなり騒がしくなるって」
 彰は溜息をつくと、かすかに苦笑を浮かべた。
 そんな彼を見て、永久は嬉しそうな顔になる。
「でも、良かった。ちゃんといるじゃない」
「何が?」
「友達。あの人、そうなんでしょ?」
「……断じて違う」
 彰は心底嫌そうに呟いた。
 朝見は頼れる人ではあるが、それと同じぐらい厄介な相手でもあった。
 というより、苦手なのである。
 決して嫌いなわけではないが、彼と話しているとペースをかき乱されてしまう。
 友人といえるほど、気安い仲ではない。
 どちらかと言えばドライな付き合いである。
「友達じゃあない。向こうも、そうは思ってないだろ」
 そんなことを言っているうちに、朝見は缶コーヒーを三つ手にして戻ってきた。
 彰と永久に一つずつ渡しながら、自分も永久の隣に腰を下ろす。
「んで、行方不明者絡みか。そっちのお嬢さんが依頼人かい?」
「ええ、そんなところです」
 彰は永久に目配せをしながら頷いた。
 彰の意図が伝わったのか、永久も黙って頷く。
「捜しているのはまだ小学生ぐらいの女の子、それと朝見さんと同年代ぐらいの、ちょっと頼りなさそうな男性なんです。斑目って名前に聞き覚えはありませんか?」
「斑目? ああ、知ってるぜ。なんか捜し物してるとか言ってたから、お前のこと紹介してやったんだが」
「朝見さん経由だったんですか……」
 そう言えば、斑目は警察で彰のことを教えられたと言っていた。
 どうやらあれは嘘ではなかったらしい。
「なんだ、あいつがどうかしたのか?」
「斑目さん、俺のところに来たはいいんですけど、その後行方をくらましてしまったんですよ。捜し屋としては当然、彼の行方を追わなければと思ったんです」
「お前に見つけられないとなると、どうだろうなぁ……」
 朝見は眉間にしわを寄せながら、ううむ、と唸った。
 彼は彰の右眼のことは知らないが、その実力は認めている。
 何かを捜すことにおいて、彰は警察という組織よりも遥かに優秀だった。
「そういえば、奇妙なことがあってな」
 顎に手をあてながら、朝見はぽつぽつと話し始めた。
「今朝、生活安全課の子と話してるときに知ったんだがな。斑目良助って奴の捜索願が、今から一週間ほど前に届け出されてたっていうんだよ。同姓同名だから気になって、調べてみたんだが、まぁ顔からして全然違う奴だったよ。だから別人だって思ってたんだが」
「……その『斑目良助』って、どんな人でした?」
「お前を紹介した奴とは全然似てなかったぞ。あっちがモヤシならこっちは大根だな。……つーかゴリラ顔。見るからに筋骨隆々としたたくましそうな奴でな。いい年した大人だってこともあって、積極的な捜索はされてねぇんだと」
 朝見の言葉に、永久が小さく頷いた。
 おそらく、朝見が言っているのが本物の『斑目良助』なのだろう。
 彼は創造主によって生贄にされ、下級悪魔の器になった。
 その姿を模した『悪魔・斑目』は永久に腕を奪われた際に負傷し、また別の人間を器にすることで生き延びた。
 そして、その人の姿で彰の前に現れた、ということなのだろう。
 ……ひどい話だ。
 悪魔という種族は、痕跡をほとんど残さない。
 人間の魂を喰って、その身を器にする。
 それは死体を残さない殺人に他ならない。
 犠牲者の存在は闇へ葬られ、その事実を知るのは犯人である悪魔のみ。
 どうにか永久のような退魔士が悪魔を狩り出したとしても、死体は残らない。
 行方不明で片付けられてしまう。
 犠牲者は、犠牲者であることすら誰にも知られないまま、やがて忘れられていく。
 本物の斑目良助のように。
「朝見さん、その人はどういう状況で行方不明になったか分かりますか?」
「んー……確か、最後に目撃したのは仕事場の同僚。帰りがけに居酒屋で一杯やって、そこで別れたんだと。その居酒屋から斑目さん家は歩いて五分。その短い距離の間に何があったのかはまだ分からんみたいだな」
「場所、教えてもらえますか?」
「別にいいけど……お前が捜してるの、モヤシの方だろ?」
「関係があるかもしれませんから。どうもあのモヤシさん、胡散臭かったんで」
「やばそうなのか?」
 朝見の表情から軽薄さが消えた。
 彰は軽く苦笑して、肩を竦めてみせた。
「まだ、なんとも」
「……けっ。てめぇの悪いくせだ、人が心配するといつもそうやってはぐらかしやがる」
 朝見は不機嫌そうに顔を歪め、空になった缶コーヒーを宙に放った。
 それは弧を描き、やがてゴミ箱の中で音を立てた。
「とりあえず、無茶はすんなよ」
「分かってますよ、朝見巡査部長」
 朝見の言葉に背を押され、二人は涼宮署を後にした。

 結局その日は何も手がかりは得られなかった。
 斑目良助が悪魔に教われたであろう現場を訪れてみたが、収穫はなかった。
 二、三日経過した程度なら気配が残っている可能性もあったらしい。
 しかし、斑目良助が悪魔の器にされたのは、もう一週間以上前のことである。
「ごめんね。なんだか一日中付き合わせちゃって」
 既に時刻は午後七時過ぎ。
 二人は彰のアパートに向かって歩いていた。
 もうこの時間帯は危ないと永久が主張し、彰を送っていくと言い張ったのである。
「こっちこそ、悪かった。なんか全然役に立ってなかった気がする」
「いいのいいの。私一人でやっても似たようなものだったし、それなら二人の方が楽しいじゃない」
「楽しい、か……」
 彰はふと、隣を歩く少女を見た。
 一日中誰かと一緒にいることなど、本当に久しぶりだった。
 普段は、誰かが側にいるだけで息苦しさを感じる。
 相手が今、自分をどう思っているのか。
 それが気になってしまい、心が疲れきってしまうのである。
 だが、不思議と今日はその息苦しさを感じなかった。
 変に構えることなく、普通に話すことが出来たように思える。
 無論、全てが順調だったわけではないが。
 いちいちそんなことを気にしていられる状況ではなかった、というのもある。
 しかし、それだけが原因とは言えない。
 ……そっか、楽しかったのかもな。
 理屈は分からないが、永久と一緒に町を歩くことは楽しかった。
 だから、息苦しさを感じなかったのだろう。
 そう結論づけて頷こうとすると、永久が気まずそうな表情を浮かべていた。
「……ごめん。ちょっと不謹慎だった」
 彰の呟きを曲解したらしい。永久は申し訳なさそうに頭を垂らした。
「楽しんでる場合なんかじゃないわよね。犠牲者だって出てるんだし、不瞳さんだって巻き込まれた身なのに。……駄目だなー、私。なに一人で楽しんでるんだろ」
 そんな永久を、彰は静かに見ていた。
 なぜか、この少女はいちいち放っておけない気にさせる。
「別に悪いことじゃないと思うけど」
「え?」
「君が楽しむことは、別に犠牲者たちへの冒涜でもなんでもないさ。むしろ、君はたった一人で戦ってきたんだ。その中で少しぐらい楽しんだって、罰は当たらないだろ」
 彰は本気で言っていた。
 確かに犠牲者たちは哀れだと思う。
 しかしそれは、たった一人で命を賭けて戦う少女にケチをつけていい理由にはならない。
 ――この少女は、どこか自分に似ている。
 彰が恐れから周囲に距離を置くように、永久は優しさから周囲を気遣う。
 その意味合いはまるで異なるが、行き着く先は似ていなくもない。
 だから、放っておけないのかもしれない。
「……倉凪」
「な、なに?」
 改まった様子の彰に、永久は警戒の色を示した。
「俺に気遣いはいらない。俺は別に楽しくなかったと言ったわけじゃないぞ? 勝手に一人で判断されると、こっちとしても困る」
 それは、久々に彰が意識して人に歩み寄った瞬間だった。
 照れ臭いような、気まずいような、いろいろな気持ちがない交ぜになって胸中を駆け巡る。
「要は悪魔をとっ捕まえて、これ以上の犠牲者を出さなければいいだけだ。ふざけてやるのならともかく、きちっと成果を出せば……その、なんだ。仲間内でささやかに楽しみ合うのも悪くはないというか……」
 彰が他人にこんな言葉を投げかけるなど、滅多にないことだった。
 気の利いた言葉が思い浮かぶはずもなく、支離滅裂に単語を並べ立てていくのがやっとだった。
 永久は呆然とした様子で彰を見ていた。彼女の反応が薄いことに焦って、彰はひたすら口を動かした。
 しかし、やがて彼女は嬉しそうにクスリと笑った。
「そっか。……仲間か」
「え?」
「今、仲間って言ったじゃない」
 彰はよく覚えていない。
 思考するよりも早く口が動いていたのだ。
 自分が何を言っていたのかも、よく分かっていない。
 だが、彼女が言うのだから間違いないのだろう。
「仲間かぁ」
 永久は喜びを露わに、その単語を何度も繰り返す。
 昨日の話だと、彼女は退魔士の中ではモグリという扱いを受けているらしい。
 同じ退魔士の仲間がいるようにも見えない。
 おそらくは、ずっと一人で戦ってきたのだろう。
 彰の眼前に広がる、深い夜の闇の中で、たった一人。
「……そう、仲間だ。だから、変に気を使う必要はないんだ」
 彰は永久に便乗するように言った。
 出会ったときから、彼女は彰に気を使っていた。
 巻き込まれた者に対する態度を取っていた。
 そのことが、今日一日ずっと気になっていた。
 いざ協力者として申し出たはいいものの、これでは足を引っ張っているだけのような気がしてしまう。
 それは、少し嫌だった。
 ……仲間として、適切な関係を築きたいだけだ。
 そう自分に言い聞かせながら、彰は彼女の返答を待った。
 が、待つまでもなかった。
 永久は彰の正面に回りこみ、夜を照らす太陽のような笑みを浮かべた。
「……うんっ。ありがと――彰!」
 初めて名前を呼ばれた。
 それだけのことなのに、彰は頬がカッとするのを抑えられなかった。
「別に、礼を言われるようなことじゃない」
 彼女から視線を逸らし、照れ臭さを隠すようにそんなことを口にする。
 それが、彰に出来る精一杯だった。