識人の捜し物

第七話「陰り」
 昼というにはやや遅く、夕方にはまだ早い時刻。
 彰のアパートで、二人は向かい合って座っていた。
「起きてて大丈夫なのか?」
 彰は永久に心配そうな声をかける。
 ここは病院ではないため、ろくな治療が出来なかった。
 せいぜい消毒して、止血のために包帯を巻きつけただけである。
 彰は腕や足などを見ただけなので、彼女の傷がどれほどのものか分からなかった。
 顔色は少し良くなってきたが、まだ身体には力が入らないらしい。
「んー……さすがに、本調子に戻るには時間かかるかもしれないわね」
 眉尻を下げて、永久は困ったように笑ってみせた。
「でも彰って凄いわね。私びっくりした」
「いや、凄くなんてない」
「そんなことないわよ。彰、修行積めば凄腕の退魔士になれるかも」
 治療しているときから、永久はずっとそう繰り返していた。
 どうも彰が〝骸〟と呼ばれる連中を相手に奮戦したことに感心しているらしい。
 悪い気はしないが、素直には喜べなかった。
「俺は全然駄目だった。……君こそ大したもんだ」
 彰は自分の掌を見つめる。
 そこにはまだ、〝骸〟を斬った感触が残っていた。
 ずっと小刻みに震えていて、それが収まりそうにない。
 こんな感覚を味わいながらも戦うことをやめない永久を、彰は心の底から立派だと思った。
 彼女も決して戦いを好んでいるわけではない。
 ただ、誰かのためにその力を振るう。
 口で言うほど簡単なことではない。
 彰はそのことを、身をもって実感した。
「俺は、武器に助けられただけだ。無我夢中で暴れてて、あとは君に助けられて。そのせいで君に怪我をさせちまった。……凄いどころか、全然駄目だ」
 永久が背中を狙われたのは彰を助けたからだった。
 もし彼女一人で戦っていれば、あのような傷を負うことはなかっただろう。
 ……これじゃ、ただの足手まといだ。
 彰は悔しげに拳を握り締め、歯を食い縛る。
「駄目なんかじゃないよ。ただ彰は、まだ慣れてなかっただけ」
 永久は話題を打ち切るようにそう言った。
 彰がこれ以上落ち込まないようにと気を使ったのだろう。
「それより、今後どうするか決めましょ。向こうはこっちの動向を把握してる可能性が高い。このままだと危ないわ」
「……あっちも焦ってるんだろうな。あと二日で『九裁』ってとこに所属してる退魔士が来るんだろ?」
「ええ。それまでか、あるいは引渡しの前後が危ないわね。『九裁』の本拠地まで腕を持っていかれたら、もう簡単には手出し出来なくなる。明後日までに絶対奪い返そうとしてくるはず。問題は、それをどう退けるかだけど……」
 永久はそこで言葉に詰まった。
 具体的な方法が思い浮かばないのだろう。
 渋面を浮かべ、視線を落としながら唸っている。
 彰にしても、いい考えは浮かばない。
 というより、まだ先ほどの戦いの余韻があるのか、思考が浮ついている。
 少し、頭が痛い。
「……大丈夫?」
 永久が心配そうな声をあげる。彰は首を振りながら、
「平気だ。……って言いたいけど、少し気分が悪い」
「なら、今日はもう休んだ方がいいかもね。私も疲れたし」
 彼女の手首に巻かれた包帯を目にして、彰は急に情けない気持ちになった。
 傷だらけの相手に、ほとんど無傷の自分の方が気を使われている。
 立つ瀬がまるでない。
「……やっぱり駄目だな、俺は。君に助けられてばかりで、そのくせ先にへこたれて。……これじゃ、役に立つどころか足手まといだ」
「でも、彰は連中と戦うの、さっきのが初めてなんでしょ? だったら、そんなものよ」
 彰の言葉は否定せず、しかしやんわりと慰めるように永久は言った。
「私も、連中を初めて戦ったときはひどかったわ。何日も食事がまともに喉を通らなくて。それに比べたら、彰はまだしっかりしてる」
 そう言って、永久は優しく微笑んだ。
「大丈夫、足手まといなんかじゃない。――私、彰のこと頼りにしてるんだから」
 それは、落ち込みかけていた彰をふんわりと包み込むような言葉だった。
 永久がどれだけ本気で言っているかは分からない。
 それでも、彰にとってはありがたい言葉だった。
 ……そうだ、俺は手助けすると決めた。なら、情けない格好を見せてる場合じゃない。
 せめて、永久の前ではしっかりしているべきだろう。
「悪い、ちょっと弱気になってた。……ありがとう」
「どういたしまして。ま、その分なら明日には調子戻ってるかもね」
「そうなるよう、誠心誠意努力するつもりだ」
 軽やかに応じる彰に、永久は満足そうに頷いてみせた。
「んじゃ、今日はこれで解散ね。夜は絶対部屋から出ないこと」
「ああ、分かってる。……君の方こそ、無茶はするなよ」
「うん。それじゃ、また明日ね」
「……あ、永久」
 彰は部屋を出て行こうとする永久を呼び止めた。
 聞きたいことが一つ残っていたのである。
「さっきの、あれは……」
 背中に傷を受けたあとの、ベランジェールとのやり取り。
 四年前の事件、もう片方、所有者。
 その意味を尋ねようとして、
「……いや、なんでもない」
 途中でやめた。
 ベランジェールに対し永久が見せた激情から察するに、気軽に触れていい話題でもなさそうだった。
 彼女も疲れているのだし、今はそんな話はしなくてもいいだろう。
「気をつけて帰れよ」
「……うん。ありがとう」
 永久はそう言って、若干憂いを帯びた笑顔を見せた。

 笑顔で大きく手を振りながら去っていく永久。
 その後ろ姿を見送っていると、つい遠い昔のことを思い出してしまう。
 まだ何も知らなかった、子供の頃のことを。
「……青春だねえ」
 不意に、下から声がした。
 聞き覚えのある声に、彰は溜息まじりの視線を向ける。
「朝見さん、こんな時間に何やってるんですか」
「ちょいと休憩中」
 朝見は煙草を吹かせながら気だるそうに言った。
 彰は相槌を打ちながら自室に向かおうとした。
「随分頑張ってるみたいだな。どうよあの子とは」
 朝見の言葉に、彰は足を止める。顔をしかめながら朝見を見て、
「言っておきますけど、彼女はあくまで依頼人に過ぎませんよ」
「そうなのか? その割には、珍しく親しげだったように見えたけどな」
 朝見は階段を昇ってくるとフェンスに背を預けた。
 今は軽薄そうな笑みは浮かべていない。思ったより、真面目な顔つきだった。
「……今、どんなことに首突っ込んでるんだ?」
「彼女の思い出の品を、一緒に捜してるんです」
「嘘こけ」
 彰のでまかせを一蹴して、朝見は背を向けた。
 刑事という仕事柄か、あるいは朝見特有の才能なのか。
 彼は物事の真相を見抜く力に長けていた。
 適当な嘘は通用しない。
 かといって、今回の件は話しても信じてもらえるような内容ではない。
 彰は答えに窮した。
「言いにくいなら言わなくていい」
 背を向けたまま、朝見は肩を竦めてみせた。
「ったく、お前はなんだかんだでお人好しだな。俺のことなんざ無視して部屋に戻ればいいものを。……ま、だからこそ、俺も気に入ってるわけだが」
 朝見はなにかと彰に目をかけている。
 アパートに入居した当初はさほどでもなかったが、いくつかの事件を経て、お互いにそれなりの信頼関係を築いてきた。
 彰の方も、朝見のことは信頼しているし、尊敬するところもある。
「……ただ、あんまり無理するなよ。お前を見てると、こっちも不安になってくる」
「不安……ですか?」
「ああ。ほら、お前って人間関係嫌いなくせに、人間そのものは好きそうだろ? だから普段人を避けてる分、気に入った相手のためなら必要以上に頑張っちまいそうな気がしてな」
 勝手に自分のことを分析されて、彰は眉間にしわを寄せた。
「俺、そんな風に見えるんですか?」
「これでも人を見る目には自信がある」
 朝見の目は、彰の右眼のように尋常ならざる力を秘めているわけではない。
 ただ、彼は己の経験などを生かして、物事の真偽を見極めているのである。
 だからこそ、不思議な説得力がある。
「ま、無理してないならいいんだよ。いつもの説教だと思って聞き流してくれ」
 ひらひらと手を振りながら、朝見は下へ降りていった。
 時刻はまだ午後五時過ぎ。これから署に戻るつもりなのだろう。
 少しずつ小さくなっていく朝見の姿を見送ってから、彰はふと自分の手を見てみた。
 震えはもう収まっている。
 この調子なら、明日は大丈夫だろう。
 しかし、朝見の言葉が引っかかる。
 ……無理をするな、か。
 彰は奇妙な右眼を持っていること以外は、普通の人間と変わらない。
 永久のように戦う力を持っているわけではなかった。
 もし彰がベランジェールと戦っていたら、おそらく命はなかっただろう。
 今更ながら、自分がどういう状況にいるのかを、朝見の言葉によって気づかされた。
 ――果たして、今の自分は無理をしているのか。
 彰は自分の掌を見つめながら、静かに部屋へと戻っていった。