識人の捜し物

第八話「左腕」
 その晩。
 彰が布団を敷いて横になろうとしたとき、かすかにドアを叩く音が聞こえた。
 最初は、新聞の勧誘か何かだろうと思い、無視することにした。
 しかし、ドアを叩く音は止まらない。
 うるさくはないが、このままでは安眠することが出来ない。
 放っておけば近所迷惑にもなる。
 彰は渋々、ドアの向こうに声をかけることにした。
「はい、どちらさんですか?」
「――捜し屋、不瞳彰さんですね」
「……ええ、そうですけど」
 緩みかけていた心に、緊張が走る。
『捜し屋・不瞳彰』は住所を公開していない。
 だから、ここを知る者は限られてくる。
 こんな時間帯に訪ねてくるのも怪しい。
 声は女性のものだった。
 穏やかだが、芯の強さを感じさせる響きを持っている。
 聞き覚えはない。
「こんな時間にお訪ねして申し訳ありません。しかし、緊急にお知らせしなければならないことがあったのです」
「……なんですか?」
「倉凪永久のことです」
 どうやら相手は依頼人というわけではないらしい。
 永久の名前を口にしたことから察するに、今回の件の関係者だろう。
 彰は黙り込んだ。
 迂闊なことを言わないよう、口元を引き締める。
 相手が悪魔――ベランジェールの手先の可能性もある。
 正体を把握するまでは、わずかな隙も見せられない。
 眼帯を外すと、ドアの向こう側から伸びてくる『線』が見えた。
 今のところ、そこに敵意などは見当たらない。
「……彼女が、どうかしましたか?」
「率直に言いましょう。彼女は危険です、もう関わらない方がいい」
 声は淡々と告げる。
 彰はそれに対する不快感を隠しながら、当然のことを尋ねた。
「どこが危険だっていうんですか? 根拠をお聞かせください」
「分かりました。その前に、まずこちらの素性を明かして起きましょう」
「……何?」
 まさか自分から素性を明かしてくるとは思っていなかった。
 彰はかすかに動揺する。
 だが次の瞬間、更なる衝撃が彼を襲った。
「――私は六の魔族、『誤解の一族』の二十二位、秋野葉子と申します」
「六の、魔族……!?」
 彰の脳裏に、今日遭遇した悪魔、ベランジェールのことが浮かび上がる。
 永久と互角に渡り合ったあの女悪魔も、同じように名乗りを上げていた。
 つまり、
「お前も、悪魔か……!」
「はい、その通りです」
 扉の向こうからは、すんなりとした肯定の言葉が返ってきた。
 そのことに、彰は若干戸惑う。
 相手が発しているであろう『線』には、相変わらず敵意が見当たらない。
 というより、その『線』には特徴がない。
 そこには何の感情も含まれていないようだった。
「……戸惑っておられるでしょうが、どうか落ち着いてください。そして理解していただきたい。警戒されるであろうことを承知で正体を明かしたのは、私なりの誠意だということを」
「ど、どういうことだ……?」
「私は貴方の敵ではないということですよ、不瞳さん。まぁ、味方でもありませんが」
 彰はその言葉を全面的に信用したりはしない。
 彰の見る『線』はそのときの状態を表しているだけである。
 相手の本心までは分からない。
 それでも、このまま追い返すよりは、話を聞いた方がよさそうである。
「……説明をお願いしたい。永久のどこが危険なのかを」
 扉は開けないまま、彰は静かに葉子と名乗った悪魔を促した。
「彼女は俺の命の恩人であり、今のところ協力者だ。よほどの理由がなければ、そちらの言葉に従うことは出来ない」
「そうですね、説明しましょう。……貴方は今回の事件、どういったものかご存知ですか?」
「『天魔の右腕』を狙う悪魔から、彼女がそれを守っているんだろう?」
「少し違います。彼女が手中に収め、悪魔たちが狙っているのは『天魔の両腕』なのです」
 葉子の訂正に、彰は思い当たる節があった。
 ……所有者、それにもう片方……。
 永久を激昂させた、ベランジェールの言葉である。
「そうか、もう片方っていうのは、そういう意味か」
 彰は小さく呟く。
 永久がなぜ『左腕』のことを黙っていたのかは分からないが、葉子の言葉は辻褄が合う。
 よからぬ狂言師というわけでもなさそうだった。
「だが……そんなのは、些細なことじゃないか?」
 たとえ『右腕』だけだろうと『両腕』だろうと、悪魔たちがそれを狙っていることに変わりはない。
 しかし、葉子はその見解を否定する。
「重要ですよ。とてもとても重要です。それならば不瞳さん。『天魔の左腕』はどこにあると思いますか?」
「どこって、『右腕』と同じ鞄に入ってるんじゃないのか?」
「違います。『右腕』は先日、ベランジェール……今、腕の奪還を目論んでいる一味から、倉凪永久が奪ったものです。しかしベランジェールの一味は『左腕』を所持していなかった」
 葉子の話は永久が言っていたことと合致する。
『線』にも、嘘をつくときの動揺などは見られない。
「じゃあ、『左腕』はどこにあるんだ?」
 おそらく『右腕』とは別の場所に隠してあるのだろう。
 彰はその程度にしか考えていなかった。
 ゆえに、葉子の返答は完全に予想外だった。

「――彼女の、中に」

 短く、しかし異論を許さぬ強い口調だった。
 聞き間違えだなどと言えないくらい、はっきりとした答えだった。
「……それ、どういう意味だ?」
『天魔の左腕』が永久の中に隠されている。
 それがどういうことなのか、彰には理解しかねた。
 葉子は淡々と続ける。
「不瞳さんはご存知ないようですね。我らの王、第六天魔がいかなる方法で封印されたか。その分だと、『右腕』も直接見てはいないのでしょう?」
「あ、ああ……」
「ならば最初に誤解を解いておきましょう。『右腕』『左腕』といった言い方で勘違いされているかもしれませんが、封印されたのは天魔の魂なのです。その肉体は、既に滅ぼされているのです」
 葉子はかすかにトーンを落として言った。
「ただ、肉体が滅びたところで天魔は死にません。新たな器に魂を移し、何度でも転生する。退魔士たちは過去の記録からそのことを知っていました。ゆえに、肉体を滅ぼしたうえで魂の封印を行い、更にそれを分解したのです」
 退魔士たちは随分と念入りにやったらしい。
 天魔とはそこまでしなければならない相手なのかと、彰は改めて畏怖の念を抱いた。
「つまり、封印されてるのは……天魔の魂の欠片ってことか」
「その通りです。その魂が一つになり、それに相応しい身体を得たとき、天魔は復活するのです」
 葉子の説明を受けて、彰は先ほどの言葉の意味が、少しずつ分かりかけてきた。
「……それってつまり、永久の中に天魔の魂が入ってるってことなのか……?」
「ええ。『天魔の左腕』が彼女を選んだのです。つまり、倉凪永久には資質があり、可能性がある。――新たな天魔になる可能性が」
「……っ!」
 脳天を叩き割られたかのような衝撃が走った。
 嫌な想像が次から次へと浮かび上がってくる。
 それを無理矢理抑えながら、彰は大きく首を振った。
「永久が、天魔になるだって……?」
「可能性の問題です。ただ、一度入り込んだ天魔の魂は死ぬまで引き剥がすことが出来ません。その人の魂に、根深く寄生してしまいますから。無理に外そうとすれば、魂が破損します」
 一泊置いてから葉子は言った。
「彼女自身が何を望んで左腕を取り込んだのかは分かりません。ただ、はっきりしていることが一つだけあります。……天魔の候補者となった以上、彼女に与えられた選択肢は二つ。新たな天魔となるか、他の候補者に大人しく殺されるか」
 それは、あまりに重い宣告だった。
「まあ、よほどの異常者でない限りは前者を選ぶでしょうね。現に、彼女は右腕をベランジェールたちから奪い取っている」
「だけど、永久はそれを『九裁』ってところに引き渡そうとしてる。別に天魔になろうとしてると決まったわけじゃないだろ」
「貴方はそれを確認出来ますか?」
 冷たく返されて、彰は言葉を詰まらせた。
『九裁』に引き渡すと言っていたのは永久である。
 彼女がもし嘘をついていたとしても、彰はそれを確認することが出来ない。
『九裁』という組織が実在しているかどうかさえ、彰には確かめようがないのである。
「倉凪永久の目的は私にも分かりません。ただ事実として、彼女は身の内に『天魔の左腕』を宿しており、『右腕』をも手中に収めている。そのことを疑うのであれば、明日にでも彼女にそれとなく尋ねてみてください」
 静かだが、自信に満ちた言葉だった。
 扉を挟んでいるにも関わらず、彰は気圧されてしまう。
「……秋野葉子さん、と言ったか」
「はい」
「なんで、俺にこんなことを伝えに来たんだ?」
 それは反撃であると同時に、純粋な疑問でもあった。
 彰にその事実を告げる理由が、どうにも見当たらない。
 だが、葉子はこれにもあっさりと答えた。
「天魔を復活させないためです」
「……え?」
 意外な返答に、彰は思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
「ちょ、ちょっと待った。あんたは悪魔なんだろ、だったらなんで自分たちの王を復活させないなんて……」
「全ての悪魔が天魔に従っていたわけではありません。そうですね……天魔を悪魔の王とするなら、私たちはそれに対する反乱組織のようなものです」
 だから、と葉子は続ける。
「この状況は私たちにとっても好ましくありません。この地には二つも天魔の欠片がある。しかも今、その両方を天魔の候補者である倉凪永久が所持している。これはかなり危険な状態なんです。我々としては、倉凪永久にしろベランジェールにしろ、両腕の正式な所有者を生み出すような事態は極力避けたい。しかし、貴方のような不確定要素が交じっていると、こちらとしても動きにくいのです」
 彰は、扉の向こうからぎろりと睨まれた気がした。
「私としては、貴方にはこの一件から手を引いてもらいたい」
 言葉遣いは丁寧だったが、その声は威圧感に満ち溢れていた。
 断わることは許さないと言いたげな、鉄の意志を感じる。
 善意からの忠告ではないだけに、葉子の言葉には真実味があった。
「無論、この場で決断しろとは言いません。明日も倉凪永久と会うのでしょう?」
「……」
「決めるのは、その後でも構いません」
 猶予期間はそれまでだ、と葉子は言外に匂わせている。
 彰はそれに対し、何も言うことが出来なかった。
「では、そろそろ失礼します。くれぐれも、選択を誤らないよう」
 葉子の足音が遠ざかっていく。
 彰は思わず扉を開けて、その後を追いかけようとした。
 しかし、既に周囲に人影は見当たらなかった。
 あるのは深い夜の闇と、それを照らす街灯だけである。
 ……落ち着け、追いかけてどうしようって言うんだ?
 運動をしたわけでもないのに、呼吸が乱れていた。
「くそっ……なんなんだ、さっきのは」
 アパートのフェンスにもたれかかりながら、彰は独りごちる。
 気持ちをどうにか落ち着けようと、夜空を見上げようとして、
「……あ?」
 自分に向けて伸ばされた、一本の『線』を見つけた。
 絶え間なく小刻みに揺れ動く、動揺を表す『線』。
 それを辿った先――アパートの隣にある民家の屋根に、ここ数日で見慣れた姿があった。
「永久……っ!?」
 彰が叫んだ瞬間、永久は身を翻し、音もなくどこかへと消えてしまった。
 彼女が離れたことにより、彰に向けられた『線』も薄れていく。
「なんなんだよ……」
 月下に一人取り残された彰は、誰にともなく呻いた。
 気づけば、寝間着は冷や汗でぐっしょりと濡れてしまっていた。

 葉子は彰の部屋の前を辞去すると、即座にアパートから離れた。
 倉凪永久の気配が迫ってきたからである。
 彼女と鉢合わせになるのはまずい。
 いずれは倒さなければならない相手だが、今はまだその段階ではなかった。
 住宅街から離れ、駅付近までやって来てようやく葉子は一息ついた。
「やれやれ、実にタフですね」
 軽くない傷を負っているのだから、今日は来ないと思っていた。
 だが、その観測は甘かったらしい。
「まったく、毎日毎日熱心なことです」
 おかげで不瞳彰の元を訪れるのが、思っていたよりも遅くなってしまった。
 本当はもっと早い段階で接触しておきたかったのである。
「しかし、不瞳彰……」
 こちらも厄介と言えば厄介だった。
 倉凪永久のような戦闘能力は持ち合わせていないようだが、その能力の正体がよく分からない。
 何を仕出かすか想像がつかないという点では、倉凪永久よりもやりにくい相手ではある。
 明日、彼はどんな選択をするのか。
 場合によっては、手荒な真似をすることになるかもしれない。
「まあ、いい」
 葉子は氷のように冷たい表情で、頭上に輝く月を見上げた。
「私は私で、最善を尽くすだけ」
 そう言い終えたとき、既に彼女の姿は闇の中へと溶け込んでいた。