無為浪人

 長浜の地に、妙な男がいた。
 身なりは汚く乞食のようだが、なぜか持っている刀だけは立派なものなのである。
 年の頃はまだ二十歳を少々過ぎた程度。
 猫を思わせるような相貌に中肉中背の男である。
「あれは呑気なお人だよ」
 この男を知っている人は皆口を揃えてそう評した。
 確かに男の生活は呑気なものであるとしか言いようがない。
 なにしろほとんど草の上で寝転がっているのである。
 農作業に向かう村人たちの視線の端に、いつのまにか紛れ込むことが多い。
 当初は村人も気になり、なにをしているのか尋ねたりした。
 すると男はひどく愛嬌のある笑みで、
「雲を見とる」
 と言うのである。
 それが一月続き、村人たちもその男に馴染んでしまった。
 男は時折農作業を手伝ったりして食いつないでいる。
 その仕事振りは大したものであるため、村の方でも非常に助かっていた。
 名は牧泉豊次という。
 刀を持っていることから、村人たちはどこかの侍か牢人かと思っていたが、どうも違うらしい。
「わしはどこの生まれかもよく分からん。育ててくれた爺はどこかの侍だったそうだが、まぁ話したくなさそうだったから聞かなかった」
「するとお腰の刀はどちらで?」
「こいつか。こいつは旅の途中で気の合った鍛冶師に貰った」
 刀のことを自慢に思っているのか、その話題になると豊次は無邪気に笑ってみせた。
 そのくせ刀を使うところを誰も見たことがないのである。
「腰の刀は飾りか」
 などと、気の短い若者連中はからかったりする。
 その度に豊次は、
「使う必要がないから使わんだけだ」
 とだけ言って、取り合わなかった。

 この男が居着いた村の近くに、ある寺があった。
 そこに佐吉という少年がいた。
 後の名を石田治部少輔三成。
 豊臣秀吉に仕え、その死後に徳川家康と関ヶ原の役で戦い、敗死した人物である。
 この佐吉が、ある日道端で寝転がっている豊次に話しかけた。
「お侍様はいつもそこで寝ておられますな」
 前々から気になっていたのか、挨拶も抜きにいきなりそんなことを言い出した。
 何事かと思い、豊次が起き上がってみると、そこにはまだ幼さの残る年齢の少年がいた。
「随分とはっきり物を言うやつだな」
「性分でござる」
「話し方もはっきりとしとる。わしよりよほど侍らしいわ」
 と、豊次はこの佐吉という少年を面白がった。
 妙な言い方になるが、可愛げのないところがこの少年の可愛い部分のように思えるのである。
「だがわしは侍じゃない。氏素性も知れんただの乞食よ」
「刀がござろう」
「おうおう刀はある。だがそれだけだ。どこかの家に仕えたわけでもないぞ」
「ならばその刀は飾り物でござるか」
 胡散臭そうな視線を無遠慮にぶつけてくる。
 豊次はどうしたものかと思い、ふと顔の横にあった小石を拾い上げた。
「これをよく見とれ」
 寝たままの姿勢で佐吉の方に石を向ける。
 それを上に放り投げると、豊次は勢いよく跳ね起きて、落ちてきた小石を刀の柄の先で打ちあてた。
 わっ、と声をあげたのは佐吉である。
 柄に弾かれた小石は正確に佐吉の鼻っ柱に当たり、さらに身をのけぞらせた瞬間、肩に刀を当てられたのである。
 一瞬斬られるかと思い、心臓がすくみあがった。
 が、豊次はさっさと刀を手元に引き戻してしまった。
 よく見てみると、一度も鞘から抜いていない。
「あはは、すまんすまん。おぬしがあまりに仏頂面だったものでな」
「愚弄するかっ」
「怒るな、わしのこれも性分だ」
 透き通る青空の下で、これ以上ない程に自然に笑う。
 豊次があまりにも気持ち良さそうに笑うためか、佐吉もとうとう仏頂面を崩して少しだけ笑ってみせた。
「使う必要があれば使う、それだけのものだ。道具とはそういうものであろう?」
「成る程、確かにその通りだ」
 その後、佐吉は最初の無礼を詫び、名を名乗りあげた。
 豊次もきちんと起き上がって、佐吉に自分の名を告げる。
 お互いが名乗り終えたところで、佐吉は再び元の仏頂面へと戻り、本題を切り出してきた。
「豊次殿は石田村に行かれるそうですな」
「そうだな、あそこの人には世話になっとる」
「そこに石田正継という人がおりますな?」
「正継殿か、知っとるぞ。なんだ、おぬしの父か」
 まだ佐吉が正継との関係を言っていないのに、豊次は見事にそれを言い当てた。
 佐吉は確かに、石田村に住む地侍、石田正継の次男である。
 だがその関係性を匂わせてもいないというのに、なぜ豊次には分かったのか。
 そのことを問いただすと、豊次は不思議そうな顔をして、
「そういう顔をしておったわ。話の流れとおぬしの顔を見たら、自然とそう思っただけよ」
 と、ごく当たり前のことのように言った。
 この男には天性不思議な勘が働くらしい。
「その父に、寺の住持からの手紙を届けて欲しいのです」
「おう分かった、雲も今日はあまりないしな」
 理由になっていない理由で承諾すると、豊次は佐吉からひったくるように手紙を受け取った。
 そのまま駆け出そうとすると、佐吉がそれを止めた。
「豊次殿、そんなにあっさりと承諾されるのですか」
「承諾しちゃ悪いかい。頼まれたから引き受けた、それは自然なことだと思うが」
「……なれば、もしも困っている人がいれば助けられるので?」
「わしが助けられることならな」
 豊次がそう言うと、はじめて佐吉は豊次を感嘆の眼差しで見た。
 ふむふむ、と頷き、
「では、お頼み申す」
 そう意味ありげに呟き、石田村とは反対の方へと歩いていった。

 石田正継宅へはさほど時間をかけずに辿り着いた。
 もともと豊次は流れ者であるためか、歩く速さが尋常ではない。
「これを佐吉が、とな」
 突然の来訪者に正継は当初戸惑っていたようだったが、豊次とは知らない仲でもないため、すぐに家へと引き上げてくれた。
 豊次も豊次であまり遠慮と言うものを知らないらしく、まるで我が家のような気軽さで上がりこんだ。
 これで図々しく思わせないところが、豊次という男の人徳であろう。
「正確には住持さんからだと言っていましたが」
「いや、この字面はおそらく佐吉のじゃな」
「はて、おかしいですな」
 佐吉という少年には利発なところがあると感じてはいた。
 だがそれが嘘をつく理由にはなるまい。
 豊次が首を傾げていると、正継が手紙の中身を見せてくれた。
 手紙の中には流暢な字面で、村の付近で怪しい集団を見かけたという旨が書かれていた。
 盗賊の類かもしれないから気をつけろ、とある。
「余計な世話をする。佐吉らしいといえばらしい気もするが」
「しかし盗賊の類だとすると厄介ですのう」
「ふむ——」
 まじまじと覗き込む豊次を、正継は冷静な目で観察した。
 正確には、豊次の刀を、である。
(腰に刀を差しているが、この男、盗賊退治に使えるだろうか)
 村が襲われては正継としても困る。
 だが下手に盗賊を刺激して、村が余計な危機に見舞われるのも避けたいところだった。
 その点この豊次という男は使える。
 刀を持っていることからそれなりに心構えはあるだろうし、万一盗賊に敗れたとしても村とは無関係ということにできる。
 いわば、捨て駒として使えるかもしれないのである。
(おそらく手紙をわざわざこの男に届けさせたのは、佐吉めも同じことを考えたからではないか)
 年不相応に小才の利く佐吉のことである。
 まず間違いなく、それと似た魂胆があってのことであろう。
「そうだな」
 正継の視線に気づいたのか、豊次は勢いよく手紙から顔をあげた。
「わしが盗賊を退治しましょう。それなら村にも迷惑はかからん。正継殿、それでどうか」
 まるで正継の思考を読んだかのような言葉である。
 正継は頷きながらも顔をしかめて、尋ねてみた。
「それは助かるが、なぜその気になった?」
「困ってる人がおれば、助けるのが当たり前のことでしょう。それがわしにできることであれば、ですがな」
「……できるのか?」
 正直、その点が不安である。
 人柄は信用できても、その腕前はまるで分からない。
 なにしろ豊次がこの刀を使っているところ見たことがないのである。
 だが豊次はさも当たり前のことのように、
「わしはそう思っとります。まぁできなければ死ぬだけですな」
 そういって、いつものように曇りのない笑みを浮かべるのだった。

 石田村から少し離れたところに、一軒の小屋があった。
 その中に五、六人の男たちが集まっていた。
 いずれも筋骨隆々とした荒くれどもで、地道に働くような者たちには見えない。
 そして衣装などには不釣合いなほどの品々が置かれている。
 おそらくは奪い取った品物であろう。
「結構いますのう」
「そうだな」
 陽は既に暮れている。
 豊次は、正継に借りた五助と共に木陰に隠れていた。
 開け放たれた障子から、念入りに中を覗き込んでいるのである。
 周囲は男たちの灯している火によってのみ、明るくなっていた。
「影に乗じればそう怖い相手ではないが、なるべく逃がさずに捕らえたいものだ」
「一人も逃さずにですか。それは贅沢じゃありませんかね」
「いやいや、そう無理なことじゃない。当たり前のことを考えればよいだけだ」
 へい、と言いながらも五助は疑わしげであった。
 なにしろ豊次の腕の程が分からない。
 さらにこの時代、後の江戸時代と違い武芸者は軽く見られていたのである。
 合戦が主な晴れ舞台であるこの時代では、個人技としての側面が強い武芸は活躍の場がないのだった。
「できるんですかね」
 もはや何度目になるか分からない呟きを繰り返す。
 豊次はさすがに鬱陶しくなってきたのか、眉をひそめてぺちりと五助の頭を叩いた。
「痛、なにをなさるか」
「静かに、ということだ。流れ者風情に叩かれたくなければ、もう少し大人しゅうせい」
 へい、と渋々五助は引き下がった。
 主人の正継には豊次の言うことに従え、と言われている。
 そのため逆らうわけにはいかない。
「で、わしは何をすればいいんで」
「そうだな。わしが今から斬りかかるから、適当に騒いでくれ」
「それだけでいいんですかい」
「刀を持っておらんから、一緒に斬り込んでくれとは言えんだろう。おぬしを連れて来たのは念のためよ」
 へい、と頷きながらも五助は内心『当たり前だ』と思っている。
 ただの小者に何を期待しろと言うのだろうか。
 小屋に入り口は一つしかない。
 出入り口を塞げば後は全員を逃がさず捕らえることができる。
 もっとも、どこに伏兵がいるか分からない。
 そのための保険としても、五助は役に立つのである。
「さて、それでは斬り込むとするか」
 何を呑気な、と五助が呆れかえった。
 が、そのとき既に豊次の姿はない。
「へっ——!?」
 視線を本能的に小屋へと移す。
 すると、たった今まで目の前にいた豊次がいつのまにか移動していた。
 それだけではなく、小屋の扉を足で蹴散らし、これ以上ないくらい乱暴な突入をしたのである。

「なんじゃ貴様は」
 突然の乱入者に、盗賊たちは機敏に対応した。
 狭い室内ながらも、それぞれの獲物を持ってすぐさま駆け出してくる。
 しかし、
(この時刻を狙って正解だったわ)
 豊次は内心ほくそ笑むほどの余裕を持って、彼らと対峙している。
 もはや夜も深く、普通の人間ならば寝ているであろう時間だった。
 豊次の狙いが当たった証拠に、男たちのうち何人かはまだ寝ぼけている節がある。
 すぐさま起き上がって獲物を手にしたことは褒めてもいいが、完全に頭が働かないというのはどうしようもない問題だった。
 だから出入り口に立っている豊次目掛けて、二人同時に襲い掛かってきた。
 当然両者の身体はぶつかりあい、その隙を豊次につけ込まれる。
「えいっ」
 鋭く短い声をあげて、豊次は抜き打ち様にその二人を斬り捨てた。
 仲間を斬られてようやく目が覚めたのか、男たちの動きが急に慎重になった。
「おぬしら盗賊だろう。わしも似たようなもんでな、手柄にするために斬りに来た」
「ふざけるなっ」
 豊次の言葉に怒った男が、中段の構えで突くように迫ってきた。
 しかし豊次はこれを難なく避け、胴をすんなりと斬ってしまった。
 血のついた刀を両手で持ち、刃先を残った男たちへと向ける。
「さて、まだやるか」
 豊次の言葉と共に、小屋の外から人の声が聞こえてきた。
 言われたとおり、五助が叫んでいるのである。
 この緊張状態にあっては、一人の声も大人数のものと錯覚しやすい。
 男たちは揃って平伏してしまった。

 翌日、屋敷に正継の元へ戻った五助は、盗賊退治のあらましを語った。
 豊次の取った方法を聞くたびに、正継は首をかしげている。
「寝起きを襲い大声で錯覚させただけ。なんだか平凡過ぎて、効果があるのかどうか疑わしいところじゃな」
「へい。手前もそう思い、豊次様に申し上げたところ……」
「あの男は、なんと申しておった」
「当たり前のものほど効果は期待できる、と」
「ふむ……」
 正継としてはいまいち納得しがたいところだが、実際に盗賊を退治し、何人かは捕らえることができたのだから上々であろう。
 しかし、正継にはもう一つ気になることがあった。
「してその豊次だが、なぜここへ参らぬ。何か礼をと思ったのじゃが」
「へい、なんでも『そろそろ別の場所に行こうかと思う』と申しておりました」
「つまり、また旅に出たわけか」
 なにもこういうときに出て行くことはないだろうに、と思う。
 助けてもらったばかりではなんとも釣り合いが取れないような気がするのである。
 だがそれを言えば、豊次という男はこう切り返すだろう、という予想はつく。
 それは————。

 その日、佐吉は石田村への道を歩いていた。
 すると向こう側から編み笠をした男が歩いてくる。
「もしや、豊次殿か」
「おう、佐吉か」
 友人に出会ったときのような気さくさの豊次に、佐吉も思わず顔が綻んだ。
「手紙の件はどうでござった」
「全て解決はしておいたわ」
「そうか。それは何よりだ」
「おぬしはこれからどこへ行くのだ。もしや石田村か?」
 相変わらず不思議と勘は鋭い。
 佐吉は素直に頷いた。
「先日、さる御方の元で仕えることになり、そこで父上にも知らせておこうと思ったのです」
「ほほう、羽柴筑前守殿だな」
「本当に鋭いな。羽柴様を知っておられるのか」
「あちこち飛び回る身だからな。元は織田殿に見出された氏素性も知れぬ者と聞く」
 元の名を木下藤吉郎。
 天正のはじめのこの頃に羽柴秀吉となり、後に豊臣秀吉として関白にまで上り詰める男である。
「近頃は大名筋になったらしいな。それで佐吉も見出されたわけか」
「そうでござる。実力次第では、私も羽柴様のように取り立ててもらえるかもしれない」
「それが今の世というものか」
「然り——どうであろう、豊次殿も仕官してみては」
 佐吉の見るところ、豊次には只者ではない何かを感じる。
 この男なら、実力次第で取り立てられる織田家において、相当な出世をするのではないか。
 そんな気がしたのである。
 しかし豊次は一切迷うことなく、即座に首を振った。
「わしはあくまで流れ者に過ぎぬよ。それに合戦でこの剣技がどれほどの役に立とう。権力は権力者が持っていればいいのだ」
「されど、今は実力があれば——」
「そういう世であることは知っておる。だがまぁわしは、ありのままの自分でいたいからな」
 実力だけで成り上がったところで、その先に何があるというのか。
 出世の階段を昇るよりは、同じ階層を広く渡り歩いてみたい。
 豊次はそう思うのである。
「そうか、それは残念だ」
「佐吉。こうして話したのも何かの縁、わしはおぬしの栄達を夢見て過ごすことにするよ」
 それきり、二人は別れた。

 去り際の豊次は、実にこの男らしく、
「流れ者が旅に出るのは当たり前のことだ」
 と言わんばかりに、自然なものだった。
 後年、佐吉が石田三成として関ヶ原に敗れたとき、豊次がどこにいて、どう思ったのかは誰も知らない。
 ただ、この男ならばこう言いそうである。
「まぁ、人が死ぬのは当たり前のことだ」